戦国時代は個人の能力が全てで、実力プラス運さえあれば誰でも何にでもなれたような印象を受けますが果たしてそうでしょうか。
秀吉が信長亡き後天下人になった歴史の結果から見てそう思う人が多いようです。
16世紀は確かにダイナミックな世紀と言えると思います。活力が増大し既成の枠では収まりきれない様になってきたことは事実です。
しかし、武士階級の参入ハードルとはそれほど低いものだったのでしょうか。武士はこの時点ですでに既得権の所有者になっていました。要するに一種のエスタブリッシュメントだったわけです。社会の枠組みにガタが来ているのは分かっていましたがすでに武士は持たざる者ではなかったのです。
確かに下克上の時代ではありましたが、それは伝統や血脈の正統性が時と共に価値が低下するという事だったのです。血縁者の多さは骨肉の戦いも生みましたが、やはり大きな力となりました。
現代でも家柄は威力を発揮します。(パターンは色々ですが)
400年前の人々の意識を考えてみると、全てから自由な(要するに何も持たないということ)人間が武士として下克上に参加し、立身出世する事が本当に可能な社会だったのか極めて疑わしいと思います。
秀吉は最初今川家の武将の家来になりましたが、すぐに見切りを付けて辞めてしまいました。そして当時としては今川より遥かに格下の織田家へ再就職したわけです。
信長という人物の天才ぶりを示す事例は数多いのですが、人材起用についてもそうだったと思います。
戦国時代において有名な武将が数多く歴史上に現れますが、信長(そして彼の後継者である秀吉)を除いて本人の能力だけでのし上がってきた人物を使った形跡はないように思います。(例外はあるかも知れません)
あの光秀ですら実際のところ信長傘下に加わる前はどのようであったのかはっきりとは分かっていません。信長に出会う前は彼の能力を発揮する場所を与えてくれる相手がいなかったことだけは事実です。
その浪人であった光秀は10年間で50万石の大々名になれたわけです。
信長は全ての既成概念から自由だったような印象を受けます。16世紀の日本という環境を考えるとこれは驚愕に値する事だと思います。若年の頃「うつけ者」と呼ばれたそうですが、これは信長を理解できなかったことに他ならない事の証明だと思います。