桜守 05

 窓を開けても風が通らない蒸し暑い部屋で、土方はいらいらと書き物をしていた。

「……ちっ!」

 書き損じに舌打ちし、ぐしゃりと紙を握り潰すと、背後へ投げ捨てる。は土方に風を送る手を止めると、それを拾い上げ、屑籠に入れた。

 土方の書き損じは、今日はやけに多い。この暑さも要因のひとつだろうと思う。なにしろ、は少しでも首筋に風を当てたくて、束ねた髪が背中に掛からないよう、かんざしで止めてしまったが、土方は女ではないからそうするわけにもいかない。背中を覆う長い髪は、羽織物を一枚余分に羽織っているのに近かった。

 だが、土方のいらつきは、おそらく暑さの所為だけではないだろう。は取り成すように口を開いた。

「そんなに心配なさらなくても、沖田殿がご一緒なのでしょう?」

「まあな。けど、総司のこった。なにかしらやらかす気がして仕方ねえ」

 この日、千鶴が屯所に来て初めて外出していた。「同行して許可なく離れるな」と命じた相手は沖田だ。沖田は千鶴のことをなにかにつけて突き放して扱うが、もともと千鶴に興味を持ってはいる。そのうえ、土方の命令もあるとなれば、少なくとも千鶴の安全に関して心配する必要はないはずだった。

 だが、土方はそれでも心配らしい。

「長州はそんなに不穏な動きをしているのですか?」

「あいつを半年も閉じ込めてたんじゃなきゃ、もうすこし情勢が落ち着くまで先延ばししたかった程度にはな」

 苦々しい土方の口調に、は悩ましげに眉をひそめる。

「これ以上日延べできない事情があってのこととは思いますけれど、そう伺ってしまいますと、やはり心配になりますね。沖田殿が一緒とはいえ、千鶴ちゃんは世の情勢も町の状況もわかっていないのですから」

「だが、綱道さん探しをこれ以上滞らせておくのもまずい。……気は進まねえが、ここが落としどころだろうよ」

「そうですか……」

 沖田をつけてもなお心配なほどの治安の町に外出した千鶴の身を案じて、は表情を曇らせる。

 そこへ、ばたばたと騒々しい足音が近づいてきた。

「副長!」

「なんだ、やかましい!」

 廊下で叫んだのは、平隊士の誰かか。土方が負けずに怒鳴り返す。はつと障子に寄って戸を開けた。廊下に、がまだ名前を覚えていない平隊士が一人、膝をついていた。

「一番組が巡察中に浪士と斬り合いになり、息のあった者を捕縛してきました。その中に、古高俊太郎がいると、総長が……」

、来い!」

「はい!」

 平隊士の言葉が終わらないうちに、土方はに声をかけて部屋を飛び出した。

 ざわついている中庭に出ると、そこには連行されてきた浪士や商人らしい男たちが引き据えられていた。

「副長」

 土方の姿に気付いた島田が駆け寄ってくる。

「状況はどうなってる?」

「捕縛時の詳しい様子は、今、山南総長が、沖田君と雪村君から聴取しています。ほとんどが不逞浪士ですが、この中に枡屋……古高と、数名の長州者が混じっていました」

「よし。そいつらは俺が取り調べる。蔵に連れてけ。……

「はい」

 島田に指示を出した流れで名を呼ばれ、は土方を振り返る。

「荒縄と蝋燭を用意しろ。あと、水桶もだ」

 低い声で口早に出された指示に、は動じることなく応じた。

「拷問するのですね」

「普通に訊いて、すんなり白状するとは思えねえからな」

「わかりました。五寸釘と、やっとこも用意しましょう」

 はあっさりとうなずくと、道具を取りに奥へ戻る。そのあまりに平然とした様子に呆気に取られた島田が後姿を見送っていると、土方は立て続けに指示を出した。

「古高とは関係ねえ浪士どもは奉行所に引き渡せ。それと、新八が屯所にいるはずだ。蔵で古高の取り調べをすると伝えろ」

「はい、副長」

 土方の指示にうなずいた島田は、永倉を探しに歩き出す。土方は蔵に向かおうとして、ふと足を止めた。

「斎藤」

「お呼びですか」

 不逞浪士を引き立てる二番組や、古高を蔵に連行する監察方などが入り乱れる中、斎藤がすっと群れから抜け出てくる。

「古高を拷問する道具を、が取りに行ってる。それを受け取ってこい。それで、を蔵に近づけるな」

「はい」

「誰でもいいから、幹部を一人つけて、できるだけ蔵から離れた部屋にいさせろ。いいな」

「承知しました」

 斎藤は質問もはさまずにうなずくと、屯所の中に入っていく。土方はこれでいいとばかりに、今度こそ蔵に向かった。




 土方の容赦ない責め苦の果てに古高が吐いたのは、誰ひとり予想だにしなかった計画だった。京の町に火をつけ、その混乱に乗じて天皇を長州へ連れ出す。尊皇派の計画とはとても思えないほど、過激なものだ。

 土方は古高の処置を二番組の隊士たちにまかせると、広間に向かった。広間では、幹部たちの見守る中、沖田と千鶴が山南にこんこんと説教されていた。

「外出を許可したのは俺だ。こいつらばかり責めないでやってくれ」

 そう割って入ると、山南は苦笑して引き下がる。いくら土方がかばったからと言っても、こうあっさり引くところを見ると、ずいぶん前から説教されていたようだ。

「……土方さんが来たってことは、古高の拷問も終わったんですか?」

 静かな原田の質問に、土方も穏やかにうなずくと、聞きだした計画の内容を説明した。

「奴らの会合は今夜行われる可能性が高い。てめえらも出動準備を整えておけ」

 様々な反応で幹部たちが了承する中、土方は斎藤を捕まえると、気になっていたことを質問した。

はどこにいる? てっきり、ここにいるもんだと思ってたんだが」

「ご報告しておらず、申し訳ありません。……ここでは、万が一、が副長を手伝うと言い出した時、止められる者がいそうにありませんでしたので」

 そう言って、斎藤は土方を促して広間を出る。土方がついていくと、斎藤はある部屋の前で足を止めた。

「ここで預かってもらいました」

「斎藤、てめえ……」

 部屋の主が誰だか知っている土方は、がっくりと肩を落とす。斎藤が声をかけて障子戸を開けると、中では近藤とが向かい合ってお茶を飲んでいた。

「おう、トシ。もう終わったのか?」

「土方殿、お疲れ様でした」

 平和な声で二人から声を掛けられ、土方は力なくうなずく。

「……説明しろ」

に、局長の話し相手を命じました。副長の代わりにと言えば、は決して違えませんので」

 呻くような土方の問いに、斎藤は淡々と答える。その横では、が近藤に暇の挨拶をしていた。

「それでは、近藤殿。わたくしはこれで失礼いたします。お役目を充分に果たせましたか、自信はございませんけれど、お役に立てましたなら嬉しゅう存じます」

「いやいや、充分だったよ。トシの渋面を見ながら飲むより、よほど茶が美味かった。また機会があれば、ぜひ頼みたい」

「ええ、その折には、ぜひ」

 和やかな二人の様子を見て、土方は、にいったいなにを話したのか、時間ができたら近藤を問い詰めようと心に決めた。




 夕暮れの迫る中、屯所では出動の準備が着々と進められていた。

 このところの気温の所為か、体調を崩している隊士が半数を占め、動ける全員で出動しても人数は充分ではない。作戦会議では、四国屋に行く本隊を土方、池田屋に行く別働隊を近藤、留守居隊を山南が指揮すると決まったが、頼みの綱として応援要請を送った守護職や所司代からは、なんの回答も来ていない。

 は喧噪の中、そっと部屋に戻った。胸に晒を巻いてふくらみを押さえ、単衣の襟をしっかりと合わせると、袴を履いて帯を固く締める。いつも持っている短刀を懐に持ち、最後に打刀を佩く。打刀を使うことはほとんどないが、扱うことに不安もためらいもない。

 隊士でないは隊服を着られない。残念だが、隊士でない自分がそこまで我が儘は言えない。納得はしていても、胸のどこかではすこしさびしかった。

 だが、留守居よりもずっといい。

 身支度を済ませて部屋を出ると、藤堂と行き合わせた。

!? どうしたんだよ、そんな恰好!」

「平助殿。近藤殿に、わたくしも同行する許可をいただいたの。微力ながら、お手伝いさせていただきます」

「同行って……なに考えてるんだよ!? 行った先で、斬り合いになるかもしれないんだぜ? 山南さんと一緒に屯所に残ることだって、充分手伝いになるだろ!? それで充分だって!!」

 年若いながら、女は男が守るものと信じている藤堂は、出動する準備が万端整っているに声を荒げる。はわずかに首を傾げた。

「そうかもしれないけれど、屯所には山崎殿が残られるわ。それなら、わたくしは土方殿の補佐として、同行したいの。女だてらに、というお叱りは覚悟の上よ」

「叱られるってわかってんなら、なんで!」

「平助殿も覚えてくださっているでしょう? わたくしは、土方殿のお役に立ちに来たの」

 それは、すっかり秋になったある日のことだった。屯所を訪れたは、通りかかった隊士―――後で知ったが、それは原田だった―――に、ここで働かせてほしいと懇願した。あまりに必死なその様子にほだされた原田が近藤に報告してくれ、の懇願と近藤たちの圧力に根負けする形で土方は了承してくれた。土方自身は、最後まで「心当たりがない」と言っていたけれど。

「命を助けてもらった恩を返しに来たんだっけ」

「ええ。だから、わたくしは土方殿の役に立ちたいの。土方殿に『もう要らない』と言われる、その瞬間まで」

「御用改めを終えて戻ってきたときに、が出迎えてくれることの方が、土方さんは喜ぶと思うけど?」

「そうかしら。わたくしには、土方殿は『女』の存在を求めておいでのようには、思えないわ」

「あー……」

 確かに、土方は女を必要としてはいない。妻として、情事の相手として、あるいは庇護する者としての存在である『女』は、今の土方にはまったく必要がない。だが、そういう意味ではないのだと、藤堂は言葉に困る。藤堂の次の言葉を待たず、は重ねた。

「実際にどう役に立てるかはわからない。でも、同行しなくては、お役に立てる機会を逃してしまうわ。最低でも足手まといにはならないから、どうぞ連れて行って」

 の言う「足手まといにはならない」とは、ただおとなしくしているという意味ではなく、足手まといになる状況を作ることはしないということだと、藤堂は感じた。仕方なく、はぁっと重いため息を吐く。

「ちぇっ。そこまで言われて突っぱねたら、男がすたるってもんじゃねえか。……わかったよ、俺は反対しない」

「ありがとう、平助殿!」

 珍しくが大きな声を出した瞬間だった。

「誰がなにに反対しねえって?」

 二人の会話に入ってきたのは、土方だった。

 思いも寄らない人物の登場に、も平助もとっさに言葉が出ない。土方は藤堂をちらりと見て牽制すると、の身支度をそれこそ頭のてっぺんから足の先まで見回した。

「なんでそんな恰好してやがる」

「本日の御用改めに同行するためです。同行の許可は、近藤殿にいただきました」

「……午後、一緒に茶を飲んでた時か」

「はい。このところの暑気あたりで、出動できる隊士が平時の半分しかいないことは、承知しております。ですので、雑務役として同行することを近藤殿に願い出ました」

「おまえは俺の補佐だろ。おまえの行動の可否は俺が判断する」

 それはだってわかっている。だが、土方に言えば、「駄目だ」と即答されて終わりだっただろう。だから、近藤に頼んだのだ。

 もちろん、それは土方も察しているのだろう。土方の鋭い眼差しが、ねじ伏せるようにを見据える。ここで負けては駄目だと、はぐっと胸を張ってその視線を受け止めた。

「足手まといにはなりません。お連れください」

「…………ちっ」

 静かなきっぱりとした声で言うと、土方は小さく舌打ちをする。


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