夕食を終えると、2人はオスカーの部屋に引き上げた。オスカーが書棚から引っぱり出
してきた馬術の入門書を2人で眺める。初心者向けに、馬の扱いだけでなく、毛色による
呼称も丁寧に絵付きで説明がなされている。そこでマルセルは、リリィのような白っぽい
       アシゲ
毛の馬のことを葦毛と呼ぶことを初めて知った。
「──お、もうこんな時間なのか、早いな」
 時計に目をやり、オスカーが呟いた。見ると、確かにマルセルがいつも寝る前のバスタ
イムを楽しむ時間になっている。
 小さなため息のあと、オスカーの手がマルセルの頬を包んだ。もう片方の頬に、唇が押
し当てられる。
 近い位置で視線を合わせ、今度は唇にキスが降りた。ついばむような口づけの後、頬に
触れる手はそのままに、顔を離してオスカーが口を開く。
「名残惜しいが、そろそろ帰らないとな」
 途端、マルセルの心に昼間のランディの言葉がよみがえった。
『マルセルのこと、すごく大事にしてるんだなって』
 帰りたくない。
 突如としてわき上がった想いに押されて、マルセルはオスカーの袖を掴んでいた。
「マルセル。──束の間とは言え、おまえと離れなくてはいけないのは俺だってつらいさ。
だが、明日また会える喜びのために、──さあ、いい子だ、手を離すんだ」
 掴まれていない方の手が、マルセルの手に触れる。
 オスカーの温もりを感じ、マルセルは袖を握る手にいっそう力を込めた。
「マルセル、──さあ、立つんだ。邸まで送っていこう」
 オスカーが立ち上がり、マルセルを立たせようと腕を掴む。促されて立ち上がり、──
マルセルはオスカーに抱きついた。驚いて動きを止めたオスカーが、ため息をついてマル
セルの髪を撫でる。
「マルセル、」
「いやです。帰りたくない……」
「マルセル」
 オスカーの声が、咎めるものに変わった。
「なんで……。──ぼくが、子供だからですか? それとも、ぼくが男だからですか?」
 それは、突然心に浮かんだ、けれどずっとどこかで思っていたことだった。
「ぼくは、オスカー様が好きです。もっとあなたと一緒にいたい、もっとあなたのこと知
りたい、……もっと、あなたに触れたい……」
「────マルセル」
 沈黙の後に聞こえたオスカーの声は押し殺したように低く、マルセルはびくりと身を震
わせた。
「こんなこと言って……、ぼくのこと、軽蔑しますか? でもぼくっ……」
 ずっと思っていた。
 その手に触れられるたび。優しくキスをされるたび。
 大きな手に、うすい唇に、逞しい肩に、燃えるような髪に、もっと触れたい。頬に手に、
唇に、首すじに、もっと触れてほしい。
「──仕方のないぼうやだな」
 そっと肩を掴まれ、身体を離される。身を包んでいた温もりが消え、心細さに思わず顔
を上げると、そこにはひどく真剣な顔をしたオスカーがいた。
「オスカー様……?」
「俺が今までどんな想いでおまえを邸まで送り届けていたと思っているんだ……」
 目を閉じて、ため息のように低く。熱く掠れた声がマルセルの身体を絡め取り、胸の奥
に痛みをもたらした。
 そして現れた瞳に射すくめられる。
「おまえはまだ幼い。そう、何度自分に言い聞かせてきたことか。──だが、ずっと思っ
ていた。今すぐにでも、おまえの全てを、身も心も全て俺のものにしてしまいたいと」
 痺れるような痛みが熱とともに身体を駆ける。マルセルは、自分の意志とは無関係に瞳
が潤むのを感じた。
 言いたいことがたくさんあるのに、溢れそうな想いを伝える言葉が思いつかない。それ
に、今一言でも言葉を発したら涙がこぼれてしまいそうで、マルセルはただ唇を震わせた。
 オスカーの手が頬を撫で、わずかに開いた唇を親指が辿る。ぞくり、悪寒ではない何か
が背を走り、マルセルが一瞬目を細めた。
「マルセル」
 囁いて、顎を捉え唇を重ねる。ついばむ口づけを何度かくり返し、マルセルの口がわず
かに開いた時を見計らって、オスカーは歯と歯の間から舌を差し込んだ。突然深くなった
口づけに、マルセルが身体を強張らせる。
 オスカーと、舌を触れあわせるキスをしたことがないわけではない。けれど、こんな口
の中全てを舐め尽くされ貪り尽くされるようなキスは、初めてだった。
「んっ……ふ、ぁ……」
 激しい口づけについてゆけず、息苦しさに涙が滲む。
 舌先で歯列を辿られ絡めた舌を強く吸われて、その瞬間脚の力が抜けた。
 崩れ落ちそうになったマルセルの身体を、力強い腕が抱き留める。
「マルセル、──おまえが欲しい」
 耳元で強く囁かれて、マルセルの身体がびくりと揺れる。力の入らない手で必死にオス
カーの服を掴むと、オスカーは熱い眼差しの中に一瞬やわらかな光を浮かべ、マルセルを
抱き上げた。
 息をつめ、首にしがみつくと、いつもより力強さを増した鼓動が腕に伝わってくる。
 首すじに顔を埋めるようにしてマルセルがおとなしくなると、オスカーはあやすように
背を撫で、寝室へと歩き出した。





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