前のページ私の山日記2021(令和三年)コロナと山 自粛…緊急事態…コロナ禍…などといった言葉、日常から消え去るのは何時?などと、ボ〜〜と、考えていた年の初め、1月、でした。 若い頃の登山には、憧れのヨーロッパアルプス、登りたっかた登攀ルートなど、多くの目標や夢がありました。日本の3000m峰21座登頂もその一つでした。 その頃は富士山1日・北アルプス7日・南アルプス7日、1シーズン21座登頂が可能と考えていました。 また、仲間内では、頂上に行くことが目的のピークハントを、登攀より低めに見る傾向があったので、中高年になったらのんびり登る峰々と決めていました。 先輩に連れられ、たまたま登った間ノ岳と農鳥岳1968年(昭和44年)、それから2019年(令和元年)の前穂高岳まで、51年の歳月をかけ一応達成できました。 当時の私は、加藤文太郎著『単独行』に感銘を受け、日本の山は単独でが目標、現在(2021年)まで全山単独行ではないので厳密には未達成です。 新たなる目標は標高ベスト50全山単独行としました。未踏22座プラス複数で登った山、体力的に難しい山もあるかもしれません。 テン泊を中心に、1座づつ楽しみながら登ることに・・・ 2021年(令和三年)7月高 尾 山(金毘羅台コース→富士道→高尾山→小仏城山巻き道→日影バス停)2021年(令和3年)10月3日JR高尾駅から高尾山頂上を経て高尾陣馬縦走路、そして陣馬山からJR藤野駅まで歩けば、20kmを超えます。その第一弾として小仏峠まで歩くことにしました。 今迄は小仏峠までは比較的余裕、その先からが徐々に辛くなる感じでした。しかし今回は最初の金毘羅台コースで息切れ、何度も立ち止まる状態でした。 (一年間のブランク?それともマスク着用?) 高尾山頂で十分休息をとり、頑張ろうとしましたが、怪我の前兆(脹脛の張り・左膝の軽度の痛み)により、やむなく小仏城山巻き道付近から日影林道を降り、バスで高尾駅に戻りました。 JR高尾駅から日暮バス停までのコースタイムは4時間少々、それを5時間を要したとは情けない! ここ数日寝不足でしたが、今朝は目覚ましなしで起床できました。
a.m.4:30出発準備完了、念のため天気予報をチェック→OK、列車運行情報もチェック→なんと武蔵野線が昨夜の地震の影響で動いていない!!コケル(10/8)
筑 波 山(深峰歩道往復)2021年(令和三年)10月15日(金) 娘の運転するクルマで筑波山に行ってきました。
朝7時出発、通勤・通学渋滞で筑波山ユースホステル跡地まで3時間超えで到着、数分後、保育園のマイクロバスが到着しました。
山での団体さんは苦手なので、急いで深峰歩道から御幸ヶ原へ向かいました。そこには4組以上のちびっ子グループが、主に小学校の遠足(課外授業)の様でした。
今日は女体山のみ登り下山しました。ユースホステル跡地に戻ると幼稚園のマイクロバスがもう1台増えていました。
平日でありながら道路も渋滞・山も渋滞、珍しい一日でした。 高尾山・小仏城山(1号路→富士道→高尾山→小仏峠→小仏川遊歩道→JR高尾駅)2021年(令和3年)10月18日(月)JR高尾駅から京王線高尾山口駅まで歩きました。JR高尾駅で京王線に乗り換えるほどの距離ではないと思っていましたが、思い違い、乗り換えるべきでした。 1号路から富士道を経て高尾山頂へ、今日も息切れでゼイゼイいいながら登りました(マスク等の着用は呼吸が辛い) 山頂でおにぎりを3個食べスタミナ補給、それから小仏城山に向かいました。 前回の10/3は高尾山から即下山的な疲労感、ようやく歩いていましたが、今日は前回と比べ、多少ましな歩きでした。 小仏城山のベンチで休憩、この先予定の日影林道には降りたくない、という感じ、急遽少し先の小仏峠まで足を延ばし、小仏峠コース東側から小仏バス停を目指すことにしました。 小仏バス停付近でも、もう少し歩きたい、という気持ちから蛇滝バス停付近までバス道歩き、そこから自然豊かな小仏川遊歩道コースを堪能、そしてJR高尾駅まで歩きました。 高尾山・小仏城山・景信山(稲荷山コース→高尾山→景信山→南東尾根コース→小仏バス停)2021年(令和3年)10月24日(日)予定通り武蔵野線始発乗車、電車は新秋津駅で急ブレーキ、乗客が線路に落ちたとアナウンス、幸先悪いスタートだと思いました。 “今日は怪我無く下山”を目標に歩きだしました。 今日はみんな、歩きが速いな〜、小学生や同年代にも追い越されている、(私が遅いだけ!) 休息を十分とり、マイペースで歩く、新型コロナ第6波到来まで、しばらくはコンナ調子の山歩きが良いかも? 今回は4時間40分のコースを、スタートからゴールまで5時間33分でした。 高尾山・小仏城山・景信山
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私の山日記2022(令和四年)第五波緊急事態宣言解除後の昨年10月は約一年振りの山歩き、高尾山に登るのが精一杯、高尾陣馬縦走は寝言でした。 一か月後の11月、陣馬高尾縦走二度成功、ほっと一安心出来ました。 私も含め、ほとんどの人がコロナという魔物に翻弄されてきたと想像します。 こんな時代は自分の体力の限界に近い山行は不向きだと思えてきました。 今年は体力をコロナ用と山歩き用に二分割、コロナ流行の隙間をぬって、頻繁に数多くの未踏の山々を歩くのがベストだと考えていました。 長淵山ハイキングコース2022年(令和四年)1月5日(水) 昨年12月、青梅丘陵ハイキングコースの次は長淵山ハイキングコースでしたが、産業廃棄物処理場の必要性は理解しているつもりですが、
それに沿って歩く事に何らのか抵抗があり気が進まず年を越してしまいました。
新年は奥武蔵秩父方面からスタートの予定でしたが、やはり順序通りに歩くべきだと、考え直しました。 飯能アルプス 天覚山〜天覧山+かまど山(寄り道)2022年(令和四年)1月8日(土)今回は天覚山から天覧山まで飯能アルプスを歩きました。 「飯能アルプス」とは、一般的に天覧山から伊豆ヶ岳へと続く稜線の山々、さらに武甲山までの山々を指す場合もあるのだとか。 また「奥武蔵全山縦走コース」というのもあるようです。 私の場合、武甲山や伊豆ヶ岳付近の山々は、ほぼ登っているので、飯能アルプス全山踏破はあと数回ですが、 近づきつつある緊急事態宣言をふまえ、公共交通機関利用時間の短い駅近の山々をより多く歩くことを優先します。 久々に乗った西武鉄道、今回のスタート地点の東吾野駅は西武池袋線で隣の吾野駅は西武秩父線、飯能駅では列車がスイッチバック、急行は秋津駅通過、戸惑いの多い公共交通機関でした。 前回の失敗はグーグルマップ・ストリートビューを地図替わりにしたこと、今回はウエブサイトの新しい地図とGPSをメインに慎重な山歩きを心掛けました。 奥武蔵自然歩道 日和田山・高指山・物見山2022年(令和四年)1月12日(水) 昨日は雨降りだったので予定を一日延期、高麗の日和田山に向いました。
登山口付近にある田部井淳子さんのレリーフ、日和田山は若き日のトレーニング場と記されていました。
私も若い時、先輩に連れられ登攀用具を背負い、この山の岩場に来た微かな記憶があります。
今回は岩場からのコースではなく、一般的なコースから日和田山・高指山・物見山と奥武蔵自然歩道をすすみました。
物見山と北向地蔵の中間、自然歩道を少し逸れた406m地点(東ムカイ山)の頂上付近で急に鼻血が……ビックリしました。
「お前はガキか!」と自分自身にツッコミ、容易に収まらず困り果てました。
昨日はシャコバサボテンの吊鉢にチョット触れただけで崩落し部屋中に土が散乱、今朝高麗駅では冬用アウターのポケットジッパーが故障(5年前に購入したもの初めてのトラブル)
そして今、予期せぬことが三度も続くと山歩きを続かるのは不安なので、途中下山することにしました。
帰宅後の風呂上り、また鼻血が、原因を探らなくては…… 日和田山からユガテまでのコースは、14年前の2008年(平成20年)2月に歩いていたと、 山日記に記されていました。しかし記憶にありません。50年ぶりに日和田山を訪れた、と思っていました。 高尾山薬王院で厄除け2022年(令和四年)2月22日(火)娘が厄年のこと、神経質なくらい気にしていました。 以前、“高尾山内八十八大師巡り”をした御朱印を、厄年を迎える甥に譲ったところ、前厄・本厄・後厄の三年間無事に過ごせた話をすると、 早速、平日に休暇を取り、高尾山に登ることにしました。 以前、私の巡った“高尾山内八十八大師巡り”は清滝ケーブル駅付近、琵琶滝近くの二本松広場、十一丁目茶屋付近から薬王院奥の院まで、蛇滝から小仏川まで、金毘羅台付近、 と広く分布し、薬王院まで登り返しをする健脚向きでした。 別に、薬王院の大師堂にも“高尾山内八十八大師巡り”があるので、今回はそちらに行きました。 高尾山口駅前の駐車場に車を止め、1号路から薬王院に向かいました。 本堂でお参りをすませ、大師堂で“八十八大師巡り”を…。 この日は奥の院から頂上方面へ、頂上直下のトイレが見える地点で、登山道全面凍結、無理せず下山しました。 1・2月、日帰り山歩き4回、以後コロナ自粛、7月、左膝靭帯損傷、8月から12月まで理学療法士によるリハビリテーション。 大福山(だいふくざん)日本百低山・千葉県2022年(令和四年)12月11日 頂上直下の上古屋敷集落駐車場に車を止め、白鳥神社が祀られた大福山山頂や展望台を往復しました。
久々に山の空気をたっぷり吸って、元気を頂いてきました。
山歩きではなく散歩程度ですが、日本百低山なので記録に…。 |
私の山日記2023(令和五年)昨年春頃から時々膝痛があり、グルコサミン・コンドロイチンとアリナミンEX+α錠を服用し低周波治療器で自己治療していました。 その後、膝痛は徐々に悪化したので、7月に整形外科を受診しました。 診断は左膝内側靭帯損傷、理学療法士によるリハビリテーション治療は8月から始まりました。 期間は最長5ヶ月が限度だとか。理学療法士によるリハビリは昨年12月で終わりました。 1月からは超音波のみの治療が可能だったので続けて通院しましたが、完治せぬまま2月に・・・。 完治してからの山歩き開始という発想は無理なようなので、山歩きをしつつ、完治を目指すことに方向転換しました。 高尾山 |