ふ、と息をついて額の汗を拭うと、後ろから声をかけられた。
「おや、頼久は何か悩みでもあるのかい? 及ばずながら話を聞こうか」
「──友雅殿」
 相変わらず読めない男だ。藤姫の警護に就くようになってからのつき合いだから随分長
いが、頼久はこの男が背後から近づく気配を読めたことの方が少ない。
「いつにも増して仏頂面に磨きがかかっているよ。それで屋敷の中を歩かれてはたまらな
いね。小さき姫君は慣れていらっしゃるようだが、愛らしい女房たちがお前を恐れてこち
らに渡って来なくなってしまう」
 たまらないと言いつつ少しも意に介さない様子でゆるりと笑う。優雅な笑みは、それだ
けで数多の女性を虜にするのだろうが、相手が頼久では何の威力もない。
「それで? 朴念仁の心に恋を教えたのは、一体どちらの姫君なのかな?」
「……は? 何の話をしておられるのですか。恋など……」
「おや、違うのかい? 見ているこちらまで切なくなるような顔をしていたよ。よほど難
儀な悩みなのかと思ったのだが」
 ちらり、深い色の瞳を頼久に向ける。その様子は悩める若者の姿を心配しているように
も面白がっているようにも見えた。
「天真の……、妹のことなのです」
 かすかに目を伏せ、頼久は呟いた。
 鬼の一味の一人、ランと呼ばれる少女を、天真は三年前に行方不明になった妹だと言う。
面影はかけらもないように見えるが、光を宿したときの瞳の輝きや苦痛にしかめられた眉
などに、確かに血縁を窺わせるものがある──と、つい先日、気がついた。
 激しい気性のせいか好き嫌いの感情だけで動いていると思われがちな天真であるが、あ
れでけっこう前後をきちんと考えている。だがランの──妹のことになると頭に血が上る
らしく、他愛もない策にかかり傷を負うことも少なくない。そんなときの天真の表情は、
悲痛としか言いようがなく、見ていて辛い。特に頼久には、幼い頃の自分と、若気の至り
で犯した罪が思い出され、なおさら辛いのだ。
「天真は……、何もかもを自分一人でやろうとする。それが……、見ていて辛いのです」
 一人でできることには限りがある。一人で何もかもが成し得るならば、何のために龍神
の神子のもと、八人の人間が集ったというのか。天地の青龍──対となる自分がいるとい
うのか。
 黙って頼久の言葉を聞いていた友雅だったが、やがて濡れたように光る黒髪を掻き上げ
苦笑を漏らした。
「頼久、その告白は、私にではなく本人にしてやりなさい。一人で思い悩むのはお前らし
いが、それだけでは何も変わらないよ」
「……友雅殿?」
「天真が心配なのだろう? ならば、そう言ってやればいい。お前には私がいる、辛いと
きには私を頼れ、とね」
 そう言って聞く相手ならとっくの昔に言っている。顔に書かれた頼久の返事に、友雅は
また笑みを漏らした。
「まったく、世話が焼けるねお前も。真摯な言葉は人の心を打つ、行動もまた然りだ。お
前ほどの朴念仁なら、たった一言の告白でも、数多くの姫は心を揺り動かされるだろうよ」
「……何の話をしているのですか」
「お前の悩みについてだよ」
 至極当然といった顔で友雅は答えるが、頼久にはさっぱり訳が分からない。
「お前は少し、考える前に行動することを覚えた方がいいかも知れないね」
 話の展開についていけない頼久にさらに謎の忠告をして、友雅は来たときと同じ唐突さ
で去っていく。残された頼久は、先刻よりさらに深刻な顔で天を見つめ地を見つめ、額に
かかる髪を掻き上げた。


                    *                  *                  *


 ざ、と土の擦れる音に頼久は振り返った。裏庭の方角だ。おそらく天真だろう、泰明の
結界が張られたこの土御門殿には、怨霊の類や賊などは、そうそう侵入できない仕組みに
なっている。
 それでも頼久が夜の見回りをやめないのは、ひとつは万が一のことを考えて、そしても
うひとつ、人知れず無茶を重ねる相棒が気がかりでとてもじゃないが寝付けないから、と
いう理由がある。
 着地の音がいつもより荒いのが気になって、頼久は迷わず裏庭へと足を向けた。今宵は
満月、朧に霞がかる月夜は闇の眷属に力を与える。左耳の後ろに、かすかに灼けるような
痛みを感じていた。


「おっ、頼久じゃねーか。何だよ、お前も散歩?」
 そんな台詞をぬけぬけと……。眉間に寄ったしわから頼久の心情を察し、天真はバツが
悪そうに頭を掻いた。色の薄い髪が月光に透けて、鳶色や琥珀、伽羅の光を放つ。
「あー、……んな顔すんなって。……黙って抜け出したのは悪かったけどよ、ほら、ちゃ
んと戻ってきたし、何も問題ないだろ」
「天真、」
「睨むなよ。眉間のシワ、マジで取れなくなるぜ。お前ただでさえ仏頂面なのによ」
 まあ、その方が番犬には向いてるけどな、と天真は笑った。心を開いた者にしか見せな
い、屈託のない笑みだ。初めて会ったときは敵意むき出しで、こんな顔で笑う姿など思い
もよらなかった。
「そんじゃ、俺、もう寝るわ。おまえも無理しねーで早めに寝ろよ」
 片手を上げるだけで挨拶をすまし、天真が身を翻す。誰のせいでこんな時間に見回りな
どしていると思っているんだ、苦々しい思いで後ろ姿を見送る頼久が、ふと異変に気づい
て後を追った。
「天真。──足、怪我をしたのか」
 よく注意して見ないとわからないくらいではあったが、歩き方が、少しおかしい。腕を
掴んで引き留めると、舌打ちして顔をしかめ、天真が振り返った。
「ちっ……、何でこんな暗いのに気づくんだよ。別に、ただちょっとひねっただけ──っ
お、おい、頼久!?」
 腕を離そうとする天真を、有無を言わせず手近な空き部屋に引っ張り込む。咄嗟に痛め
た足をかばって半ばしがみつく形で歩かされた天真は、床に無理矢理座らされると顔中に
文句をちりばめて頼久を見上げた。
「おいっ、いきなし何すんだよ!」
「見せてみろ」
「いいって平気だっ……っツ、」
「ほら見ろ、どこが平気だ」
「お前が乱暴にするからだろ!?」
「お前がおとなしくしていないからだ」
 ぐっと言葉に詰まり、天真は乱暴に息を吐くとふてくされたようにそっぽを向いた。床
に手をついて上体を支え、好きにしろと足を投げ出す。
 履いていた靴を脱がせ足首に触れると、右足の内側が、かすかに腫れているようだった。
ほかに外傷はなく、ひとまず胸を撫で下ろす。
 天真は足が大きい。頼久より、いや頼久の知る限り一番大きい足を持つ天真だが、その
大きさは逆に骨張った足首の細さを強調させるようで、頼久は知らず知らずのうちに天真
の脚を押さえる手に力を込めていた。
「……おい、頼久?」
「天真。──私では頼りにならないか?」
「あ?」
「何もかもを一人で背負おうとするな。何のために八葉が──私がいると思うのだ」
 お前に言われたかない……、呆れて言い返しかけた天真だったが、思わぬ強い眼差しに
出会い、口をつぐんだ。
「妹のことを心配する気持ちも、決着を急ぎたい気持ちもわかる。だが無茶はしないでく
れ。こんな、夜中に屋敷を抜け出して……、お前にもしものことがあったらと思うと、心
配で夜も眠れない」
「な……っ?」
「お前を失いたくはないのだ。私のいないところで無茶なことはしないでくれ、一人で抱
え込まず、辛いときは話してくれ。──お前の、力になりたい。いつでもお前のそばにい
るから」
 カァ……ッと天真が全身を朱に染めた。
「な……っに言ってんだお前……っ。そーゆーのは好きなヤツに言えっ……」
「──お前も、これを恋だと言うのか?」
「あぁ? お前も、って何だよ」
「友雅殿が……。私が恋をしていると」
「友っ……!? 何でよりにもよってあいつに……っっ」
 人をからかうことを生き甲斐にしているような人物に知られては、次に会ったとき何を
言われるかわかったものではない。見えない敵に身構える天真を、頼久の真剣な眼差しが
捉える。
「天真。──これは恋なのか?」
「……っ聞くなよ俺にっっ……」
「私はただお前を大切に思っているだけだ。同じ八葉の、──青龍の仲間として、かけが
えのない心の友として、」
 んぐ、とこもった声を上げて頼久が言葉を途切れさせた。天真の手が頼久の口をふさい
だのだ。
「お前なぁっ……、普段無口なクセにこーゆートキばっか恥ずかしいことべらべら言いや
がって……っ」
 赤い顔で頼久を睨みつけながら、うっすらと汗をかいた額を拭って天真が口を開く。
「いいかお前落ち着いてよく聞けよ。友雅のヤローに何吹き込まれたか知らねえけど真に
受けてんじゃねぇぞ。俺のこと大事な仲間だって言ってくれんのはいいよ、……まあ、俺
も、……お前のこと、そう、思ってるし……。けどっ、それとこれとは話が別だろ。だい
たいお前、俺は男だぞ、それで恋とか言ってたらホモだぞホモ!」
「ほも……?」
「……っ稚児趣味とか男色とかいうヤツだよっ、この時代にもあんだろそういうのっ!」
「ああ…………そうか……」
 今初めてその点に思い至ったらしい頼久に、天真は頭を抱え、お前なぁ……と低く呻い
た。
「だが私が大切なのはお前だけだ。お前に辛い顔をさせたくない、守りたい。お前のそば
にいたいと……、そう、思うだけだ」
 至極真面目な顔で、頼久は言葉を継ぐ。
「おっおい……っ、ちょっ、頼久!?」
 左肩の、ちょうど宝珠の埋まる位置に口づけられ、天真が焦った声を上げた。
「この宝珠が……龍神の導きがあったからこそ、私はお前と出会うことができた。この不
思議な縁を、私は逃したくない」
 天真。名を呼んで、頼久が顔を上げる。伸ばされた手が頬に触れ、近づいてくる端正な
顔に、天真は思わず目を閉じていた。
 吐息が掠め、乾いた唇が触れる。驚いて押しのけようとした手首を掴んで、床に倒れ込
んでなお口づけは続き、さらに深さを増した。
「ふっ……あ、頼、久……っ」
 首を振りもがいて、吐息の合間に訴えが漏れる。
「やばっ……いっ……て……、シャレんなんね……っ」
「冗談などではない」
「ちが……っマジ、やば……」
 何がどう「やばい」のか、聞き返そうと、腕立て伏せのように上体を起こしかけた頼久
が、ふと気づいて目線を下に向けた。
「……これか?」
「ッ待て頼、……っ!」
 情熱の在処を探られて、制しかけた天真が声を詰まらせた。頼久の手の下で、わずかに
存在を主張しはじめているそこは、浅く息をつく天真の胸と同じ緊張に満ちていた。
「──天真、……これは、私に応えてくれると取っていいのか……?」
 眉を寄せた天真の沈黙を、頼久は諾意と取った。脚に触れる手に力を込め、もう片方の
手を合わせから滑り込ませて素肌を辿る。決して小柄でも華奢でもない天真の身体は、肩
や肘など、まだ筋肉がつききっていないのだろう、足首と同じように骨張っていて、どこ
か必死に毛を逆立てる子猫を思い起こさせた。ずっと、そうやって生きてきたのだろう。
妹がいなくなってからずっと。弱みを人に見せずに、人に頼らずに。
「天真……」
 吐息交じりに囁いて、背を抱き胸に口づけた。下衣をくぐり抜けた手が、直接情熱に触
れる。
「っあ……っ」
 苦痛に呻くときにも似た声が、頼久を刺激した。
「よっりひさっ……待てっ……」
「待てない」
「違う……っ、──くそっ、お前も脱げよっ!」
 ぴたり、頼久の動きが止まった。
「これじゃあ俺が一方的にヤられてるみたいだろっ……」
 赤い顔で睨んでくる天真に、自然と頬が緩む。
 これほどまでに誰かを愛おしいと思ったのは初めてだ。微笑んで、頼久は自らの衣服に
手をかけた。


「────はぁーっ、信じらんねー……」
 胡座をかいた状態で、軽く着物を肩に羽織り、天真はがしがしと髪を掻いた。
「くそっ、頼久お前むっつりスケベだったんだなっ」
「むっつりすけべ……?」
 聞き返した頼久に答えず、天真はまた髪を掻き乱す。
「天真、何を怒っているのだ?」
「怒ってねぇよっ! ──っつーか、ああもう、明日どんな顔して会えってんだよ……」
「明日……?」
「朝稽古! 何もなかったかのよーに平然と振る舞えるほどデリカシーのない男じゃない
ぞ俺は!」
「──ああ……。そうか、それは困るな……」
 でりかしー、という言葉はわからなかったが、言いたいことは何となくわかる。思案顔
で黙り込んだ頼久にちらりと目をやって、天真は天井を見上げて呟いた。
「まぁ、今考えてどうなるってもんでもないけどな……。──あっ! 言っとくけどヘン
に手ぇ抜いたりしたら承知しねぇからな! それはそれ、これはこれだ!」
「ああ、わかった」
 苦笑しつつも頼久が頷いたのを見て、天真がすっと立ち上がった。手早く帯を結んで振
り返る。
「じゃあ、俺もう寝るから。おまえも早く帰って寝ろよな。──また、明日な」
「──天真、」
 今にも立ち去りそうな勢いの天真を、頼久が慌てて引き止める。
「何だよ。──そんな情けないカオすんなって」
 しょうがねぇヤツだな。優しい笑みを浮かべて、天真の手が頼久の前髪を掻き上げた。
身をかがめ、額に口づけて、──同じ場所をぺしと手ではたく。
「ほら、シャッキリしろ。明日は清涼寺まで行くんだろ。ちょっと遠いからな、怨霊もそ
ろそろ復活してるかも知れないし。──ま、俺はあそこ好きだけどさ」
「そうだな」
「じゃあ、……おやすみ」
 おやすみ、と返すと、天真はそのまま部屋を出ていった。足音が聞こえなくなるまで耳
を澄まして、頼久も立ち上がる。
 廊下に出て夜空を見上げると、月には相変わらず霞がかかっていたが、嫌な予感はせず、
薄い雲が月を抱きしめているようにも感じられた。
 天真の唇が触れた左耳の宝珠に手をやって密かに微笑み、頼久は自室へと戻るべく歩き
始めた。
                                           fin.




こめんと(byひろな)     2001.8.19

理真さん&絵真さんのサイト【FRUIT SABEL】のサイト開設祝い第1弾、頼天for絵真さんですv
頼天書くのは初めてだったので(っていうか遙か創作書くのが『桃源郷』『春の夜の贈り物』に続いて3作目)、頼天てこんな感じで良いのかなぁと思いながら書いたお話。頼天、サイトでもイベントでもあまり読んでいないので。ひろなはどっちかというと心持ち天頼派(好きなキャラが攻めになる私。──ヘン?)なんですが、けっこう、いやかなり、楽しく書けました。先入観がない分、自分の中でのスタンスそのままで書けた気が。お二人にも気に入っていただけたようで、良かったです♪ しかしお二人とも同じトコがツボだったらしく、感想カキコいただいて笑いました。さすが双子! さて、どこでしょう? ……そう、天真のでこちゅv&でこぺし(笑)。ひろな的にも好きなシーンですvv 天然で暴走(?)する頼久もグッド(笑)。この二人、一見オレサマな森村が振り回してるように見えますが、きっとなんだかんだで森村振り回されると思うんですが……(笑)。
ところで。ひろなのイチオシラブはもちろん天真くんですが、なぜか二番目は友雅だったりします(ちなみに頼久は……5番目、いや4番目かな?)。この話でも必要以上にでばっていますね(^^;)。なんでかなぁ……。やばいの、書きやすいのよこの人(笑)、やばいなぁ…………。

そうそう! 絵真さんが、このお話を読んで絵を描いてくださいましたv 天真くんです♪
 → ココからどうぞv






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