第三章 ── 【水晶の羽】



 カーラの森は、その名の通り薄暗く鬱蒼とした雰囲気を持つ森だ。生い茂る葉のせいで
光が射さないわけではない。むしろその逆で、しばしば日溜まりを見ることもできるし、
池や小川の水音も聞くことができる。それなのにこんなに暗く見えるのは、他より色の濃
い葉をつける木のせいか。
「この木……なんでこんなに色が黒いんだろう。葉っぱの緑もずいぶん濃いよね」
 幹に手のひらを押し当てて、メルーカが呟いた。少し首を傾げて、笑って幹を抱きしめ
る。
「リュージュって言うんだ。無口だね……、うん、でも、優しいでしょう?」
「メル、どうしたんだ?」
 問いかけたエレスを振り向いて、メルーカは木に寄りかかった。
「うん、この木とね、お話ししてたの。リュージュって言うんだって。──少し、エルに
似てるよね?」
「色が黒いからか?」
「もうっ、だからどうしてそういうこと言うの!? ちがうよ。ぱっと見には暗くてこわ
そうだけど、さわると優しいところがだよ」
 エレスの瞳に一瞬くらい影がよぎり、痛みをこらえるような顔で目を閉じる。次に目を
開いたときにはもう、そんな気配は感じられない。
「おだてても何も出ないぞ」
「そんなんじゃないってば!」
 ぷいっと顔を背けて森の奥に目をやり、メルーカはふと真顔になった。
「でもこの森、ずっと同じ木が生えてるのに、なんでこんなに空気が違うんだろう……」
「空気?」
 エレスの言葉に頷いて、メルーカは森の中を、今来た道とこれから進む先、そしてさっ
き見ていた横の方向を順に見比べる。
「この木は……、この道の辺りは綺麗な光のさざ波なんだ。なのにあっちの方は……、黒
い霧がかかっているように見えるよ」
「おまえ、そんなのが見えるのか?」
 頷いて、メルーカは胸に下げていた護符を取りだした。カーラの街でもらった、アミの
葉を象ったあの護符だ。
「これをもらってから、少しずつ。──居心地のいい場所悪い場所とか、なんとなくわか
るよ。だからね、きっとカーラの村まで迷わずに行けると思うんだ」
「そうか。なら道案内はおまえに頼むとするかな。──もう少し歩いたら、今日はもう休
もう。ちょうどいい場所を見つけたら教えてくれ」
「うん! やっとぼくも役に立てるんだね!」
 無邪気に笑うメルーカを見やるエレスの心境は複雑だ。
 そう言われてみると、確かにこの森に入ってから──メルーカに言わせると護符をもらっ
てからだが──メルーカの雰囲気が、少し変わったように思う。単純に一言で言うならば、
綺麗になったということだ。外見だけの話ではなく。
 けれど髪が伸びたせいもあり、見方を変えればより少女めいた外見になってきたメルー
カは、だんだんフレルに──エレスの心の奥に眠る少女に似てくるようにも思えて、エレ
スは時々目眩にも似た感覚に囚われそうになる。それは時により怒りや悲しみ、失意、郷
愁、そして欲望と、姿をひとつにとどめることがなく、エレスを混乱させるのだ。
 この森で迷う危険性が減ったことについては、メルーカの言うとおり役に立つようになっ
たが、エレスの心を消耗させるという意味合いにおいては、足手まとい度が増したという
ことになる。
 ひとりで旅をしていたときは、もっと平静だった。瞑く、低く、冷たいところでエレス
の心は凪いでいた。固まりかけていたのかも知れない。メルーカの笑顔によって少しずつ
耕された心は、いつしかその中に種を孕んでいた。エレスがかつて、その手で粉々に砕い
たはずの種を。まだはっきりとした自覚のないままに、エレスはその予感におびえている。
掘り起こせば、きっとそこには大陸の土にも似た赤茶色の髪の男がエレスを待ち受けてい
る。
「────!!」
 男がエレスを指差して何かを叫び、エレスは身を震わせた。背後の変化に気づき、メルー
カが振り向く。
「エル? ──どうしたの!?」
「なんでもない」
「なんでもないわけないでしょう!? そんな顔して!! ──待ってて、今お水を」
「行くな!!」
 叫んでエレスがメルーカを抱きしめた。
 驚きに息をつめ、目を瞠ったメルーカは、しばらく呆然とした後、そっと手を持ち上げ
てエレスの背を撫でる。
「ぼくはここにいるよ。ずっとあなたと旅を続ける。あなたの抱える罪を、いつかぼくが
全て癒してあげるから……」
 小さな子供に言い聞かせるような囁きに、エレスからの返事はない。
 エレスの背をゆっくりと撫でながら、メルーカはぼんやりとこの旅が終わる日のことを
思い浮かべていた。


「すまなかった……」
 どのくらいの時が経っただろう、エレスが呟いて、小さな吐息とともに身体を離した。
途端に心細い気分になり、メルーカはエレスの服を掴んで引き止めてしまいそうになる手
を必死に押しとどめる。
「大丈夫……?」
「ああ。──だが今日は、この辺りで休もう」
「うん。どこか────ああっ!!」
 寝床に良さそうなところを探そうと、きょろきょろ周りを見たメルーカが、突然声をあ
げ森の奥を指差した。そちらに目を向け、エレスの黒い双眸が見開かれる。
「あれ……、あの木だよねっ!?」
 それは不思議な光景だった。黒っぽい木肌の樹木が立ち並ぶ中、ひとすじの光が射すよ
うに白い木が並んでいる。確かに9本、女将に教わった通りだ。
「メルーカ。もう少し行くか?」
「うん! あ、エルは? 大丈夫なの?」
 構わない、と頷くと、メルーカは喜んで小走りに駆けていく。荷物を持ったエレスが遅
れて辿り着くと、メルーカは1本目の木のところで待っていた。木と木の間は人が2・3
人通れるくらいある。
「これの……、3本目と4本目の間、だよね」
「ああ」
 ゆっくりと、二人並んで歩く。3本目の木を一歩踏み越え、メルーカが小さく声をあげ
た。
「あ。──すごい、空気が変わった。こっちだよ」
 そう言って右を指差す。女将に言われたのも右だ。辺りは変わらず下草が生えていて道
と呼べるほどの道はなく、この目印を知らぬ者は何の疑問も持たずに先へ進むことが予測
される。そしてきっと、4本目の木の向こうにある、赤耳族のしかけた罠で怪我をし、ま
たは命を落とすのだろう。凶暴で攻撃的なくせに閉鎖的で、優越種の意識が高く、他の種
族よりも長命だと言われる赤耳族。その中で更に伝説になる、幻のカーラの村の民。
 くだらないと思いつつも、その奇妙な符号にエレスは一縷の望みを託したのだった。
「メルーカ」
「なに?」
「────いや、何でもない」
 不安はある。けれど森に呼ばれていると言ったメルーカの言葉を信じよう。
 進む先はまた黒い森の中、2つ目の目印はちらりとも見えない。今までと何ら変わらぬ
光景、けれど何かが違う、確実に核心に近づいている。
 ゆっくり呼吸をして、二人は新たな一歩を踏み出した。

                                  to be continued・・・




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