かわいい君のかわいい我が侭

 遠く、産屋に元気な赤ん坊の泣き声が響き渡る。重なるように慌ただしい足音がして、障子がすらっと開いた。

「お生まれになりました! 姫君様でございます」

 女中の言葉を聞くなり、落ち着かない気持ちを無理やり押さえて瞑目していた小十郎は、勢いよく立ち上がると部屋を飛び出した。

「政宗様はご無事か?」

「はい。母子ともにお健やかでございます」

 ついてくる女中に訊ねると、女中は間髪入れずにうなずいた。

 産屋に近づき、小十郎は大股に早足で歩いていた歩調を緩める。お産を終えたばかりのところを騒がせてはいけない。

「政宗様」

 部屋の前で声を掛けると、中から障子戸が開いた。戸を開けた女中が横に退くと、疲労困憊の政宗が布団に横になっていた。その隣には、産湯を使ったばかりの赤ん坊が寝ている。

「小十郎」

「お疲れ様でございました」

 小十郎が枕元に寄って顔を覗き込むと、政宗は疲れ切った表情でふわりと微笑んだ。それは奥州筆頭の顔でも、伊達家当主の顔でもなく、務めを終えた妻の顔だった。

「娘だそうです」

「ああ。……名前、なにがいい?」

「お考えになっていたのでは?」

「Ah…考えてたの、男名なんだよな……。跡継ぎが生まれねえと困るからよ」

「なるほど。願掛けですな」

「Right. ……せっかく考えたから、そのままつけるか」

「ご随意に」

 小十郎がうなずくと、政宗は愛しげに手を伸ばし、赤ん坊の頭をそっと撫でて言った。

「おまえの名前は五郎八だ」




 月日が経ち、公式には愛姫が母となって大切に育てられた五郎八姫は、愛くるしい幼女に育っていた。

「母上、見て見て!」

「あら、なんですの?」

 庭で遊んでいた五郎八姫が、縁側で見守っていた愛姫のところになにかを持ってくる。差し出す手を覗き込むと、仔猫が一匹、心細げにぴきゃあと鳴いていた。

「可愛いでしょ!?」

「まあ、五郎八。この仔の親は? 駄目ですわ、勝手に連れてきては」

 あっさりと愛姫に反対されて、五郎八姫はがっかりした顔になった。

「どうして? 五郎八が飼いたい!」

「五郎八に可愛いのと同じように、この仔猫の親にも可愛いのですわよ。いまごろ、親猫がさぞ心配していますわ。返していらっしゃいまし」

 きっぱりと言われて、五郎八姫は残念そうに訴える。

「嫌! 五郎八が飼う!」

「駄目と言ったら駄目ですわ。五郎八の勝手のために親猫を悲しませることは絶対許しませんことよ。返していらっしゃいまし」

「嫌!」

「駄々をこねても駄目ですわ。返していらっしゃいまし」

「いやー!」

 五郎八姫が仔猫をぎゅっと抱きしめて叫んだ時だった。

「Hey, 愛。どうした?」

「殿……」

 城表の方から、政宗と小十郎が歩いてくる。小十郎は弥左衛門を従えていた。愛姫はほっとした顔で3人を迎える。

「五郎八が仔猫を拾ってきて、飼うと言って聞かないのですわ。親猫が悲しむと言ったのですけれど……」

「仔猫?」

「この子よ、mom. ねえ、飼っていいでしょう?」

「駄目だ」

 政宗なら許してくれると期待して仔猫を見せる五郎八姫に、政宗は即答した。

「なんで!?」

「愛が駄目と言ったものを、俺がいいと言うわけねえだろう」

「だって、猫可愛いもん……。……父上……」

 潤んだ瞳で見上げられて、五郎八姫が可愛くて仕方がない小十郎は一瞬言葉に詰まる。だが、意識的に落ち着き払って、小十郎も重々しく首を振った。

「母上たちが駄目と言っているんだ、聞き分けろ。……弥左衛門、五郎八を連れて、仔猫を親猫に返して来い」

「はい、父上」

 五郎八姫よりいくつか年上の弥左衛門は、小十郎に言われてうなずくと、庭に降りて五郎八姫に近寄った。

「姫様、左門が一緒に参ります。仔猫を返してきましょう」

「……左門」

 舌が回りきらなくて〝弥左衛門〟と呼べない五郎八姫は、弥左衛門を〝左門〟と呼んでいた。弥左衛門が実の兄とは知らなかったが、父がよく連れてくる少し年上の遊び相手は優しくて、五郎八姫は弥左衛門に懐いていた。

 弥左衛門に促されるままに、五郎八姫は渋々ながら歩き出す。仔猫を返しに行く子供たちを見送って、政宗は顔をしかめた。

「五郎八は誰に似たんだ?」

「それは間違いなく殿ですわね」

 間髪入れずに愛姫に言われ、政宗はむっとして愛姫を見下ろす。愛姫はけろりとした顔で政宗を見上げ、

「とてもよく似ていますわ。言い出したら聞かないところも、駄目と言われたくなくて勝手に行動するところも、好きなことにすぐ没頭するところも」

 愛姫がにこにこと挙げていく特徴に、小十郎がうんうんとうなずく。

「小十郎、てめえ覚えてろ……」

「あと、自分勝手なようでいて実はすごく周りに気を使うところや、自分より弱いものを大切にするところも」

「……っ」

「ご慧眼、感服します」

 思わず言葉がなくなった政宗の横で、小十郎が微笑む。愛姫が政宗と接するのは奥御殿の中でのみだというのに、愛姫はしっかりと政宗の気質を理解していた。

「というわけですから、殿。わたくし、程よいかごを探してまいりますわ」

 愛姫は立ち上がると、侍女に声を掛けて部屋に入っていく。政宗は小十郎と顔を見合わせると、二人同時に苦笑した。

「愛姫様には敵いませんな」

「Right.」

 城表の執務室に向かって歩きながら、政宗はついてくる小十郎に視線を投げかける。

「今度は、飼うの許してもいいよな?」

「そうですね」

 うなずく小十郎は、伊達軍の副将ではなく、五郎八姫の父親の顔をしていた。

 子供たちが親猫と仔猫全部を抱いて駆け戻ってくるのは、その少し後のことだった。


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