奥三河の花祭とは
『奥三河の花祭と国学者』
奥三河の花祭は、江戸時代、神仏習合の祭りとして行われてきたが、明治維新の神仏分離令〔1868年〕により、明治5年〔1872〕12月1日、中設楽村の花祭が唯一神道の花祭(神道花)に改変された。この改変に大きく関与したのは、井真斎こと中井大介を名乗る無名の国学者であった。
国学者とは、江戸時代に盛んになった、『古事記』、『日本書紀』等を研究し、日本古来の文化、精神を明らかにしようとした学者をいう。
早川孝太郎は、奥三河の花祭開催の各地区を巡って、神事や舞の所作をつぶさに観察し、昭和5年〔1930年〕、大著『花祭』(『花祭 前編』、『花祭 後編』)を発刊した。
この中で、花祭改革の趣意書(古文書)を紹介しているが、肝心な部分がカットされていたりして、謎が多い。また、花祭の歴史的考察についても重要な視点を欠き、論者によっては、『花祭』は大著でも未完の書だとする説もある。
また、早川は、中井に対し厳しい見方をしているが、どういう経歴、思想の持ち主であるかについては、ほとんど解説していない。 中井は、一体何者なのだろう。
幕末から明治初期にかけて東三河では平田篤胤の門人として思想・宗教界で活躍していた羽田野敬雄の影響が大きかったが、中井が同人を私淑(尊敬)し、また和歌好きだったと言うものの、二人の関係について調査はしたと思われるが、詳細は何ら語られていない。
『江戸の裁判・議定論日記』、『坂柿一統記(抄)』に引き続き、今回、『奥三河の花祭と国学者』と題する本を令和7年〔2025〕8月に(書店発売は8月中旬頃予定)の運びとなりました。
この本では、中井を中心にして、奥三河の花祭の歴史と舞の背後で歌われる和歌を紹介し、花祭のルーツ、目的を探り、中井が書いた弓術の奥義書、岡崎、豊橋での俳人らとの青春時代の交流と彼の俳句、そして花祭改革への取組み等について、その足取りをたどりつつ、謎と疑問点を解明していきます。
巻末資料として、花祭開催地区全部の現行の「歌ぐら」全首を収録しています。
今回出版される本(表紙)の「帯」には、次のように書かれています。
明治維新期に大きな変革を迎えた「花祭」。
知られざる国学者の改革、歴史の闇に埋もれた事実とは?
民俗学者・早川孝太郎の名著『花祭』を再検証し、民俗学の研究手法を考える。
150年の空白を埋める意欲作。
(裏)
【本書の内容】
@ 奥三河の花祭の起源と特徴を簡潔に示した。
A 花祭の舞の背後で歌われる中世歌謡「梁塵秘抄」等との関係を考察。
B 江戸時代後期から幕末、明治維新期にかけての人々の生活と祭の目的を考える。
C 明治維新期の宗教政策の推移と神道式花祭への変革の目的とその結果を辿る。
D 花祭改変に関与した国学者の出自と俳句活動、弓術指南の奥義書を紹介する。
E 幕末の東三河で平田国学の中心人物であった羽田野敬雄との関係について。
F 早川孝太郎の大著『花祭』の欠けた視点と隠された真実を明らかにする。
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(注) 中設楽村の花祭改変の経緯、趣意書(古文書)等については、文庫本の早川孝太郎著『花祭』には掲載されていません。次の書を参考にする必要があります。
早川孝太郎『花祭 前編』、同『花祭 後編』岡書院・昭和5年〔1930〕
同『早川孝太郎全集第一巻』(花祭前編)未来社・昭和46年〔1971〕、
同『早川孝太郎全集第二巻』(花祭後編)未来社・昭和47年〔1972〕
なお、早川孝太郎『花祭 前編』、『花祭 後編』は、国立国会図書館デジタルコレクションから、キーワード「花祭 前編」または「花祭 後編」と入力して、その内容を閲覧・検索することができます。
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