「あ、」 「──おや」 小径の先に人影を見つけたと同時に、向こうもこちらに気がついたようだった。森で何 かを採ってきたのだろうか、篭を持った人々が、子供も合わせて5人、輪になって談笑し ている。 声をかけるほどの距離ではないため、とりあえず手をあげて挨拶をすると、彼等は輪を 解いてメルーカ達を待つ姿勢を示した。 「珍しいな、旅の人か?」 先に口を開いたのは、銀灰の髪をした壮年の男性だった。髪の色は、生まれつきなのか 年齢のせいなのか、判別は難しい。 「ああ。──あまり長いこと森が続くものだから、迷ったかと思っていたところだ。村に 辿り着けて良かった」 慎重に答えるエレスの後ろで、メルーカは村人達に目をやった。着ているものは、メル ーカの村や今まで旅してきた町と大差ない。髪や目も、赤耳族の血を引くとわかる赤黒い 色合いの者もいたが、大地に似た赤褐色、メルーカのような金髪、声をかけた男性の銀と 様々で、ここが目指すカーラの村である確証にはならなかった。 「そうでしたの。ここは訪れる者も少ない小さな村ですから大したおもてなしはできませ んが、お二人でしたら夜露を凌ぐ場所くらいは提供できますよ。良かったらどうぞ」 穏やかな微笑みを浮かべ、隣の若い女性が後の言葉を引き受ける。彼女は金色の髪に藍 色の瞳で、赤耳族とは何の縁もなさそうな外見をしていた。 「では遠慮なく世話にならせてもらおう。──俺の名はエル、こっちはメルだ」 エレスが自己紹介をすると、女性の足元にいた少女が彼女の服の裾を引っ張った。 「アーディ、このひとたち、うちにくるの?」 「ええ、そうよ」 アーディと呼ばれた女性の後ろに隠れたまま、少女はエレスを見、メルーカを見、そし て再びアーディを見上げた。アーディの手が少女の方に触れ、挨拶を促す。 「さあ、マーレ、きちんとごあいさつなさい」 「マーレって言うの? ぼくはメル、よろしくね」 もじもじと恥ずかしがるマーレに、メルーカは自分から挨拶をした。と、ぱっと笑みを 閃かせたマーレの顔が、すぐに驚きの表情に変わる。 「メルって、男の子なのっ!?」 すっとんきょうな声に、メルーカとエレスは顔を見合わせ苦笑した。この手の質問は今 までも何度もされてきたが、ここまで真正直に驚かれたのは初めてだ。ふたりにはもう馴 染んだものだから忘れていたが、今のメルーカの外見は、髪の長さのせいもあり、どう見 ても少女にしか見えない。メルーカは未分化の両性体であるため正確には少年というわけ でもないのだが、ここはやはりそう答えておく方が無難である。 「ええと…………、う〜ん、やっぱり見えないかなぁ」 「うん。でもすごい綺麗。いいな」 「マーレも綺麗だよ」 苦笑しつつ返した言葉に、メルーカは懐かしさを覚えた。サン=ヴィータの村にいた頃、 毎日のようにウェニーに言っていた台詞だ。自然と眼差しにも愛しさがこもり、幼いマー レは頬を赤らめた。 マーレの髪は、赤耳族独特の、赤と黒とが斑に入り交じった色合いだ。しかしその瞳は 薄い灰色で、目を見開くと光が入ってかすかに蒼が映る、何とも不思議な色をしていた。 「さあ、いつまでも立ち話も何でしょう。私たちの家へ案内するわ。荷物を置いて、長老 にご挨拶に行きましょう」 アーディに目線で促され、成り行きを見守っていた二人が先触れに発つ。 「みんな喜ぶね! お客さんなんて、久しぶり!」 はしゃぐマーレの手を引いて、アーディは穏やかに笑みを返した。 「──ここに立ち寄る旅人は、少ないのか?」 いないのか、と問おうとして、エレスは直前で言葉を変えた。 「そうだな、皆無とは言わないが、こんな小さな村に寄りたがるもの好きはそうはいない。 比較的近くに大きな街もあることだし」 「……え……?」 男の言葉を聞きとがめ、エレスが小さく声を上げた。カーラの街のことだろうか。エレ スの知る限り、この森の近くには、カーラの街と、森を挟んで反対側の、ディンナの村く らいしかないはずである。 エレスが躊躇った問いを、メルーカが代わりに口にした。 「そういえば、ここ、なんて名前の村なんですか?」 「ここか? ──ここは、ディンナの村だ」 男の言葉に、ふたりは耳を疑った。 「なっ……!?」 「うそ……っ!? カー……んんっ、」 カーラの村ではないのか。そう問おうとしたメルーカの口をエレスは咄嗟に手で塞いだ。 引き寄せた腕と触れた口元で火花が散り、痛みに顔をしかめたエレスが手を放す。 「何……? 今の……」 呟いたマーレを制し、アーディは男に視線を向けた。一瞬厳しい顔になった男が、緊張 を解かないまま、しかしわずかに表情を和らげる。 「メル……だったね。今言いかけたことを、もう一度言ってごらん」 男の目は、メルーカに向けられていた。確認を求めて見上げたエレスが頷くのを見て、 メルーカが恐る恐る口を開く。 「あの……。──ここは、カーラの村じゃないんですか……?」 「ああ、そうとも言うな」 「え……?」 拍子抜けするほどあっさりと返った答えに、メルーカは困惑した。隣を見ると、やはり エレスも困惑と警戒に眉をひそめている。 「どういうことだ……?」 「俗にディンナの村と呼ばれるこの村には、何カ所かの入り口がある。──だが、“カー ラの村”という、この村の隠された名を知る者はほとんどいない。そして、カーラの村へ の入り口は、ここだけだ」 ふたりは同時に今まで辿ってきた道を振り返っていた。カーラの街で、女将に教わった 道標。その名の通り黒い樹木が生い茂る森の中、突如現れる白い樹の導き。 「ただの偶然でここに辿り着くのは不可能だろう。──長老の元へ案内する。彼に話を聞 けばいい」 「あのっ! ──あ、えっと、……ありがとうございます」 「まだ礼を言われるようなことはしていない。私たちはただ、光の神の守護を受けた者を、 次の道往きへと導くだけだ」 男は穏やかな笑みを浮かべた。その表情は、メルーカにはどこかサン=ヴィータの長老 を、エレスには恩師サイオンを思い出させた。 「ああ、そういえばまだ名を名乗っていなかったな、失礼した。私はディンナの村の長、 エルカントだ。君たちを歓迎しよう」 郷愁に気を取られていたメルーカは、エレスの変化に気づかなかった。かすかに顔を強 張らせたエレスの、漆黒の瞳に疾走った瞑い光に。 「びっくりしたぁ……」 客室と言うにはあまりに素っ気ない、安宿の一室のような部屋で、メルーカは寝台に腰 を下ろして足をぶらつかせた。 「なんか、目的ふたつ達成? ……って、喜んでいいのかなぁ」 すべてを手放しで喜ぶことは出来ず複雑な表情をするメルーカの視線の先で、エレスは 黙りこくっている。長老の──カーラの村の、だ──庵を辞したときからずっとこうだ。 漆黒の瞳はわずか下方を見つめて動かない。もともと感情の表れにくい横顔は今はさらに 無表情で、メルーカは小さく息をついて声をかけることを諦めた。 カーラの村の長老は、赤耳族の特徴も明らかな、赤と黒の斑の髪と赤黒い瞳、そして浅 黒い肌の持ち主だった。だがその身に纏う空気は決して凶暴な彼らのそれではなく、メル ーカの目に“綺麗な光の泡”が見えるほどに澄んでいた。かなりの老齢と知れる彼の口か ら告げられた言葉は、先に村の入り口でディンナの村の長・エルカントが口にしたものと 同じではあったが、改めてエレスを打ちのめすのに充分な内容だったのだ。 すなわち。 カーラの村とは、ディンナの村の隠されたもうひとつの呼び名であると。 伝説にもなるはずだ、忌々しいと思う気持ちを隠しもせず、エレスは舌打ちと共に顔を しかめた。 所在地としてはディンナの村と同じとは言え、カーラの村にたどり着く道はただひとつ だ。近隣の村──とは言っても近いと言えるのはカーラの街だけだ──に住むカーラの村 に縁あるものから、白き光の導きを教わること。エレスたちは運が良かった。いや、これ もひとえにメルーカの招ぶ幸運のおかげか。メルーカに出会ってから順調すぎるほどに順 調なこの旅路に、エレスは何度目かの不安と恐れにも似た思いを抱いた。 そしてそれ以上に、作為的とすら言えるほどのこの符合の多さ。これを仕組んだのが神 の仕業ならば、これをこそ運命と言うのではないか。すべて、初めから定められていたこ となのではないか。 遠くの空に思いを馳せるように首を巡らせて、エレスはようやくこちらを見ているメル ーカに気がついた。瞬きをすると、メルーカの頬に安堵とも苦笑とも取れる笑みが浮かぶ。 「やーっと気がついた」 「……ああ、悪い」 「ううん、いいよ別に。その分エルの顔ゆっくり見られたし」 返す言葉に詰まってエレスが口を噤むと、メルーカは口元に手を当てて首を傾げた。 「ねぇ。ここはカーラの村だけど、ディンナの村でもあるわけなんだよね。──おじさん とおばさんは、そのこと知ってたのかな」 カーラの街で出会った、赤耳族の血を引く女性。曾祖父がカーラの村の出身だと言って いた。 「さあ、女将の方は何とも言えないな。店主の方は知らなかったようだが」 森へ入った日の朝の会話を思い出してエレスが答えた。生涯を共にすると誓った伴侶に すら教えないとは徹底している。だが、そこまでして守る秘密とはいったい何なのか。エ レスの求める、<祝福の水の子>を──メルーカを、手に入れる方法と関わりがあるのか。 『しばらくここに滞在するが良い。答えはお主が自分で見つけるものじゃ』 そう言って、長老は皺だらけの顔を歪めて笑った。 「自分で探せ……か」 ここに来ればすべてが解決すると思っていたわけではないが、やはり落胆は否めない。 エレスは小さくため息をついた。 「重要な手がかりになるようなことは教えてもらえなかったけど、きっとそのうち見つか ると思うよ。この村にしばらくいるんでしょう? きっとね、何か大事なもの、見つかる と思うんだ」 「──お前がそう言うなら、そうなんだろうな」 エレスが苦笑交じりに頷くと、メルーカは頬を膨らませた。 「もう、またその言い方! 初めは嬉しかったけど、最近ちょっと違うってわかったよ。 エルってぼくのこと過信してる。ただそんな気がするってだけなのに……」 「ああ。だがお前の言うことなら信じられる──信じていいと思う」 「もう……」 メルーカは頬をうすく染めて、眉をひそめた顔をうつむけた。さらり光を弾く髪が流れ る。前髪の間からエレスを透かし見て、メルーカがぽつりと呟いた。 「でも、やっぱりちょっと嬉しいな。エル、ありがと」 to be continued・・・ |