「OK、これでいい」
きゅっと胸元の紐を締め、政宗は満足そうに姿見に映る自分を見つめた。
これから、久しぶりに領内の視察に出かけることになっている。約1年ぶりの馬での外出は、楽しみで仕方なかった。
小十郎との子を産んで、一月半。先日、ようやく以前と同じ生活に戻ってよいと医師の許しが出たところだ。体が軽くなった上に、ようやく剣の稽古も馬で遠乗りもできるとあって、政宗の表情は明るい。
政宗が産んだ子は男の子で、弥左衛門と名付けられた。産んですぐに腕に抱いた弥左衛門はそれは可愛かったが、政宗は決めていたとおり、弥左衛門の乳母になるために片倉家に嫁入りした女性に託した。赤子が隣にいない産褥期を過ごすのはさびしかったが、気持ちを整理するにはちょうどよい時間でもあった。
「政宗様。お支度は整いましたか」
小十郎が、障子を開けて入ってくる。そして、政宗の姿を見るなり、らしくもなく絶叫した。
「わあぁぁぁ!! 政宗様ぁぁっ!!」
「小十郎! いいだろ。舶来物だぜ」
政宗が着ていたのは、黒革の胴衣だった。一般的なものと違うところは、体の線にぴったりとしていて、袷は紐で編み上げるようになっているところだ。そして、出産後で胸が大きくなっている政宗は、袷をきっちりと閉めることができていなかった。結果、胸の谷間が袷の隙間から見えている。胴衣は胸から下を覆っているため、肩と腕が完全に露出していた。政宗はその腕に、ひじ上まである手袋している。そして、袴も鎧下用の袴ではなく、黒革の、これまた脚にぴったりとしたものだった。胴衣と袴の間は露出していて、産後とは思えないほどきゅっとくびれた腰がのぞいている。その上にいつもの陣羽織を羽織るつもりのようだ。
小十郎は慌てて障子を閉めると、つかつかと政宗に近づいて、自分が着ていた陣羽織を政宗に着せる。
「政宗様!! なんというお姿を!!」
「前着てた鎧が着れなくなったんでな、しばらくこっちにする」
「なんですと?」
「だから、乳が邪魔で鎧が着られねえんだよ。ただ領内視察するだけったって、informalな格好で出かけるわけにもいかねえじゃねえか。それで革の胴衣を南蛮から取り寄せたんだけど、案外かっこいいだろ」
「それがこれですか」
「That’s right.」
会話しながらも、陣羽織を着せようとする小十郎と、はねのけようとする政宗の攻防は静かに繰り返される。
政宗の派手好みは知っているが、派手にも程度というものがある。ただ華美なだけのものなら、よく似合っていて、小十郎も微笑ましいと思っていたが、ここまで肌が出ているものとなると話は別だ。
「政宗様。お気に入りのところ申し訳ありませんが、すぐにお召し替えください」
「Why? いいじゃねえか、これで」
「いけません。いくら革でできていても、これで出かけることは相成りませぬ」
「なんでだよ。真田幸村や西海の鬼なんかこれよりもっと簡単な装備だろ。鎧らしい鎧着てねえじゃねえか。なら、革の胴衣なんて装備としちゃ悪くねえだろ」
「あの二人は男ですから」
「雑賀の三代目もこんなような格好してんだろ」
「あの人は別です」
「なんでだよ。俺と違うとこなんかねえだろ」
「あります。とにかく、お召し替えを」
言いながら、小十郎は政宗に羽織らせた陣羽織の袷をぐいぐい引っ張って、微塵の隙間もなく羽織の中を隠そうと頑張る。政宗は抵抗しようと頑張っていたが、とうとう根負けした。
「OK、それじゃ、どうしておまえがそんなに俺のこの格好を嫌がるか教えろ。納得したらやめる」
「それは……」
政宗に自分の意志でこの服装を諦めてもらう絶好の機会だ。だが、小十郎は言い淀んで口を閉じた。
どう表現すればいいだろうか。
考えて、改めて口を開く。
「政宗様ほどのお立場の方に、このように肩や腰を露わにする服装は、ふさわしくありませぬ。もうすこし慎みのある装いをなされませ」
「孫市は、そういう立場じゃねえって?」
「そうです。確かにあの方は優れた武人ですが、傭兵集団の長という立場は、国主とは重みが違います。女性でありながら軍を率いる点では、政宗様に近しい方ではありますが、同じではありませぬ」
「納得いかねえな」
小十郎の説明した理由を一蹴すると、政宗は小十郎の手が緩んだ隙をついて着せつけられている陣羽織を脱いだ。
再び、小十郎の視界にきわどい服装の政宗が現れる。小十郎は自分の頬に血が集まるのを感じた。
政宗は小十郎の様子に気付かず、小十郎がそんなに気にするなら、袖の長い羽織にしようか…などと思って、普段愛用の陣羽織とは違う羽織を手に取る。そして、部屋を出ようとして……
背後から、小十郎に抱きしめられた。
「What,小十郎!?」
「駄目です。その格好で外に出ねえでください」
政宗の首に顔を埋める小十郎の声が、耳に直接吹き込まれる。ささやくように懇願されて、ぞくりと政宗の背に痺れが走る。先ほどまでと小十郎の様子が違うことに、政宗はようやく気付いた。
「誰にも、見せたくねえ」
「こじゅ…ろ…?」
「政宗様は全部俺の物です。こんな肌の出ている服…ほかの男の目になんて、絶対ぇ触れさせねえ。それが伊達軍の連中であっても」
政宗を抱きしめる腕に一層力がこもり、革がぎゅっと音を立てる。政宗は息苦しくなって、喉を反らせて喘いだ。その喉元に、小十郎が噛みつくように口づける。
「あ…っ、こじゅ、ろ…っ」
よせ、見えるところに。そう思って、引きはがそうと小十郎の頭に手をかけるけれど、思うように力が入らず、髪に指を絡めるのが精一杯だ。
「政宗様は忘れてるかもしれねえですが」
政宗の喉や肩に口づけをいくつも落としながら、小十郎がつぶやく。
「弥左衛門が産まれるまで、1年近くも、触れてなかったんですぜ。……もう限界です」
伊達屋敷の門前では、視察に供をする足軽たちが支度を済ませて待機していた。
そこに、ものすごくやる気のない成実が出てくる。
「全員聞けー。今日の視察は延期。日程は後日再調整するから、命令あるまで通常態勢に戻れ」
「へ? いいんですか?」
「筆頭、今日の視察、すげぇ楽しみにしてたのに」
「いいから、解散」
成実の命令を聞いた足軽たちが、困惑してざわめく。それを聞きながら、成実はものすごく遠い目つきをした。
二人きりの部屋の中、ふと小十郎が口を開く。
「政宗様には、ひどいかもしれねえですが」
「What?」
「弥左衛門が、政宗様の許から離されて、よかったです」
「…Why?」
「弥左衛門が伊達家の嫡男になってたら、俺は手前ぇの息子と政宗様を取り合うことになるところでしたから。しかも、俺にはまず勝ち目がねえと来る」
「…違いねえ」
政宗がくつくつと笑っていると、むっとした小十郎に引き寄せられた。
「こう見えても、事政宗様に関しちゃ、けっこう狭量なんで。手前ぇの息子と言えど、譲るつもりはねえですよ」
「知ってるよ」
笑いながら答えた政宗は、つと伸び上って、なだめるように口づけた。