権現と凶王のあまり普通じゃないロマンス 第1章

 彼のことをどう思っているかと訊かれたら、以前ならこう答えただろう。

 豊臣軍の同僚。

 同僚と言っても、彼は同盟国の国主で、自分は秀吉の直参だ。すこし立場は違う。だが、半兵衛の軍略に従って前線に立つという点では、同じだった。

 では、今はどうなのか。

 訊かれても、「わからない」としか答えようがない。本当にわからない。

 でも、本当に……?




「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 荒い息がせわしなく漏れる。

 第六天魔王を打ち破った関ヶ原で、三成は家康と対峙していた。多少体力は回復していたとはいえ、魔王相手に死力を尽くした後とあっては、やはり続かない。

 もちろん、数合でバテたわけではない。この打合いも始まってからだいぶ時間が経っている。だが、家康はまだ動けそうな佇まいで身構えていた。一方で、三成はもう立っているのがやっとだ。

 鎧が重い。具足も重い。籠手が重い。刀さえ重い。

 ふらりと倒れかけて、踏み出した足でこらえる。家康の前で倒れるわけにはいかない。

 気力だけで続けようとする三成を、だが、家康は心配そうに見つめて駆け寄ってきた。

「三成! 今日はもう止めよう」

 気遣わしげに言う家康を、三成はぎっと睨んだ。

「どういう意味だ!? まだ決着はついていない!」

「そうだが……三成は疲れすぎている。ここで決着がついても、お互いに納得できるとは思えない。だから、後日改めて決めるというのはどうだ?」

「家康、貴様、逃げるのか」

「そうじゃない。お互いに納得がいく状態で決着をつけようと言っているんだ。三成が強いことは知っているが、魔王と戦ったときの傷もまだ癒えていないだろう?」

 言われて、三成は血と汗でぐっしょりしている手袋を見る。それはそうだ…と思ったとたんに、身体のあちこちが悲鳴を上げ始めた。

「だから、三成。怪我を治して、万全になったら、また勝負しよう。なっ?」

「貴様がそんなに言うなら、そうしてもいい」

 優しく言い聞かせるような家康の言葉に、突っぱねる気力も失せて、三成はそう答えると構えを解いた。

「再戦の日程は追って連絡する」

 それだけ言って、三成は歩き出す。一方の家康は、「えっ!?」と叫んで三成を追いかけてきた。

「どこに行くんだ、三成?」

「大坂に帰る」

 歩く足も緩めず、家康を振り返ることもなく、三成は答える。我に返ると、血を流しすぎて意識がかすむような感じがする。人前で無様を曝さないためにも、早く帰りたい。

「大坂に帰っても、誰もいないだろう?」

 その三成に、家康は同じ速度で歩きながらついてきた。

「別に、誰かいるから戻るわけではない。刑部の弔いもしなければならない」

「刑部を弔いたい気持ちはわかるが、傷の手当てが先だ。その怪我は一人では無理だ」

「それは貴様が考えることではない」

「そんな悲しいこと言うな、三成。ワシはおまえが心配なんだ」

「頼んでいない!」

 ついにカッとなった三成が、勢いよく家康を振り返る。そして、勢い余って足を滑らせた。

「あ…っ」

「三成!」

 体勢を立て直せず、そのまま倒れそうになる三成を、家康ががしっと受け止める。

 地面に転がらずに済んだと安心した途端、三成の張りつめていた気力がふつりと途切れた。

「離せ……家康……」

 言いながら、三成は意識を失った。




 目を覚ますと、見慣れない天井が目に入った。

「……ここは…?」

 体を起こそうとすると、頭の奥がクラクラして、三成は結局褥に倒れ伏す。

 三成を包むのはさらさらとした上質の手触りの布だった。痛む頭を抱えながら、三成は自分が清潔な寝間着に着替えさせられていることに気付く。傷も、すべて手当てを済ませてある。刀と甲冑は床の間に飾られていた。

「いったい……?」

「起きたか、三成」

 三成のつぶやきに応えるように部屋に入ってきたのは、家康だった。いつもの戦装束ではなく、質素な袴姿だ。その手には、器を乗せた盆があった。

「家康! なぜ貴様がここにいる!?」

「なぜって……ここは三河のワシの城だ。城主が自分の城に居てもいいだろう?」

 見る間に表情を険しくした三成が叫ぶが、家康は気にする様子もなく、三成の枕元に腰を下ろした。

「叫べるほど元気なら、自分で食べられるか? 粥を持ってきた」

「いらん」

「駄目だ。三成は丸2日眠っていたんだぞ。食べなくては、力が戻らない」

 諭されて、三成はふいとそっぽを向く。三成の食が細いのは、昔からのことだった。気が向かなければ、本当になにも食べない。

「それに、倒れた理由だって、血を流しすぎたからだ。血になる食べ物を摂らないと、いつまでもよくならないぞ」

「余計な世話だ。私に構うな」

「そういう言い方をするなよ、三成。ワシは三成に元気になってもらいたいんだ」

 言いながら、家康は粥の碗を手に取る。匙ですこしすくうと、湯気の立つ粥にふーっと息を何度か吹きかけた。匙を唇に当て、適度に冷めたことを確かめて、三成の口元に差し出す。

「ほら。緩めに炊いたから、食べやすいはずだ」

 三成は意地を張って振り向かずにいたが、家康は根気強く、粥を差し出し続けてくれる。そのまま無視していようと思っていたら、甘い米の匂いに腹がきゅぅと鳴いた。

 あっと思って、三成は慌てて腹を押さえる。その手の下から、もう一度きゅぅと鳴き声がした。

「ほら、三成」

 優しく促す声に誘われるまま、ゆっくりと顔を向けると、そこには程よく湯気が落ち着いた粥があった。出汁で味をつけてあるそれは、とてもいい匂いがする。三成がためらいながら薄く口を開けると、匙がそっと差し込まれて、粥を流し込んでくれた。

「美味いか?」

 もぐもぐと咀嚼する三成に、家康が問いかける。こくんとうなずいて、三成は粥を飲み込む。すると、家康は三成の背の下に腕を差し入れて抱き起してくれた。食事しやすい角度に三成を支えると、またちょうどよく冷ました粥を差し出してくれる。三成は口を開いて、二口目を食べた。

 結局、三成は家康が用意した粥を、口に運ばれるままに全部食べた。それはいつもの三成の食事量からするとすこし多く、苦しくなった三成は家康の手を借りてふたたび横になった。

「すこし多かったんだな。すまなかった。夕餉はこれより少なくする」

 そう言って部屋を出ようとする家康を、三成は呼び止めた。

「待て。もっとちゃんと状況を説明しろ」

「状況?」

「そうだ。私はなぜここにいる? なぜ私を貴様が看病している? わかるように説明しろ」

 すると、家康は三成の枕元に戻ってきて、いつもの穏やかな微笑を浮かべて話し出した。

「関ヶ原で、三成は血を流しすぎて気を失ったんだ。三成は大坂に帰りたがっていたんだが、大坂では充分な手当てができそうになかったから、三河まで運んで手当てした。後遺症が残るような怪我はないが、傷がふさがるまでは激しく動くことは禁止だ。それと、血をだいぶ失ったから、しばらくは安静にして、精のつくものを食べた方がいいそうだ。もっとも、さっきも言ったように丸2日寝ていたあとだから、食べるならまだ消化がいいものの方がいい」

「それは貴様が自ら私を看病する理由にはなっていない」

 やつれていることは隠しようがないにしても、きりりとした表情で見上げる三成に、家康はにこにこと答えた。

「三成は神経が細かいから、傍にいるのが誰でもいいとは言えないだろう? その点、ワシなら付き合いも長いし……第一、ワシが心配だったんだ」

 神経質と言われて一瞬むっとした三成だったが、こんなに笑顔で心配だったと言われたら、それ以上つっかかろうという気も失せる。

「そうか。……世話をかけた」

 ささやくような、だが三成らしい歯切れのいい礼に、家康は笑みを崩さず「いいさ、このくらい」とうなずいた。




 夕餉の時間になると、家康はまた粥の碗を持って現れた。

 午後もたっぷり眠った三成は、頭痛も治まったので、起き上がると碗を受け取り、自分で食べる。今度は全部食べても苦しくならない量だった。

 食べ終わり、碗を家康に返すと、家康は受け取って盆を襖近くに下げた。もうすこしここにいるつもりらしいと気付いて、三成はどういうつもりかと目を眇める。

「この城に三成がいるのも、久しぶりだな」

「……そうだな」

 感慨深げに切り出した家康に、三成もぽつりと答える。その話題か、と内心でため息を吐きながら。

「この城のこと、覚えているか?」

「いや。覚えていると言えるほどの記憶はない」

「そうか……」

 三成が秀吉の命令を受けて『朝日姫』という名で家康に輿入れしたのは、何年前になるだろうか。家康も、当然三成も、まだ子供だった。

「あの時の三成も美しかったな。こんな美しい人がワシの嫁になってくれるのかと、祝言の間中、緊張していた」

「そのあとで朝日姫とは佐吉だと知って、腰を抜かすほど驚いていたな」

「あのときはすまなかった。まさか、佐吉が朝日姫だとは思わなかったんだ。佐吉は、半兵衛殿が自ら教育していたくらいだから、有能な軍師になるんだと思っていた」

 さきという名の女の子だった三成は、半兵衛にその才知を見出されて、佐吉という名で男として大坂城に出仕していた。そこまでして軍師としての教育をした佐吉を、半兵衛があっさりと手放すとは、家康には思えなかったのだ。

「それでも、三成が……朝日姫が美しくてドキドキしたのは本当だ」

 男として半兵衛の下で働くつもりでいた三成は、女として家康に輿入れすることを命じられて、落胆していた。だから、祝言の間中、家康を振り返ることはなかった。家康がそんな風に朝日姫を迎えてくれていたとは、たったいままで知らなかったことだった。

 結局、子供だった家康は朝日姫と床を共にすることはなく、秀吉の天下のために働きたかった朝日姫も夫婦として歩み寄るつもりはまったくなく、数か月で秀吉に命じられるままに離縁したのだった。そして朝日姫は三成と名を変えて、大坂城で秀吉の左腕としての道を歩み始めた。

「きっとワシは、初めて会った時から、三成のことが好きだったんだ」

 家康は述懐とともに微笑む。

「よくも抜け抜けと」

 それを聞いた三成の反応は、とても素っ気ない。

「嘘じゃない。…まあ、朝日姫を嫁にもらった頃は、まだ子供すぎてよくわかっていなかったのは、否定できないが……」

 家康は真剣な眼差しで、三成を正面から見つめる。

「三成。ワシらは、もう一度、夫婦になれないだろうか」

「戯言を言うな」

「ワシは本気だ。もう、独りで泣く三成を見たくない。三成を暗い大坂城に一人にしたくない。もう一度、今度は本当にワシの嫁になってくれ」

「無理だ」

 家康の本気の言葉を、三成は歯切れよく拒絶する。「なぜだ」という顔で三成を見る家康に、まっすぐに背を伸ばし、しっかりとした声で、三成は告げる。

「私は敗軍の将だ。敗軍の将が、これからの政に関わったり、晴れがましい立場に就いたりするなど、あってはならない。そして私の立場は、また戦を起こして私が勝利しない限り、変わることはない。貴様が、貴様の望むこれからの世を確実に築きたいと思うなら、今後一切私に関わるな」

「そんな……戦は終わった。太平の世に、敗軍の将かどうかなど、関係ないだろう」

「今後のために、穏便に処分を済ませたい貴様の考えはわかる。だが、敗軍の将が当たり前のように戦勝軍の自分たちと同様に遇されていたら、不満を持つ者は必ず出る。本来なら、私は処刑されるべきだが、貴様は私が頼んだとしても、その決断はしないのだろう?」

「当たり前だ!!」

「ならば、私は明日の朝、この城を出る。おまえと会うことはもうない」

「三成」

「私を処刑せずに済ませてくれたことには感謝する。私はどこか…山深い里で、刑部を弔いながら、静かに暮らそう。私が自らの意志で軍を起こすことは二度とない」

「三成」

「それが、処刑を免れた私の最後の務めだ」

「三成っ!」

 家康が引き留めようと名を呼ぶのに構わず、言いたいことを言いきった三成は、次の瞬間、褥に押し倒されていた。肩を抑えつけられ、仰向けに転がる三成に、思いつめた眼差しの家康が覆いかぶさっている。三成は険も隠さず叫んだ。

「なにをする!」

「三成が強いことは知っている。三成が賢いことも知っている。だが、剣と政しか知らない女子が、豊臣という後ろ盾を失って、どう生きていくと言うんだ」

「貴様の知ったことか! 退け!!」

「退かない」

 家康の世話を1日受けて、すこし和らいでいたように見えた三成の目は、刃のような鋭さをよみがえらせていた。だが、三成が目つきや声音を険しくすればするほど、家康は一歩も譲らぬ強さで三成を抑えつける。

「憐みなどいらない。今後の世話など頼んでいない。貴様に囲われる余生など、願い下げだ」

「憐みで言ってると思うのか、三成。本気でそう思うのか」

「違うなら、何だと言うのだ」

 唸るような三成の言葉に、家康は悲しげにくしゃりと表情を歪めた。

「三成は、わかってくれないのか……」

 落胆した家康の声は、三成を怯ませた。自分が一体何をわかっていないというのか。問おうと口を開いた時だった。

「んぅ…っ」

 温かく柔らかいものに呼吸をふさがれ、三成はうめいた。それが家康の唇だとわかったのは、ぬるりと舌を差し込まれたときだった。

 首を振りたて、逃れようとしても、家康はしっかりと三成の唇をとらえて離さない。身をよじろうにも、肩を押さえる家康の腕は、三成の力で振り解けるものではなかった。

「はぁっ」

 ようやく口づけから解放される頃には、頭の奥がじんわりと甘く痺れていて、切れ切れの息では抗うどころか、悪態を吐くことさえできなくなっていた。

「やめ…ろ……」

「すまんが、やめてやれん」

 荒い息を吐く三成が思うように動けないのをいいことに、家康は喉に赤い痕を散らしながら、寝間着の袷に手を差し入れる。

 三成に閨事の経験はまったくないが、その存在は知っていた。ここまでされれば、これから自分がそれを強いられるのだということも、予想がついた。

 そして、豊臣は徳川に呑まれるのだな……。

 逃れたくても逃れられない現実に諦念し、三成は家康の気が済むまで犯された。




 結局、翌朝、三成は家康の城を出ていけなかった。

 正確には、起き上がることさえできなかった。

 夜が白むまで、初めての身体―――しかも怪我人―――に欠片の斟酌もなく、家康は三成を抱いたのだ。その結果、それこそ「抱き潰された」と言っていいほど、いまの三成の身体はガタガタになっていた。

 一晩中啼かされた喉は嗄れ、下腹はズキズキ痛むし、腰に力も入らない。昨日までとはまったく違う事情で、三成は寝込んでいる。

 このまま、ここに囲われるんだろうか。そんな確信めいた予感が脳裏をよぎる。理論的に考えれば、今後自分に自由が許されることは、あり得ない。

 もし自分が奥御殿を管理する立場なら、主君の種が注がれた女をほかの男と接触させることは絶対に許さない。まして、家康はいまや天下人だ。奥の管理は厳重でなくてはならない。

 そして、昨晩、三成は家康の子種を注ぎこまれた。次に月のものが来るまで、あるいは孕んだ兆しがあるまで、他の男と接触するわけにいかないことは自明だった。

 別に家康に特別な感情はないが、秀吉と半兵衛が目指した天下統一が家康の手によってとはいえ現実のものになったいま、それを保つことが二人への忠義になるのだと三成は思い定めていた。


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