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私の山日記2012

 スポーツ健康科学によると《登山は自然を楽しみながら、都会生活で陥りがちな運動不足を解消し、 コレステロールや中性脂肪を下げる働きがある。 人は一日1800〜2000キロカロリーのエネルギー量で生活しているが、山登りは一日5000キロカロリー前後を消費する》とあります。 遭難や事故の原因となる筋肉疲労や体調不良は普段の健康管理が大切です。 私は特に筋力の衰えと体重の増加に気をつけ、乗り物は極力避け可能な限り歩くようにしています。 『私の健康は山歩きにあり!』と理由付けし、今年も健康で多くの山歩きが出来れば幸せです。


大山(おおやま)から広沢寺温泉へ

2012年(平成24年)1月9日

年賀状  元旦に届いた居酒屋店主(中学同級生)からの年賀状、滝の水口が竜の頭で相州大山良弁ノ滝と書かれていました。 気になったのでPCで検索すると《良辯滝(良弁ノ滝)755年の大山寺開山に良辯僧正が入山、最初に水行をおおなった所》 場所は神奈川県丹沢山系大山の表参道でした。久々に大山に登ってみたくなりました。 良弁ノ滝には興味があるのですが、観光客や若い登山者の多い表参道は少々苦手です。 いつもの様に小田急線秦野駅からバスでヤビツ峠へ、この時期の登山者は少ないと思っていたのですが、 今日は小学校高学年男女の団体でバスは超満員、登山道の渋滞を予想し準備運動もせずにイタツミ尾根を登り始めました。 イタツミ尾根は途中富士山眺望のポイントもあり、一汗かくだけで大山山頂到着、山登りから遠ざかっていた時には最適なコースです。 今日の天気予報は曇りだったのでコンパクカメラのみ持参したのですが、 予報に反し頂上は快晴、眩しい雪の富士山、一眼レフを持参しなかった事、後悔しました。 下山は唐沢峠から不動尻を通り広沢寺温泉へと進みました。暖かく穏やかな冬の山歩きでした。


 白銀の大岳山(おおだけさん) 

2012年(平成24年)2月5日

大岳山  奥多摩の御嶽山(みたけさん)ケーブルカー乗車中『今年二度の降雪で御嶽山頂上付近は30cmの積雪、気温はマイナス5度』と アナウスがありました。 御嶽山の標高は929m、1000mにも満たない山です。経験上北側尾根のみ残雪有りと予想していた私は想定外の積雪に驚かされました。 御嶽神社までは除雪されていましたが、その先は二本のストックを取り出し雪の登山道を登りました。 キシキシと雪を踏む心地よい足音、何十年振りでしょうか。二十代の頃、毎年恒例だった正月の冬山を思い出し、気分良く登りました。 雪に覆われた大岳山山頂では今年二回目の富士山とのご対面、早速ザックからカメラを取り出しましたが、 煙霞の富士山はフイルターを付けた一眼レフでも無理でした。 早めの昼食は定番のカップ麺、ポットのお湯では少々ぬるめの出来上がり、湯沸かし道具を持参すべきでした。 普段インスタント麺類は殆ど食べませんが、 寒い時期、勝景な山で食べるカップ麺(好みはN社のシーフード○○)は私にとって超豪華な昼食です。 下山時は簡易アイゼンを付け、鋸山から大ダワへ、避難小屋の裏からのは足跡僅かな雪の登山道を心細く降りました。 その後登山道が林道と合流、厚く凍り付いた舗装道路はアイゼン無しでは歩けない状態、集落の近くまで緊張した林道歩きでした。


 浅間尾根(せんげんおね)と浅間嶺(せんげんれい) 

2012年(平成24年)3月4日

払沢ノ滝  武蔵五日市駅から都民の森行きバスに乗り浅間尾根登山口で下車しました。 昨日の好天とは違い灰色の天空からは雪がチラホラ、本降りになったら下山し、 バス待ちの時間を利用し湯に浸かろう、などと考えながら登り始めました。 泥と残雪の急坂を一時間登ると浅間尾根にでました。 比較的なだらかな浅間尾根は祠や石仏などが多く、江戸時代甲州中道と呼ばれ盛んに利用されたそうです。 此処東京都檜原村(ひのはらむら)は、都の島部を除くと唯一の村、縄文時代の住居跡が幾つも発見されているとか。 今日の中間点浅間嶺(せんげんれい)は唐松の山道より少々高いところ、周辺にはトイレや休息舎そして幾つものベンチもありました。 先月登った大岳山を眺めながらの食事予定が生憎の曇天、濡れたベンチにシートを敷き暖かいカップ麺で雪見の昼食を取りました。 浅間嶺からの尾根歩きはいつしか林道に変わり時坂峠へ、其所からは林道を避けるように人家が点在する急坂を道標に従い降りました。 坂が緩やかになり舗装道路をしばらく歩くと払沢ノ滝バス停到着、道草もせず順調な下山はバス発車時間まで約一時間の余裕、 日本の滝百選・払沢(ほっさわ)ノ滝で滝見を楽しみました。


 三頭山(みとうさん) 

2012年(平成24年)3月18日

三頭山  今日の武蔵五日市駅前都民の森行きバス乗り場は閑散としていました。 先々週は臨時バスを増車するほどの賑わい、今日は空席有りのラクチン乗車、天候の影響だと思います。 昨日は一日中雨降り、今日の予報は午前中曇り午後から雨でした。 (BIGLOBE.17日16時発表の18日檜原村天気予報は降水確率0%) 都民の森から鞘口(さいぐち)峠へ、雪のため15分のコースが所要時間20分でした。 峠からは凍結が酷く危険なので簡易アイゼンを付けました。 予定より大幅に遅れ三頭山西峰着、お昼にしました。 正午予報通り霙混じりの雨が降り始めましたが先へ進みました。 三頭山避難小屋までは登山者を見かけたのですが、大沢山からは人の気配がなく寂しい尾根歩きが続きました。 槇寄(まきよせ)山付近からは本降り、予定を変更し西原峠から下山しました。 予定ではこの先笹尾根の笛吹(うずしき)峠から東京側のバス停へ下山するつもりでした。 仲ノ平バス停14時43着、バス到着時間は15時43分、雨宿りも出来ないバス停に1時間のバス待ちは退屈なので檜原街道を歩くことにしました。 45分後に本来の下山予定地、笛吹入口バス停到着、屋根付の待合所でバスを待ちました。


 蕎麦粒山(そばつぶやま) 

2012年(平成24年)4月8日

 新松戸駅府中方面行き武蔵野線始発は5時14分、西国分寺駅と立川駅で乗り換えて奥多摩駅7時46分着、 東日原行きバスは8時35分発で9時頃到着、 昭文社山と高原地図の蕎麦粒山行程は6時間45分、夕食までには帰宅したいので16時17分発のバスで帰りの途、これが本日の予定です。 8時35分発バスは2台で運行、乗客の多くは川苔橋下車、終点までの登山者は20数名、皆林道を先へ進みました。 少し後戻りし、ヨコスズ尾根に取り付いたのは私のみ、 此の山域は登山者が少ないとガイドブックに書かれていたこと、如実に感じました。 一杯水避難小屋手前で大型ザックを背負った登山者に追いつきました。 酉谷山に向かうとか、奥秩父や此の付近の山には精通しているらしく、私に対する奥秩父登山の勧めは熱いものを感じました。 私の過去から現在までの復数日の山行きは北・中央・南(北部)アルプスと八ヶ岳が主、奥秩父は両手の指で数えられる程度です。 私の登山感を主張することなく、分岐点の一杯水避難小屋まで会話を楽しみました。 久々の6時間超え山行きには一抹の不安を感じていましたが、蕎麦粒山頂上では1時間の休憩、東日原バス停に戻ったのが15時30分でした。 バス停のベンチには先客が2名、内一人は70歳代の登山者で頬はピンク色、缶ビールを飲んでいました。 後から到着したもう一人の70歳代登山者も缶ビールを飲み始めました。 酒屋が数十米先にあることに気づきましたが、夕食まで我慢することに決めました。 (帰途の車内では隣席の団体さんが酒盛り、生唾をゴックン!)


 御嶽山・日の出山(みたけさん・ひのでやま) 

2012年(平成24年)4月22日

 悪友が去って12年、十三回忌の追悼の意味を込めて御嶽山に登りました。 数多くある彼との山歩きで強く印象に残っている山の一つが奥多摩御嶽山です。 四十数年前の正月、初詣代わりに登った山、帰宅後彼のお母さんに強く叱られたこと、今も記憶にあります。 古里駅から丹三郎集落の登り口へ、私の他登山者は三名と寂しい山歩き、好天が望めない天気予報が原因なのでしょうか。 悪友との想い出を辿り大塚山をへて御嶽山神社へ、此処も人出が少ないようです。 彼と歩いたコースはケーブルカーには乗車せず徒歩で滝本から御嶽駅へ向かいましたが、 今回は日の出山から二俣尾駅へ初めてのコースを歩きました。 日の出山山頂にはトレイルランニング(Trail running)の方が一人休息を取っていました。 その後誰一人出逢うことなく三室山からアタゴ尾根へ、二俣尾駅に近づくにつれ祭り囃子の音色が、愛宕神社の春祭りでした。 この日、松戸は午前中から正午過ぎまで雨だったとか、運良く私は一度も雨に当たることなく帰宅できました。


 雲取山・七ツ石山・六ッ石山(くもとりやま・ななついしやま・むついしやま) 

2012年(平成24年)5月5〜6日

 奥多摩駅前の丹波方面のバス停は大混雑、峰谷行きバスに乗れない客用に、途中までの奥多摩湖行き臨時バスが増発されました。 しかし乗客は30名ほど、急遽行き先を変更『鴨沢行きの臨時バスです。定時より早く鴨沢に行きたい方ご乗車下さい』と乗客募集、 迷うことなく私も乗車しました。 雲取山 当然予定時刻より早く鴨沢到着、のんびりと持参のおにぎりで朝食を済ませ登りに掛かりました。 昨秋の穂高岳登山のザック重量は15kg超え、今回は約12kgと幾分の工夫有りと自己満足していたのですが、登り4時間半、爺には辛い重さでした。 奥多摩小屋で管理料の支払いを済ませ、登山道の東側にテントの設営し、サブザックで山頂へ向かいました。 頂上からの展望は素晴らしく、個性的な形の甲斐駒ヶ岳等の南アルプスの山並みや、雪を纏った富士山が印象的でした。
 2日目4時半起床、朝食を済ませテント撤収と同時に大粒の雨が、取り敢えず七ッ石山へ向かいました。 途中雨も止み、昼頃までは保ちそうな空模様、予定通り石尾根を歩くことに決めました。 以前登った鷹巣山はパスし、六ッ石山へ少々の寄り道、その後、造園業だという若い登山者と奥多摩駅まで同行しました。 初心者だという彼、しかし足裁きは私以上、謙遜だと思いました。
 帰宅した翌日、女房殿が『お父さんは山道具には拘りがアル!』と強い一撃。 仕事部屋に山道具が散乱、テント・シュラフ・マットは昨秋穂高用に購入、 暮れに注文した50Lザックは8年間使用し破損した45Lザックの代換え品、 目新しい物ばかり、この様な時は馬耳東風が一番です。 (物置には複数の山岳用やオートキャンプ用のテントが眠っていることを思い出しました)


 奈良倉山から坪山へ(ならくらやま・つぼやま) 

2012年(平成24年)5月20日

 中央本線上野原駅から鶴峠行き臨時バスに乗り込み奈良倉山(秀麗富嶽十二景)に登りました。 頂上に着いたのは10時過ぎ、富士山は少々霞がかかっていましたが、写真を数枚撮り林道へ降りました。 林道を30分歩いたところが佐野峠、地図によると、その先登山道への分岐は三カ所、 峠から林道を1km進んだ地点から南東に進む難路(2011年版昭文社山と高原地図大菩薩嶺地図)と さらに0.5km進み北東方向へ登る難路(2010年版高尾・陣馬)、共に踏み跡程度、藪こぎは嫌なので止めました。 そして松姫鉱泉分岐から約150m進んだ登山道を見過ごし林道の終点まで歩きました。 10分引き返したところに踏み跡を発見、急な斜面を5mほど登りましたが進む方向が違うので止めました。 さらに5分戻ると崩れた斜面に複数の足跡が、標識のない途切れた登山道でした。 富士急山梨バスのホームページで大きく取り上げられている坪山でしたが、花のシーズン以外の登山者は少ないようです。 奈良倉山を降った林道から坪山そして御岳神社バス停まで人との出会い無し、本日の坪山登山者は私一人だったのでしょうか。


 笹子雁ヶ腹摺山(ささごがんがはらすりやま) 

2012年(平成24年)6月24日

 中央自動車道笹子トンネルの真上の山、笹子雁ヶ腹摺山に登りました。 山名の由来は、渡り鳥のガンがその腹をするようにして尾根を飛んでいくことからだとか。 他に雁ヶ腹摺山、牛奥ノ雁ヶ腹摺山という山も大月市にあります。 この山を選んだ理由は、秀麗富嶽十二景の山々が気になる存在であることと、 今回のコースは標高差750m(丹沢の大倉尾根は標高差1200m)一ヶ月ぶりの山歩きには最適かと思ったからです。 笹子駅から国道を登山口までの行程は準備運動?頂上までの二時間は一汗も二汗も掻きました。 今日は生憎の曇り、梅雨の時期、青空が無くても雨降りでなければ上出来なのですが この山は秀麗富嶽十二景(富士山を望む優れた景観がある場所)18座の一つ、残念に思いました。 今回、山で出会った人は四名、静かな山歩きかと思っていたら、笹子峠方面から三十数名の団体さんが登ってきました。 笹子峠から清水橋まで旧甲州街道峠道を楽しみ、その後は林道のような県道212号線を甲斐大和駅まで歩きました。
《失敗談》登山口でお会いしたご夫妻に頂上までの行程を聞かれました。私は2時間(昭文社・山と高原地図)と返答。 するとご主人(昭和12年生まれだとか)の顔に曇りが、アクセスがクルマなので行程1時間20分の笹子峠からコースを勧めました。 下山途中お会いした先ほどのご夫婦は矢立の杉までしかクルマが入れず、峠まで40分歩いたとか、 私の情報不足で行程時間が同じになってしまいました。(ゴメンナサイ!)

《失敗談U》4時15分起床、4時45分出発、新松戸駅5時14分始発電車で中央本線笹子駅から滝子山登山が6月30日の予定でした。 ケータイにアラームをセットし就寝したのですが、目覚めたのが6時18分、約2時間朝寝坊、登山を中止しました。 『早朝目覚ましが鳴っていた』と女房殿、私はその時爆睡中、この様な経験は初めて、加齢なのかと落ち込みました。 今回の登山のお供は数年振りに使用するくすんだ水色のザック、玄関で引退宣言しているかの様でした。


 丹沢山塊、塔ノ岳(とうのだけ) 

2012年(平成24年)7月8日

 注文していたザックが届いたので早速山支度、久々に大倉尾根を登ることにしました。 3時30分新聞を取りに外へ、道路は乾いていたので幸先が良いかと思ったのですが、 4時25分山靴を履き玄関を出ると生憎の雨、折りたたみ傘を拡げ山の好天を期待し駅に向かいました。 今日は今年10回目の登山、体力は十分だと勘違いしていました。 大倉バス停で持参のおにぎりで腹ごしらえを済ませ、意気込んで塔ノ岳まで2時間30分台を目標に登り始めました。 最初の1時間は急がず、その後ペースを上げ一気に登るつもりでしたが、頂上に近づくにつれ給水タイムが多くなり、 結果3時間を超えてしまいました。 20分(沈鬱な時間)ほど休息をし、急ぎ足で大倉バス停へ、下山も2時間を切ることは出来ませんでした。 若い時、そして5〜6年前は季節を問わず頻繁に登り慣れ親しんだ大倉尾根、 標高差1200mは今後私にとって少々厳しい数字になるような気がします。 加齢という衰えは当然なこと、昭文社山と高原地図の記載時間内で歩ければ上々だと思うことにしました。 大倉バス停でスパッツに山ヒルが付いていると大騒ぎしているグループがいました。 夏の丹沢は5年振り、山ヒルのことを忘れていました。帰宅後全身を点検、異常が無くて一安心しました。 (バス停の洗い場備え付けのタワシには山ヒルが付いているとか、怖い話です)


 滝子山(たきごやま) 

2012年(平成24年)8月5日

滝子山  猛暑の夏は3000mの峰々が爽快、標高の低い蒸し暑い山は登るまい、と思っていましたが、 ここ数日滝子山が気になり始めました。昨年冬北面凍結という情報で躊躇、今年6月30日朝寝坊で中止、 このままでは第二の北岳(私と相性が悪い)になるのでは、と思い急遽登ることにしました。 自宅から新松戸駅まで徒歩25分、左膝に違和感が、笹子駅下車時座席から立ち上がるとき軽い腰痛、(山に嫌われているのかな?) 今日の登山は中止すべきか、迷いつつ慎重に登り始めました。 昨日オリンピック金メダリストの高橋尚子さんがゲスト出演のTV番組で、 レース前の食事は米・餅・うどんのみで持久力を高めるのだと聞きました。 私も以前から山ではパン類よりおにぎりの方が元気になると感じていたので、違う形で試してみようと思いました。 朝起きて100g程度の小さなおにぎりを2個、笹子駅到着前に2個、計4個食べて何時間歩けのるか、体験してみることにしました。 笹子駅から滝子山そして初狩駅までの6時間、水分補給だけで歩くことができました。おそるべし、おにぎりパワー! (帰宅後体重2kg減、体に悪そうな登り方を反省!)

休日おでかけパスと切符 《今回の失敗談》JR休日おでかけパスの乗車区間は大月まで、笹子駅下車は\230追加支払いなのですが、 今日の駅は無人、料金を駅員に手渡すことができず、そのまま改札を出てしましました。 1〜2分歩いてから、切符回収箱にお金を入れることを思いつきましたが、引き返すのも面倒、そのまま先に進みました。 帰路の初狩駅も無人でしたが\190(初狩・大月間)と\230(大月・笹子間同額)の切符を購入しました。(辻褄を合わせた積もり)


 唐松岳(からまつだけ) 五竜岳(ごりゅうだけ) 

2012年(平成24年)9月15〜17日

唐松岳  久々山に出掛けました。14日新宿都庁バス駐車場22時30分発さわやか信州号で長野県八方へ、 山麓駅からゴンドラ、リフトを乗り継ぎ第1ケルン到着、沢山の若い人に交じり唐松岳頂上山荘を目指しました。 山荘で幕営の手続きを済ませテント設営、その後小雨のためテント内で休息、軽い昼食を済ませ雨の合間に唐松岳を往復しました。 翌16日朝、五竜山荘へ向かいました。指定地にテント設営後五竜岳を往復、往1時間20分復1時間の鈍足、 一昨日の夜行バスでの不眠の影響だったのでしょうか。 五竜岳 昨夜からテントが大きくしなるような強風で睡眠不足、鈍足とゴンドラの運休も想定し下山時間を十分にとりました。 撤収したテントは水分を含み加重、風と雨、そして風景のない遠見尾根を降りました。 スタート直後は体が睡眠状態で重い足取り、徐々に眠りから覚め快調に、 休息時間を含め想定より早い3時間40分でアルプス平駅に到着しました。 予約バス発車までの3時間半退屈しましたが、この三日間は楽しいテント泊まりの山行きだったと思います。
 複数日の山行きでは装備重量の関係でほとんどコンパクトカメラを持参していました。 希にある絶景との出会い、帰宅後画質の悪さに失望することが多々ありました。 今回は八方尾根〜唐松岳〜五竜岳〜遠見尾根、雄大な景観を満喫しながらゆっくりと巡る二泊三日のコース、 カメラは当然画質の良いデジタル一眼レフを選択しました。 白馬三山、不帰嶮、五竜岳、鹿島槍ヶ岳などの名峰をカメラに収めたく、撮影ポイントや構図など事前に調べました。 悪天候だった三日目を除き、100枚ほどシャターを切りましたが、駄作のみ、自分の実力を知らされました。 やはり私にはコンパクトカメラで偶然に撮れる自分的傑作写真が向いている様です。


 箱根山(はこねやま)から箱根湯本へ 

2012年(平成24年)10月8日

金時山からの箱根山2011/03  観光で何度か訪れた箱根、何時かは登りたい箱根山、との思いに相反し 山の服装で多くの観光客に混じる事に抵抗がありました。 昨年、観光客が少ないだろう箱根山(中央火口丘)と湯坂道を組み合わせた行程約6時間の計画を立案しました。 小田原からバスで箱根園へ、始発のロープウェイで駒ヶ岳へ、客の何割かは家族連れのハイカー、ほっとしました。 駒ヶ岳の箱根本宮で手を合わせ、箱根山の最高峰神山(1438m)へ、そして冠ヶ岳・早雲山分岐を経て早雲山駅に下山、 駅からは舗装されたバス通りを小桶谷へ、別荘地を通り千条ノ滝から箱根外輪山の一つ浅間山(802m)に登り、 鎌倉古道の湯坂路を箱根湯本駅まで歩きました。 連休の最終日とあって特急券売り場は長蛇の列、私は何時通り急行で帰りました。 (この連休、好天が望めず複数日の山行きは中止、前日に思い出したのがこのプランでした)


 筑波山(つくばさん) 

2012年(平成24年)10月14日

 山に限らず何事も電車・バスで出掛けていた私はクルマを利用した山歩きが苦手でした。 ここ数年クルマの運転は家から10km以内、長時間の運転は億劫でした。 私の家から最短距離の山は筑波山、今回は思い切って出かけました。 のんびりと午前8時過ぎに家を立ち、1時間半で筑波山つつじヶ丘駐車場に到着、身支度を調えて頂上へ、 幼児連れの家族が多いこともあり狭い岩場では渋滞の連続、時季外れの真冬に訪れるべき山でした。 帰路のクルマも順調、午後2時頃帰宅、山に登ってきたのかと娘に疑問視されました。 クルマの便利さを知った今回の山歩き、コースを変えまたクルマで出掛けようと思いました。 (滅多に使用しないポイントカード類、中からETCカードが顔を覗かせました。ほんの些細な切っ掛けで筑波山に行ってきました)


 赤城山(あかぎやま) 

2012年(平成24年)11月4日

黒檜山(くろびさん)  午前五時、赤城山ビジターセンターの駐車場には十数台のクルマが泊まっていました。 皆エンジンを止め仮眠を取っている様子、私も夜明けまで一眠りしたいのですが寝袋等の用意がありません。 湯沸道具の準備もなく、冷めかけたポットの麦茶と冷え切ったおにぎりでは、寒く退屈な時間を埋めることが事ができませんでした。 夜明けと共にザックを背に駐車場から出て行く人々、私も気合いを入れ登山口方面へ歩き始めました。 県道から見上げる黒檜山(くろびさん)上部は白く霧氷の付いた木々、軽アイゼンを用意しなかったことに一抹の不安がありました。 登山口からは急な登山道を一気に山頂へ、其所から5分ほど歩いた見晴台は遮る物の無い大パノラマ、 多くの峰々は雪を纏い白銀に輝いていました。暫し超一級の展望を楽しみ、富士山を眺めながら隣の駒ヶ岳へ向かいました。 今期クルマ利用2回目の山歩きでした。


 越前岳(えちぜんだけ) 

2012年(平成24年)12月9日

位牌岳と演z前岳  富士山に魅せられたE君、若い頃から写真を撮り続け写真年鑑に名前が載るほどの腕前でした。 しかし撮影中、複数回の脳梗塞を発症、言語障害と半身不随になり写真を諦めたとか、 けれど富士を語る情熱は今でも持ち続けています。 そんな彼の影響でしょうか、私も富士山を撮るのが好きです。 彼の写真に一歩でも近づきたいとシャターを切り続けています。 今回の越前岳も撮影と山歩きを兼ねたものでした。 寒い山に登り写真を撮っている私に、共通の友人はEのように倒れるな!写真にのめり込むな!と忠告してくれます。 そんなこともあり、海老名SAで時間を調整し明るくなってからクルマで静岡県裾野市の十里木へ入りました。 富士山頂の大部分を覆っている雲は流れが速く、時折剣ガ峯が顔を覗かせていました。 少し登った展望台でカメラを取り出し雲の切れるのを待ちましたが、シャターシャンスはありませんでした。 気になる富士を背に越前岳頂上へ向かいました。 山頂は強風、期待していた駿河湾は曇天のため眺めることはできませんでした。 下山時、凍り付いている山道で尻餅、怪我をするといけないので山靴に軽アイゼンを取り付けました。


 箱根外輪山(火打石山・明神ヶ岳・明星ヶ岳・塔ノ峰) 

2012年(平成24年)12月23日

小桶谷からの明神ヶ岳  なだらかな箱根外輪山を矢倉沢峠から塔ノ峰へ、そして箱根湯本駅まで歩きました。 小田原からバスで仙石へ、トイレのある広場で身支度を調え矢倉沢峠へ一登り、そして火打石山を経て明神ヶ岳を目指しました。 頂上から降ってきた見覚えのある単独行者は同じバスに乗車し途中の宮城野橋で下車したグリーンのジャケットの青年でした。 《もう下山とは速いな〜若さが羨ましい!》と感じた一瞬でした。 明神ヶ岳から標高差約290m降り明星ヶ岳の登りへ、2時間以上の歩程を残して大腿部と脹ら脛に疲労感が、 要因は過去3回(筑波山・赤城山・越前岳)の山歩きの歩程時間の短さにあるのでは、などと考えを巡らせました。 多めの行動食と暖かいレモネードで元気を取り戻し、予定通に明星ヶ岳から塔ノ峰を経て箱根湯本駅まで歩きました。 今日の天候は今にも泣きそうな曇り空、10月に登った箱根山は雲の中、しかし雨具を取り出すことなく無事下山、 久々6時間超え(山と高原地図歩程)の山歩きでした。

 
 
 

私の山日記2013

 “関東の山あるき100選”(昭文社)というガイドブックを購入したのが2003年でした。 紹介されている山々のうち、過去に登った山も数多くあり十年位で全山クリアと思っていました。 しかし同じ山に複数回登る、紹介されてない山に登る、 長期・短期の休止等(膝痛や喪中、震災自粛)の理由で数多くの山々が残されています。 今は気長に焦らず今後十年を目標に残りの山々を登ることが出来れば、と思います。 昨年の山行きは比較的多く17回でした。今年も健康でより多くの峰々を歩くことができればしあわせです。


 伊予ヶ岳・富山(いよがたけ・とみさん) 

2013年(平成25年)1月6日

伊予ヶ岳南峰  今年の正月も義妹一家が我が家を訪問、賑やかな時間を過ごしました。 昨年、義妹・息子夫婦・孫二人の三世代五人で蕨山に登った時の話で盛り上がりました。 その様な話題に刺激されたのか、女房殿が今回の山登りに付いてきました。 1月6日未明クルマで家を立ち登山用駐車場がある平郡天(へぐりてん)神社へ、 女房殿は熟睡中、私は早速登山靴に履き替え早朝の伊予ヶ岳山頂を目指しました。 伊予ヶ岳は房総のマッターホルン?といわれる岩峰、東屋のある展望台から先は鎖場の急登、少々緊張しました。 復路も同じ登山道を歩き平郡天神社の駐車場に戻り、富山中学校バス停付近の南房総市無料駐車場へ移動しました。 身支度を調え今度は二人で福満寺から富山南峰、そして展望台のある富山北峰へ登りました。 富山 展望台は360度の視界、伊豆方面は霞で天城山は確認できませんでしたが、 大島の三原山、箱根山、富士山、白く輝く南アルプス北部など心に残る大パノラマでした。 下山は南総里見八犬伝(滝沢馬琴)で描かれている伏姫籠窟(ふせひめろうけつ)に立ち寄り、クルマに戻りました。 千葉県に住みながら山歩きとして一度も千葉県の山を訪れたことがありませんでしたが、 年の初めに千葉県の代表的な二つの山を登れたこと、何となく良い気分です。


 笠山・堂平山・剣ヶ峰・丸山・日向山 

2013年(平成25年)1月12日

笠山日堂平山  外秩父七峰縦走ハイキング大会というイベントの存在を知ったのは数年前に官ノ倉山(埼玉県)に登ったときでした。 スタートは小川町駅、七峰とは官ノ倉山・笠山・堂平山・剣ヶ峰・大霧山・皇鈴山・登谷山、ゴールは寄居駅近くの酒蔵広場だそうです。 出場登録者数7000人、距離約42km、標高差約2000mを12時間で歩くのだとか、私には到底無理だと思いました。 此の冬は官ノ倉山を除く6峰を2回に分けて登ろうかと計画、 初回は小川町駅からバスで白石車庫へ、笠山・堂平山・剣ヶ峰の3峰に登り、 帰路は高篠峠から丸山を経て日向山から芦ヶ久保駅へ降りる、というものでした。 朝4時に起きることが出来たら、計画通りの山歩きに行こうと思ったのは昨夜のことでした。 電車を乗り継ぎ、小川町駅からバスで白石車庫へ、寝不足でした。 到着後直ぐに歩き始めたのですが、登山口は見つからず約1km経過、白石車庫に戻りました。 方向を確かめ再出発、しかし左折せずに直進、二度目の失敗、体内コンパスが壊れているようです。 その後こまめに地図をチェックしながら歩きました。 予定通り笠山・堂平山・剣ヶ峰に登り白石峠へ、川木沢ノ頭はショートカットし舗装された林道を高篠峠へ、 そして丸山・日向山を登り、琴平神社から風の道を芦ヶ久保駅へ降りました。


 大霧山・皇鈴山・登谷山 

2013年(平成25年)1月20日

大霧山  予定通りバスで白石車庫へ、所々凍り付いた林道から登山道を白石峠へ新雪の踏み跡を辿りながら進みました。 定峰峠への登山道は人の踏み跡がなく膝を越える深さ、体力を消耗するラッセルは苦手なのでコースを林道に変更、旧定峰峠へ向かいました。 旧定峰峠から登山道に入り大霧山へ、二本木峠での昼食はおにぎりとコンビニ弁当でした。 早朝コーヒー一杯のみで家を出た私は車中で空腹に、シャリバテ(ご飯が足りず元気が失われること)という言葉が頭をよぎり、 急遽小川町駅前のコンビニでおにぎり二個とミニ弁当を購入しました。持参のコロケサンドは朝食として車中で食べました。 昼食後はシャリバテの心配も失せ、皇鈴山・登谷山に登り、釜伏峠から中間平緑地公園を経て寄居駅まで歩きました。 今回は林道歩きが多いとはいえ、久々に8時間超えのコース(昭文社・山と高原地図)を歩けた喜びと、 さくさく雪の軽快感を想い出した山歩き、満足度は120%でした。


 鶴島御前山・高柄山・矢平山 

2013年(平成25年)1月27日

高柄山  上野原駅から約1時間で登れる御前山、準備運動程度と気楽に考えていましたが、実際は困難な登りでした。 登山口からの狭くて急な階段は全体が凍結し辛くも通過、頂上直下の凍り付いた30m程の岩場は三点支持で慎重に登りました。 高柄山への登りも凍結が酷く我慢できずに簡易アイゼンを取り付けました。 高柄山は予定時刻より10分遅れ、矢平山到着20分遅れ、急いでお湯を沸かしラーメンとおにぎりで昼食、出発予定時刻を20分繰り上げ立ちました。 一登りして降ると寺下峠、振り返る矢平山はマイナーな山だと書かれていましたが、私の眼には姿形の良い立派な山に映りました。 雪の下山路は所々凍結、危険を感じる斜面も多々あり慎重な行動が必要とされましたが、 ほぼ歩程時間通りに塩瀬集落到着、アイゼンを外し飲み物で一息、梁川駅の時刻表を見ると25分後に立川行きの電車が、 30分の歩程を25分で歩くのは可能なので急ぎ足で駅に向かいました。 先週はさくさく雪の軽快な山歩き、今日は凍結に泣かされた山歩きでした。


 秩父御岳山(ちちぶおんたけさん) 

2013年(平成25年)2月9日

秩父御岳山  2月11日に予定していた山歩き、降水確率の低い9日に変更しました。 午前3時半ケータイのアラームで布団からようやく抜け出し、コーヒー一杯では休眠状態から覚めず、寝ぼけ眼で駅まで歩きました。 居眠りしながら電車を数回乗り継いで西武秩父駅に到着。 少々歩いた所が秩父鉄道・お花畑駅、電車の待ち時間が長かったので立喰いの蕎麦屋へ、 立喰いとは思えない美味しさ、皇太子殿下御献上の蕎麦と小さく書かれた張り紙に納得しました。 (此のお店で蕎麦を召し上がったのではないと思います) 終点の三峰口駅から歩き始めました。新雪のトレースに導かれ御岳山頂上へ、私と同じ三峰口から登ってきたという三人の先客がいました。 下山は杉ノ峠から強石(こわいし)へ、このコースにも雪の上に彼らと思われる踏み跡が、御陰様で一度も地図を取り出すことなく強石集落に到着しました。 今回山で出会った人は頂上にいた先客の三人のみ、静かな山歩きでした。


 蕨山(わらびやま) 

2013年(平成25年)2月17日

蕨山  飯能駅から湯ノ沢行きのバスはさわらびの湯経由でした。 さわらびの湯バス停から金比羅尾根を蕨山へ、 今日は簡易アイゼンやステッキを使用せず蕨山まで登るつもりでしたが、 頂上直下急斜面を半分登った所で簡易アイゼンのお世話に、 蕨山から橋小屋ノ頭へ、膝を越える雪の深さに体のバランスが保てずステッキを手に、 錆び付いたバランス感覚と技術の衰えを痛感しました。 私は単独行者、故に無理な山歩きはできません。有間山タタラノ頭往復は体力の消耗と下山時刻の遅れを考慮し中止しました。 勿論不慮の事故に備え常にビバーク(露営)用品等の用意がありますが、この時期、雪中氷点下のビバークは結構辛いもの、 若いときと違い数日間のフォーストビバーク(予期していなかった露営)は無理かと思われます。 鳥首峠手前ピークからは此の山域に詳しく、雪に初トレース(踏み跡)付けるのが好みだという単独行者と一緒に歩きました。 飯能市郊外在中でクルマ利用の山歩きとか、名郷から飯能駅まで格好いい四駆で送って頂きました。 別れ際印象的だった言葉は『山登りする人は皆仲間だから』と。


 二子山・武川岳・正丸峠 

2013年(平成25年)2月24日

二子山  芦ヶ久保駅近くの登山口が凍結していました。 簡易アイゼンを付け兵ノ沢から二子山へ、そして上り下りを繰り返したところが焼山でした。 景色を堪能し、暫く降ったところで右足の簡易アイゼンの紛失に気づき、焼山に引き返しました。 後方からの登山者に簡易アイゼンの事を尋ねると、それらしき物が二子山の雌山と雄山の中間に落ちていたとのこと、 二子山・焼山間は約45分、その間気づかないとは、自分自身に呆れるばかり、取り付けベルトの点検を怠っていました。 私の使用していたのは簡易アイゼンというより土踏まずにつける簡単な滑り止め(5cmX6cm 短い爪6本 スノーピーク製) 靴底の4分の3が山靴の役割を果たすので岩や土でもさほど気にせず登降でる利点と 凍結面ではスリップしやすいという欠点を合わせもったものです。 紛失場所まで往復90分、引き返すことはせず、先に進みました。 武川岳で昼食を済ませ、予定通り正丸峠へ向かいました。 峠からの階段状の急な降りは谷底に傾斜し全面凍結、金属製の手すりを頼りに滑り止めを付けた片足と腕力のみで降りました。 傷みが激しかった簡易アイゼン、予備に10本爪アイゼンをザックに忍ばせておけば、などと後悔の念に捕らわれました。 今日は秩父盆地からの強風で耳の感触が薄れるような天候、高所ならば多分凍傷に、などと思った山歩きでしたが、 雪の上を歩く気持ちよさは、遠い記憶から若かりし頃の情熱が蘇りピッケルを手に3000mの山へ出掛けたくなりました。


 武甲山・小持山・大持山 

2013年(平成25年)3月9日

武甲山  以前武甲山に登ったときは横瀬駅からタクシーを利用せず生川沿いに一の鳥居まで歩き、表参道から山頂を目指しました。 下山路は今回のスタート地点浦山口駅でした。 橋立川コースから長者屋敷ノ頭を経て武甲山へ、そして小持山、大持山、妻坂峠経由で名郷のバス停に降りました。 前回軽アイゼン(滑り止め程度)を紛失したので新しい物を用意したのですが使用せずに歩くことが出来ました。 小持山・大持山 気温は平年より高く心地良かったのですが、花粉が多くマスクを付けての山歩き、快適さが薄れました。 妻坂峠を降ったところで出会ったご夫婦、クルマで水くみに来ていました。 とても美味しい湧水だとか、口にすると家にあるペットボトルの天然水より旨く感じたので、 私も空になったボトルに水割り用にと持ち帰りました。(今回の収穫?)


 天城山(万二郎岳・万三郎岳) 

2013年(平成25年)3月16日

 百名山は人気の山、混雑する山、その様に私は感じています。その一つ天城山も名の知れた山です。 以前から一度は登っておきたいと思っていましたが、私の住む松戸からは遙か遠く億劫な山でした。 今回はクルマを利用し出掛けることに、花の時期ではないので登山者は疎らでしたが、 クルマ片道走行距離190km超え、往路3時間20分、復路4時間50分、山歩きの歩程は僅か4時間でした。 私にとって充実した山歩きの歩程は6時間以上、筋肉痛や疲労感が無いのが普通ですが、今回は大変疲れました。 やはりクルマの運転が主な原因だと思います。クルマの運転は慣れだと人は言うのですが、私はそれを克服できていません。 創意工夫が必要だと思います。車利用の山行きは行動範囲を拡げます。それがこれからの私のテーマかと思われます。 私は若い頃から百名山を意識したことも、興味を持ったこともありませんでした。 興味が薄い一番の原因は観光的に何度も登ったことのある筑波山、その山が百名山だという選考基準が理解できませんでした。 しかし最近は筑波山の良さ、百名山の魅力が徐々に私の体に浸透し始めました。 少なくとも関東周辺の百名山は登るべきだと考えるようになりました。 今年はその幾つかの山々を混雑するシーズンを避け、便利なクルマを利用し訪れたいと思っています。


 丹沢表尾根1/2 

2013年(平成25年)4月14日

塔ノ岳からの表尾根  若い時と違い一ヶ月のブランクは想像以上に大きなダメージがあります。今回は丹沢表尾根1/2歩きました。 コースはヤビツ峠から三ノ塔を経て烏尾山までとしました。 心の隅では体調が良かったらその先まで頑張ろうと思っていたのですが、 この日の尾根は風が強く歩きにくかったこと、体が重く脚の運びが遅かったこと、 そして先に進む意欲が失せたことで予定通り烏尾山までとしました。 下山は膝に負担がかからぬようにゆっくりと尾根道を新茅山荘へ降り、戸川林道から大倉へ出ました。 後日、筋肉痛もなく丁度良い山歩き、欲張らずに良かったと思いました。


 筑波山 

2013年(平成25年)4月20日

 5月の連休は泊まりでの山行きが可能になりました。しかしトレーニング不足で焦りが出ました。 我が家から一番近い山は筑波山、その日の未明に登ることを決めました。 今回のテーマは地図の歩程時間をどの程度まで短縮出来るか、というものです。 駐車場近くの筑波神社からケーブルカー沿いに男体山へ、女体山から弁慶茶屋跡を経て神社に戻る周回コースを歩きました。 意気込みとは裏腹に、この日も脚が重く、人に追い越されること数知れず、かなりの鈍足だったと思います。 5月の連休、テントを担いでの山歩きは無理なように思えました。 我が家からクルマで僅か1時間半の日本百名山、観光客のいない早朝は静かな山歩きが楽しめます。


 丹沢表尾根 

2013年(平成25年)4月27日

富士山  4月14日はヤビツ峠から丹沢表尾根を約1/2、烏尾山まで歩きました。 今回はその先の塔ノ岳へ、下山は大倉尾根を大倉バス停まで、何とか歩くことが出来ました。 辛かったのは塔ノ岳への登り、頂上の尊仏山荘が手に取る近さ、息切れが無いのに脚が思うように動かなかったこと、 悔しさと悲しさと・・・複雑な心境になりました。下山は頑張ろうと思い早足で歩いたはずが2時間超え、失望しました。 時間を気にした山歩きは当分止めることにしました。 今年80歳でエベレスト登頂を目指す三浦雄一郎氏は我々中高年希望の星、 私も努力次第では自分が思っている以上に山歩きを長く続けられそうに思えるのです。 この日は快晴、前方に富士山を眺めながらの尾根歩きは最高、珍しく午後まで姿を現していました。 次回は炊事道具持参で少々贅沢な昼食を、ゆっくりとコーヒーを楽しむ山行きに、鈍足で歩こうと思います。


 西丹沢・加入道山・大室山 

2013年(平成25年)4月29日

大室山  一寸贅沢な山行き、それはゆったりとした時間といつもより少々豪華な昼食、それが今回のテーマでしたが、 前日、家には目新しい物がなく、買いに行くのも面倒、結局買い置きのカップ麺と夕食の残り物をプラスチック容器に入れ持参しました。 新松田駅前西丹沢行きのバス乗り場は長蛇の列、つり革に捉まり1時間10分は辛いと思っていたのですが、 大型のバスだったので運良く座席に座ることが出来ました。 心地よいうたた寝、目覚めると其所は山深い西丹沢、沢沿いのキャンプ場を眺めながらの林道歩き、春の風が爽快でした。 加入道山への登山道は沢沿いから沢床歩き、沢登りの取り付きまで歩いているような錯覚を覚えました。 加入道山で大休止、プラスチック容器に詰めたパスタや稲荷寿司など何時もと違った昼食でした。 大室山でのんびりとカップ麺を食べる予定でしたが、予定より早いバスに乗車可能なので林道の終点用木沢出合まで降りました。 バス停までの歩行時間を差し引くと残り時間は15分程、湯を沸かしカップ麺に注ぎ時間を気にしながら食べました。 大室山への山行き計画は過去二度雨で延期でしたが、今回は好天、新緑の山々と雪を纏った富士山が印象的でした。


 西丹沢・畦ヶ丸 

2013年(平成25年)5月5日

西丹沢からの畦ヶ丸  前回大室山から下山し終えた時、亡岳友の名字によく似た畦ヶ丸登山口という文字が眼に入りました。 次回は此の山に登ろう!と単純な動機で今回の山行きを決めました。 朝の新松田の駅は賑わっていました。西丹沢方面の乗客は前回の3倍、私は2番目のバスに乗車、大滝橋で降りました。 下車した乗客は私ともう一人、脚の速い青年で、私が下山したときにはベンチで昼寝中、 西丹沢バス停乗車待ちベンチの1番前にザックが置いてありました。 同じ領域で僅か6日後、山の雰囲気は一変、新緑の若葉が山々を覆い、名残の山桜、咲き誇る山ツツジ、道辺に咲く可憐な花々、 心地よい春風が山歩きを素敵なものにしてくれました。 西沢の本棚・下棚は若いときの憧れの大滝、ここを遡上する技術も才能も無く今回が初対面、身が縮む思いで眺めました。 西丹沢はバスの本数が少なく待ち時間が退屈、そのため用意したのがノンアルコールビールと昨夜の天ぷら、 河原のベンチに腰を降ろし、せせらぎを聞きながら新緑を眺める、至福のひとときの訪れ、ささやかな贅沢を楽しみました。 自分がアルコール摂取時は気になりませんが、混雑した電車内でアルコール独特の体臭は眉間に皺が出るほど、私は嫌いです。 車内で人に嫌な顔をされると楽しかった山歩きの思い出は半減、 ですから山ではノンアルコールビール、アルコール類は家に帰ってから頂きます。


 筑波山 

2013年(平成25年)5月19日

 午前中曇り、午後から雨、そんな天気予報でした。 月に2〜3回は山歩きを楽しみたい・・・と思っている私、半日でも無駄に過ごしたくありません。 早起きし我が家から一番近い山、筑波山へ、頂上付近は雲に覆われていました。 今日は前回の逆コース、女体山から男体山へ、そしてケーブルカー沿いに筑波神社に戻りました。 筑波山は標高が低いので薄手の衣類を着用、しかし曇天だったので肌寒く感じました。 下山したのは午前9時頃、筑波神社付近は頂上を目指す大勢の登山者が、広い第3駐車場もほぼ満車でした。 私にとって筑波山は早朝に静かな山歩きができる山、半日でそれなりに充実した山歩きを楽しむことができる山なのです。


 西丹沢・檜洞丸 

2013年(平成25年)5月25日

 今年三回目の西丹沢、今回はツツジ新道から檜洞丸へ、西丹沢の山開きを明日にひかえ大勢の登山者で賑わっていました。 お目当ての紅白に染まるツツジのトンネル、今年は咲が悪いとか、残念ながら観ることができませんでした。 二度ほど休憩し頂上へ、3時間未満で到着、今日は体調が良さそうです。 予定より1時間早いバスに乗車可能、早めに昼食を済ませ犬越路へ、危険なところは慎重に、歩きやすい所は早足で下山しました。 檜洞丸・犬越路間で約30分短縮できました。 ここからは脚に疲れが出る時間帯、ペースを落として西丹沢バス停へ、14時14分到着、久々に快調でした。 トランスジャパンアルプスレースという日本海をスタートし、 北・中央・南アルプスを抜け太平洋まで1週間で走破する日本縦断レースをテレビで見たことがありました。 その参加資格の一つは1日にコースタイム20時間以上の山岳トレイルコースを55%以下のタイムで走りきれることだとか。 比較になりませんが、今回の私は6時間45分(昭文社山と高原地図)のコースを83.5%で歩けたこと、 最近は鈍足だったので、私的には満足感がありました。


 両神山 (りょうかみさん) 

2013年(平成25年)6月1日

堂平山からの両神山  今年複数回訪れた奥武蔵・秩父の山々から望む両神山は、印象的なギザギザした山容、 手が届きそうな近くの山、以前から登りたい山の一つでした。 数年前の計画では朝5時出発、電車3路線バス2路線を乗り継ぎ9時46分登山口到着、片道5時間弱の遙か遠い山でした。 クルマを利用すれば時間短縮は可能、今年こそと決意しました。 登頂のみが目的なら短時間で登れる白井差新道を選択すべきでしょうが、多少困難でも印象に残る山歩きがしたい、 そんな思いで岩場の多い表参道コースを選びました。 今日は睡眠不足が原因で足取りが重く清滝小屋までの2時間はとても長く感じました。 やはり楽な白井差新道を選ぶべきだったと後悔しつつ頂上を目指しました。 狭い岩場の頂上には多くの登山者が、迷惑にならない場所に腰掛け、ゆっくりと昼食を食べました。 アクセスは往復共に2時間半、公共交通機関の半分です。 クルマは便利、しかし疲れました。


 荒船山 (あらふねやま) 

2013年(平成25年)6月8日

標高770m地点からの荒船山  前回の両神山は健脚向、運転は片道150km休み無し、その為か数日間疲労が残りました。 今回は中里パーキングで十分な休息をとり、のんびりと登山口へ向かいました。 林道から見上げる荒船山トモ岩は雲に包まれ雨模様、出掛けに天気予報をチェックすべきだったと後悔しました。 (私は天気予報や電車の乗り換え案内等の情報入手はPC専門、ケータイはメールとメモ的な写真のみ、使いこなせていません) 天候の回復を願いつつ登り始めました。 駐車場で食事中のご夫婦以外は人に会うことなく、荒船山最高地点の行塚山へ、出会ったのは子鹿一頭のみ、静か過ぎる登りでした。 先ほど視界の無かったトモ岩に戻ると、雲が切れ、うっすらと日が差し込んでいました。 トモ岩は、ほぼ垂直の高さ200mの大岩壁、手摺りが無く足の竦む展望台です。 北アルプスは望めませんでしたが、景色を楽しみながら岩に腰掛けのんびりとお弁当を拡げました。 その頃になると登山者も徐々に増え、降りは10名以上の団体さん2組を筆頭に多くの登山者と擦れ違いました。 やはり荒船山は人気の高い山でした。


 筑波山 (つくばさん) 

2013年(平成25年)6月29日

筑波山  筑波山は、百名山登山者にとって、人気のない山のひとつだそうです。 要因は標高が低いこと(877m)、山頂付近までロープウェイやケーブルカーが利用できるからだといいます。 今回は筑波神社からつつじヶ丘へ、そして女体山、男体山と登り、駐車場に帰るコースです。 天候は曇り、この時期としては登りやすい温度、清涼な山の空気を戴く山歩きで気分は上々でしたが、 滑りやすい状態の下山路で三度ほどバランスを崩し、四回目は大きな尻餅をつきました。 いい汗を掻く山歩きが、どっと冷や汗を掻くことに、爺らしく持参のステッキを使用すべきだったと後で反省しました。


 前掛山 (まえかけやま) 

2013年(平成25年)7月7日

浅間山  関東地方は梅雨があけました。暑さ対策を十分に浅間山(前掛山)を目指しました。 小諸付近からの浅間山は厚い雲に覆われ裾野が僅かに確認できる程度、落胆、登山意欲が薄れました。 (此の時点で行き先を快晴の鼻曲山へ変更すべきだったと後で思いました) 取り敢えず火山館まで、後は時間を潰して帰宅、などと考えながら歩き始めました。 湯ノ平から暫く歩いた所でコイワカガミが、帰路での昼食と高山植物を撮る場所に決めました。 後方から風のは早く頂上へ行け!とザックを押し上げているように感じました。 風雨は次第に強まり横風に変った頃、火口から500m地点に到着しました。 そして頂上に続く崖際の登山道はさらに強い風雨でしたが、足下の小石が舞い上がるような暴風雨でなかったので、 引き返すことなく前掛山頂上に到達することができました。 雨の山歩きは十ヶ月振り、今まで異常の無かった山靴、今日は浸水しました。 雨粒がメガネを濡らし、視界を悪くする雨降りは嫌いですが、足が山靴の中で泳いでいるなんて、 半世紀前の山行きを思い出し楽しくなってきました。 あの頃は駅やバス停に到着すると、みんなで山靴を脱ぎ、毛糸の靴下を絞ったものです。 (当時は夏でも厚手毛糸靴下の二枚履きが普通でした) “ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン”童謡雨ふりを口ずさみながらの下山でした。


 根子岳・四阿山 (ねこだけ・あずまやさん) 

2013年(平成25年)7月20日

根子岳  菅平牧場から雲海に浮かぶ北アルプスを背に根子岳へ、高山植物に見入ったり、振り返り、振り返り、景色を眺めながらの登りでした。 四阿山 根子岳は360度の眺望、槍・穂高は見つけることができましたが、その他の山は確信が持てず、 カシミール3Dでパノラマを印刷し持参すべきでした。 一眼レフを用意せずザックの中にはコンパクトカメラが、幾つもの後悔! 四阿山からは浅間山を一望、半月前とは違う静かな雰囲気を感じました。 根子岳・四阿山・中四阿付近の登山道はガレ場・ハイマツ・ダケカンバとアルペン的、3000mの雲上を歩いているような錯覚に陥りました。 この日は薄曇り、この時期としては快適な山歩きができました。


 筑波山 (つくばさん) 

2013年(平成25年)8月4日

ヤマユリ  2Lの天然水1本と500MLのスポーツ飲料4本を加え総重量10kgのザックを用意し一汗流しに筑波山へ行きました。 コースは6月と同じ、筑波神社-つつじヶ丘-女体山-男体山-筑波神社、 つつじヶ丘からの登りでは、数多くのヤマユリが咲いていました。 天候は曇り、普通に歩けたと思っていましたが、所要時間は6月より1時間10分多い4時間40分、33%増しの鈍足でした。 降雨後の濡れた登山道で歩きにくかったこともありますが、ザックの重さは如実に脚力に影響するものだと改めて痛感しました。 テントを背負っての山行きは今回より重く厳しい物ですが、楽さはそれ以上に多く私は大好きです。


 筑波山 (つくばさん) 

2013年(平成25年)10月12日

 本年の山歩きは例年になく好調でした。7月頃から不調の兆しがありましたが、それでも8月4日今年22回目の山歩きが出来ました。 この夏は膝周辺の筋肉に軽い傷み、脹ら脛の痙攣は5回、大腿四頭筋の裏側の筋肉に違和感などがありました。 記録的な猛暑で日課だった一日6kmの散歩を怠け、半ズボンで冷房の部屋で過ごしていたことが原因かと思われます。 以前、左膝に異常を感じつつも山に行ったことがありました。コース半ばで軽い痛みが、サポーターを巻き、予定のコースを歩きました。 その日は大事に至らず無事帰宅、しかし次の日に痛みと腫れ、1ヶ月の通院、長時間の歩行が出来るまで半年を要した経験から山歩きを見合わせました。 週一回間接リュウマチ治療のため通院していた母が9月4日突然歩行困難に、その後9月24日まで計4回の歩行不能、ほぼ毎日の通院治療となりました。 祭日は休診なので山行きが可能でしたが、高齢なので余病を併発するといけないので自粛しました。 10月11日、毎日の通院治療が終了、約二ヶ月振り、久々の山歩きとなりました。 今回のコンセプトは怪我の無いよう慎重にゆっくりと山歩きを楽むこと。 筑波神社第3駐車場にクルマを止め、御幸ヶ原コースから男体山、そして女体山へ、 今年5回目の筑波山、私の家から一番近い山、一汗流すには最適な山です。観光客が訪れる前の早朝がおすすめ!


 大岳山 (おおだけさん) 

2013年(平成25年)10月14日

 一日おいての大岳山へ行きました。大岳沢からの入山は初めてのコースです。 今日も前回同様、怪我の無いよう慎重にゆっくりと、そんなイメージで登り始めました。 近年パワースポットの御岳山は人気の山、そのコースを避け大岳沢コースは予想通り清涼感に満ちた山歩きの始まりでした。 出会う人も少なく自然を十二分に満喫し頂上へ、頂上直下は直登ルートを選択 、昭文社山と高原地図奥多摩2001年版には記載が無く2012版にある短かなコース、標識もなく解りにくい分岐点、 冒険心もあり地図を拡げず記憶と感で進みました。 頂上には大勢の人が、空いている場所で昼食、持参のけんちん汁を暖めて食べました。 急坂の下山路は膝を痛めぬよう慎重に降りました。 鋸山到着、調べておいた奥多摩駅発の時刻表、急げば14時9分発の電車に間に合うかも?などと変な誘惑が頭を巡り 、怪我のない慎重な山歩きを心がけていたことをつい忘れ急ぎ足になりました。しかし思うように脚が動かず、 途中で諦めペースダウウン、鋸尾根は厳しい、諦めずあと10分時間短縮できたなら14時9分の電車に乗れたのに残念。


 丹沢表尾根 (たんざわおもておね) 

2013年(平成25年)10月19日

 台風の後は登山道の状態が心配、当然沢筋の登山道は避け尾根道のコースを選ぶことに、行きつけの山は安全率が高い様な気がします。、 ならば丹沢へ、ヤビツ峠行きバスは運行中らしいので表尾根縦走と決めました。 当日バスが蓑毛止まりなら塔ノ岳までは厳しい、途中の尾根からの下山も考慮し家を出ました。 5日前、半袖一枚で山歩きをしていたのに、今日は三枚重ね着でも寒い、私の衣類は春夏物、他の登山者が秋冬物、 山の衣類の衣替えの時期を見誤りました。不安定な天候、雨に当たらなければ上出来だと思い登り始めました。 行者ヶ岳までは霧の中、景色のないつまらなさ、途中下山のことばかり考えながら歩いていました。 そこからは視界が開け、雪を抱いた霊峰富士が、感激でした。4月の丹沢表尾根、さほど急でもない塔ノ岳への最後の登り辛く感じました。 今日は気負いもなくマイペースだったので息切れすることなく頂上到着。 ゆっくり昼食を楽しみ下山、疲労感もなく体調十分かと思い早足で下山、しかし途中から脚の運びが悪くなり、 悔しいかなこの日もペースダウン、歩き慣れた大倉尾根を一気に降りられない年老いた自分が惨めに思えました。 富士山初冠雪の日に丹沢表尾根を歩くことができたこと、心に残る山歩きの一つになりました。


 鳴虫山 (なきむしやま) 

2013年(平成25年)11月23日

 当初愛車で日光へ向かう予定でしたが、当日の夜中、電車での山行きが脳裏に、 午前3時に起床しウェブ検索、クルマも電車も所要時間変わらず、楽な電車利用の山行きとなりました。 今日は神ノ主山から鳴虫山に登り、独標で昼食、 含満ガ淵・化地蔵・神橋をカメラを首にぶらぶら散策する予定でしたが、 大き目のザック、汚れた登山靴、汗ばんだ衣服、いつもながら気が引ける恰好でした。 観光客にとけ込めず、ゆっくりと紅葉を堪能することなく、急ぎ足で東武日光駅に向かってしましました。 常々思うこと、面の皮を厚くし観光客に変身せねばと。紅葉の輪王寺や東照宮の写真を撮したかったです。


 筑波山 (つくばさん) 

2013年(平成25年)12月23日

男体山  久々の山歩き、半日の空き時間を利用し筑波山へ行ってきました。 筑波神社付近の駐車場にクルマを止め、御幸ヶ原コースから男体山、そして女体山へ、前回と同じコースを歩きました。 筑波山は滑りやすく歩きにくい岩場が印象的、過去複数回バランスを崩し尻餅を付いた記憶があるからです。 女体山 今年6回目、乾いた岩場を快適に歩けたのは初めてです。今年の山歩きの〆は気分良く終わりました。 私の家からは1時間少々の身近な山、一汗流すには最適な山、でも変化が欲しくなりました。 次回は付近の山々や別コースを検討せねばと思っています。

 
 
 
 

私の山日記2014

 倉岳山 (くらたけやま)

2014年(平成26年)1月19日

梁川駅からの倉岳山  一年振りの中央本線普通列車、高尾駅を過ぎた頃から人家の屋根や路面に雪が、未明に降ったのでしょう。 早暁の空は薄茜色、雪化粧した丹沢山塊、そして序々に近づく白銀の富士、心躍りました。 梁川駅から国道へは緩い坂路、出だしからへっぴり腰、バランス感覚の悪い自分を思い出しました。 正月の運動不足を解消しようと旧式のウィーフィットを取り出し久々に遊びました。 バランスボードで体測定したところバランス感覚は6歳オーバーでした。 年の初めの山歩き、慎重に!慎重に! 暫く車道を歩き登山道へ、山の北面に或る沢沿いの道は寒々としていました。 スノーダストの森を抜けると立野峠、暖かな光を浴び、幾つかの瘤を超え頂上へ、其所には堂々と峰々従えた富士が迎えてくれました。 一昨昨年の倉岳山では富士を仰ぎみることができませんでした。 今回は蒼天の富士に出会え喜びも一入、今年も壮健で多くの諸山を歩ければと念願しました。 休息後立野峠に引き返し細野山、鳥屋山、舟山と日向ぼっこの山歩き、そして寺下峠へ、 此処で調べておいた梁川駅時刻表にあわせスピードアップするのが普通ですが、 降雪後の北斜面、丁寧な歩き方を心がけました。 予想通り所々凍結、枯葉が多いので滑り止めを使用せず、設置してあるロープを利用し慎重に降りました。


 権現山 (ごんげんやま)扇山 (おうぎやま)

2014年(平成26年)1月25日

権現山  ガイドブックには初戸(はど)バス停から登山口までが解りにくいと書いてありましたが、 乗車前に富士急山梨バスの案内人さんから戴いた手作り風パンフレット、詳細な案内図のお陰で迷わず取り付くことが出来ました。 雨降山までは北斜面、雪で登りづらい所もありましたが、なだらかな尾根筋は快適、気持ちよく権現山頂上に到着しました。 権現山から浅川峠へ降り、そして扇山への昇り、2時間に満たないコースでしたが、疲労の為か特別長く感じました。 この日は権現山、扇山共に富士を仰ぎみることが出来、とても幸せな気分になれましたが、 扇山到着予定時間が大幅に遅れていたので即下山、しかし足の運びが悪く時間を稼ぐことは出来ませんでした。 梨ノ木平からは舗装道路、気の緩みからか案内板を見落とし人気のないを大きな公園内を歩いていました。 暫くして散歩中の同年代男性を見つけ尋ねると、桂川ウェルネスパークという県立の公園で、 鳥沢駅より西の猿橋駅に近い所だと教えて頂きました。 その方は四方津駅近くに在住でこれから帰宅とか、ご厚意に甘えクルマに同乗させて頂きました。


 高尾山 (たかおさん)

2014年(平成26年)2月23日

高尾山頂上付近  山の案内板、時刻、太陽の方向、記憶した山地図等を用いた脳内ナビ、劣化が著しいと感じ始めたのは何時の頃だったか・・・。 定年後、山歩きを始めたK君、山用のナビ購入を検討中だと話していたことを思い出し、私も早速ウェブで山仲間(商品)を探しました。 幾つかの条件をクリアしたのが米国人(製)のガーミン君、今回高尾山に初同行しました。 ガーミン君は片言の日本語、私は英語が苦手、意思の疎通が困難でしたが、コース中のポイント毎にピーと口ずさみ案内してくれました。 関東地方記録的な大雪の後、積雪量が気になりましたが、無事予定のコースを歩けました。 表参道は除雪され味気無く感じましたが、雪の稲荷山コースが今回のお気に入り、今シーズンもう一度歩きたい所でした。


 筑波山 (つくばさん)

2014年(平成26年)3月9日

 当初の計画は筑波高原キャンプ場の駐車場にクルマを止め、 ユースホステル跡地、御幸ヶ原、男体山、女体山と周遊するコースを計画しましたが、 四駆ではない私のクルマ、林道走行に不安を抱き、何時もと同じ筑波神社付近の駐車場へ、ケーブルカー沿いに登りました。 途中、2匹の犬と二人の登山者が休息中、その内のビーグル犬に好かれ困りました。 私は犬が苦手、原因は小学一年の時に友人の飼い犬に噛まれたのが始まりで、子供の頃はたびたび犬に追われました。 当時、ほとんどの犬は放し飼いでした。 御幸ヶ原到着、早速情報収集、スタットレスタイヤでユースホステル跡地まで走行可能、女体山付近は凍結など 貴重な話を聞くことができました。この日は男体山に登り、女体山の岩場は避け同じコースを駐車場に戻りました。 途中土産物屋店先、店主の怒鳴り声「おまえら、食ってばかりで、買わねんだらう!買ってけ!」 見ると男女二人が試食の皿を抱え夢中で食べている、そしてそのまま店を後にしました。 習慣の違いとはいえ、怒鳴り声は世界共通だと思います。旅の恥は掻き捨て? 帰路常磐道でのこと、守谷SAを通過し柏ICに近づいた頃、ウインカーを点け左側の走行車線から中央追越車線への車線変更途中、 右側車線後方から猛スピードのトヨタ車が私の真横へ、その間僅か50cm、私は瞬時に緊急回避、 クルマのバランスが崩れタイヤ音がしましたが、ハンドルとアクセルワークでその場を切り抜けた一瞬の出来事でした。 相手の車は、型遅れのトヨタ・ハリアー、シルバー色、ナンバー××××。無事帰宅出来たのは筑波の神様のお陰、だったと思います。


 生藤山 (しょうとうさん)

2014年(平成26年)3月16日

 権現山の次は生藤山と決めていましたが、大雪を考慮し今日に至りました。 井戸バス停から軍刀利神社へ、深い雪でした。 奥の院を過ぎ、沢筋の登山道は足跡がほとんど無く前途多難だと感じました。 方位磁石と電池残量の少ないナビ、等高線の解りにくい五万図、そして感を頼りの登りです。 時々見付ける、雪の上にうっすらと残った登山靴の跡、登山道の証です。 勾配の強い登りを直登している人と犬らしき足跡、ハンターなのでしょうか、 今日の私の装備は爪の浅い土踏まずに付ける簡単な滑り止め、 ピッケルは無くても10本爪のアイゼンを持参していたら直登出来たのに、などと考えながら踏み跡を探しつつ歩きました。 鎌沢からの尾根に出ると後は快調、三国山、生藤山を経て連行峰へ、予定より1時間遅れでに到着、昼食にしました。 春を感じさせる日差しとそよ風、心地よいひととき、しかしそれを一変させたのはクシャミと鼻水の連続でした。 マスクをつけて陣馬山まで歩くのは辛いので予定変更、下山することにしました。 和田バス停13:46到着、時刻表を見ると3分前にバス発車、少し急げば乗車出来たのに残念! 1時間待つよりは藤野駅まで山村風景を楽しみながらの散策歩きとしました。 今回は予定を変え途中下山しましたが、雪の山を十二分に堪能できた山歩き、大満足でした。


 高尾山 (たかおさん)から景信山 (かげのぶやま)

2014年(平成26年)4月12日

 昨夜作り置きしたコーヒーを暖め、新松戸駅下り一番電車に乗り高尾山口駅へ、朝食は稲荷山でパンを食べました。 視界は都心方面、耳はお隣さんの会話に、桜のシーズンはほぼ毎週登り、 巻道を利用し山頂はパス、陣馬までは行かず、マニアックな道を藤野駅に降るのだとか、面白い歩き方だと思いました。 今回私は、高尾山と景信山山頂は外さず、その他は山用のGPSと相談しつつ巻道を歩きました。 高尾山からはヤマザクラ・ソメイヨシノ・ミツバツツジ等を愛でる花見の山歩き、幸せな気分に浸りました。 一ヶ月振りの山歩き無理せずゆっくりと景信山へ。 昼食はカフェオレとカップ麺、普段口にしないカップ麺を山で食べるのは何時も格別の味、だったはず、 でしたが今日は美味しさを感じませんでした。多分気温が低くなかったからだと思いました。 昼食後、膝の違和感や脚の疲労感がないので明王峠方面へ向かいました。 5分ほど降った平坦な山道で、木の根に左足を引っかけ前のめりに、 瞬時に前に出るはずの右足も動かず、両膝をつき、続いて両手、そして顔、ゆっくりと倒れ込みました。 膝・掌・頬共に怪我は無く土で汚れた程度、過去尻餅は複数回ありましたが、前のめりに倒れたことは初めてでした。 泥を落としてからストックを取り出し先へ進みました。 相模湖駅に近づくにつれ祭り囃子や花火の音が、与瀬神社の例大祭でした。 御輿が白装束の若者に担がれて急な石段を豪快に下るのを見物することが出来ました。 与瀬の権現様祭りとして町民に親しまれている例祭は疫病除けのため御輿渡御を行っているとか。 今回の山歩きはお花見と春祭りのおまけ付きでした。


 筑波山 (つくばさん)

2014年(平成26年)5月17日

 山麓に住んでいない私にとって、朝飯前の山歩き、不可能だと思っていました。 今回不可能が可能に、午前3時に家を出、8時帰宅そして朝食、朝飯前の山歩きが出来ました。 クルマで筑波山ユースホステル跡地へ、そして山頂(女体山・男体山)往復、帰宅後通常通り病気の母親と朝食、 今の時期、日の出が早いのでこの様なことが可能になりました。 ケーブルカーやロープウェイを除いて短時間での筑波山山頂へはユースホステル跡地からのコースが最短だそうです。 裏筑波はカタクリ開花時、群生地には多くのアマチュアカメラマンが訪れ賑わうとか、 シーズン中はユースホステル跡地の駐車も困難かもしれませんが、私にとって最短距離の山、朝飯前の山歩きが出来る山、 筑波山がますます好きになりました。


 筑波山 (つくばさん)

2014年(平成26年)7月6日

 一月半振りの山歩き、筑波山御幸ヶ原コースへ、最初の1kmがとても長く感じました。 御幸ヶ原のベンチに腰掛け喉を潤し、男体山から女体山へ、頂上で一息、ザックの雨蓋にいれておいたペットボトルが空で中は水浸し、 キャップの閉め方が悪かったようです。 クルマのインテリジェントキーが濡れていたので大慌て!キーが使用できなかったら家までスペアを取りに帰らねば!今日中に往復できるか? インテリジェントキーにはアナログキーが付いていることを忘れ、頭の中は大パニックでした。 帰宅後ザックの中を点検、非常食は消費期限間近、この時期不要な簡易アイゼン、一年以上使用せずザックの底に埋もれていたしわしわの雨具、 濡れていたツェルトやペーパー類、数年間未開封のピンチ袋、等々ザックの整理整頓や大掃除をしました。


 戸倉三山 (刈寄山・市道山・臼杵山) 

2014年(平成26年)7月13日

 朝から寝ぼけていました。立川駅でトイレに立ち寄り、慌てて電車に飛び乗り座席を確保、 同じボックス席のお隣さんの古いミレーの一本締めザックに見とれていると高尾駅、甲府行きの電車であることに気付き、 立川駅に引き返し、そして武蔵五日市駅へ、予定より20分遅れのバスに乗車し今熊登山口で下車し歩き始めました。 刈寄山から市道山、そして臼杵山、頂上の先の巻道を進むと別方向に下っている感じ、慌ててGPSを取り出し位置確認、 昇りきったところが予定のコース、枝道を直登しコースに合流しました。 戸倉三山は低山ながら上り累計標高1195m下り累計標高1163m、歩きでのある山々でした。


 不老山 (ふろうさん) 

2014年(平成26年)7月21日

 数年前から気になっている山、不老山、縁起の良い名前に惹かれていました。 前日ウェブで情報収集、下車するバス停の名前が棚沢キャンプ場前バス停から向河原に変更になっていました。 この日は曇天、景色を楽しむことが出来ませんでしたが、風もあり歩きやすいコンデションでした。 PCのカシミール3DソフトでGPS用のルート制作中、国土地理院の最新地図では頂上から金時公園への登山道が不鮮明でした。 現在林道工事や災害で所々登山道が消失、しかし多くの案内板があり、迷うことなく下山できました。 この日出合った登山者ゼロ、不老山貸し切り状態、十年振りの出来事でした。


 小金沢山 (こがねざわやま) 

2014年(平成26年)7月27日

小金沢山   甲斐大和駅からバスで登山口の小屋平へ、バスの調子が悪く途中3回のエンスト、15分遅れの到着でした。 本日は好天、爽やかな風に誘われて森林帯を石丸峠へ向かいました。 草原状の石丸峠から小金沢山、そして牛奥ノ雁ヶ腹摺山から黒岳へ、起伏の少ないなだらかな山々、富士を正面に楽しい山歩きでした。 それから湯ノ沢峠を経て、やまと天目山温泉バス停へ、16:16最終バス乗車予定でしたが、14:31に乗車可能と思い急ぎました。 しかし戸倉三山と同様10分遅れで到着、本日も力及ばず、と思いきや、バス停に下りのバスと乗車予定の登山者が十数名が、幸運でした。 そして順調に乗り継ぐも4時間後帰宅、思いの外遠い山でした。 今日のコースは大菩薩嶺から南側へ続く尾根筋、石丸峠から湯ノ沢峠まで、小金沢山稜又は小金沢連嶺と呼ばれているとか、 小金沢山は、山梨県大月市と甲州市の境にある標高は2014.3mの山、お隣の百名山大菩薩嶺に隠れ、静かな山歩きが楽しめる山域です。


 御坂黒岳 (みさかくろだけ) 

2014年(平成26年)8月2日

 太宰治文学碑のある天下茶屋から御坂山を目指し歩き始めました。 そして御坂峠からり御坂黒岳山頂へ、少々離れた展望台で昼食にしました。 この黒岳は昔から登りたかった山、この時期暑い山と知りつつ来てしまいました。 河口湖を挟んでの富士はなかなかのもの、春先雪を纏った霊峰富士をもう一度仰ぎたいと思いました。 破風山、新道峠、中藤山、大石峠と歩きたかったのですが、私にとっては交通機関片道約5時間の不便な地域、今日は新道峠から下山しました。 13時30分大石公園自然生活館到着、遠くで落雷が、序々に近づき、豪雨と突風、折りたたみ傘が御猪口になり、ずぶ濡れでバスに乗車しました。 10分遅れで到着したバス、さらに豪雨と渋滞で20分遅れで河口湖駅に到着しました。 富士急行は山間部を走る単線電車、途中集中豪雨にみまわれ不通になったら帰宅が困難に、 非常食を食べツェルトを被って仮眠しながら普及を待つ、などと妄想しつつ、 河口湖駅、大月駅と特急電車を乗り継ぎ帰宅の途につきました。


 大岳山・馬頭刈尾根 (おおだけさん・まずかりおね) 

2014年(平成26年)8月31日

大岳山  以前からあたためていた鋸尾根・大岳山・馬頭刈尾根コース、秋風を感じる8月、出かけようかと思いました。 いつのまにか自分に都合の良い奥多摩駅行き電車がJR時刻表から消えていました。 青梅線は御岳止まり、バス・ケーブルと乗り継いでケーブル御岳駅へ、 今日は雨降り覚悟の山歩き、ザックのサイドポケットに折りたたみ傘を入れ大岳山に向かいました。 頂上付近は雲に包まれ視界が浅い、先に進むか戻るかは頂上到着時点で決断するつもりでした。 景色のない頂上は長居をせず先に進むことに、しかし前回昇った直登ルート、藪で下山困難、やむなく鋸山方面に下山、 分岐点から頂上を回り込むように馬頭刈尾根へ向かいました。 馬頭刈尾根は起伏があり縦走路の様な感じがしばらく続きました。 馬頭刈山を過ぎ光明山からは下り一辺倒で軍道バス停到着、 10分前に武蔵五日市駅行きバスが通過、本数の多い十里木バス停まで歩きました。


 日の出山・金比羅尾根 (ひのでやま・こんぴらおね) 

2014年(平成26年)9月13日

日の出山  NHK Eテレ東京、9月5日の団塊スタイルは“ここが危ないシニア登山”でした。 番組中の山でのトラブルアンケート調査では一位が道迷い、342名中169名が経験したと圧倒的な数字でした。 私の場合、今年からGPSを使用しているので安心だと高を括っていました。 前日の夜、PCで登山ルートを制作しGPSに転送し持参、出発点の日向和田駅で電源を入れると地図上にルートが表示されない、 PCの操作ミスとGPSの表示確認を怠ったことの二重のミスでした。 日の出山付近は分岐点が多く道が入り組んでいるので注意せねばと思いつつも、お気楽に下山、 案の定、勘に頼り案内表示板チョイ見で道を間違えてしました。 何となく間違えに気づいたのはつるつる温泉分岐、地図を拡げ日の出山新道とやらを確認するも解らず、さらに100m程降り、 麻生山と現在地を確認、このまま先に進んでも武蔵五日市駅には辿り付けるでしょうが、今日の目的は金比羅尾根、 見過ごした分岐点に戻ることとしました。 予定のコースを麻生山付近に、巻道を歩く予定でしたが、麻生山展望良好という簡易案内に誘われ頂上へ、 展望は梅の木峠方面のみ、しかし腹も立たず爽快な気分、本来ならば引き返し登山道に戻るのが本筋でしょうが、 少々の冒険心があり、先に進むことに、案の定、踏み跡は途切れ崖の上、GPSで現在地確認、進行方向右100mに登山道、 トラバース出来そうな踏み跡を見つけ予定の登山道に戻りました。 その後金比羅山・琴平神社をへて市街地へ、 運動会の放送と音楽に誘われコース離脱、路地裏をお気楽に市内見物し楽しみながら武蔵五日市駅に到着しました。 今回は下山に約1時間超過、しかし道迷い、寄り道、コース離脱と山歩きの楽しさが膨らんだ旅でした。


 棚横手山・甲州高尾山 (たなよこてやま・こうしゅうたかおさん) 

2014年(平成26年)9月23日

棚横手山  駅前登山とは、駅からすぐ登れる山行きのことだとか、 バスを使わず、駅から山へ、そして駅へという山歩き、私が好きな山歩きのパターンです。 今回の甲州高尾山も駅から歩けば駅前登山、などと考え勝沼ぶどう郷駅から1時間以上の林道歩きをしました。 ガイドブックでは駅から大滝不動尊までタクシー利用がおすすめだとか、そのとおりだと思いまいた。 大滝不動尊の急勾配の石段を登り切ると山歩きの始まり、まずは棚横手山へ向かいました。 展望の良い山歩きを期待したのですが、出発点の勝沼市内も霞んでいる状態、当然、富士山や南アルプスを望むことは無理でした。 甲州高尾山頂上付近でトレイルランの団体さん20数名と遭遇した以外、人に会うことの少ない静かな山歩きでした。 甲州勝沼は有名なワインの産地、当初は勝沼ワインカーヴを見学し、大日影トンネル遊歩道から駅に戻る予定でしたが、 薄暗いトンネルを30分歩くことが億劫で気が進まない、なのでコース変更しました。 町中を適当に歩くことも好きなので、今回も少々の寄り道、○○ワイナリーに立ち寄り庶民的なワインを2本購入しました。 ワインに合うおつまみはチーズなど、しかし何故か餃子が食べたい、最寄り駅から少し離れた餃子の○○で焼き餃子を買い帰宅しました。 (餃子と相性の良い飲み物はワインではなくビール、この日ワインは一口だけでした)


 大山・三峰山 (おおやま・みつみねさん) 

2014年(平成26年)10月4日

三峰山  ケータイのアラーム音で何とか布団から抜け出し、頑張って駅へ向かいましたが、予定の電車に乗り遅れました。 電車バスを乗り継ぎヤビツ峠へ、予定より約40分遅れでスタートしました。 イタツミ尾根って、こんなにきつい登りだったのか、などと思いつつ大山山頂、休息もせずストックを取り出し唐沢峠への下りに掛かりました。 唐沢峠からは始めてのルート、踏み跡を探しながら広い尾根を進み、そして起伏が激しく鎖場の多い三峰山に登りました。 頂上からは途中まで戻り分岐を不動尻方向へ、この下りで時間稼ぎをし、日向山へ向かう予定でしたが、 足場の悪い山道、思うように体が動かず日向山は諦め広沢温泉入口バス停へ向かいました。 十日ほど前から九十七歳の私の母が体調を崩し毎日通院、母の世話に追われ疲労困憊、 ウォーキングなどで体調を整えてからの山歩きが出来ない状態だったので、もっと短いコースを計画すべきでした。


 サルギ尾根から御岳山奥の院 (みたけさんおくのいん) 

2014年(平成26年)10月18日

御岳山  古くサルギ尾根は養沢からの登拝道だったとか。 昭文社山と高原地図・奥多摩2001年版は登山道ではない小道と記されていましたが、 2010年にあきる野市が整備し、現在の地図では明確な登山道に変わっていました。 武蔵五日市駅前、三頭山行のバスは長蛇の列、それに引き換え私の乗車した養沢行ミニバスは幾つもの空席がありました。 大滝鍾乳洞入口で下車した登山者は二名、サルギ尾根に取り付いたのは私一人だけでした。 展望台のある上高岩山まで山と高原地図のコースタイムは2時間、しかし私は2時間30分を要し今日も体の重さを感じました。 そこから芥場峠を経て鍋割山へ、頂上には二人の女性が休憩中、その一人が高貴なお方に似ていたので一瞬体が膠着状態、 落ち着きを取り戻すべくザックから惣菜パンを取り出し小休止、そして御岳山奥の院頂上へ向かいました。 奥の院を下り御岳神社方面へ、神社に近づくにつれ多くの観光客や登山者が、今日は人が多いので神社に参拝せず、 混雑を避け山門付近から人通りの少ない西側の道路を使って大樽峠方面へ、そして奥多摩駅へと歩きました。
 昨年1月から7月までの7ヶ月、山歩きの回数は20回、欲張ってこの年の目標回数を36回(月平均3回)としました。 しかし母親が体調を崩し、去年の山歩きは26回、不満足な年でした。今年は現在まで17回、十二分に満足な数字です。 なぜならば、母親が床に伏せた回数3回、延べ2ヶ月以上あったからです。 人生って、思うように進まないもの、順調に進んでいるときが普通、躓くと落ち込む、その様なことの繰り返し、 落ち込んだとき、下を向いて無理に進んだら、さらに悪い状態になったこともありました。 上を向いて歩けば、時間の経過と共に良い方向に変化しているが殆どです。 悪いことの後には、必ず良いことが訪れる、それが私の人生、だと思っています。


 南高尾山稜 (みなみたかおさんりょう) 

2014年(平成26年)11月3日

 インターネットで高尾山周辺の紅葉の時期を検索したところ、11月中旬頃からが見頃だとか、今回は南高尾山稜を歩くことにしました。 京王線高尾山口駅がスタート、清滝から稲荷山コースへ、 薄着では少々肌寒い感じですが山歩きには最適な温度、気分良く高尾山頂上へ向かいました。 山頂見晴台からは青空に玲瓏な富士山がお出迎え、599mの三角点に挨拶してから大垂水峠を目指しました。 大垂水峠の甲州街道に掛けられた大垂水橋という立派な歩道橋を渡り、緩やかな上り下りの南高尾山稜を草戸山へ、 そこはベンチやテーブルの多い休息所、丁度昼時多くのハイカーが休んでいました。 そこから草戸峠へ、しかし四辻方面への標識が無くしばらく進むも分岐点が見あたらない、GPSで現在地確認、 道間違えに気づき、峠の先の分岐点まで戻りました。私の使用している2010年版の地図では草戸峠が分岐点でした。 それから1時間程歩くと高尾山口駅への下降点・四辻、時間も早いし疲労感も少ないので、計画を変更し高尾駅まで歩きました。


 高尾山内八十八大師巡り 

2014年(平成26年)11月15日

 先月中学の同期会がありました。その時同級生のF君が私に手渡した封筒、中には高尾山内八十八大師巡りの資料が入っていました。 彼の趣味は仲間と千社札を持って神社仏閣巡りをすることだとか、他にも江戸の文化にも関心が深く、 経営する居酒屋は和の色彩の強い個性的な店です。 F君が何を思って此の資料を私にくれたのかは、次回会ったときに聞くこととし、とりあえず八十八ヶ所巡りをすることにしました。 高尾山内八十八大師は明治三十六年、第二十六世山主・志賀昭林大僧正が自ら四国八十八ヶ所を巡礼され、 その土を持ち帰り、山内の各所に収め、お大師像を建立したものだといいます。 山麓の不動院で巡拝案内図を入手し琵琶滝へ、そして十一丁目茶屋まで登り、蛇滝へ下りました。 さらに湯ノ花梅林から小仏川沿いに下り、国道20号を通り高尾山古道登り口から金比羅台へ、 ここから頂上へ続く表参道は紅葉のシーズンなので大混雑、薬王院付近からは渋滞で長蛇の列、 この日は山頂を諦め薬王院護摩受付所にて巡拝証を戴き帰ることにしました。


 棒ノ嶺 (ぼうのれい) 

2014年(平成26年)11月23日

棒ノ嶺  棒ノ嶺(別名・棒ノ折山)は今回が三度目です。過去二回は奥多摩側から登り奥多摩側へ下る、その様なコースでした。 今日は青梅線軍畑駅から高水山、岩茸石山、黒山を経て棒ノ嶺(別名・棒ノ折山)へ、そして埼玉側の名栗川橋へ下るというものです。 人出の多い紅葉の時期、静かな山歩きが好きなので、この様なコースを考えました。 駅から高水山、岩茸石山、黒山、権次入峠までは比較的静か、棒ノ嶺・岩茸石、間はハイカーが多く閉口、 岩茸石から名栗川橋までは、また静かな山歩きが出来たのですが、名栗川橋からのバスが満員、飯能駅まで窮屈な車内で揺れること50分、 計画の甘さに反省した一齣でした。


 北高尾山稜 (きたたかおさんりょう) 

2014年(平成26年)11月30日

 紅葉、黄葉、褐葉、そして常緑樹の緑、美しい山々を眺望しながらの山歩き、この時期限定の楽しみです。 人気の山は混雑渋滞、今回は注目度の少ない静かな北高尾山稜を選びました。 北高尾山稜をウェブで検索すると城山から堂所山まで進み、陣馬高原下バス停へ下るのが殆どでした。 帰路のバスが混雑するだろうと思い逆のコースにしましたが、城山から堂所山へ向かうのがこの山の歩き方、 以前歩いた堂所山から明王峠、そして相模湖駅へ下るコースがあることを、 後日地図を見て思い出し、ルート作りの失敗に気づかされました。 今年は高尾山周辺の山々を数々歩きました。 その結果、高尾山口駅から陣馬山間の通称銀座通りを外せば静かな山歩きが楽しめることが解りました。


 生籐山・陣馬山 (しょうとうさん・じんばやま) 

2014年(平成26年)12月7日

生籐山  何か変?いつのまにか仕事道(森林業用の作業道)に迷い込んでいました。 登山靴の足跡はなく猪らしき足跡のみ、GPSで位置確認、このまま登ると尾根付近到達可能かと一種の山歩きの感が働きました。 つづら折りの仕事道はかなりの高度(標高810m)へ、しかしその先は佐野川方面への緩い降り坂、 この地点から尾根の登山道まで直登するとGPS測定で距離300m、 笹が生い茂り足場の悪い急斜面のでのヤブコギは体力消耗で今日の山歩きの失敗につながると思い取りやめました。 仕事道の表情からGPSを頼りに先に進むと佐野川峠手前の登山道(標高710m)に出ることが出来ました。 この様な冒険が出来るのは、時間に余裕があったことと、GPSに間違った地点まで案内してくれるナビゲーション機能があるお陰です。 以前の私は躊躇することなく間違えた地点まで引き返していました。 その後は順調に三国山・生藤山そして陣馬山、一息入れて明王峠から相模湖駅に下りました。 今回はマラソンランナーの様に前日三食炭水化物を摂取、糖質不足で起こるシャリバテ(飯が足りずにバテること)がなく快調に歩けました。


 笹尾根 (ささおね) 

2014年(平成26年)12月14日

 一昨年の三月、三頭山から笹尾根を笛吹峠まで歩く予定でした。 しかし途中から霙混じりの雨で気力喪失、西原峠から仲ノ平バス停に下山した味気ない記憶がありました。 今回の計画はその続き、郷原バス停から西原峠に上り笹尾根を三国山まで歩き和田バス停に下るルートを選びました。 郷原から西原峠・数馬峠・笛吹峠そして土俵山までは好調でした。 このペースなら予定のバス(15:42)より一便早いバス(14:32)乗車可能かも? と思い三国山13時20分到着を目標とし頑張るつもりでしたが、日原峠・浅間峠・熊倉山と徐々にペースダウンし三国山到着が13時40分に、 欲張り過ぎたようなのでお隣の生藤山に移動し、ベンチに腰掛け遅めの昼食、一息入れて和田バス停に向かいました。 歩行距離20km、累積標高(+)1468m(-)1680m、オーバーワークでした。


 矢倉岳・金時山 (やぐらだけ・きんときざん) 

2014年(平成26年)12月23日

 25日投函予定の年賀状、使用する写真を決めかねていました。 今回は富士山の写真を、と考え一眼レフをザックに入れ、矢倉岳、足柄峠、金時山、御殿場と歩きました。 矢倉岳からは蒼天の富士が、金時山ではうすらと雲が、午後の御殿場からは雲間に頂上付近が望めました。 前々日の21日矢倉岳に登った義妹によると富士山は雲の中で一度も顔を出さなかったとか、 私の場合写真の腕が悪いので上等な写真を撮ることが出来ませんでしたが、 矢倉岳、足柄峠、金時山、御殿場と全ての場所で富士を眺望することができました。 今年締めの山歩きは大満足でした。

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