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私の山日記2015

 ここ数年、テントを担いで山へ行くことが出来ませんでした。 昨年は日帰りの山歩きが24回出来ました。 山歩きは健康でなければ出来ないこと、今年も体に十分注意し、数多くの山歩きをしたいと思っています。 最近は山と高原地図の所要時間以内に山歩きを終了させるという変な目標が出来上がっています。 頭ではもっとゆっくり山歩きを楽しまなければ、と常々思うのですが、 転倒が大怪我につながる岩場や危険箇所以外、脚が勝手に先に進む、そんな感じです。 古来より多くの山々は信仰の対象とされ崇められてきました。山そのものがご神体だったりもします。 鳥居をくぐるときは脱帽し、歩かして頂きますと一礼し、山には入ります。 今年は今まで以上に山の歴史等を学び、敬意を持って丁寧な山歩きを心がけねばと思います。


 奥高尾

2015年(平成27年)1月11日

 前回の山歩きから約20日経過、山歩きの筋肉量が減少?などと考え自分的に無理のない計画にしました。 陣馬高原下から陣馬山を経て景信山までは山と高原地図での所要時間は3時間30分、陣馬高原下8時50分出発、景信山12時30分到着、 ガスコンロで湯を沸かしカップ麺その他で昼食と休息約50分、 そこから城山経由で相模湖駅まで2時間5分、15時24分の電車で帰宅の途に、が予定でした。 しかし思いの外、軽い足取りで景信山到着は11時10分でした。 予定通り昼食を済ませ、それから城山へ向かうのですが、今度は脚が重く感じられ、脚の付け根に違和感が出てきました。 城山から弁天橋を渡り相模湖駅までの地図上の時間は1時間10分、それを1時間30分掛け、ダラダラと降りました。 年始めの山歩き、速くもあり、遅くもあり、でした。


 醍醐丸・市道山・臼杵山 

2015年(平成27年)1月18日

 中央本線藤野駅からバスで和田へ、そこから醍醐丸(陣馬山のお隣の山)へ登り、 吊尾根から戸倉三山の市道山と臼杵山、そしてグミ尾根から荷田子峠へと歩きました。 峠から荷田子へ降る途中、ウェブで調べておいたメモを見ると14時台荷田子から武蔵五日市駅行きのバスはなし、 1.3km先の十里木バス停からは14時15分発のバスが、急げば乗車可能なので小走りに、途中バス停(追分)があったので念のため時刻表を確認、 なんと!約7分後にバスが到着予定、一つ前の荷田子で時刻表を確認すれば良かったと思いました。
以前、御坂黒岳からの帰路、河口湖周遊レトロバスの折り返し地点、河口湖自然生活館前バス停に駅行きバスが停車中でした。 調べておいた時間まで余裕があるので急がず普通に歩いていると、バス停50m手前でバスが発車してしましました。 バス停の時刻表を見ると私が調べた時刻と違うものでした。 その後雷の通過と台風のような暴風雨、ずぶ濡れの体で次のバスに乗り込みました。 急な強雨なので徐々に乗客が増え、小振りなレトロバスは足の踏み場のない様な満員状態、 河口湖駅まで30分のところ運行時間の遅れなどで1時間近くつり革に捉まっていたことがありました。 その様な経験からもう一度いろいろなサイトから時刻表を私なりに検証、その結果バス案内WEBがバス停の時刻表と同じものでした。 実際の時刻表と違っていた Nとeのバス検索サイトはPCのお気に入りから削除しました。


 峰山・石砂山・石老山 

2015年(平成27年)2月14日

 ここ数年山の行き帰りに乗下車が多くなった相模湖駅、何時も気になるのは“石老山ハイキングコース下車駅”の看板でした。 石老山だけでは物足りないので、石砂山と峰山を加え歩くことにしました。 当初は石老山から登る予定でしたが、ゴールのやまなみ温泉・藤野駅間のバス本数が少ないので、 藤野駅発バス=やまなみ温泉-峰山-菅井下-石砂山-篠原-石老山-石老山入口バス停=相模湖駅というコースにしました。 穏やかな天候にめぐまれた日なたぼっこの低山歩きでしたが、 登山道は所々雪が残り、昼間溶け夜凍結した状態、転倒せぬよう気配りの多い山歩きでした。 現在履いている山靴は4年前に購入したクラシカルな革製、お気に入りなのですが、靴底がかなり摩耗し、 部分的に溝が無くなり滑りやすい状態、登山道のコンディションの悪いときには不向きな山靴です。


 大岳山・御岳山 

2015年(平成27年)2月22日

 娘が土・日いずれか休日出勤するからと私の都合(山歩き)を尋ねました。 私は土曜日仕事に行き、日曜日ゆっくり休息した方が良いのでは、と答えました。 本心は好天予報の土曜日を山歩きに選びたかったのですが、22日はテロが心配されている東京マラソンの開催日、 娘の仕事先は二重橋駅下車皇居の近くだとか、万が一を考えてのことでした。 私はテロと聞くと地下鉄サリン事件を思い出します。その電車は普段実弟が乗っている通勤電車でした。 たまたまその日は前日残した仕事のため早出出勤したので難を逃れたそうです。弟は私と違い子供の頃から強運の持ち主でした。 その様な理由で日曜日の山歩きを決めました。 朝、家を出るときは小雨、しかし午前中曇り・午後雨、という天気予報に期待しつつ出かけました。 今日の予定は武蔵五日市駅からバスで白倉へ、大岳山表参道から頂上に登り、御岳神社に参拝し、大塚山を経て古里駅に降るものです。 武蔵五日市駅からのバスは途中乗客が徐々に下車し、白倉まで乗った客は私一人でした。 白倉の大嶽神社で手を合わせ、林の中をひたすら登り尾根へ、ほぼ水平の山道をしばらく行く大岳山荘方面と鋸山方面の分岐点、 そこからは大岳山荘方面には進まず、直接山頂に向かう地図にないルートを登りました。 景色のない無人の山頂は−1℃、私の体力を奪いにくる雨混じりの冷たい強風が吹いていました。 長居は出来ずそのまま下山、そして大岳山荘から御岳山神社へと向かいました。 神社には観光客の姿はなく、ハイカー三人が昼食中でした。私も一息入れ、大塚山から古里駅に降りました。


 高尾山・小仏城山 

2015年(平成27年)3月1日

 四年間山歩きのお供をしてくれた革製の軽登山靴、踵の一部は3分の1摩耗し靴底の溝は残り数粍です。 そろそろ東京の登山用具専門店巡りをし新しい山靴の購入を、と考えていましたが、その時間は山行になってしまいました。 足に合わなかったら普段履き、そう考え日帰りハイキング用ビブラムソールのナイロン靴をネットで購入しました。 この日の天気予報は午前曇り・正午から雨、短時間の山靴の試し履きには丁度良い高尾山に登ることにしました。 歩き始めの高尾山口駅に降り立つと、すでに小雨が降っていました。 雨具を付け琵琶滝コースから山頂へ、いつしか雨も止み予定通り小仏城山へ、 新しい山靴に違和感はなく順調、このまま陣馬山まで歩きたい、そんな気分になったとき、また小雨が降り出しました。 折りたたみ傘を取り出し当初の計画通り小仏峠から小仏バス停へ降りました。 バス停には3分後に発車する高尾駅行きのバスが待機していましたが、 このままバスに乗車するのは物足りないので山麓を駅まで約5km、散策することにしました。 クルマのすれ違いが困難な県道は裏高尾の谷を東へ延びています。 人家の庭先には早咲きの白梅紅梅が花を付けはきめ、小仏川の水面には小鷺が羽を休めている静かな山村風景です。 途中、テレビでしか見たことのないツリーハウス(英: tree house)に遭遇、感激しました。 いつしか新しい住宅が多くなり、小仏川が案内川と合流し南浅川に変わるころ、高尾の街が近づいてきました。


 高川山から むすび山へ 

2015年(平成27年)3月14日

 膝の調子が悪い(四日前、左膝に激痛が)にもかかわらず、 サポーターやテーピング用テープを用意し山に行く、わたしはつくづく山馬鹿だと思います。 中央本線初狩駅から高川山へ、そして時間をかけて降り、天神峠から おむすび山を経由し大月駅まで、 膝に痛みが出たときは、初狩駅に引き返すか、富士急行・田野倉駅に降る、そんな予定で出かけました。 高川山への登りは膝への負担が少ないにもかかわらず、何となく緊張したぎこちない歩き方でした。 高川山からは急勾配を降るという本日一番の課題、半身でストックを使い、いつもと違う体型で降りました。 田野倉駅への分岐点までは山と高原地図コースタイム45分、実際は40分で降ったのですが、 膝に気を遣い過ぎたのか、時間的な感覚が崩れ、1時間30分位に感じました。 その後も所要時間を気にせずに、ゆったりとした気持ちで歩き続けました。 以前より手入れがされ綺麗になっていた おむすび山、案内板には、むすび山展望台・旧日本陸軍防空監視所跡と書かれていました。 私は むすび山ではなく おむすび山、そして高射砲陣地だと記憶していました。 正午過ぎに大月駅到着、いつもと変わらぬ所要時間でした。 昼食は何度か立ち寄ったことのある駅のそば屋さん、野菜天ぷらそばを戴きました。 大衆的で外れのない安定した味、私は学生時代から駅そばが好き、トッピングは財布の中身と相談でした。 晩年になり何度か有名なお蕎麦屋さんに行くことも、ほぼ美味感激、まれに個人的な好みで不満の店もありました。 次の日、太腿(大腿四頭筋)に軽度の痛みと張りが、膝をかばった歩き方が原因だと思われます。


 棚ノ入山・二十六夜山(たんのいりやま・にじゅうろくやさん) 

2015年(平成27年)3月22日

 昭文社山と高原地図・高尾・陣馬を拡げると、登っていない山々が道志山塊付近に多数ありました。 調べてみると道志村付近は現在祝祭日のバスは運休でマイカーか、タクシー利用の地域でした。 他を調べると道志村の北側、秋山村無生野へは上野原駅から一日一便のバスがありました。 今回はそのバスを利用し棚ノ入山から二十六夜山へと歩くことにしました。 上野原駅発秋山・無生野行バスは十数名の乗客を乗せ集落を巡り終点無生野へ、乗客は私一人になっていました。 西タンノイリ沢の林道を歩き、そこから沢沿いにサンショ平に向かう不明瞭な沢沿いの道、 下調べでは昭文社山と高原の地図(2010年版)とカシミールによる最新国土地理院地図には大きな誤差が、 昭文社地図は林道終点から西に巻くようにサンショ平へ、地理院は東から巻く様なルートでした。 ウェブサイトの山行き記録から最新情報を得ようとしたのですが見つけることが出来ぬまま出かけました。 西タンノイリ沢の沢筋を枝に付けられた少ない赤テープの目印とGPSを頼りのルート探し、 数十年振りに沢登りのアプローチを歩く、そんな醍醐味を堪能しました。 サンショ平(棚ノ入山)からは普通の登山道を先に進み二十六夜山へ、頂上で丸太のベンチに腰掛け昼食にしました。 二十六夜山という名の由来は特定の月齢の夜(十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜など) 講中と称する仲間が集まり、飲食を共にした後、月を拝み経などを唱えて、悪霊を追い払うという宗教的な行事だとか。 頂上から少し降ったところには、月待行事を行った講中で供養の記念として造立した二十六夜塔(月待塔)がありました。 そこから尾崎という集落に降りましたが、一日一便のバスは約2時間待ち、当然のように寺下峠を経て梁川駅まで歩きました。 梁川駅のベンチに腰掛けると強い日差しが、ザックに付けてあるアナログ温度計の針は摂氏21℃に、 “暑さ寒さも彼岸まで”とは良く言ったものです。


 今倉山・二十六夜山(いまくらやま・にじゅうろくやさん) 

2015年(平成27年)4月12日

 昭文社山と高原地図・高尾・陣馬には道志山塊に二十六夜山という名の山が二つあります。 前回歩いた秋山川の源流に位置する通称秋山二十六夜山と、今回の道志二十六夜山です。 昭文社山と高原地図の付録小誌のコースを歩くことにしましたが 、PCソフト・カシミール解説本地図及び最新国土地理院地図には二十六夜山付近の登山道が未記入、 GPS用日本高精密地形図東日本版(国土地理院のデータを元に制作したもの)も未記入でした。 GPS用日本登山地形図は実踏調査の昭文社山と高原地図ベースなので記入があるはず、 それはGPS日本語版専用で、私が使用しているGARMIN Etrex30英語版は対応していません。 前回同様、GPS用地図及びGPSの選択を誤った様に思いました。 そして思いつきで昭文社山と高原地図を拡大コピーし、 PCソフト・カシミールと等高線を見比べ重要な地点をウエイポイント制作し、GPSの地図上に登山ルートを作りました。 富士急行都留市駅前から道坂隧道入口まで冬季運休土日祝のみ運行のバスに乗車、今倉山から二十六夜山へ、 その縦走路は富士山の展望が売りだとか、曇り空にも関わらずくっきりと富士山が、そして雪を抱いた南アルプスの峰々、魅了されました。 それから二十六夜山を暫く降った仙人水で顔を洗い矢多沢から上戸沢方面へ、 途中の丸木橋、中央の丸太をバランス良く歩くつもりがスリップしてズドン、久々の尻餅は痛かったです。 億劫がらず安全のためストックを使用し下山すべきでした。 午後一時、残り4.6km地点の林道、その距離を54分で歩ければ1時54分発の電車に間に合う可能性あるので無理と感じつつも急ぎました。 1時53分赤坂交差点到着、改札口まで7〜80m、時計を見ながらの信号待ち、信号が青に変わり踏切の信号音にせかされ小走りで駅へ、 ホーム到着と同時に1分遅れで電車到着、その電車は1日数本のトーマス号でした。(ラッキー!と心の中で叫びました)


 茅ヶ岳・金ヶ岳(かやがたけ・かねがたけ)

2015年(平成27年)4月26日

 以前所用で甲府駅に下車した時、八ヶ岳に似た山に出合いました。それが別名ニセヤツと呼ばれる茅ヶ岳・金ヶ岳でした。 その茅ヶ岳は日本百名山の著者、深田久弥氏終焉の地、私も逝去された深田氏と同じ歳になりました。 先週は深田久弥氏を追悼する深田祭、私も尊敬と敬意を込めて今回登ることにしました。 中央本線・高尾駅までは身近な山々、甲府駅に近づくにつれ遠い山々、今回はその先の韮崎駅、億劫な場所でした。 韮崎駅から深田公園までのバスは一日一便、私の家からは特急列車を使用せねば不可能な山行きでした。 (私の中では)遠いので、帰りのバス時刻も早めのプランを作りました。 深田公園バス停から茅ヶ岳登山道バス停まで山と高原の地図では5時間20分、それを4時間30分で歩く予定、 区間を五分割し、細かい時間設定の計画を作成しました。(例えば1時間のコースを50分で歩くなど) しかし深田公園から茅ヶ岳の登りで、その数値をほぼクリアーできましたが、 気の緩みか、茅ヶ岳から金ヶ岳までの区間は予定時間オーバーでした。 頂上で腰を降ろし、ポンカンの皮を剥きながら、今回はニセ八ヶ岳(茅ヶ岳・金ヶ岳)、ホンモノの八ヶ岳登山の下車駅は茅野、 茅ヶ岳(カヤガタケ)のカヤと茅野駅(チノエキ)のチ、同じ漢字?などとくだらない事を考えていました。 金ヶ岳からの下山時、登山道の間違えを指摘してくれた方にバス停からの行き先を聞かれ、「茅野駅(チノエキ)・・・じゃなくて・・・」と 口走り、韮という漢字が頭に浮かんだのですが、崎という字が思い出せず、無言のままでした。 最近はメモ書き頼りの山歩き、前回は富士急行乗車時、下車駅名を忘れ、ポケットからメモ書きを取り出す不甲斐なさ、 自分でも呆れ気味な昨今、次回からは地名や行程時間など頭に入れてから山に行こうと思いました。 今回往路は八王子駅から特急列車の自由席に乗車、大月駅まで座れませんでした。 復路は鈍行乗り継ぎ、特急列車利用より乗車時間が約1時間超過でした。 私は"交通費は極力経済的に、その分、山用品の充実を図る"というのが若い時からの考え方でしたが、 そろそろ変更の時期、今度韮崎駅まで来るときは往復座席指定とし、山での時間を充実したいと思います。 韮崎駅のベンチに座り列車待ち、正面に茅ヶ岳と金ヶ岳、斜め左に八ヶ岳、とてもよく似た峰々でした。


 御正体山(みしょうたいさん)

2015年(平成27年)5月3日

 山は新緑、冬眠中だった多くのハイカーが山々へ繰り出す季節です。今回は混雑の少ないだろう?御正体山に決めました。 昨年の山歩き計画では御正体山はしんどい山なので、クルマを利用し池ノ平からの往復予定でした。 しかし今年3月、同じバス路線の今倉山・二十六夜山を歩いたときはクルマの運転のないラクチンな電車・バス利用での入山が良いと思いました。 御正体山北側都留市からの入山は標高差の少ない道坂隧道バス停からのコース(約600m)と標高差約1000mの御正体入口バス停からのコースがあります。 あえて標高差の多い御正体入口からのコースを選んだのは(多分)自分への挑戦だったと思います。 今回もバスの時間を気にした山歩き、発想の転換を、と思いつつ今日に至ります。(自分の馬鹿さ加減は重々承知なのですが・・・) 山と高原の歩程は6時間55分、バスの時刻表に合わせ、それを6時間弱で歩く、 それも御正体山までの登り3時間15分を1時間短縮予定、しかし体力不足、無謀な計画でした。 (私は体力的に優れたトレイル・ランナーではなく、只の山好きなオッサンです) 御正体山から山中湖平野バス停へは幾つものピークを越えながらの降り、前半の体力消耗で足の運びの酷さを実感しました。 御正体山・三伏峠間は分岐が多く解りにくい登山道、それを真新しい三伏峠への案内板と蛍光色の目印テープに助けられました。 交通量の多い片側一車線の国道413号は道幅が狭く平野付近までは歩道なし、クルマと出合うたび端に避けながら歩きました。 それでもバス発車時刻50分前に山中湖平野バス停に到着しました。 有名な観光地の一つ、山中湖周辺は交通渋滞、当然バスの到着も遅れて富士山駅到着は指定席券を購入しておいた快速電車の発車10分前でした。 (バス時刻表の運行表は通常30分、それが所要時間1時間25分、約3倍でした) 当初は電車待ち約1時間を遅めの昼食と、車内に持ち込むおいしいコーヒー探しの予定でしたが、 トイレに立ち寄る時間しかありませんでした。 次回は瑞牆山、金峰山など多くの人々で賑わう山々へ、渋滞含みの計画で急がず慌てず山歩きを楽しみたいと思います。


 瑞牆山(みずがきやま)

2015年(平成27年)5月17日

 私が頻繁に山登りをしていた四十数年前、瑞牆山・金峰山は複数日を要する山でした。 北・中央・南アルプス等と違い、地味な山に感じられ、訪れた事がありませんでした。 現在の私にとって、瑞牆山や金峰山は日帰りの出来る2000m超えの山、とても魅力的な存在です。 今日の目的地は瑞牆山、中央本線韮崎駅からバスに乗車しました。 運転手さんは三週間前の茅ヶ岳往路と同じ、俳優の哀川翔さんによく似た人、 ツアーガイドのような悠長な喋りだったので印象的でした。 郷土愛の強い地元の人だと思っていましたが、 山や自然が大好きで、山が毎日眺められるバス運転手という職業を選び、この地に移住したとか。 今回も山々の風景、季節の花々、近郊の山情報など多くの説明が聞けました。 それに比べ茅ヶ岳復路の運転手は喋りが下手、さらに韮崎駅下車時、整理券を見せ『茅ヶ岳登山口』と告げると 料金は2060円(瑞牆山荘からの料金)だと答える、聞き返すと1230円だと、またも珍答、私は『720円でしょ!』と言い、 料金と整理券を手渡し下車、瑞牆山と茅ヶ岳の区別がつかなく、郷土愛の感じられない酷いレベルでした。 (他の運転手さんは違うと思うのですが)この会社の従業員は哀川翔さん似以外の人は皆地元民だとか。 今回の瑞牆山は日本百名山の一つ、混雑予想で臨みましが、好天にもかかわらず登山道の渋滞もほとんど無く、順調に山歩きを楽しみました。 “えきねっと”で予約した列車の1時間前に駅到着、窓口で30分早い列車に乗り換え手続きを済ませ帰宅しました。 私は鈍行列車の常連、インターネット指定席予約の“えきねっと”は初心者、ケータイなどを駆使した予約変更ができませんでした。


 今倉山・菜畑山(いまくらやま・なばたけうら)

2015年(平成27年)5月23日

 少々強行かと思いつつ、計画した無生野から道志村への山歩き、5月24日の天気予報は曇りから雨、諦めていました。 すると、娘の予定が変更になり、急遽前日の23日が一日中外出可能に、山に行けることになりました。 コースを逆にすると登りの累積標高が少なく帰宅時間が早くなる、今倉山から菜畑山そして無生野までのコースを思いつきました。 しかし当日朝寝坊してしまいました。計画を道坂隧道→今倉山→菜畑山→道志村とさらに変更し出かけました。 富士急行・都留市駅から道坂隧道行き、朝二番目のバスに乗車、乗客は6名でした。 私以外の人々は今倉山から二十六夜山向かうとか、私一人菜畑山を目指しました。 好天に恵まれ、樹木の間からは富士山を望むことができ、小さな花々が心を和ませてくれました。 今倉山からは山中誰一人出会うこともなく、涼しげな風を受け快適な山歩きができました。 バスの時間を考慮し朝日山(赤鞍ヶ岳)は諦め、ブドウ岩ノ頭からヤグラ沢沿いに降りました。 到着した戸渡バス停は民家の玄関先、付近には適当な場所がなく長時間のバス待ちには不向きなので、 休息場所を探すべく国道413号道志みちを山中湖方面へ歩きました。 3km程歩いた唐沢バス停、付近は整備された地域、四阿風見晴らし台に腰を降ろし、道志渓谷の大自然を眺めながらバス待ちをしました。 道志村は公共交通機関の不便な地域、土日休日のバスの運行は午前午後各1本、 富士山駅までは山中湖・旭日丘バスターミナルで乗換えが必要です。 富士急行・富士山駅から大月駅へ、二階席のあるホリデー快速ビューやまなし号に乗車し立川駅に、 そして2駅先の西国分寺駅へ、さらに武蔵野線に乗り換え漸く新松戸駅到着。 この日は道志村から家まで5時間弱を要した長い帰路でした。


 宝永山(ほうえいさん)

2015年(平成27年)6月7日

 富士山五合目に連れて行けと言う娘、理由は7月南米のマチュピチュ遺跡旅行のため高山病の症状を体験をしたいとか、 体質もあるので無理な注文、高度順化の専門施設の存在を紹介すると、 最近は高尾山以上の高所体験が無いので気休めに五合目まで行きたいという答えでした。 私はクルマで富士スバルライン五合目往復だけでは物足りないので、 静岡県側富士宮口五合目から宝永山往復を提案しました。 普段の海外旅行はほぼ母親が同行、たまには父親に付き合うか、そんな感じでした。(哀れな父親) 平成13年の御岳山・日の出山以来、14年振りの親子での山歩きが実現しました。 未明からクルマで富士山・富士宮口五合目へ、到着と同時に娘が用意したカップラーメンにお湯を注ぎました。 早朝の雲海を背に六合目から宝永山へ、娘の服装は、この山の風景にとけ込まない異質なもの、 出発前に服装等の点検をすれば良かったと思いました。 今回ストックを2組用意し、娘には使いやすいブラックダイヤモンド社製を使用させました。 踏ん張りの効かない溶岩の登山道、へたれたスニーカーで休憩を含み往復3時間20分、娘の頑張った数字でした。 (親の欲目!山と高原地図では2時間45分) 普段と違い短時間の山歩きでしたが娘と一緒で大満足、その時の私は多分だらしない顔で歩いていたと思います。


 筑波山(つくばさん)

2015年(平成27年)6月28日

 山歩きの出来なかった日々が20日間ありました。 少々の雨降りでも山を歩きたい、そんな思いから異常気象を考慮し、移動時間と歩程時間の少ない筑波山へ行きました。 走行途中の筑波山は雨雲に覆われていましたが、徐々に回復の様子、期待を持ってクルマを走らせました。 筑波山神社の駐車場にクルマを止め白雲橋コースから山頂へ、早朝の静かな雨上がりの森をひとりで歩きます。 以前から気になっていたロープウェイと登山道がクロスする地点、つつじヶ丘から頂上駅までの電柱電線は確認できたのですが、 ロープウェイの太い鋼鉄製ロープを今回も下方から見つけることが出来ず残念でした。 山頂直下の鎖場は普段渋滞する場所、今日はさほど待たずに通り抜けることが出来ました。 女体山・男体山の両神殿に参拝し御幸ヶ原コースを下山、2/3程降った頃、『遅いな〜もっと早く歩けよ!』と心の声が聞こえました。 私にとって、我が家からクルマで1時間半前後の距離にある筑波山は、帰りの時間を気にせず、ゆっくり歩く山です。 今回は少しの距離を急いでみました。


 三本槍岳(さんぼんやりだけ)

2015年(平成27年)7月12日

 2003年に再開した山歩き、最初に購入したガイドブックは昭文社・関東の山歩き百選でした。 日帰りが出来ない山、交通の不便な山、いろいろな理由で未だ30%の山々が残されています。 雨振りが続き、ようやく晴れ間が、太平洋上には梅雨前線、その南西には台風が、 好天の可能性が増すのは北の山・・・などと考え、このガイドブックの中から福島と栃木の県境三本槍岳を選びました。 以前登った茶臼岳は外し、ガイドブックの案内通り歩くことにしました。 ロープウェイ山麓駅から緩やかな登山道をのぼり始めました。 次第に岩場やガレ場に、そしてアルペン的な朝日岳へ、それから清水平の湿原へ降り、尾瀬のような木道を歩き、 ハイマツの広がる登山道を上りきったところが那須連峰の最高峰三本槍岳でした。 青天の空に下、360度の大展望、峰を連ねた山々、印象的な大パノラマでした。 最近テレビの鉄道番組の影響からか、往復の交通機関が楽しみになってきました。 往路は駅弁持参で東北新幹線"やまびこ"に、 復路は時間があったので宇都宮線(黒磯・宇都宮間)と新宿湘南ライン(宇都宮から神奈川県逗子行き)に乗車、 どれもが初体験、新旧の列車の旅を味わうことが出来ました。


 金峰山(きんぷさん)

2015年(平成27年)8月23日

 7月19日ジョキング中、右膝を痛め接骨院に通院、7月30日完治だと告げられましたが正座できる状態ではありませんでした。 2008年(平成20年)奥多摩の棒ノ折山と岩茸石山間で左膝を痛めましたが幸い自力で帰宅することが出来ました。 数日間の休養で膝の腫れが無くなりましたが、徒歩20分で膝に痛みが出る状態、山歩きの再開には半年を要しました。 この事がきかけで、自転車での膝の強化及び減量に取り組みました。 それから数年間は自転車に熱中し、月10回以上の長時間走行をしました。 我が家から江戸川サイクリングロードまで約20分、北は関宿や渡瀬遊水池往復、南は谷津や舞浜を散策、また東は銚子(片道)まで走りました。 数年後、自分的には自転車を走らす筋肉と、山歩きの筋肉は違うように思えて、いつしか江戸川サイクリングロードが遠のきました。 過去の経験から今回は長期間トレーニングの必要性、そして10kmのジョキングが出来るまでは数ヶ月必要だと考えていました。 8月1日、3km軽く走ってみましたが息切れが顕著でした。山歩き復帰は秋を目標に自己流のトレーニングを積み重ねることにしました。 8月16日、走りと歩きを交互に10kmに挑戦、何故か休憩なしで10km走ることが出来ました。摩訶不思議! 3日後の19日も10kmのジョキングが出来ました。思いのほか早い回復に驚きつつ山歩きに出かけました。 若い頃、計画倒れで登れなかった山、瑞牆山・金峰山、その時の交通機関は増富鉱泉までで2日間以上を必要とする山でした。 当時私は同じ地域にあり標高の高い北岳、鳳凰三山等に目を向け、瑞牆山・金峰山には足が向きませんでした。 そんな瑞牆山と金峰山、現在は日帰りの出来る山になっていました。今年5月瑞牆山へ、今回は金峰山です。 金峰山から大日岩に向かう途中、「良い山ですね!」と声をかけてくれた登山者がいました。 確かに素晴らしい!一部の人たちは、この地区を東アルプスと言うのだとか、私もその意見に賛成の一票を投じることにしました。 大弛峠から金峰山までは1時間43分自分的には好調でしたが、その後ペースが落ち大日小屋まで山と高原地図では1時間40分の行程、 ところが2時間超過の鈍足、体調は50%程度か?と思い、その後は時間を気にせず、怪我のない下山を心がけました。 40日振りの山歩き、いつもより疲れました。 韮崎駅から乗車した特急は通路まで満員、車掌室の脇のスペースで帰路のバスで知り合った若い単独登山者と山歩き談議、 退屈な時間が楽しい時間に変わりました。山歩き一期一会。


 筑波山(つくばさん)

2015年(平成27年)9月6日

 秋雨前線が停滞中、予報は晴れや曇りでも、長時間夜行バスに揺られる気分ではありません。 それでも山に行きたい、その様なときは移動時間の少ない筑波山です。 未明に起床し、雨降りだったら中止、曇りだったら決行、山歩きの数時間前に決断できる山です。 標高1000mに満たない山ですが、頂上まで距離が遠かったり近かったり、体調や気象条件により様々です。 つつじヶ丘やユースホステル跡地から登ったこともありましたが、殆どが筑波山神社からです。 今回も筑波山神社駐車場から白雲橋コースで女体山へ、そして男体山頂から御幸ヶ原コースを降り駐車場に戻りました。


 月山(がっさん)

2015年(平成27年)9月22日

 山と渓谷社刊・東京周辺の山350コースというガイドブックに夜行バス利用で月山に行く案内がありました。 歩行4時間10分一般向、月山八合目を朝8時にスタートすれば湯殿山バス停13時30分発のバス乗車は余裕だと思いました。 時間の経過と共に、このガイドブックのコースタイムに不安を抱きました。 常に山と高原地図の歩程を参考に計画しているのですが、山形県の月山が日帰りできる山だと思っていなかったので、 山と高原地図・月山が手元にありませんでした。 地図の購入は後日として、とりあえずウェブで山と高原地図の歩程時間を調べました。すると歩程時間6時間40分とありました。 8時から歩き始め13時30分のバス乗車には1時間10分の時間短縮が必要です。 しかし人気の山は登山道の混雑が予想され、思い描く時間に歩けないことが多いので、 下山路は距離の短い姥沢コースに変更しました。 (次のバスは16時45分、帰宅が24時頃になります)
 上野駅発22時50分発の夜行バスは翌朝5時20分頃鶴岡に到着しました。乗客が少なかったので一人で2席使用でき、熟睡できました。 鶴岡駅近くのエスモール乗場からのバスは月山八合目へ、早朝澄み切った空気と色付いた山々が満員の乗客を迎えてくれました。 小さな湖沼が散在する八合目弥陀ヶ原からの頂上周辺はガスに覆われ時折顔を見せる感じ、日本海にある高気圧の影響だそうです。 太平洋上の台風は気になったものの、日本海側にある高気圧の特異性には無知でした。 高度を上げるにつれ視界が悪くなり、雨に当たらなければ上出来だと思い、ひたすら展望のない登山道を歩きました。 月山八合目より頂上までの山道は神社の境内地、特に頂上の月山神社本宮内は古来より特別な神域で、 お祓いを受けてご参詣するそうです。今回は開山時期を過ぎていたので、お祓いを受けずに参拝したこと、心苦しく思いました。 風が強く寒い月山神社付近は頂上小屋以外の休息場所がなく、しばらく降った日溜まりで昼食にしました。 そして湯殿山神社への道を右に分け、なだらかな登山道を足下の植物や景色を眺めながらの山歩き、至福の時間でした。 下山道からの望むなだらかな山容の月山は黄緑赤の秋色化粧、いつまでも眺めていたい美しい名山でした。 このままリフトで降るのは心残り、もう少し山歩きを続けたい、その様なことからリフト下山の予定を変え姥沢バス停まで歩きました。 途中、月山の名水と書かれた水場が二カ所あり、空になったペットボトルに水を詰め、水割り用に持ち帰りました。 姥沢バス停からは町営バス、高速バスと乗り継ぎ山形駅へ、ほぼ定刻到着でした。 早速調べておいた老舗M屋を探し、半板そばで舌鼓、満腹で車中の人に。
1400年の歴史を誇る信仰の山・月山、11年振りの夜行日帰り、思いでの多い旅でした。


 大山(だいせん)

2015年(平成27年)10月12日

 伯耆大山(ほうきだいせん)、この山に興味を持ったのは、四十数年前でした。 当時、東京・四谷に欧州山荘という店内が山小屋風のこぢんまりとした登山用具専門店がありました。 無理をしてノルディカの登山靴を購入したお店です。 その時、景品に頂いた山靴型の灰皿は私のお気に入り、鉛筆立てとして長年愛用しましたが、 陶器製だったので引っ越しの時破損してしまいました。 店主はクライマーの大倉大八さんという方で、若い頃の主なホームグランドは大山の北壁だったとのこと、 その時から伯耆大山は気になる存在でした。 その大山のある中国地方鳥取県に夜行バスと特急・新幹線を組み合わせて、 夜行日帰りの山歩きができることを知ったのは最近のことでした。  8日前、思い込みと早とちりで集合場所を間違え、夜行バスに乗り遅れるという初めての大失態をしてしましました。 今回は緊張感を持って慎重に下調べをし、新たにバス会社を変更し品川バスターミナルから米子行きの夜行バスに乗車しました。 バスは横三列の独立シートで深めのリクライニングですが、足をゆったり延ばすスペースはありませんでした。 発車後約10時間で米子駅前バスターミナルに到着、灰色の空と小降りの雨が嬉しくないお出迎え、 降水確率70%、外れて欲しい天気予報でした。 朝7時20分の始発バスに乗車、車窓から望む大山は雲に覆われていました。 バス停から僅かで登山道入口、今回は日本海の展望や始まりかけた紅葉は期待薄、頂上到着のみが山歩きの目標、 楽しみの少なさに、ついつい重い足取りになってしまいました。 八合目まではブナの森を登り、そこから山頂までは緩やかな木道歩き、しかし視界が少なく、雨混じりの強い横風、 目視できませんが、地図上左手は絶壁、気を緩めることができませんでした。 多くの峰のある大山、その最高峰は剣ヶ峰(標高1729m)ですが、絶えず崩落が起きていて危険だとか、 弥山(みせん標高1709m)手前の大山頂上の石碑から先は通行止めとなっていました。 頂上の避難小屋の中で小休止、そして下山開始、木道歩きはさらに雨風が強く、ストックを持つ指先が寒気で痺れる感じでした。 高度を下げるにつれ雨も収まりましたが、晴れる気配がなく景色はありませんでした。 登山道入口手前を右折し大山寺へ、参拝を済ませ参道をのんびりとバス乗り場へ、到着は13時頃でした。 予定の日本交通バスは14時50分、他に"大山るーぷバス"という鳥取県地域振興目的の定額乗り放題バスの存在は知っていましたが、 大山山麓を複雑に走る循環バスでコースが理解できませんでした。 到着した"大山るーぷバス"の運転手さんに尋ねると循環以外、米子駅まで走るバスもあると教えて頂きました。 数分後別の"大山るーぷバス"到着、運転手さんに行き先を確認し乗車、そのバスは米子方面へ降るのではなく登り始めました。 幾つかの停留所を廻り、また元のバス停戻り、そして降り始めました。やはり"大山るーぷバス"はコースが複雑でした。 米子駅下車と同時に急いでJRみどりの窓口へ、 "特急やくも""新幹線のぞみ"共に予定より早い指定席の空きが有ったので、 運良く乗り換え変更に成功!2時間早く帰宅することができました。天候以外は順調な旅でした。


 石鎚山(いしづちさん)

2015年(平成27年)11月3日

 横三列の夜行バスも快適ですが、それより上等な夜行バスが有るのだろうか、と思っていました。 ある日のTV、徳島の観光バス会社が運行する徳島・東京間の夜行バスは1台僅か12席、個室に近い快適な空間だとか、 私も乗車したいと思い、山より先に乗り物を選んでしまいました。 有名な山は徳島県・剣山(つるぎさん)、ガイドブックでは名前に反してなだらかな山、標高差僅か245mと書かれていました。 約11時間以上の移動で標高差245mの山歩き、物足りなさを感じ今回は愛媛県・石鎚山に行くことにしました。 最近は慎重さに欠け失敗が多いので少々早めに家を出て東京駅で途中下車、 帰路の新幹線と東京ラインの乗り換え時間をチェックし浜松町バスターミナルに向かいました。 浜松町駅からはPCのバスターミナル行き方案内通りに進むと今治方面のバス乗り場、 確認後、世界貿易センタービル本館地下の飲食街で腹ごしらえ、 バス乗り場のある別館へは往路を辿らず、(遊びで)自分の感を頼りに地下街を進んだのですが本館脇の地上到着失敗、 そこで駅とビルの位置確認ができたので、もう一度地下の迷路?に挑戦、今度は本館から別館に通り抜けできました。 石鎚山の標高は四国一、そして西日本第一の高峰だとか、最高峰の天狗岳は標高1982m、魅力的なマッターホルンの様な山容です。 しかし、この山は日本百名山、混雑が予想されます。帰路の時間を考えると天狗岳往復は時間的に不安でした。 夜行バスは順調に、そして予定時間より少々早く、西条登道バス停到着、 それから石鎚山ロープウェイ方面行きバス停のある西条駅に移動しました。 趣のある木製の西条駅前バス待合所、ロープウェイ方面行き待ち人一番は私、二番目は大阪から夜行の船で来たという青年、 彼には山中で数回出合い、登頂写真をお願いしたり、天狗岳の岩稜で気遣ってもらったりもしました。 バス、ロープウェイ、リフトと乗り継ぎ順調に山歩き開始、途中石鎚神社成就社には大勢の白装束集団がホラ貝を吹いていました。 時間の読めない鎖場は迂回し弥山(みせん)頂上の石鎚神社に到着、手甲脚絆に白装束の集団で溢れていました。 流石山岳宗教のメッカだと思いました。 参拝は後に天狗岳へ、切り立った岩稜の北面は霧氷、下方から吹き上げる寒風、腰が引けました。 そして石鎚山の最高峰天狗岳無事往復、石鎚神社に戻り参拝を済ませ、日溜まりで小休止、風景を楽しみました。 今回も何となく身体が重い感じ、夜行バスの疲労が原因なのか、と考えました。 時間的に余裕があったのですが、身体に克を入れるべく、急ぎ足で下山、ストックを二本使用していましたが、 緩やかな階段を約五段スライディング、迂闊でした。その後もめげずに急ぎ足で降りてみました。 乗車予定のバス発車時刻より1時間以上前にロープウェイ下谷駅到着、発車時刻確認のためバス停へ、 するとバス停脇の土産物屋さんの親父さんに声を掛けられ店内へ、それから発車時刻近くまで地元の方と四方山話、 この地方の方言は解りづらく、話を合わせるのに一苦労、理解できたのは半分くらいでした。 定刻通りにバス到着、そして定刻通りに伊予西条駅へ、私は急ぎ足でJRみどりの窓口へ一直線、 約1時間早い特急と新幹線の座席指定確保、瀬戸内の夕日を眺めながら帰路につきました。 今回も人との出合、自然とのふれあい、車窓からの風景など山旅を十二分に堪能できました。


 山歩き残念記

2015年(平成27年)11月22日

 今年10月初版発行の『山歩き安全マップ・関西の山ベスト(JTB発行)』というガイドブックを取り寄せました。 昔から訪れてみたいと思っていた山々が数々ありました。 そのガイドブックを元に日程・歩行時間・歩行距離・累積標高差・登山適期・アクセスなど次回の山歩きを検討しました。 魅力的な山が多すぎて一つの山に絞り込むのは大変難しい作業、善し悪しが多く数日間迷い脳が疲れました 発想を変え、11月23日以降バスの運行が無くなるという単純な理由で大台ヶ原山・日出ヶ岳に決めました。 当初の計画では、前日の夜、家から新宿へ、夜行バス・地下鉄・近鉄・奈良交通バスと乗り継ぎ午前11時近くに登山口到着、 往路は乗り継ぎ時間を含め半日以上の移動、山歩きは3時間未満、物足りなさを覚えました。 充実した旅にするため寄り道(観光)することにしました。 地の利のない土地、地理から勉強、交通網の検索、寄り道の選択など、調べることが沢山ありました。 出来上がった計画は、到着時間の早い夜行バスで大阪梅田へ、 JR大阪駅始発電車に乗り鶴橋駅で近鉄に乗り換え畝傍御陵駅下車、神武天皇陵を参拝し北参道から橿原神宮へ、 橿原神宮駅から大台ヶ原行きバス停のある大和上市駅へ移動し9時発のバスで大台ヶ原に向かいます。 日出ヶ岳周遊コースの山歩きを楽しみ、バスで大和上市駅に引き返す、復路は京都駅から新幹線で帰宅する予定でした。 (夜の京都、ライトアップされた紅葉の寺院めぐり、心惹かれましたが、混雑渋滞での時間的に予測が難しいので取りやめました) 当日は神武天皇陵・橿原神宮参拝後大和上市駅到着までは順調でした。 しかし大和上市駅前のバス乗り場には《大台ヶ原行期運休》の文字が・・・。 二日前の土砂崩れで通行不能に、大阪近鉄阿部野橋駅には張り紙があったとか・・・。 関東周辺の山なら別の山に行くことも可能ですが、今日は大台ヶ原・日出ヶ岳以外の用意が何も無いので山歩きは中止しました。 周辺の観光地を模索しましたが資料のない場所で不安が、 思いついたのは数日前に調べた『京のライトアップされた紅葉の寺院めぐり』、昼の京都に向かうことにしました。 橿原神宮駅で乗り換えたときは、車内空席も多かったのですが、京都駅に近づくにつれ満員に、混雑が予想できました。 大混雑の京都駅はコインロッカーの空きが無く、山靴を履き、6kgのザックを背負っての出発でした。 第一目標は人気のライトアップ寺ベスト1位の清水寺(きよみずでら)です。中学校の修学旅行以来の京都、胸が高鳴りました。 途中にあった三十三間堂を見学、そこに設置されていた臨時観光案内所で欲しかった市内の観光案内図を入手しました。 清水寺は一部工事中、私は少々落胆、しかし人出は想像以上、初詣のような混雑、 ナビで脇道を探すのですが、直ぐに渋滞道路に、我慢歩きの連続でした。 清水寺からは八坂神社へ、そして南禅寺(なんぜんじ)、 お目当てはTVロケでおなじみの水路閣、色づいた紅葉と煉瓦作りの橋桁、素晴らしいところでした。 その後仁王門通りを西へ、京都市勧業館付近の堀沿いのベンチに腰掛け遅めの昼食、 パンに市販のメンチカツをはさんだサンドイッチ、そしてミカンなど、前日山用に用意したものでした。 ふと7〜80m左前方に眼をやると、桃花色の衣の姫が、二条通方面から堀沿いに南下中、午後2時過ぎ、京の幻想でした。 昼食を終え三条京阪駅付近から鴨川沿いに南下、四条大橋を渡りました。 そこからは大通りを避け、京文化に触れるべく路地から路地へ、町家など風情を楽しみつつ京都駅まで歩きました。 今回は山歩きならぬ京歩き、14km・4時30分、京文化の一片を感じることができた旅でした。


 高鈴山(たかすずやま)

2015年(平成27年)12月6日

 この秋は夜行バス利用の山歩きに五回出かけました。 予定通りだったのは山形県月山・鳥取県大山・愛媛県石鎚山の三回だけ、あとの二回は失敗でした。 夜行バスの乗り遅れ(自己責任)と道路崩落による山岳バス運休(情報収集の甘さ)でしたが、それなりに別の楽しみ方をしました。 しかし山歩きの達成率は60%、不調だったと思います。 12月は近くの山、お隣の茨城県に目を向けることにしました。その茨城県でも失敗が一つあります。 朝、用事を済ませクルマで久慈男体山登山口へ、11時到着、駐車スペースの空きがなく気力喪失、そのまま退散したことがありました。  その後、筑波山以外、茨城の山歩きは考えませんでしたが、今回は日立の高鈴山を歩くことにしました。 早く目覚めたので余裕を持って一本早い電車に、乗換の我孫子駅では20分待ち、普通列車の高萩行き乗車し日立駅に到着しました。 東河内(ひがしごうち)行きバスで御岩(おいわ)神社下車、常陸最古の霊山・御岩神社、大日本史の編纂にあたり、 水戸光圀公が祈願した神社だとか、私も手を合わせ厳かな気持ちで御岩山の表参道を歩き始めました。 薩都神社、賀昆礼神社と参拝し御岩山へ、御岩神社から頂上までの山域には180以上の神々が祀られているそうです。 神域から離れ高鈴山へ、花の百名山だというこの高鈴山、花の時期はさぞかし混雑するのだろう、などと思いを巡らし歩きました。 山頂の展望台で景色を楽しみ、四辻から金山百体観音へ、100枚の硬貨を持参することができず、申し訳なく思いました。 そして助川山展望台へ、久々の水平線に感激し日立の街に降りました。 日曜日でも商店街はシャッターを降ろした店が多く、昼食店を探しながら駅まで歩きました。 今日はラーメンで妥協と半ば諦め、先ほど見つけたラーメン屋に戻る途中、視界に見覚えのある店名、 ネットの"食ログ"ベストスリーの店を発見しました  迷わず上寿司定食と生ビールを注文、アルコール類は帰宅してからが基本でしたが、今回は特別、としました。 こじつけの理由ですが予定時間より早い下山なので時間的に余裕、 ガイドブックに書かれていたとおり、特急列車に乗るメリットが少ないので特急利用料金をアルコールに変換、 (特急列車利用は鈍行より15〜20分程度早いのみ、乗換が多いのでこんな結果が)などです。 酒好きの私の弱点がでました。悪い癖にならなければ良いのですが・・・。


 愛宕山・難台山・吾国山(あたごやま・なんだいさん・わがくにさん)

2015年(平成27年)12月13日

 冬の低山歩き、2回目も茨城県の山です。 今年夏、何気なく目にした『吾国山』というスケールの大きな山名、気になっていました。 笠間市の公式ホームページにある笠間・吾国愛宕県立自然公園ハイキングコース 、 このコースは岩間駅から愛宕山(標高 306m)、難台山(標高 553m)そして吾国山(標高 518m)を縦走し水戸線福原駅に降るコースです。歩行距離17.1キロメートル、6時間20分、健脚者向きとあり、低山ながら手強いと思いました。 PCのカシミール3Dソフトでコース設定をしたところ、距離16.3km累積標高(+)1075.9m累積標高(-)1052m所用時間5時間12分、 私的には少々距離が長いと思いました。 エスケープルート(退却路)は西へ下りバスで羽鳥駅に戻ることができるので、気楽にこのコースを歩くことにしました。 朝8時過ぎ、常磐線岩間駅到着、第一の目標愛宕山へ、『悪態まつり』の数多くの幟、一週間後祭りがあるとか。 (悪態まつりは神社に向かう烏帽子白装束の天狗の列に人々が悪口を言い続ける日本三大奇祭の一つだそうです) 創建が大同元年(806年)と伝えられている歴史ある愛宕神社に参拝し第二の目標、難台山に向かいました。 難台山の登り口、団子石峠には瓦谷バス停から登ってきたのだろうか、 大勢のハイカーが防火帯の幅広い登山道を登りかけていました。 勾配の急な登りから、幾つかの峰を越えこのコースの中間点、難台山へ、予定時間より30分早く到着しました。 下山地の福原駅は水戸線、列車は1時間に上り下り各1本、予定より1時間早い乗車を目指し歩き始めました。 第三の目標吾国山到着は新たな予定時間より10分遅れ、休憩せずそのまま早足で先を急ぎました。 里にくだり、畦道を少々走ったりもし、福原駅へ、列車到着10分前でした。 今回も時間に捕らわれた山歩きをしてしまいました。 次回はカップ麺などを持参し、休息時間を十分にのんびりとした山歩きを楽しみたいと思います。


 久慈男体山(くじなんたいさん)

2015年(平成27年)12月26日

 以前駐車スペースが満車で意気消失し登らずに帰った山が久慈男体山、再度挑戦です。 常磐線水戸駅から郡山行きJR水郡線に乗車、全線単線非電化のローカル列車、新型車両でもどこか趣のある車内でした。 水戸から1時間少々で西金(さいがね)駅、下車すると乗車していた車掌さんがプラットホームを小走りに私のところに、 切符を受け取り急いで車掌室に戻り、出発進行!スイカの使えない無人駅でのことでした。 駅からは舗装道路を大円地の登山口へ、そこから一気に男体山頂上、予定より30分早く到着しました。 ガイドブックによると今回のコースは6時間30分、それを5時間20分で歩けば袋田駅13時55分発水戸駅に乗車可能、 気力が充実してきたのも束の間、鎖やトラロープの付けられた荒々しい岩稜の登山道は急勾配が多く、 一部凍結し濡れている岩場の上り下り、枯葉の下に隠れる泥濘、岩の露出したところでは少しのミスでも怪我につながるので 、時間短縮を自粛しました。 次の水戸行きはその約2時間後の15時42分発、いつもと違う山の歩き方に変えました。 見晴らしの良いところでは時折立ち止まり景色を楽しみ、第一展望台での昼食は岩に腰掛けカップ麺や果物で長時間の大休止、 月居(つきおれ)城址ではこの地の歴史を学びました。 月居山観音堂下の分岐からは左折し自然探索路から袋田の滝に向か予定でしたが、正面の階段を昇り中腹の観音堂に立ち寄り、 そのまま月居山ハイキングコースの長い石段を上り下り、途中の水平道奥にある見晴らし台へ、上から眺める生瀬の滝は感動ものでした。 そのまま川沿いまで降り、吊り橋を渡り袋田の滝を眺望、観光気分で歩きました。 袋田駅に着いたのは午後3時、帰りの切符を購入し、ログハウス調の駅舎を一回り、その後列車到着時まで退屈な時間を過ごしました。

 
 
 
 

私の山日記2016

 昨年の後半から運気が低迷期?に入ったのでしょうか。 7月はジョキング中、右膝を痛め接骨院に通院し、 9月新幹線予約取り消しの入力ミスで指定席料金支払い、 10月集合場所を間違え、夜行バスに乗り遅れる、 11月登山バスの運休を現地(奈良県)到着後に知る、など数多くの失敗を重ねてきました。 気分を変えることにしました。 私の山用品の色は、いつのまにか九割が黒系になっていました。 例えば赤・青・黄・白・黒の五色の商品、購入するのは何時も無難な色、この五色なら黒です。 以前読んだ本によると身につける色によって活力が増加するのだとか、そんな内容だったと記憶しています。 昨年の12月からは古い水色のジャケット(12年前の雨具の上着)と 赤いザック(6年前に購入、背中の通気性が悪いので殆ど使わなかったもの)で山歩きに出かけています。 今年も明るい色を身につけ活力的な山歩きをしたいと思います。

 

 烏場山(からすばやま)

2016年(平成28年)1月11日

 年の初めの山歩き、失敗の無い様に慎重にガイドブック(ヤマケイ・東京周辺の山)からコース選びをしました。 千葉県の山(丘陵)は九つ、二つ登っているので、七つの中からの南房総・烏場山を選びでした。 ウェブでは"烏場山は、千葉県南房総市と鴨川市との境界にある山である。標高266.6m。房総丘陵の山の一つである。 岩崎元郎氏の新日本百名山の一峰に選ばれており、房総では人気のあるハイキングコースとなっている"という案内でした。 このコースはよく整備され、標識も要所に立てられ迷う心配がないという理由が決め手でした。 ガイドブックでは歩行4時間、少々物足りないので抱湖園に寄り道することにしました。 寄り道コースは地図に無いので、ウェブでこのコースを整備している和田浦歩こう会のコースマップをダウンロードし出かけました。 人気のあるハイキングコースだと書かれていたのに、内房線和田浦駅に下車した乗客は私一人、予想外でした。 (最適期は12月〜2月だとか?何らかの理由で不人気になり、ひとけのない山になったのか?という疑問が生まれました) 人通りのない駅前から登山口へ、駐車スペースにはハイカーが乗ってきたであろうクルマが数台、チョット気分が変わりました。 ハイキングマップのキャッチフレーズは足にやさしいコース、そのとおりアップダウンが少なく快適に歩ける山道でした。 コース中、幾つもある展望台では以前登った伊豆ヶ岳や太平洋の大海原を望むことが出来き、 最も印象的だったのはおとぎ話しに出てくるようなマテバシイの林、そこではゆっくりと味わうように歩きました。 降りは別のコースで黒滝へ、素晴らしい滝を近くで観ることができました。 そこからが今回の難題!抱湖園(花木園)の正確な位置も解らないまま、一部地図上にない道を抱湖園に向かうという計画でした。 注意深く周辺を見廻すと、離れたところに古い標識を発見、荒れた山道を抱湖園に向かい歩きました。 抱湖園は和田町随一の桜の名所で、この桜は旧暦の元旦の朝に咲くことから、元朝桜と呼ばれているとか、しかし期待はずれでした。 桜はみられましたが、手入れがされず荒れ放題、コンクリートの階段は泥水が流れ観光客には危険な状態でした。 (二月第一日曜日に抱湖園で間宮七郎平祭りがあるので、それまでには手入れがされるのでは・・・) その周辺の地名は和田町花園、その名の通り、菜の花畑と多くの早春の花々が海岸近くまで続きました。 海岸で浜千鳥の歌碑を見てから和田浦駅に向かいました。 往路は武蔵野線・総武線・内房線と乗り継いで和田浦駅まできました。 復路はJR東日本の乗り換え案内によると、この時間は(特急を除いて)安房鴨川から外房線・京葉線・武蔵野線の乗り継ぎが早いらしいので、 ボックス席に陣取り車窓からの風景を楽みつつ帰路の途に、烏場山・山歩きのおまけは房総半島一周鈍行列車の旅でした。


 鋸山・嵯峨山(のこぎりやま・さがやま)

2016年(平成28年)1月23日

 JR内房線・浜金谷駅に降り立つと温暖な南房総なのに浜風がやけに冷たい、 気象予報では日本上空に非常に強い寒気がはいり雪の降りやすい状態で夕方から大雪になる可能性があるとか、 予報より早めに雪が降り出したら、山歩きを中止しすぐさま帰宅の途に、そんなことを考えながら出かけてきました。 所々にある案内表示に従い町を抜け、登山口入口からは急な階段を昇り、金谷港の見渡せる観月台へ、 そこから樹林帯を進むと垂直に切り立った石切場の岩壁、さらに昇り続け幾つものピークを越えたところが鋸山三角点でした。 それから展望台に引き返し一息、東京湾の向こうにはうっすらと伊豆半島が、今日は曇天、残念ながら富士山を望むことはできませんでした。 さらに降り北口管理所で拝観料(通行料)を納入し広大な境内へ、 鋸山日本寺は観光地なので混雑が予想されましたが、この日は鋸山ロープウェイが運休、閑散とした参道を仁王門まで下りました。 一般道に出て保田駅方面へ向かい、駅付近から東に折れ小保田地区を目指し舗装された道路をひたすら歩きました。 集落からは水仙の咲く沢沿いの農道を嵯峨山へ、尾根の途中に"鋸山"と書かれた目新しい標識がありました。 嵯峨山と鋸山を結ぶコースが存在したようです。 地図やウェブでこのコースを探せなかった悔しさが疲れを倍加させました。 山頂手前の水仙ピークには先ほど日本寺ですれ違った団体さんが昼食中でした。 嵯峨山から北側の釜の台へ、林道を降り、途中山道に入り峠を越え小保田集落に戻りました。 十数分待つと保田駅方面の臨時バスが到着するのですが、何故かバスを待たずそのまま保田駅に向かい歩きました。 この日歩いた距離は普段より多い約20 km、でもその半分は舗装された一般道でした。


 三石山・元清澄山(みついしやま・もときよすみやま)

2016年(平成28年)1月31日

 今回の計画はJR久留里線・上総亀山駅まで移動し、表参道から三石山へ、 その後地蔵峠を経て元清澄山から金山ダムに降り、 一日4便のバスを待たずに、安房鴨川駅まで歩く予定です。 このコースを山用地図ソフト・カシミール3Dに設定すると、歩行距離は22.231km、所要時間6時間43分21秒と表示されました。 少々の時間短縮は可能なので上総亀山駅8時31分到着で安房鴨川駅14時54分発の普通列車に乗車が可能だと考えました。 "山歩きも人生も、思い描くようにはいかない"と山歩きを人生に例える人がいます。今回はその典型でした。 下調べが不十分だったので三石山から元清澄山方面の取り付きが解らず、約30分のロスタイム、登山道で15分のロス、 その時間を取り戻すのは難しいと感じました。 その理由は昨日の雨で登山道のコンディションが悪いことと、私の履き込んだ山靴は底の凹凸が少なく滑りやすい状態なのです。 しかしこの時点で諦めるのは私の流儀に反します。 水を含み滑りやすい岩場や急斜面では慎重に、足場の良い登山道のみ急ぎました。 金谷ダムの赤い橋13時42分到着、残り6.8kmの舗装道路を1時間12分で歩くことは不可能、でも早足歩きをしました。 安房鴨川駅15時03分到着、計画より9分間の遅れで済みました。次の特急列車に乗車し、帰宅の途に。


 八良塚・高宕山(はちろうづか・たかごやま)

2016年(平成28年)2月11日

 今回の山歩き計画は南房総・八良塚・高宕山・鹿野山のコースを計画しました。 調べると鹿野山方面へは登山道崩壊による通行止めだとか、 ウェブによるこのコースの登山記録(2015/12)では、登山道の崩壊は小規模、注意すれば通行可能だと書かれていました。 しかし通行禁止の表示を無視し通り抜けること、躊躇しました。 鹿野山なしのコースは物足りないので上総湊駅まで舗装道路を歩くことにしました。 JR木更津駅からバスで宿原へ、10分遅れの到着でした。 上総湊駅から千葉方面へは1時間に1列車なので、今回は幾つかのポイントに時間設定をしました。 とりあえずバスの遅延時間を取り戻すべく少々急ぎました。八良塚の登り口、ウェブの写真と違い登山道が消えていました。 赤いテープの目印があったので少々ヤブコギをして登山道へ、(新しい登り口は数百メートル手前だったとか、見過ごしました) 今回のコースで標高が一番高い八良塚(342m)から高宕山へ、頂上はコースから外れ往復20分、 この時間は計画に含まれておらず失敗でした。 その後気合いを入れ、このコースの起点・高宕1号隧道へ、予定より6分遅れの到着でした。 今日は岩場や登山道が乾いた状態だったので、時間短縮が可能になったのだと思います。 そこからは舗装された林道と国道を19.7km歩く、飽きました。疲れました。足裏が痛みました。1時間早い到着でした。 帰りの列車では爆睡、乗換の蘇我駅で辛うじて目覚めました。


 津森山・人骨山・津辺野山(つもりやま・ひとほねやま・つべのやま)

2016年(平成28年)2月21日

 南房総の山、今年5回目です。殆どの山頂には房州低名山(ぼうしゅうひくめいざん)○○山の標識がありました。 房州低名山とは、房日新聞紙上で、平成17年2月6日から18年4月23日まで、計42回にわたって連載された人気シリーズだそうです。 これまで地元の人でさえ見向きもしなかった60mの丘レベルから県内の最高峰・愛宕山408.6mまで連載、 これによって「低名山」という名称も定着したとか。 今回は津森山(つもりやま)と隣の人骨山(ひとほねやま)、そして少し離れた津辺野山(つべのやま)を歩きました。 内房線保田駅からバスの終点大崩(をくずれ)へ、舗装道路を進み、酪農家の軒先を抜けたところに登り口がありました。 少々登ると頂上、酪農家の裏山という感じでした。 恐ろしい名前の人骨山は展望が素晴らしい里山でした。 古い資料では秘境扱いの津辺野山、"ふうりん"さんのブログでは昨年2月の《きょなん味わいハイキング津辺野山》 というイベントの時に整備され、ヤブコギや道迷いもなく歩けたとか、この方のGPS足跡が今回の山歩きの決め手でした。 昨日は降雨量が多かったようで登山者の踏み跡はほぼ消えていました。目印の赤いテープは所々欠落し、 見通しのない森林帯では"ふうりん"さんの地図とGPSを併用してのルート探し、私には難度の高い山歩きでした。 頂上間近、聞き覚えのない激しい鳴き声、木陰から覗くと十数メートル先で猿が喧嘩?左右に分かれていきました。 時間をおきその場所を通過、そして頂上から林道へ、赤いテープの無いところでは地図やGPSとにらめっこ、 等高線をじっくり見たのは久々でした。 林道から駅までは桜の花びらが風に舞うのどかな里歩きでした。


 御殿山・大日山(ごてんやま・だいにちやま)

2016年(平成28年)2月28日

 以前、御殿山を計画したとき、南房総市営バス(一日数本)の保田駅始発は7時55分発、新松戸駅始発に乗ると保田駅8時32分到着、 御殿山はタクシーを利用する以外方法が無いのかと思っていました。 その後、いろいろと検討した結果、保田駅2番目の10時10分発バスを利用、御殿山から大日山へ、そして県道を那古船形駅まで歩くと、 いつもの時間に帰宅できることが解りました。 今日は山田中バス停から御殿山・大日山・坊滝と、天候に恵まれ登山道の状態も良く快適に歩けました。 増間ダムまでの時間は予定より約30分短かったので、残り11.5kmを2時間弱で歩けば予定より1時間早い列車に乗車ができます。 途中安房勝山駅で下車し大黒山へ、などと欲張った考えが脳裏に浮かびました。 計画が無理だったのか、それとも頑張りが足りなかったのか、8分遅れで駅到着、残念でした。 内房線千葉方面は1時間にほぼ1列車なので興味本位に駅周辺を散策しました。 20分程歩いたところにお洒落なカフェが、コーヒーが美味しそうな雰囲気、時間的に頂くのは無理なので諦めて駅に戻りました。 帰路の電車でのこと、山で見かけた方のことを思い出そうと記憶のページを開いていました。 『次は・・フナバシ』の車内アナウスが耳に、"フナバシ"という言葉に身体が反応、無意識にホームに降り立ちました。 辺りを見廻すと南船橋ではなく通過駅の西船橋、先ほど南船橋で乗り換えた記憶が飛んでいました。 (帰路は、那古船形駅乗車→蘇我駅乗り換え→南船橋駅乗り換え→新松戸駅下車) 同じ電車に戻り、予定時刻に無事新松戸駅へ。 私の場合、集中すると廻りが見えなくなり失敗することが多々あります。


 倉見山と真木お伊勢山(くらみやま)

2016年(平成28年)3月21日

 前日はPCの調子が悪く、ガーミン(登山用GPS)との接続が不能、PCから今回の山歩きコースのアップロード出来ませんでした。 むろんGoogleマップのストリートビュー閲覧やウェブの写真など見ることができず、情報不足でした。 (PCのメンテナンスを怠っていました) 当日、PCを立ち上げコースをアップロード、そして身支度を調え食事もせず急いで駅に、始発30分前到着、寝ぼけ?それともボケ! このような状態で山へ、富士急行・東桂駅は天気予報と違い、霧雨が降っていました。 倉見山への登り、右手・高速道路の走行音、左手は絶え間ない発砲音(射撃場があるらしい)、快適な山歩きではありませんでした。 頂上に近づくにつれ騒音もなくなり、霧雨から霙に、そして細かい雪にと変化、木々や落ち葉の上にうっすらと積雪、 テンションが上がってきました。 徐々に調子を上げ、足取りが軽くなったと感じ始めた頃、眼下に寿駅付近の町が見えてきました。 無人の駅にも数名の乗客が、その中の一人は見覚えのある顔、当時は純粋無垢な社会人一年生?肥満体質に見えました。 今は精悍な顔、そして予想通り体重も増えたようです。また余計なことを書いてしまいました。 駅周辺の地番は上墓地、旧駅名は墓地駅だったそうです。それが寿駅に改名、陰から陽への大変身! 寿駅から電車で上大月駅に移動、そして花咲林道から秀麗富嶽十二景のひとつ真木お伊勢山に向かいました。 山頂の芝生広場には白旗史朗氏のレリーフなどあり、山岳写真の聖地のようだと思いました。 私が若い頃、一番憧れた写真家は白旗史朗氏です。 氏ゆかりの秀麗富嶽十二景、未だに全山クリアできていません。


 杓子山・鹿留山(しゃくしやま・ししどめやま)

2016年(平成28年)3月27日

 1〜2月は南房総の山(丘陵)を6回歩きました。 3月からは山梨県・富士急行線の東側、倉見山・杓子山・石割山を3回に分けて歩く予定です。 今回はその2回目、富士急行・葭池温泉前駅から歩き始め登山口の不動湯へ、杓子山と鹿留山に登り、内野峠から忍野村に降りました。 今日も前回同様、高い所は雪を踏みしめての山歩き、少しの雪でも気分は最高でしたが、杓子山の山頂直下の急登は泥沼状態、 設置されているトラロープと樹木を手がかりに漸く登りました。鹿留山からの降りも同じような状態、数倍の時間が必要でした。 第一ポイントの不動湯までの一般道と林道歩きは順調でしたが、第二ポイントの忍野村内野までは山歩きが主、 登山道の状態が悪く予定時間より15分遅れで通過、急ぎ足で富士山駅まで歩くことにしました。 観光客の多い忍野八海付近は思うように進めず、歩道のない狭い道路では大型バスが近づくと道路脇に、最短距離道路の選択は間違いでした。 後日、昭文社・山と高原地図を見ると、私の歩いたコースより南側に歩きやすそうな道がありました。 遅れという焦りがあったのでしょうか、記憶違いで早めに右折してしまいました。 その結果が遠回りに、到着予定時刻を3分超過、電車に乗り遅れました。 次の特急乗車でも帰宅時間は同じなのですが、わずか3分の乗り遅れは少し悔しい思いがありました。 (富士急行の電車運行は1時間に約2本、余裕を持った計画が出来るはず、にもかかわらず時間と争う山歩きをしてしまう自分、最近の傾向です) 特急の座席指定車に入ると床は絨毯張り、汚れた山靴の私は恐縮、自分の席を探すと一人掛の豪華なシートでした。 座席指定券は特急料金の他に僅か200円、大変お得だと思いました。


石割山(いしわりやま)

2016年(平成28年)4月9日

 石割山のハイキングコースを歩いてきました。 ガイドブックでは石割山から富士山山中湖バス停に降るのですが、今回は現地到着時間の早い逆コースを選択、 富士山を背に石割山に登りました。 富士急沿線の山歩きは今年3回目、一番の好天でした。 しかし残念なことにカメラを持参せず、素晴らしい富士山を記録出来ませんでした。 頂上からの降りは二十曲峠経由忍野村へ、駅までは前回と一部コースを変えて歩きました。 東海自然歩道は小鳥の囀りが聞こえる小道、未舗装で日差しが届く雑木林の歩道でした。 忍野入口交差点からは前回同様クルマの騒音の中を吉田市内へ向かいました。 浅間神社本宮が複数存在する事を知ったのは昨年の暮れ、今回は厳かな北本宮富士浅間神社を参拝しました。 本宮から金鳥居のある富士山駅までは多くの御師(おし)の家がありました。 富士山は平安時代以前、登らず裾野から遥拝していましたが、仏教の影響によって、 登拝するという祈りのかたちに変わったそうです。 御師は、夏季に富士講信者が登拝を行うのに当たり、宿泊・食事の準備をはじめ一切の世話を行うとともに、 日常は富士山信仰の布教活動及び祈祷を行うことを生業としていました。 富士吉田の街は富士講信者によって賑わい、一時御師の家が80軒以上あったそうです。 今回は美しい富士山を望み、富士山信仰の歴史に少々触れることができた山歩きでした。


三ツ峠山(みつとうげやま)

2016年(平成28年)5月1日

 富士急行線で車窓から眺める山々、そこでの一番の素晴らしい山は、やはり富士山です。 二番目はどこの山かな?などと考えた時、急に眼に飛び込んできたのが荒々しい岩稜と風格のある三ツ峠山でした。 次に登るのはこの山、と決めたのは前回の石割山帰路の車中でした。 この山は若い頃、複数回登っています。 印象に残る思い出は重い麻のザイルと登攀用具を背負って夜中北口から登り三つ峠駅に降った時のこと、 人身事故で1時間以上電車に缶詰になったという記憶は四十数年前でした。 今回は三つ峠駅から表登山道を三ツ峠山の三山、開運山・御巣鷹山・木無山に登り、府戸尾根から河口湖駅まで歩きます。 今日現在20日間のブランク(私の場合、辛いときが多い)と体調不良(最近のジョキング最長距離が約7km、目標の10kmは困難な状態)  今回の歩行距離は 17kmで気になる数字ではありませんが、標高1530mを登り、1290m降る、 標準的な時間(PCソフト・カシミール3Dによる算出時間)で歩くのは最初から無理だと思っていました。 案の定、駅から達磨石までの舗装道路歩きで疲労を感じ、何時も通りの歩きができませんでした。 今日は無理せず勇気を持って途中でリタイヤ!という選択をすべきだと考え、ゆっくりと先に進みました。 体調不良を理由に引き返すつもりで登っていたのですが、いつのまにか屏風岩の下に、 登攀用具を身につけザイルを延ばす若者の姿を見ると、遠い昔を懐かしく思い、なぜか身体が熱くなり軽い足取りになりました。 (登攀用具の進歩でハーケンを打ち込む音が聞かれなかったのが残念) 通称・三ツ峠山と呼ばれる開運山から御巣鷹山へ、それから木無山の手前で富士山を眺めながらの昼食、木無山からは存在の薄い霞山を経て天上山に、 少し降ると外国からの観光客で賑わうカチカチ山、マイペースの観光客の間をすり抜け河口湖駅まで歩きました。 リタイヤを覚悟で歩いた今回の山歩き、PCソフト・カシミール3Dによる算出時間(06:27:04)よりも早く(06:11:30)歩けたこと、 何か不思議なパワーが働いたようです。


 乾徳山・黒金山(けんとくさん・くろがねやま)

2016年(平成28年)5月8日

 高校時代、多くの級友と夜行日帰りで何度か登ったことのある乾徳山、もう一度登りたい、そんな事を考えたのは一年前でした。 今回は徳和(乾徳山登山口バス停)から乾徳山に登り、黒金山を経て青笹集落(天科バス停)に降ることにしました。 PCソフト・カシミール3Dの所要時間は5時間42分、前回の三つ峠より歩行距離が短いのでこの時間内で歩けると思っていました。 しかし山と高原地図のコースタイム(8時間50分)との差が大きかったので少々気になりましたが、そのことを追求せず出掛けました。 国師ヶ原までは順調でしたが扇平・乾徳山と予定時間より遅れが、黒金山では1時間の時間超過、降りで頑張ることにしました。 黒金山からの降りは岩や石の多い登山道、思うように時間稼ぎが出来ません。 計画では天科バス停14時51分乗車予定でしたが、次の15時21分乗車を目標に定め急ぎました。 黒金山登山口までは明瞭な登山道でしたが、その先は登山道が枯葉で埋もれ不明瞭な難路でした。 途中標高1450m付近で登山道を見失い、GPSを頼りに道探し、尾根を見つけ降り始めました それは東から東北に延びる尾根、地形の違いに気づき、基本通り登山道を見失った地点まで戻ることにしました。 (後日、この場所を地図で確認すると古い登山道か作業道で引き返した地点から100m位下ると登山道に合流するようです) 50m程登り振り返ると、南方向に登山道らしきもの発見、GPSの地図とも合致、ヤブコギをし、その地点まで降ることにしました。 少し降ると、こむら返し、睡眠中脚をつった経験はありますが、山では始めて、焦りました。 道迷いの時間は僅か10分でしたが、30分以上迷走したように感じました。 その次のバスは15時51分、脚の調子を伺いながら、それなりに急ぎましたが、3分遅れで乗り遅れました。 (カシミール3Dでの算出時間は5時間42分でしたが、 今回は道間違えの時間も含め6時間48分、予定より1時間以上もオーバーしました) 今回の失敗点は何度か登っている山だという油断、PCソフト・カシミール3Dのみで計画、 GARMIN(GPS)に頼り切って下調べを疎かにしたことだと思います。 次回からは地図をしっかり読み、ガイドブックに目を通し、インターネットで情報を収集、など心がけようと思いました。


 飯盛山(めしもりやま)

2016年(平成28年)5月28日

 今年2月に大腸の精密検査でポリープが見つかり、5月11日から一泊二日の入院で内視鏡による切除手術をしました。 退院後の一週間はウォーキングのみ、その後ジョキング再開、そして山歩きとなりました。 登山は初級、中級、上級と順序良くランクアップするのが普通だとおもいます。 若い頃の私は、初級・中級の山々を少々登った程度で、岩や沢登り、冬山に没頭していました。 そのため、一般的に名の知れた山々が抜け落ちています。 今回はその一つ、初心者向きで歩行時間の短い飯盛山に出掛けました。 雄大な八ヶ岳を望む小淵沢駅からの小海線に乗車、広い斜面を大きく曲がりながら登ってゆく高原列車、 別荘が点在する林を抜けると清里駅でした。 駅から舗装された道路を平沢集落へ、途中他県ナンバーの中型観光バスが空で下ってきました。 団体さんが入山しているのかな、などと考えながら、林の中の登山道を歩きました。 見通しの良い尾根に出たとき、大勢のハイカーが休息中、30人位の団体さんでした。 そこからは草原上の尾根道、ご飯を高く盛ったような飯盛山が徐々に近づいてきました。 頂上からは富士山と南アルプスの鳳凰・甲斐駒・仙丈、そして赤岳を主峰とする八ヶ岳連峰、雄大な眺めでした。 そして平沢山から獅子岩へ下り、途中ガイドブックのコースを外れ、標高1375mのJR鉄道最高地点へ、 夏の最盛期と違い混雑はありませんでしたが、多くの観光客が記念写真を撮っていました。 そこから線路沿いに標高1345m、JR線最高駅の野辺山駅へ向かいました。 今朝は始発に乗車、鈍行列車を乗り継ぎ片道約5時間掛けて山麓へ、山歩きの時間は3時間未満、 客観的に見て、これはもう乗鉄(鉄道を乗り歩くファン)の鈍行列車の乗り継ぎの旅、山歩きはおまけ!そのように思いました。 出発時間を遅らせ、往復特急(片道約3時間半)にすると山歩きらしくなるのでは、と考えました。 今更計画変更も嫌なので、小淵沢駅で駅弁と缶ビールを購入、爆睡しながら帰ることにしました。 (私の中で帰路の飲酒はルール違反なのですが)


 美し森・天女山(うつくしもり・てんにょさん)

2016年(平成28年)6月4日

 今回は最近購入した"日帰り山あるきベスト130"(大人の遠足BOOK)の中から《美し森・天女山》初級3時間30分コースを選びました。 ガイドブックでは清里駅からバス利用となっていましたが、ピクニックバスは臨時列車に接続がないので利用できませんでした。 県道から階段を10分程上った所が標高1542mの小高い丘、美し森山でした。 今日はあいにくの曇天、南アルプスや八ヶ岳の展望は得られませんでしたが、咲き誇るレンゲツツジが気分を和ませてくれました。 そこからは羽衣池、川俣川渓谷、八ヶ岳牧場を経て天女山に向かいました。 頂上には駐車場があり数台のクルマが駐車、標高1529mの頂上まで車で行ける山でした。 頂上から県道に出て、南にしばらく下ると左手に俳優・柳生博氏の店、八ヶ岳倶楽部というレストランがあり、繁盛している様子でした。 ガイドブックのゴールは甲斐大泉駅、しかし少々物足りないので当初の計画通り2駅歩きました。 小海線・甲斐大泉駅の次は平山郁夫シルクロード美術館が隣接している甲斐小泉駅、そして中央本線小淵沢駅を目指しました。 今日は清里駅から小淵沢駅まで約22km歩きましたが、山歩きは6.6kmと少なく、主に舗装道路歩きでした。 小淵沢駅始発高尾駅行きの鈍行列車の座席に腰掛けると疲れが出てきました。 この時間帯は小淵沢駅停車の特急がなく、途中甲府駅で乗り換える予定でした。 甲府駅ホームは特急列車を待つ乗客の列、座席に座れなくても移動時間を短縮するか、 そのまま高尾駅まで座り続けるかの選択でした。今回は帰宅時間が50分遅い後者を選びました。


 編笠山・権現岳(あみがさやま・ごんげんだけ)

2016年(平成28年)6月11日

 新宿駅午前7時発スーパーあずさ1号松本行に乗車しました。 指定された席に着くと隣の人は帽子を深く被りと薄色のサングラスをした登山服の男性、気楽に声をかけると、 岩登りの講習で横岳に行くのだとか、横顔しか見えませんでしたが、どこか見覚えのある人でした。 時間の経過とともにお隣さんはあの著名な竹内洋岳さんだと気付き、先ほどまでの的外れの山の話が恥ずかしくなりました。 下車時、列車のデッキで握手をお願いすると喜んで受けてくれました。嬉しかったです。
[プロ登山家・竹内洋岳(たけうちひろたか)氏は日本人初のヒマラヤ8,000m峰14座完全登頂に成功した14サミッター(14座制覇者)です]
 最初の計画は編笠山のみでした。隣の権現岳も含め日帰りで可能か否か、昭文社・山と高原地図で検討しました。 権現岳から小泉駅に下るのが最短のようで、コースタイムも5月の乾徳山・黒金山より少々多め、このコースを歩くことにしました。 小淵沢駅前のタクシーには大勢の登山者が、その大半は前日までの予約組、予約ナシの人は順番待ちでした。 順番待ちの登山者に声をかけ、一番目の車に相乗りに成功、今日は幸運だと思いました。 タクシーを下車した観音平から編笠山までは順調でしたが、青年小屋付近で疲れが出てきたので昼食にしました。 休息で元気を回復し権現岳に進みました。昼食のコロッケサンドが原因か?徐々にお腹の調子が悪くなり軽い痛みが出てきました。 ペースを落とし、小休止を交えながら、ゆっくりと権現岳に向かいました。 権現岳の先、三つ頭からは徐々にペースを取り戻し、甲斐小泉駅17時22分の列車に乗れるかと思ったのですが、 駅付近で道を間違え乗り遅れました。仕方なくタクシーを呼び隣の小淵沢駅から乗車し帰宅しました。
 5月の乾徳山はスタートのバス停からゴールのバス停まで全ての時間を含め6時間48分でした。 山と高原地図のコースタイムは8時間50分、77%で歩いたことになります。 今回の登山道も岩塊傾斜の多いコースなので、山と高原地図の77%、7時間03分位で駅に到着できると思っていました。 しかし結果はコースタイムの83%で7時間36分、約30分オーバーでした。 検証すると、三ツ頭から小泉駅までの降りは2時間18分(67.3%)と通常でしたが、 スタートの観音平から押手川地点まで1時間50分を1時間08分(62%)というハイペースで歩いたことが主な原因で、 いつもより早く脚が重くなったことと、軽い腹痛が重なり編笠山・権現岳間は122%の時間を要しました。 通常はスタートから1時間位はリラックスしてゆっくりと歩き、それから徐々にペースを上げていきます。 今日は列車内で竹内洋岳氏とお話できたことにより、興奮や緊張などでアドレナリンが活発化し、交感神経を刺激、 最初から最速に近い登りをしてしまいました。 今回のコースは歩程距離16.5km、標高差登り1533m、降り1933m、私にとっては余裕のない数字です。 自分に合った効率の良いペース配分を考えておくべきでした。


男山・天狗山(おとこやま・てんぐやま)

2016年(平成28年)7月3日

 編笠山・権現岳の次の山歩きは蓼科山と決めていました。 北横岳ロープウェイを利用し北横岳へ、そして蓼科山から蓼科牧場に下るコースです。 今年は列車・バスの乗り遅れが2回ありました。時間を計算すると、帰路の最終バスの時間に余裕がありません。 乗り遅れを考慮し、バスが増発する時期まで待つことにしました。 次の山歩きを考えていると、天狗山から男山・上級日帰りというコースが昭文社・山と高原地図の付録ミニガイドブックにありました。 奥秩父最西端の岩峰だとか、タクシー利用で馬越峠からスタートし小海線信濃川上駅に戻るコース、興味をそそられました。 タクシー待ちの時間が不安定だということは前回学んだので逆コースを歩くことにしました。 男山登山口からは荒れた林道を標高1525mまで歩きます。 そこからは手挽坂(てひきさか)という急な登山道、登るにつれ息切れが出始めました。足を止め心拍数が少なくなるまで小休止しました。 最近のこと、雨降りの日でもジョキングが出来るランニングマシンに興味を持ち、松戸市の施設で使用してみました。 徐々に速度を上げ走っていると息切れがし、心拍数を測ると168回/1分! 最大心拍数を超えていたので慌てて速度を落としました。 ジョキングを始めた頃、心拍数120位で息切れ、最大心拍数などという言葉は不要でしたが、今は山歩きの重要なポイントの一つです。 手挽坂を登り終えると岩尾根、さらに50mほど岩場を登ると、男山頂上でした。 山頂からは360度の大パノラマ、あいにく八ヶ岳は裾野の牧場付近まで雲に覆われていました。 男山から垣越山を経て天狗山へ、赤テープやペンキのサインを探しながらの岩場の昇り降り、山歩きの楽しさを堪能出来ました。 天狗山から馬越峠(まごいとうげ)へ降り、舗装された道路を大深山(おおみやま)のバス停へ、バスの到着までは約30分、 今日は歩き足りないので駅まで歩くことにしました。


北横岳・蓼科山(きたよこだけ・たてしなやま)

2016年(平成28年)7月31日

 蓼科山は数か月前からガイドブックやウエブなどで検討していました。 そのとき始めて長野県登山安全条例のことを知り、様式をダウンロード、登山計画書を制作しました。 しかしバスの便が悪いので、増発される時期まで待つことにしました。 若い頃、登ったことの有るような無いような、曖昧な記憶の北横岳から、訪れたことのない蓼科山を経て、 何度か観光で行ったことのある蓼科温泉郷に降るコース、6時間で歩ききる計画でした。 朝一番の特急列車で懐かしの茅野駅へ、バス、ロープウェイを乗り継ぎスタート地点の山頂駅、坪庭から北横岳山頂までは順調でしたが、 その後徐々に失速しました。 天祥寺原から蓼科山の登り、沢沿いのガレ場で疲れが感じられた頃、時折体の重心が後ろに移動し三歩後ずさり、 前後左右多少の重心のブレを自覚することはありますが、三歩の後ずさりは驚きました。 そのため頂上への急な岩石帯では必要以上に慎重な登りを強いられました。 このような状態は始めて、心当たりはトレーニング用のランニングマシンの使用方法に問題があると思いました。 テレビを観ながらのお気楽な低速ウオーキング、ハンドルを握りながら変則的な歩き方をしていたと推察できます。 帰ったらランニングマシンの使用方法を再検討し、身体のバランス感覚のチェックが必要だと考えました。 このような理由と苦手な暑さから、蓼科山到着は予定時間より30分遅れでした。 今回はストックを2本使用しましたがバランス感覚の悪さを補うことが出来ず、 ゴールより1時間手前の蓼科山登山口バス停最終バス30秒前到着という鈍足でした。 今回の山歩き、帰路はバス乗車から帰宅まで5時間30分必要としました。 今まで疲労が少ないという理由で公共の交通機関を利用していましたが、今回の場合は別な入山方法がベストなのでは・・・。 今のクルマは長距離を走るには不向きなコンパクトカーですが、時間に縛られないクルマ利用の山歩き、再検討すべきだと思いました。 若い頃、年に複数回訪れていた八ヶ岳、赤岳周辺の山が主でした。 今年の6月は過去に登ったことのない美し森山・天女山と編笠山・権現岳を、今回は蓼科山、 予定の親湯入口バス停まで歩けず少々悔しさの残る山歩きでしたが、八ヶ岳連峰をほぼ歩いたという満足感がありました。


甘利山・千頭星山(あまりやま・せんとうぼしやま)

2016年(平成28年)9月11日

 前回の山歩き、移動時間は往復10時間30分必要としました。 遅い時間の登山口到着と、帰路のバス時間に追われる、慌ただしい山歩きに嫌悪感を抱くようになりました。 そしてクルマ利用の山歩きの利点欠点を再検討すべきだと考えました。 今回はクルマ運転の疲労度が山歩きにどの程度影響するかがテーマでしたので、山歩き時間の少なめな甘利山・千頭星山に決めました。 自宅から途中休憩なしで登山口の駐車場へ、予定より1時間早い到着、20分で軽い朝食と身支度を整え出発しました。 順調に甘利山から奥甘利山へ、途中から小降りに、集中豪雨という言葉が頭をよぎり、引き返すタイミングを計りながら登りました。 標高2066mの大西峰(おおにしうら)からは雨が収まり千頭星山へ、大西峰に戻り、往路と同じ登山道を降りました。 山歩きは約3時間で往復できたので順調でしが、帰路の運転に問題が生じました。 コンパクトカーなのでホイールベースが短く、ハンドルが軽いので、高速道路には不向きなクルマだと判っていましたが、 車線はみ出しの警告音(蛇行運転)が十数回、予想以上に酷い運転、この日は超初心者でした。 次回からは休息を挟んで運転するとか、遅めのクルマの後ろを真面目に走るとかの工夫が必要だと思いました。 運転時間は往復6時間と順調でしたが、不慣れなクルマでの長距離初運転、往復400kmは無謀でした。 もっと近場の山を選ぶべきでした。


筑波山(つくばさん)

2016年(平成28年)10月10日

 巣鴨にあるゴローという名の山靴屋さんで私の足型を計測してもらいました。 私の希望するモデルは在庫がなかったので出来上がるまで一か月待ちました。 その山靴を受け取りに巣鴨まで行き、帰りは新しい山靴に履き替え、遠回りして帰りました。 次の試履きは筑波山、スニーカーをザックに忍ばせ出かけました。 筑波高原キャンプ場から女体山と男体山、そしてユースホステル跡地経由で筑波高原キャンプ場に戻るというコース、スニーカーに履き替えることもなく計画通り歩けました。 山靴の履き心地が知りたくて、登山道の滑りやすいところや露出した岩の上など、普段とは反対に歩きにくい所を選びながら時間をかけ登りました。 下りは何時もの歩き方が出来ず少々苦戦、履きこなせるには暫くの時間が必要だと感じ落胆、 そんな気分の時、私より年配の登山者と暫しの立ち話、筑波山に1000回登った人をお祝いした話、次の人は現在1600回超え記録更新中だとか、 毎週登っても一年に五十数回、気の遠くなるような数字、でもユースホステル跡地からだと往復2時間程度、1日3回登ると1年で1000回超え、 私の突拍子もない発想に二人で大笑い!気分が晴れました。


甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)

2016年(平成28年)10月16日

 ここ数か月、6時間以上のコースを歩いていません。そろそろ頑張らなくては以前のような歩きが出来なくなる、という心理的圧迫感があります。 左膝に違和感があり不安でしたが、今回は思い切って甲武信ヶ岳にチャレンジすることにしました。 クルマ運転後の山歩きと公共交通機関利用の山歩き、体力的な相違は良く解りませんが、途中のサービスエリアで30分ほど休憩し登山口の毛木平に入りました。 外気温度は摂氏2度、多めに着込んで歩き始めました。 歩き始めて1時間後、樹木の根に躓き手が地面に、土の上だったのに何故か指に3mm位の擦過傷、そして傷からの血がなかなか止まりません。 山では開けたことのないビバーク用品等の入ったピンチ袋を取り出し絆創膏で止血、今日は困難な山歩きになる前兆かと思いました。 千曲川の源流を目指し歩くこと3時間、水源地標到着、休息後頂上に向かいました。 天候に恵まれた山頂では乾徳山・黒金山や金峰山と瑞牆山、そして八ヶ岳や遠く離れた南アルプスまで望むことができ、至福の時間を過ごしました。 今日は膝をかばって歩いているので、多くの人に追い抜かれました。 ゆっくりと前を歩いている単独行の人、コースを外れて沢の方へ、私が声掛けをすると戻ってきたので、先を急ぎました。 その後、歩きながら思ったのですが、服装が初心者のようだったので、無事下山できるか心配になりました。 私も初心者の頃、単独行では何度かゆきずりのベテランの方に同行していただいたことがあったので、一緒に下山すれば良かったと後悔しました。 その様なことを思い出していると、岩に躓きました。 転ばないように踏ん張ると両脚の脹脛が痙攣、顔から地面に、無意識に左膝を庇い右膝殴打、最悪の事態かと思いましたが、脹脛を揉み解すと痙攣が収まり、歩行が可能になりました。 先ほどの単独行者と一緒に下山しなかった罰だったのかもしれません。 登りは日が当たらず気付きませんでしたが、陽を浴びた千曲川源流遊歩道は紅・黄・緑の美しい季節でした。


筑波山(つくばさん)

2016年(平成28年)10月23日

 先月、娘とその友人が一泊二日で秩父の三峰山に出かけました。 二日間とも大雨で予定を切り上げて退散、残念な思いをしたそうです。 次は筑波山に日帰りで行くことになり、娘が計画中でしたが、何らかの理由で中止、落ち込んでいました。 その様なことから私がピンチヒッターに、今回の山歩きとなりました。 出発の時間にもよりますが、1〜2時間で登山口に到着する我が家から一番近い山が筑波山です。 今回のユースホステル跡地までは1時間30分で到着しました。 早速カップ麺に湯を注ぎ待つこと3分、それが朝食でした。 準備と軽い体操で出発、私のペースで歩いていたので娘が20分程で息切れ、迂闊でした。 その後、娘が先を歩き御幸ヶ原へ、女体山と男体山を往復し一息入れたころ、ケーブルカーが山頂駅に到着、閑散としていた御幸ヶ原が大勢のハイカーで賑わいはじめました。 そして多くの茶屋が開店準備を始めた頃、私たちは静かな登山道をクルマの待つユースホステル跡地に向かい下山を開始しました。 帰路は娘の希望で守谷サービスエリアにて休憩、友人への土産購入かと思ったのですが、自分用のソフトアイスを買っただけでした。 今回のユースホステル跡地からの往復は筑波山最短コースだとか、次回の筑波山は最長コースを歩いてみようと思いました。


長者ヶ岳・天子ヶ岳(ちょうじゃがたけ・てんしがたけ)

2016年(平成28年)11月20日

 先週の山歩きの予定は天子山塊・毛無山でした。 無理なく往復するか、雨ヶ岳まで進み周回コースにするか、迷いました。 そして結論が出ぬまま中止にしました。 今回は別の山を検討、長者ヶ岳と天子ヶ岳、山名が気に入ったので迷うことなく即決しました。 登山口の田貫湖到着は午前七時過ぎ、好天で迫力のある富士山と出会えました。 未明に到着したら(自分的に)傑作が撮れたかも、などと少々残念な思いがありました。 今回の山歩き、山と高原地図のコースタイムでは5時間25分です。 前回の山歩きから約1か月経過、筋肉量の減少でスタミナ不足の脚と、足に馴染まず下山で苦労する新しい山靴の組み合わせ、丁度よい山歩きコースだと思いました。 今日は一ヶ月前の筑波山より暖かく、衣類も一枚減らして歩き始めました。 軽い登りを2時間程、長者ヶ岳は富士山展望の山でした。 気持ちの良い雑木林を歩き天子ヶ岳へ、そして難題の降りになりました。 前回より厚めの靴下を用意したのですが、今回も山靴と足が不仲の状態、 部分的に当たる場所はないのですが、フイット感が得られず何度も締め直した靴紐、快適な降りは無理でした。 旧山靴も新品の時は足に馴染まず苦労、色々と工夫したことを思い出しました。 天子の森キャンプ場からはなだらかな登り坂、山靴のことは忘れ、渓流の紅葉を楽しみながら歩きました。 そして田貫湖の南岸に到着、時折テレビ等で紹介されている休暇村富士のデッキで美しい富士山に感激、その南岸からは観光客で賑わう遊歩道を愛車の待つ北岸まで歩きました。


毛無山(けなしやま)

2016年(平成28年)12月4日

 天子山塊の毛無山にいきました。 未明に家を出て、途中のパーキングエリアで休息、寄り道が可能な時刻だったので、田貫湖に立ち寄り、 登山口の麓集落に移動しました。 有料の駐車場にクルマを止め、山歩き開始、金山沢分岐からは急登の始まりでした。 睡眠不足が原因なのか、20分程歩いて最初の休息、その後も頻繁に休みを取り、何とか頂上に到着しました。 15分先の毛無山の最高地点まで行く予定でしたが、気力がなくそのまま下山しました。 山靴との相性が悪く苦手になってしまった降り、今回も私の足と山靴が喧嘩!山靴選びを後悔しつつ下山しました。 今日は体に力がなく鈍足、休憩の間隔も多い山歩きでした。 今回の所要時間は5時間50分、昭文社・山と高原地図のコースタイムは5時間20分、30分オーバーでした。 すべて計算していませんが109.4%(所要時間÷コースタイム)は今年のワースト記録だと思います。
 毛無山にもKさんという達人がいました。この山に携わること44年、2400回登ったといいます。 私が登りの時、降ってきました。降りの時、登ってきました。 遠くは北アルプス連峰、南の相模湾や伊豆大島が眺められる、今日は年に数度の好天だそうです。 富士山周辺の山々を詳しく説明してくれました。 複数の登山者からの達人情報は、今年の登山回数の目標は240回だとか、地元観光協会の役員らしい、 登山道でない仕事道なども卓越し不動の滝の上部まで案内してもらったとか、などでした。

 
 
 
 

私の山日記2017

 千葉県の周辺は大部分太平洋と東京湾に接しています。 学校で使う地図帳を広げると○○山脈・山地という記載は一切なく、房総丘陵という表記があるのみ、 山の無い県だと長い間思っていました。 もちろん鋸山やマザー牧場のある鹿野山の存在は知っていましたが、それらは観光地で山だと思っていませんでした。 ガイドブック“2003年版昭文社関東の山歩き100選”の伊予ヶ岳と富山に登ったのは本購入10年後の2013年でした。 昨年は“山と渓谷社・東京周辺の山350”のガイドを参考に6回房総の山を歩きました。 もっと千葉の山を歩きたくて、昨年末“山と渓谷社・千葉県の山”、今年になり“新ハイキング社・房総のやまあるき”というガイドッブクを購入しました。 千葉県松戸市在住四十数年、房総は100q以上離れていますが、県内に山歩きの対象となる山々が数多くあることが嬉しいのです。 それは郷土愛的な何か、なのかは解りませんが、冬場の山歩きには最適な地域だと今は思っています。


筑波山(つくばさん)

2017年(平成29年)1月8日

 今年初めの山歩きは1月8日でした。 天気予報は低気圧が近づき、荒れ模様だとか、昨年は一度も雨具を付けることがなかったので、年の初めに雨に当たると縁起が悪いような気がしました。 南房総に出かける予定でしたが、短時間で登下降ができる、近くの筑波山に変更、 ユースホステル跡地にクルマを止め、女体山頂上に、そして御幸ヶ原に戻り男体山を登り始めたとき、ふと頭に浮かんだのが男体山の中腹を一周する自然観察路でした。 登りかけた階段を降り、案内板の地図を確認してから、時計回りとは反対に自然観察路を歩きました。 一年に複数回訪れる筑波山、この自然観察路は初体験、新鮮でした。 今年初めの山歩きは二時間弱でしたが、雨に降られず、山靴との喧嘩もなく、無事終了しました。


経塚山・高塚山(きょうずかやま・たかつかやま)

2017年(平成29年)1月15日

 富津館山道の鋸南富山インターで一般道に降り、 小野次郎右衛門忠明生誕地公園という長い名前の公園に向かいクルマを走らせました。 日本上空には強烈な寒波が襲来、温暖な房総にも昨日雪が降ったようで一面の銀世界でした。 新しいスタットレスタイヤの性能を確かめながら公園の駐車スペースに、そして腹ごしらえをし、身支度を整えて出発しました。 15分ほど歩いた石堂原(いしどうはら)地区の登山口からは足跡のない雪の登山道を気持ちよく登り始めました。 石堂山(いしどうやま)付近の登山道は山頂を通らず右からの巻道、雪で踏み跡を確認できませんでしたが勘を頼りに頂上を往復しました。 経塚山到着、案内板のないことは当初からわかっていましたが、西側の犬切(いぬぎり)地区への下山路が雪で見つかりません。 やむなく赤テープの付いた北側の登山道を進むことにしました。 予想通り登山道は蛙石(あんごいし)到着、この先は大井地区に下山できるとヤマプラに書いてあったのでGPSで現在地を確認しながら、 地図上に道の記載されていないところを進みました。 経塚山から40分程歩いて地図上にある登山道と合流、その後は地図上の道を風車のある大井青年館に降りました。 そこからは交通量の多い国道、歩道のない所は注意深く歩き、歩道のないトンネルは迂回しました。 赤い橋を渡り安房中央ダム沿いにを歩き、クルマまで戻りました。 そして南房千倉大橋公園駐車場に移動しました。 高塚山の頂上は高塚不動尊の奥の院のあるところ、ガイドブックには往復4キロメートル2時間だとか、山靴に履き替えずスニーカーのまま、 ポケットにお菓子とGPSを入れ、空身で出かけました。 不動尊からはほぼ階段上り、奥の院の裏手が頂上、太平洋の展望が素晴らしい所でした。 帰りは不動尊の横からお花畑の道を散策しクルマにも戻りました。


三郡山・請雨山・安房高山(みごおりやま・しょううさん・あわたかやま)

2017年(平成29年)1月22日

 山と渓谷社・千葉県の山、項目17三郡山と16安房高山・請雨山、この2つの組み合わせで周回コースが上手にできませんでした。 ウエブのヤマプラpopo7557さんの2016年3月5日の記録は、 清和県民の森第一駐車場→尾崎から群界尾根→三郡山→請雨山→安房高山→林道に降らず山道を県民の森展望台という記録でした。 私はそのコースに豊英大滝(大戸湯滝)を加える計画を立てました。 この付近の山々は里に近く林道も多いので途中下山も容易ですが、案内板が少なく地図と磁石を頼りに山歩きをするところがほとんどです。 私の場合、登山用GPSを使用しているので多少有利だと思います。 尾崎の沢付近の登山口は解りづらい所がありましたが、三郡山から請雨山、そして安房高山までは迷うことのない登山道と林道でした。 そこからが今回の難題です。 県民の森までは目印がほとんどなく、踏み跡が途切れ迷いやすい登山道、ルートを外さぬよう頻繁にGPSで位置確認し注意深く歩きました。 木の根や岩を掴み這うように登り降りするピークも、県民の森が近づくにつれ、巻道が多くなり楽に歩けるようになりました。 そして県民の森展望台から豊英大滝へ、沢に降り、苔むした緩やかな流れを登り大滝の真下まで行きましたが、ガイドブックの写真と違い水量の少なさに落胆しました。 引き返すとき、ストックを取り出すのが面倒だったので、重心を低くし慎重に降ったのですが、滑って手と膝が水の中に、泥で手袋と両膝を汚してしまいました。 今回の山歩き唯一の失敗でした。


房州アルプス+α

2017年(平成29年)1月29日

 昨年末から計画しコースの設定ができず延期になっていた房州アルプス+α(プラスアルファ)コース、取り敢えず出来上がったので出かけました。 登った主な山は志駒愛宕山(225m)無実山(267m)嵯峨山(315m)三浦三良山(281m)梨沢大塚山(234m)、18キロメートルを約6時間で歩きました。 もう少し時間短縮が可能だったと思いますが、歩き始め左膝上の筋肉(大腿四頭筋の一部?)に違和感があったので慎重な歩きに心がけました。 
〈驚いたこと〉朝7時20分ころ50メートル先の農家裏手からサル2匹が裏山に逃げ込むのを目撃したこと、 それ以上に驚いたのはイノシシとの遭遇!昼頃、目の前5メートルの距離、谷側からイノシシが飛び出し私の進行方向に走り抜けたことでした。 
〈失敗したこと〉道間違え3回(横着をし、分岐点での確認を怠る)財布忘れ(祠や神社でのお賽銭、今回は手を合わせるのみ) 頭髪と鼻毛の処理(信仰の山に登らせて頂いているので、山への敬意を込めた自分のルール)(ビデオカメラの映りが悪かったかも)
房州アルプスとは誰が名付けたのでしょうか、大それた名前だと思います。 ガイドブックには鎌倉アルプスや沼津アルプスがあるので千葉県にもアルプスがあってよいのでは、と書かれていました。 鎌倉アルプスは歩いたことがありますが、沼津アルプスは初耳でした。


妙見山・初日山・石尊山

2017年(平成29年)2月12日

 久々に電車・列車・バスを乗り継いで山歩きをすることにしました。 清澄山から小湊鉄道・養老渓谷駅まで歩くコースです。 カシミール3Dソフトでの所要時間は5時間33分、駅到着は15時過ぎです。 休日上り駅時刻表では14時12分、次が16時33分なので、14時12分乗車を目標に頑張ることにしました。 8時21分安房天津駅到着、タクシーを利用し時間稼ぎをしました。 妙見山の登り口を見逃し、裏の方から藪漕ぎをし、頂上の神社参拝、正規のルートに戻り階段を下ると、 そこは清澄寺の裏手、タクシーを降りた近くでした。 その後林道を歩き麻綿原の初日山へ、石尊山の案内板を確認し好調に先に進みました。 しかし、次第に登山道が分かりにくくなり、ついには消えました。見逃したかと思いしつこく探しました。 今回は登山用GPSにナビゲーション設定をしてあるので道間違えをするとアラート音が2回鳴ります。 聞き逃したかと思いGPSを確認するとルートから外れています。 戻る機能設定で正規のルートに戻ろうと何回も挑戦しましたが、違う方向に進んでしまします。 このままでは遭難です。みかんを一つ食べ落ち着きました。 しばらく休んでから急斜面を登り尾根に出ました。 GPSで位置確認をすると尾根にいる自分が、30m低い谷側にいることに・・・。 (安房高山から県民の森までの難コースを1mの誤差もなく位置確認が出来たのに) 衛星の位置が悪いようです。GPSの足跡を無視することにしました。 地図と磁石と記憶で方位を決め歩き出しました。わずか10分で正規のルートに戻れました。 清澄寺に戻ることも考えましたが、養老渓谷駅16時33分乗車なら、かなりの時間的余裕です。 先に進むことに決めました。 この後は休息など交えゆっくりと慎重に位置確認をしながら石尊山に登りました。 驚くほどの時間を要しました。 下山路の林道や国道は間違うことがないと思い普段通り歩きました。予定外の養老渓谷遊歩道も歩きました。 今回はプチ遭難という新しい経験、低山でも山を甘くみるな、という山の神さまからの警鐘かも。


再度・石尊山

2017年(平成29年)2月19日

 先週のプチ遭難がトラウマにならないように、という思いから再度ほぼ同じコースを歩きました。 当初の計画通り5時間未満で歩けました。 小湊鉄道14時12分発の乗車も余裕でした。 前回の失敗の主な要因は余裕のない計画にありました。 何がなんでも14時12分乗車、ということに拘り過ぎたことです。  それによる時間的な焦りでGPSに頼りすぎたこと、標識を見落としたこと、勘違いしたこと、 それらが重なり、結果として道間違えの脱出に長時間を要したのだと思います。 次の16時33分発でもよい、という計画ならば、焦ることなく余裕をもって素早く道間違えに対処出来たはずです。 房州アルプス+αコースでの道間違えは3回、ロスタイムは20分以内でした。 房総の山は標高の低さからか、主なガイドブックに載らない無名の山がほとんどです。 標識や目印が少なく難易度の高い山が多いようです。 前回の反省という意味にはなりませんが、赤テープを持参し、自分が不安を感じた地点に目印を残してきました。


鋸山・小鋸山・嵯峨山

2017年(平成29年)3月5日

 昨年の鋸山から嵯峨山へのルートは公道歩きの多い、鋸山そして嵯峨山、というコースでした。 その時、スイセンピークへ登り、青字の鋸山への小さな案内板が気になっていました。 今年房州アルプス+アルファコースで保田見峠手前で昨年と同じような青字の嵯峨山への案内板を目にしました。 ガイドブックにないルートです。ウェブサイトの検索で裏鋸山から嵯峨山へのルート見つけました。 さらに“ふうりん”さんのページでは嵯峨山から保田見峠方面のバイオレーションルートも見つけました。 山地でない房総丘陵にバイオレーションルートという言葉、心ときめくものがありました。 予定では、浜金谷駅→車力道→鋸山→小鋸山→嵯峨山→保田見峠→三浦三良山→市井原→保田駅のコースでした。 浜金谷駅8時30分出発、嵯峨山到着13時、予定より大幅な遅れです。 このまま山歩きを続けると、市井原から保田駅までの長狭街道は日没近く歩くことになります。 交通量が多く、歩道の少ない街道を薄暗くなって歩くのは苦手です。 小鋸山付近では緊張の連続、疲れもあります。 そのような理由で今回は嵯峨山から小保田に降りました。 クルマを利用し、スタート時間を早めるべきでした。 後日、“千葉じいちゃん沢登り”というウエブページを見つけました。 鋸山から嵯峨山へのルート及び複雑な地元の諸事情が詳しく書かれていました。 私は単純に、通称グランドキャニオンと呼ばれる砕石場跡の風景に魅せられて計画したのですが、 このウエブページを出発前に読んでいたら計画を変更したと思います。 緊張したのは小鋸山の登り降りでした。 手前のキレットでは、ザックからカラビナとロープを取り出し、自己確保しながらの下降準備をしましたが、 幸い確実なステップが切ってあったので、使用することなくクリア出来ました。 下山のトラバースルートは軟弱な急勾配でステップ無し、固定ロープにカラビナを掛け通過しました。 次回はうぐいす橋からのコースを検討していましたが、問題がありそうなので別のコースから嵯峨山バイオレーションルートを歩きたいと思います。


筑波山(つくばさん)

2017年(平成29年)4月23日

 カーナビゲーションで筑波山へ早朝のルート設定をすると、常磐道・谷和原インターから一般道に降りるように指示が出ます。 しかし私は土浦北インターまで常磐道を走るのが常でした。 今回は思いつきでナビゲーション通り谷和原インター降車、片側二車線の常総バイパスを快適に走りました。 すると急に光が私の顔に、スピードメーターの表示は罰金速度と免停速度の中間でした。(冷や汗!) クルマ利用の山行は1月29日以来久々だったのでスピード感覚が鈍化、そのための大失敗でした。 帰宅後ドライブレコーダーで速度確認をしようとしましたが、往路が記録されていません。 (故障の原因は記録媒体mini SDカードでした) ネットでオービス等の自動速度取締機のことを検索すると、顔に光が当たった地点に自動速度取締機は無いようです。(ほっと一息!その後一か月、ようやく一安心でした) 長い間、女体山・男体山という二つの峰の総称が筑波山だと思っていました。 しかし筑波山第三の峰・坊主山の存在を知ったのは今年のこと、 今日の山歩きは筑波山薬王院コースから筑波山第三の峰・坊主山が主目的でした。 しかし諸事情により午前11時までに帰宅せねばならないので、やむなくコースを変更、 ユースホステル跡地から頂上往復という最短コースを歩きました。 午前3時半にクルマで出発、8時半帰宅という物足りない山歩きでした。もう少しコースを伸ばせたと思います。 山で出会った人、筑波ユースホステル跡地から自然研究路を周回し男体山へ、 女体山から筑波高原キャンプ場に降りユースホステル跡地に戻るのだとか、とても良い半日コースだと思いました。 時間制限のある山歩きに使用させて頂きます。


筑波山(つくばさん)

2017年(平成29年)5月14日

 今朝は自宅から常磐道を使用せず一般道のみで筑波山麓まで走りました。 距離は土浦北インター経由より10km短く1時間30分、常磐道利用より少々遅いようでした。 クルマから眺める夜明けの筑波山は中腹まで雨雲に覆われ、山歩きの意欲を失わせる光景でした。 つくし湖(調整池)の駐車場にクルマを止めて小休止、そして坊主山に向け歩き始めました。 薬王院コースから外れ、坊主山を往復した頃、風と共に小雨が降り始めました。 今日の主目的・坊主山は登り終えたので引き返すことを考えましたが、 筑波山は1000mに満たない山なので、3000mクラスの高山よりは危険が少ないと思い山歩きを続けました。 自然研究路は時計回りと反対に男体山に登りました。 今日は強風の為か、ケーブルカー、ロープウェイ共に運休、普段と違う人気の少ない御幸ヶ原から女体山へ そして雨で濡れた滑りやすい女体山・キャンプ場コースを降りました。 筑波高原キャンプ場からは舗装された林道を歩き薬王院コースの中間地点へ、 そこから登山道を降りクルマに戻りました。 何時も物足りなさが残る筑波山、今回の筑波山はある程度充実感の残る山歩きに思えました。 林道歩きの途中、男の川橋付近で男の川コースの情報を頂き、次回の楽しみが広がりました。 ウェブ等では筑波山には50の登山道(修験者の道)があるとか、興味津々!!です。 以前、日本百名山の中では魅力が一番少ないと思っていた筑波山、しかし今現在、底知れぬ魅力に取り憑かれているように思われます。


筑波山(つくばさん)

2017年(平成29年)6月11日

 今日の筑波山は男の川橋付近に駐車し、女の川コースから女体山・男体山・坊主山を登り、男の川コースから降りました。 おっちょこちょいの私、女の川はルートを外し、右往左往する予定でしたが、一度の迷いもなく、出合いから登山道まで約1時間、予想外の展開でした。 多くのコースがある修験道の山・筑波山、事故の多いV字渓谷を登るのは単独行の私には無理かも知れません。 でも登りたい!そんな思いが・・・しかし昔のザイル仲間が一人もいない私、悲しく寂しいです。 今日も一般道から筑波に来ました。帰路ものんびりと同じ道路を走ろうと思いましたが、勘違いし早めに右折しました。 すぐ間違いに気付いたので戻ればよかったのですが、何とか修正できると思い先へ、その結果30分迷走しました。 山歩きは順調、帰路は迷走、そんな一日でした。 帰宅後、百歳の母が雨で登らずに帰ってきたのか?との質問、午前10時10分、当然だと思います。 今回が今年10回目の山歩き、10回とも標高1000m未満の低山です。 そろそろ3000m近い山歩きがしたいのですが・・・ 昨年の今頃は・・・考えるとイライラ・・・(体調を整えることが最優先、と頭では理解できていますけれど)


筑波山(つくばさん)

2017年(平成29年)7月23日

 専門的な知識はありませんが、ウォーキングやジョキングの筋肉と山歩きの筋肉は同じように思われます。 しかし自分の場合、同じ筋肉でもその使い方に違があるようで、ウォーキングやジョキングの量を増やしても山歩きではその効果が薄いように感じています。 経験から山歩きのトレーニングは山歩きが最上だと考え、月2回の山歩きが必要だと常々思っています。 前回の山歩きから40日が経過、トレーニング不足です。 その様な時は筑波山のように、距離が短く標高差の少ない山が最適です。 現在梅園(猿田彦神社)コースと林道(南西尾根)コースは立入禁止のようなので、今回は蜜柑園コースを登ることにしました。 薬王院付近にクルマを駐車し、舗装された林道を1.2km歩き、登山道に入りました。 コースの前半は緩やかな尾根道、後半はガスのかかった薄暗い樹林帯の急登、大きな岩が尾根に立ちはだかり、 回り込むのか、直登するのか、分かりにくい所が数か所ありました。 (案内板がなく、分かりにくいのがこのコースの魅力) 時折大粒の雨が汗ばんで熱い体を冷やしてくれる心地よさに加え、標高約500m付近から約750mの自然研究路展望台までは圧巻でした。 自然研究路を反時計回りに男体山頂上へ、その後御幸ヶ原から薬王院コースを降りました。 3時間少々の山歩き、今年5回目の筑波山でした。


湯ノ丸山・烏帽子岳(ゆのまるやま・えぼしだけ)

2017年(平成29年)8月20日

 いつのころからか、登った山の山名に印を付けています。 山と高原地図22奥武蔵・秩父、23奥多摩、27高尾・陣馬、28丹沢などは半分以上の山名が赤丸で囲まれ賑やかです。 しかし19浅間山の地図は前掛山2524mのみ、地図がかわいそうに思えてきました。 その様な理由で今回は浅間山の西側、湯ノ丸山と烏帽子岳を歩くことにしました。 久々の長時間運転で疲れたのか、体のバランスが悪く、足が地につかない感じで思うような歩きが出来ませんでした。(山歩きの間隔が長かったのかも?) 地蔵峠の駐車場に戻り暫く散策、次回の三方ヶ峰方面への登山道の確認を済ませ帰路につきました。 (の、予定でしたが明後日の8月27日、昼までの外出が可能に、もちろん筑波山です。男ノ川橋に駐車、女ノ川コースから女体山へ、キャンプ場コースを降り林道歩き、 再度の登りは蜜柑園コース、そして男ノ川コースを降る予定です)


筑波山(つくばさん)

2017年(平成29年)8月27日

 前回の湯ノ丸山・烏帽子岳は地蔵峠(標高1732m)から湯ノ丸山北峰(標高2099m)をのんびりと歩く緩やかな山歩きでした。 今回は少々張り切って筑波山の登り返しを試みました。 コースは男ノ川橋→女ノ川コース(登り)→女体山→キャンプ場コース(降り)→鬼ヶ作林道→蜜柑園コース(登り)→男体山→坊主山→男の川橋 でした。 帰宅後、今日のコースをGPSのデータで確認、距離約11km 累積標高差・昇り降り共・約960m、 前回の湯ノ丸山・烏帽子岳は距離約9km 累積標高差・昇り降り共・約670m、大差がない!ガッカリでした。 昨年の好調時の体力に戻るのは何時のことか? ステップアップには筑波山・三度登りも悪くないと思いますが、ふと頭に浮かんだのは標高差約1200mの丹沢・大倉尾根です。 塔ノ岳往復は9/10頃、次の9/18は丹沢山往復を考えています。
このページ、2017年(平成28年)と表示、今日気づく、間抜けなのか?雑なのか?


塔ノ岳(とうのたけ)

2017年(平成29年)9月10日

 久々に丹沢の大倉尾根を往復しました。丹沢山塊へクルマ利用の山歩きは初めてです。 午前3時頃クルマで出発、午後1時頃帰宅、片道約100km、往路2時間弱、復路2時間強、思いの外近所でした。 (塔ノ岳登山が目的ならばクルマで林道を戸沢まで入ると歩程が片道約1時間短縮できますが、あえて大倉スタートに拘りました) 帰宅後、昼間からビールを飲みました。 今年初めての標高差1200m超えの山歩き、そのご褒美として2缶のビール、美味でした。
 今日の山歩き、大倉尾根から塔ノ岳までの登り所要時間は約3時間でした。 詳しく調べていませんが、これは私のワースト記録に近いと思います。 慣れ親しんだ大倉尾根、そのためペース配分を考えず無理な登り方をしたので途中から失速、失敗でした。 (山歩き中のエピソードは今回は無しとします) 次回の丹沢山は今回より約2時間多い8時間位の山歩きです。 時間に捕らわれず、速度を抑え、休息をとり、疲れない登り方に心掛けたいと思います。
 翌朝、太腿(大腿四頭筋)が痛い!(情けない)二階の寝室から一階に降る階段は後ろ向きに降りました。 この様な状態は今年初めてだと思います。(今年は緩い山歩きが殆どでした) 何時の頃からか、筋肉痛を私は筋肉が喜んでいると表現します。 (痛みが喜び?sadistではなくスポーツ科学の分野の話です) 老化した筋肉が消滅し、新しい筋肉が生まれ育ちつつある現象、だと思っています。 私には夢があります。それはヒマラヤのトレッキング・ツアーです。 一日の登降は標高差1500m、7〜10日のツアーだと、昨年プロ登山家・竹内洋岳(日本人初のヒマラヤ8,000m峰14座完全制覇者)氏が私に提案してくれたプランです。


大倉尾根から丹沢山(たんざわさん)

2017年(平成29年)9月30日

 丹沢山は今回が二回目です。 前回は渋沢駅始発のバスで大倉から往復しました。 下山は夕方になり、薄暗い樹林帯ではザックからヘッドライトを取り出し使用するか否か、迷った記憶があります。 今回はクルマ利用、薄暗くなる前に戻れました。 現在、山歩きのコンディションはベストではありません。ベストに近づくための一歩です。 早朝、24時間駐車可能な大倉駐車場にクルマを入れる予定でしたが、 前回の山歩きで知った、\300安い“どんぐり山荘”の駐車場を思い出し、駐車場を変更しました。 大倉から丹沢山往復は2006年版・山と高原地図のコースタイムは8時間0分です。 今年は厳しい山歩きはしていません。緩い山歩きのみでした。 ので、時間にとらわれず、ゆっくりと完歩を目指し歩きました。 登山用GPSの記録では、休息時間5回(計55分)を含め歩行時間8時間3分、累積標高(+)1789m(-)1719m、 距離19.4km、次回につながる数字だと、自分的には満足しています。 今度の連休は7・8日外出不可、中学時代の友人と再会の約束は9日の夕方です。 9日は帰宅時間の早い筑波山が可能、男ノ川橋6:00頃→女ノ川コース(登り)→女体山→キャンプ場コース(降り)→鬼ヶ作林道→ 蜜柑園コース(中間点付近から登る)→男体山→坊主山(北に進み林道へ)→男の川橋に戻ります。


筑波山(つくばさん)

2017年(平成29年)10月9日

 中学時代の旧友と再会の約束は夕方五時です。 早朝の筑波山山歩きが可能になりました。 コースは坊主山から北に進み林道に下山するという新しい試みを含めたものでした。 男ノ川橋を目指しクルマで林道を上がっている途中、道路上に手打ちそば屋さんの案内板、 その後ろには隠れるように警察の侵入禁止案内板が置いてありました。 進入禁止が有効なのか無効なのか、理解ができなかったので先に進むと、巨木が林道を塞いでいました。 折角、筑波山麓まで来たので軽くひと汗かいて帰ろうと思い、つくしが丘まで移動して山歩き開始、 おたつ石コースから女体山そして男体山へと進み、御幸ヶ原コースを降り筑波神社へ、そこから迎場コースでつつじが丘に戻りました。 夕方、北千住で五十数年ぶりに旧友と再会、昔話に花が咲き、大いに盛り上りなした。 少々飲みすぎたことと山歩きの疲れも加わり、帰りは千鳥足、駅から家まで長く感じられました。


編笠山(あみがさやま)

2017年(平成29年)11月5日

 前回の筑波山から約1か月、体調に不安がありました。しかし昨年登った山なので気楽に出かけました。 高速道、連休の最終日、渋滞をイメージし、いつもと違う帰りのコースを往路に試みました。しかし道間違え2回、前途多難な予感がしました。 それに加え、体が冷えていたのか、サービスエリアに3回立ち寄り入山しました。当然今回は予定時間より遅れた登山口到着でした。 十分な準備運動もせず急いで出発、その結果2時間半ほど歩くと、股関節に軽い痛みがでました。 ペースを落とし青年小屋へ、到着後も股関節の痛みが消えず不安な状態で休憩しました。 頂上までは残り1時間半の歩程、不安を抱えたまま権現岳に向かうのは取りやめ、編笠山に登り下山することにしました。 次の週(11/12)再度観音平に入る計画でしたが、母の体調が下降気味、中止しました。


加波山(かばさん)

2017年(平成29年)11月25日

 十数年前、加波山に登ろうとクルマを走らせていました。 道を間違え林道を走行、数か所の石切り場を過ぎた頃、背筋に寒気が走り冷汗が出ました。 そして怒号のような幻聴が、慌てて引き返した事がありました。 以後、この山を自分の中で封印していました。 昨年、ウェブサイトで燕山から加波山に登るコースを目にしたとき、 何故か怖い思いをせずに登れそうに思え、今回挑戦することにしました。 花の入公園にクルマを止め、しばらく林道を歩き、登山道に入りました。 登山道は林の中から沢沿いに変わり、難所の一枚岩を過ぎ、天狗の踊り場分岐点に向かいました。 予定では天狗の踊り場を通り、西側から燕山に登るつもりでしたが、分岐点を見落とし、上部の林道に出てしまいました。 その後、南側から燕山に登るため国土地理院の地図上の燕山取り付き地点に移動しました。 けれども登山道はなく、林道を先に進むと加波山神社5分と書かれた案内板が、 今日は燕山を諦め加波山に登り、そのまま下山することにしました。 前々日の夜まで行き先を筑波山か、加波山かと迷っていました。 前日の朝、加波山に決定、そのためか、コースの把握が不十分でこの様な結果になってしましました。


筑波山(つくばさん)

2017年(平成29年)12月3日

 我が家から手軽に山歩きが楽しめる山は、クルマ利用では筑波山(登山口まで62km)だと思います。 体調の良い時は標高差1000m以上登る山歩きを目標にしていますが、残念ながら筑波山は標高877mです。 なので登り方を工夫し、より楽しい山歩きのコースを現在模索中です。 春から秋までの行楽シーズンは混雑する南側の登山道は使用しない。ロープウエイやケーブルカーの始発時間前に御幸ヶ原を通過する。など混雑を避けた自分なりのルールがあります。 今回は筑波山市営第一駐車場付近の\200駐車場からスタート、迎場コースから筑波山ロープウェイ駅のある、 つつじが丘経由で、おたつ石コースから女体山に登りました。 それから御幸ヶ原に降り、さらに男体山に登りました。 下山路は北面の坊主山から正規でないルートを北北東に降り林道に出る予定でしたが、コンパスで方位を確認せず、北北西に降ってしまいました。 林道鬼ケ作線を西から南に進み、二股(林道沼田新田酒寄線との合流ポイント)を左折し蜜柑園コース中間点まで一登り、そしてそのコースを西に降りました。 途中、南に向かう林道への近道があると今年8月地元筑波山愛好家に聞いた事があり、 林道の地形と標高から左折場所を予測しました。 予測地点付近には真新しい赤いマーキングがあり、助かりました。ありがたいことです。 そして林道から筑波山梅林の中を歩き、駐車場に戻りました。 梅林付近の道路を把握していなかったので少々遠回りしました。 年内に七ツ石山往復、続けて雲取山日帰り、を考えていましたが、最近失敗が多いので来年に延期しました。


筑波山(つくばさん)

2017年(平成29年)12月10日

 今日の予定は、つくし湖駐車場7:00頃→真壁町羽鳥薬師堂→(羽鳥道または裏筑波観光道路)→林道鬼ケ作線の分岐点→女の川ルート(登り) →女体山→ キャンプ場コース(降り)→坊主山ルート(登り)→時計回りと反対に男体山→薬王院コース→つくし湖でした。 筑波古道・羽鳥道は真壁町伊佐々の桃山中学校付近が起点だとか、今回は2km先の薬師堂からスタートしました。 羽鳥道はウエブの記録が少ないので、利用者が少ないと予想していましたが、行き先を遮る大きな倒木、くぐり抜けること数十回、 舗装された裏筑波観光道路を歩いた方が時間的に早かったと思います。 過去に2回登った女の川ルート、今日は白銀の世界、風景が変わり初めて訪れた沢のように感じました。 標高700m以上に積雪があり、この時期の筑波山で雪の山歩きは予想外の驚きでした。 女体山からは安全を確保するため簡易アイゼンを付け、キャンプ場コースを降りました。 いつも静かな筑波高原キャンプ場、今日はトレイルランニングの大会でとても賑やかでした。 坊主山・北北東ルートは途中まで樹木が伐採され、日当たりが良く心地よい登りでした。 途中からは前回降ったルートと合流、前回の下降地点には間違えはなく、この付近で西に降ったと思われます。 (後日、今年の筑波山GPS記録を複数重ねると20mから40m離れて歩いたことになっていました) 帰宅後の楽しみはGPSの記録です。 今日歩いた時間は休憩時間を含め約7時間半、累積標高差約1400m、歩行距離は一般道を含め約18km、 先週は5時間半、1000m、13km、今回と比較すると数字的に何割も余分に歩いていますが、疲労感は同じようです。 間隔をあけず、毎週山歩きが出来たら嬉しいのですが・・・。 次回の筑波山は表参道から登る予定です。


筑波山(つくばさん)

2017年(平成29年)12月17日

 またまた筑波山です。北条仲町にある高さ3m超えの“つくば道道標”をスタート地点と決めましたが、駐車場が見つからず、中間点のつくば市営神郡駐車場に止めることにしました。 カーナビゲーション指示通りクルマを走らせると“つくば道道標”から忠実につくば道を神郡駐車場まで案内してくれました。嬉しかったです。 駐車場からは正面に筑波山を眺めながら、つくば道を歩く、この道は素晴らしい!感動しました。 今回の筑波山、新しい経験は、この“つくば道”のみ、でも十二分に楽しめました。 前回より時間的に余裕があったので、数々の寄り道や散策の機会がありました。 例えば、坊主山から西に踏み跡をたどり、薬王院コースに降ってみました。 自然研究路の崩落現場に寄り道、写真を撮りました。 蜜柑園コースでは、分岐点を細かくチェック、写真とGPSを組み合わせて後日の資料に、 東南尾根コースの確認(林道からは通行止めの表示なし、少し登ってみました) V字渓谷方面への登山道は通行禁止でした。 今日の歩行時間は休憩期間を含め8時間弱、標高差1500m超え、歩行距離約18km、自分的に満足のいく数字でした。


筑波山(つくばさん)

2017年(平成29年)12月23日

 徐々に体力が回復してきた5週目、疲労の蓄積等の自覚症状がありませんでした。 朝起きたら軽い腰痛、寝違えたのか?そんな感じで出かけました。 林道歩きから坊主山北北西ルートを経て男体山へ、男の川コースから林道に降り、それら女の川の取付きに移動、11時を過ぎていました。 今日は鈍足です。疲労感も感じていました。 5週連続の山歩き、疲労の蓄積がこの様なペースになったのだと、その時気が付き、そして悩みました。 今日の予定は女の川コースを登り、キャンプ場コースを降り、仙郷林道と東筑波ハイキングコースを組み合わせて、つつじが丘に向かうことです。 しかし余裕のない時間と体力不足です。 女の川を登って、南側に降るか、それとも登らずに、初めてのコースを歩くか、の二択かと思いました。 女の川コースは私にとって難易度の高いコース、多分凍り付いている沢を簡易アイゼンのみで登ること、不安を感じました。 試行錯誤・・・次回の筑波山は体調を整え10本爪のアイゼンをザックに忍ばせ、この沢を登ることとし、今回はパスすることに・・・それが正解だと感じました。 仙郷林道と東筑波ハイキングコースの組み合わせは今回初体験です。 迷うことなく無事に、つつじが丘到着、そしていつもの迎場コースから駐車場に戻りました。 今回は筑波山一周と男体山往復のみ、16.1kmを約6時間半弱で歩く、標高差は約1100m、前回と比べ悔しい数字です。 今回が今年最後の山歩きとします。

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