── written by 端月sama@Illusion Place




  1:月夜の邂逅


 彼女は、鬱蒼とした森をあてもなく彷徨っていた。
 方角を示すはずの様々な徴は、どれも定まった方向を示さない。そんな場所があることは解っていたが、だからといって彼女にどうにかできる訳でもない。
 (森育ちのエルフだったら……?)
 可能なのだろうか。
 そう考えて即座にその考えを破棄する。今さらそれを愚痴った所で、この状況と事実はどうにもならないものだ。考えるだけ無駄、というやつだろう。
 たったひとり、森を彷徨う彼女の耳は長く尖っている。
 本来ならば森の中で生まれ、その生涯を森の中で暮らすもの――森の民、エルフである証だった。華奢な体も高めの身長も、そして色素の薄い髪も、その証拠である。だがしかし、彼女のいでたちは森に住むもののそれではない。
 動きやすくはあるが、かっちりとした印象を受ける衣服は何かの制服に見えた。腰に下げられた、こころもち細身の剣。微かな風で煽られる茶のマントに、その胸元に飾られた紋章のような意匠のマント留め。さらには弓も矢も持たない姿。それは、森の外で生きる者に他ならなかった。
 「カーシャと離れたのはまずかったな……」
 その呟きに答えたのは、風が梢を揺らす音だけだ。本当にだれもいない。動物くらいはいるかもしれないが、それでは話にならない。
 (そもそもここに人がいるのか?)
 彼女が踏み込み、現在迷子となっているこの森。近隣諸国では魔の森と呼ばれ、帰るものなき迷いの森であるという。森の奥深くに踏み込んだものに何が待っているのか、知る者はいない――それが通説である。
 彼女とて、それを知らぬわけではなかった。それでも立ち入るだけの『理由』があるからこそ、今此処にいる。
 彼女は己の胸元へと手を伸ばす。指先にはマント留めが――正確には、マント留めにあしらわれた紋章が――あった。
 「……我が誓いにかけて」
 それは、そう遠くない日にも言った言葉。
 その紋章は、彼女の誓いのしるしであり、誇りそのものであった。
 
 紋章にはシルヴァリオン王国の紋章をモチーフに、剣と盾があしらわれている。
 それが示すものは、王室の剣となり盾となるもの、近衛騎士団。彼女はそこに所属する騎士の一人だ。
 
 名を、シルエラ・ハレットという。



 北国では初雪が積もる頃。シルヴァリオンには秋が訪れる。
 秋は、森から多くの恵みが得られる時期である。畑の収穫も重なって、だれも彼もが忙しい。その年の収穫に感謝し、来年の恵みを願う大がかりな祭もひらかれる。そのためか町に住む人々も皆、忙しそうに動き回っていた。
 その日上官から呼び出しを受けたシルエラは、長い回廊を進んでいた。ふと、その視界にあかく色を変えた枯葉がよぎった。飛んできた方向を見やると、窓が開いている。その外側には木々が秋の色に染まっていた。
 (きれいな、ものだな)
 視界に飛び込んできた赤、それよりも暗い色味の赤。茶色に染まったものもあれば、黄金に染まった葉も茂っている。こんな風にのんびりと景色を眺められるのも、ここしばらく王国が平和であるからこそ、だ。他国のように魔物の被害が多いわけでもなく、領土争いも無縁と言っていい状況だ。
 呼び出しのことを心に留めながらも、彼女はその美しさに見惚れる。
 「やあ、ハレット」
 「ゼセルどの」

 呼び声に振り向けば、上官の一人がそこにいる。まだ若い、ともいえる年齢の青年である。思わず礼をとった。
 「きみ、呼び出されてなかったか?」
 「あっ!!失礼します!」
 慌てて駆け去る少女の後姿を、ゼセルと呼ばれた男性が凝視する。いくらかの時間が過ぎた後、自分がそうしていたことに気付き――彼は笑った。自分に言い聞かせるようにして、苦い表情を浮かべつつ。
 「本当に、よく似ている……」

 この時まだ、彼女は騎士ではなかった。

 その呼び出しは、彼女が『騎士見習い』から『騎士』になることを示すものだった。正確に言えば、その許可が出た。それを拒否する理由も何もなく、数日後には騎士の誓いを立てた。
 騎士の誓いとは、己の剣を王家に捧げ、王国に捧げる儀式のことだ。王家に仕え、王国に仕える数少ない『女騎士』の誕生だった。男性のそれよりも、はるかにその比率は少ない。王家の女性の近辺警護にあたる事になるのが慣例だった。
 その任命を今かと待ちかねていた数日――ついに受けた呼び出しと、最初の役目。しかしそれは想像していたものではなかったのだ。
 『北の森へ赴き、ある人物に書簡を届けよ』
 手がかりは殆どなかった。騎士団から得られたものは二頭の馬、そして騎士毎につく『従卒』、つまりは騎士の見習いである少年、そして幾ばくかの旅費と旅支度だけ。どういうことかと首を傾げつつも、それが与えられた役目である事には違いない。手がかりが少ないのは、自分の能力で何とかしろという事だと解釈した。
 そして彼女は森に到着し、2日を過ごした後に……連れとはぐれてしまったのだ。


 困惑はあったが、シルエラは己の危機を感じていなかった。この国の森に現れる魔物など滅多にはいないし、現れたところで彼女の剣の腕があれば何とかできるだろう。動物も同じことだ。各々の水と食料は、こういった事態を想定して二つに分けている。切り詰めればしばらくはもつだろうし、季節は秋だ。森から食料を得る事も出来る。
 唯一、心配しているのは水のことだった。
 その心配も、もう必要なくなっている。水音に気付いた彼女は川に出ていた。清らかな流れには魚の姿も伺え、遠い夕陽が水面を赤く染めていた。
 これで、方角もわかる。
 「……きょうはこのあたりで休むかな」
 休めそうな場所を探すと、早めの夕食をとった。落ちた枝を集めて火を起こし、マントにくるまって丸くなる。焚き火が照らす暗闇はいかにも頼りなげで、あちこちで響く獣の声や物音が気になってたまらない。森で迎える三度目の夜だったが、どうにも落ち着かない。何気なく見上げた空も、木々の枝葉で隠れてしまっている。
 (空が見えない)
 何故だかひどく不安になって、彼女は川辺に向かった。さやかな水の流れる音と、空に浮かぶ満天の星。川面に映る月を見やり、ほっと安堵の息をつく。真円を描く月の形が、流れる水でゆらゆらと躍っていた。
 不意にかさり、と間近で音が聞こえる。咄嗟に腰の剣へ手を伸ばしたシルエラは、現れたものを見て緊張を解いた。彼女の傍から野兎が一匹、川の傍に出てきたのだ。
 彼女を警戒する様子もなく、兎は川の上流に向かって跳ねてゆく。その姿に惹かれるようにして、シルエラの足は兎を追っていた。


 川の流れのみなもとを目指して。


 彼女は川辺を歩きつづける。時折、あちこちでがさがさと音がしたかと思うと、大小の動物が川上へと向かっていた。それを不審にも思わず、彼女は歩みを進める。川幅が次第に狭まっていった。こぼれる夜露が衣服を濡らしたが、これも気にしない。
 何かが呼んでいるような気がした。





 少女は水のほとりに腰掛け、足をぶらつかせている。背後から近づいた足音に、その主を察して振り返った。髪飾りと耳飾りがしゃらりと鳴る。
 「なにをなさっていらっしゃるので?」
 「……べつに、なにも」
 「休まれたほうが」
 「こんな月夜に、眠れるわけがないわ」
 軽くすくめた肩に、ふわりと布がかけられた。当然のようにそれを受け、彼女がくすくすと笑う。近づいた青年は、少女と微妙な距離を取りつつも、できるだけ傍にしゃがみこむ。それを見た少女は、軽く首を傾げて悪戯っぽく笑った。
 「あなたの安眠の為には、眠っていたほうがいい?」
 「お気遣いなく。それに……いまさらですよ、『御主人さま』」
 「それもそうかしらね」
 あきれたような響きの言葉に、二人の間に和やかな空気が流れる。
 黙りこんだ二人だったが、不意に少女が険しい顔をした。
 「……今夜は、何か出るかもしれないわ」
 白みを帯びた金髪と碧の目、そのほっそりとした横顔が、月明かりに照らし出される。
 「こんな月夜には、『何が起きてもおかしくない』もの」
 静まり返った一帯には、生き物が失せたかのような完全なる静寂があった。







 生き物の気配が、不意に止まった。それまで様々なペースで進んでいた大小の生き物たちが、何かに前を塞がれたようにして、立ち止まる。その一線にたどり着いたものから順に、その歩みを止めていた。次々と現れる生き物たちは、みな立ち止まり、なにか厳粛な雰囲気をかもし出している。
 シルエラは、思わず彼らと同様に立ち止まる。そこには何があるようにも見えない。だが、なんとなく水の気配がした。そんな感覚ははじめてだったが、その先に川のみなもとがあるだろうことを、疑おうともしなかった。
 何かにひきよせられるように、更にふらふらと先に進む。靴が草を踏み、かさりと音をたてていた。木々の間を進むうちに、きらきらと光る水面が視界に映る。
 「湖……」
 湖面に映る大きな満月を認め、何気なく空を見上げる。今まで通ってきた場所とは違い、空が広い。きらめくあまたの星々が目に入ったが、たった一つ、そこにあるはずのものが欠けていた。思わず再び湖面を見つめ、彼女は驚愕する。
 何度確かめても見間違いでは、なかった。
 「月が、ない?」
 そう呟いた瞬間、突然あたりの空気が動いた。そよとも吹かなかった風が起こり、さわさわと頬を撫でてゆく。突風とまではいかないが、突然のそれはあたりの静寂を乱す。しんとしていた木々も草花も、ざわざわとその身をそよがせた。
 (私は夢でも見ているのか?)
 無意識に、片手が剣の柄へ伸びていく。警戒心が起こり、周囲に注意を払った。耳を澄まし、あたりを油断なく見回す。
 すると――常人よりいくらか優れた聴覚が、水音をとらえる。
 音のした方向を見ても、誰もいないように見えた。けれどその部分だけぼやけているような気がして、不審に思って目を凝らす。二度、三度とまばたきをするたびに、薄布が除けられて行くような感覚があった。次第にはっきりとする視界に、ふたつの人影をみとめる。その片方と視線があって、シルエラの思考が止まった。

 なぜなら、そこにいるのは。

 淡い金髪の間から、長く尖った耳が見える。ほっそりとした体に、瞳は新緑のいろ。身に付けた薄絹は幾重にも重ねられ、長い髪をゆったりと結い上げたところに、幾つもの花を飾っている。そんな、エルフの女性。


 見つめられた女性もまた、少なからぬ驚きに呆然とする。

 長く尖った耳を隠す事もなく、伸ばした髪は後ろで一つにしっかりと束ねられている。腰に細身の剣を下げた姿は様になっていて、体の線に合わせて作られた衣服をきている。けれどあくまでそのすがたは森の民、エルフのもの。


 互いを見、その姿を認め、呆然とした理由はその容姿にあった。


 衣服のたぐいは異なるとはいえ、その背格好も顔立ちも。


 目の前の相手と見つめる自分。


 互いの容姿はまったく同じものだった。




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