桜守 03

 土方、近藤、山南の間で、わあわあと平行線の言い合いが始まる。おろおろと井上が仲裁に入るきっかけを探すが、口の達者な土方・山南の論戦に頑固な近藤が加わっているとあっては、温和な彼に入る隙があろうはずがない。沖田はにやにやと成り行きを見守っているし、永倉・原田・藤堂はあきれ顔だ。千鶴に至っては、不安そうな表情を浮かべてぽつんと座っている。

 どうしたものか、と葛葉が眉を寄せた時だった。時の鐘が四つ響く。

「あら、もう四つ時なの? いけない、お昼の支度をしなくちゃ! ああ、あとそれから……」

 葛葉には炊事当番は回ってこないが、隊内唯一の女手とあって、なにかと頼りにされることは多い。そうでなくても、昼までに終わらせておかなければならない細々とした仕事がそのままになっていた。

「いっけね、昼飯の当番、俺だった!」

 永倉が慌てて立ち上がり、勝手場へと走り出す。葛葉も土方がうなずくのをちらりと目を向けて確認し、立ち上がった。

「千鶴ちゃん。あなたも来て、手伝ってちょうだい。結論が出るまでは、どうせなにもしようがないのだから」

 千鶴がいない方がここに残る幹部は話がしやすいかもしれないと思った葛葉は、とっさに千鶴にそう声をかけて、広間から連れ出す。千鶴は面食らいながらも、葛葉についてきた。

「あの……?」

 廊下に出たところで、千鶴が声をかけてきた。葛葉は「なに?」と問いかけるように振り向き、千鶴の困った表情を見て「あら」とつぶやいた。

「自己紹介がまだだったわね。わたくしは信田葛葉というの。土方殿の補佐をさせていただいているわ」

「雪村千鶴です。よろしくお願いします」

 あの評定の場に葛葉も最初からいたから、千鶴の名前も素性もすでに知っているのだが、千鶴は丁寧に名乗ると頭を下げた。葛葉も「こちらこそ」とお辞儀する。

「あの、隊士の方……なんですか?」

 勝手場へと歩き出した葛葉についてきながら、千鶴が問いかける。葛葉はゆるゆると首を振った。

「わたくしは隊士ではなくて、土方殿の個人的な使用人という扱いになっているわ。だから、評定にも同席はさせてもらえるけれど、発言は許されていないの。助けてあげられるようなことがなにも言えなくて、ごめんなさいね」

「いえ……。それで、皆さんのことを職名で呼んでいなかったんですね」

「一応、ね。なにかあったら、いつでもなんでも言ってちょうだい。わたくしにも力になれることがあると思うの。この屯所で、女はわたくし一人だし。すべては無理かもしれないけれど、できる限りは力になるわ」

「ありがとうございます」

 話している間にも、勝手場に着く。中では永倉がばたばたと慌ただしく鍋を出したり、水を汲んだりしていた。

「永倉殿、手伝うわ」

「葛葉、有難え! なにを用意するかも考えてなかったから、どう手を着けたらいいかわかんなくてよ」

 永倉にうなずいた葛葉は、袂から紐を取り出すと手際よく襷をかけ、隣の千鶴を振り返る。

「千鶴ちゃん、料理は作れる?」

「はい」

「じゃあ、お鍋に水を張ってちょうだい。人数が多いから、量も多いわ。重たいから気を付けて。あと、手に負えないと思ったら、無理しないで言ってね」

「はい」

「永倉殿、食材はなにがあるの?」

「大根と、漬物がすこし。あとは……」

「じゃあ、大根のお味噌汁にしましょう。千鶴ちゃん、お鍋の面倒、お願いね。永倉殿はかまどの用意をお願い」

「よっしゃ!」

「はいっ」

 葛葉のてきぱきとした差し振りに、永倉はもちろん、千鶴まで歯切れよく返事する。葛葉は大根を取ると、葉を切り落とし、持ちやすい大きさに切り分けて、くるくると皮をむき始めた。

 千鶴が大鍋をかまどに据えて、桶で水を注ぐ。隊士全員分の味噌汁は、かなりの量の水が必要だ。千鶴はせっせと水をくむ。その様子は、目の前の仕事に集中しているようだった。

 これならとりあえず、昼食の時間までは、千鶴も自分の置かれた状況を忘れることができそうだと、葛葉は安堵のため息を吐いた。




 結局、千鶴は新選組預かりの少年として、屯所に寝起きすることになった。葛葉の部屋の隣に専用の部屋が与えられ、千鶴は基本的にそこに引きこもっているようにと土方は指示した。

 千鶴の部屋は、葛葉の部屋とふすまでつながっている。葛葉は千鶴の面倒を見るようにと土方に言われ、そのために……ということだったが、土方の言葉の裏には、可能な限り千鶴を監視しているようにという裏の命令が含まれており、部屋の措置もそのためというのが本当のところだった。

 もっとも、葛葉は一日のほとんどを土方の部屋で過ごしているから、自室にいる時間など、眠るときくらいしかなかったのだけれど。そして、土方自身も、葛葉に千鶴の監視を命じておきながら、変わらずに傍らから離さず補佐の職に就かせていた。

 その土方は、今は大阪に出張している。葛葉は随行したかったが、いくら補佐でも女を連れて出張などできないと言われて、仕方なく留守居をしていた。

 留守居と言っても、ただ土方の部屋に座っているだけではない。やることはいくらでもある。土方が書いた草案の清書や整理、土方宛に届いた書状の内容確認と必要に応じての近藤への報告などなどなどなど……。

 結局、千鶴の監視どころか、他愛のないちょっとした会話を食事時に交わすくらいしか、接点は持てていない。もっとも、千鶴の監視だけに限って言えば、試衛館派の幹部全員が代わる代わるに行っているので、葛葉が見られなくても大きな支障はない。

 本当は、もうすこし千鶴と接点を持って、千鶴のことを知りたい。葛葉の勘が当たっているなら、千鶴はとても稀な存在であるはずだった。それが真実かどうかを知りたいし、真実ならいくつか講じなければならない対策がある。それをでき得るのは、今現在、この屯所内では葛葉一人だ。

 そのような考え事をしながら土方の部屋を片付けていた葛葉は、土方の筆が駄目になりかけていることに気づいた。

 勝手に捨ててしまうことはできなくても、土方が筆を替えたいと思った時のために新しいものを用意しておくことは必要だろう。そう思った葛葉は、買い物に出かけることにした。

 大ぶりの肩掛けを手に取り、部屋を出る。武家でも公家でも町人でもない葛葉の服装は周囲からとても浮く格好なので、外出するときは極力隠すように努めている。ばさりと羽織りながら、葛葉は玄関に向かう。

「葛葉、どこへ行く?」

 廊下を歩いていると、斎藤に呼び止められた。葛葉は振り返ると、にっこりと応える。

「ちょっと買い物に」

「一人でか?」

「遠出するわけではないもの。みんな忙しいのを知っていて、一人で出かけられないなんて言えないわ。護身は一通り身に着けているし」

 咎めるような斎藤の口ぶりに、葛葉は苦笑する。確かに、葛葉の服装は浮いて見える分、目立つし、街中にはなにかにつけて刀をすぐに抜く浪士たちも多い。だが、女が一人で買い物に出かけることさえはばかられるほど治安が悪くはないし、身なりを隠して構えずに歩けば、葛葉一人が殊更に目立つということでもなかった。

 けれど、斎藤は苦い表情を崩さない。

「一緒に行こう。葛葉になにかあったら大ごとだ」

「なにかなんて……心配しすぎよ、斎藤殿」

「あんたはもう少し、自分の容姿と副長の心労を認識するんだな」

 ため息混じりに斎藤は言うが、葛葉にはなぜそのようなことを言われるのか、さっぱりわからなかった。ただ、斎藤がここまで折れないなら、おとなしく一緒に来てもらうしかない。

「……わかったわ。一緒に行きましょ」

 仕方なくそういうと、斎藤は「それでいい」と言うようにうなずいた。

 屯所を出ると、商店の多い大通りへと向かって歩き出す。大して歩かないうちだった。

「斎藤殿、ちょっと待って」

 そう言って、葛葉は足を止めると、そこにあった小さな祠に向き直り、手を合わせた。

「お待たせしてごめんなさい」

 すぐに祠の前を離れ、斎藤の横に戻ってくる。再び歩き出しながら、斎藤は訊ねた。

「稲荷信仰か」

 葛葉が拝んだのは、お稲荷様だった。伏見稲荷を勧請した、お札が一枚納まっているだけの小さな祠。だが、きちんと掃除されて、大事にされている。

 商売繁盛や子孫繁栄、家内安全などをお稲荷様に祈る町人は多いので、斎藤は葛葉もそうなのかと思う。だが、葛葉はゆるりと首を振った。

「ちょっと違うわ。……親近感、かしらね」

「親近感?」

「ええ。わたくしの名前、気付いて?」

 葛葉は軽く問いかけるが、斎藤はさっぱりわからずに、眉を寄せる。葛葉は教養ある武家の出身なのに知らないのかと思ったが、すぐに斎藤の出身地を思い出してうなずいた。

「斎藤殿は江戸のご出身だったわね。それでは、大阪の妖伝説はご存知なくて無理ないことかしら。大阪には、葛葉という白い狐の伝説があるのよ」

「葛葉……。それで、稲荷社に親近感か」

「ええ。おまけに、わたくしは稲荷鮨が大好きなの」

 いたずらっぽく付け加える葛葉に、斎藤はぷすりと吹き出す。

「なるほどな。案外、あんたの前世は狐なのかもしれん」

「わたくしも自分でそう思うわ」

 葛葉も一緒にくすくすと笑う。斎藤とこんな風に話すのは、久しぶりだった。斎藤の淡々とした中に抱擁感のある佇まいは、とても安らげて心地よい。

 目的の筆を買い終え、帰路に着く。何事もなく……どころか、気になる浪士の姿さえ、見かけることはなかった。

「結局、なにも心配するようなことはなかったわね」

「結果論だ。なにかあってからでは遅い」

 安心したように微笑む葛葉に、斎藤は淡々と反論する。そんな斎藤に、葛葉はちょっと困った表情を浮かべた。

 だが、反論する前に、また稲荷社を見かけて、葛葉は斎藤を振り返る。斎藤はすぐに察して、うなずいてくれた。葛葉は小走りに社に近寄ると、丁寧に手を合わせて戻ってきた。

「この社にも願をかけているのか?」

「いいえ。この社とか、どこの社とかいうことはなく、出会ったお稲荷様には全部に手を合わせているの。わたくしのは、信仰ではないから」

「親近感だから、か」

「そういうこと」

 ふっと笑う斎藤に、葛葉もふふっと笑い、「それにしても」と眉尻を下げた。

「護身なら身に着けていると、あんなに言っているのに……。信用されていないみたいで、ちょっと悲しいわ」

「あんたには悪いが、その通りだ。女人の言う『護身はできる』は当てにならん」

「あら、心当たりがあるの?」

「あるもなにも、今日の昼に相手したばかりだ」

 いったいどういうことかと訊くと、沖田と二人で庭にいた時に、千鶴の小太刀の腕試しをしたと斎藤は説明した。

「町の道場によくいる、素直な手筋の者だと判断した。だが、手筋が素直な者が、実戦で生還することは少ない」

「それでも、表に出してもいいと言ったのでしょ?」

「道場の稽古でなら、そこそこの評価を得られるだろう。そういう意味では、筋は悪くない。少なくとも足手まといにはならないという意味で、外に出してもいいとは言った」

「なら」

「だが、足手まといにならないのは自力で生き残れるのと同義ではない。護身を身に着けていると言っていながら、その程度では話にならん。つまり、実戦経験がない女人の自己判断は当てにならんということだ。だから、あんたの腕前がわからない状態で、あんたの護身を信用することはできん」

 斎藤の言うことには、いつもかならず筋が通っている。きちんと説明を聞くと、反論の余地は残っていない。葛葉は観念してうなずいた。

「確かにそうね。根拠も示さないで『信じて』なんて、理不尽だったわ。ごめんなさい」

「副長がいれば、あんたがひとりで外出することはあり得ない。あまり深刻になる必要もないと思うが」

「そうなの?」

 土方が葛葉を殊の外大切にしていることに気づいている斎藤は、さらりとそれを暗示したが、葛葉は斎藤の意図に気づかず、首を傾げる。鈍感にも見える葛葉の反応に、斎藤は一瞬、呆れたため息を吐きそうになったが、そうではないと思い直した。

 土方の執着に気づいていない葛葉は、確かに鈍感なのかもしれなかったが、それほどに謙虚だからこそ、土方に手厚く守られながらも葛葉の存在が嫉まれていないのだということも確かだった。

 そして土方のような高潔な男は、私情をあからさまにすることを、よしとはしないだろう。

 葛葉は知らなくていい。そう思い、斎藤は葛葉を振り返る。

「あんたは知らなくていい。ただ、副長の助けになることだけを考えていてくれ」

 そう言った斎藤の顔には、慈しむような微笑が浮かんでいた。


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