SCENE 5


 停戦協定が結ばれはしたものの、相手がそれを守る保証はどこにもない。今宵は寝ずの
番を勤めることを自主的に決め、オスカーは散歩を装い館の周りをふらついていた。
 カインと名のったあの男は信用して良いだろう。そういった見極めには自信がある。だ
が他の8人をもまとめて信用できるかというと、──答えはノーだ。
 特にこいつは油断ならないと感じた男は2人いた。1人はマルセルの姿をしたおしゃべ
りな男、そしてもう一人は──、
 ふ、と眼前に人影が現れた。幻かと思うような唐突さだった。
 月光に透ける青銀の髪が、夜風になびく。
「炎の守護聖、オスカー殿ですね」
 丁寧な口調も自分と対をなすあの男によく似ている。けれど、そこには穏やかさという
よりは冷ややかさと言った方が良いニュアンスが込められている。
「──ユージィン、とか言ったか」
 ええ、良く覚えていらっしゃいますね。男は笑った。
 いや、口元を笑みの形に歪めただけだ。月影を束ねたかのような髪にはあまりにそぐわ
ない赤い瞳は、まっすぐオスカーに据えられている。
 瞳の色が違うだけで、こうまで違う印象になるのか。いままで考えたこともなかった仮
定だった。珍しい水色の髪をした男の瞳は、その性質を表すような、穏やかな海の色をし
ているはずだった。自分の瞳が、身の内に燃えさかる炎から己を守るようなアイスブルー
以外に考えられないように、敬愛する光の守護聖の瞳が、どんな宝石よりも高貴な紺碧の
空の色であるように。
「美しい月に誘われて、夜のお散歩ですか? それとも、どなたかと待ち合わせでも?」
「ああ、そうだな。──おまえを待っていたんだろう、たぶん」
「私を?」
「おまえはきっと来ると思ってたぜ。停戦協定なんてものをおとなしく守るようには見え
なかったからな」
「それは……、ずいぶんと見る目のない方ですね」
 ユージィンは謎めいた笑みを浮かべた。リュミエールなら一生することのないような表
情だ。──そう、初めから分かりきっていたことだ。瞳の色だけではない、何もかもが違
いすぎる。
 リュミエールよりもその酷薄さによって美貌を際立たせている男は、不吉な予感を感じ
させずにいられないあの謎めいた微笑みを浮かべたまま言を継いだ。
「私は、レヴィアス様の命ならば忠実に守りますよ。そういった意味では私こそ最も信用
がおけると思いますが。……それよりも、私に似た姿をした方のことを心配した方が良い
のでは?」
「なんだと?」
「お美しい方だ。可憐なほどに。ゲルハルトは、──ああ、あなたに似た姿をした男のこ
とですが、節操と分別が足りない男でしてね。見た目が良ければ何でも良いようです。
 以前も私の容貌を気に入ったなどと言っていましたが、今回のこの姿は、ことのほか気
に入りのようでしたよ」
「……貴様」
「ふふ。……どうぞ私のことはお構いなく」
 氷の針を刺すような視線を投げたオスカーに、ユージィンはむしろ楽しむような言葉を
言ってのけた。
                                 イチベツ
 停戦協定がなければ殺してやる。たじろぐ様子もないユージィンに火の一瞥をくれると、
オスカーは月の死神に背を向け夜の中に走り出した。



SCENE 6


 この地の領主のものかと思われる館には、美しく整備された中庭がある。ただ、今は手
つかずの草むらへの途を歩み始めていて、草木の悲しみが聞こえるように思えた。
 日頃から些細な争いごとさえも厭う水の守護聖には、宇宙と陛下を守るためとは言え闘
いの中に身を置くことは苦痛にしかならない。春の陽差しのような穏やかな微笑みは憂い
顔の中に埋もれて久しい。
 今夜は尚更気が重く感じられ、リュミエールは竪琴を手に中庭を散策して己を慰めてい
た。やがて程良い木を見つけ、幹に背を預けるように座り弦を爪弾く。天を仰ぐと、竪琴
と同じ形をした月が促すように光を投げていた。月光に励まされ、白い頬に微笑が浮かぶ。
蝶のような優雅さで、指先と弦が戯れて美しい旋律を奏でた。
 1曲目が終わりにさしかかったとき、がさりと草むらの揺れる音がして、燃えるような
赤い髪の男が現れた。手を止めて男を見やり、露骨にならぬよう気をつけながらも警戒し
立ち上がる。
「なんだ。続けてくれて良かったのに」
 気安く声をかける男をいたずらに挑発しないよう細心の注意を払い、リュミエールは問
うた。
「私に何かご用でしょうか。──ゲルハルト殿」
 覚えてくれていたのか、嬉しいな。ゲルハルトはニヤリと口元を歪ませた。舐めるよう
な眼差しでリュミエールの全身を一通り眺め、より笑みを深める。リュミエールの背にぞ
わりと悪寒が走った。
「お前、キレイだな。ユージィンもなかなかキレイな顔をしてたが、今度の身体──お前
も同じくらい、いやそれ以上にキレイだ。俺好みだな」
 直截な台詞に相手の意図を知り、リュミエールは顔をこわばらせた。右後方に一歩下が
る──このままでは背後の木が邪魔で逃げられない。
 リュミエールが下がった距離の倍ほどの歩幅で、男はぐいと足を踏み出した。同時に手
が伸び、細い腕を掴む。腕から滑り落ちた竪琴が、足下で不快な叫びをあげた。
「はな、し、……っ!」
 木の幹に背を押しつけられ、男の顔が間近に迫る。業火のような赤い瞳から目をそらし
抗おうとして、掴まれた腕の痛みに顔をしかめた。
 リュミエールは、その容貌から察するほどに非力なわけではない。だが9人の守護聖の
うち随一の腕力を誇る炎の守護聖と比べればその差は歴然だ。そして目の前のこの男もま
た、同等の腕力を持っていることは容易にうかがわれた。
 炎の守護聖オスカーは、燃える炎の髪とは対照的な、凍てつく氷の色の瞳を持っている。
そのきつく見えるほどのアイスブルーの色彩が、彼の身の内にあふれる炎の気配を、程良
くうち消していたことにリュミエールは初めて気づく。目の前のこの男──ゲルハルトの
持つ禍々しい赤い瞳は、火に油を注ぐがごとく、凶暴で下劣な炎に支配されていた。それ
はまるで、手のつけられない山火事のような恐ろしさだ。
 顔を背けたリュミエールの首すじに、男の熱い吐息がかかる。
 力ではかなわない。恐怖と絶望にくじけそうになる腕に、それでも精一杯の力を込めて
抗った。
「やめ……っ」
「その手を放せ!!」
 夜の静寂を、炎の怒号が切り裂いた。ゲルハルトが素早く身を離し声の主を振り向く。
リュミエールも無意識のうちに声の主を瞳に捉えていた。
 現れたのは炎の髪。凍てつく瞳に怒りの炎をたぎらせて。
「オスカー」
 自分の声がその人物の名を呟くのを、リュミエールはどこか遠く、他人事のように聞い
た。
「俺の偽物か。停戦協定の意味がわからないと見える。──それとも覚悟の上か」
 視線はゲルハルトに据えたまま、オスカーの手が腰の剣に伸びる。ゲルハルトが小さく
舌打ちした。
「お前と闘うのは面白そうだが、今日はレヴィアス様にキツく止められてるんでな。遠慮
しとくぜ」
 言うなり男は姿を消した。あとには沈黙だけが残り。
「────リュミエール、大丈夫か」
 数瞬の間隙の後、オスカーがそっと口を開いた。強い意志と自信とを窺わせる眉は今は
ひそめられ、その下の氷蒼の瞳には、月光のように控えめな気遣いが浮かんでいる。
「──あ、」
 その声に我に返ったように呟くと、リュミエールは自分の腕を見つめた。夜目にもわか
るほど、蒼白な顔色をしている。ぴくり、と腕が揺れ、もう片腕がそれを押さえたが止め
られずに震えはじめた。両腕を自分で抱きしめ震える様は、悲痛としか言いようがない。
「リュミエール」
 ひくい声がして、力強い腕がリュミエールの頭を引き寄せた。大きな手のひらで肩口に
リュミエールの頭を押しつけながら、オスカーが呟く。
「本来なら、男に貸す胸は持ち合わせていないんだが、今夜は特別だ」
 気が済むまでここにいればいい────
 その声に、深い海の色をした瞳から透明な雫がこぼれ、オスカーの服を濡らした。いま
だ震えのおさまらない手でオスカーの服の胸元を軽く掴み、すがるように身を寄せて……。
リュミエールは人肌の温もりにすべてが癒されるような気がした。
「オスカー、」
 ありがとうございます……
 聞き取れないほどの呟きが、夜の闇の中に溶けていった。




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