私の山日記2024(令和六年)
永年の念願だった二度目の「お伊勢参り」今年二月に叶いました。
昨年は、近所の散歩でも痛みが出たり出なかったり、年中膝痛に悩まされました。
不思議なことに、山歩きのトレーニングを散歩の目的とした時は、膝が痛むことが多く、目的が神社参拝の散歩は膝痛がほとんどありませんでした。
その様なことから今年は神社参拝を積極的に進めました。
一月から九月末までに、神宮(内宮・外宮)をはじめ、一宮・十八社、式内社・二十六社、別表神社・三十四社、松戸市内・百十四社を参拝しました。
・一宮(いちのみや) ある地域の中で最も社格の高いとされる神社、起源は国司が任国内の諸社に巡拝する順番が通説。
・式内社(しきないしゃ) 延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)延長5年(927年)にまとめられた神社一覧。
・別表神社(べっぴょうじんじゃ) 現在神社本庁が定め、包括している一部の神社。
近所で山歩き?
松戸市には山が無いと思っていました。けれど登山用アプリに小山・標高27mと参考記録が投稿されていました。驚きでした。
《小山・標高27m》が山なのか、疑問でした。
山の定義は世界各国違うようです。日本の国土地理院によると・地元の人がそれを山と呼んでいること・自治体が認めていることだとか。
1990年代、宮城県仙台市宮城野区の日和山(ひよりやま)標高6.05mは日本一低い山とされていたそうです。
1996年7月、大阪市港区の天保山標高4.5mが国土地理院の地形図に山として掲載され、日本一の低い山に。
2011年3月11日東日本大震災、日和山は津波と地盤沈下により標高が低くなり、その後の測量で標高3mに変更され、再び日和山は日本一低い山に返り咲いたといいます。
秋田県大潟村の大潟富士(おおがたふじ)標高0mは1992年に秋田県測量設計業協会が創立20周年記念して、大潟村と共同で作られた山だそうです。
干拓地の標高-3.776mの所に、頂上の高さが3.776mになるように人工的に造られた円錐形の山で、
2018年12月時点の国土地理院(1/2.5万)地形図には、大潟富士標高0mが掲載されていたため、現在の日本で最も低い山だとか。
標高3mとか4.5mで国土地理院の1/2.5万地形図に山としての記載があるのなら、標高27mの小山も非公認ながら立派な山に思えてきました。
天神山とトウカン山(松戸市幸谷)2024年(令和六年)9月2日
1961年松戸バイパスが開通(現在の国道6号線)以前の話です。
当時、学校から帰ってきた集落の子供達は天神山やトウカン山で日が暮れるまで遊んだと、四十数年前、近所の長老から聞いた記憶があります。
天神山は横須賀紙敷線マツモトキヨシ本社ビルの裏手の台地だと思われます。
本社ビルの左手奥の階段と坂を登り切ったところが溜ノ上の森、そこから南東に約100m、住宅地の片隅に天満天神宮の祠があります。
地番は松戸市幸谷、天神山という地名ではありませんが、天満天神宮が祀られいるところが頂上かと思えます。家から約1.8kmです。
グーグルマップには《幸谷天神・天満天神宮・天神山》と記載されています。
天神山から南方向に300m下ると幸谷交差点、さらに100m進むと関家の正門があります。
そこにある案内板には《関さんの森はトウカン(稲荷)山と呼ばれていた》と書かれています。
グーグルマップでは“関さんの森”北口の西側、住宅との境界に祠の記載があります。その付近がトウカン山の頂上かも知れません。
“関さんの森”西口を出て30m西の住宅との境界に山道のような踏み跡がありましたが、倒木が多く昇れる状態ではありませんでした。
写真は国道6号線からのトウカン山(関さんの森)方面です。当初の道路計画はトンネルでトウカン山貫通予定が予算の面で頓挫したとか。
今は、ほぼ平坦な住宅地、山を削って宅地化した?などと想像します。
赤城山(流山市流山6丁目)2024年(令和六年)9月8日
赤城山は、流山の地名由来となる面白い伝説がある山です。
流山市にある赤城山は、群馬県の赤城山が噴火した際に流れてきた土塊がここにたどり着いた、という伝説があります。
また赤城山のお札が群馬県から流れ着いたからと別の言い伝えもあります。
山頂付近には立派な赤城神社の本殿と拝殿があり、境内には様々な末社が祀られ、多くの石碑が奉納されていました。
ご本殿の裏に、測量用らしき古い三角点のような角柱が2基ありました。
ここ赤城山は、山全体に巨木が生い茂る鎮守の森、神域です。
私の家から赤城山までは約5.3km、ほぼ平坦な舗装道路歩きですが、自分の中では“標高15m・低山未満の山歩き”と位置付けると、ありふれた散歩が特別なものになりました。
小山(松戸市小山)2024年(令和六年)9月14日
最近のテーマ“近所で山歩き”のきっかけとなった《小山・標高27m》にいてきました。
小山浅間神社には複数回参拝していますが、今日は神社参拝でなく、山歩きとしての小山浅間神社です。早朝5時に家を出ました。
国道6号を東京方面に約6.6kmの距離です。
松戸隧道を抜けた先、右側の小さな山が《小山・標高27m》です。
階段を122段登ると浅間神社の本殿、そこが頂上です。標高27mの測量用基準点を探したのですが見当たりませんでした。
往路は早朝なので気持ちの良い歩きでしたが、復路は気温が上昇し汗だく!電車で帰ろうと松戸駅まで歩きました。
駅前の大時計は7時10分、帰路に就く時間ではありません。
それより・なにより、“近所で山歩き”ではなく、普通の“電車で山歩き”になってしまうと思い直し、そのまま家まで歩きました。
きつね山(柏市増尾4丁目)2024年(令和六年)9月30日
柏市オフィシャルウェブサイトでは、『きつね山歴史公園:戦国時代に城館として使用された幸谷城館跡がある公園。
土塁や堀が現存している場所もあり、緑豊かな環境で市民の憩いの場となっています。隣地には画家・島野十郎(1890〜1975)アトリエ跡地があります』と紹介されています。
きつね山の北側入口は郵便受けのある個人の門柱、通過するのに少々勇気が必要です。
知らないと入ることは無理かもしれません。
門柱を入った左側は持ち主がお住まいだとか、直ぐに進むと案内板が現れます。
公園内は数多くの空堀や土塁などがあります。南口に近づくと巨木の下に“きつねさん”がいました。
きつね山(標高20m)は伊藤家の約3000坪の広大な屋敷林です。
現在は森林ボランティアの協力により整備され、遊歩道が設けられ散策できます。
自宅から約6.1kmでした。
霧ヶ峰・車山(きりがみね・くるまやま 日本百名山1925m)2024年(令和六年)10月10日
中央自動車道をクルマを走らせていると、正面に白根三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)が、本日最初の感動でした。
ナビの指示通り、諏訪インターから車山肩駐車場へ、そして車山山頂を目指しました。
今日は好天、360度の大パノラマ、近くに蓼科山と八ヶ岳、遠くは北アルプス・槍ヶ岳、キレットを挟んで北穂・涸沢岳・奥穂、
そして中央アルプスの宝剣と木曽駒、それから木曾御嶽や乗鞍岳が見えました。
南アルプスは鳳凰三山・地蔵岳は確認できましたが他の山々の識別は困難でした。
歩いた距離は短くても、標高1925mの峰に登れたこと、大満足でした。
2024/10/10
次の日の朝は戸隠高原で迎えました。
窓のカーテンを開けると正面に荒々しい戸隠山と円錐形の高妻山が、油絵のような光景でした。
残念ながら私は戸隠連峰を登っていません。登っていたら感動がもっと大きかったのでは、と思います。
この日は戸隠神社五社巡りをしました。
2024/10/11
1997年頃の千葉県標高最低峰木更津市・太田山(おおだやま44m)2024年(令和六年)10月19日
1996年の国土地理院・日本の低山標高一覧(1/2.5万)地形図には137山の記載があり、千葉県は木更津市の太田山1山のみでした。
[新しい資料では、富津市・稲荷山(いなりやま)16m、別名・稲荷山古墳が千葉県最低峰だとか。日本の低い山県別16位]
JR内房線・木更津駅から約1.2km、太田山公園の《きみさらずタワー》が太田山山頂のようです。展望所の高さは11.7m、タワーの高さは28mだそうです。
展望台からは木更津市街のみならず、東京湾が一望でき、対岸の東京タワーや横浜ランドマークタワーが眺められるとか、残念ながらこの日は曇天でした。
《きみさらずタワー》は、塔の先端に日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の銅像が向かい合って立っています。
「日本書紀では、日本武尊の東征で、相模から上総に渡ろうとした際突然暴風が起こって海が荒れたので、弟橘媛が身代りに海に入ると暴風はすぐに止み船は無事岸につけられた」とあります。
この時日本武尊は弟橘媛の運命を悲しみ、しばらくこの地を去らなかったことから、後に「君不去」(きみさらず)と名付けられ、木更津に変化したとされる悲恋伝説があり、
塔の名前《きみさらず》は、日本武尊と弟橘媛の悲恋伝説にちなんでいるのだとか。
[木更津の地名の由来は、アイヌ語の“キサラ”(耳)にちなむという説や、キサゴ貝にちなむという説がなどあります]
この日の午前中、茂原市本納の橘樹神社(たちばなじんじゃ)に参拝しました。
弟橘媛、夫の日本武尊、父の忍山宿禰(オシヤマノスクネ)を祀っている平安時代以前からの神社です。
社伝によると、日本武尊が東征のおり荒れくるう海に身を投じて海神の怒りを鎮めた妃の弟橘媛を哀れみ、橘の木を媛の墓標としたとされ、それが橘樹神社の由来となっています。
社殿後方に弟橘媛の墓と伝えられる墳丘があり神域で立入禁止でした。
当日は古い資料を見て、木更津市・太田山44mが千葉県の標高最低峰だと思いに立ち寄りました。後日、千葉県標高最低峰は富津市の稲荷山16mだとウエブサイトで知りました。
PCの検索不足でした。
埼玉県標高最低峰観音山(かんのんやま97.4m)2024年(令和六年)11月4日
埼玉県熊谷市の観音山は標高77.4m、周囲約850mの独立した丘陵で、松・なら・くぬぎ等で被われています。
山頂らしき小高い所には木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と磐長姫(いわながひめ)の石碑がありました。
南麓にある龍泉寺は、1200年の歴史をもつ日本三大厄除け開運大師だそうです。
1831年(天保2年)に来遊した渡辺崋山ゆかりの文化財が残されているとか。
往路はJR高崎線・籠原駅から歩きました。帰路は秩父鉄道・明戸駅から、ローカル色豊かな素晴らしい駅でした。
東京都標高最低峰港区・愛宕山(あたごやま25.6m)2024年(令和六年)11月4日
観音山の帰りです。秩父鉄道・明戸駅から高崎線・熊谷駅へ、飛び乗った電車が快速・小田原行、単なる思い付きで寄り道することにしました。
山手線・新橋駅下車、繁華街からオフィス街へ、愛宕神社がある愛宕山に向かいました。
東京都の標高最低峰は25.7mの愛宕山だそうです。高層ビルが立ち並ぶ港区愛宕一丁目にある天然の山です。
鳥居をくぐり男坂の急な石段を一気に登ろうとしましたが、途中息切れし、最後の一段で足がもつれよろけました。
若い頃、友人との付き合いで寄席通いをした時期がありました。
当時の寄席は落語・漫才だけでなく講談・浪曲などの出し物がありました。
その時聞いた曲垣平九郎の氏名と武勇伝、微かに記憶が残っていました。
その曲垣平九郎が馬で登った急勾配の石段が男坂です。
その逸話から男坂の急な石段を「出世の石段」と呼ばれるようになったとか。
頂上の愛宕神社には三等三角点があるとか書かれていたので、探しましたが見つかりませんでした。
群馬県標高最低峰伊勢崎市・権現山(ごんげんやま91m)2024年(令和六年)11月9日
伊勢崎市波志江町にも権現山がありました。
こちらの群馬県標高最低峰の権現山は八寸権現山(はちすごんげんやま)と呼ばれているそうです。
八寸権現山は赤城山の土砂が流されて形成されたという伝説と、10代目天皇・崇神天皇の皇子である豊城入彦命の墓という説があります。
八寸権現山のある伊勢崎市の豊城町の由来はここからきていると言います。
1950年(昭和25)の発掘調査では、約四万年前の石器が確認されました。
また6世紀ごろの古墳も多く発掘されたといます。
八寸権現山の頂上の宝塔は14世紀後半(南北朝時代)のものだとか。
栃木県標高最低峰栃木市・磯山(いそやま51m)2024年(令和六年)11月9日
栃木市大平町にある、標高51m程の磯山、山頂付近には諏訪神社が祀られておます。
その裏手の最上部付近には、昭和初期に造られたコンクリート製の水槽が残されていました。
戦前に大平町に作られた日立製作所への工業用水を提供していた水槽だとか。
日立製作所創業当時の昭和18年か昭和40年までの22年間使われていたとかで、その記念碑的な遺物?なのか。
その巨大な水槽の左手にある岩盤の上が山頂です。
建設省・国土地理院2.5万分の1地形図で、都道府県別に一番低い山を、その都道府県標高最低峰と表記しました。
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