メルーカ



   Prologue ── 伝説【赤の大陸】


 赤茶けた土の上を乾いた風が吹き抜ける。半分以上を砂地に覆われたこの大陸で、生き
物は僅かな水を求め、せせらぎや森に寄り添って暮らしている。かつては豊かな緑に覆わ
れていたという……“楽園”という名のこの土地で。
 この大陸に伝わる伝説の一つにこういうものがある。かつてこの地に水がたくさんあっ
た頃、神とも呼ばれた精霊達は心清き者たちとの間に子を成したと。そして、<水>の精
霊の血を引くものは、罪を浄化する力と幸福を与える力とを有する、と。
 人とは異なる理の中で生きる精霊達との子は、皆に慕われ、崇められ、時にはその異質
さにより追われ、──やがて伝説になっていく。それぞれの地に伝わる伝承の信憑性は定
かではなく、けれど人々はそれを信じ、この赤い大陸の中で生きていくのだ。





   第一章 ── 【黒の突風】


 ごく小さな森に守られた、小さいけれど豊かなで平和な村がある。森の木々は強い陽光
から生き物を守ってくれるから、自然と動物たちが集い、細いせせらぎを共有するように
なる。村を守る森、その森の木々を守る小さな水の流れ──だからこの村では<水>への
   アツ       アガ
信仰が篤い。必要以上に崇めたてられることはないが、<水>の子には長老が名を付ける
                              ・・・・・・・
ことが決められていた。村と森の繁栄のために、その子に合った、意味を持つ名前を付け
るのだ。
 村の朝は市場から始まる。人々はそれぞれに食料や衣類を持って村の中央に集まり、そ
れらを売り、または自分の欲しいものを買う。にぎやかな一日の始まりは、小さい村なら
ではのもの。
 晴れやかな顔で挨拶を交わす人々の、髪や眼の色も様々なら、その背に隠されている翼
の色も様々だ。この地に住む人々は、しばしば翼を持っている。遙か昔の精霊の子孫と伝
えられる人々だ。ここは、そんな精霊の子孫達が住む村。鳥に似た翼のその色合いは、生
まれた日によって、すなわちどの精霊の守護を受けているかによって決まる。容姿を見れ
ば、大体その人がどの精霊の子なのか見当をつけることができるのだ。
 今、村の中央の井戸に向かって、一人の子供が歩いてくる。明るい金色の髪に水色の瞳、
<水>の子か<光>の子だとすぐに分かる外見だ。翼はきっと白か水色といったところか。
その華奢な体つきからは、少年か少女かを見定めることは難しい。
「メルーカ、おはよう!」
 後から駆けてきた少年に声をかけられて、<水>の子、メルーカは振り向いた。
「おはよう、マルス。今日は一段と風が強いね」
「ああ、そうだな。──オレは花蜜を買いに来たんだけど、メルは?」
「ぼくはミルクを。それと、何か良い花瓶があったらそれも欲しいな」
 暴れん坊な風に煽られて、野菜を積んだカゴが飛んでくる。メルーカとマルスは、ふわ
りと飛んでそれを避けた。綺麗な紅白の羽が、一瞬閃く。
「おーいボウズ達、大丈夫かー?」
「ハイ、大丈夫です!」
 風に負けじと叫び返して、マルスはいたずらっ子の笑みを浮かべた。
「それにしてもすごい風。ゼルフィが親方に怒られでもしてるのかな」
 ゼルフィとは、彼らと仲の良い商人の家の子だ。彼も彼の父親も<風>の守護を受けて
いるから、親子喧嘩の日にはしばしば家の周りが嵐のようになる。
「まさか」
 <風>の神は悪戯好きだから、きっと退屈に耐えかねて遊び相手を探しているんだよ。
二人は顔を見合わせて、くすりと笑った。
 マルスは火と闘いの神の祝福を受けた<火>の子供だ。赤茶色の髪に鳶色の瞳、翼は透
き通るようなうすい紅色をしている。メルーカは彼の羽の色が好きだった。夕焼けの空を
思わせる色。そう言うとマルスは決まってこう返すのだった。
「オレはメルの羽のほうが好きだ。<水の祝福を受けし者>にふさわしい純白の翼だって、
長老も言ってたじゃん」
 無い物ねだりとは少し違う、互いに互いの羽の色を褒め合う関係。火と水、相反する性
質を持つものだからこそかも知れない。いつか長老が言っていた、おまえたちは互いに認
め合える良き友人になれるだろうと。そして他の予言と同じように、その言葉は違われる
ことなく、二人は良好な関係を続けていた。
「きゃあっ」
 高い悲鳴と共に、マルスの背にぶつかってきたものがあった。突風に飛ばされてきたソ
レを支えて、今日はいろんなものが飛んでくるなとマルスが呟く。くすっと小さく笑って、
メルーカは飛んできた少女に目を向けた。
「おはよう、ウェニー、大丈夫?」
 ふわふわの巻き毛が愛らしい、ひどく小柄な少女だ。彼女を護る精霊は、きっと彼女の
ような姿をしていたのだろうと思わせる。白金の巻き毛、淡い紫色の瞳、背の翼は淡い桃
色だ。ふわふわ、きらきら。そんな言葉が似合う少女である。メルーカやマルスとは幼な
じみで、マルスと恋仲でもある。彼女がこの強風に立ち向かうのは至難の業だろう、マル
スにしがみつくように腕を回し、メルーカのほうへと身を乗り出した。
「おはよう、メルーカ! 今日もキレイね!」
「ウェニーのほうが全然綺麗だよ」
 半ば苦笑しての応えに、彼女は満足したらしい。恋の精霊、愛と美の女神、その名にふ
さわしくありたいと望む彼女は、容姿を褒められるととても喜ぶ。一方のメルーカの心情
はといえば、育ち盛りの少年が綺麗と言われても素直に喜べないものがある。けれど否定
すると女神のご機嫌を損ねてしまうので、いつも苦笑混じりにうなずくだけだ。
「すっごい風ねー。ゼルフィんちでケンカでもしてるのかしら?」
 ウェニーの呟きに、二人は同時に吹きだした。えっなになに、どうしたの? ウェニー
がマルスの腕を引っ張ってたずねる。声も出せずに笑っている彼の代わりに、なんとか笑
いを納めることに成功したメルーカが答えた。
「さっきマルスも同じこと言ってたんだよ。ゼルフィがまた怒られてるのかなって」
 まあっ、手を口に当てて、ウェニーが叫んだ。
「ゼルフィってば信用ないのね」
 ウェニー、口悪いな。まだ震えの残る声でマルスが呟く。
「いいのよ、だってホントのことだもの」
 悪びれずに返してウェニーは肩をすくめた。ねぇ、メルもそう思うでしょ? 同意を求
められてメルーカは困った顔をした。



 時折吹く突風と闘いながらも、三人は楽しく市場を歩き回った。ウェニーに付き合って
ほとんど全ての店先を覗く。見てるだけでワクワクしてくるでしょう? 毎日のことなの
に、毎日少しずつ違うから飽きないのだとはしゃぐ彼女を見守るのが、メルーカとマルス
の朝の日課となっていた。
 いつものように買い物をして、いつものように声を掛け合い、いつものように家路へ向
かう。いつもと同じ朝、いつもと同じ市場の光景。
 マルス達に別れを告げ、メルーカが帰宅の一歩を踏み出したときだった。それまでの突
風とは明らかに違う風が吹いた。全身が総毛立つような悪寒──悪い予感。
「きゃぁああ! メルーカ!!」
 ウェニーの悲鳴が聞こえたときには、既にメルーカの脚は地面から離れていた。誰かの
腕に抱きかかえられている。恐ろしい力だ。慌ててもがいても少しも腕の力が弱まること
はない。
「やっ、放してっ!! マルス! ウェニー!」
「メルーカ!」
 見る見るうちに、二人が市場が遠ざかっていく。ものすごい速さで景色が流れていく。
怖くて、けれど目をつぶることもできずにメルーカは、どんどん小さくなる二人の姿、そ
して市場に並ぶテントを見つめていた。



                                  to be continued・・・




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