第25集(2006年5月16日〜2006年6月30日)
2006年6月30日(金)
昨日の日記で話題にしたブルックナーの交響曲第9番のCDに関するご質問をメールでいただいたこともあり、こ
の曲も久々に聴いてみないといけないと思い、
本日は同曲のヨッフム指揮ドレスデン・シュターツカペレ盤を聴い
てみました。
個人的には「音楽ネタばかりでは退屈です。そろそろおもろい日記に戻して下さい。」というご要望をすごく感じる
のですが、乗りかかった船です。もうここは今日も書こうと決めました。
ブルックナーの第9はアマゾンで評されてる方のコメントを読んでみても書かれているのですが、小手先で誤魔化
すことの出来ない音楽です。そしてそのスコアに恣意的な要素やドラマティックな要素を加えてしまうと、音楽そ
のものも破壊されます。しかし、余計なものを拒否するスコアではあるものの、ただスコアを機械的に再現すれば
それでよいというわけでもなく、ブルックナーの交響曲演奏の難しさはそこにあると思われています。
ブルックナーの第9のヨッフム盤を久しぶりに聴いてみて思ったのですが、この盤は国内ではシューリヒト盤ほど
の支持は得られてはいないものの、「天上への飛翔」を成功させた数少ない名盤のうちの1つだと思いました。
ヨーロッパの、特にドイツ、オーストリア、オランダといった地域の音楽文化の土壌はヨッフムやハイティンク、そし
てヴァントのような「決して天才肌ではないとはいうものの、不屈の職人技を長年をかけて築き上げるとてつもな
い芸術的大器」を時に輩出させる懐の深さがあると感じました。日本だと才気を有するがために重用されて育つ
人は多いですが、早い結果を出すこと以外は切り捨てたり簡単に諦めたり(または諦めさせたり)する文化の土
壌であるせいか、このような長年のたたき上げでとてつもない実力を培い、信頼性を著しく高めるタイプは出にく
いです。
ヨッフム盤は氏のスコアの職人的で緻密な解析力により、ブルックナーがスコアに書きとめたものが明確に頭に
入って来る魅力があります。私にはヨッフム盤を聴いて初めてブルックナーの記録したスコアの音の対位法的な
意味に気づかされたという過去があります。特に第4番「ロマンティック」でそれが顕著でした。【注1】 ヨッフムの
ブルックナー交響曲全集との出会いがもし無かったとしたら、 私はブルックナーがスコアに書きとめたものの構
成の素晴らしさや意義に気づかないままでいたかも知れなかったのです。
私はブルックナーの交響曲を交響曲として聴きたい方にはヨッフム盤やヴァント盤をお薦めしたいです。ムード的
なものやイメージ戦略とは対極に位置する深く緻密な解析力に心打たれる演奏です。新聞や雑誌にどーんと書
かれた表題や見出しだけで全てを判断して本文を読まず、(もしかしたら見出しは読者を釣るためにつくられた虚
構で、本文とは実態が乖離しているかも知れないのに)しかも、それだけで全てをわかったような気になっている
「見出し人間」にこそこれらの名盤をお薦めしたいです。
ここまで書いて来て、「ではシューリヒト盤は駄目なのか?」と思われた方がいらっしゃるかも知れません。駄目で
はありません。全く別の次元の魅力があります。
同曲のシューリヒト盤は職人としてのスコアの緻密な掘り下げで名演をものにしたという面がヨッフム盤ほどは強
くなく、天上の音楽への地上界からのアプローチではなく、晩年のブルックナーが求めて完全にスコアには出来
なかったものの、現実界に映し得た天上の音楽のアトモスフィアの再現という要素がシューリヒト盤には存在しま
す。その意味においてシューリヒト盤のブルックナー演奏、特に第9と第8の演奏は驚異的なものがあります。
ブルックナーの第9の最終楽章は未完に終わりましたが、この曲の最終楽章は第8を超える壮大な音響の大伽藍
となることが予定されていました。未完成となった今となってはその姿は「確実にこうだ。」と言うことは出来ないの
ですが、シューリヒト盤は(盤の中には存在しない)
最終楽章に至る第3楽章までの姿が枯淡な境地の中に超俗
的な懐かしさが湛えられていて、そのアトモスフィアから来る感銘はまさに天上の再現者(完全な具現者ではない
ですが)というに相応しい傑作を出されたと評されても決して褒め過ぎではないほどの完成度を有しています。
「ブルックナーの音楽はもしかすると音楽ですら無いのかも知れない。」と評されることがあるのは音響芸術として
の面のみでは括れない情報も豊富に内包してしまったがゆえのことだと私は思います。シューリヒトが遺されたス
テレオ録音の演奏は音響的には時に金管楽器が暴力的に鳴ることがあるのが残念ですが、音響面ではなくアトモ
スフィアの面において注目すべき稀有なる演奏です。
開閉感覚の癒し要素ではワルターの演奏に遠く及ばないのが残念なのですが、シューリヒトのブルックナー演奏に
は哀感や安らぎといった紋切り型の言葉で表現される感情を超越して突き抜けていく天上への既視感、それも文字
通りの「視力」による感覚ではなく、自らの人生の起源を超えた過去の魂の領域のセンスに働きかける他の指揮者
の演奏にはみられない力があり、それが地上世界からかけ離れたアトモスフィアを構成する要素となっています。体
感上は頭頂に働き掛けているのを感じる方が中にはいらっしゃるかと思いますが、これは感応する人としない人が出
ます。また、これはシューリヒトのみの力によるものではありません。
シューリヒトの指揮法は簡潔極まりない中にも眼力だけでオケを動かしたという話が後世に伝わっていますが、ご生
前のシューリヒトがそのような「眼力による気力」を得られた背景にはやはり他の目に見えない存在の働きかけがあ
ったようです。氏もヨッフムやヴァント等の方々とは意味は違いますが指揮法をつきつめていった結果、才を極められ
ることに成功された方なのだと思います。モーツァルトやブルックナーやシューベルト、そしてシューマン【注2】といっ
た天啓濃厚型の作曲家の演奏を特に得意にされていたのも頷けます。
【注1】
この第4、音楽評論家の先生方の間で一般に評判がよいクーベリック盤等の盤も傑作で、私もこの盤は自然さとおお
らかさがあっていいと思うのですが、旋律線と流れを重視し過ぎなゆえ、対位法上の構造に気づきにくいです。でも日
本だとこれが売れるだろうなあとも思います。ヨッフム盤などとは別の意味でわかりやすい演奏です。人気曲の第4で
すが、他に要注目だと私が思うのは、鮮烈な魅力に満ちていて退屈しないスクロヴァチェフスキ盤がまずあります。で、
私が第4で癒されるなあと思うのはアバド盤とワルター盤です。(この2枚、2006年6月30日現在アマゾンで評書い
てる人がいない・・・。もの凄く演奏いいと思うのに。特にアバド盤。(涙))
【注2】
シューマンは熱意と創作のひらめきが才能に追いつかないタイプですが、やはり天啓濃厚型です。スキゾ気質が強
い作風の中に典雅でモラルの高い天使(今回、階位もお名前もここには書きませんが、お気づきの方がいらっしゃる
と思います。)の天啓のエキスの香気が漂います。ただ、その多くの曲が脳内の表現力の限界によるフラストレーシ
ョンのストレスが強く、比較的その要素が弱い音楽(歌曲やピアノ曲)の方が遥かによく演奏されます。
2006年6月29日(木)
一昨日はブルックナーの交響曲第8番の話を書きましたが、今日は同曲のシューリヒト指揮ウィーン・フィル盤を取
り出して聴きました。
シューリヒト盤のブル8は一部カットがある上、金管楽器(特にトロンボーン)がウィーン・フィルの演奏とは思えない
ほど暴力的に鳴る時があり、私はそこに抵抗があるのですが、第3楽章の淡々とした美しさに惹かれます。第2楽
章はクナッパーツブッシュ盤(以下クナ盤)よりも聴いていて楽しくなります。ブルックナーの音楽が晦渋にならない
よさがあります。
「聴いていて楽しくなります。」と書いていて思い出しました。クナ盤の第2楽章はテューバが結構目立ってて個人
的には嬉しくなります。フレーズ的には難しいことはしてないのですが、テューバ奏者にとってはオケを低音でささ
える快感がこの曲にあるのではないかといったことがうかがえます。
シューリヒト盤の最終楽章はクナ盤やジュリーニ盤等と比較してせかせかした感があり、もっと壮大であって欲しか
ったですが、スケール感が小さく端正なタイプの演奏の路線ではベストの出来ではないかとも思います。シューリヒ
トの指揮したブルックナーの交響曲の中では第9がベストの出来かなあという思いがします。シューリヒトのアポロ
芸術の路線はこの曲のほうがより生きることでしょう。
カール・シューリヒト(1880−1967)は20世紀初頭から指揮活動をされていたほど昔の方ですが、ステレオ録音
時代まで長生きをされたこともあり、 (数が少ないのが残念ですが)
ステレオ録音が遺されました。特にブルックナ
ー、モーツァルト、シューマンの交響曲を得意とされ、中でもブルックナー指揮者としては20世紀前半の3大ブルッ
クナー指揮者のうちの1人(他の2人はフルトヴェングラーとクナッパーツブッシュ)と評されるほどでした。ブルックナ
ーの交響曲は比較的録音に恵まれた方だといえ、
シューリヒト盤は第3、第7、第8、第9のステレオ録音盤が存在
します。演奏の出来は第9がずば抜けて優れています。次いで第8でしょうか。
2006年6月28日(水)
日本経済新聞の朝刊の文化面に知る人ぞ知る楽器ケース職人の岡野幹夫さんの記事が載ってましたので読みま
した。
57年の手作りの歴史の中で生まれた5万ケースを超える数の楽器ケースが岡野さんの手から離れていき、製作を
依頼された方々に大切にされているという事実は率直に素晴らしいと思いました。
岡野さんがこれまでに製作された楽器ケースはこのサイトで紹介されています。
2006年6月27日(火)
ブルックナーの交響曲第8番のCDを取り出して聴きました。演奏はハンス・クナッパーツブッシュ指揮、ミュンヘン・
フィルハーモニー管弦楽団によるCDです。
ブルックナーの交響曲第8番はブルックナーの最高傑作であるのみならず、ベートーヴェンやマーラーの第9にも匹敵
する名交響曲だとよく言われていますが、意外にメロディと曲の構成が平易であるせいか私はブルックナーの交響曲
を難しいと思う人はまず4番「ロマンティック」から入り、次に8番を聴いてみるのがよいかも知れないと思っています。
実は、私がブルックナーの交響曲に初めて出会ったのは高校時代のことで、その時の曲がこの第8だったのです。
「大曲ではあるが、決して難解な曲ではない。」というのが当時のこの曲に対する印象でした。
ブルックナー畢生の名作であるだけに名演が多く、作曲家の先生方や演奏家の方々、そして音楽評論家の先生方
のお薦め盤も極端に違います。それだけ奥が深い曲なのだと思います。
◆作曲家の諸井誠先生のお薦め
ノヴァーク版ならジュリーニ指揮ウィーン・フィル盤、ハース版ならカラヤン指揮ウィーン・フィル盤
(クナッパーツブッシュ盤は「残念なことに残響が全く無いから推薦出来ない。」と評価。)
◆指揮者のリッカルド・ムーティ氏のお薦め
カラヤン指揮ウィーン・フィル盤
(ムーティは「神の声を聞くようだ。」と感想を出されています。)
◆音楽評論家の宇野功芳先生のお薦め
クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィル盤とシューリヒト指揮ウィーン・フィル盤
(ジュリーニ盤はしかつめらしく、カラヤン盤はブルックナーにしては華美に過ぎると評価。)
私はそれぞれが優れたものを持った盤だと思いました。ヴァント指揮ベルリン・フィル盤やヨッフム指揮ドレスデン・シュ
ターツカペレ盤を推す方も多いです。個人的にはハイティンク指揮ウィーン・フィル盤や、意外に思われるかも知れませ
んがムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル盤もいいと思います。
曲が素晴らしいだけに、ワルターの盤も聴きたいと思うのですが無いものねだりです。
遺して欲しかったです。
今回聴きましたクナッパーツブッシュ盤、残響が極端に排除された録音です。
しかもクナッパーツブッシュは曲のフレ
ーズとフレーズをぶちぶち切ってしまうようなところがあり、一つ間違うとヘタ演と誤解する人が出るかも知れない演奏
でもあります。ですが私はブルックナーの第8というとこの盤を出してしまうのです。音響的にはジュリーニ盤などのほ
うが遥かに壮麗で格好よく聞こえるのですが。
クナッパーツブッシュ盤はただ音の饗宴として聴くのではなく、それ以前の問題としてブルックナーの曲を音楽として聴
くのではなく、自然を音響機器に再生させているという感じに近い状態で聴くのがよいのかも知れません。
そこにはベ
ートーヴェンやマーラーの交響曲のような人間ドラマは無く、ショスタコーヴィチの交響曲のような叙事詩的な要素もあり
ません。あるのは人間が創った音響芸術としての自然の発露であり、神にそれを捧げた素朴なブルックナーの心根で
あることです。それが最もうかがえるのがクナッパーツブッシュ盤だと私は思います。音響の壮麗さを求めて曲を聴くタ
イプにはこの盤は高く評価されないかも知れません。
2006年6月26日(月)
「うどんのおたふく」に行き、冷やしきつねうどん(400円)を食べました。割引券がたまってましたので200円で食べ
られました。
「『うどんのおたふく』に行き、」というフレーズで何か期待してる方がいらっしゃるかも知れません。しかし、これをお
約束にしてしまうのもなんだかなあという思いもあります。迷うこと少々。でも、「太臓もて王サーガ」で矢射子姐さん
が「キャストオフ!!!」なんて某朝番組ネタをやってしまい、
これでうどん噴きそうになったもんですから今回は書こうか
と思い直しました。
でも読者の皆様、「亀の月曜はおたふくで決定!」だなんて思わないで下さい。私は毎週うどん屋に行けるとは限ら
ない身なのです。
ここで「マンガぐらい買えよ。」と突っ込まないように。
週刊少年ジャンプ2006年第30号のこち亀は相変わらずの定型ネタ話でした。そうです。どう考えても劇的に流行らす
のは無理なもんを両さんが無理矢理流行らせようとする話です。「このタイプの話、この30年の連載で何回使い回ししと
るのか。」と突っ込みたくなりますがそれはそれ、
今回はそろばんを流行らせる話でした。
両さんの「そろばんマンガを連載したら絶対当たります。」という企画が通って「少年ザンス」に連載が決定したP.244の
そろばんマンガがもう「これ『日ペンの美子ちゃん』みたいや。」というか、記憶術というか、主人公のそろばん少年が妙に
ハイテンションで暑苦しいというか、「このマンガ描いてる作者の『水畑健』って誰や?」というか、「過去のこち亀単行本に
似たようなのあったんちゃうか?」と思わずにはいられません。
あの小畑健先生は囲碁を流行らせた漫画家の先生として
有名ですが、そろばんを流行らすんはいくらなんでも無理だと思います。類似品にはもっと無理だと思います。
というかこの漫画、「公務員である警察官が民間の仕事してかまんのか。」というのは禁句のようです。漫画界の3大万年
ヒラキャラである両さんには副業の禁止を解除する特例でも出てるんでしょうか?民間企業なら例えば社員のプロボクサー
としての活動を例外的に認めたというケースを私は知ってますが、公務員では田植えを除いて聞いたことがありません。そ
れを思うと両さんは本当に凄い人です。なんたって葛飾区亀有の知名度を全国区にしてしまった功績からなのか、亀有駅
前に銅像が立つくらいの人物なのです。話はフィクションですが銅像はフィクションではありません。
2006年6月25日(日)
2週間ぶりの某朝番組、前回の終了シーンを完全に無視したかのような始まり方をしました。「先週見忘れたあ!」
と思った人いたりなんかしてと思うくらい前回の神代君の個人事情が無視され、新ライダー「ガタック」適合者テスト
のシーンから始まってしまったのは過激な作劇だというほかありません。
ガタックゼクターはクワガタムシをモチーフとしたゼクターで、特技はホバリングでじろじろ人間を値踏みすることなん
ですが、適合者テストを受ける人が適合者ではないと見るや次から次へと血祭りにあげるというとんでもなく凶暴な
ゼクターです。
多分、こいつの適格者の条件は「いじめられても何度も試験を受けに来る人物」ではないかと疑われてます。という
わけで「頑張れ加賀美君、ガタックゼクターはもうすぐ君のものだ。
これはもう適格者はいじめられっこ体質で天然
いじられキャラの君しかいない。ガタックゼクター、今はつれないけど本当は君のこと好きなんやぞ。」とも思われて
ます。それはともかく、加賀美君が行くところ、なんでこれでもかこれでもかってワームがわいて出て来るんやと思
います。まさに加賀美君は主題歌でも歌われている「選ばれし者」です。選ばれとうないです。
話がそれました。うれしげにホバリングなんかしとるガタックゼクターは、クワガタムシというかモンゴイカの出来そこ
ないにしか見えんデザインのくせに、ZECTの三島さんによるとそれでも「ガタックは最強のライダーになる。」のだそ
うです。
私なんか「クワガタムシ?ライダーフォーム変身時にもし『ちぇんじ・すたっぐびーとる』と言うんだったら、なんかそれ
『自分なあ、張出大関なんやで。』って言うとるみたいやからやめとき。」と、ついお節介なことを思ってしまうんです
が、ZECTにはそんなセンスの自覚は無いようです。
私のヒアリングが確かならば、ライダーフォーム変身時の声は
カブト「ちぇんじ・びーとる」
ザビー「ちぇんじ・わすぷ」
ドレイク「ちぇんじ・どらごんふらい」
サソード「ちぇんじ・すこぉぴおん」
って聞こえるんですが、ガタックはどうなるんでしょう?
今から楽しみにしてます。
「チェンジ・張出大関」
張出大関宣言のライダーとなると、これではいかにも加賀美君に白羽の矢がぶすりと刺さりそ・・・・・・と、いうか彼、
自分から「ワームに占拠された工場に閉じ込められてる少年を助けたくてガタックになりたい。」って志願してガタッ
クゼクターにボコボコにされたんですが、三島さんのやっぱりのーという顔はそこで出したらいかんだろーです。
ところで適合者テスト会場のシーン、外からはいかにも分厚そうな鉄の扉で閉じられてて視聴者からは被検者がゼ
クターに何をされてるのかさっぱり見えないんですが、外にいた岬さんが絶叫するくらい、中で過激な攻撃をされて
いるような感じです。もう鉄の扉がボコボコにやられてしまうくらいなんです。ようあんなんで命あるのーと思います。
しかし、幸い死者はまだ出てないみたいです。加賀美君も大怪我して入院しましたが生きています。
こんなシーンを観てしまうと加賀美君はガタックゼクターに何をされたのかとても気になります。過激なシーンを全然
見せてくれなかっただけに、「中ではあの大アゴで加賀美君の鼻の穴とかおっ広げて加賀美君がギャーとか言うて
たんか。」とかいらんことを想像してしまいます。
今、この番組で何が一番心配かって、神代君の個人事情や、工場に1人取り残されたマコト君がどうなるのかとい
ったことや、今後出番が一切無いかも知れない風間君なんかよりも、酸素マスクで隠れた入院中の加賀美君の鼻
の穴が今後どうなるのかのほうがずっと心配です。
そういえば天道君について全然書いていませんでした。
今回も天道君はお医者さんに化け、入院中の加賀美君を
殺そうとするワームを阻止しましたが、天道君、何かとお医者さんスタイルに化ける話が多いのが気になります。今
までにもう何回もお医者さんに化けています。ここまで来たらコスプレ趣味を疑ってしまいます。そういえば彼は変態
チックな台詞回しの天道君でした。ところで天道君役の水嶋ヒロさんはまだ学生だったんでしたっけ。彼が将来就職
する時、履歴書の「特技・趣味」の欄に「特技:変身 趣味:お医者さんごっこ」と馬鹿正直に書かないことを私は祈り
たいです。
2006年6月24日(土)
本屋さんで「もぐらのディガー」(テサ・ポター著、ケン・リリー絵/文溪堂)という絵本を見つけました。
開いてみると本当にいい絵です。解剖学を学ばれ、真摯に描かれたケン・リリーさんによる可愛らしい動物達の絵
のセンスに惹かれます。リアルな絵なんですが、チョウゲンボウが描かれていたのがちょっと意外でしたし、
もぐら
がこんなに可愛い動物だと思ったのははじめてでした。
2006年6月23日(金)
60分ヒーリングセッションを実施しました。
本日セッションを受けられたDさん(仮イニシャル、男性)は翻訳のお仕事をされてます。日本のマンガの英訳のお
仕事もされてます。
これはDさんの翻訳による本ではありませんが、それを聞いた私はDさんと対話しながらこんなのかなあと思って
いました。
↓
「ほんの一例」
(Dさんからは「それ私がやったのと路線がぜんぜん違う。」と言われそうですが、「まあいいか。」と勝手に納得す
る私。)
マンガの初期の英訳本は、日本語の本とは異なり表紙を左側にするため、絵が逆転するということがよく見られま
したが、最近はそういう本は少ないと聞きました。初期の頃って「うる星や○ら」とか「さ○がの猿飛」とかが英訳さ
れたのが日本でも売られていたなあという記憶があります。この時代のは逆転印刷のため本当に絵が変です。
その他、Dさんからは大手出版社のマンガ本の英訳本事情が聞けました。なんか週刊少年ジャンプもちょっと遅れ
てなんですがアメリカでは英語で読めるんだそうです。最近のジャンプはすごいのーと思いました。
Dさんは頭頂にかなりのストレスをためられてましたので、これを解放する方法をお話ししました。
2006年6月22日(木)
ヒーリング雑感のコーナーを更新しました。
2006年6月21日(水)
いろんな週刊誌をちょろっと開いてみると最近はワールドカップの戦績を叩く記事がたくさん書かれているなあと思
います。
やはりスポーツの世界は戦績が芳しくないとこのような記事が増えるのでしょうが、読んでいて事前になんとかなら
なかったのかと素人でも思ってしまうような話も多く見られるのが残念です。
2006年6月20日(火)
外出の必要から整体院を留守にしておりました。留守番電話にメッセージを入れられた皆様、不在で大変申し訳ご
ざいませんでした。折り返しお電話を差し上げますので、宜しくお願い致します。
本日はFood Styleで「ガラナ アンタルチカ」という缶飲料を見つけました。販売者は「荒井商事株式会社」となって
います。
この缶飲料、ワールドカップサッカーブラジル代表の公式スポンサーとなっているそうです。興味が湧きましたので
1本買って飲みました。
飲んでみて、ワールドカップが終わってもこの缶飲料の人気は続いて欲しいと思いました。コーラに似てますが、よ
り軽妙なさわやかさを有する味です。
2006年6月19日(月)
そうです。それもこれも週刊少年ジャンプ2006年第27号の変な話題が出たのがいけなかったのです。
私は「うどんのおたふく」でジャンプの29号を続けて見てしまう羽目になってしまったのです。もう随分前からジャンプ
は読んでいないどころか手に取ってすらいなかったというのに。
でも、今週のジャンプ(29号)のこち亀30周年記念センターカラーは久しぶりに笑わせてくれました。知人の怪しい情
報メールに感謝。
27号で「不覚にも両さんの暑苦しい姿を見てしまった。」と書いたのはこの私ですが、28号ではいきなりブタ小屋みた
いなゴキブリだらけの寮部屋でグースカ寝る両さんというアルティメット両さんを見せ付けられてしまいました。「ああ恐
るべし集合的無意識、いやリクエスト魂。みんな両さんのアルティメットフォーム拝みたかったんか。」と震撼した先週号
だったのですが、今週はそれを遥かに上回るお笑いが読めます。未見の方、うどん屋へGO!
ところで、1976年6月20日はこち亀が週刊少年ジャンプ(1976年第29号)に初登場した日らしく、今週号には当
時の扉絵が載っていました。そして、その扉絵のボツ原画までが載っていました。
ボツ原画に載っていた作者名を見た私は、そのあまりの胡散臭さに反射的に噴いてしまいました。
↓
岩森章太郎改め山止たつひこ
作者である秋本治先生は初期の頃、山止たつひこ名義でこち亀を描かれていたというお話は有名なのですが、これだ
けでも十分怪しいアウラが放散しとるというのに、岩森章太郎名義まであったとは初めて知りました。
ここで巨大な活字にしてもさほど面白くないのが実に残念なのですが、さすがは秋本治先生、現物のボツ原画の名義
は本当に不意に見てしまうと噴き出してしまうほどの胡散臭い笑素をばら撒いている感じがあります。特に「岩森章太
郎改め」の先生の手書きの箇所なんか最高です。これは是非現物をみて下さい。まさに「おお!これが山止たつひこ
の笑素パワーの底力なのか!!」 と実感出来ます。
とはいうものの平成生まれの読者の皆様、「山止たつひこ」「岩森章太郎」といってもピンと来ないでしょう。これオリジナ
ルの漫画家の先生が別にいらっしゃるんですよ。「山上たつひこ」「石森章太郎」でググってみて下さい。
かくいう私も「山止たつひこ」をググってみたらこんなのが出て来ました。質問者の方の天然パワーに爆笑する人が出
るかも知れません。
2006年6月18日(日)
ゴルフ番組のため某朝番組はお休みでした。
そして、「題名のない音楽会21」もワールドカップの特別番組のためお休みとなりました。2006年6月14日(水)の
日記で来週も「題名のない音楽会21」で「トゥーランドット」のあのアリアが歌われると書いたのは私の誤りでした。
この場にて訂正の上、お詫び申し上げます。
お話変わって今日のクロアチア戦で引き分けが決定し、ブラジル戦は必勝を余儀なくされたジーコジャパン。ブラジル
側の猛攻は当然あるでしょうが、GKの川口能活選手が鉄壁の防衛を魅せてくれることを私は期待したいです。
私は川口選手の防衛力に驚いています。これはやはり類稀なGKの読みのセンスと身体能力が川口選手にあるか
らというのはもちろんのことですが、決してそれだけではなく、窮地に追い込まれたときの誰よりも諦めずに粘れる士
気の強さが川口選手にあるからこその成績だと思っています。本当に素晴らしいGKです。
2006年6月17日(土)
「昨日の日記に出て来た『ブルワーカーおじさん』って何ですか?」というメール
を1通いただきました。
日記の内容やヒーリングに関する質問メールをいただくことがある私ではありま
すが、まさかこんな質問をいただくことになるとは思いませんでした。
しかも1通だっただけに、なんだか胃痛になりそうな質問メールです。
・・・・・と、オヤジギャグってる場合ではない。こんなんで笑うんはジャンプ27号の売り上げに貢献したとある漫画のヒロ
インくらいなもんです。本題にいきましょう。
質問された方はネット閲覧が可能な環境にある方でしたので、「こんなのググってみたら一発じゃないか。」と思ったんで
すが、ここで話題にしてもいいのかなという考えが続いて浮かんでしまいました。
ブルワーカーとは、昔々週刊少年ジャンプ等の雑誌広告で宣伝していた簡易筋
肉トレーニング器具の名称です。
いちいち解説せずともお気づきの方が多いかとは思うんですが、ここで「筋力トレーニング」と書かずに
「筋肉トレーニング」と書くのがミソです。
え、まだ思い出せませんか?女性はともかく男性の皆様。ではもう1つヒント。
これを言うと「ああ、あれか!」と思い出される方が多いかと思いますが、なんかヤワヤワな
男の子がアレのおかげでアメコミ風の筋肉マンに知らん間
に変身してしまって女の子にモテモテになるという漫画付き
の広告のアレです。
でも、本当に効果があるのか否か怪しいと思われています。特に女性の皆様、
男性をこんなんで好きになってますか?筋肉だけが理由で好きになるなんて
普通無いんじゃないかと私なんか思ってしま・・・いや、そんな話ではなかった。
私が言いたいのはヤワヤワ君を知らん間にムキムキの筋肉マンにしてしまう
という筋肉増強効果についてです。 「もしかして、これ女性週刊誌のダイエット
広告の男性版ですか?」なんて疑ってしまいます。これでなった人、周囲にい
ますか?
そんな疑惑の話はともかく、誰か買ってそれで筋トレやって論より証拠を魅せてくれたら僕も買おう
かなんて、ついうっかり思ってしまうかも知れないもっともらしさの雰囲気も、漫画の下にある「出来る
ことならお見せしたくない。」「なるだけ見ないで下さい。」と言わんばかりの小さな文
章の解説から漂ってきます。
関根勤さんが使ってるシリーズなんてのもあったんじゃないかと記憶してます
が、これはもしかしたら私の記憶違いかも知れません。
「曖昧な記憶ならいい加減なことは書かない。」のが私の主義なのですが、
「関根勤さん」 と
いうフレーズが妙に私の心にヒットしてしまいましたので、書いてしまいました。
おお、雪国もやしに先んずることウン年の逆宣伝を敢行する勇気!そして先見の明!ブルワーカー!!
しかも、グッドタイミングで中田英寿選手も「勝つしかない」と後押ししてくれてます。
これはもう「買うしかない」でしょう。
買いたい人、通販サイトは「ブルワーカー」でググッたら出て来ますんで。えっ?
これは通販で買うっきゃないでしょう。一般のお店では買えないでしょう。モノが
無いからじゃなくて別の理由で。でも、スポーツ用品店で買った猛者を私は1人
知ってますけど、ええっ!?私?違いますよっ!私に筋トレ趣味はありませんっ
て!!論より証拠があるじゃな・・・・・・(以下翌日)
2006年6月16日(金)
2006年5月31日(水)の日記で話題になった砂糖水のサイトですが、
6
月8日(木)に上級編を受講されたCさんから
「今は観ることが出来ます。」
と知らされていた私は今日の今日までずっと観ずにいたのでした。
で、今日ようやく砂糖水を観たんですが、これはお笑いのフラッシュサイト
だと理解しました。【注1】
トップページにアクセスカウンターがあるのが目に入りました。
ここは1千万超のアクセス数を誇る人気サイトのようです。これはハッタリ
でも何でもありません。 ついでに言うと国内最強のお笑いサイト『侍魂』
のアクセスカウンターもハッタリではありません。私はこれらのサイトのア
クセス数に素直に驚きました。
そして、「世の中ヒマ人が多いんこういうの好きな方多いんですね。」
とも思いました。
トップページにはブルワーカーおじさんだの、少佐だのといった怪
しい画像がいっぱい貼られています。
特にブルワーカーおじさんなんか、 画像からジャパネットたかたの
社長の叩き売りの声が今にも聞こえてきそうな香具師の香ばしさを
感じてしまいます。
これはどうやら画像をクリックしたら別のウインドウが開いてお笑い動画が
発動してしまう仕掛けのようです。
「さあ、一番最初は何を観ようかな・・・・・?」
・・・・・・と迷った・・・・・・・・・というのは嘘です。
この私がそんなことで迷うわけがありません。
迷わずサザエさんの絵をクリックしてみました。
タイトルは「水戸黄門VSサザエさん」
なんか、サザエさんの家に黄門様ご一行が家庭訪問をされるんだそうです。
約 1 分 経 過
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
黄門様のお姿があまりに過激でしたので、ここにリンクするのは駄目
だと思いました。
【注1】
お笑いのサイトを作ること自体は何等問題が無いのですが、トップページの歴史上の人物の写真で笑いを取ろうとしてい
る箇所は削除したほうがよいと思いました。これは笑いを取る性質の写真ではないからです。
2006年6月15日(木)
きらめきヒーリング講座入門編を開講しました。
本日の受講者の方(以下Nさん、仮イニシャル、女性)は、元グラフィックデザイナーの方で、ちょっとだけ絵画の話が出
ました。
最近講座開いてて多いんですが、受講者の方のお話を聞くことが増えてます。本日のNさんからも海外旅行に行かれた
時のお話をうかがいました。
チベットに行かれた時にはお金を盗られてしまったり、体調が急激に崩れてしまったりして大変だったとのことでした。し
かし、「でも、『二度と行くか。』とは思わないですよね。」と私が聞きますとその通りで「また行きたいです。」とNさん。
普通は苦痛なことが度重なって起きてしまうと二度と行きたくないと思ってしまうはずなのに、実際はその逆の気持ちに
なるのは何故なのか、私はNさんにお話ししました。そして、チベットや南米のペルーはNさんにとって特別な地であるこ
ともお伝えしました。(Nさんの個人事情のお話ですので詳細を載せることは割愛します。)
Nさんはトルコ石のペンダントを身につけられてました。アジア雑貨の手作りアクセサリーとうかがいましたが、作り手の
方の優しさが伝わるアクセサリーで、私は嬉しくなりました。そういえばインカ帝国でもトルコ石や金の装飾品がよく作ら
れていました。
カリキュラムが進み、Nさんに胸のチャクラが開いている感じをつかんでいただきました。Nさんは感じの違いをつかまれ
不思議がられてました。
Nさんは「私は鈍いです。」とご謙遜されてますが、実は身体よりも微細な情報を感じられている方です。対話していて
「今、背中のあたり何か感じませんか?」と聞いてみたらビンゴでした。別の時に「今、後頭部に何か違和感ないです
か?」と聞いてみたらそれもビンゴでした。Nさん、それは今までなら気にもとめてなかった生きている人の想念エネル
ギーによる体感です。 出るところや感じ方はその想念エネルギーの性質により異なるものになるかとは思いますが、
比較的強いものはいちいち検索しなくてもわかるようになります。
2006年6月14日(水)
6月11日(日)に放映された「題名のない音楽会21」でプッチーニの歌劇「トゥーランドット」のあのアリアが歌われてまし
た。歌われてたのはメゾソプラノ歌手のキャサリン・ジェンキンスさんでした。そして来週もあのアリアが歌われるようです。
こういうのを観ると、私なんか「もう流行終わりました。今はワールドカップです。でもこれでは日記に書けんな。」とかなり
冷ややかに思ってるんですが、「題名のない音楽会21」では今でもあのアリアが流行しています。
ですが私自身、「この日記でも話題にして欲しい。」というご要望をもの凄く感じてましたので、いつか話題にしようと思
いながらも今日まで何もせずにいました。
プッチーニの歌劇は「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」が3大傑作のように言われています。「トゥーランドット」は残念
ながら1924年にプッチーニの他界によって未完に終わり、フランコ・アルファーノという方が補筆完成させた作品であ
るせいか、3大傑作と言われる時には数えられず、プッチーニの4大オペラという時に挙げられることが多いようです。
また、この曲は本当ならばもっと壮大なストーリーが計画されていたに違いないとみている人が多く、初演者である指
揮者のトスカニーニは、このオペラの初演時(1926年4月25日、ミラノ・スカラ座)にプッチーニが書いた第3幕の箇
所まで指揮をすると、ぱたりと指揮をやめ、
「先生はここまで作曲され、お亡くなりになりました。」
とやってしまったこ
とでも有名です。
しかしこの「トゥーランドット」、今となってはあのアリアのせいで日本人に一番人気がある歌劇に昇格してしまいました。
(国内限定)
私はこんな時思うのです。「『2001年宇宙の旅』で交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』の冒頭がいくら壮大に鳴っても
R.シュトラウスの同曲についての理解が日本国内で深まることは無く、平原綾香さんの『ジュピター』がいくら大ヒットし
ても組曲『惑星』以外のホルストの曲が日本国内でスポットライトを浴びることは無く、いくらイナバウアーが流行してもプ
ッチーニの『トゥーランドット』のあれ以外が『題名のない音楽界21』で演奏されるようなことは無い。」と。
そんなわけで、「なんかいやだなこの流行。」なんて思ってたもんですから長いこと放置してましたが、なんか今日は他
に書くことが思い浮かびませんので書こうかと思います。
この曲、好きなの持ってけ泥棒状態の曲でもあるのです。つまりは名盤が多いと。
でも、そんな中でもフランチェスコ・モリナーリ・プラデッリ指揮、ローマ歌劇場管弦楽団他のCDとアルベルト・エレーデ指
揮、聖チェチーリア音楽院管弦楽団他のCDは双璧ともいうべきものです。
エレーデ盤のデル・モナコのあのアリアはこのCDをデル・モナコの代表盤にしてしまいました。
ブラデッリ盤はフランコ・
コレッリがあのアリア歌ってます。デル・モナコの精悍かつ硬質な声質とフランコ・コレッリの甘さがある声質はどちらも名
唱の名に恥じないです。
でもアマゾンで「トゥーランドット」を検索してみたら、これらの全曲盤が全然挙が
って来なくて、カラヤンの全曲盤しか☆がついてないとか、ましてや上のほうな
んか見ようものなら「フィギュアスケートなんちゃら」とか「3大テノール世紀の饗
宴!名アリア集」とか、「なんてダイジェストな安直CDばかりなんだ!」と血管ブ
チ切れそうになること請け合いです。
2006年6月13日(火)
シューベルトの交響曲を聴きたいと思うことが最近は多く、今日も交響曲第8番ロ短調「未完成」のCDを出して聴きまし
た。演奏はカルロス・クライバー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるCDです。
この曲は小学校時代にラジオで流れていたのを聴いた時に大変惹かれた曲でもあります。演奏は岩城宏之さんの指揮
によるNHK交響楽団のライヴ音源でした。
CDを聴いた後で知ったのですが、岩城宏之さんは本日の午前零時二十分にお亡くなりになったと日本経済新聞の夕刊
の記事で知りました。ご冥福をお祈り致します。
シューベルトの交響曲の中でもこの「未完成」はメロディーの美しさと構成のわかりやすさ、曲が長過ぎないことが理由と
なり、ずば抜けた人気曲となっています。演奏頻度も他のシューベルトの交響曲とは比較にならないほど多く演奏会で取
りあげられる曲です。
私は最初にこの曲に接するにはワルター指揮、ニューヨーク・フィルハーモニックのCDから入っていくのがよいと思ってい
ます。
ワルターはシューベルトの「未完成」を得意とされ、最晩年のコロンビア交響楽団とのステレオ録音の企画でもこの曲とマ
ーラーの交響曲「大地の歌」だけはニューヨーク・フィルとの録音を企画者であるジョン・マックルーアに希望し、それがかな
ったのでした。【注1】それだけにワルターの中でもこの曲は重要なレパートリーであることがうかがえます。
ですが、「未完成」の第1楽章の非凡で、 かつ悲愴感溢れるシューベルトの天才性を知りたい方はクライバー盤を聴いて
みて下さい。穏健なワルター盤はこの曲に最初に出会うのにこの上なくよい盤ですが、クライバー盤の特に第1楽章はた
だ美しいだけではなく、「『未完成』って、こんなに劇的に走っていく青春の影を落とした悲愴な曲だったのか。」と驚嘆する
人が多いかと思います。悲しいことがあった時に聴いたら泣く人が出るのは間違いなくクライバー盤です。
未完成といえば、昔々『未完成交響楽』という映画が作られたことがありました。漫画家の松本零士先生は四畳半漫画で
有名になる前に、この映画に関する短編漫画を描かれたことがあります。
あらすじはこうです。
絵で賞を得、可愛いガールフレンドもいる幸せな絵描き少年が主人公。ガールフレンドの父親も彼のことを大変気に入って
いる様子であるシーンが最初にあるのですが、「絵描きでは将来が不安。」とガールフレンドの父親が娘に言っているのを
聞いてしまった主人公がショックを受け、失意の気持ちで映画館に入り、『未完成交響楽』の最期が悲しいシューベルトの
姿を観て涙するものの、自分は奮起するというもので、こういうものはあらすじにしてしまうと本当に味気なくなってしまって
いけないんですが、ずっと後になって私はその漫画に出会ったのでした。
読んでみて松本零士先生はその後大人気作家となっていく要素を既にその短編の中に内在させていたのだなと思いま
した。この漫画にはワルターの演奏よりもクライバーの演奏のほうが似合うような気がします。
と、ここまで書いておいて、この後続けて書いたら何を書いても蛇足みたいにみられそうですが、この曲のムラヴィンスキー
盤も傑作盤です。特に第二楽章。
【注1】
マーラーの交響曲第2番「復活」のニューヨーク・フィル盤もステレオ録音ですが、
コロンビア交響楽団との企画の前に録
音がなされました。この曲がワルター初のステレオ録音盤です。
2006年6月12日(月)
一昨日の日記に書いた話で何故普通の話にしてしまったのか一部の方が疑問を抱かれてますので、今回書いておきま
す。
結論を先に書きますと、「論証が難しい話を延々と書くのもいかがなものか。」という思いがブレーキをかけることがあるの
です。書きたいと思ってもなにかブレーキがかかるのです。うーん、なんか書きたいけど書けないなとか、最初の意図とは
違うものを書いてしまうとか。とは言うものの、昨日の日記ではショパンについて書いてしまいましたが。
でも、 歴史上の人物について書くのと、 現役の対象(一昨日のテーマですと大学の目に見えない情報)について書くのと
では意味が違います。歴史上の人物について書くほうがテーマとしては遥かに抵抗が無いのです。しかも、大学のキャン
パスの目に見えない情報の中には当り障りの無い話には出来ないような深刻な話も中にはあります。
しかし、大学のキャンパスはいろんな「今までならば気づかなかった情報」の宝庫でもあるのです。【注1】
そんなわけで、「関係者以外立ち入り禁止」としているところは別として、出入り自由の範囲内において公園に行くような
ノリで大学のキャンパス内を散策してみるというのは面白いかも知れません。大部分の大学がキャンパスだけなら出入り
自由にしているはずです。
例えば、国立市内にある一橋大学のキャンパスは決して大学としては大きい方ではありませんが、現在の立地はこの大
学のコンセプトを実現させる環境をうまく作り上げているなあと思いました。関東の進学校の文系受験生、特に法学部や
経済学部を目指す男子学生が「東大でなければ一橋大に入りたい。」と思う気持ちがもの凄くよくわかります。中には「東
大よりも一橋大に行きたい。」という方がお出になってもおかしくない位でした。そして、余程のことでもない限り一橋大は
移転すべきでは無いとも思いました。
国立市はその市の空間自体が一橋大を誇りにしています。本当に学生がいるのに相応しい街の空間が出来ていました。
街の飲食店や喫茶店もどこか学生を応援しているようなオーナーのにおいがするのです。もちろん、このようなものは東大
の近くにもあります。また、規模や格式は全然違いますが地方国立大の近くのお店にもあります。でも国立市の雰囲気は
それらと共通するものと、一線を画するものとがあると感じました。
それが何なのか形容しがたいのですが、大学のために都市開発され、お店を経営する社会人が学生のために集ってきた
ものの美意識がこれほど整然と、しかも自然さも自由にある都市が過去の都市計画において作り得たということが、その
意味において一橋大にとって幸福なことで有り得たでしょうし、
また、他との差別化に繋がることになっていったのではな
いかと思いました。これがもっと時代が下がると自然な感じではなく、人工的な都市開発による学園都市になります。
しかし、こんなことを書くと「そんなの東大の近くもそうじゃないか。」と言われそうですが、かなり違うのです。東大周辺の
お店のオーナーにはもちろん「東大は日本一」の自負はあるでしょうし、学生を応援している人も多いでしょうが、他のいろ
んなものが種々雑多に、中には雑然としたものも存在しています。街の構造やお店の雰囲気が国立市よりも遥かに古く、
重厚で、しかも複雑です。
【注1】
主に1970年代から現在にかけて郊外に広大なキャンパスを作って移転(完全移転、一部移転、学部新設などの理由に
よるキャンパス増設、 いろいろあるでしょうが)をした大学と、
古くから基本的に移転やキャンパス増設の類を実施してい
ない大学(同じ場所に新築をした話を含む。)をみるのが面白いかと思います。私は一橋大学、上智大学、国際基督教大
学、明治大学、立教大学、国学院大学、東洋大学、駒澤大学、亜細亜大学、東京医科歯科大学、東京藝術大学等の大
学は基本的に今の場所を完全移転してはいけないと考えます。
するとしても看板学部ではない学部のみにすべきです。
特に社会科学系統の学部は郊外に出てはいけません。東京外国語大学は完全移転をしましたが、これは移転の影響が
出ると思います。
2006年6月11日(日)
某朝番組、今回も神代剣君が「買い物に行く。」と爺やに言ってとんでもないことをしています。
肉屋の順番待ちの列を無視して「店の肉全部くれ。」と言ったり、
車道を堂々と歩いて交通事故を誘発させてしまったり
する神代君には帝王学やピアノのお稽古ではなく、まずは社会常識が必要だと思われています。「所詮フィクションなん
だからこれくらいいいだろう。」というのはいかがなものかと思います。【注1】
話はそれますが、週刊少年ジャンプ連載中のとある漫画の、イケメンの兄ちゃんがいることが判明した伊勢君弟も自分
の痴漢行為を正当化するようなことを言っていては教育上よろしくありません。
美は触れてみないことにはわからんとか言うのが許されるのはルノアール級の天才だけで・・・・・あ、いかんいかん、痴
漢はいけません。「君、今のままでは将来満員電車で逮捕されるクチやぞ。」とこの場にて書いておきます。この漫画を
描かれてる漫画家の先生には「伊勢君弟には教育的措置を施さんといかんですよ。」
と私はこの場にて提案しときます。
私はこういうのには厳しいのです。(読まれてないですけど。)
何の話でしたっけ?あっ、そうそう某朝番組でしたね。神代君のピアノの先生、今回だけですけど天道君がやってまし
たが、一緒にショパンの幻想即興曲弾いてましたね。ショパンの曲は馨しいのが多くて、しかも作曲にいたる課程が同
時代の他の作曲家(リストやシューマン等)やモーツァルト等の先人とは根本的に違うものを感じます。
ショパンの創作エネルギーは天上から頭頂部に受けているもの、いわゆる天啓の影響もあるのですが、それを練り、私
生活上のコンディションと心境が整った際のパトスの試行錯誤の結果が譜面に残されている部分もかなりあります。彼
はそのエネルギーを創作に使える時と創作の泉が枯れてしまう時がわかっていた人だったのです。
概ね恋愛に濃厚に
かかわると自分は創作面では駄目になるということを彼は自覚してました。これがモーツァルトやバッハ、そしてワーグ
ナーやマーラーのような作曲家ならそうはならなかったことでしょう。ショパンは創作面において内気の充実が無いと傑
作が書けない作曲家であったようです。創作以外の、特に恋愛ごとに意識が行っている時はエネルギーを創作に向け
るだけのものが内に練れないことをショパンはシューマンに話したことがあるようですが、ショパンは生を作り上げるため
に湧出される精を練って創作の源泉としたのでした。聴いてますと確かにモーツァルト、ハイドン、メンデルスゾーンの音
楽や同時代のシューマンやリストの音楽と比較してリビドーの充実を感じさせる音楽です。
・・・という訳で、プレトニョフさん幻想即興曲のCD出して下さい。出たら買います。
【注1】
ちなみに「子供が観るものだからこそ優れたものを作らなければならない。手抜きは許されない。」という名言を遺され
たのは、ゴジラ映画の音楽を担当されたことで有名な伊福部昭さんです。
2006年6月10日(土)
一昨日の日記の反響メールをいただきまして、今読んでます。その話とは別件なのですが、一昨日に上級編を受講さ
れたCさんからもメールをいただきました。意見を整理してから返事を書こうかと思います。
某☆☆隊幹○候補生養○大○校ですが、ジャンプのとある漫画の魔法学校じゃないですけど、その学校が所在して
いる土地の状況や、その土地で繰り広げられた過去の歴史の影響が現在もこの学校にあり、それは内情がそれぞれ
異なるとはいうものの、他の大学にも存在することを感じずにはいられませんでした。
大学が移転、新築、改名、学部等の改組をするのは、よほど注意して行わないといけないのです。
ここ10〜20年で数々の有名大学が郊外の広大なキャンパスに移転しています。有名どころでは古くは中央大学が
八王子に、青山学院大学が厚木に、そしてここ近年では広島大学が東広島市に新キャンパスを作っています。
学部の改組では福島大学が学部制を廃止しています。これは改組ではないのですが、筑波大学は最初から学部制
ではなく学群制をとりました。近い将来においては金沢大学が学部制を廃止する予定なのだそうです。
もちろん、これらの全てがいけないわけではありません。功を奏したものも多いかとも思います。ですが、広島大学を
例に取りますと、郊外に出たため主に法学部や経済学部の学生からは就職活動が行いにくくなったとの不評が出て
います。
首都圏や京阪神に所在する都会の大学は別として、地方の支店経済の拠点都市の中心部に所在する国公立大学
の社会科学系統の学部(法学部、経済学部、商学部等)は、同程度の格式や偏差値の他の地方国公立大学との比
較において遥かに民間企業への就職実績が良いという法則があります。
これは就職活動を効率よく、また低コストで行える利点があるからです。
旅費は毎回企業が負担してくれるとは限り
ませんし、昔は裕福な学生が少なかったこともあったため、支店経済の拠点都市の、それも中心部に所在している
という事実は大きなメリットとして働いたのです。
支店経済の拠点都市に所在する大学ですが、地方の国立大学でいうと北海道大学、小樽商科大学(札幌からさほ
ど遠くない。)、東北大学、名古屋大学、新潟大学、金沢大学、広島大学、香川大学、九州大学等の大学が該当し
ます。
しかし、広島大学は早くも東広島市に移転した影響が出ているとのことで、かつての旧制高等師範学校の色や一橋
大や神戸大にみられるような企業エリート養成大学の色としてではなく、研究大学、そして資格取得大学の色を重視
する性格となり、それがために特に社会科学系の学部の就職での優位性が昔ほど強くなくなり、昔は岡山市(広島
市や高松市ほどには拠点性は強くない)内にある岡山大学との民間企業の就職先の違いが大きかったのが、今は
岡山大学との就職先との違いがさほど無くなって来ているという話を聞きます。
文部科学省の広島大学を総合研究
大学にしたいという意向は以前よりも反映されてはいるでしょうが、
郊外への移転を行うと大学の色がどうしても変わ
って行かざるを得ないのだと思います。
・・・・・と書いてったのはいいんですが、書きたかったことと何気にずれてしまったような・・・・・・。本当はもっと波動と
か気とか、もっと言うとあちらの世界のことを書こうかと思ったんですが。
2006年6月9日(金)
J.S.バッハの「G線上のアリア」が聴きたくなりましたのでCDを出して聴きました。
この曲自体は曲名、曲共に超有名曲で大抵の方が理解されるかとは思うのですが、この曲の原曲はバッハ自身の作
曲による「管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068」の中にある「Air」という曲であることはクラシックファンを除き、
意外
に知られていません。
この曲は1871年にドイツのヴァイオリニストのアウグスト・ヴイルヘルミが
バッハの「管弦楽組曲第3番ニ長調BWV
1068」から「Air」を原曲に バイオリンのG線(バイオリンの四本の弦の一番低い音のG弦)だけで弾けるように編曲し
たことで世の中に広く 「G線上のアリア」として知られ親しまれる曲となったのでした。
この曲、元々はヴァイオリンのために編曲がなされたのですが、現在ではいろんな楽器に編曲がなされ、いろんな楽器
奏者がソロCDに収めてますので知らぬ間にCDの数が増えてしまう曲でもあります。オルガン、トランペット、ブラスアン
サンブル、サクソフォン四重奏・・・・・本当にいろいろあります。
今日聴きましたのは以前日記でも話題に致しましたモーリス・アンドレのトランペットのCDでした。トランペットのG線な
らこれがダントツに優れた演奏かなあと思います。
余談ですがこの曲はいろんなところでBGMとして使われています。先週の某朝番組でも冒頭シーンで使われてました
し、他で有名どころを挙げるとするならば、うん、そうですね「弐号機」といえば「ああ、あれか。」という方、意外にいらっ
しゃるかも知れません。
2006年6月8日(木)
きらめきヒーリング講座上級編を開講しました。
本日の受講者の方は5月18日(木)に入門編を受講されたCさん(仮イニシャル、男性)です。5月18日(木)の日記に
も書きましたが、Cさんは某☆☆隊幹部候○生養成○学校で英語を教えられている先生です。という訳で、またこの大
○校のお話をうかがうことが出来ました。
Cさんは某☆☆隊幹部○補生養○大学校の他に都内の某私立大学でも教鞭を取られてます。
で、やはり大学によっ
て違うなあと感じるところが数多くあるとのことでした。そんな訳で、他の大学のお話なんかもいろいろ出ました。
最後の方はお茶の水女子大学だの、昭和女子大学【注1】だの、Cさんとは何の関係も無い大学の話まで出たので
すが、「女子大ってこれからは大変だ。」という話で終わりました。
お話が変わり、入門編を受講された後のCさんのお話をうかがうことが出来ました。
入門編受講後は波動感覚、例えば、ある方のサイトを見て、今までならば気づかなかった視覚以外の要素の情報が
わかるようになったとのことでした。Cさんは現在の仕事場の感じもつかむことがお出来になります。もちろん、他の大
学にもそれぞれ感じの違いがあることにお気づきです。
これは学部でも違いますし、キャンパスのどこにいるかといっ
た問題や、学舎の室内の状況、日常仕事をされている方々がどうなのかといったことによっても変わって来ます。
上級編のカリキュラムがおしまい近くになり、ある方の強い想念エネルギーを感じましたので、そのお話になっていき
ました。Cさんも感じをつかまれました。
強い想念であれば(その時のわかり方に違いはあれど、いろいろ検索作業をする以前の問題として)わかることがあり
ます。例えば異性からの「好き」などの強い想念はわかりやすいです。これには「人間という存在は対面の関係だけが
全てではない。 また、遠方にいる人間同士が同じ時間を共有して肉体よりも微細な情報で繋がることもあるのだ。」と
いう感動があります。
【注1】
昭和女子大学のキャンパスには妖精伝説があるそうです。
↓
昭和女子大学7人の妖精伝説 本ホームページに取り入れられているキャラクターに7人の妖精がいます。その妖精たちは、昭和女子大学に 存在する「7人の妖精伝説」から来ています。 伝説は、以下のとおりです。 「7人妖精がキャンパスに姿を現したのは約40年前で、いつしか都会のオアシス を転々とまわるうちにすっかり昭和の学園に定住した。 7人全員を1日のうちに見つけることができたら、幸せになれるといううわさがあり、彼らは日々未来を見ながら 育っていく園児・児童・生徒・学生と共に生き 、悲しみも喜びも共にしたいと願いながら、休まず朝から晩まで 学園の白雪姫たちを見届けている。 彼らは、自然と大地を愛していて、動物や植物と話を交わすことができるので、キャンパスの中のけがをした 鳥を助けてあげたり、枯れそうな花に水をあげている。小柄でありながら、力は人間の7倍あるので力持ち。」 この伝説はどこから来たのでしょうか。 真相はあっけないもので、実は第二代目理事長の人見楠郎が妖精の人形を学内に置くことから始まったの です。 理事長は、ヨーロッパに訪れたときに、街中に置かれている妖精の人形を見て「生徒がつらい時や苦しい時 に学校でこの妖精たちを見かけたら、きっと励まされるだろう」と思い花が咲きそろう学内に置き始めました。 この人形たちの中に、ノーム(Gnome:地中に住む知性の高い妖精)が7人いたということがきっかけです。 理事長は、夜遅く仕事が終わってから妖精を置く場所を試行錯誤変えていました。朝、生徒たちが学校に来 て見ると、かわいらしい妖精の人形がただ立っているだけでなく、毎日ひとりでに場所を動いているように見 えたことから、生徒たちに不思議がられ、話題となっていったのです。 いつしか、グリム童話の「白雪姫」に出てくるドワーフ(Dwarf:姿を消す能力を持つ、山や森に住む妖精)にな ぞらえて、白雪姫である生徒たちを見守っているという伝説が生まれました。子供たちの間では、「1日の内 に7人見つけると幸せになる」とうわさされるようになり、ついにはこの伝説は、各テレビ番組でも放送されるよ うにまでなりました。実際に、子供のつらい時や困った時は、いつも妖精たちが励ましてくれるそうです。 妖精の実態 平均年齢: 276歳と大変長寿 身長: 16cm 体重: 300グラム 住まい: 学園本部館2階バルコニー 秘話:数十年前には、妖精は9人いて、隔週で順番に7人登場していたそうです。その残りの2人はジョウロと ウキワで、その2人の行方を関係者に尋ねたところ、ジョウロは「故郷に帰った」そうで、ウキワは「夏に いつも避暑のため来ている」とのことでした。 |
↑
これは昭和女子大学のホームページより転載しましたが、転載不可のご連絡をいただきました場合は削除
致します。でも、きっと許していただけると思います。私にはわかるのです。(なんて校風を勝手に決め付け
てしまう私。)
で、その妖精を1日で7人見つけられたらその人は幸せになれるという話があるらしいんです
が、それを聞いた私は「なんやそれ。なんか某ゲームの『卒業式の日に校内のあの伝説の木
の下で愛の告白をして結ばれたカップルは永遠に幸せになれる。』みたいな話やなあ。」と思
いました。
あと、「理事長、仕事の合い間になに漫画みたいなことやってんや。」
とも思いました。
これは讃岐人ならきっとそう思うはずです。ロマンが無いな。
2006年6月7日(水)
葛西駅南口斜め前の東西そばで「豚生姜焼きライス」(500円)を食べました。
東西そばは立ち食いそば屋さんなのですが、うどんとそば以外のメニューもいろいろあり、小規模な立ち食いそば
店ならではの工夫を凝らした形跡が認められる定食類も人気があります。
東西そばの「豚生姜焼きライス」は、ごはん、豚生姜焼きの大きなお肉3枚と櫛型にカットされたトマトとサニーレタ
スのサラダが入ったお皿、漬物の小皿、澄まし汁といったセットが500円で、一般の定食屋さんより割安の定食と
いったスタイルを確立させているのがよいです。
ここで工夫がみられるのは、味噌汁を作らずにそばのだしを流用した澄まし汁を作ることと、仕込みが比較的簡便
なサニーレタスをサラダに採用していることです。これは間違いなく仕込みは包丁やスライサーを使わずにサニーレ
タスを手でちぎってます。出る時間が早いのもよいです。
2006年6月6日(火)
昨日の日記の週刊少年ジャンプの今週号(2006年第27号)のお話ですが、最後の発言が疑惑を呼んでますの
で、少々言い訳解説をしておきます。
私は週刊少年ジャンプの今週号がどこに行っても無いため、書泉西葛西ならまだあるかも知れないと思いながら
もまあいいかと思い直し、でもちょっと売れ行きが異常だった理由が知りたいなとも思いながら「うどんのおたふく」
に入り、うどんを注文後、お店に置かれていたジャンプの27号を手に取ってみたのでした。
途中からかぱっと開けましたので、いきなり両さんの暑苦しい姿が視界に入りました。
「ああ、なんてはしたないことをしてしまった私。いきなり両さんの姿を拝むような雑誌の開き方をするなんて。」と私
は美輪明宏さんじゃないけどと思いながらもこち亀をしっかり読んでしまいました。
この漫画をみてていつも思うのですが、作者である秋本治先生の取材魂と探究心はただものではないですね。これ
を何十年も続けられているということ自体がもう驚きです。
・・・・・・・・で、こち亀の交通博物館の話は絶対原因とは違うなと思いました。
最近この手の週刊少年漫画は見てませんので、ワンピや王子様やこち亀みたいな長期連載してるのを除き、新顔
の漫画だらけだとも思いました。
で、いろいろぱらぱら見てたら原因はとある漫画の主人公と伊勢君だったかという疑惑
がふと浮かんでしまったと。
これ以上書いたらどこかから言い訳がましい疑惑がわいて来そうですので、話題を思いっきり切り替えましょう。
今日の日本経済新聞の文化面に「駄菓子屋ゲーム機を救え」という記事が載っているのが目に入りました。記
事を書かれているのは駄菓子屋ゲーム収集家の岸昭仁さんです。
岸さんは今月の15日まで東京・板橋で期間限定の駄菓子屋ゲーム博物館を開館されています。記事の最後
で、 「いつか常設の博物館を作りたいと夢をふくらませている。」とまとめられていましたので、
サイトが無いか
探してみたらありました。→「駄菓子屋ゲーム博物館」
東京・神田の交通博物館は先月14日に閉館し、埼玉県に鉄道博物館として移転(2007年10月14日開館
予定)されるのだそうですが、閉館直前のイベントは盛況だったそうです。駄菓子屋ゲーム博物館の今朝の日
経記事を見た私は、こち亀の交通博物館の話を連想せずにはいられませんでした。惜しまれながら無くなるも
の、そして新たに出来るものが近接して話題になるのはいいものだと思います。
2006年6月5日(月)
今日、最も驚いたのは、村上ファンドの村上世彰代表が証券取引法違反容疑で午後にも逮捕されるかも知れ
ないという日本経済新聞夕刊のトップ記事ではなく、 「なんでかわからんけど週刊少年ジャ
ンプの今週号の売れ行きが非常に早かった。
もうどこにも置いてない。大
きい本屋か古本屋行かないともう無いかも。」
という変な情報を知人からメール
でいただいたことです。
「特定の雑誌の売れ行きが非常に・・・いや異常に早かっただなんて、田中真紀子さんのご家族の記事差し止
め仮処分命令が東京地裁から出た時に回収されなかった週刊文春以来じゃないか。いったい何があったんだ
ろう?」と思いました。
でも、もしかしたらガセネタかも知れません。私はよくかつがれてしまう人間なのです。しかも相手は最近売れ
行きが落ち気味の週刊少年ジャンプです。かつがれてたまるかと・・・・・・でも、ちょっと気になるなその話題。
本当かどうか確かめにFood Styleに行ってみました。
ジャンプが無い。
た・・・・・確かにジャンプが無い。
いつもなら1週間近く売れ残ってるジャンプが何故か無い。
もっと先に出たはずのサンデーやマガジンやチャンピオンがまだ何冊も
売れ残ってるのにジャンプが無い。
サンクスにもファミマにも無い。
・・・・・いったい何があったんでしょうか?私にはさっぱりわかりません。
昨日の日記で柄にも無くジャンプの話なんか書いたから気になっていま
す。何かあったんでしょうか?
もしかして、とある漫画の主人公と「伊勢」とかいう男がヒロインに何か
いかんことしたからですか?
2006年6月4日(日)
新展開の某朝番組、新ライダーのサソードが遂に登場したのですが、変身する神代剣君(演:山本裕典)はなんと
名門・ディスカビル家の流れを継ぐ神代家の当主であり、執事の爺やがいる豪邸住まいの大富豪だそうです。
「名門・ディスカビル家の流れ」だなんて、なんてルパソV世な設定なのでしょうか。
しかも、今回から「怪盗シャドウ」なんて新キャラまで出している念の入れようです。もっとも、その正体はレギュラ
ーのあのお方でしたが。
神代君、相当な俺様キャラらしく、早速天道君とサッカー勝負でぶつかり合ってしまいました。前回もそうでしたが、
演出の裏にワールドカップありです。今をときめくものを次々と取り入れてくれている某朝番組に乾杯です。
テレ朝公式サイトの第19話解説より抜粋
↓
弓子(西牟田恵)の依頼で天道(水嶋ヒロ)がサッカーチームの助っ人をすることになった。 が、天道は自分一人だけで試合をするという。 驚く加賀美(佐藤祐基)が止めようとするが、天道が 素直に聞くはずもなく。 試合当日、一人で待つ天道の前に剣がチームとともに現れた。 一人で試合をするという天道に敵意をむき出しの剣は、他のメンバーに下がるよう命じると、自分も 一人で戦うという。 1対1の奇妙なサッカーを始める天道と剣。 ともに力は互角、結局1点も入らず引き分けに終わってしまう。 が、それで納得する2人ではない。 バスケットボール、バレーボール、剣道、卓球、ボウリング…。 さまざまな種目で2人は戦うが、どれ も互角で勝負がつかない。 見ていた加賀美が間に入り、なんとか引き分けということで両者を納得 させる。 互いに名前を名乗り合う2人。 「神代剣……神に代わって剣を振るう男だ」。 |
あっ、彼、遂に天道君に「神に代わって剣を振るう男だ。」なんて
自己紹介してしまいました。
おいおい、マジですかこれ?
どうみても某有名人のあの決め台詞みたいで恥ずかし過ぎます。パロるのも
いい加減にして下さいと思ってしまいます。
それに今回のスポーツ勝負、サッカーのシーンに特撮が入ってしまったがゆえ、少林サッカー状態になっているのが
なんだかなあです。この2人、特撮なんか無くても十分サッカーが上手い人だというのにです。
あっ、卓球勝負観戦中
の加賀美君の動きは別に特撮入ってませんから念のため。
今回のスポーツ勝負の中には剣道勝負までありました。これはやはりサソードが剣使いなだけに妥当な
選択だと思います。
で、サッカー → バスケ → バレー → 剣道
→ 卓球 → ボウリングというスポーツ
勝負の順番に他意は無いと私は信じたいです。
無いですよね。脚本の井上敏樹さん。
ところで剣道といえば、神代君は剣という名前だけにもっと「剣の家に生まれ剣の道に一途」みたいなキャラにして欲
しかったなあなんてことも思ってしまいます。素振りが日課みたいな。
で、大豪邸の片隅にちんまりと剣道の道場なんかあって、婿養子のお父さんが道場の師範やってて、しかも屋敷の
中にティラノザウルスの化石の完全標本なんかジュラシックパークのラストシーンみたいに飾ってて、
好きな子を自
宅の屋内プールに招待して、爺やの名前がもろセバス○ャ・・・・・・・なんてベタな漫画が昔週刊少年ジャ○プであっ
たような気がしたんですが、そこまでやってしまったらサソードお前もう悪役になれんぞという位・・・・・・・あっ、いかん
いかん、話を続けないと。
やはりテレ朝公式サイトの第19話解説より抜粋
↓
そんなシャドウの出現に合わせるかのように、セパルチュラワームが現れた。 待ちかまえていた天 道が変身しようとすると、剣が割って入りサソードに変身する。 構わずカブトに変身、ワームに攻撃 を仕掛けると、なんとサソードがカブトを攻撃してきた。 「全てのワームはオレの獲物だ!」。 ライバ ル2人は今度はライダーとして激しい戦いを繰り広げて…。 |
「カブトに『全てのワームはオレの獲物だ!』とか『お前に出る幕は無い!』とか言ってカブトを攻撃してる間にワーム
にどっかに行かれてしまうサソードって何やねん。」というラストシーンうますぎです。
まあ、前回が前回だっただけに今回は爆笑モードに入ってくれるんじゃないかと思ってはいましたが、これでは大
介君は当分拝めなさそうです。
え?前回で大介君はバイクで去ったままフェードアウトですか?もしかして彼はもう出ないんですか?噂ではなん
かそうらしいんですが、ほんとにそれやったら今シリーズほんまに神ですね。
2006年6月3日(土)
昨日も野菜の話をしましたが、これから楽しみなのはレタスだなと思う今日この頃です。
といいますのも、高原レタスのおいしいのが入手しやすい季節になったからです。
レタスは苣(ちしゃ)の中でも結球性がある野菜で、サラダの定番野菜です。玉レタスのような結球性のレタスが現
れたのは、地中海地方を中心に16世紀になってからで、それ以前に東に伝播した非結球性レタスは、苣として5
世紀には中国に達し、日本へは奈良時代までには伝わっていたようです。ただ、この時代のレタスは、掻きチシャ
や茎チシャと呼ばれるもので、結球レタスではありませんでした。
結球レタスは江戸時代末、1863年にアメリカから入り、明治時代になってから普及したのでした。
そんなレタスですが、ビタミンCの他は水分だらけで栄養上の価値が低い淡色葉野菜だと思われてる方が多いか
も知れません。私もうちのカメ達には栄養があまり無いことを理由に与えておりません。(レタスよりも比較的栄養
価を高くしていることを理由に、レタスや苣と同種の野菜であるサラダ菜を与えることはたまにあります。)
ですが、嗜好という意味においてはレタスは葉野菜の中でもトップクラスの人気野菜です。こんなにあくが無く、生
でバリバリ食べられる葉野菜は他に見当たりません。
最近の私はレタスよりもキャベツの千切り、キャベツの千切りよりもチンゲン菜、チンゲン菜よりも小松菜のほうが好
物の葉野菜になっていますが、実家にいた頃はレタスとサラダ菜が好きでした。東京というところは嗜好を変えてし
まうのでしょうかとも思いました。定食屋さんではキャベツの千切りを出すところが圧倒的に多く、(逆にレタスはどう
いうわけかレストランやファーストフード店のサラダを除き、非常に少ないです。)小松菜のおひたしをウリにしている
お店も探せばあります。
東京暮らしももう長いなあと思う私なのでした。
2006年6月2日(金)
今、「すき家」のかつぶしオクラ牛丼にはまっています。
オクラは牛丼によく合う上、雨が多くて中途半端に暑い鬱陶しい今のような季節を乗り切るのにぴったりな野菜で
す。
オクラはアフリカ原産の一年草で、麻、綿、葵等と近縁の植物です。歴史的には12〜13世紀にエジプトで栽培
され、(エジプトの歴史からみてこれは結構新しいです。)18世紀にアメリカに渡り、日本には明治に始めに入っ
ています。長いこと定着しなかった野菜でしたが、昭和50年代あたりから普及しだし、今では一般的な野菜とし
て知られるようになりました。高知県産のものが特に優れており、波動的には恨みから来る霊障の波動を中和
することがあります。価格的にも求めやすい野菜で、しかもおいしく食べられる簡単な調理法が多いため、私は
オクラが大好きです。ただゆでて輪切りにしたものに醤油をかけただけでもおいしいです。
2006年6月1日(木)
ついにドイツワールドカップの月になりました。
先月30日の親善試合でドイツ代表と2−2で引き分けた日本代表を観た私は、「これ、一昔前なら考えられん
ような試合だな。」と思いました。これは一昔前よりも日本代表の水準が格段に上がっているのと、ドイツ代表
が全盛期の1970年代よりも弱くなっているのではないかというのと両方あるのかも知れません。
そういえば、今朝のフジテレビの「とくダネ!」で「デイブはあまりサッカー好きじゃないの?」と質問されたデイ
ブ・スペクター氏が「なんでゴールの前に全員並ばないんだ?点入れられないで済むじゃないか。」なんて言っ
てたのを思い出してしまいました。
これはハンドボールのゴールでも駄目だというのに、ましてやサッカーの広いゴールだとそんなことをしても全
く無駄です。それどころかかえって隙が出来て点を入れられやすくなります。ドイツ親善試合で点を取られたの
もゴール前に人大杉の隙をつかれた形です。
ところで、アイスホッケーのゴールなら反則になるんでしょうか?
KONISHIKI氏にキーパーやってもらうのではいかんのでしょうか?
「とくダネ!」では今大会からボールが大きく変わるなんてのもやってました。
前大会までは(彩色と模様に違いがあれど)五角形と六角形の組み合わせで縫い合わされた誰が見てもサッ
カーボールとわかるボールだったのですが、今大会からは皮の形状が一新され、縫い目も目立たなくなり、新
時代のボールが公式採用されるのだそうです。
2006年5月31日(水)
某所での怪しい会話
よしろー「面白いサイトあるんですよー。」
阿部「え?」
よしろー「『さとうみず』って入れて検索してみて下さいよ。」
阿部「『砂糖水』って、漢字で入れるの?」
よしろー「はい。入れてみて下さい。」
よしろー「あと、私的には『DJラオウ』なんかもお薦めですねー。」
・・・・・で、早速YAHOO検索してみました。
砂糖水、見られないじゃん。まあいいか・・・・・。
次はDJラオウだ。
出た。こっちは見られるな。
約 1 分 経 過
・・・・・・・・・・・・・・・・。
これ、あまりに○○過ぎてここにリンク
できないじゃん!
2006年5月30日(火)
書泉西葛西に入り、1階をしばらく歩いていると「ダ・ヴィンチ・コード」関連本のコーナーがありました。いろん
な関連本が平積みされていて、この映画と小説が流行しているのがよくわかります。
1冊手にとって広げてみ
ました。
こんなことを書くと「嘘をつけ。」と思われるかも知れませんが、私はダ・ヴィンチの絵についてはほとんど知り
ません。そらで言える絵のタイトルもごく最近まで「最後の晩餐」「モナ・リザ」「自画像」くらいなもんでした。
ですから本当に驚きました。「岩窟の聖母」なる絵【注1】がダ・ヴィンチの真筆とされる「ルーヴル美術館版」
と、名義がダ・ヴィンチ工房作とされる「ロンドン・ナショナル・ギャラリー版」の2種存在し、その中に大天使ウ
リエルが描かれている【注2】と知ったのは実は今日なのです。
「岩窟の聖母」は、もともとダ・ヴィンチがミラノ滞在中の1483年4月25日に、無原罪の御宿り信心会にサン・
フランチェスコ・グランデ聖堂の祭壇を飾る三連画の中央部分として依頼されたものでした。
「岩窟の聖母」は
紀元1世紀、ヘロデ王が2歳以下の嬰児を虐殺する為に放った兵士から逃れるべく、エジプトへの逃避中、砂
漠の洞窟に身を隠したヨセフとマリアと幼子イエスが、大天使ウリエルに守られた幼い洗礼者ヨハネに出会う
場面を描いたとされています。
元々依頼されて描かれた「ルーヴル美術館版」は、画面全てがダ・ヴィンチの真筆とされ、本来はサン・フラン
チェスコ・グランデ聖堂の祭壇を飾るはずの作品であったのですが、1485年に完成したこの絵の構成が黄金
の葉が散りばめられ、智天使(Cherubim)が宙を舞い、旧約聖書の預言者達の霊が間を埋めるという、豪華
な出来栄えを所望した信心会側の意図に大きく反しており、また、製作が遅れた事もあり、信心会が支払いを
渋り、評価額25ドゥカーティに対し、ダ・ヴィンチは100ドゥカーティを要求した為、その後、長期的に支払金を
巡る訴訟が両者の間で続き、契約から25年後の1508年10月になって、ようやく金銭の支払いがなされ、こ
の作品は結局、それを仲裁したフランス王ルイ12世に献上され、現在はパリのルーヴル美術館に展示されて
います。
そして、その「ルーヴル美術館版」を安売りしたくなかったダ・ヴィンチは、しぶしぶ依頼主の意図に沿った「岩
窟の聖母」をもう1枚ダ・ヴィンチ工房名義で製作し、【注3】それを最終的に信心会に渡したといわれています。
その絵が現在ロンドン・ナショナル・ギャラリーに展示されている「ロンドン・ナショナル・ギャラリー版」のようで
す。
「岩窟の聖母」は「ルーヴル美術館版」「ロンドン・ナショナル・ギャラリー版」共に、中央に聖母マリア、その左に
幼子の洗礼者ヨハネ、右に祝福を与える幼子イエスと大天使ウリエルが配置されていますが、「ルーヴル美術
館版」には神格の象徴である光輪が描かれておらず、更に、通常ならば洗礼者ヨハネはアトリビュートである獣
の衣や十字の杖等が描かれ、幼子イエスと明確に区別が図られるのですが、それが無い点から、祭壇画として
の役割が果たせないこともあり、「ルーヴル美術館版」は依頼主の信心会に受け取りを渋られたのでした。
「ロンドン・ナショナル・ギャラリー版」は「ルーヴル美術館版」とは違い、異端的な要素が全て排除され、光輪が
描かれてあり、2人の幼子は明確に区別され、左の幼子に葦の十字架と羊の衣が描かれている為、明らかに
左の幼子が洗礼者ヨハネとなっています。 しかし、この葦の十字架と羊の衣は、イエスとヨハネ両者の混同を
避ける為に、後になって植物のエスキース(下絵)から類推して、描き加えられたものだと言われています。
大
天使ウリエルも「ロンドン・ナショナル・ギャラリー版」では指を差しておらず、目もそらしていないように描かれ
ています。これは依頼主の信心会の怒りを静めるため、ダ・ヴィンチがダ・ヴィンチ工房名義で急遽製作した、
いわば妥協作としての「岩窟の聖母」だとわかります。
【注1】
下の絵の左側が「ルーヴル美術館版」、右側が「ロンドン・ナショナル・ギャラリー版」です。
【注2】
一部にはこの大天使はガブリエルであるとしている説もあります。ですが、私はダ・ヴィンチはウリエルを描か
れたという説をとります。
【注3】
「ロンドン・ナショナル・ギャラリー版」は、その大半の部分を弟子のデ・プレディス兄弟に描かせたとされていま
す。ダ・ヴィンチの手が全く加わっていない訳では無いのですが、技法が単純で、例えば「ルーヴル美術館版」
の幼子の肩を照らす強い光が顎の暗い面に反射し、そこをうっすらと明るくしていることを明暗対比の技法に頼
らない技法で丁寧に顎の立体感を表現し、さらに顎の暗い一帯が、まるで金箔が闇の中でほのかに光るように、
微妙な明るさで照り映えているように描いているのに対し、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー版」では弟子メイン
で製作されたこともあって明暗対比の技法によっていますし、速攻でまとめ上げられた感があります。また、「ル
ーヴル美術館版」のイエスや大天使ウリエルの表情の書き込みに遠く及ばない感もあります。特に「ルーヴル
美術館版」の大天使ウリエルは雄渾で男性的な姿ではなく、優美な姿で描かれた珍しい例で、ダ・ヴィンチ本
人は自らが手をかけ、純粋に自作といえる「ルーヴル美術館版」を遥かに愛していたのではないかとも思いま
す。そして、当時主流であった正統的とされるキリスト教観とは異なる自由さも絵に反映させたかった本音があ
ったようですが、依頼者側には不遜とみられたようです。
2006年5月29日(月)
Food Styleに入り、視界に入った週刊現代(2006年6月10日号)を手に取りました。
「『ダ・ヴィンチ・コード』ここがヘンだよ、カネ返せ」という記事がP.170からP.171にかけて載っていました。
「ここがヘンだ。」と解説をされてるのは、東京大学先端科学技術センター特任研究員をされている島田裕巳
さんです。
私は『ダ・ヴィンチ・コード』については映画も小説も未見・未読ですので、内容面において詳しいコメントが出来
るわけではないのですが、記事は興味深く読ませていただきました。
この作品で登場するという秘密結社「シオン修道会」の真実は島田さんがおっしゃる通りで、この組織は1956
年に創設されたものの、現在では自然消滅しています。ですから、小説『ダ・ヴィンチ・コード』の著者であるダン
・ブラウンが同書の前書きに書かれた「シオン修道会は1099年に設立されたヨーロッパの秘密結社であり、実
在する組織である。」という記述は事実と食い違いがあります。
ならばダン・ブラウンの小説も映画もフィクション前提のエンターティンメント作品として捉えるべきということにな
ってしまうのですが、フィクションとして割り切ったこの作品を面白いとみるか否かは個々人により異なるかと思
いますし、私も未見ですので詳述は控えます。
島田さんの映画評を読んだ後、雑誌をぱらぱらとしてみたら、P.64に江原啓之さんのスピリチュアル連載「会
社のオーラ」が載っていました。
今週号の特集は「『ダメな部下』のスピリチュアル対処法」でした。
江原さんは「部下が逆ギレしたり、ちょっと厳しく忠告しただけで会社を無断欠勤したり、辞めてしまったり、50
代の人には理解不能な行動に走る20代、30代が増えていて・・・。」とダメな部下の話を挙げられ、この理由
として、「子供のたましいが自然霊化しているんです。」「自然霊とはこの世に姿を持ったことの無い霊。わかり
やすく言うと、人がよく民間信仰の中で恐れるお稲荷さんがそうです。」と言われてます。
江原さんの解説によりますと、「人霊には親子に通じる情があるけど、自然霊には親子の情愛という概念はあり
ません。黒か白か、好きか嫌いかしかない。」とのことで、「子供が自然霊化しているのは犯罪をみればわかり
ます。昔の犯罪は貧乏でとか、報われなくてとか、理由がハッキリしていたけれど、今は動機不明。気に入らな
くて、ムシャクシャするからって、それだけ。」と続けられています。
私は子供のたましいが自然霊そのものに取って代わったわけではないと考えています。もちろん、江原さんもあ
くまでもここでいう「自然霊化」とは「最近の子供達のたましいが自然霊のキャラクターに似て来ている。」という
意味であって、 最近の子供達や若い人達の人霊が自然霊に取って代わったわけではないと考えられているか
と思います。
ただ、私は子供のたましいが自然霊に取って代わったわけではないとは言うものの、たましいが自然霊のキャラ
クターの影響を受けやすい世の中になって来ているのではないかとは思います。
自然霊の影響を受けにくくするためには「小我」(自己中心的な心)で動くのではなく、「大我」(自己中心的でな
い心)で動くことが重要と江原さんは語られていますが、これは私もそう思います。
江原さんは「現代に生きている以上、物質主義的価値観を捨てるのは難しい。でも呑んでも呑まれるな、なんで
す。おカネが欲しいと思うことの動機が家族を養うためなら、それは『大我』(自己中心でない)な気持ちだと言え
ます。でも人から一目置かれるためということであるなら、それは『小我』(自己中心的)。世間体を気にする小我
な親に限って子供がニートになったりするんです。」とコメントされていますが、これは私も思っておりました。ニー
トとなる方の背景に親族姻族の影響が見られるケースを多々拝見したことがあるからです。
価値基準や行動基準、そして正邪善悪の基準を自らが確立させて行動しているのではなく、「他人(特に
自分にとって大切な人)が自分をどうみているか?」に置いて行動してしまう人がニートになりやすいと言
えるのです。それゆえ親族姻族関係から全く自由である方がニートになるというケースは稀です。
世間体の呪
縛や身内のしがらみがなく、憲法における職業選択の自由の恩恵をダイレクトに受けられるからです。
逆に言う
と、親族姻族の世間体に屈してしまった人は結局、自分で憲法の職業選択の自由を一個人のレベルで空文化し
てしまっているのです。【注1】
ニートは収入や出世、世間体、ステータスのある職業か否かといった物質主義的価値観の呪縛の世界から生み
出されるものです。高度成長期までの大家族制が多かった日本にはニートが出る余地が現在より少なく、更に昔
の明治時代には書生と称し、仕事に就かずに毎日を送る方々が一部にはいましたが、それは庶民の出ではない
裕福な家の子息であったケースが多かったです。結局のところ、書生の多くは(他に何らかの仕事をしていない限
り)裕福な家元の経済援助があったから出来たに過ぎません。大部分の庶民の方々は毎日働いて家族の食い扶
持を稼ぐことで精一杯でした。ニートになりにくい別の意味における「せっぱつまった状況」に置かれていた貧しい
方々が多かったのです。
【注1】
これでお悩みの方は車田兄貴の「車田正美 人生を語らず」のP.79〜P.80を読んでみて下さい。兄貴が最高
の答えを用意してくれています。一読の価値あり。
2006年5月28日(日)
某朝番組、天道君を殺そうと戦いを挑む風間君はいかんと思うんですが、彼は天道君に「お前は頭が悪いな。
ゴンを助けるなら他に方法があるだろう。」と言われています。この天道君の台詞も問題があります。
天道君は風間君に「『お前は頭が悪いな。』って言ってるけど、こういうのは
言われた方が頭悪いんだぞ。」と思ってしまいます。
・・・・・・・・あれ?
いや、前半のことは置いておきましょう。今回視聴者の皆様の間で祭りになっているのは後半のシーンです。
未見の方のためにネタバレは最低限のものにしますが、とにかく風間君は今までで一番格好良かったと思わ
れています。
こんなに格好良くしてしまったら、ドレイクの必殺技「ライダーシューティング」がワームに決まった最初で最後
の回になりそうだと本気で思ってしまう人が出そうです。
このライダーシューティング、どうやら不意打ちの奇襲攻撃でもしない限り、ライダーには通用しない必殺技の
ようです。
「裏切り者は死ね!」とワームとドレイクの戦いに乱入してドレイクを倒そうとしたザビーにもドレイクはこの技を
使ったのですが、ザビーは鼻で笑っていました。カブトが登場してライダーシューティングの光弾のような塊を蹴
ってザビーに当てましたが、「この光弾のようなものは蹴ることが出来るのか。じゃあこれはレーザー光線では
ないのだな。」と視聴者に思われています。
これがレーザー光線だというのならば、光速ですからたとえライダーフォームのクロックアップ戦闘時でも弾丸
のようにスローにはならないはずです。映像上もそうでした。これではライダーには通用しないです。というか、
これでは「クロックアップ時の成虫ワームにも通用しない必殺技ってなんやねん。」と思ってしまいます。これ
でやられるワームはサナギかよほどどんくさい成虫です。今回出て来たけれど。
あと、「乱入ザビーはいらん。」と思ってる人多過ぎです。
ザビーが乱入する前のシーンは記憶喪失で自分の名前すらわからなくなっていたゴンちゃん(この名は風間君
が「名無しの権兵衛」からつけたニックネーム)が生き別れになっていた母親と再開するシーンだったのですが、
その後、母親を遠くから鞭状の触手で縛り上げて殺そうとするワームを見た風間君が銃撃ポーズのまま変身し、
そのままワームを銃撃して母親を引き離して肉弾戦になった直後だっただけにザビーはいらんと思われてます。
ゴンちゃんは母親との再会で自分の本当の名前が百合子であることを思い出し、風間君と共に行動した日々の
記憶を全て失いますが、最後のシーン【注1】で風間君が例の決め台詞、「そうそう、それそれ。」を言うことも、ま
た言いたいことを思い出すことも無かったのはこれで正解だったと思います。
ここは「大介、言いたいことを思い出せ。」という思いで観ていた人と「ゴン、思い出して言ってやれ。」という思い
で観てた人、どちらが多かったと思いますか?そして、風間君は何を言いたかったのに結局思い出せず言うの
をやめたと思いますか?これは風間君が思い出せて言うことも、百合子ちゃんがゴンちゃんとして言うことも無
かったのがよかったです。
また、人数は少ないですが、これは風間君が百合子ちゃんにゴン(あえて呼び捨てにします。)としての反応をし
て欲しかったがため、わざと思い出せないふりをしたという解釈をしている人もいました。これだととても悲しい話
になります。でも、ゴンではなく、百合子ちゃんであることを受け入れ、彼女と別れた後、「いいんだよ、それで。」
とバイクで去っていった風間君は割り切れているとも思いました。ここでは「こんな終わり方にするのなら、風間君
を天道君を殺そうとする直情的なアホキャラにはしないで欲しかった。」と思われてます。
また、百合子ちゃんの記憶を取り戻したゴンちゃんが挨拶する風間君のことを「お母さん、あの人誰?」と母親に
隠れながら聞くシーンで母親が完全に説明せず、「百合子、あの人はね・・・。」で終わらせて後の台詞が続かな
かったのも正解だと思いました。ここで「お母さんの知り合いの・・・。」なんてやられたらぶち壊しです。
最後の最後まで百合子ちゃんにゴンちゃんであった時の記憶が戻ることはなく、風間君と百合子ちゃんは別れ
別れになってしまいます。最後の別れをした歩道橋の上で風間君が諦めて背を向け、「さよなら、ゴン。」と小さ
くつぶやいて去ろうとした時に百合子ちゃんがゴンちゃんとしての記憶を取り戻し、「大介!」と叫んでいたとした
ら、号泣してた人が多かったかも知れないとも一部の方に思われているのですが、これは子供番組です。子供
番組は脚本が臭くなってしまってはいかんのです。まあ別の意味で十分臭いですけど。
え、どこが臭いかですか?もちろん天道君の脱力確信犯系のもろもろの台詞です。今回は天道語録の1つめを
言う天道君にひっくり返ってしまいました。また、今回ではないのですが、加賀美君に「そんなに口を開けていた
ら虫が入るぞ。」と妙に冷静に言ってくれた天道君の天然カリスマの声色は特に秀逸でした。天道君の天然カリ
スマの口調を聞いてると時に噴きそうになります。しかし、これはそのくらいやってくれるのが丁度良いのだと思
います。
【注1】
テレ朝公式サイトでは第18話のラストシーンはこう解説されています。
↓
もうゴンではなくなった百合子は、母・順子と仲良くお買い物。 そんな幸せな母子の前に大介が現れた。 が、「誰、この人?」と脅える百合子。 悲しみをこらえながら「君のかわいさはまさにひとつの…ひとつ の…」といつものような言葉を口にする大介だったが、もう百合子はフォローしてくれない。 「オレのこと は忘れてしまった、ということか。いいんだよ、それで」。 大介は去っていく母子の背に別れを告げると、 一人バイクで走り去った。 |
(2006年5月29日(月)に文章を一部訂正。)
2006年5月27日(土)
バッハの「無伴奏チェロ組曲」のCDを聴きました。人気チェリスト、ミッシャ・マイスキーの演奏によるCDです。
マイスキーのチェロも「開」ですから癒し方向に心身を持っていく力があります。しかも喉のチャクラに強く働き
かける浄化力を有しています。胸のチャクラにも強く働きかけることもあります。
最近は喉のチャクラに問題を抱えられてる方が多いなあと感じることが多いのですが、
マイスキーのCDは、
特に喉のチャクラに問題がある方が聴いてみるとよいと思います。
喉のチャクラは自分の意志では通常はいかんともしがたい領域【注1】、いわゆる自律神経系と深い関係が
あるのではないかと私はみております。
【注1】
一部のヨガ行者の方の中には修行による結果、自律神経系に恣意的に働きかけることが出来るという方が
いらっしゃいます。 例えば自律神経が通常に働いていたのでは有り得ないほど長時間水に潜れるとか、自
分の心臓の拍動を意図的に止めてしまうとかいった能力です。ただ、これは自分のみの力で行えているわけ
ではないというのが実際のところなのですが、大部分のヨガ行者の方々はそのことにお気づきではないと思
われます。
また、これらのものは、出来るといっても精神性の発展向上や悟りとは無関係のものですし、出来るからとい
っても、「だから何なんだ。」といった類のものであるに過ぎません。ヨガ行者の方々の中にはこのような大道
芸人のような方々も多いです。
無論、こうは言っても私はヨガの全てを否定するわけではありません。特にスポーツクラブやカルチャーセン
ター等で行われている健康体操から逸脱していないヨガについてはそうです。
しかし、(ヨガの流派によっては)行う際の目的、いわゆる動機がおかしい方が中にはいらっしゃるという問題
があると私は思うこともあります。
そういった方から指導(実技ではなく、自らのポリシーや思想の教導を含む)を受けられた場合、心身がおか
しくなる方がお出になることが多いです。
ヨガの師匠の側は「この人は極端な異常者・危険人物である。」とはっきり傍目にみてわかるケースもあれば、
長く続きはしませんが、一時的にバランスを取っているかのように見えることもあります。しかし、その場合で
も弟子や影響を受けた人の心身、精神性、行動がおかしくなりますので見抜けます。
特に「良心の呵責を感じない。」「非常識で迷惑な行為を平気で行う。」「慈愛を嘲笑う。」「他人の厚意や親
愛の心情を踏みにじることを恥じない。」「無感動、無表情程度に留まらず、おぞましいまでの感性の鈍磨が
みられる。」「精神疾患の発病(統合失調症、パニック障害、躁鬱病、重度のノイローゼ等)がみられる。」「自
らの我を通すためなら手段を選ばず、どんな卑劣なことも平気で行う。」「いらないところにプライドがあり、そ
れに異常なまでに執着する。これが重い場合は自分の生命よりも執着する。(だから自殺者が出ることがあ
る。)」等の傾向が出て来る人が多いです。
魔物は師匠については、それが自らが意図する目的の達成のために必要である「使い捨ての人物」である
ことから一時的なバランスを繕いますが、弟子や影響を受けた人をケアすることはなく、「後は野となれ山と
なれ」を平気で行います。
目的のためなら手段を選ばず、敬意を表する姿勢を踏みにじって嘲笑う性癖を有するのが彼等の特徴です。
そして、彼等の影響を受けた人はそのような性癖になっていきます。
これが慮る存在ならば、決してそうはしません。これは「しない。」という以前の問題として、「『したい。』とい
う思いすら出ず、せねばならない理由も無いがゆえに出来ない。」と言ったほうがより正確かも知れません。
私は聖人君子ではないただの人間である以上、自分の悪想念が出ることを否定しませんが、このようなこと
を思うのは大変な苦痛です。ましてや行為となると尚更苦痛です。
2006年5月26日(金)
昨日の日記の件でお問い合わせのメールをいただきました。
要約しますと、「昨日の日記で私が書いたような話は、他の作曲家にも起こった事例があるのか?」ということ
です。
もちろん、他の作曲家にも有り得るお話です。また、クラシック音楽の作曲家のみに限ったお話ではありません。
画家、彫刻家、建築家、科学者、政治家、実業家、小説家等の文化人・・・・・etc.そして、どのような発現がな
されるかに態様の違いがありますが、一般人にも有り得るお話です。みていると面白いです。
たとえ同一人物でも人生は長いです。例えば20代に名声が確立され、30代、40代で安定的評価を得た後、
50代で鳴かず飛ばずになり、70代で不思議に再度同方面で高評価を得る人もいます。生涯にわたり、恒常
的に凄いという人もいますが稀です。これは余談ですが、不思議なことに、恒常的な高評価を長年にわたって
得続ける方の場合は、その方面以外の他の何か別の要素が恵まれないことが多いです。その理由としては、
何かを犠牲にしてまで仕事をしないと仕事を全うさせられないケースが多いからです。
【注1】 また、いわゆる
「一発屋」という人もいます。
前置きが長くなりました。漫画家なんかみてると面白いんですけど、それは別の機会に譲るとして、今日は今
をときめくレオナルド・ダ・ヴィンチについて書こうかなんて思ってしまいました。
ここで、「今をときめく」なんて書いてしまいましたから思い出してしま
いました。
今、東京ではフジテレビが「カバチタレ!」を再放送してます。
理由ははっきりしています。そう、今をときめくクロサギの彼が脇役で出て来るからです。
でも、出て来るのは番組の中でもほんの3分くらいなんで「ウル○ラマンみたいな出し惜しみぶりではいかん、
君を観たい女の子いっぱいいるんやからもっと出なさい。」と思ってしまうんですが、いい仕事してくれてます。
特に力を入れずにボソッと台詞を言うところ、なかなかいいぞと思います。「カバチタレ!」を観ると、何故彼が
今をときめくイケメン俳優になったのかがよくわかります。私は彼はいい仕事してるなあと思います。そうです。
彼は仮面ライダーにも出て欲しいとお母さん達から思われてるほどの俳優なのです。
あっ、いかんいかん。ダ・ヴィンチでした。ルネサンス期における才人として著名なダ・ヴィンチですが、氏の生
きた時代であるルネサンス期はミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリ等、錚々たる芸術家が一度にお出
になり、活動をされていた時代でした。(ボッティチェリは世代がちょっと上かなとは思いますが。)
その中でもダ・ヴィンチの「意識の身体」の情報(情報は本人の生死に関係なく読めます)を読んでみますと、
氏が膨大な資料を遺した反面、現存する純粋に真筆とされている絵画がわずか17点という理由がわかるよ
うな気がしました。氏は稀に見る絵画至上主義者であり、また氏にはよほどの出来でないと完成品を遺すの
を許さない頑固な意識のフォームがあるのです。しかし、天啓は比較的外界に発現されやすかったのが幸い
しました。しかも、ダ・ヴィンチの絵は「開」の絵です。(4大巨匠全員の絵が「開」です。)
ダ・ヴィンチの絵画といえば、「最後の晩餐」や「モナ・リザ」ばかりが有名です。確かにこれらの絵画はガブ
リエル大天使【注2】の天啓の介入の度合が大きいですが、「白貂を抱く貴婦人」はもっと知られてもいい絵
だと思います。もちろんわずかに落ちますけど、それでも介入の度合は大きいです。コピーでもいいので部
屋に飾るといいです。【注3】この絵はフェレット飼いの方ならば「これ、もしかしてフェレット?」と喜んでしま
う絵です。ダ・ヴィンチは本当にいい絵を描かれた方です。
ダ・ヴィンチは大変な天才ですが、氏とて無敗を誇るわけではありません。23歳年下のミケランジェロと絵
画の競合で負けたことも過去にあった(しかも選ばれたはずのミケランジェロは、彫刻を至上のものとしてし
ぶしぶ従った話)のですが、それが氏の仕事の価値を落とすものではなく、氏が他の芸術家達に大きく勝
るものも多々あったことは明白です。ダ・ヴィンチの技法をミケランジェロが意欲的に取り入れてシスティー
ナ礼拝堂の天井画制作に生かし、ラファエロはダ・ヴィンチの絵を模写し、影響を受けた事実もあります。
【注1】
「私は自分の生涯において、それも全てにおいて順風満帆で、一度も負けたことが無い。」と断言出来る方
で、真にそのような方は稀です。実はそうではないのに、もしそのようなことを断言出来るのだとしたら、そ
の大部分は非常に水準の低いことのみで今まで人生を送って来て「自分は順風満帆」と思っている方々で
す。
水準が高いものを求められる世界で生きている方ならば、きっと仕事をしていて「自分が許せない瞬間」が
あるはずです。それも負けの一種なのです。しかし、その負けは再起不能な失敗でなければ自らを向上さ
せるきっかけに繋がります。大切なのは「『自分を許せない』という負けを率直に認める心」と、「自分を許せ
ないから、ではどうするか?」なのです。それらが無いと向上もありません。
【注2】
ルネサンス期は大天使からの天啓が彫刻家、画家、建築家に集中した時代でした。
面白いことに
ミケランジェロ→ミカエル大天使(荘厳、緻密、精緻、完璧、客観性、均整、調和)
ラファエロ→ラファエル大天使(優美、可憐、清純、叙情、享楽、色彩的、表象芸術的、癒し、慈愛)
ダ・ヴィンチ→ガブリエル大天使(幾何、探究、完全主義、潔癖、理性、情報処理的、形而上学的)
ボッティチェリ→ウリエル大天使(精緻、明解、簡潔、理知、機知、清澄、剛毅、厳格、厳正、意志的)
が濃厚に関係しています。ただ、単純にお一方だけではなく、例えばダ・ヴィンチの遺業にミカエル大天使
の影響がみられる箇所もあります。
【注3】
「最後の晩餐」は外観上部屋向きではありませんし、「モナ・リザ」はさすがに有名過ぎてする気になれない
方が多いのではないかと思います。ルネサンス期の絵は外観上は大時代感覚過ぎるのが部屋向きではあ
りませんが、何も視覚上の話が全てではないのです。「絵画を部屋に飾る」「音楽を室内に流す」という行為
は、意外に室内に影響を及ぼしています。例えばラッセンの絵を部屋に飾ると外に出たがりたくなる心境に
なりやすい人が多いかと思います。これは外観のみが理由ではありません。また、昨日話題にしたモーツァ
ルトの交響曲第41番「ジュピター」のアバド盤もそうです。これを適度な音量で流すだけで部屋にいると重苦
しいと思っていたのが無くなったり、怪奇現象が無くなったりすることがあります。特に終楽章がよいです。
2006年5月25日(木)
一昨日に引き続き、今日もワルターのCDを出して聴きました。
今日はモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」のモノラルCDです。ワルターによる第41番の演奏の中で
は、この1956年録音のモノラルCDの演奏が最も優れているんじゃないかと思います。
ワルター盤はコロン
ビア交響楽団とのステレオ盤も出てますが、たとえ音が古くても私はこのモノラル盤を推したいです。
ワルター盤の音像は壮麗で響きに厚みがあり、今風の演奏と比較するともっさりしていますが、例えばバーン
スタイン盤ほどオケをバリバリ雄渾に鳴らしきっている訳ではないため、モーツァルトファンが望む典雅・高雅
な雰囲気がそこにあります。 また、 木管楽器のアーティキュレーションの美しさはワルターならではのもので
す。身体を浸すように聴いていると「癒しだなあ。」と思います。本当に癒されます。
しかし、私が同曲で最も驚嘆したのはアバド指揮、ロンドン交響楽団のCDでした。アバドもワルターには譲り
ますが「開」の演奏をされる方です。
アバドのロンドン響時代のCDは名盤が多く、個人的にはベルリン・フィル時代のものよりも惹かれるものが多
いのですが、このCDは特に傑作だと思います。カップリングされている第1楽章の旋律が有名な第40番の
演奏も堅苦しくなく、またカンタービレが自然な名演です。ワルター盤、特にウィーン・フィルとの第40番のCD
はポルタメントが独特で、これが評価がわかれる要素になっています。
ワルターがモーツァルトの天上の音楽を大地に降ろし、人間が謳歌する音楽の姿としてオケに歌わせた指揮
者ならば、アバドの音響世界は天上の音楽がもっともその原形に近い姿のまま地上世界にもたらされてしま
ったかと思わせる魅力に満ちています。弦の魅力もさることながら、木管楽器群のアーティキュレーションの
清純さに惹かれます。 本当に何の含みも駈け引きも無い楽器の歌声の交錯であり、重厚、豊満、典雅、浪
漫、いずれでもない、いわば素の音響世界が広がるのです。
しかし、ここまでのことをされてしまうと、モーツァルトが書いた最後の交響曲の天真爛漫な響きが最も率直
な形で眼前に現れ、この曲のスコアをご存知な方であればあるほど「こんなやり方があったのか。」と驚くと
思います。ただし、それは恣意的という意味ではないのです。ですから尚更これは驚くべきことなのです。
もっとも、人間が行う技ですから完璧は有り得ません。それはアバド盤とてそうです。強いて挙げればフルー
トが天真爛漫のみではなく、可憐に演奏してしまっているのが気になります。もっと旋律面ではなく、対位法
の面でがっちりさせていたら、私は更にアバド盤に惹かれていたことでしょう。
この第41番を書かれた頃のモーツァルトは経済的・社会的に最悪の状況であったにもかかわらず、このよう
な音楽が書け、悲嘆にくれることやひねくれることよりも悪ふざけと明朗な毎日を選んだのでした。
どのくらい経済的に困窮していたかというと、暖房をつけるお金すらなかったため、寒さをまぎらす目的で奥さ
んと室内で踊っていたというほどだったのです。それでも悪ふざけが好きな子供のような心を持ち、世を恨ん
だりはかなんだりひねくれたりしたような方ではなかったようです。
このようにモーツァルトは普通の心境の人物ではありませんでした。これはモーツァルトが精神異常者だったと
いう意味ではありません。 天真爛漫で非凡な精神をどのような状況下でも維持させることが出来るような肉体
以外のいわば「意識の身体」が出来ていた人物だったのではないかと私はみております。【注1】
彼の場合、肉体よりも微細な情報面において天上にその「意識の身体」が直結しており、その直結した情報を
彼の場合は幼少時に英才教育を受けた「音楽」という形においてその天才性を俗世界に発現していったことが
みえ、そのモーツァルトの姿が(私が知る限り)このアバド盤において最もよく出ているがため、私は第41番の
CDで一番推すのはアバド盤だったりなんかします。
(次点ワルター盤) 特に第41番は天使の天啓の音楽で
す。奇しくもこの曲には「ジュピター」というローマ神話の神の名がついてはいますが、大天使長でもある大天
使ミカエルの介入が認められる音楽です。特に最終楽章における天啓が濃厚で、これほどの構築力の音楽を
推敲がほとんど見られない状態で、 しかも驚異的な短期日で書けたモーツァルトはやはり非凡な作曲家だと
思います。【注2】
ところで第40番と41番のカップリングCDといえばベーム指揮ウィーン・フィル盤も凄いと思いますが、アバド
やワルターよりも造型感覚を重視し、カンタービレを抑制させた枯れた表現が評価を分けるとも思います。た
だ、交響曲の構造美を優先させる人ならば高く評価されることでしょう。特に第41番の堅牢な構造美はやは
り魅力的です。
【注1】
一部の方々はお気づきかとは思うのですが、人間の情報は肉体だけが全てではありません。アカデミズムで
は認められていないかも知れませんが、肉体よりも微細な情報も人間の構成要素として存在しています。しか
し、それらは仮説では存在していると主張されていても、フィジカルなものとして科学上の発見がなされている
わけではないがため、解剖学や生理学上の学問の中では一切扱われていないのです。
ところで「気」は肉体ではありませんが、その一部は測定が可能です。ですから(一部のものは)「ある」と認め
られています。
しかし、それで「気」の全容をつかんでいるわけではないことが曲者なのです。「気」と称されているもの全容の
中でも、未だ測定されていない微細なものも中にはあります。また、「気」よりももっと微細な情報も仮説のレベ
ルではありますが、科学的測定の探究はそこまで進んでいるとはまだ言えません。
【注2】
天啓があるからといっても、誰にでもモーツァルトと同じ仕事が出来るとは限らないと私はみております。
(ある
程度似たものをパロディとして構成する力がある音楽的才能がある方はいらっしゃるとは思いますが。)
モーツァルトの場合、英才教育による音楽的素養が幼児期に培われていたからこそ、人間世界においてあれ
だけインスピレーションとして受けたものを完成度が高い姿で現出させることが可能だったと思います。仮にモ
ーツァルトが音楽教育ではない、何か別の英才教育を受けた幼少期を送っていたとすると、これが絵画の才能
だったかも知れませんし、数学的素養による数学上の何らかの発見だったかも知れないのです。
「極端なことを言う。」と思われるかも知れませんが、例えば幼少時に狼に育てられた2人の少女の話がインド
にあります。彼女達の身体及び意識の情報はモーツァルトのような天啓を受けるのに適した器になっていませ
ん。仮に繋がったとしても彼女達は表現する術も力量も持たないのです。結果、形にはなりません。
しかし、私は幼少時の教育が重要とはいっても、いくら幼児達に英才教育を施したからといっても、その幼児達
が必ずモーツァルトのような音楽家になるとはみておりません。そして、私は「天啓も重要な役を果たすことがあ
るとはいうものの、だからといって人間の教育・躾は必要無いとは言えないし、その人その人が重んじているも
のへの鍛錬・努力・精進を欠かすことがあってはならない。」とも思うのです。
その意味においてモーツァルトは
決してタナボタで曲を書いた人ではないのです。
2006年5月24日(水)
一昨日にG13のフィギュアのお話をしましたが、プレゼントする方が決まりました。そのお方にメールをお送りし
ます。
2006年5月23日(火)
シューベルトの交響曲第9番ハ長調「ザ・グレート」のCDを久々に聴きました。今回取り出しましたのはワルタ
ー指揮、コロンビア交響楽団の演奏によるCDです。
この曲は2003年12月29日(月)の日記でも話題にしたことがあり、その時は音楽の構造のわかりやすさや
音響上の理由で、クラシック音楽に馴染みが無い方が入りやすい魅力に満ちていることから、レヴァイン指揮
シカゴ交響楽団盤を絶賛しておりましたが、ワルター盤の魅力はレヴァイン盤とは異なるところにあります。ワ
ルター盤は木管楽器の扱い、フレージングに魅力があります。
私は音響上の合奏力ではレヴァイン盤に惹かれてますが、ワルター盤はオケの合奏力ではなく、木管のフレー
ジングに注意して聞いてみると非凡な魅力が満載であることに気づかされる名演です。ワルターがモーツァルト
やマーラーの音楽のみではなく、シューベルトの交響曲も得意にされていたことがよくわかります。特に交響曲
第8番と第9番のCDは名盤として有名です。
シューベルトの交響曲第9番ハ長調「ザ・グレート」のワルター盤は日々の軋轢に疲れている人が休日に通して
聴くと特にいいと思います。有名な第2楽章のロマンはもちろん、最終楽章のオケの総奏ですらも心身に癒しと
して働きかける力があります。ワルターは生前、音楽が人々にもたらす力を信じらていた方でしたし、遺された
音源に今もなおその力が内在しています。ピアニストのプレトニョフには譲りますが、ワルターはプロの一流演
奏家の中では最も優れた「開」の音楽を実現された方のうちの1人でもあります。
2006年5月22日(月)
サンクスに入り、今なら103円の缶コーヒー、「サントリーBOSS」のブラ
ックを買おうとしたら、缶の上になんか変なキャップがかぶさっているのに
気づきました。
そのキャップの横になんか文字が書かれてます。
読んでみます。
えーと・・・・・
「サントリーコーヒーボス ゴルゴ13オリジナルフィギュア」
・・・・・・・・・・・・・・。
「こんなん別にいらんです。」と思いましたが、まあ捨てたらええやんかと
思い直し、結局買うことにしました。
キャップの説明はこう続いています。
「全8種+シークレット」
なんか8種類のフィギュアの他にシークレットの特別なのが1つ当たるこ
とがあるらしいです。
中も見ずに捨てようかとも思ったんですが、結局開けてみました。
「シークレットだよこれ。」
あの超有名主人公の胸像フィギュアが入っていました。眼力がシブいで
す。
不用意に彼の後ろを取ったら撃ち殺されそうなほど近寄りがたい面相の
出来です。
今捨てようかどうしようか迷ってます。
(捨てても別にたたりがあるわけでも何でも無いんですけど。)
2006年5月21日(日)
また某朝番組の3つ前の番組が観られる時間に起きてしまいました。
ガイキングの主題歌は旋律が覚えやすいのがグッドです。サイキックラバーが歌っているこの主題歌、もうバリバ
リのロックで、冒頭のブラス処理が無敵のロボットアニメに相応しく、また歌の途中がラルクの歌を思わせる感じ
な時があるのもグッドです。 そのくせ何度も「ガイ!ガイ!ガイ!大空魔竜ガイキン
グッ!」ってタイトルを絶叫してくれてるのがセンス抜群です。本当に朝から目を覚ま
させてくれます。
本編では「シズカさん」というキャラが主役よりも年長の単純な美人のお姉さんキャラではなく、女性であること
を忘れているとしか思えんゴッドねえちゃんキャラなのがまたやってくれてます。これは普通の綺麗なお姉さん
キャラを出したんではいかんのです。エヴァンゲリオンの葛城ミサトさんも相当やってくれてましたが、シズカさ
んは自分が女性であること自体、どっかに置いて来て忘れてしまっているとしか思えん身体の動きを魅せてく
れている分キャラが上です。もうシズカさんの行動を見てるだけでおなかが一杯になります。そうです。動きだ
けで十分笑わせてくれるんですこの人は。シズカさんは今後もセイラさんや早瀬中尉みたいにはならないで下
さい。絶対ならないで下さい。それでこそガイキングです。
その後はゾロリのガメツ町長の税金ネタで爆笑。この町長、カメなんです。しかも「おなら税」だの
「おなかならし税」だのといったくだらない税金を取って税金で大きな宝石を買っている悪代官みたいながめつ
い町長なんです。
はっ、そういえば先日税金ネタを日記にちょろっと書いたの
は私じゃないか!
ああー終わった。ガメツ町長登場のタイミング良過ぎです。私はこんな話が放映されるなんて、もし事前に知って
たなら☆☆隊の税金話なんか日記に書かなかったのに、「サンライズはすごいのー。」と思いました。
ところで、某朝番組の前の番組は眠気が襲ってきましたので省略します。
というわけで某朝番組。天道君の妹の樹花ちゃんの食事シーンで流れる音楽が相当前からエルガーの「愛の
あいさつ」になってることをまだ書いていませんでした。
この曲、朝にぴったりの音楽です。ヴァイオリンやチェロの他、いろんな楽器の名演CDが数多く出ている曲でも
あります。演奏の難易度もさほど高くなく、アマチュアが演奏するのにもよいクラシック曲です。もちろん、プロが
演奏してもいいのです。千住真理子さん他、プロのヴァイオリニストやチェリストがリサイタルでやってくれと言わ
れる曲の上位に来る曲としても知られています。貴方も演奏してみませんか?楽器経験が無い方でも、例えば
アルトサクソフォンならちょっと練習すればすぐ演奏出来るようになります。
それはさておき、某朝番組は仮面ライダーザビーの3人目の資格者である影山君が初登場時よりもずっと悪役
になって来ているのが気になります。この影山君、ザビー資格者になった時から「この人はこれから転落していく
キャラなのではないか?」と思いましたがやはりそうでした。影山君はこれからぶっ壊れていくんだろうなあという
のは読めてましたが、あまり過激なことを子供番組でするのはよくないです。
影山君は仮面ライダードレイク役の風間大介君の、少女でありながらも彼の保護者(?)であるゴンちゃんを誘拐
し、風間君に「ゴンを返して欲しくばカブトを殺せ。」と命令するのですが、組織(ZECT)に認められるためならいく
らでも卑劣漢になれるという影山君は、このままではハッピーエンドを迎えられないのではないかといったような
気がしてます。しかもこの脚本、子供番組には過激すぎると思いました。せめて「カブトを倒して身柄をZECTに引
き渡せ」等にして欲しかったです。風間君も「死んでくれ!」と天道君に戦いを挑んでますし。というか風間君、冷
静に考えてみ、君犯罪者やぞ。ZECTが揉み消すんかなんか知らんけど。
2006年5月20日(土)
モスバーガーの高級ハンバーガー「匠味」(610円)のことを2006年1月31日(火)の日記で話題にしたこと
がありましたが、最近は主に講座を受講される方々から、この「匠味」のお話をうかがうことが増えてます。昨
日も講座を受講された方から「匠味おいしかったメール」をいただきました。
この「匠味」、静かなブームを呼んでいます。「おいしかった。」というご感想をいただく度、私は話題にしてよか
ったと思います。冗談抜きで本当に既存のハンバーガーのイメージが崩れる傑作、それが「匠味」です。え?
いや、その、私は別にモスバーガーの回し者でもRAJAの回し者でもありません。「いいものはいい。」これで
す。
この「匠味」、いかに反響が大きいかですが、当サイトのこの日記で過去いろいろなB級グルメの話題を扱っ
て来た中でもダントツの1位の反響なのです。それも対面で話題になったこと、メールで話題に
なったこと、共にダントツの1位なのです。
うどん王国讃岐の麺通団が出して全国的に有名になった名単行本「恐るべきさぬきうどん」のシリーズでダン
トツの1位の評価を得た「山越」のさぬきうどんも、数多くの食通や文化人から「日本一うまい中華そば」と評さ
れた尾道のしゅうさんの中華そばも、私が「谷根千の稀少な甘味処」として話題にした戦前の香りがそこはか
となく漂う名デザート「愛玉子」も「匠味」の反響にはかなわなかったのでした。
この日記を書いていたら「食べ物に限らず、本やCDやDVD等、この日記で話題にしたものを全て対象にし、
反響が大きかったもののベスト10を発表してみたら面白いことになりそうだなあ。」と思ったのですが、続い
て「第1位:某朝番組の話題」という、なんかいやな予感がしてしまいましたので、結局やらんことにしました。
2006年5月19日(金)
2006年5月16日(火)の日本経済新聞朝刊の文化面に、小型のポン菓子製造機の発明をされた吉村利子さ
んの記事が載っていたことが気になり、ちょっとネットで調べてみたくなりました。【注1】
ここで「ポン菓子って何?」と思われた方が多いかと思いますので解説します。
ポン菓子とはコメなどの穀物を専用の製造機械に入れ、圧力をかけた後、一気に開放することによってふくらま
せて作った駄菓子の一種です。単に「ポン」または「ドン」と呼ばれることもあります。専門用語では膨化食品(ぼ
うかしょくひん)と称されており、特に膨化米(ぼうかまい)は地方によって、「ドン菓子」「ばくだん」「こめはぜ」「パ
ン豆」「パフ」「パットライス(Puffed rice)」「ポップライス」等、様々な名前で呼ばれているのだそうです。
しかし、このポン菓子、現在では滅多にお目にかかれなくなってしまいました。菓子自体もそうなのですが、こ
の菓子の製造シーン【注2】は「ポーン!」と大きな爆発音がする上、見た目も景気がよく、パフォーマンス性も
あるということであるにもかかわらず、その製造シーンに遭遇するのは更に稀なる話になってしまっているので
す。かく言う私もポン菓子の実物を見たこと、そして食べたことはあるのですが、製造シーンは見たことがありま
せん。
現在はいろいろなお菓子が豊富にある時代で、しかも爆発音を立てることが出来る場がなかなか無いご時世
であることもあり、今の子供達にとってなかなか出会えないお菓子になっている素朴なポン菓子なのですが、
縁日などで扱う業者さんが増えたら嬉しいとネットでいろいろ見ながら思いました。
【注1】
吉村利子さんのお話はここで読めます。また、吉村式ポン菓子機をご購入された方のサイトに吉村利子さんの
案内文が転載されているページがあります。案内文は読んでいて本当に嬉しくなりました。
【注2】
このサイトに製造シーンの動画があります。
2006年5月18日(木)
きらめきヒーリング講座入門編を開講しました。
本日の受講者の方(以下Cさん、仮イニシャル、男性)ですが、某☆☆隊幹部候○生養成○学校で英語を教えら
れている先生です。(本日の日記、Cさんからは既に掲載許可をいただいております。学校からはいただいてませ
んが。)
某☆☆隊幹部候補生○成大○校と聞き、英語の授業はどうなのか気になった私はCさんに様子を聞いてみまし
た。Cさん曰く、「訓練疲れで寝ている学生が多いです。」とのことでした。
英語に真剣に取り組む学生は少ない
ようです。
「☆☆隊は防◎専科とはいえ、負けは許されません。その点、地球防◎軍と一緒です。」
と思った私はCさんにそんな話は一切言わなかったのですが、外国語教育、特に英語教育による
精鋭を養成することは☆☆隊にとって必要不可欠という話はしました。
太平洋戦争で日本が連合国軍、特に米軍に敗北した理由ですが、物資の不足、科学技術力の差、人口差によ
る人材の不足だけが理由だったのではなく、日本の陸軍と海軍が共闘の姿勢を取れずに 足の引っ張り
合いをしていたという過去の事実や、英語を敵性言語として排斥し、それが情報戦においても遅れを取
ってしまった原因となったという過去の日本の敵国に対するあり方も敗因として大きかったといったことを私はC
さんにお話ししました。【注1】
逆に米軍は日本語を徹底的に研究し、日本語の暗号を解読して先手を取ることが多かったのです。有名な話で
すが、真珠湾攻撃の際の暗号「ニイタカヤマノボレ」「トラトラトラ」は米軍により解読されていました。
現在の☆☆隊は軍隊ではなく防戦のみだとはいうものの、それでも情報戦で負けることは許されないというのは
軍事の鉄則であるはずです。
しかし、某☆☆隊幹部候補○養成大学○の現状としては、訓練のウエイトが大きくて学生が疲労し、英語にまで
意欲がまわっていないというのです。私は校内に外国語教育を重視した文系学科、せめてコースを設けるべきで
はないかと思いました。国際的な仕事が重くのしかかる仕事の性質上、外国語教育は重要です。それも学問とし
ての外国語探究といったものではなく、言葉を駆使出来るといった意義のものが必要です。ですが現状はそれに
は遠いのだそうです。 某☆☆隊幹○候補生養○大学校は将来の隊員にはそのようなものは期待せず、
☆☆隊
に外国語大卒の人材を入隊させればよいと割り切られているのでしょうかとも思いました。どうやらそうでもなさそ
うです。
ただでさえ☆☆隊は「日頃何もやることがないから吹奏楽やってんだろ。その楽器税金で買ったんだろ。」と思
われているのにです。え、いや吹奏楽はいいんです。これは税金△△なんて言ってるほうが悪いんです。とこ
ろで税金△△といえば、某☆☆隊幹部○補生養成大○校の学生が授業料無料だったのに卒業資格を得た後
入隊しないほうがよっぽど・・・・・・・・・・、いやそんな話ではなかった。☆☆隊の訓練は真剣勝負なのです。厳
しいのです。だから・・・・・・・・・あっ、吹奏楽だってそうなんです。それに☆☆隊の吹奏楽には存在意義がある
のです。 しかも、☆☆隊の吹奏楽団はプロフェッショナルな集団なんです。
ええ、財源は国民の税金ですとも。
だから英語なんとかしてください。
・・・・なんて書いたら☆☆隊と学校からクレームが来る・・・・わけはないと思います。冗談が通じる方々だと私は
確信してます。あ、昨日の戸塚校長も多分大丈夫だと思います。Cさん、書いちゃったよー。(と人のせいにする
卑怯な私。)
なんか横道に話がそれてしまいました。Cさんのお話にしましょう。
Cさんは少年時代に海外留学を決められ、海外の大学を卒業、帰国後に日本の都内の私立大学の大学院に進
学された方なのですが、英語は幼少の頃からのバイリンガルではないとのことで、10代後半から本格的に英語
文化圏に入っていったという事実を知り私は驚きました。そして、進学された日本の大学の大学院は懐が深いと
も思いました。事実そこは文学部が歴史的に強く、現在は総合大学化して規模が大きくなっている影響から文学
部の個性が薄くなっていますが、 対外的に学術上の実績を挙げられたOBが文学部に多いという傾向は現在も
あります。
そんなわけで、Cさんとは講座のカリキュラムの途中で英語教育についての談義となりました。(ただし、私は英
語音痴です。)
英語音痴の私は「英語って母音と子音が多くてしかも早口で聞き取れなくて大変。発音するのも大変。」という話
をしました。Cさんからはどうやって克服すればよいかをうかがえました。Cさん発音うますぎです。本当に幼少の
頃から英語に慣れ親しまれた環境の方じゃないんですかと思いました。
大学のセンター試験では新たにリスニング試験が始まったという話も出ました。私は「これ、進学校ではリスニン
グですらも受験英語のテクニック的な扱いをするんでしょうねえ。」とCさんに言いました。大部分の生徒にセンタ
ー試験を受けさせるのが当たり前の大概の進学校はそうなんだろうなあと思います。
受験英語といえば、私は大学時代の家庭教師のアルバイトで、英語を数学のように理屈で頭に入れようとする中
学生に「言語というものは数学のように理屈で全てが構成されているとは限らないものであり、母音で始まる単語
の前の不定冠詞がaではなくanになるといった法則性で出来ているなんて話ばかりではないよ。言語には使われ
ていくことで多数派が動かしてしまい、長い時間を経て変化し、文法や法則性を逸脱してしまうようなものになって
しまう性質がある。」と話したことがありました。Cさんからは「今は数学だって理屈が全てではない学問といわれて
ますからね。言語は尚更です。」とのお話をいただきました。
私はCさんにはお話しはしなかったのですが、実は私は大学時代、「英語を日本語に翻訳してようやく理解する脳
ではなく、英語を英語として処理する脳が出来る外国語教育をするのでなければいけないのではないか?」と生
意気にも英語の先生に言ったことがあるのです。先生の回答は「それは大人には無理だ。子供なら可能かも知れ
ないが。」というものでした。しかし、Cさんはこの先生とは明らかに異なるご意見をお持ちではないかと思います。
Cさんは「英語を習得するためには、母国語を習得する前の年齢層から始めなければならないということはない。」
という事実の生き証人だからです。しかし、その一方で、「底に穴が開いた容器に上から水を入れ続けねばならな
いもの。」というCさんのお話も重要なものと思いました。Cさん曰く、長期間英語離れするとやはり「英語って何?」
といった状態になるんだそうです。
私はCさんにお会い出来て本当に嬉しかったです。Cさんのような英語の先生がもっと増えたら日本の外国語教育
も徐々に変わっていくかも知れないです。
Cさんとは英語のお話の他、昨日の日記に書きました戸塚宏氏のお話や、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の映画「ジャン
ヌ・ダルク」のお話もしました。
戸塚宏氏のお話はさておき、映画「ジャンヌ・ダルク」は私はDVDで観たことがあるのですが、ジャンヌ・ダルクのこ
とを少しでも詳しくご存知な方であれば、 これは重要なある史実(とはいってもジャンヌ・ダルク本人の個人的な霊
体験の史実なのですが。)を省略してしまった映画であると気づかれることでしょう。私も映画を観て驚いたのです。
「その史実が完全に『無いこと』にされていた。」という事実に。
【注1】
歴史の話に仮定はタブーなのかも知れませんが、仮に太平洋戦争で日本が短期決戦により日露戦争の時のよ
うに連合国と停戦協定を締結させるような形になっていたとしたら、軍国主義の崩壊はもっと先のことになってい
たに違いなく、私も軍国主義の時代が続くことにつき、それがよいことだとは決して思えないのですが、単純に勝
利敗北という点のみに言及するとするならば、太平洋戦争時の日本は負けるだけの要素を持たなくてよいところ
にまで持ってしまっていたと言わざるを得ないと私は思います。
(2006年5月19日(金)に文章を一部訂正)
2006年5月17日(水)
Food Styleに入り、視界に入った週刊現代(2006年5月27日号)を手に取りました。
開いてみたら、戸塚宏氏とドラマ「ヤンキー母校に帰る」で知られるヤンキー先生義家弘介氏の対談記事が目に
入りましたので、ちょっと読んでみました。
戸塚宏氏は戸塚ヨットスクール校長としてあまりにも有名な人物ですが、1980年〜1982年の間に2人の訓練
生が死亡、フェリーから2人が脱出しようと海に飛び込み行方不明となった事件により逮捕され、傷害致死他44
もの起訴事実を問われることとなり、2002年に最高裁で二審の懲役6年の実刑判決が確定して服役、そして今
年の4月29日に静岡刑務所を出所したばかりです。
戸塚氏は出所された後は戸塚ヨットスクールの校長に復帰されたとのことですが、私は戸塚宏氏と義家弘介氏の
対談記事を読み、戸塚氏のご発言に対し失望の念を禁じえませんでした。
ヨットの運航の仕方などのスポーツ的な技術の問題には敢えて触れません。私がどうこう言える領域の話ではな
いからです。技量面、指導面(あくまでも技術の)において専門家である戸塚氏のほうが私より遥かに上であるこ
とは言うまでもありません。
しかし、問題は技量面や技術指導面の話以外の領域にあります。私が震撼したのはこの対話です。
↓
義家:教育現場に強制力は必要です。私も体罰を全否定はしません。ただ、ヨットスクールの 生徒がみな体罰を教育と受け取ったのか疑問なんです。戸塚さん、あなたが行ったこ とは、暴力ではないとお考えですか。 戸塚:もちろん。 義家:体罰というやり方を子供が受け入れず、失敗した例もあるでしょうね。 戸塚:いいえ、失敗した例はないんですよ。 義家:そう思っているのでしたら、教育者として驕りがあるとしか思えません。 「週刊現代」(2006年5月27日号」P.41より抜粋 |
戸塚宏氏は服役中に何も学ばれなかったというのでしょうか。次のページでは「いまは逮捕されるからヨットスク
ールでは体罰を止めていますが、本能に働きかける体罰を使うことで人間の感情を揺さぶることができるのです。」
「体罰ができたら、もっと早く結果を出せるのになあ。」といった台詞まで登場するのです。
私は4人もの死者・行方不明者を出したことにつき、捜査当局が体罰と子供の死や行方不明との間に因果関係
があると判断し、裁判所もそれを認めたという事実を厳正なるものと受け止める姿勢が出て来ない限り、この方
が変わることは無いと思いました。それを「失敗した例は無い。」と現在も断言出来る戸塚氏に私は恐ろしいもの
を感じました。
最後の対話はこうなっています。
↓
義家:更生した子供もいるのでしょうが、戸塚ヨットスクールの教育は万能ではない。マニュ アルを否定する戸塚さんなのに、子供には一律に体罰は有効だと言い、個々の子供 と向き合った教育を認めない。そんな教育はしたくありません。 戸塚:結構やね。私は自分のほうが正しいと分かっているから、平気の平左です。 「週刊現代」(2006年5月27日号」P.43より抜粋 |
戸塚氏は名古屋大学工学部をご卒業されたインテリです。ヨットの技術指導面においても優れたものをお持ちな方
であろうこともわかります。しかし、戸塚氏の教育論の主張を読む限り、氏は「知力優れたる者、必ずしも智恵者な
らず。」を体現してしまった人物であるに過ぎないとも思います。私は新たな氏の思想の犠牲者が出ないことを祈り
たいです。
2006年5月16日(火)
日記を久しぶりに再開致します。
中断をしていた理由ですが、日記を書く時間が取れないほどの事件が特に今月は多く、メールチェックと返信以
外のネット関係の時間を取ることが事実上不可能な状況に置かれていることがあります。ここ数週間ネットサー
フィンもままならない状況です。本当にお問い合わせや新規の仕事が増えております。しかし、出来るだけ早急
な対応を致していく所存です。特に一刻を争う方につきましては悠長なことは言えませんので、極力時間を作り
たいです。
ここしばらくは類似した状況が続きそうです。この日記も毎日更新とはいかないかも知れませんが、月記になら
ないようにしていきたいです。(それにしては長い日記だなと思われそうですが、今日は時間が取れました。)
さて、ここからは仕事のお話なのですが、日記が更新されない間も講座の受講申込受付やヒーリングセッション
等の施術関係の申込受付を致しておりました。もちろん現在も受付致しております。
特に講座やヒーリングセッションで最近思うことがあります。スピリチュアルなことを求められている方が来院され
るケースが増えていることについてです。私もその方面のお話を求められることが増えていると感じております。
これは日記中断の直前に天使といった話が出たことが大きいのかも知れないと思いました。
講座の途中でもいろんなことを質問されるケースが増えてます。例えば、講座を受講された方からこのようなお
話をいただくこともありました。
霊的な現象に苦しまれたり悩まれたりしているご親族の方がいらっしゃって、そのお方の口から自分の意思で
はない聞いたことも無いお名前を名乗られるご先祖様の異言が出て、「墓石が倒れているから直せ。」と言わ
れたといったお話をうかがったこともありました。【注1】
お寺を調べてみたら本当にそのご先祖様のお名前があって驚いたとのことで、私も驚きましたが、「お墓を直す
ことでご先祖様のご要望にお応えすることが当座は必要ですが、(実際そのようにされたそうです。)お墓にこだ
わり続けるご先祖様はお墓にこだわられているうちは成仏されてません。本当に成仏されている方々はこの現
世のお墓や仏壇の位牌がどうであろうと全く関係ありません。それらのものから完全に自由です。」と私見を述
べたり、「結界を張る」という上級編のお話の途中で「ご自宅に水に関することで何かされてませんか?これが
あることで相当助かってます。」なんてのが浮かんで質問をしてみたら、周囲の家とは違い、防水対策の工事
を特別に施工したご自宅であった(もちろん事前にこんなお話は聞かされてません。)とか、いろんなお話が今
までにありました。
しかし、こんなことがあったからといっても私はただの人間です。それも偉くもなんともないただの人です。まして
や私は神でも天使でもありません。「この人は特別な人に違いない。」といったノリで来院される方は期待はずれ
に終わってしまいますが、私はただの人間です。
ただ、これだけは言えると思っています。 1.人間は誰もが天使にも悪魔にも会える(コンタクトを取れる)可能性がある存在である。 (何も選ばれた特別な人間だけが会えるのではない。「トビト記」等の過去の文献を見てもその 傾向は明らかである。) 2.天使に会えるか、悪魔に会えるかを選んでいるのは結局は自分自身である。 3.「その時代において特別な選ばれた人間だけが天使に会える。」とか「自分は天使の転生だ。」 などと何の客観的な根拠も無く断言する人は危険である。 4.天使に限らず、目に見えないスピリチュアルな存在と遭遇するのは(誤解を恐れずに言えば)ア メリカザリガニやミヤマクワガタと遭遇するのと大した違いが無い。 (「一定の条件が揃った場合、人間以外の他の存在と遭遇する可能性がある。」という意味にお いて。) |
そんな私ですが、今月に入り、5月5日(金)に自宅のシンクで湯呑み茶碗を洗っていたらこんなメッセージが届い
たのでした。
一部の方からは「嘘臭い」「創作だ」と言われるかも知れませんが、それは
「私はSSTの開発協力をするよ。」
といったメッセージだったのです。「ウリエル」という大天使からでした。
「SSTって、なんですか?」
と私は思いましたが、超音速旅客機のことだと言われ、更にコンコルドは知っているでしょうとまで言われま
した。
すっかり忘れていました。そうです。SSTとはコンコルドみたいな超音速旅客機のことです。でも、これには
環境破壊や騒音の問題があったはずです。そのことを質問すると、
「それらの問題をクリアする開発協力をする。」
とのことでした。
私は科学者でも技術者でもない人間です。そんな賢い人間ではありません。こんなのメッセージで言われて
も私に出来ることなんか何もありません。
しかし、2日後の日経の朝刊トップ記事を見て驚きました。
↓
超音速旅客機を米と研究開発へ・宇宙機構、石播など 宇宙航空研究開発機構と石川島播磨重工業、川崎重工業などは米航空宇宙局(NASA)、米ボー |
超音速旅客機の今回のプロジェクトが成功することを心から祈りたいと私は思いました。
この5月7日(日)は妙に早起きした日で、5時台に起きました。某朝番組を観るには早過ぎますが、テレ朝をつけ
てみて6時30分から始まる番組を観てこれまた驚きました。
「ガイキングやってる・・・。」
ガイキングって、数々のロボットアニメが放映された1970年代後半に放映された番組が有名なのですが、それが
そのまま放映されているのではなく、リメイク版が放映されています。
まず思いましたのは主題歌が秀逸ですね。歌が始まる前のイントロのブラス群の処理なんか「これぞ21世紀のリ
メイクロボットアニメの主題歌」といった感じです。
もちろん、1970年代のテイストをそのまま再現したものではありません。絵柄は昔の主役の方が男臭く濃い容貌
をしています。この辺仮面ライダーの新旧比較に近いものがあります。
人間関係も単純な勧善懲悪ではなく、ことと次第によっては仲間である主役を犠牲にするのを躊躇しないという行
動原理を有するキャラであるディックのようなライバルキャラを設定していたり、ルルという名の美少女の萌えキャラ
を置き、主役と微妙な心の琴線を意識させる関係を演出していたりしているのがいかにも1970年代のセンスを逸
脱しています。でも私の親の世代にこのアニメ観せて(観たがらないと思うけど)こんなコメントしたら「そんなん昔か
らじゃ。」と言われそうですが、この辺が世代の違いというものかと。
・・・・・・で、気になる5月7日(日)放映分のタイトルなんですが、
第21話「占い的中100%!? ズバリ言うルル!!」
いきなりこれかよです。
このタイトルを見て細木数子さんを連想しない人は少ないでしょう。
(小さなお友達を除く。)
ルルちゃんなんですが、未来が見える(時がある?)女の子らしく、また、「炎の力を感知する能力」(番組に遭遇し
たばかりだから設定が詳しくわからないのです。ごめんなさい。)もあることからレーダーの管理や索敵の仕事を任
されているらしいんですが、本人はそのことを気にしながらも健気に生きているという設定でなんか応援したくなり
ます。
このガイキング、早朝番組でもあり、さすがに1970年代の視聴率は取れないと思いますし、ガン○ムのシリーズ
の人気に遠く及ばないアニメ番組かも知れませんが、作り手の入魂ぶりがわかる人にはわかる要素があってとて
もいいなあという感じを有してます。
説明し難いですが、これはロボットアニメやSFアニメには重要な要素です。どういったらいいか形容に苦しみますが、
マ○ンガーZやゲッ○ーロボや鋼鉄○ーグにはあってグレ○ダイザーには無い感じ、宇宙戦艦○マトにはあって宇
宙空母なんたらには無い感じ、機動戦士ガ○ダムにはあってダイ○ーン3には無い感じ、エヴァン○リオンにはあっ
てブレンパ○ードには無い感じといったら・・・・・・・・・・・・・・・・関係者にしばかれるか。
【注1】
ここで挙がっている異言、幻聴の現象と、私に起きている短いメッセージをいただく現象は似て非なるものです。
どこが違うかと申しますと、異言や幻聴の場合はそれに苦しまれ、社会生活上もそれが出るため、社会生活をま
ともに営めないようになる(実際、このような現象が仕事中に頻発したら仕事が出来なくなります。)のですが、私
の場合はその現象があるからといって別に困ることも悩み苦しむことも社会生活が営めないような支障が出るこ
ともありません。 ですから私の場合は私が人前で奇異な行動をとったりしない限り、誰も私を奇異な人だとは思
いません。
また、私の場合は自分の意識を他の存在に乗っ取られて操られたり、自分の意識がしっかりしていても自分の意
思とは違う発言が口をついて出たりといったこともありません。しかし、ここで例として挙げた異言の現象にはそれ
があります。中には異言はなく、自分の意識が乗っ取られることも無いが、幻聴があって卑猥な言葉や罵声を浴
びせかけられる現象に苦しまれているケースもあります。実際、そういったことがあるからこそ、ご本人さんは苦し
み、他に救いを求められているのです。これらの中には純粋に精神疾患によるものもあるでしょうが、そうではなく
目に見えない世界の関係のことについて解決を図らないといけないものもあるかと思います。
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