エレス。そう男は名乗った。
 エレス──旧き言葉で<輝きを失いし者>という意味を持つ。そんな名前を我が子に与
える親がいるのだろうか。
 メルーカの表情を察して、男──エレスは自嘲に頬を歪めた。
「ああ、この名は元からのものじゃない。罪に手を染めた俺に付けられた名だ」
 エレスはわざと自虐的な言葉を選んでいる気がする。名前のことにしてもそうだ。戒め
として自分で付けたのか、烙印として付けられたのかは知らないが、敢えてその名を名乗
り続ける心情がわからない。それとも、元の名を奪われてしまったのだろうか、その姿と
共に……?
「元の名前は……?」
「捨てた。罪が浄されるまで、それを口にすることは許されない」
 やはり戒めなのだ。エレスという名も、その髪や瞳、翼の色も。彼の意志とは別に与え
られたものであっても、彼はそれを受け入れている。戒めの鎖を、その身に何重にも巻い
て。メルーカは、彼を戒める鎖の、彼の目と同じ鈍色の輝きが見える気がした。
 鎖の重さに耐えるように瞳を閉じると、エレスは改めて<祝福の水の子>の伝説を、彼
が知り得る限りをメルーカに話した。
 それによると、聖なる<水>の子──<祝福の子>は、メルーカがそうであるように両
性具有である。だがその器官はどちらも未発達で、一見しただけではわからない、見た目
は他の少年たちとほとんど変わらない。<彼>はその力で悪しきものから身を守り、愛す
る者にも幸を分け与える。また、選ばれし<彼を手に入れた者>の罪の一切を癒し、至上
の、恒久の幸福を与えると伝えられている。
「ぼくが、その、<祝福の水の子>……」
 ひとごとのように、メルーカは呟いた。
 伝説の信憑性は──いや、むしろその疑わしさは計り知れない。いつの世のどこの街で
<彼>が現れ、どのような奇跡を起こしたなどという文献はありはしないのだ。だが、遙
か昔にいたと伝えられる精霊たちを信じるように、その伝説を信じる者がいる。目の前の、
全身を罪の色に染め、絶望と戒めの鎖をその身に纏う男が信じている。──そして何より
も、メルーカはなぜかその伝説が真実であることと、それがまさしく自分であることを、
心のどこかで知覚していた。
「祝福の子を手に入れる──それが、どのような行為、あるいは状態を指すのかはわから
ない。だが、その身体を自分のものにするということではないのだろう──他ならぬおま
えが、そう言うのならな」
 目にかかる前髪をかき上げるように払うと、エレスはメルーカを見据えて口を開いた。
「俺はなんとしてでもおまえを、<祝福の子>を手に入れたい。今ここでおまえを抱くこ
とでそれが叶うなら一番良かったが、そうもいかないようだ。──それならおまえを手に
入れる方法がわかるまで、それを探す旅に出るだけだ。もちろんおまえも連れていく」
「え、ちょっと待ってよ! ぼくは」
「力ずくで縛り上げてでも連れて行くぞ」
 エレスは本気だ。メルーカはさらなる反論をしようとして、諦め、ため息をついた。
 村の皆と別れるのはさみしいし、まだ謎の多いエレスと旅をするのははっきり言って怖
い。何せメルーカは、今までこの森の中にある村から、一歩も外に出たことがないのだ。
けれど今までにも何度も思ったように、エレスをこのまま見捨てることはできなくて──
してはいけないと、心の中で訴える自分がいて。
「……わかったよ。ぼくの道はそれしか残されていないんだね。あなたと一緒に行く。─
─だけど約束して、ぼくがあなたの罪を浄したら、必ずぼくをこの村へ帰すって」
 エレスは小さく頷いた。信じていいとメルーカは思った。
「──じゃあ、……エル、よろしく」
「俺の名はエレスだ」
 即座に訂正の声が入る。
 エレス──<光を失いし者>、転じて<罪に穢れし者>
 ううん、だめだよ。メルーカはゆっくりと首を振った。
「だめだよ。言葉は口にし続けると真実になってしまう。あなたが本当に罪を浄したいと
思うのなら、ぼくを連れて旅をするつもりなら──ぼくはあなたをエルって呼びたい」
 エル──<光り輝く者>
「ぼくのことはメルーカでもいいし、長くてめんどくさかったらメルでもいいよ」
「メルーカ……<水の祝福を受けし者>か、まさにおまえのための名だ」
 そう言うとエレスは小さく笑った。相変わらず自虐的な、自嘲の込められた微笑みでは
あったが、メルーカはその中の微妙な変化を見逃さなかった。
「ぼくの名前、……気に入ってくれた?」
 エレスは突然の問いに目を瞠り、しばらくメルーカの瞳を見つめたあと、さっきよりも
もう少しわかりやすい親しみの込められた笑みを浮かべた。
「──まぁな」





                                  to be continued・・・




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