↑山上副主宰へ花束贈呈の飯沼繭乃さん
↑風弦賞受賞の皆さん
↑特別功労賞受賞の皆さん
南風70周年記念大会 2003.10.5 新阪急ホテル花の間
秋晴の爽やかな日曜日、南風70周年記念大会が行われました。ところは大阪新阪急ホテル、開会は午後1時です。午前10時には、受付・設営・案内係などのみなさんがすでに集合して、ロビーが賑やかになっていました。受付の設営、壇上の配置などの準備をして開会を待ちます。
【記念大会】午後1時開会
司会:平川光子 津川絵理子 村上鞆彦
■開会の辞 運営委員長 齋藤平伍
■物故者への黙祷
■花束贈呈 鷲谷主宰へ 津川絵理子
山上副主宰へ 飯沼繭乃
■講話:鷲谷七菜子主宰
一口に70年と申しましても、大変なことなんですね。大会前に南風の方からお葉書をいただきまして、その中で6・7人の方が同じように書かれていましたが、「この大会は私にとっては最後の大会になると思いますので、ぜひ伺います」とありました。そう言われると、私にとっても最後かもしれないと思います。もちろんこの頃は、若い方も南風に入って来ておられまして、前途はそれほど悲しむべきことではないと思うのですけれども。
山口草堂先生が「馬酔木」に入られました時、これが昭和7年でしたが、先生は34才でした。そんな若さの時だったんです。それで水原秋桜子先生に選を受けられて、この先生に一生ついて行こうという気持ちになられたようです。そして昭和7年10月に「大阪馬酔木俳句会」というのを作られて、天王寺の大平寺というところで初めて句会をされました。最初は30人くらい来るのではないかとお饅頭を用意されたら、43人来たそうです。それでは足りないということになって、饅頭屋に走って追加したということです。その翌年昭和8年、先生が35才の時に「大阪馬酔木俳句会」の会報というのを出されました。秋桜子先生は「葛飾」という句集が有名ですけれど、その前に句文集を出されまして、それが「南風」という名前だったんです。秋桜子先生は、その誌名を付けなさいとおっしゃって、「南風」の第一号が始まったというわけなんですよ。
ということで、今日まで70年経ったんですけれども、その頃草堂先生が「馬酔木」の句風に惚れ込まれまして、俳句というものは清新にして高雅な句風を望む、ということをいつも言っておられました。そいういう先生の気概、草堂先生自身もそのとき若かったですしね、そういう気持ちに燃えておられたんだと思います。
それからいろいろなことがありまして、南風も年を経てきたわけなんですけれども、南風の句風というものはその時代時代に多少の変化が起こってきていると思います。それはそれで良いと思います。ただ私は草堂先生の気持ちを受け継いで来たと思っているんですけれどもね、人間の声というものが浮き上がってしまうのが、私はいやなんですよ。人間の声と自然の声の響きあいというものが、両方同じくらいの重さ、高さで響きあっていって欲しいと。私の気のせいかも知れませんけれども、俳壇の傾向を見ておりますと、自然の声よりも人間の声の方が高くなってきているんじゃないか、とそんな気がしているんですね。もちろん人間の声も大事ですけれど、もっと自然の声を聞き取る、受け止める、そんな気持ちが欲しいなと思います。そういうことを忘れたくない、南風の人達の句もそれを失って欲しくないと思います。今日はよく来てくださいました。ありがとうございました。
■講話:山上樹実雄副主宰
僕は地声で御挨拶したいと思っていたのですが、来世はいっそ亀か蚯蚓にでもなって鳴きたいなと思うくらい声が潰れておるものですから、今日は僕の好きな女性の声で代読していただきたいと思いますのでお許しください。代読は伊東美也子さん、アルトの声を楽しんでください。
(伊東美也子代読)
今日ここに南風70周年を迎える喜びを、みなさんと分かちあえることを幸せに思います。私は草堂先生に誘われ南風に入門、以来56年の歳月を経ました。この年月、無益なと言えば無益、今の自分を考えますとたったこれだけのものか、と思います。ただ、人間としてこの人生、この道楽が決して無用では無かった、この無駄な時間を過ごしてきたからこそ、俳句に救われている今日の自分があるのだと思いますと、この無益さが貴重に思えて来るのです。
今年2つの賞を頂くという果報がありました。そのひとつは森澄雄先生の御推薦による「山本健吉文学賞」ですが、昔から密かな健吉ファンでしたから、喜びもひとしおでした。古典の魅力とともに、言葉の受け止め方というものを授かったと思います。いずれにせよ、古典に馴染むことで、俳句のほんとうの醍醐味を知ることとなり、俳句の本質に目覚めることができるのです。古典を踏まえてこそ、現代を浮き立たせる、これが私の確信であります。最近、森澄雄先生が、向こうの大きな自然から頂くのが俳句だ、と私達に呼び掛けておられる。これも芭蕉の私意を離れよ、つまり「わたくしごごろ」を離れよ、ですね。という言葉に尽きるのでしょうが、芭蕉の大きな世界を身にされた言葉です。
南風記念特集号の「現代俳句の軌跡」は、すでに古典と呼ばれても良い、優れた作家を検証した意義のある企画だったと思います。そのひとり、高浜虚子について蘊蓄のある、川崎展宏先生のお話を拝聴できることが今日の何よりの楽しみであります。最後に70周年にあたり、お礼を申し上げたいことは、長の年月編集という奉仕の精神で南風を支えて下さった方々、山崎秋穂さん、西村信男さん、現在の寺井治さんの諸氏には深く感謝の意を申し上げたい。中でも草堂先生から全幅の信頼を受け、長年編集長として務めてくださった現在闘病中の山崎秋穂さんに、なんとお礼を申しあげて良いのか言い尽くせぬものがあります。本当にありがとうございました。
■祝電披露
■「南風」70周年記念応募作品入選・佳作 発表・授賞
☆俳句佳作(同人の部) 神隠し 井手千二
( 〃 ) 炭 焼 大高松竹
( 〃 ) 蟻いづる 福田かよ子
( 〃 ) 宇陀暮らし 瀬山一英
(一般の部) 村役場 森田洋子
( 〃 ) 考える人 絹巻有苞
☆評論入選 子規ふたたび 井手千二
☆エッセー入選 伊予における一茶 玉井北男
佳作 白い顔 森尾仁子
〃 待 つ 樋口千恵子
■平成14年度南風賞・風弦賞・南風新人賞授賞
南風賞 田中 翠
風弦賞 伴野波子 南風新人賞 阪本道子
東滝康子 藤川喜子
船越トシエ
■特別功労賞
山崎秋穂 水沼三郎 平川 堯 西村信男 寺井 治 木村史津子
齋藤平伍 三村紘司
■寿賞
西川みさを
昭和39年南風入会、49年同人。53年度南風賞受賞。句集「湖(うみ)の音」「壬生の鐘」「一燈」。
現在雪月集同人、96才。この記念の年にあたり、ご長命とご健吟を祝し、寿賞を贈呈されました。
■功労賞
【編集部】
高橋可子 小倉柚彦 高木杜萌子 木本英実 森田真臣 牧川昌子 岩津厚子
【事業部】
横岡たかを 伊東美也子 西野晴子 大下涼子
【会計部】
前田 佐吉子 高原初子 石川恭子 金谷ヒロ子 越崎ふき子 田中幸子
【各支部】
(山形支部)芳賀藤邨 赤間悦子 (栃木支部)大高松竹 (東京支部)井手千二 いとうゆふ
(神奈川支部)団藤みよ子 (三重支部)平川光子 柴田薫風子 伊藤嶺水 田中翠
(奈良支部)瀬山一英 森尾仁子 (京都支部)小松倫子
(大阪支部)河合照子 志方ヒロ枝 仲村美智子 吉木登美恵 遠山りん子 中村君永 横田昭子
二階堂文子 脇山淑子
(阪南支部)貴田将子 (和歌山支部)藤本和子 (御坊支部)田中禾青 (神戸支部)福光紀代子
(岡山支部)赤尾冨美子 (愛媛支部)岩渕晃三 玉井北男 (大分支部)安部 伴
(鹿児島支部)小野 伶
■記念俳句大会入選句発表
鷲谷主宰特選句
咲きそめしときより罌粟は風の中 牧川昌子
深雪晴街いきいきと汚れ初む 井手千二
はじけとぶ貝殻ボタン夏旺ん 倉智美恵子
主宰佳作
草笛の力抜きたるとき澄めり 横岡たけし 指はつて地鶏の歩く立夏かな 赤尾冨美子
尼寺に蚊柱の立つ夕べかな 絹巻有苞 涛音のぶつかる配所夏の月 伊東美也子
とつぜんに薬缶噴き出す鶏頭花 武田佐自子 撩乱と雨の薔薇垣多佳子の忌 山田國子
声あげて子等夕焼に染まりけり 有賀満一 胸元に水のゆらめき田草取 赤尾冨美子
存分に天地切りをり初つばめ 岡 弘子 サングラス一歩退くこころかな 平川 堯
山上副主宰特選句
大蟻の後退りする仔細かな 前田照子
空腹の記憶のなかの麦こがし 石川恭子
頼りなき地図を片手の白日傘 大久保静幸
副主宰佳作
たはむれに吹き草笛の突拍子 伊藤あや 地球てふふしぎな星の星祭 二階堂文子
そもそもは手の触れあひし地蔵盆 伴野波子 蚊柱の曲がりしばらくしての風 藤本くに子
夕立来て石に匂ひの生まれけり 鷲島滋夫 初夏の飛沫の鹹を日本海 船越トシエ
五月病大きな靴を脱ぎ捨てる 赤尾冨美子 夏帽子かぶり直して知らぬ町 西浦佳苗
音のなき修羅を孕みて蟻地獄 西野晴子 水無月や浪華に橋のかぞへ唄 高橋可子
■記念講演
講師・・・・・川崎展宏先生(「貂」代表)
テーマ・・・・高濱虚子 ー今、思うことー
↑講演録をご覧いただけます。こちらをクリックしてください。
■閉会の辞 運営副委員長 水沼三郎
■記念撮影
記念大会が終わると、もう午後5時前になっていました。ここから記念撮影に入り、会場を後にします。
人数が多いので、撮影は2班に分れます。その後、新阪急ホテル「紫の間」にて
記念祝賀会が催されました。
記念祝賀会へはここからお入りください。 お帰りはこちら。
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