ユ メ 
   4 〈想い〉の続き

「これを……返しに来た」
                             ト キ          
 少年は翡翠色の羽を乗せた手のひらを差し出した。夕暮れの、水紅色の光に照らされて、
        カモ
羽は微妙な色彩を醸し出している。
「彼は……」
 少年の手のひらを見つめたまま、青年は呟いた。沈黙が流れる。
『お前の〈望み〉は叶ったか?』
                                       イサ
 頭の中に直接響く声。一度大きくはばたいて、鴉は青年の右腕に止まった。青年は、諌
めるような目をして鴉のくちばしに左手で触れてから、もう一度少年に問いかけた。
「彼の〈夢〉は、叶ったのですか?」
「……あいつの〈夢〉って、何だよ。オレはただ」
                             キ      ・・・・・
『そやつの〈夢〉が叶えばその羽が変化する。──もう一度だけ訊いてやる。お前の〈望
・・・・・・・・
み〉は叶ったのか?』
「彼は……あなたに何と言いましたか?」
     “来てくれて、ありがとう”
     “おれ、おまえといたいって答えた。ずっと、これからも一緒に……”
     “オレも、お前といたいって答えるよ” “──ありがとう”
「───あ……」
 少年は顔を上げた。青年は穏やかな笑みを浮かべて肯く。微笑み返そうと細めた目から、
涙が溢れ出した。頬を伝い、顎の下から滴り落ちる。床を濡らした涙は、少年の手にもこ
ぼれた。その手に握りしめられた翡翠の羽にも。
 碧の光が拡がる──。草原を吹き抜ける風のように。
「ああ……───」
             エメラルド                    ヒカリ 
 手の中で鮮やかにきらめく緑玉石。少年の目からとめどなく流れる涙も、同じ色に照ら
されている。
「それが彼の〈望み〉です」
 さらさらと時の流れる音を聴きながら、青年は静かに告げた。
 風に吹かれる砂のように、少年の姿は少しずつ消えてゆこうとしている。
 涙はこぼれつづける。少年は微笑んだまま───
「ずっと、一緒だよ…………」
 最後に小さく呟いて、少年の姿は見えなくなった。
 少年の手にあった碧の石も、床に落ちると同時に霧のようにかき消える。


 一部始終を見守って、青年は軽くため息をついた。目を伏せて、少年たちの〈望み〉に
   ハ 
思いを馳せる。
「…………」
 青年の呟いた言葉は、鴉にも聴きとることはできなかった。


         *         *         *


     ソラ
     天から、羽が 降ってくる。
     とめどなく。音もなく。

 ハテ                      ソラ
 涯なく広がる白い地平、白い天。
 少年はただひとり立ちつくして、それを見ていた。
 次から次へと落ちてくる、黒い羽を。
「……来てくれたんだね。ありがとう……」
       カオ カス             ササヤ 
 疲労の色濃い貌に微かな笑みを浮かべて、少年は囁いた。



   5 記憶の鍵

     符調が 合う。        (イヤだ)
      鍵が はずれる。       (お願い)
      扉が、開く────。     (開けないで──────!!)

「!?」
 びくりと肩を揺らして、青年はたった今身の内を貫いた気配に周りを見まわした。
 ちょうど、悪い夢から目覚めた人のように。
「誰……」
 言いかけて、止める。もう一度口を開いた時、青年の顔には確信と覚悟の表情が浮かん
でいた。
「《あなた》ですか──────?」


         *         *         *


 誰もいない部屋の中、鴉ははるか遠くを見つめている。
 碧の双眸に見えているのは。過去か未来か、それとも夢か。
『我には関わりのないことだ……』


「もう僕が夢を見ないようにしてください」
「夢を、見ないように?」
「そうです。──できるんでしょう?」
「残念ですが、私にはできません」
「なぜ?」
            ・・・・・・・・・・・・・・・
「なぜならば、─────あなたが今夢を見ているからです」



   6 夢現の鏡

 真っ白い部屋の中、少年は大きな鏡の前に立った。
 鏡の中にいるのは、白い部屋に佇む一人の少年。
「ねえ、今ね、夢を見たんだ。素敵な夢を」
 振り向いた少年の視線の先には、一羽の黒い鳥。光が差し込むと、その瞳はこくうすく
碧にきらめくのだ。
「夢で僕はきみと話したよ。きみに触ったよ。つやつやして、きれいで、僕と同じ温度だっ
た」
    ・・・・
「───おいでよ」
 手を差し伸べ、少し首をかしげて。
 少年の誘いに応えて、鳥は少年の肩に止まった。鏡の中の少年にも、鳥が止まった。
「きれいだ。黒い翼。でも知ってるよ、その羽もほんとうは瞳と同じ色なんだ」
 鏡の自分と鳥を見る。──黒い鳥が肩に止まったことで、少年の服の白さがよけいに目
立つ。また、鳥に比べて自分があまりに小さすぎる気が、少年にはした。
「似合わないね……きみには、僕は」
 そして理想の姿を思い浮かべる。すると、鏡の中には成長した少年が漆黒の衣を纏って
立っていた。
 肩には、もちろんあの黒い鳥がいる。
「ほら、こっちのほうがいい」
 少年は満足気にうなずいた。
「僕たちは夢を操れるんだ。みんなの希望を叶えることができるんだよ。どうだい、素敵
だろう?」
 少年の言葉に応えるように、鳥は少し首をかしげた。
「きみもそう思う? ありがとう。いい子だね」
 右手を伸ばして、鳥の頭を撫でてやる。
 鏡の中の青年も、左手を伸ばして鴉の頭を撫でていた───。



   7 白昼夢

                                  ・・・
 うす暗い部屋の中に一人、青年は佇んでいる。鴉の気配もない──どこか他の所へ行っ
たのか。
       ・・        ・・
「そういえば、あれに出会ったのは、いつのことでしたか……」
 もうずいぶんと前だろう。
     「変わらないわね」
 ・・                ・・
 誰かにそう言われたことがあった。……いつだ?
 鏡の前に立ち、記憶の断片をたぐりよせる。
 少しだけ覚えている。《彼》に似た少年。〈夢〉を追いかけて。
 出逢った〈夢魔〉と、いつからか行動を共にするようになって……。
 〈夢使い〉として、たくさんの人間の希望や欲望を見てきた。そうして知ったこともあ
る。
 《あのひと》は、何も望まなかった。──いや望んだのは〈無〉だったのか。
“自分は……いつから〈夢使い〉をしているのだろう?”
 その問いは、“自分は《誰》なのだろう?”という問いと同じだということを、青年は
知っている。そして、その答えも、おそらく。
                     ソロ            ・・
 少しずつ降り積もったキーワードが、きっと揃ったのだ。だから自分は今ここにいる。
 ふいに、鏡に映るうす暗闇の中から鴉が現れた。漆黒の翼、碧の瞳。
『お前は……覚えているのか?』
「何を、ですか?」
『……いや。いい』
「──あなたは私の夢に潜ったことはありますか?」
 逆に青年は問いかけた。そんなことされはしない、と以前に言った記憶がある。
『…………いや、ないが。〈夢魔〉に憑かれるようでは〈夢使い〉は勤まらないのではな
かったか?』
               ・・・・・・
「そうですね。──ただ、以前にあなたと一緒だったことがあったような気がしたもので
すから」
 ふっと微笑む青年の双眸に浮かぶ自嘲の影。その瞳の中に時折り濃緑の輝きが宿ること
に、青年は気づいているのだろうか?
『我にはそんな覚えはないぞ』
 碧の瞳と同じ鮮やかさで、鴉はきっぱりと突き放す。
「ふふ…、あなたらしい答えですね」
 青年は笑い、伸ばした左手で鴉の漆黒の──いや濃緑の翼に触れる。鏡の中に目を向け
て、青年は告げた。
                    ・・・・・・・・・・・・・・・・
「知っていましたよ。────ありがとう、きみならそう言ってくれると思った」
 そのとき、世界は逆転した。



   終章 《夢売りの館》

     ユメウ    ヤカタ
    〈夢売りの館〉
     ユメウラ
     夢占いたします。

 風に吹かれて、小さな看板が揺れている。そこに並ぶ愛想のない文字を見つめて、少女
はためらうように立ち尽くしていたが、やがて決心して扉を開けた。
 うす暗く涼しい店内には、黒い服を着た青年が一人。そして、止まり木には漆黒の鴉が
いる。
 落ち着いた声音で、青年は声をかけた。
「──ようこそ、〈夢売りの館〉へ」


「あっここよ、ここ!」
 小さな店を指差して、少女ははしゃいだ声を上げた。
「ここぉ? んな占いなんか信じてるのかよ、おまえ?」
「もちろん! ここはね、他の占いのお店とはちょっとワケが違うのよ」
「ふーん、そう」
 全く相手にしようとしない少年に頬を膨らませていた少女は、ふいにいたずらっぽい目
をした。
「それにね、ここの占いしてくれるお兄さん、すっごい美形なの・」
 少年は少し動揺したようだ。少女は満足気に笑い、小さな看板の架かる扉を開けた。
「すいませーん、夢占いしてくださーい」


「あれ、何だこの店?」
 見慣れない看板に、少年はふと足を止めた。
「なに、『〈夢売りの館〉 夢占いたします』……? ふーん、夢占いか」
 妹が好きそうだな、と呟いて、少年は扉に手をかけた。


 うす暗い部屋の中、黒衣を纏った青年が立っている。手を伸ばした先には、止まり木で
羽を休める漆黒の鴉。
 ふと、鴉が碧の瞳を扉へと向けた。つられて青年が扉を見やると、ちょうど誰かが扉を
開けたところだった。
「あのう、ここで夢を叶えてくれるってホントですか?」
「……ええ。どうぞ、お座りください」


         *         *         *


     ハル       ソラ
     遥か高く、天を見上げる。
     どこまでも、真っ白い世界。
     羽が、降ってくる。
                  ヒカリ     ミドリ 
     漆黒のその羽は、落ちながら燐光を放ち、碧緑色に変わる。
     けれども、地面に触れる瞬間に、羽は消えてしまうのだ。
     そして────いつまでも、羽は降りつづける。


 碧眼の鴉を腕に乗せ、青年は鏡の前に立っていた。
 耳を済ませば、外で看板の揺れる音がする。




Nachst Gedicht


Natural Novel    CONTENTS    TOP

感想、リクエストetc.は こ・ち・ら