湯を使った政宗が部屋に戻ると、桐の箱を携えた佐助が訪れた。
「何の用だ、忍?」
「うちの大将から、独眼竜に贈り物。夕餉はこれで出席されたい、ってさ」
「Hum…?」
いったい何かと小十郎に目を向けると、小十郎が箱を受け取り、ふたを開ける。中には女らしくなり過ぎない粋な柄の打掛が入っていた。小十郎は一瞬驚いた表情を浮かべたが、なにも言わずに政宗に箱をそのまま差し出す。政宗は中を一瞥すると、真意を窺うように佐助に目を向けた。
「俺が女であることは否定しねえが、俺は姫じゃねえ。どういうつもりだ」
「さあ? 俺は大将じゃないから。まあ、あえて言うなら、信頼関係の構築には、虚偽申告がないことが大事ってことじゃない?」
はぐらかすようでいて挑戦的な佐助の言い方に、政宗は不敵に笑った。
「そうは思わねえな。虚偽は申告するかしねえかじゃねえ。見破れるか見破れねえかだ。そいつに眼力があれば信用するし、だまされたままならその程度だと判断する。見る目がねえ言い訳にはならねえよ」
「なるほどね。それじゃ、独眼竜。あんたは大将の贈り物をどう見る?」
試すような佐助の問いに、政宗はちらりと小十郎を見る。小十郎は表情一つ動かさず答えた。
「真田幸村を政宗様の婿に送り込んで、甲斐武田の勢力拡大。…というところが妥当でしょうな」
「さすが」という佐助の表情で、小十郎の読みが当たっているとわかる。政宗はくつくつと笑った。
「婿ね……。若虎じゃ竜の相手にならねえな」
面白そうに笑う政宗に、主君を馬鹿にされたと感じた佐助がむっとした表情を走らせる。目ざとくそれを眼の端に捉えた政宗は、笑みを刷いたまま、笑いを止めて佐助をまっすぐ見据える。
「独眼竜は竜以外にならねえ。だれかのものになるなら、そいつも竜だ。……なあ、小十郎?」
「『右目』でも、竜は竜ですからな」
傲然と言い放った政宗に、小十郎はけろりとした顔でうなずいた。そういうことか、と佐助は内心で舌打ちする。
「なら、どうする? これはそのまま大将に返すかい?」
「いや」
結論を促した佐助に、政宗は箱の中に再び眼を落としながら応える。
「せっかくのpresentだ。有難くいただくぜ」
「真田の旦那との縁談は蹴るのに?」
「それとこれとは話が別だ。男からの貢物は喜んで受け取るのが礼儀だろ」
余裕の笑みをにやりと浮かべ、政宗は佐助を見た。
政宗は茶化した言い方をしたが、裏には政治的な判断が隠されている。幸村との婚儀の申し入れを断るとしても、武田と敵対するつもりもない。それを、贈り物を受け取ることで示すというわけだ。もちろん、縁談を断る意思表示も、別途きちんと示す。佐助が優秀な忍であることは分かっているが、自軍に所属する者ではない。佐助との会話ですべてが済んだと思うのは、とても危険なことだ。
「言うねえ。さすが独眼竜」
佐助は政宗の真意に気付いていただろう。だが、話を合わせるように、感じ入った口調で応えた。
夕の宴に、政宗は着なれた装束で出席した。その姿を見て、信玄は政宗の回答を悟ったらしい。
「それもよかろう」
ふっと微笑をこぼしてそれだけ言うと、和やかに宴席でくつろいでいた。
翌日、政宗は小十郎とともに合戦場の下見に出かけた。
「どう見る、小十郎?」
合戦場全体を見渡せる丘の上に立ち、政宗は背後の小十郎に声をかける。小十郎は今朝配られた地形図と目の前の風景を照らし合わせながら、政宗に説明した。
「あの川を挟んで、左岸に武田、右岸に上杉。伊達はその下流の中州に陣を置きまする。伊達の陣が中州にあることで、一見不利のように思えますが、武田と上杉が川を挟んで互いの陣幕が見えているのに対して、伊達は林に遮られ、どちらからも陣幕が見えませぬ。…ならば」
「奇襲か」
「はい。ただし、双方同時には無理です。陣容は三軍同等。兵を二つに分けては、どちらにも太刀打ちなりませぬ」
「つまり……」
「そういうことです」
確認するような目を向けられて、小十郎はうなずく。政宗はすこし顎を引いて、眼下の景色を見据えた。
「よし! それじゃ、明日はど派手なpartyと洒落込もうぜ!!」
「はっ」
待たせていた青毛の愛馬にまたがり、政宗は丘を駆け下りる。鹿毛に騎乗した小十郎が後に続いた。
「このまま、各軍の陣地を確認する。小十郎、navigateまかせるぜ」
「承知」
三軍が陣幕を張る予定の場所を順にめぐり、風景や距離感、位置関係を確かめて、政宗は宿舎に戻る。
玄関の前で馬を下りると、中から幸村が飛び出してきた。
「政宗殿! お探ししており申した!」
「what's happen?」
「某、お聞きしたいことがあり申す。昨日、お館様が贈った衣に袖を通されなかったのは、何故にござるか? 贈り物を受けて、贈り主にそれを身につけている姿を見せぬのは、いささか礼を失した行為ではござらぬかと……」
「そのことか」
幸村が血相を変えて飛び出してきたので、なにか不測の出来事でも起きたのかと身構えていた政宗は、肩の力を抜くと玄関に向かって歩き始める。
「確かにあれはpresentなんだろうけど、同時に判じ物でもあるんだぜ。その意味が分からねえんじゃ、あんたも若子のままだな」
「な…っ」
「わからねえなら忍に訊きな。懇切丁寧に教えてくれるだろうぜ」
言い捨て、ひらひらと手を振って、政宗は館に入る。わけがわからず取り残された幸村が立ちつくしているのを後目に、草鞋を脱ぐと、政宗は小十郎を振り返った。
「すっかり埃まみれだ。今日は最初からおまえが就けよ、小十郎」
「承知しております」
昨日の入浴の際、かすがが脱衣所までついてきたことが、それは嫌だったのだろう。わざわざ念を押す政宗に、小十郎はうなずきながら苦笑した。
戦装束に身を包み、六爪を佩くと、政宗は演習の勝利条件になっている采配を手にした。
獣毛の房が付いた、細い、他愛のない棒。これを、信玄や謙信と取り合う。百騎もの兵を率いて、目的はただそれだけ。少し前までの世なら、笑ってしまうほどあり得ないことだ。
だが、これでいい。そう思い、政宗はふと笑みをこぼす。
「政宗様?」
「いや……、ちょっと前まで天下を取り合ってたおっさんたちと、いまはこんな棒切れを取り合うってのも、滑稽なもんだと思ってな」
「ですが、お嫌ではないのでしょう?」
「That’s right. わかってんじゃねえか」
「無論。実を申せば、小十郎も、嫌いではありませんので」
視線を合わせ、見つめあったまま、二人でくつくつと笑う。天下取りがどうでもよかったわけではない。ただ、ようやく訪れた平和な世で、こんな大がかりに遊ぶのも悪くないと、そう思うだけだ。
「今日は手加減なしで行くぜ、小十郎」
「望むところです」
小十郎を従え、政宗は陣幕を出た。
「Are you ready, guys?」
「Yeah!!」
政宗の檄に、野太い声が応える。伊達軍恒例の行軍風景だ。
「Put your guns on!」
「Yeah!!」
「Let's get serious!」
「Yeah!!」
「Come on! Let's party!!」
「Yeah!!」
ひときわ高らかに叫ぶと、政宗は武田の陣に飛び込んだ。続けて伊達軍の騎馬隊がなだれ込む。
「なんと!」
怒涛の奇襲に意表を突かれた幸村を挑発するように、政宗は幸村を振り返る。流し目で微笑んだ政宗に一瞬見惚れた幸村は次の瞬間、下知を下していた。
「武田騎馬隊、出撃せよ!! 伊達軍を追撃する!!」
猛烈な速度で爆走する伊達軍を、混乱から立ち直った武田軍が追い始める。そして、伊達軍の殿に幸村が追いつくかどうかという時だった。政宗を先頭に駆けていた伊達軍がぐるりと周回してきて、横から武田軍を襲撃する。幸村が急いで迎撃の陣形を取ろうとしていると、伊達軍の後方から上杉軍が突撃してきた。
「! わこどの」
「う、上杉殿!?」
「そういうさくせんでしたか……どくがんりゅうらしい。ぜんぐん、たけだぐんをげきはせよ!!」
伊達軍を追ってきた上杉軍は、思いがけず武田軍を相手にすることになった。だが、謙信は迷う間もなく攻撃目標を変更する。幸村は、やむを得ず、その場で上杉軍の迎撃を始める。
背後から聞こえてくる合戦の音を後目に、政宗は上杉と武田の兵の間をすり抜けてきた自軍の兵を従えて、武田軍の陣幕に向かう。そこには、信玄が数騎の兵とともに控えているはずだった。
「行くぞ、小十郎」
「はい、政宗様」
政宗は陣幕の中、大将席に座る信玄めがけて、突入した。
結局、演習は三軍仲良く引き分けという結果に終わった。信玄が謙信の、謙信が政宗の、政宗が信玄の采配を、同時にそれぞれ奪い取ったからだ。
それはあまりに出来すぎていて、決着がついた瞬間、三人とも笑い出してしまったほどだった。
翌日は、伊達軍も上杉軍も自領に向けて出立する日だった。
愛用の甲冑を着けた政宗は、いつもの陣羽織ではなく、信玄から贈られた打掛を腰に巻く。幸村との縁談を受けない意思表示も、武田と敵対する気がない意思表示もした。最後は、甲冑の上に纏うことで、女として武田に関わる気はないと示すのだ。
女らしすぎない柄とはいえ、女物の衣であることに違いはないので、兜が似合わない。別にいいか、と、荷駄の葛篭に兜を収めると、政宗は部屋を出た。
小十郎と連れ立って外に出ると、出立の用意を済ませた謙信とかすが、見送りのために出てきている信玄と幸村、佐助が顔をそろえていた。
「待たせたな」
「いや。…よく似合っているな、独眼竜」
信玄が意図した着方ではないが、それはそれとしてよく似合っているのも事実だ。ただし、黒い甲冑に打掛の腰巻は、かなり艶やかで派手だった。政宗だからこそできる着こなしであることには違いない。信玄はつい苦笑をこぼす。謙信も同様に苦笑いしていた。
呆気に取られて見惚れているのは、幸村だ。横にいる佐助が慌てて肘鉄を打ち込む。
「旦那! 口開いてる」
「え…あ、ああっ、も、申し訳ござらぬ」
「なんだ、真田幸村。俺に見惚れたか? You are not wrong.」
幸村の目線がどこに向いているか気づいて、政宗はふふんと笑った。陣羽織を着ていないことで、胸のふくらみに合わせて描く鎧の曲線がきれいに見えている。わかってしまえば、なぜいままで気付かなかったのか不思議なくらい、しっかりとした曲線だ。
「政宗殿……女性だったのでござるか」
「気付くのが遅ぇよ」
ぽかんとした幸村の言葉に政宗が笑うと、堪えきれなくなったように謙信も笑い出した。
「な…、某の申したことはそんなにおかしいことでござるか!?」
困惑する幸村に、とうとう信玄も笑い出す。
「お館様まで!」
「しょうがないよねぇ。気付いてないの、旦那だけだったんだから」
「某だけ!? 佐助、なぜ教えてくれなかったのだ!」
「馬鹿者ぉ! 己が未熟ゆえに気付かなんだことを人のせいにするとはなにごとじゃ!! 幸村ぁ!!」
「申し訳ございませぬ、お館様ぁ!!」
「幸村ぁ!!」
「ぅお館様ぁ!!」
「幸村ぁぁ!!」
「ぅお館様ぁぁ!!」
「あーあ、また始まった」
幸村の様子が可笑しくてけらけらと笑っていると、幸村と信玄が殴り合い始めた。冷静に見守る佐助に、謙信が声をかける。
「それでは、わたくしたちはこれにて。またのきかいをたのしみにしています」
「じゃあ、俺たちも行くか、小十郎」
「はい」
「それでは、どくがんりゅうもけんしょうで」
「あんたもな、軍神。機会があれば、奥州にも寄ってくれ。もてなすぜ」
「ええ、ぜひ」
簡単な暇の挨拶を交わし、謙信はかすがを従えて出立した。
「それじゃ、真田の忍。おっさんたちによろしく伝えといてくれ。楽しかった、ってよ」
「承知」
笑顔で伝言を預かった佐助にひらりと手を振り、政宗は愛馬の腹を蹴る。小十郎が合図を出し、伊達軍も出立をした。
そんな、太平の時代を迎えたのちのとある出来事。