店の外へ出ると、壁に寄りかかってエレスが待っていた。メルーカの腕から麻袋をひょ
いと取り上げそのまま歩き出す。後を追って隣に並ぶと、メルーカはエレスを見上げて首
を傾げた。
「ねぇエル。ぼくってさ、男の子なの?女の子なの?」
「いきなり何を言ってるんだ……」
 ウロン
 胡乱げな眼差しを向けたエレスに、メルーカは先ほどの店でのやりとりを話して聞かせ
た。
「女の子じゃないって言おうとして、あれって思ったんだ。ぼくって……どっちでもない
の?どっちでもあるの? 男か女か聞かれたら、どう答えればいいんだろう。まさかその
まま答えるわけにいかないよねぇ?」
「往来でする話じゃないだろう、誰かが聞き咎めたらどうするんだ。──まぁ、どっちか
と聞かれたらとりあえず男だって答えておけばいいだろう。今までずっとそうやって育っ
てきたんだから」
「……うん、わかった。──エルは? エルには、ぼくはどう見える?」
 問われてエレスは足を止め、メルーカの全身を眺め渡した。サン=ヴィータの村を出た
時よりも少し髪が伸び、顔立ちも大人っぽくなったように見える。ありきたりな男児の装
いからのぞく手足は白くすらりと伸びていて、線の細い少年とも男装の少女とも見ること
が出来た。
                   アワ                                     ・・・・・・・
 男と女とをその身に併せ持つ存在、か。どちらでもある──いや、どちらでもないんだ
な、そういうのとはちがう。
 エレスはなぜか納得した。身体の器官としては両方を持っているが、メルーカのそれは
まだ幼く、相手が男であれ女であれ、その機能を十分に発揮できるとは思えない。それに、
身体的なものだけでなく精神的というか雰囲気というか、身に宿るものが他の少年や少女
とはどこか違う気がした。少年の雰囲気と少女の雰囲気とを併せ持っているのではない、
どちらでもないものを持っているのだ。メルーカの持つその光は、時にはエレスの傷を温
                    エグ
め癒し、また時には突き刺す眩しさで傷口を抉る。守ってやりたいような壊してやりたい
ような……。また、既視感がエレスを襲う。
「……エル?」
             イブカ
 黙り込んだままのエレスを訝しんで、メルーカがエレスの目の前に手をかざした。はっ
としてメルーカを見やる。金の髪、水色の瞳。日々うすれゆく、けれど日々鮮やかさを増
      マブタ                  クラ
す記憶。瞼に焼き付く罪の残像、瞑い太陽、金の髪。
                  オト
 ここにいるのはメルーカだ。俺の罪を浄す、祝福の水の子供。
 ──ただ、それだけだ。
「ふん。男だろうが女だろうが、おまえなんかただのガキで十分だろ」
「ええっ!? ひどいよエル、急に黙っちゃうから、ぼく心配したのに! それにそんな
の全然答えになってないじゃないかっ!」
 頬を膨らませるメルーカを鼻で笑って、頭をひとつぽんと叩く。子供扱いにさらに憤慨
するメルーカを置いて歩き出すエレスの頬に浮かぶ笑みは、いつの間にか己への嘲笑に変
わっていた。黒い瞳が鉛のように瞑く光り、赤く染まる太陽を見据える。
 眼を射る眩しさ、痛み。赤い大地と同じ色に染まりゆく太陽。この土の色は、神が与え
た罰なのだと、子供の頃に聞いた神官の話がよみがえる。生命を愛さず、木々を水を愛さ
                                 オトシ
ず、感謝と愛の心を忘れた人々への罰だと。それならこの身は愛する人を貶めた俺への罰。
日々色濃くなってゆく髪や瞳、翼の黒。日々深く、闇の底へと沈みゆく、堕ちてゆく。
 メルーカの傍は、いつもあたたかい光に照らされていて。優しい水の気配に包まれてい
て。それだけで癒されるのがわかる。この身体に染みついた黒も大地を染め上げる赤も、
いつかすべて洗い流してくれるのか。
 太陽の赤さが、ふいに親友だった男の髪を思い出させた。思慮深い微笑みの隣には、光
の女神が幸せそうに寄り添っている。
 ──フレル、おまえは今も光の中で笑っていてくれるか?


「おはよう、エル」
「……ああ」
 メルーカが目を覚ましたときには、エレスはもう先に起きていた。眠るときはたいてい
メルーカが先で、起きるときはエレスの方が先だ。つまり、メルーカはエレスの寝顔とい
うものを見たことがない。別に寝顔を見たいわけではないが、なんとなく申し訳ない気分
になる。以前それを言ったら、子供が心配することじゃないと言われた。その時はわけも
わからず怒ったが、今ならわかる。彼はきっと眠りが浅いのだ。旅の用心のためだけでは
ない。おそらく、彼を戒める鎖──彼の過去が、眠りを浅くしているのだろう。
「おばさん、来なかったね」
 手がかりを得られるはずのカーラの村。そしてその村の何かを知っているらしい女将。
きっとエレスはそれを考え、いつもよりさらに眠りを遠ざけていたことだろう。
「来てくれると思ったんだけどな」
 メルーカがぽつりと呟いた。そうだな、とエレスが小さく返事をする。
 支度をして、宿屋の主人にこれから発つ旨を伝えると、表で待っている人がいると言わ
れた。即座にメルーカが外へ飛び出す。そこにいたのは、昨日食料を買ったあの店の二人
だった。
「おじさん、おばさん!」
 飛びついたメルーカを抱きとめて、女将はメルーカの金の髪を優しく撫でた。その仕草
が村の長老を連想させ、メルーカは懐かしい村に思いを馳せる。
 もう、ずいぶん長いこと村を離れている気がする。もう何年も、ずっとずっと、エレス
と旅をしているような。
「昨夜はごめんよ、来られなくて。どうせならあんたたちの役に立つものを手に入れてか
らと思ったんだ」
「役に立つもの……?」
「嬢ちゃん、あんたにこれをあげよう」
                    カタド
 主人に言われて顔を上げると、アミの葉を象った護符つきの首飾りを渡された。
「これ……」
「アミの葉だよ。あんたらの旅が上手くいくようにって、昨夜、この人が作ったんだ」
「おじさんが……?」
 メルーカが目を丸くすると、主人は照れたようにそっぽを向いた。
「で。あたしはこの人がこれを作ってる間に一生懸命探し物をしてたのさ」
 そう言うと、女将は後ろに立つエレスに視線を向けた。
「あんたに、カーラの村への道標を教えよう。──あたしも行ったことはないけどね、ひ
いじいさんが本当にあの村の出身なら、あんたたちに光の神がついてるなら、辿り着ける
はずだ」
 言って女将は黒く塗られた短剣を目の前にかざした。鞘を抜くと、中から現れた刀身も
漆黒の鋭い反射を返している。
 黒い短剣にエレスが手をかざす。エレスの瞳を挑むように見つめ、女将が口を開いた。
「隠れし黒の村を訪ねる者よ、汝の名を告げよ」
「────エレス。エレスだ」
「!? エルッ!」
 驚きに目を瞠るメルーカには構わず、女将とエレスは短剣ごしに張りつめた視線をかわ
す。
「エレス、何を求めて黒の村を訪ねる」
「この身を染める罪を浄す方法を探している。……<祝福の水の子>を手に入れるにはど
うすればいいのか知りたい」
 押し殺した、獣の咆吼のような低い呻きが、エレスの口から吐き出される。背すじがぞ
わりとして、身体中の毛が逆立つようだ。メルーカは目を見開いて立ち尽くし、息を飲ん
でその衝撃に耐えた。
 朝の光に照らされた街並みが、ふいに暗くなった気がした。平衡感覚を失い倒れかけた
メルーカを、後ろから主人が支える。そこで初めてメルーカは、自分がずっと呼吸を止め
ていたことに気づいた。くらくらする頭とちりちり光の虫が飛ぶ視界をこらえながら、対
峙する二人を見つめ直す。
 女将の頬が、にやりと歪んだ。熱気に当てられ氷が溶けるように、一気に場の空気がゆ
るむ。
「よし、あんたに道を教えよう。一度しか言わないからよく聞きな」
 主人に支えられながらメルーカも女将に近づく。女将はメルーカに一度微笑んで、改め
てエレスを見た。
「森の入口は知ってるね。そこから真っ直ぐに奥へ進むと、そのうち周りとは種類の違う
木が縦に9本並んでるのに出会うはずだ。その、3本目と4本目の間を右に曲がりな。4
本目の木を超えちゃあいけないよ。絶対にだ。超えたら途端に赤耳族のしかけたワナにや
られちまうからね。そしてまた真っ直ぐに行く、どれくらいかかるのかは分からない。1
日かからずに着くのかも知れないし、何日も森の中を歩かなきゃいけないかも知れない。
でも真っ直ぐ進みな。真っ直ぐ行くと、また同じように木が9本並んでいる。そしたらま
た3本目と4本目の間を右だ。このくり返しさ。──覚えたね?」
 エレスとメルーカは、こくりと頷いた。
「すべての赤耳族が、粗野で凶暴なわけじゃあない。それはカーラの村の伝説からも分か
る。だが、あの森は、そういった典型的な恐ろしい赤耳族と、ヤツらと対等にやりあえる
          ソウクツ
ほどの荒くれ者たちの巣窟だ」
 不安を隠せずに、主人が呟く。
「──はっきり言って、心配だよ。でも、コイツの見立てでは、おまえらの旅は上手くい
くと出た。だからわしも、おまえらを信じることにするよ」
「おじさん……、ありがとう」
 メルーカは、力を抜いてふわりと笑った。鳥の羽が舞うような微笑みは、ほんの少しの
風にもどこかへ飛ばされてしまいそうだ。
 こんな幼い子に……。主人は昔なくした子供をメルーカに重ね合わせていた。
「カーラの村への道案内には礼を言おう。──メルーカ、行くぞ」
「えっ、……うん。じゃあね、おじさん、おばさん、本当にありがとう!」
 いつものように、エレスは先に歩き出す。メルーカも、最後にもう一度二人に礼を言っ
て手を振り、きびすを返した。
「エル!」
 ふいに、女将がエレスを呼び止めた。エレスとメルーカが足を止めて振り返る。
 ・・
「エル、あんたにひとつ助言をしてあげよう。──大事なモンがあるなら、大事にしなさ
いな、全身全霊をかけて。自分をごまかしちゃいけないよ。後悔することになるからね」
「…………ありがたくもらっておこう」
 あからさまに余計なお世話だと顔に書いて、エレスが一応の礼を言う。はらはらして二
人を見比べるメルーカに、女将は力強い笑みを向けた。
「祝福の水の子……メル=アカ、あんたはあんたの信じる道を行きな。そこにあんた自身
の幸福が待ってるはずだ」
「……うん」
「エル、あたしの言葉、忘れんじゃないよ」
 年を押す女将の言葉を無視するように、エレスは再び歩き出す。
 その背を小走りで追いかけながら、メルーカは、エレスの“大事なもの”が自分であれ
ばいいと、いつかそうなれたらいいと思っていた。
                                  to be continued・・・




Natural Novel    CONTENTS    TOP

感想、リクエストetc.は こ・ち・ら