振り返れば振草,花祭の里(東栄町)
(地図上の位置)
写真をクリックして拡大
テーホヘテホヘ 中設楽の花祭
(「花祭」)
(「花祭」)
)
中設楽の花祭(YouTube)
トンネルを抜けると広がる本郷平
(右端は(
「花祭会館」
)
この本郷平(河岸段丘)の向こうに「振草川」が右方向に流れ,天竜川に注いでいる。
>
奥三河のナイアガラ
「とうえい温泉 花まつりの湯」
(天然療養泉) から徒歩1分)
奥三河のナイアガラ(YouTube)
柳瀬の川原
最奥(西方)の半円形の山は
「御殿山」(標高:789m)
(
加賀野の子安様と楽壱王神社
,
加賀野の子安様の天井絵(YouTube)
鮎釣りは振草川
振草川の鮎釣り(YouTube)
明神山(標高:1016m)
東栄町の最高峰
町歌「明神晴れて 昇る陽に
心も真澄む 朝ぼらけ」
写真左が東栄町別所,右が本郷,
その真ん中を振草川(大千瀬川)が流れている(つなぎ写真)。
左端の建物は東栄中学校
尾籠岩山(標高:700m)からの俯瞰
(手前の集落は月・尾籠)
町歌「みどりの風も さわやかに
山河えがく 大絵巻」
現在の東栄町は,江戸時代,天領(幕府領)で「振草郷」と呼ばれ,山間に17の村が点在していた。
(2018年9月発刊『江戸の裁判-花祭の里の天保騒動記-』「はじめに」より)
『日記』(議定論日記)を読むと、振草郷は山奥ではあるが、天竜川を背骨にした「三遠南信」の中にあって、この地域の人々は広範囲に繋がりを持ち、貧しく時に対立しながらも、信仰心に富み、活力に満ちた生活を送っていたことが分かる。
今、この東栄町でも、過疎化、高齢化が進み、65歳以上が過半という「限界集落」化が囁かれるようになっている。限界集落化で何が失われるか。「限界集落」の概念を提唱した大野晃教授によれば、第1に伝統芸能・文化の衰退、第2に山村の原風景の喪失、第3に山の荒廃が挙げられている。地域の再生が喫緊の課題となっている。戦後の一時期は一万人を超した東栄町の人口も、今や江戸・天保時代の人口より少なく三五〇〇人を切っている。しかも六五歳以上は四九%を占めるに至っている。
歴史を知り学ぶことから、過去と現在との「繋がり」が実感される。これまで先人が営々と築き上げてきた伝統と文化の深みを知れば、歴史観も変わり、そこから何がしか、これからの時代を拓く知恵やヒントが得られるのではないだろうか。
若い頃に読んだE・H・カーの『歴史とは何か』(岩波新書・1970年)に、「歴史とは・・・現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」だとあった。史料や文献をひもとき、過去に思いを馳せ、その時代と対話をしたい。
別所村・寄近村の古地図
(文化11年〔1815〕頃)
天保8年〔1837〕頃の振草郷の村々(幕政村)
本郷・岡本のさいの神
病や災害から村人を守る守り神
峠道の馬頭観音
(天保13年〔1842〕制作)
みな,やさしい表情をしている。
本郷から九十九折りの坂道を登った
与良木峠にある「地蔵」
昔は「首なし地蔵」と呼ばれていた。
隣の石塔は,横死(不慮の死)含霊供養塔)
裁判のために出頭した「赤坂役所」の門
(中泉代官所赤坂出張陣屋)
東海道赤坂宿にあったが,
移築され,現在「法雲寺」に残る。