『ねえ、ランディ。‥‥私が突然死んじゃったらどうする?』
そんな言葉がオリヴィエの口から出たのはいつのことだっただろう。共に聖地で日の曜日の朝を迎えて、二人ベッドで微睡んでいたときのこと。オリヴィエはその時間が一番好きだといっていた。ヒトより少し高いランディの温もりを感じながらゆるやかに流れる時間が。
オリヴィエを腕に抱きながら微睡んでいたランディは、オリヴィエの言葉を聞いて思い切り顔を顰めたのを覚えている。
『どうして‥‥いきなり、そんなこと‥‥冗談でもやめてください。』
ランディはそういってオリヴィエを思い切り抱きしめた。抱きしめられたオリヴィエは窮屈そうに、でもクツクツと身体を揺らして笑いながら「悪かった」と謝罪の言葉を口にした。
少し怒りながら、でも困っているランディにオリヴィエは続けた。
『でも、もし。そうなることがあったらさ。あんたには色々やってもらうことがあるから。』
自分の腕の中からオリヴィエがいなくなることを考えただけでもこんなに苦しいのに。いったい自分なんかに何ができるのだろうとランディは思った。疑問の表情がありありと浮かんでいたのだろう、オリヴィエはぽんとランディの頭に手を乗せると言った。
『‥‥そんなに難しいことじゃないよ。私の私邸のこと、わかるのってあんたぐらいだから。‥‥もし、そうなったら―――私の大好きなもの、全部片づけて欲しいんだ。』
おかしな頼みだと思った。けれど、オリヴィエの表情は口唇は笑みの形を作っているものの、瞳に宿る光がいつになく真剣だったから。ランディは何も言わずに口をつぐんだ。
『‥‥残るものはランディ、あんたとの思い出と。――この温もりだけでいいんだよ。』
思いがけない言葉に目を丸くするランディの額にオリヴィエは小さな口づけを落とす。
その話は、そこで終わったはずだった。
だけれども。
皮肉なことにオリヴィエが「守護聖」でなくなったのはそのわずか数週間後だった。
務めの終わった守護聖は聖地をあとにした後は好きなところで好きなように暮らすことができる。それだけの保証がなされているのだ。だが、こういえば聞こえはいいが、要はただの監視だ。ランディとオリヴィエが一緒の時を過ごすのは叶わないことだった。
きっとオリヴィエのことだから。
どうせ保証してもらえるんだったらしっかり利用するべきだと好き放題我が侭を言ったことだろう。
そんな想像をしてランディは小さく笑みを漏らした。でもその笑顔には、どこか一抹の寂しさがあって。
あれから、気の遠くなるような時間が流れて、ランディはあのときのオリヴィエと同じ年齢になった。
自分の中のサクリアの減衰を感じはじめて、そろそろかなと思ったらやはりそうで。
あの人と同じ年齢で聖地を去ることになるなんて、そんな不思議なこともあるものなのだな、なんて思ってごくごく自然にそのことを受け入れることができた。
自分が聖地を去ることが決まって、最初に考えたのはやはりオリヴィエのことだった。
外界にいたオリヴィエと、聖地にいた自分とでは時の流れ方が違うから。
もうこの宇宙に彼が存在しないだろうことはわかっていた。
それでも見てみたかった。
オリヴィエが暮らしたところを。生きたところを。
任を解かれたあとの守護聖の生き様は重要機密扱いだ。私事のためにそれを見たいだなんて。ランディは迷った。
だが、結局その禁を犯した。
『海の覆う惑星』。オリヴィエが最期にいたところ。その名の通り表面の9割以上を海が占める小さな辺境の惑星だ。
いつだったか。
『私、海って結構好きなのよね。』
そうオリヴィエが言っていたのを思い出す。
ずっと雪の中に閉じこめられていたから、雄大な、何にも囚われない自然のままの海に惹かれるのだと、そういってオリヴィエは笑った。
『いつか二人で海へ行こう』
そんな約束もしたけれど、果たされることはなかった。
強い、これから冬へと向かう冷たい風がランディを斬りつける。
オリヴィエが好きだと言った、海が見える切り立った崖の上にランディはいた。
オリヴィエがいたという惑星まできてはみたけれど。、もう彼が生きた証なんてどこにも残ってはいなかった。
そんなこと理解ってはいたけれど、ランディはあのオリヴィエの言葉が気にかかっていたから。ここに来ずにはいられなかった。
何もかも失われて、もう処分するものもない。オリヴィエが言ったとおり、ただ、今失くしていないのは自分の温もりと二人で過ごした時間の思い出。
そしてそれらは自分が朽ちるときまで失われない。
ランディは両手いっぱいに花を抱えていた。
もう自分には何もする事ができないから
やはりオリヴィエが好きだと言っていた、薫り高い、雪のように白い花。
故郷の真っ白な雪と重なって、厳しい寒さを思い出すけれど、やっぱり自分を作ったのはあの惑星だからと。
よくオリヴィエの私邸にも飾ってあったものだ。
一瞬躊躇って、ランディはその花々を何もない空間へと放った。
花弁が散って宙に舞う。
真っ白なそれは雪のように、暗く荘厳な海へと吸い込まれていく。
すべてが夢散していくような、そんな感覚。
奔放で清冽な彼が。網膜に焼き付いている様々なオリヴィエの表情が。
その脳裏に浮かんできてランディは口唇を咬んだ。
オリヴィエが聖地を離れる時でさえ流れることのなかった涙が、ただ頬を伝う。
それに気がついたとき、初めてランディはオリヴィエに”会いたい”と思った。
強く拳を握り俯いて、波間を見つめた刹那。
ランディの横を季節に似合わないあたたかな風が流れる。
『私はここにいるよ、ランディ―――』
そう、オリヴィエの声が聞こえた気がして。
ランディは顔を上げ天を仰いだ。
うすく灰色がかっていた空には 光が射しはじめていた。
fin.
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