桜守 04

「今戻った」

 土方のよく通る声が屯所に響く。葛葉は土方の文机を整える手を止めて、玄関まで小走りに迎えに出た。

「おかえりなさいませ」

 上がり框に三つ指をついて、葛葉は一行を迎える。

 大阪出張に出ていたのは、土方と山南、数名の平隊士だ。山南は左腕を布で吊っていた。首から下がる白い布が痛々しい。その表情には陰が差し、山南の優しい面差しを陰鬱なものに変えていた。

「遠いところ、お疲れ様でございました」

 葛葉は山南に声をかけるが、山南は葛葉を振り向くこともしなかった。

「山南さん、手を貸そうか」

「結構ですよ、土方君。わたしが負傷したのは左腕だけですから」

 土方の助けを冷たい声で素気無く断った山南は、片手で草鞋の紐を解くと、取りつく島もなく奥へと入っていった。

 土方は困ったようにため息を吐き、草鞋を脱ぐと、差料を外して葛葉に向かって差し出した。葛葉は袂を手に巻くと、大小を受け取る。

「近藤さんは部屋にいるか? 出張の成果を報告したい」

「はい、いらっしゃいます」

 葛葉の返事にうなずいた土方は、近藤の部屋を目指して歩き始めた。

「あの、土方殿……」

 先ほどの山南の様子がただ怪我をしただけに見えず、葛葉は土方に問いかける。土方はうなずくと、目線でもっと近くに寄れと葛葉をうながした。

「山南さんの左腕は、傷がふさがっても、もう動かねえだろう。本人にはまだ話してねえが、薄々察しているらしい。少し荒れてる。しばらく、気に掛けてくれるか」

「はい」

 ひそめた声で早口にささやかれた内容に、葛葉はきゅっと息を飲み、返事する。

「近藤さんへの報告が済んだら、部屋で一服してえ。茶を用意しといてくれ」

「承知しました」

 近藤の部屋の前で足を止める土方に立礼すると、葛葉は土方の部屋へ刀を置きに向かった。




 夕方、葛葉は山南の部屋へと足を向けた。

 夕食の時間になっても、山南は部屋から出てこなかった。聞けば、大阪でも、負傷してからは人前で食事を摂らなかったのだという。広間に集まった幹部たちは、しばらくそっとしておくと暗黙の裡に了解したようだったが、葛葉はどうしても気になって、そのままにしておけなかった。

 勝手場で茶漬けを作ると、焼いた鮭をほぐしてまぶす。それに箸と匙を添え、香の物の小皿とともに、山南の部屋へと運んだ。

「山南殿」

 山南の部屋の前で、廊下に膝をつき、声をかけたが、返答はない。葛葉は重ねて声をかける。

「葛葉です。お食事をお持ちしました」

「要りません。下がってください」

 山南の硬い声が素気無く撥ね付ける。葛葉は閉ざされた障子に、もう一度呼びかける。

「山南殿」

「…………………………」

「大阪から、あまり召し上がっていないと伺いました。深手を負われ、お気落ちされておいでと心得ておりますが、どうぞ、すこしでも口をお付けくださいませ」

 だが、山南からの返事はない。これ以上、どう言葉をかけたらよいかと思案していると、すらっと障子が開いた。立って障子を開けた山南と、廊下に正座する葛葉の視線が交わる。

「入ってください。話は中で聞きましょう」

「ありがとうございます」

 促されるままに、葛葉は茶漬けを乗せた盆を携えて、部屋に入る。山南が自分の座に着くと、葛葉は盆を差し出した。

「片手でもお楽に召し上がれるものをご用意しました。お口に合うとよろしいのですが」

「土方君の差し金ですか? 余計なお世話です」

「土方殿はなにもおっしゃいませんでした。わたくしの独断です。差し出たことでしたら、失礼いたしました」

 丁寧にお辞儀する葛葉に、山南は変わらずに冷たい視線を向けている。葛葉は身を起こすと、無礼にならないように視線を伏せ、言葉を続ける。

「わたくしがこちらにお世話になって、まだそれほど経ちません。新参者の女が出過ぎた真似をと思われることでしょう。ですが、浅はかな女の身にも、山南殿がどれほど新選組に、近藤殿に、土方殿に、必要な存在かは、察することができました。失礼を承知で申し上げるならば、土方殿のために、山南殿を失うわけにはまいりません」

「その言い方は、確かに失礼ですね。わたしは土方君のために生かされるのですか」

 山南が自嘲の微笑みをこぼしながら切り返す。だが、葛葉は真剣に、真面目にうなずいた。

「わたくしにとっては、そうです。山南殿のことは、尊敬申し上げております。ですが、それ以上に、わたくしには土方殿がすべて。土方殿のためならば、どのような物言いもいたしますし、どのような謗りも甘んじて受けましょう。必要ならば、いつなりとこの命を絶ちます」

「…………………………」

「もしも、山南殿が己の利のために新選組に所属しているのでないならば、傷の回復に望みを失わず、体調の維持に気を使われることと存じます。わたくしの存じ上げる山南殿は、そのような強い精神をお持ちの剣士でした。傷のために、今は剣をお取りになれずとも、そのお心は失われていないと信じております」

 それまで、自分も含めたすべてを嘲る笑顔を浮かべていた山南が、はっと真顔に戻る。だが、山南の表情の変化には触れず、葛葉はすっと三つ指をついて山南の目を見つめ返す。

 そして。

「剣の道も知らぬ身で、生意気なことを申し上げました。一刻も早いご快復のために、どうぞお召し上がりくださいませ。冷めないうちが美味しゅうございます」

 深々とお辞儀をし、山南の返事も待たずに、葛葉は山南の部屋を辞した。

「……そこまで啖呵を切られては、口をつけないわけにはいきませんね」

 山南がふっと微笑んで茶漬けの盆に手を伸ばしたのは、葛葉の足音が聞こえなくなってからのことだった。




 葛葉が千鶴と勝手場で夕食の片付けをしていると、山崎が二人を探してやって来た。

「葛葉さん、風呂の順番です。入ってください。雪村君も」

「あら、わざわざありがとう、山崎殿。すぐに行くわ」

 そう答えると、葛葉は皿洗いを途中で切り上げて、千鶴と一緒に勝手場を出た。

 屯所内でたった二人の女性ということで、風呂を使うときは必ず山崎が見張りに立ってくれていた。山崎は多忙なので申し訳ないと断ったこともあったが、土方の指示だからこれも任務だと言われては、断れるはずもない。

 せめてと、葛葉と千鶴は二人一緒に湯を使うことで、その負担を減らすよう協力している。今日も、片付けは途中だったが、山崎が時間を取れるのは今のうちだけなのだと経験上わかったので、二人は急いで風呂場へ向かう。

 屯所の風呂場は決して広いわけではなかったが、女二人が譲り合えば、それほど窮屈でもなかった。

「千鶴ちゃん、今日の昼は大変だったのですって?」

「あ、はい。猫をつかまえるのに、沖田さんたちと走り回りました」

 湯船に浸かり、話しかけると、千鶴は楽しそうに答えた。少しずつ話す機会を重ねてきたことで、最近では千鶴も葛葉に打ち解けてくれている。

「大変でしたけど、楽しかったです。皆さん、土方さんに見つからないようにって、それをいちばん気にして」

「そうみたいね。あれだけ賑やかだったから、土方殿は当然、なにかあったことには気付いていらしたけど」

 くすくすと笑いながら指摘すると、千鶴は「ええっ!?」と声を上げた。

「みんな、せっかく頑張ったのに」

「いったい何事だって怒る土方殿を、近藤殿が止めたのよ。知らせに来ない気持ちを汲んでやってくれって。そうじゃなかったら、みんな、お夕飯のおかずが一品減っていたところだったわね」

「………………あれで一品減ったら、ご飯とお汁しかなくなっちゃいます」

 財政難の新選組では、食事のおかずが一品しかないことも珍しいことではなかった。今晩も、おかずはイワシの丸干し一尾だけだったのだ。

「よかったわね、近藤殿が止めてくれて」

「はい。……あ、そうだ」

 ふと思いついた千鶴が、ぱっと顔を上げて、葛葉を見る。

「どうしたの?」

 ぬか袋に手を伸ばしていた葛葉は、いったん手を戻して、千鶴に向き直る。その葛葉に、千鶴は至極真面目に問いかけた。

「葛葉さん、質問してもいいですか?」

「あら、改まってなにかしら?」

「葛葉さんは、土方さんの奥さんなんですか?」

「え……ええっ!?」

 驚きのあまり、葛葉は大きく飛び退こうとして、浴槽にぶつかり、勢い余って滑ると、ばっしゃんと音を立てて湯に沈んだ。

「く……葛葉さん!?」

「雪村君、どうした!? 葛葉さんになにかあったのか!?」

 慌てた千鶴が叫ぶと、戸の外で張り番をしていた山崎が飛び込んできた。

「きゃあああああ!!」

「すっ、すまない!!」

 思わず悲鳴を上げた千鶴の声で我に返った山崎は、急いで風呂場を出ていく。その間に、なんとか溺れずに浮かんだ葛葉が湯船の縁にもたれかかって深呼吸していた。

「あ、あの、驚かせてしまったみたいでごめんなさい」

「こちらこそ……ごめんなさい、ちょっと思いがけなかったものだから」

 頭のてっぺんまでずぶ濡れになった葛葉は、濡れそぼった髪をかき上げて背に流すと、姿勢を正して千鶴に向き直った。

「どうして、そう思ったの?」

「ええと……上手く言えないんですけど……葛葉さんに対してだけ、土方さんの態度が違って。すごく、葛葉さんのことを大事にしているように感じたんです。特別っていうか」

「……そう……」

 特別と言う言葉は、葛葉が土方の補佐を務めるようになって、いろいろなところから言われるようになった言葉だった。葛葉には、それはなにか誤解があってそう思われているだけではないかと思えて、仕方ない。たとえば土方が近藤の補佐をしていて特別に見えるのと、結局同じだと思うのだけれど。

「あと、わたしがここに来たばかりのとき、土方さんのお嫁さんだ……みたいなことを、皆さん言っていらしたような気がするんです。はっきりと覚えていないんですけど……」

 続いた千鶴の言葉で、葛葉は「ああ、やっぱり」と思う。あのやり取りが記憶のどこかに残っているから、葛葉のことをそういう存在だと思ってしまうのだ。

「あのね、千鶴ちゃん。あれは、永倉殿や沖田殿がふざけただけよ。わたくしが土方殿の奥様なんて……そんな不相応なこと。もし今近いお役目をさせていただいているのだとしても、それは、本当の奥様をお迎えになるまでの代わりにすぎないことよ」

 葛葉は千鶴に説明するが、千鶴は納得していない顔で葛葉を見つめ返した。もし本当に葛葉が言うとおりなら、土方はわざわざ山崎に入浴の張り番を頼んだりするだろうか。

「でも、葛葉さん」

 言いかけた千鶴の口に人差し指を当てて、葛葉はその先を封じる。ゆるゆると首を振り、葛葉はふんわりと微笑んで言い聞かせた。

「駄目なの。わたくしは土方殿の奥様になれないの」

「葛葉さん?」

「なれないのよ……」

 そう言った葛葉の表情がとても綺麗で悲しげで、千鶴はそれ以上なにも言うことができなくなってしまったのだった。


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