権現と凶王のあまり普通じゃないロマンス 第2章

「はぁ…っ」

 大きく息を吐きながら、三成はぐったりと体を横たえた。

 隣には、交情を終えたばかりの家康が体を伸ばしている。その悠々とした様は天下人の風格を纏っていた。

 家康の居城の奥御殿に滞在して10日。三成の傷はもうほとんど癒えている。

 最初は家康に強引に強いられた。だが、三成が家康の求めを徹底的に拒まなかったのも事実だ。そして、家康に抱かれない夜はない生活を送っている。これだけ天下人の子種を注がれた三成がその奥御殿から出ていくこともできなくなったのも、成り行きだった。

 いったいなにを考えているのかと、満足そうに三成の腰を抱き眠る家康の顔を見つめる。

 三成が崇拝してやまない豊臣秀吉が討たれたとき、秀吉の敵を討とうとするどころか、討たれても仕方がない非が秀吉にあったかのように言ったのは、他でもない家康自身だ。ともに豊臣を支える仲間として信じていた相手に裏切られたと感じた三成は、それ以来、家康との関わりをすべて拒んできた。

 なのにいま、家康の城で、褥に家康を受け入れて、家康の腕の中で眠りに就こうとしている。家康のことも、あんなに憎いと思っていたはずなのに、どうしてあそこまで憎めたのかは、もう思い出せなくなっていた。

 物思いにふけっているうちに、うと…とまぶたが落ちてくる。そのまま、三成は沈むように眠りに落ちた。




 目が覚めると、夜が明けていた。

「おはよう、三成。体調はどうだ?」

 身支度を整えた家康が、三成が覚醒したことに気付いて声をかけてくる。

「はやいな。特に問題はない」

 律儀な三成は、家康の挨拶を無視することができなくて、挨拶を返しながら起き上る。

 抱かれたまま眠ったはずの三成の身体はきちんと清められていて、寝間着を着せられていた。これも毎朝のことだ。最初の頃は驚いたり恥じらったり慌てたりしたが、侍女ではなく家康の手によるもので、家康に止める気はないとわかってからは、開き直って全部やらせている。

 三成が起き上がると、侍女が部屋に入ってきて、着替えを手伝い始めた。身支度の間も家康に部屋に居座られるのは落ち着かないのだが、家康は庭を眺めながら、三成の身支度が終わるまで待っている。

 三成が女であることも、昔家康に輿入れしたことがあることも、もうこの城で知らない者はいないことだが、三成の衣装として用意されるのは袴装束だった。三成は慣れた手つきで袴の帯を締める。女物の着物よりも、こちらの方が落ち着いた。

 そして、三成が着替え終わると、向かい合って一緒に朝餉を摂るのが日課になっていた。

 小食なばかりか、朝はなにも食べないことが多い三成の膳は、とても軽い。一口でなくなるご飯と、碗の半分しかない汁物、野菜の炊き合わせ。それでも、多くて喉を通らないときもある。

 反対に、家康のご飯は大振りの茶碗に山盛り。汁物も具沢山で、こちらの碗も大振り。三成の膳と同じく野菜の炊き合わせが乗っているが、他に焼き魚の皿もある。

「……よく朝からそれだけ食べられるな」

「朝食は一日の活力の源だからな。三成ももっとしっかり食べないと、すぐに倒れてしまうぞ」

「これ以上食べたら、倒れる前に吐く」

 そう言って、三成は汁物だけを食べると、箸を置いた。

「もう食べないのか」

 身体によくないと言いたげな家康に、三成はきりっとした視線を向ける。

「いちいち指図するな。これでも意識的に食べた」

 わかりにくいが、家康にうるさく言われるのがたまらないから頑張ったという意味だ。食が細いのは心配だが、「頑張ったんだからいいだろう!?」とでも言うような反応が、家康には可愛くて仕方ない。

「じゃあ、その膳をこちらにくれ」

 言われて、三成は自分の前の膳を家康の方へ押しやる。家康は差し出された膳を引き寄せると、ひょいひょいと乗っている料理を口に運んだ。

 最初、いくら手を付けていないとはいえ、天下人が残り物を食べるなど…と言ったことがある。すると家康は、「天下人だからだ」と答えた。

 天下を治める者が、民百姓が丹精した食べ物を粗末にすることはできない。それに、料理を残して膳を返したら、心を込めて調理した厨番が悲しむ。だから、米の一粒も残さずに食べるのだ。

 その説明を聞いて、三成はもっともだとうなずいた。豊臣政権下で年貢の策定や田畑の検地をおこなっていた三成にも、米がどれほどの手間をかけて作られるかはわかっていた。それ以来、三成は全部食べきれないと思ったときは、多い分は最初から手を付けずに家康に回している。

 だが、アジの干物を頭から食べる家康を見て、ちょっとげんなりする三成だった。




 ズキズキと腹が痛み始めたのは、昼前のことだった。慣れた感覚に、三成は動じることもなく手水に立つ。

 腹痛は、案の定、月のものが来たせいだった。手際よく処置を終えると、三成は部屋に戻り、荷造りを始める。荷造りと言っても、身一つで来たようなものだ。どちらかと言うと身辺整理と言う方が正しい。

 これまでは、もしかしたら家康の子を孕むかもしれない。そのときにその子が家康の子だと証し立てできなければ、禍の種になるかもしれない。と考えて、部屋を出ることすら自重していた。だが、孕んでいないとわかった以上、おとなしくとどまり続ける義理はない。

 そして、三成は着ている装束を解くと、鎧下と甲冑を着け始めた。久しぶりに着る甲冑はずしりと重たかったが、それも慣れだ。動いているうちに感覚を取り戻すだろう。

 甲冑も愛刀も陣羽織も、丁寧に葛篭にしまわれていた。三成は陣羽織を羽織ると、愛刀を左手に持つ。すらりと抜き放つと、一点の曇りもない刀身が陽の光を反射した。刃の状態を確認した三成は、刀をふたたび鞘に納め、部屋を出ようと足を踏み出す。

 そこへ、家康がバタバタと駆けつけてきた。

「三成!」

 甲冑を着け始めた三成を見た侍女が、知らせに行ったのだろう。三成は厄介気にため息を吐いた。

 黙って出ていくつもりだったのだが。

「三成。戦支度なんかして、どうしたんだ」

 家康は信じられないという面持ちで、戦装束をまとった三成を見つめる。その家康を、三成は冴えた眼差しで見つめ返した。

「どうしたもこうしたもない。私は大坂に帰る」

「帰る? 三成の住まいはここだろう?」

「私はここに住まうと言った覚えはない」

「そんな…! ワシは、三成はずっとこの城にいると思っていたぞ。最初は出ていくと言っていたのに、今日までいてくれたじゃないか」

「それは、出ていけない理由があったからだ。だがもうその理由はなくなった。私はこの城を出る」

「理由…? まさか!」

 首を傾げた家康は、だが、次の瞬間に思い当たって声を上げた。その様子を見ていた三成の眦がきりきりとつり上がる。

「貴様……さては、わかってやっていたな!?」

「いや、待て、誤解だ三成!」

「誤解なものか! そこへ直れ、斬滅する!!」

 ちゃきっと音を立てて、三成の刀の鯉口が切られる。腰を落とし、柄に手をかけた三成の態勢は、居合の構えそのものだ。

 丸腰の家康は、一瞬の思案ののちに、大きく歩を踏み出して、一気に三成との距離を詰めた。そして、いきなり至近に来た家康に意表を突かれた三成の腕を掴んで引き寄せると、その太い腕でがしりと抱きすくめた。

「な…っ、なにをする!」

 三成は身じろいだが、その腕が容易に緩みはしないことは、毎晩その腕から逃れられない三成自身が一番よくわかっていた。

「聞いてくれ、三成。全部が誤解とは言わないが、それでも、やっぱり誤解だ。ワシが三成を毎晩抱くのは、ただ、三成が愛しくて仕方ないからだ」

 家康の胸に抱かれた三成は、静かに懇願する家康の声を、おとなしく聞く。もっとも、そうするほかないからなだけで、表情は変わらずに険しい。

「それでも……貴様、子種をつければ私が部屋から出ることはないと、わかっていてやっていただろう!?」

「それは仕方がない。ワシは三成との子が欲しいんだ」

「…!!」

 けろりと返されて、三成は絶句して押し黙る。開き直った家康ほど、性質の悪い存在はない。

「あれだけ抱いていて、月のものが来てしまうとは、思っていなかった。ワシの誤算だ。だが、ワシの子が宿っている可能性がなくなったからと言って、すぐに出ていくことはないだろう?」

「戯言を言うな。孕んでいないとわかった以上、この城にとどまる道理はない」

 ぐいぐいと家康の身体を押しやろうと頑張りながら、三成は言い返す。だが、もともと膂力で敵う相手ではないうえに、そろそろ貧血を起こしそうになっていた。

 普段から、食が細いせいで貧血を起こしやすい。月のものが来ている間はなおさらで、半兵衛の許で学んでいる頃から、よく倒れていた。いまももうクラクラし始めている。

「放せ、家康」

 焦った三成が、ぐっと全身に力を込めた時だった。とうとう、視界がクラリと回る。

「三成」

 崩れ落ちた三成の身体を、家康が支える。そして、軽々と三成を抱え上げると、城の奥に向かって歩き出した。




 立ちくらみから回復した三成がいたのは、与えられていた部屋とは違う座敷だった。襖があるのは一方だけ。それもぴったりと閉じられて、えも言われぬ閉塞感がある。

 立ち上がり、襖を開けると、そこにはしっかりとした格子がはまっていた。

 座敷牢か。

 部屋を見回すと、刀が取り上げられている。格子を破るのに使えそうなものも置いていなかった。

 格子の向こうに人影が差し、三成が目を向けると、そこには家康が立っていた。

「家康! いったいこれは、どういう料簡だ!」

 ぎりぎりと睨みつけながら叫ぶと、家康は人好きのする笑顔でにこりと笑った。

「三成がいけないんだぞ。この城を出ていくなんて言うから」

「ならば、腱を斬るなり、脚を折るなり、するがいい」

「馬鹿なことを言うな!! 三成を傷つけるなんて、できるわけがないだろう!」

 なに不自由ない身体なら自分の意志でここにとどまることはないと暗に言う三成に、家康は本気で怒鳴った。

 一瞬驚いた三成は、だが、気を取り直すと怒鳴り返す。

「馬鹿は貴様だ!! 私をこの城に置いて、貴様になんの益がある!? くだらない感傷で私に情けをかけるな! 私を憐れむな! 貴様に同情されるほど、私は零落れていない!!」

「憐れんでなんか、いるものか!!」

 その家康の叫びが悲痛で、三成は反射的にびくりと身をすくめる。いったいどういうつもりかと家康の言葉の続きを待つと、家康は悲しげに続けた。

「三成を憐れんだことなどない。同情なんかしたことはない。三成、ワシはただ、三成が愛しくて仕方ないだけなんだ。三成にそばにいてほしい。ワシの腕の中にいてほしい。それで三成が微笑んでくれたら嬉しいし、三成が幸せになったらもっと嬉しい。ただ、それだけなんだ」

 思いの丈を打ち明けた家康に、だが三成は冷ややかに答える。

「世迷い言はそれだけか? 天下を治めた貴様が、私情での行動を許されると思っているのか。貴様は秀吉様と半兵衛様が切望された天下を手中に収めた。お二人のご遺志を託されたも同じことだ。万が一にも、それを揺るがすことなど、許されない。自分の立場を自覚しろ」

「三成……」

「情で動くな。けじめをつけろ。秩序を守れ。それもできずに天下を治めることなどできはしない。優先順位を間違えるな。弱音を吐くな。弱みを見せればすぐにつけこまれる。常に毅然と立て。私のことにかまけている暇はないはずだ」

 三成が言い終えるかどうかのうちだった。

 家康が格子の戸を開け、中に入ってきた。まっすぐに三成に歩み寄ると、三成に身構える間も与えずに抱きすくめた。

「家康…っ!?」

 驚く三成に、家康はささやくように告げる。

「やはり三成がいい。三成にこそ、ワシの隣で、ワシを支えてほしい。そして、ワシが作る太平の世を、一緒に見届けてほしい」

「家康」

 何度撥ね付けても、家康は変わることなく三成の存在を熱望する。三成は自分の意見が通らないもどかしさと、ひとかけらも揺るがない家康の意志に、困惑して言葉が見つからなかった。

「でも、三成。ひとつだけ、三成が間違っていることがある」

「なにっ?」

「絆の力で天下を治めるには、弱みは見せていいんだ。お互いの弱みをお互いの強みで補い合って、お互いがお互いを信頼し合って、太平の世を作っていく。ワシはそういう天下にしたいんだ」

「甘えたことを」

 容赦のない三成の感想に、だが、家康は微笑みを崩さずうなずく。

「うん、そうだな。でも仕方がない。ワシだって甘えたいときもあるし、甘えられる人にそばにいてほしいと思うこともある」

「それが私だと言うのか」

「そうだ。だから、いてくれ、三成」

 困惑したまま話を聞いた三成は、やがて、とん、と家康の胸を押した。離れたいということだと気付いた家康が腕を緩めると、三成はするりと抜けだした。

「私は敗軍の将だ。秀吉様と半兵衛様が望まれた、天下統一された世を乱さないために、ここにいることはあってはならない」

 この城に入ったときから変わらない三成の決意に、家康は残念そうに肩を落とす。その家康に気付いているのかいないのか、三成は「だが」と続けた。

「世がまた乱れようとした時、私はそれを阻止せねばならない。そのためには、私はまだ死ぬわけにいかない。体調が回復するまでは、ここで厄介になる」

 途端に、家康の表情が晴れる。

「三成…! そうか、よかった!」

 再び抱きしめようとする家康の腕を、三成はゆらりとかいくぐる。

「ただし、部屋はここでいい。咎人には似合いの部屋だ」

 それは、自分は家康の正室でも、客人でもないと突きつける言葉だった。家康は「そんなことを言うな」と言いかけたが、三成の佇まいがあまりに孤高で、言葉を飲み込んだ。


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