ポニーテール


   『起』 月森朝香の不機嫌の原因。木野哲哉、学年一の美少女に告白される。

「だ──っっ、もー、むしゃくしゃする──っっっ!」
         サ ヨ リ        アサカ 
 すがすがしい朝、沙夜里が教室で聞いた朝香の第一声が、これである。かわいい顔が台
無しじゃない、と思いながら沙夜里はたずねた。
「どうしたの? 朝っぱらから」
「ちょっと──っ、聞いてよ沙夜里──っっ!」
                                     テツヤ 
 あ、こりゃそーとー怒ってる、と沙夜里は呟いた。語尾になるほど声が大きい。哲哉君
がらみかな、と沙夜里は考えた。
「だ──っっ、哲哉ったらひどいのよ〜〜っっ!」
 クラスの子達は、この大声を聞かないふりをしてくれている。それにしたって、もう少
し小さくできないかなぁと思っていると、朝香は怒りを抑えた声でいった。
「哲哉ったら、昨日、ヒトん家来といて何て言ったと思う? あのバカ、あたしに向かっ
て、『今日オレ二組の藤井さんに告白されたんだゼ』なんて言ったのよ。このあたしによ!
 あ・た・し・に!! 信じられないッ」
「あ、やっぱり」
「何がやっぱりよっ。あんた藤井さんが哲哉のこと好きだって知ってたの!?」
「ち、違う。いや、あ、朝香がそんなに怒ってるからね、哲哉君のことかな、と思って……」
                                ヨウジ
「あああっっ、何であたしなの? 何で洋二君より先にあたしに言いに来るのよ、哲哉の
バカ──ッ」
「どうした? 朝香」
「ひゃあっ」
 突然降ってきた声に二人は悲鳴をあげた。哲哉かと思ったのだ。でも来たのは幸か不幸
か哲哉ではなく、哲哉の親友、兼、沙夜里の彼氏の洋二だった。
「あ、洋二君、おはよう」
「おはよう、沙夜里。……で、哲哉のバカがどうかしたのか?」
「聞いてよ洋二君! 哲哉ったらねええっっ」
「わっ、待った朝香!」
 先ほどの大声が再び広がると思うと血の気が引くと判断して(?)、沙夜里は朝香にとび
ついて口をふさぎ、代わりに朝香の怒っているワケを洋二に話した。
                                   ユウカ 
「……なーるほどねぇ。でも昨日あいつ家に来たよ。『学年一の美少女・藤井夕香に告白さ
れたんだゼ、いーだろお』って」
「何がいーのよ、バカ!」
「お、俺じゃないよ。で、それだけ言って帰ってった」
「と、とてつもなく哲哉君らしい……」
 沙夜里は顔がひきつっている。ついでに他の二人も、顔をひきつらせはしなかったもの
の、彼女と同じことを思っていた。つまり──
     どーして哲哉ってばこんなにドンカンなの!?
ということである。これは気づかない哲哉がおかしい。ここまでくると、一種の才能だと
沙夜里は思った。
「髪の毛切っちゃおうかな……」
 ポニーテールをしても腰まである長い髪を指に絡めて、朝香は呟いた。
「小学校三年の時からだっけ? えーと、五年かあ。えらいよな」
 洋二は、心の底から感心していると言うふうに呟いた。コトのいきさつはというと……。
 小三の春、転校してきた髪の長い女の子を好きになった哲哉は、朝香に言ったのだった。
「かおりちゃんのさらさらの髪の毛いいなあ」と。そのころ朝香の髪は、肩に届くか届か
ないかというくらいだった。「オレ髪長い子好きだなあ。朝香ものばせば? きっと似合
うよ」という滅多にない甘いセリフを哲哉が言ったあのときから朝香はケナゲに髪をのば
している。哲哉の好きなサラサラになるように、でも邪魔だからと言って(ただの照れ隠
しなのは、すでにバレバレであろう)いつもポニーテールにしている朝香は、はっきり言っ
てかわいい。モテるほうなのだ。告白されたことだって何度もある。けれども、そんな朝
香が好いているのは、中二にもなっていまだガキ大将然としている(そのクセ顔が結構良
かったりするのだ)木野哲哉だった。
「髪、切っちゃおっか、な……」
 朝香が繰り返す。目が据わっていそうなのは、沙夜里の気のせいだろうか。声が、かな
り本気であると告げている。
「えー、せっかくそこまでのばしたのに?」
「だって……、哲哉、藤井さんとつきあうかもしれない……」
 いつになく弱気である。と思うと、
「だーっ、哲哉のバカー!」
 ときた。こりゃ重症だ、と沙夜里と洋二は同時に呟いた。
 ちょうどそのとき、
「洋二ー、英語のノート貸してー」
 ガラッといきおいよくドアを開けて、ご当人・木野哲哉が飛び込んできた。
「おー、沙夜里、朝香おはよう。ん? 朝香どうしたんだ? 元気ないぞ、めずらしく」
 朝香の心の中を、「どうした、元気ないぞ」と「めずらしく」の二つの言葉が駆け回った。
朝香が「誰のせいだ、全く」と呟くと、哲哉は全く無邪気にこう言った。
「あ、もしかしてオレが藤井さんに告白されたから落ちこんでんの? いやーモテる男は
つらいなあー」
 洋二よりも怒りに狂った朝香のほうがすばやかった。
「何であたしが落ちこまなきゃなんないのよ! 自信過剰で死ね!」
「おー、ヤキモチやいちゃって」
「哲哉のバカ! 用が済んだらとっとと出てってよ──!」
「ほ、ほら哲哉、英語のノートだろ? はいノート。じゃあな」
 朝香の目が赤くなりかけたのを見て洋二が慌てて哲哉を連れ出したから良かったものの、
朝香は歯をくいしばって涙をこらえている。
 ふう、間一髪、と呟いて、洋二が戻ってきた。
「何であたし、哲哉みたいなサイテーなヤツが好きなんだろ……」
 涙声の朝香の呟きが、三人の間をのぼっていった。


「さすがにマズかったかなあ」
 二年四組の教室を追い出された哲哉は、廊下を歩きながらひとりごちた。
「朝香も一応女だしな……」
 一応、というのが哲哉らしい。哲哉にはクセがある。幼なじみの朝香も、親友の洋二も
知らないクセが。
「やっぱ、何かあるとすぐ朝香のとこに行くのはよくないよな。あいつにもプライベート
ってもんがあるし、好きな奴もいるだろうし」
 朝香が聞いたらまた逆上するぞ、と思うと、急に不安になってきた。朝香が泣くなんて、
あの意地っ張りの朝香が。どうしたんだろう。やっぱ謝りに行かなきゃマズいかな、でも
今行っても……。
 と、グチグチ呟く哲哉に、後ろから声をかける者があった。
「おう、テツ。今日部活あるからな、ちゃんと来いよ!」
                                                    カズマ
 それだけ言って去っていったのは、サッカー部の先輩・桜木一馬。中三の二学期ともな
れば、本当なら受験勉強に追われているはずなのだが、そんな気配は一向にない。部活の
出席率は一番だろう。
 その一馬先輩が戻ってきた。
「テツ、お前二年二組の藤井夕香に告白されたって本当か?」
「え?──え、ええ」
 一馬は何か言いたそうな素振りを見せたが、じゃあ部活でなと言って再び去っていった。
「──なんだったんだ?」


         *         *         *


 放課後、月森朝香は不機嫌だった。いつもならグラウンドで哲哉の応援をしているのだ
が、今日は藤井夕香の姿を見かけてしまったので、沙夜里と共に体育館にいる。沙夜里は
バスケ部のマネージャーなのだ。ちなみに、朝香は料理部に所属している(恋するオンナ
ノコの心理、とゆーものだ)。
 並んで座り、選手達の動きを目で追う。一生懸命な彼らを見ていると、何もしていない
自分が恥ずかしく思えた。沙夜里は何も言わない。朝香が自分から言うのを待ってくれて
いる。愚痴は言いたくないと思い、朝香は黙ってボールを見ていた。
「ねえ、朝香もバスケやらない? 気分転換にさ」
 声のしたほうを見ると、同じクラスの真実子が手を振っていた。沙夜里を見ると、にっ
こりと笑って手を振っている。よしっ、と気合いを入れて、朝香はコートに走り出た。


 洋二は、先刻から哲哉が朝香を探しているのに気づいていた。来てすぐに夕香の姿を見
付けて帰ってしまったのだが、哲哉は見ていなかったらしい。
「洋二、朝香知らね?」
「さあ、沙夜里のとこじゃねえの」
「そうか……」
 わざとそっけなく返してやる。ゆるせ哲哉、これもお前と朝香のためだ、などと自称・
恋のキューピッドは心の中で呟いた。
「休憩──っ」
 キャプテンの声が聞こえる。タオルで汗を拭いていると、キャプテンよりも威張ってい
る男・桜木一馬が声をかけてきた。
「よう、調子はどうだ?」
「どうも、桜木先輩。まあまあですね」
「テツは? 朝香ちゃんがいないと調子でないか」
「なっ、何でそこで朝香が出てくるんです?」
「ふーん。じゃあ藤井と付き合うのか。朝香ちゃんは?」
「朝香は幼なじみですよ」
「そうか。じゃあ練習頑張れよ。俺もう帰るから」
 いつも去り際が唐突だよな、と一馬の後ろ姿を見ながら哲哉が呆然と呟いた。横で洋二
は難しい顔をしていたのだが、能天気でスペシャル鈍感野郎な哲哉が気づくはずもなかっ
た。


 翌日、哲哉が夕香の申し出を受けた。それから夕香は毎日サッカー部の応援にやって来
ている。一方朝香は女子バスケット部員さながらに、毎日体育館に足を運んでいた。




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