「Attention!」
飯盒炊さんの設備が整った野原で、政宗は集合した面々を見渡した。
「飯を炊くのは軍神とくのいちに頼む。小十郎と真田幸村は俺と一緒に野菜の下ごしらえだ。西海の鬼は肉の用意をしてくれ。武田のおっさんはかまどの火を見てくれねえか。忍は香辛料の調合を任せる。全員、料理書の写しは持ったな? 困ったときは俺に相談しろ。それじゃ、始めるぜ!」
事の発端は、元親が航海の途中で入手した異国の料理書を料理好きの政宗のところに持ち込んだことだった。どんな料理ができるのか、材料や手順を読んでもさっぱり想像がつかなかった二人は、この際だから作ってみようということで合意した。
その話は、ちょうど伊達軍に情報収集に来ていた佐助から武田軍にもたらされ、佐助の報告を物陰で聞いていたかすがが謙信に伝え、なぜか両者とも参加したがり、この顔ぶれでの集合が決まったというわけである。
美味い米が手に入る越後のふたりに白飯の用意を任せると、信玄がかまど前に陣取ったのを確認して、政宗はまな板と包丁を取り出す。料理書に材料として書かれていた野菜は、小十郎の畑で収穫してきた。同じく材料の肉は、元親が狩りに出かけている。薬草の扱いに長けた佐助は、料理書の写しを見ながら香辛料の調合を始めた。
ちなみに、日の本で手に入らない食材は、元親が集めてきてくれて、揃っている。
そんな彼らが作ろうとしているものは、現代日本ではおなじみの「カレーライス」であった。
「お見事にござるな」
慣れた手つきでくるくるとじゃがいもの皮をむいていく政宗の手元を、たまねぎを手にした幸村が感心した目でぽかんと見ている。
「真田、さっさと手を動かせ」
「もっ、申し訳ござらぬ!」
完全に作業の手が止まっているのを、にんじんの皮をむく小十郎に指摘されて、幸村はあたふたと薄皮をむき始めた。
「ぬぁっ! なんでござるか、これは!? 痛いでござるぅうっ!!」
たまねぎに刃を入れるなり、幸村は包丁を放り出して叫ぶ。じゃがいもの芽を取っていた政宗は、ちっと舌打ちをした。
「なんで真田がたまねぎ持ってんだ? 小十郎、お前のにんじん、あいつに代われ」
「承知」
小十郎がうなずくと、政宗は自分の前のじゃがいもの山を小十郎の前に押しやる。そして、自分は幸村からたまねぎを取り上げた。
「真田、いますぐ水で手と目を洗ってこい。こするんじゃねえぞ。それと、洗ってねえ手で目に触るな。早く行け!」
「かっ、かたじけのうござる、政宗殿」
「Hurry up! 野菜の用意ができねえと後の手順がつかえるんだよ!」
「承知いたした!」
幸村が井戸に向かって走っていくのを見送りもせず、政宗はたまねぎを刻み始める。隻眼とは思えない見事な速度でみじん切りの山が作られていく。手際がいいため、目が刺激される間もない。その横で、小十郎が器用にじゃがいもの芽を摘んでいた。
「独眼竜、香辛料ってこんなもんでいいか?」
香辛料の調合を終えた佐助が、薬鉢を持ってくる。きれいに挽かれた香辛料の粉末をくん、と嗅いで、政宗はうなずいた。
「俺も、実際に食ったことがあるわけじゃねえ、確かめようもねえんだが……いいんじゃねえか。食欲がそそられるぜ」
「それじゃ、俺様、手が空いたぜ。次はなにをする?」
「Then、真田の代わりにそこのにんじんを頼む。皮をむいて、一口大に切ってくれ」
「了解。…って、真田の旦那はどこ行ったの?」
「井戸だ。たまねぎに目をやられて、洗ってる」
幸村らしい展開に、あちゃー…と佐助は苦笑し、慣れた手つきでにんじんの下ごしらえを始めた。
「真田幸村! しぶきが飛ぶ、もっと離れろ!」
幸村が井戸端でざぶざぶと顔を洗うと、すぐ近くからかすがの声に叱られた。
「もっ、申し訳ござらぬ!」
「かすが。わこどのとてわざとしているのではないでしょう。こちらがきをくばればよいだけのこと。そうきびしくとがめたてることではありませんよ」
幸村がずぶぬれの顔のまま詫びると、謙信がかすがをたしなめた。とたんに、かすがはしおらしくうつむく。
「謙信様…」
「お口添え有難く存じまする、軍神殿!」
「しずくが飛ぶ!」
がばっと勢いよく頭を下げる幸村に、ふたたびかすがの厳しい声が飛ぶ。だが、今度はかすがも米が入っている釜を背中に庇って守った。
「さあ、かすが。はやくこめをといでしまいましょう。どくがんりゅうのにこみりょうりができあがるのにまにあわなければ、だいなしになってしまいます」
「はい、謙信様」
「おまえがたいためしは、さんごくいち…。たのしみなことですね」
「はぁん……謙信様」
頬を染めたかすがは、新妻のようにかいがいしく米砥ぎを再開する。謙信は幸村を振り返ると、いまのうちに行けと合図した。深々とお辞儀をした幸村は、政宗たちのいる調理台へと走っていった。
じゅうううう。充分に熱して油をひいた鍋に投入されたたまねぎが、よい音を立てて焼けていく。政宗は焦げ付かないようにしゃもじでかきまぜながら、次々と指示を出していく。
「よし、真田、そのまま火の勢いを保て。小十郎、にんじんを入れろ。西海の鬼、肉の用意はできたか?」
「おうよ! 獲ってきたばかりの豚を捌いたぜ」
「All right. 鍋に入れてくれ。…よし、火が通ってきたな。忍、香辛料を油で炒めとけ。軍神とくのいち、皿の準備頼んだぜ」
「独眼竜! 謙信様を顎で使うな!」
「かすが、さらがなんまいひつようか、かぞえてください」
「はい、謙信様」
「軍神よ、米の具合を見てはくれんか」
「わかりました、かいのとら。かすが、さらはまかせます」
「はい、謙信様」
そしてわーわーと賑やかに具材が炒められた鍋に水を入れ、じゃがいもを投入する。いもが茹で上がった頃合いに、佐助が炒めた香辛料を溶かし、さらに煮込むことしばらく。
「飯が炊けたぞ!」
「よぅし、これで出来上がりだ!」
信玄の言葉とほぼ同時に、政宗も鍋をかまどから降ろした。
平皿に盛りつけられた白飯に、鍋で煮込んだ野菜や肉をたっぷりの汁とともに乗せる。
「これでは、箸は使えそうにないな。匙はないか」
皿を見たかすがは、ごそごそと行李の中を探る。すべては謙信のためだ。
「よい匂いがいたしますな!」
幸村は目をきらきらと輝かせて、自分の前に置かれた皿を見つめる。
「いやぁ、こりゃたいした薬膳料理だね。香辛料って書かれていたのは半分以上生薬だし、たっぷりの獣肉に根野菜。体にいいよ」
料理の想像以上の滋養に、佐助は感心しきりだ。
「まさか、このしょうがいにおいて、いこくのりょうりをしょくすることになるとは……」
「まったくじゃ。しかも、目の前に供されれば、美味そうだと思ってしまうのじゃから、人とは本当に恐ろしきものよ」
感慨深げに皿を見つめるのは、謙信。その横で、信玄も深くうなずく。
「いやぁ、すげぇな、独眼竜。まさかあの料理書でこんなもんができあがるたぁな」
元親は自分が持ち込んだ料理書と皿を見比べて、矯めつ眇めつため息を吐く。
「これは美味そうですな、政宗様。見慣れぬ見てくれですので、なにとはなく躊躇うものもありますが」
小十郎は自分の育てた野菜が見たこともない料理に変化したのを複雑そうに眺める。
政宗は自分も席に着くと、匙に手を伸ばした。
「とにかく、食ってみなきゃ、美味いかどうかもわからねえ。まずは食おうぜ」
政宗の言葉にうなずいた面々は、かすがが用意した匙を手に取り、恐々料理を口に運んだ。
「「「「「「「「美味い!!」」」」」」」」
それからは早かった。電光石火のごとく皿が空になり、二杯目をよそい、それもあっというまに胃の中に収められていく。釜も鍋も空になるまで、時間はかからなかった。
これ以来、時折、奥州や甲斐、越後、四国などでは、香ばしい匂いがする異国の料理が炊がれるようになった。