年上の人


「しゅーすけ」
 その言葉が聞こえてから何を意味するか悟るまで、皆の頭の中では様々なタイムラグが
あった。
「──センパイ、ちょっといっスか」
 聞きながら答えを求めず、リョーマの腕が「しゅーすけ」センパイの腕を掴む。
 呆然とするしかない部員たちの間を縫って、我関せずの無表情をしたリョーマと感情の
読めないいつもの微笑を凍りつかせた不二周助が通り過ぎていった。
 事情を知りうる若干の者たちが万感の意を込めてため息をつく。事情を知らない者たち
は、目にも止まらぬスーパープレイを見せられた観客たちのように、ただ呆然とし続ける
しか術がなかった。


「けっこう、子供っぽいコトするんだね」
「──子供ッスから」
 聞こえた声から相手の見えない表情を想像して、不二は小さくため息をついた。その頬
には微苦笑が浮かんでいるのだが、前を行くリョーマにそれが見えないのは幸いなことで
ある。知られたら、王子のご機嫌をより損ねてしまうのは確実だ。
「あてつけか何かッスか。見せつけてんの? それとも、ただの嫌がらせ?」
 素晴らしい濡れ衣だ。不二は思ったが、軽く肩をすくめるだけに留めておく。──それ
がまた、リョーマの子供っぽい自尊心を傷つけることを知ってはいたが、それくらい許さ
れても良いだろうと自己弁護をした。
「嫌がらせも何も、僕は先輩として当然のことをしただけだよ」
 テニスに限らず、何事においても先達の教えを受けずに上達することは難しい。
「だからって何でアンタがやんの。通常練習とレギュラーの特別練とで忙しいアンタが、
わざわざ」
「僕の他に、誰かきちんと教えてあげられそうな人を探すより、自分がやった方が手っ取
り早いと思ったんだよ。将来の青学のためにも、その方がイイよね」
 正論だ。そして事実だった。この妙に大人びた、けれど時折こんなに子供っぽい恋人に
対して、不二の中に何か特別な思惑があったわけではない。
 言外に、自分がこの青学テニス部を引っ張っていく立場になったときのことまで考えて
いることを告げられて、黒い大きな瞳がかすかに揺らいだ。立ち止まり、掴んでいた腕を
解放してちらりと肩越しにポーカーフェイスを見やる。
「そんなの……オレにしてくれたことないのに」
 結局ただのワガママだ、くだらないヤキモチだ。自覚はあったので、リョーマは敢えて
口にすることでその感情を身体の中から追い出すことにする。すると、しばらくして不二
が吹き出しくすくすと笑い始めた。同じように見える笑みの中、瞳の奥に感じるのは優し
い感情だ。子供じみたことを言った自分が許されたことを知って、リョーマはそっと安堵
の息をついた。
「やだな、今更君に教えることなんて何もないだろ。むしろ僕のほうが教えて欲しいくら
いだよ。──ドライブBの攻略法とかね?」
 いたずらっぽい眼差しに、拗ねて尖らせていた唇の端に不遜な笑みが復活する。
「オレの、イイトコとか、好きなトコとか?」
 打たれ強いのは良いが立ち直りが早すぎるのはどうしたものだろう。呆れと諦めを感じ
ながら、不二は殊更にっこりと微笑んで見せた。
「中一のコドモが言う台詞じゃないよね」
「アメリカ帰りッスから。って言えばいい?」
 動じないアンタも人のコト言えないよね。しれっと返されて、不二の微笑みがわずかに
揺らぐ。どうしてくれようか。少し痛い目を見せてやろうという気持ちが、今ちょっとだ
けわかってしまった。
「父親がよく海外に出かけるもので。とでも言えば満足かな?」
 だけどね越前君。不二の声音が若干温度を下げた。
「強大な敵が現れても怯まない君はえらいと思うけど、自ら敵を大量に作ろうとするのは
やめてもらいたいな。部内の志気にも関わる──って、手塚に文句を言われるのは僕なん
だけど。監督不行届だって。良い迷惑だよ」
「弱い奴が何言ったってオレは、」
「君自身が良くても周りは良くないの。スポーツやってる人が全員スポーツマンシップに
則って生きてるわけじゃないってわかってるよね」
 不二の口調の思わぬ強さに、リョーマは反論を飲み込んだ。出る杭は打たれるとことわ
ざにもある。それは当たり前のことだ。そしてある程度は仕方ないことでもある。それく
らい意に介せず突き進むくらいの強気は持っていないと、上を目指し続けることなんかで
きやしない。
「アメリカ帰りの自分勝手なコドモには単純明快な言葉で言わないとわからないかな。部
内の志気も手塚の説教もどうでもいいよ、──心配させるなって言ってるんだよ僕は!」
 互いに弁が立つから放っておくといつまでも腹の探り合いになる。不二は一気に決着を
つけることにした。早く部室に戻らないとまたいろいろと言われて面倒だというのも少し
ある。
 いきなりの直球に、リョーマは思わず目を瞬かせた。見上げた不二は微笑みを消して、
射抜くような眼差しでリョーマを見下ろしている。
「……オレのこと、心配?」
「君、自分の立場わかってる?」
「────アンタの、恋人」
「ふうん、そう」
 リョーマは左手をそっと伸ばして不二のジャージの裾を掴んだ。近寄りもしないが遠ざ
けもせず、不二はそのまま立っている。
「…………ごめん」
 俯いて小さく呟くと、不二が大げさにため息をついた。
「謝ってもらいたくて言ったんじゃないんだけど。むしろ謝って欲しいのはあっちだな、
部室の、」
 人のこといきなり周助なんて名前で呼んで。
「不二先輩、」
「うん、そう……って、──越前君?」
 一歩を踏み出したリョーマに抱き締められて、不二は汗に濡れた黒髪を見下ろした。
「不二先輩。好きっす。オレ、アンタが好きだ」
 目を瞠った不二が、ゆっくりと息を吐き出して緊張を解く。
「越前君。僕、一応先輩なんだけど」
 せっかくの告白をはぐらかされて、リョーマがむっと眉を寄せた。抱き締めた身体を離
し、指摘されたばかりのことも忘れて挑発の言葉を口にする。
「一応なんだ」
「一応じゃなくてれっきとした先輩。──こんな時まで「アンタ」なんだ」
 まあ君らしいと言えば君らしいけど。わざと拗ねた口調で不二が呟く。優位に立ってい
るとわかっているからこその態度だ。
「じゃあ、「君が好きだ」?」
「「君」も年上の人に使わないよね、現代日本では」
 追いつめられて、リョーマは降参を余儀なくされる。けれどリョーマはそれを口にする
ことに抵抗を感じていた。負けることではなく、負けたその理由を知られたくはない。─
─コドモじみた、ただのワガママだとわかっているから。
「ヤだ……」
「越前君?」
 リョーマの小さな呟きに、不二が身をかがめて覗き込む。身長差があるから仕方ない、
そのうち追いつくこともわかっている。けれど今のリョーマにとって、それは埋められな
い年の差を強調させるものでしかない。
「「あなた」はイヤだ。────“年上の人”みたいじゃん」
 ひどく悔しそうに負けを白状して、リョーマはふいと顔を背けた。頬に伸ばしかけた不
二の手が、その直前でぴたりと止まる。瞬きをしないままじっと横顔を見つめていると、
リョーマが唇を尖らせた。
「悪かったっすね、コドモで」
 ひとつ瞬きをして、不二が頬を緩ませる。
「僕、まだ何も言ってないよ?」
「言ってなくてもそんくらいフツーわかると思うんスけど」
 ふてくされた投げやりな口調に不二が笑いの息を洩らした。
「──“みたい”じゃなくてほんとに“年上の人”だよ」
「わかってますよ」
 睨むように見上げてくる真っ黒の瞳に微笑みと吐息とを返し、不二は自分よりまだ小さ
い身体を抱き寄せた。
「これってやっぱり普遍の真理なのかな」
「先輩……?」
「越前君、イイコト教えてあげる。──テニスでも何でも、追う立場より追われる立場の
方が大変なんだよ」
 吐息のように囁いて、汗に濡れた前髪越し、こめかみに唇を押し当てる。驚いたリョー
マが顔を上げたときには、不二の身体はすでに離れ、部室へ戻る道を歩き始めていた。
「不二先輩!」
 思わず呼び止めると、いつも通りに微笑んだ不二が振り返った。
 リョーマはわざと、生意気だと言われる不遜な笑みを口元に浮かべた。
「心配なんかいらないッスよ。すぐに追いついて、負かしてあげますから」
 いつか校内試合でネット越しに対峙した時を思い出す。目を合わせると、表情から同じ
ことを考えているとわかった。
「楽しみにして待ってるよ」
 そう言って、不二は先に歩き出した。




                               fin.





こめんと(byひろな)     2002.5.22

突発書きリョ不二創作。──突然ネタが浮かんで(「あなた」はヤだ。ってやつ)、どうしても書きたくなって一気にがーッと書きました。書きたいこといろいろ、整理しきれていない自覚はありますが、ごめん、そのまま載せちゃいます。若気の至り、イキオイで(笑)
リョ不二はですね、あの雨にジャマされた対戦のように、二人とも相手に勝つ気まんまん(笑)でいて欲しいですね。これが塚不二だと不二先輩「いいよ、別に」とか言ってあっさり負けてくれちゃったりするんですが(とか言いながら、試合に負けて、勝負に勝つって感じ? 笑)。あとはリョーマが逆年齢差のコンプレックスを持っていてくれると、年下攻め好みの私としてはグッと来るものがありますv 無敵の不二先輩を振り回す史上最強のルーキーよりも、大胆不敵だけどやっぱり不二先輩にはあとちょっとのところで及ばないリョーマのほうが好み。だってそのほうが将来楽しみじゃん!(笑)←青田買いの女(^^;)。





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