ようやく羅刹たちを見つけた先で見たものは、血に飢え、暴走した羅刹の隊士と、彼らに今にも切り捨てられそうになっている少年の姿をした少女だった。
葛葉は反射的に少女に駆け寄ると、短刀を構え、少女を背に庇う。ほぼ同時に、駆けつけるなり抜刀した斉藤の一閃が、羅刹の隊士を切り捨てた。
「あーあ、残念だな……。僕ひとりで始末しちゃうつもりだったのに。斎藤君、こんなときに限って仕事が速いよね」
斎藤に先を越された沖田が楽しそうにひとりごちた。
「俺は務めを果たすべく動いたまでだ。……あんたと違って、俺に戦闘狂の気はない」
淡々と言い返した斎藤に、沖田は「うわ、ひどい言い草だなぁ」と苦笑した。斎藤の言葉を否定しない沖田に、斎藤は呆れたようにため息を吐く。
「……否定はしないのか」
「でもさ、あいつらがこの子を殺しちゃうまで黙って見てれば、僕たちの手間も省けたのかな?」
「さぁな。……少なくとも、その判断は俺たちが下すべきものではない」
斎藤は土方の判断を待つべく、口を閉じた。その土方は刀に手をかけ、少女を見下ろしている。
「……運のない奴だ」
仕方なさそうに土方がつぶやく。少女が今の一部始終を目撃している以上、野放しにできない。土方がどうしようとしているのか、続く言葉を待つまでもなく、葛葉にはわかっていた。
「土方殿。わたくしにも、この子と同様の処遇を」
「なんだと?」
葛葉が土方の先を制してそう言ったのは、土方がこの少女に斟酌ない判断を下すことを避けたい一心からだった。自分がそれほど大した存在ではないことは重々承知しているが、それでも、土方が少女に下そうとしている決断と同じものを葛葉に下すことをためらうのなら、もしかしたら、少女にも寛大な扱いをしてくれるかもしれない。
「わたくしも、土方殿に見てはならないと言われていた存在を目撃しました。この子の罪が許可も得ずに彼らを見たことであるのなら、わたくしも同罪のはず。まして、わたくしは彼らが目にしてはならない存在だと承知しております。なればこそ、この子より重い処遇を受けて然るべきと存じます」
怯むことなくきっぱりと言い切った葛葉に、土方はきりきりと表情を険しくした。
「俺ぁ、てめえに『許す』と言ったぜ」
「それは、同行の許可と理解しております」
「同行を許したってことは、その先で見るもんも許したってことだ」
「土方殿」
食い下がろうとする葛葉に構わず、土方は抜刀すると、葛葉越しに少女に刃先をぴたりと向けた。
「いいか、逃げるなよ。背を向ければ斬る」
ぽかんと土方を見上げていた少女は、慌てたようにこくこくとうなずいた。その無垢な反応に、土方は苦々しくため息を吐き、刀を鞘に納めた。
葛葉はほっとして、少女を庇っていた身体の力を抜く。沖田は揶揄するように口を開いた。
「あれ、いいんですか、土方さん。この子、さっきの見ちゃったんですよ?」
「……いちいち余計なこと喋るんじゃねえよ。下手な話を聞かせちまうと、始末せざるを得なくなるだろうが」
土方の少女を守る発言に、沖田はちらりと視線を少女に投げかける。
「この子を生かしておいても、厄介なことにしかならないと思いますけどね」
だいたい、余計なことと言うなら、すでに葛葉がだいぶ口走っている。土方がそれを認識しているかはわからないが、沖田はだからこそ余計に、子供もここで殺して浪士に責任を被せてしまえばいいと思う。
「とにかく殺せばいいってもんじゃねえだろ。……こいつの処分は、帰ってから決める」
「俺は副長の判断に賛成です。長く留まればほかの人間に見つかるかもしれない」
周囲に目を配っている斎藤が、土方と沖田の言い合いに割って入る。確かに、長くいればいただけ、人目に付く危険性は増していた。世間に羅刹の存在と新選組を関連付けて認識されるわけにはいかない。
斎藤は自分が斬り捨てた隊士を見下ろし、無感情に言い放つ。
「こうも血に狂うとは、実務に使える代物ではありませんね」
「……頭の痛ぇ話だ。まさか、ここまでひどいとはな」
同じように足元の死体を一瞥すると、土方は不意に沖田と斎藤と葛葉を睨んだ。
「つーか、おまえら。土方とか副長とか呼んでんじゃねえよ。伏せろ」
「ええー? 伏せるもなにも、隊服着てる時点でバレバレだと思いますけど」
沖田の反論に、葛葉ももっともだとうなずいた。新選組の浅葱の隊服は京の町に知れ渡っている。だが、私闘を禁じる局中法度がある以上、隊服を着ずに出動することはできなかった。如何ともし難い矛盾に、葛葉はこっそりため息を吐く。
脱線しかける土方と沖田に、斎藤が至って現実的な問いを投げかける。
「……死体の処理は如何様に? 肉体的な異常は、特に現れていないようですが」
「羽織だけ脱がせとけ。……後は、山崎君がなんとかしてくれんだろ」
少し考えた土方は、すっぱりと指示を下す。斎藤は「御意」と応えて、作業に取り掛かった。
「隊士が斬り殺されてるなんて、僕たちにとっても一大事ですしね」
「ま、後は俺らが黙ってりゃ、世間も勝手に納得してくれるだろうよ」
斎藤と葛葉が作業する横で、くすくすと笑う沖田に、土方が応える。少女がこくりと息を飲んだのに葛葉は気付いた。特別な感慨もなく人の死が処理されていくこと、特に何も告知されなければ日常の中の出来事のひとつで片付けられてしまうことに、怖気たのだろうと思う。
少し迷ったが、この場で少女が斬られる心配はもうなさそうだと判断した葛葉は、少女の前を離れて、斎藤の作業を手伝いはじめた。
「葛葉、汚れるぞ」
「かまわないわ。汚れるのは斎藤殿だって同じでしょ」
斎藤はそれでも止めさせたそうに葛葉を見ていたが、手を止めている暇はないと気付いて、作業に戻る。血の海の中でぐちゃぐちゃになった布地を死体から剥がすのはなかなか骨が折れる作業だったが、斎藤と二人でだったので、それほど手間取らずに済みそうだった。
「ねえ、ところでさ。助けてあげたのに、お礼のひとつもないの?」
「……え?」
突然、沖田の矛先が少女に向いて、少女はびくりと反応した。
「そんな、助けてあげたのにって……」
困惑した声が少女の口から洩れる。まったく、沖田も随分と場違いに恩着せがましいことを言う。葛葉は非難する眼差しを沖田に向ける。
だが、少女は葛葉が思っているよりも、素直で、そして案外と胆が据わっているのかもしれなかった。
「あの、ありがとうございました。お礼を言うのが遅くなってすみません。……色々あって、混乱していたもので」
服の汚れを払い、居住まいを正して頭を下げる様子は、とても行儀よく躾けられた、きちんとした育ちの子のものだった。葛葉はこんなときでも取り乱さずに礼を言える少女に感心する。
だが、斎藤は面食らったように目を見開き、土方は苦虫をかみつぶした顔で押し黙った。
「わ、わたしも場違いかなとは思いましたよ!? でも、この人がお礼を言えって―――」
顔を上げた先にあった反応に、少女もつい反論する。彼女が示した先では、沖田が腹を抱えて笑っていた。
「…………」
「あ。……ごめんごめん。そうだよね、僕が言ったんだもんね」
あんまりと言えばあんまりな沖田の反応に言葉を失った少女に対して、沖田は背筋を正して向き直る。
「どう致しまして。僕は沖田総司と言います。礼儀正しい子は嫌いじゃないよ?」
「……。ご丁寧に、どうも……」
沖田の応えに、少女はもう一度ぺこりと頭を下げた。
「……わざわざ自己紹介してんじゃねえよ」
一瞬場が和んだところへ、土方の呆れた声が割って入る。
「副長。お気持ちはわかりますが、まず移動を」
羽織をすべて回収した斎藤が、それらをまとめて立ち上がると、土方に声をかけた。その声に促されるように、沖田が少女の手首をつかみ、歩き出す。実は女子なのだと気付いているのかどうか、斟酌ない扱いで、沖田は少女を引きずるように連行する。葛葉は止めることができず、せめてもの思いで少女の隣についた。
「己のために最悪を想定しておけ。……さして良いようには転ばない」
少女に目を向けた斎藤が、ぽつりと彼女に忠告をした。内容は、葛葉が思ったのとは正反対のもの。その容赦のなさに葛葉は驚いたが、少女もぎくりとした反応を返した。
「大丈夫よ。心配しなくていいわ。わたくしが守ってあげる」
声を潜めて、葛葉はそっとささやく。だが、それが少女の気休めにさえなっていないことは、その様子で容易に知れた。
「……そうよね。こんな状況で、信じてなんて、言えないわね」
歯を食いしばり、必死に前を向いてついてくる少女の気持ちを、わずかでさえ和らげることができない自分の言葉の無力さに、葛葉は自嘲してぽつりとつぶやいた。少女は、葛葉のつぶやきに気付かない。それだけ少女の恐怖が大きいのだと思うと、なおのこと、葛葉には切なかった。
今にも殺されるかもしれないというときに、根拠のない気休めでは、効果はないということだ。葛葉はきゅっと唇を引き結ぶ。
この子をこんな理由で殺させはしない。かたかたと小さく震えながら連れて行かれる少女の細い肩を見て、葛葉は決意を固めた。
翌朝、朝食を終えてすぐに、幹部が顔をそろえる中、局長と総長による事情聴取が行われた。土方たちが連れ帰った少女の処遇を決めるためだ。葛葉は不審な外出者を見つけて土方に報告、同行を許されるまでを、斎藤はその後、無断外出した隊士を粛清して、目撃者を連れて屯所に戻るまでを、かいつまんで説明する。
その後は、目撃者として連行された少女の聴取が行われた。彼女が少女だと気付いている者は、どのくらいいるのだろうか? 土方と斎藤くらいは気付いているかもしれないが……。
葛葉は広間の末席で、はらはらしながら事の推移を見守る。いざとなれば、僭越を承知で、少女を庇わなくては。
やがて、彼女が女子だということと、雪村綱道という蘭方医の娘だということが明らかになった。話は途端に、彼女を保護する方向に傾く。
「あの蘭方医の娘となりゃあ、殺しちまうわけにもいかねえよな」
「君の父上をみつけるためならば、我ら新選組は協力は惜しまんとも!」
土方が面倒臭そうに言う横で、近藤が力強く言い切る。葛葉がなにをするまでもなく、彼女―――雪村千鶴が新選組で保護されることは決まった。千鶴の表情がぱっと明るくなる。葛葉は内心でほっと胸をなでおろした。
「本来であればここのような男所帯より、所司代や会津藩に預けてやりたいんだが……」
「隊士として扱うのもまた問題ですし、彼女の処遇は少し考えなければなりませんね」
すまなさそうな近藤に、山南がうなずいて次の問題を提起する。土方はなにを迷うことがあるとばかりに口を開いた。
「なら、誰かの小姓にすりゃいいだろ? 近藤さんとか、山南さんとか―――」
「やだなぁ、土方さん。そういうときは、言いだしっぺが責任取らなくちゃ」
いかにも面倒くさそうな土方に、笑って絡んだのは沖田だ。
「ああ、トシのそばなら安心だ!」
沖田の邪気に気づくこともなく、近藤がとてもいい笑顔で賛成する。土方は慌てて近藤に反論した。
「ちょっと待てよ、近藤さん。俺のところにはもう葛葉がいる。局長に小姓がいねえのに、補佐のいる俺が小姓を持てるはずがねえだろ」
「そうか? いろいろと事情のある子だからこそ、トシのそばがいいと思うんだが」
「そういうことで、土方君」
「山南さんまで……。補佐は葛葉がいてくれて充分間に合ってんだ、この上小姓なんていらねえんだよ」
「しかし、そうは言っても……」
「あの、では、わたくしが土方殿の補佐を外れましょうか。わたくしは炊事係とでもしていただけるなら、それで構いませんし」
「葛葉までふざけたこと言うな。おまえ以外の誰に俺の補佐が務まるってんだ」
「ですけれど……」
「おまえは余計なこと考えねえで、俺の隣にいりゃいいんだ。わかったな?」
「え……っと……」
意味深にも取れる土方の発言に、葛葉は驚いて目を瞬く。沖田と藤堂が、すかさず土方に絡んだ。
「土方さん、それ、聞き方によっては違う意味にも聞こえるけど」
「それって、『俺の嫁』宣言ってこと?」
「馬鹿野郎、なんでこれで嫁宣言になるんだよ」
「土方さん! もしかして、葛葉のこと、もう余所に嫁に行けねえ体にしちまったんじゃ……!!」
原田が冷静に藤堂をたしなめる横で、永倉が素っ頓狂な声を上げる。土方は本気で彼らを怒鳴りつけた。
「うるせえ!! 葛葉が毎晩遅くまで俺の部屋にいるのは仕事のためだ。下種な勘繰りしてんじゃねえ! それと、葛葉が俺の嫁かどうかは今話すことじゃねえだろ! こっちのこいつをどういう名目で隊に置くかってことじゃねえか」
「だからそれはトシの……」
「近藤さん、だからそれは諦めてくれ。俺は葛葉が補佐じゃねえと仕事が回らねえし、局長に専属の従者がいねえのに、これ以上俺の従者を増やすわけにいかねえんだよ」
「土方君の意見はもっともですが、この子を充分に監視できる人という意味では、君が適任ですよ」
「だから山南さん……」