夏は来ぬ


     プロローグ──春の兆し──

                                     ヒソ
 一見平和な午後の授業。そこには、悪魔が潜んでいる。

             ハルキ 
 太ももへ伸びてきた手に、春樹は身を硬くした。また……! その手が目指すモノを捕
らえる。いつもと、同じ。手の持ち主は、人の反応を楽しむ目で、小動物をいたぶる猛獣
の目で、自分を見つめていることだろう。ゆるやかに、そっと撫でる指を、止める術を、
自分は知らない。されるままにしていると、背筋を電流が駆け登るような衝撃が走った。
「……つっ!」
 あまりに露骨に反応してしまった自分に頬を赤らめ、春樹は心持ち前かがみになりなが
ら、その手をどかそうと試みた。彼の手がファスナーの奥に忍び込む前にやめさせないと、
かなりまずい事態になりそうだったので。
 しかし、春樹は逆に手を取られて自身へ導かれてしまった。頬が染まるのが自分でもわ
かる。周囲の人間は、いつものように知らんぷりを決め込んでいた。
「イッちゃえばいいじゃん?」
 からかうように、低い声が囁いた。抵抗、できない……。
      ニシモト
「どうした、西本。気分でも悪いのか?」
 新任の英語教師が、お節介にも気づいてくださった。さらにお節介な人物が、自分を死
刑台へ導くだろう、もうすぐ。
「お腹が痛いらしいので、トイレに連れていきます」
                        カツラギフユマ 
 春樹を支えながらそう言ったのは、彼の隣席の男、桂木冬真だった。


          *         *         *


「俺って気ィ効く奴だよなぁ? 優等生の西本春樹クン?」
「くっ、そ……! は、なせ……!」
「静かにしないと聞こえちゃうよ?」
「っ、つ。く、ン……」
 手をつかんで引き寄せられ、唇を窒がれる。何度やっても、慣れない。慣れたくない。
 場所は、校舎の端の方にある男子トイレ。もっとも、ここは男子校だから女子トイレは
教員用しかないのだが。
 せまい個室の中では、ささやかな私刑が行われようとしていた。冬真の手が春樹のツメ
エリを脱がしてゆく。
 やがてその手は下半身にまで及び……。
「っ、アッ、やっ……!」
「ほら、そのままじゃ痛いぜ。もっと体曲げろよ」
 背中にのしかかられ、春樹は否応無しに彼の指示に従う結果になる。濡れた指の感触が
露わになった繊細な部分を湿し、すぐに熱いモノが押し入ってきた。痛みと、辱められた
悔しさとがまた春樹の胸を占める。何度経験しても慣れることのない痛み。しかし、胸を
辿る指先に、首筋に触れる舌と唇に、自分が時々快感と呼ばれる類の感覚を覚えてしまう
ことに気づいた時、春樹はたとえようのない衝撃を感じて意識を手放した……。



     1

                     カン
 相手の全てが気に入らない。一挙手一投足が癇に触る。そんなことがあるだろうか。
 桂木冬真にとって、西本春樹はまさにそれだった。そもそも、出会いが悪かったのだ。
 二学期の始業式の日の朝、冬真達はいつものように裏庭で煙草を吸っていた。すると、
一人の学生が近づいてきて、彼らの喫煙を注意した。一度は無視した冬真だったが、「煙
草は体に良くないよ」から始まり、その害を長々と並べ立てられては、さすがに諦めるし
かなかった。何だか、成り行き上始業式にまで出席してしまい、校長の長話の間、冬真は
今朝のお節介な人物のことを考えていた。
 見たことの無い男だった。いかにも優等生そうな。
 ───気に入らねぇな。
 冬真はひとりごちた。


 少し遅れて教室に入ると、担任の横に今朝の少年が立っていた。
「桂木か、遅いぞ。──転入生だ。西本春樹君と言う。前はK学院に通っていた」
 誰かが感嘆の口笛を吹いた。K学院は、県下一の進学校だ。
「よろしくお願いします」
 模範的な、良い子の挨拶をして、彼は席についた。
 彼は、冬真の方を見なかった。──無性に腹が立った。


          *         *         *


 十月の体育祭が終わる頃には、春樹は一学期からずっとこの学校へ通っていたかのよう
に周りに溶け込み、はやくも人望を集め始めていたが、そんな彼をよく思わない者も当然
いて、冬真も、その一人だった。


「その優等生ヅラが気に入らねぇんだよ」
 裏庭にある余り使われていない小さな倉庫の中で、春樹を囲んだ男達は、開口一番そう
言った。春樹を既視感が襲う。顔色を変えた春樹を見て、二年の校章を付けた男がニヤリ
と笑った。
「知ってるんだゼ、転校の理由。お前が殴ったアイツなあ、オレのトモダチなんだよ」
「進学校ったって、やってる事ぁ、ウチと変わんねえよな」
 そう言って下卑た笑いを浮かべた男は、春樹のクラスだった。スレた雰囲気の人間が集
まっていて、クラスの奴等があいつらには関わらないほうがいいと言っていた。    
 一人、少し違った感じの人間がいたと思ったのだが……
                                    タノ
「ボコボコに殴ってコトを大きくするより、もっと簡単で、ついでにオレ達は愉しめるっ
ていう、とってもベンリな方法があるからな。あいつらにも……、センパイを殴りたくな
るようなこと、ヤラレたんだろ?」
 もう一人、見たことのない一年の男が口笛を吹いた。いやらしい目を春樹に向け、近づ
いてくる。
 春樹は思わずあとずさり、壁にぶつかった。声がうわずった。
「何……のことだよ? 何を……知って……」
 近づいてきた男は、春樹を壁に押し付け、その勢いに任せて唇を窒いだ。
 相手の意図を知った春樹は精一杯の抵抗をしたが、三対一ではやはりどうしようもなく、
数分後には肌も露わに床に抑え込まれていた。
「……っく、離せ!」
「いつまでもつかな?」
 二年の男がベルトをはずすのが見えた。体は二人に抑え付けられ身動きが取れない。
 悔しさに、歯をくいしばったとき。
「何やってんだよ、お前ら」
 扉の開く音と共に、聞き覚えのある声がした。三人が一斉にギクリとする。
「──ふ、冬真」
 桂木冬真。春樹のクラスメートで、スレた奴らの中で少しだけ違う……。
「前に言ったことを忘れたのか?」
「でっでも西崎さんが……」
「西崎先輩、ついでだからあんたにも言っとくよ。
 そいつ──西本春樹には手を出すな。俺のものだ」
「なっ、誰がっ」
「お前だよ」
 冬真が近づくと、三人は渋々春樹の上から退いた。
 耳元で、低い声が鋭く囁く。
「おとなしくしてろ。何もしない」
 手を掴んで起こされ、遠ざかろうとしたら強く引き寄せられた。
「言うこと聞けよ。──犯すぞ」
 春樹はカッとなって手を振りほどいた。
「誰がお前のもんだっ……、!!」
 途端に頬を張られた。倒れた春樹をうつぶせに抑えつけ、冬真は三人に、いや、春樹を
含めた四人に告げた。
「西本春樹、お前は俺のものだ。
 痛いのが嫌だったらおとなしくしてろよ。──これは、お仕置きだ」
    ム 
 衣服を剥かれ、押さえつけられて──。
 それは、何と言う屈辱だろう。
 それに、この行為は、なんてケダモノじみていて……。
 総毛立つような嫌悪と、身を灼くような屈辱に包まれた春樹を、激痛が刺し貫いた。


 翌朝。春樹は教室の入り口で呼び止められた。
「に、西本。……あのさ、席換わってくれないかな」
「いいけど、何で?」
「ちょっと、字が見えなくて」
 彼の席を見やり、春樹は顔をしかめた。隣に、桂木冬真がいる。
 席ぐらい、と軽く請け負ったことを後悔したが、一度良いと言ったものを今更断るわけ
にもいかず、了承の返事をしてその席へ向かう。
「西本、おはよう」
「……おはよう」
 声の掛けかたがいかにもわざとらしい。座りかけて一瞬の痛みに眉を寄せた。
 冬真は、見ていなかったのか何も言わなかった。
 疼くような痛みは、その日一日春樹を苦しめた。



     2


「俺が君に何をしたっていうんだ!? 何で、こんな……!!」
「何も、してないよ」
 むしろ朗らかに、彼は言う。
「お前は、ただ、恵まれた環境に生まれ育っただけだ」
「君は……、俺を、憎んでいるのか?」
 何故、と、彼は訊いた。そうでなければ、この仕打ちは何だというのだろう。
「その恵まれた環境を、失いたくはないだろう?」
「畜生……! はな、せ……!!」
「また転校したいのか?」
 その言葉に、彼を殴ろうとして振り上げられた拳は止まらざるを得ない。
        ・・
「俺を殴るか? また、転校するのか、同じ事をして? 優しいおふくろさんは、なんて
思うだろうな……」
 耳の下に触れた唇が、首筋を辿る。
 体に密着したてのひらが、ゆっくりと下へ降りていく。
「……っく、…う……」
 固く閉じた脚を、乱暴に押し広げて。
「アアッ、……ッ…ウ」
 悲鳴は大きな手で遮られた。口腔に、指先が侵入してくる。
 痛みを堪えようとして体に力が入る。知らずに、彼の手に歯を立てていた。
「────早く服着たほうがいいぞ。もう寒いからな」
 それまで春樹を蹂躙していたのが嘘のように優しい声でそう告げると、冬真は静かに扉
を開けて出ていった。
「風邪の心配するくらいなら、こんな事するなよ……!!」
              ハ 
 誰もいない準備室で、春樹は剥ぎ取られた制服を身に付け始めた。
 あれから一ケ月。彼は、毎日のように自分を蹂躙した。
 自分の何かが気に入らないらしい。でも、それならどうしてあんな気遣いを見せるのだ
ろう。
「理由、なんか」
 許せない。男としてこれ以上ないほどの屈辱だと思った。こんな、力ずくで犯されるの
は。
 抵抗しつつも、拒否できない。そんな弱い立場はゴメンだった。けれど、彼の言うよう
に、家族に、周りの人間に知られたくはなかった。
『また転校したいのか』
「そんなわけないだろう……!」
 机に拳を打ちつける。しばらく肩で息をして、
 春樹は、部屋を出ていった。



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