モリーは、夜遅く帰宅した夫の前には食事を、久しぶりに突然やって来た息子たちの前には紅茶とクランペットを置いて、すぐその場を離れた。が、気遣わしげにちらちらと様子を伺ってしまう。それでもあえて聞き耳を立てるようなことはしない。アーサーが「仕事の話」だと言ったからだ。
 手の付けようのないほどのいたずらっ子だった双子が、魔法省に勤めている父親と真面目に仕事の話をする日が来るとは思いもしなかった。モリーはある種の感慨と共に、どうしても一抹の不安を拭えなかった。何しろ夫の仕事は双子の息子たちにとってはむしろ目の上のコブのようなものに思えるからだ。アーサーはその点については双子に全幅の信頼を置いているようだったが、モリーはいまだに心配でしょうがない。
 アーサーも、帰宅したときにフレッドとジョージが待ち構えていて、しかもいきなり仕事のことで大事な相談があるのだと真剣な顔で切り出されたときは、妙なことだと思った。もちろんそれは自宅で「仕事の」話だと言われたことであって、双子が真剣な顔をしていたことに対してではない。
 子供の頃からひどい悪戯には随分アーサーも双子を叱ってきたものだが、二人が卑怯者であったことは一度もないと信じていた。だから、自分たちが法を犯すからそれを目こぼししてくれなどと頼みに来たわけではないに違いない。何か便宜を図ってもうらおうと役人に接触する実業家はもちろん多くいるが、アーサーがそのようなことに応じる性格でないことも、またそれほどの力もないことも、息子たちはよく分かっているはずだった。
「僕たち、何も商売上の私怨で言ってるんじゃないんだ」
 話し終わった後、フレッドはそう付け加えた。
「だっておかしいでしょう? こんなのが野放しになってるなんて」
「いや、分かる、分かっているよ、それは」
言いつのるフレッドを、アーサーはなだめるように遮った。
「ほかに1件も被害が出てないとは思えないんだ。ハーティ社に抗議に行っても無駄なようだけど、没収局に直接通報した人だっているんじゃないかと思ったんだ」
とジョージが続けた。
「ああ、確かに1件だけあった。今をときめく急成長の注目企業のことだから、ちゃんと記憶に残っている」
「1件だけ?」
「ほかに被害がないとも言えないが、そう数が多くもないだろう。実際にそれを身に付けているときに呪いを受けることなんて、そうそうあるもんじゃない」
「確かにそうだけど……その1件は?」
「同じような話だったよ。だが、やはり効果が全くなかったというわけでもないらしい。ちゃんと守ってはくれなかったというだけでね」
「でも広告で言ってることと違うでしょう?」
ジョージが少しいら立ってきた。
「そうだな。だからもちろん我々としても問い合わせはしてみたよ」
「で?」
フレッドはせかしたが、アーサーはゆっくりとシチューを一口飲み込んだ。
「どうしても一定の割合で、といってももちろんごくわずかだが、十分効力を発揮できないものができてしまうそうだ。だがそのことは使用説明書を付けているということだし、もちろん、何もなしに呪いを受けるよりずっとましだ。お客さんから苦情があった場合は金銭問題も含めて誠意を持って対応するということだったがね」
「それで? それだけで!?」
「納得して引き下がってきたわけなの? 魔法省は!」
 フレッドとジョージに口々に詰め寄られても、アーサーは動じなかった。
「仕方ないだろう。わたしの部下の1人が行ったのだが、態度も丁寧だったし、一応見せてもらった書類も問題なかったようだ」
「そんなの、お役所対策を最初から考えてるに決まってるじゃないか! だけど絶対誠意ある対応なんかしてないよ!」
「わたしに怒るなよ」
 憤慨するフレッドにアーサーは迷惑そうな顔をしながらマッシュポテトを口に運んだ。
「その男性が嘘を言う理由も見当たらなさそうだし、おまえたちのこの分析も正しいんだろうと思っているよ。わたしはね。ただ、不良品が出る可能性はあっちも認めていることだし、身に付けているだけでどうこうなるもんでもない。ほかに被害が出ている可能性はあるだろうが、現に通報してきたのは1人しかいない。これではハーティ社に悪意があるとは証明できんね」
「だったら正式に捜査してみればいいじゃない。あそこの製品を片っ端から試してみればいい。どうせ同じ結果になる」
「確証なしに役所がそんな乱暴なことはできないよ」
ジョージの提案も、アーサーはすげなく却下した。
「証拠がなくたって十分乱暴なことしてるじゃないか」
フレッドが不満そうにつぶやいた。
「それは警察だ。わたしたちはそんなことはしない」
役人として多少肩身が狭いのか、アーサーは少し言い訳がましく反論した。
「でも仮処分ていうか、とりあえず一部業務停止とか、一時的に広告禁止とかできるでしょう? 法律的には。広告さえ止まれば新聞だってラジオだって報道するに違いないんだ」
「それだってよほど確たる証拠なり大きな被害がなければ難しいだろうな。それでもし時間と労力を費やして調査した挙句何事もなければ、役所のほうだって困るし、ハーティ社から賠償請求されるだろうし。知っているだろうが、お役所というのはそういうことには許可を出したがらない」
 役所に勤めてる人間自身にそう言われては、悪態をつく気にもなれない。フレッドもジョージも顔を見合わせてちょっと肩をすくめた。
「まあそうがっかりするな。フレッド、だったら警察のほうへ行ってみたらどうかね? あそこも今は手一杯のはずだが、魔法省よりは動きが速いだろう」
「やなこった」
フレッドは0.5秒と間を置かずに断った。
「スタン・シャンパイクを釈放したら信用してもいいけどね」
ジョージも不愉快そうに付け加えた。
アーサーはやれやれといった様子で首を振った。
「なら、しばらく様子を見るしかないな……無茶をするんじゃないぞ」
フレッドとジョージの目がチカッと光ったのを見て、アーサーは慌てて言った。
「もう時間も遅い。二人とも、今夜はこっちで休んでいったらどうかね? 母さんもそのほうが喜ぶ」
「せっかくだけど……」
ジョージが申し訳なさそうにちらとモリーを見た。
「明日もあるし、アパートに帰るよ」
「そうか……」
「でもその前に」
「ママ、シチュー残ってたら僕もほしいな」
「僕も。それからポテトも余ってたらもらって帰っていい?」
 それを聞くとモリーは嬉しそうに、鍋を温め直し始めた。


 フレッドとジョージはアーサーの心もとない返事にかえって闘志をかき立てられてしまった。
「パパだって立場ってもんがある。下手なことして最悪解雇なんてことになったら騎士団の任務にも差し支えるんだろうし」
「逆に言えば、没収局を動かすだけの証拠を俺たちが上げればいいってことだ。マスコミと違って握りつぶされる心配はないわけだ」
「それが一番大変なんだけどな」
「ここまで来たんだ、やってやる」
 久しぶりの母親の手料理で鋭気を養い、二人の食べっぷりに、まともな食事をしていないのではないかと心配したモリーが、今日はふくろう便でローストチキンを送ってくれた。夕食の残りで夜食用のサンドイッチを作っておき、準備にとりかかった。仕事を終えた後のこと、睡眠不足も疲れも少々たまってきてはいたが、二人とも妙な高揚感さえ感じていた。
「まずは伸び耳の改良からだな」
「それからカメラ。ルーナの親父さんに連絡とって……」
「オムニオキュラーを手に入れて……」
「ポリジュースは使うか?」
「こんなことに使うには時間も金も惜しいな。髪の色だけ変えちまえばバレないだろう」
「あとは『風邪引きのど飴』くらいでオッケーかな」
ふだんは商品を開発や製造に使う部屋で、次々といろいろな機械や材料や本などをどんどん机の上に積み上げていく。
「どっちが先に行く?」
「コインで……」
「こないだは俺が負けたんだから、今度はおまえやれよ」
「そんな理屈があるか。こないだはこないだ、今回は今回だ」
「おまえ、この前なんか細工しただろ」
「してないよ」
「ほんとに?」
「おまえなあ、俺が嘘ついてるかどうかぐらい分かんだろう?」
「最近ちょっと自信ないかも」
「そうか。じゃあ告白するけど、実は俺は『服従の呪文』にかかってるんだ」
「今のは本当だな。何しろ呪文をかけたのはデスイーターである俺だからな」
 軽口をたたき合って、二人は声を上げて笑った。





2に戻る   続きへ