桜守 09

 到着した蛤御門は、確かに激しい戦闘があったようだった。だが、それももう終わったのか、周囲には負傷者が転がり、傷だらけの蛤御門は焼けた匂いに満ちた空気に包まれて静かに立っているだけだった。

 情報収集に数名の隊士が走っていくのを見送りながら、近藤がため息を吐いた。

「しかし……。天子様の御所に討ち入るなど、長州は一体何を考えているのだ」

「長州は尊皇派のはずなんだがなあ……」

 井上も理解しがたいと首を傾げる。尊皇派なら、なによりも天皇を敬っているはずなのだ。やっていることがまるで逆だ。

 そこへ、情報収集から戻った斎藤が報告に来た。

「朝方、蛤御門へ押しかけた長州勢は、会津と薩摩の兵力により退けられた模様です」

「薩摩が会津の手助けねぇ……。世の中、変われば変わるもんだな」

 皮肉気に笑う土方に、今度は原田が報告する。

「土方さん。公家御門のほうには、まだ長州の奴らが残ってるそうですが」

「副長。今回の御所襲撃を扇動したと見られる、過激派の中心人物らが天王山に向かっています」

 続けて山崎が報告する。情報収集できた土方は、思案するように黙り込んだ。その場の全員が、固唾を飲んで土方の指示を待つ。

「……忙しくなるぞ」

 やがて口を開いた土方の顔には、不敵な微笑が浮かぶ。土方の結論を待っていた幹部たちは、気持ちを高揚させて土方に注目した。

「左之助。隊を率いて公家御門に向かい、長州の残党どもを追い返せ」

「あいよ」

「斎藤と山崎には状況の確認を頼む。当初の予定通り、蛤御門の守備に当たれ」

「御意」

「それから大将、あんたには大仕事がある。手間だろうが会津の上層部に掛け合ってくれ。天王山に向かった奴ら以外にも敗残兵はいる。商家に押し借りしながら落ち延びるんだろうよ。追討するなら、俺らも京を離れることになる。その許可をもらいに行けるのは、あんただけだ」

「なるほどな。局長である俺が行けば、きっと守護職も取り合ってくれるだろう」

 近藤はあっさりとうなずくが、言うほど容易いことではないということは、近藤自身も含めたこの場にいる幹部の誰もがわかっていることだった。わかっていて、いちばん難しい政治的役割をさらりと引き受けるところに、近藤の人物の大きさが出るのだろう。

 そして、土方はいたずらっぽく付け加える。

「源さんも守護職邸に行く近藤さんと同行して、大将が暴走しないように見張っておいてくれ」

「はいよ、任されました」

 悪ガキの御守を引き受けるように、井上が穏やかにうなずく。はついくすっと笑ってしまった。周囲にもくつくつと小さな笑いが広がる。近藤もばつが悪そうに苦笑いした。

「残りの者は、俺とともに天王山へ向かう。―――

「お供します」

 呼びかけられて、はすかさずそう答えた。掃討戦は、相手も死にもの狂いだ。危険だからここで帰れと言うつもりだった土方は、先を制されて言葉に詰まった。

「大丈夫です。行きます」

 きっぱりと言い切ったの意思を変えさせることは、短時間では無理だと判断した土方は、静かにうなずいた。

「戦闘が始まったら、俺から離れるな」

「はい」

 そして、それぞれがそれぞれの役割を果たしに駆け出した。

 土方は、先頭を切って天王山目指して走る。はすぐ隣について走りたかったが、打刀を佩いて走るのは意外と負担が大きかった。遅れないように集団の後方について行くのがやっとだ。

 もうすぐ天王山というところまで来た時だった。

 道の先に亜麻色の髪の男が立ちはだかった。異様な気配を感じ取った土方は足を止め、後続の隊士にも止まるよう合図する。

 だが、勢いづいていた隊士が一人、そのまま駆け続け―――男の間合いに入った瞬間に、一刀で斬り伏せられた。

「てめえ、ふざけんなよ! ―――おい、大丈夫か!?」

 永倉が男に怒鳴り、斬られた隊士を抱き起す。だが、その隊士にはもう意識がなかった。

 土方隊の全員が、男に殺意を向ける。男はそれをあざ笑うように口を開いた。

「その羽織は新選組だな。相変わらず野暮な風体をしている。あの夜も池田屋に乗り込んできたかと思えば、今日もまた戦場で手柄探しとは……。田舎侍にはまだ餌が足りんと見える。……いや、貴様らは【侍】ですらなかったな」

 その声を聞いたは、はっとした。この声には聞き覚えがあった。

 風間千景! なぜ彼がここに?

 風間がここにいるということは、池田屋事件の時に見かけたと思ったのはやはり間違いではなかったのだ。風間は社会に関わりを持たずに暮らしていたはず。なぜここにいて新選組の前に立ちはだかるのか。

「……おまえが池田屋に居た凄腕とやらか。しかし、ずいぶんと安い挑発をするもんだな」

 鋭く風間を睨む眼差しを緩めることなく、土方は容赦ない冷笑を浮かべた。だが、風間は構わずに言葉を続ける。

「【腕だけは確かな百姓集団】と聞いていたが、この有様を見るにそれも作り話だったようだな。池田屋に来ていたあの男、沖田と言ったか。あれも剣客と呼ぶには非力な男だった」

 風間の不遜な口調に、ぎりっと土方が奥歯を噛む。その横で、永倉が殺意に満ちた剣を抜いた。

「―――総司の悪口なら好きなだけ言えよ。でもな、その前にこいつを殺した理由を言え! その理由が納得いかねえもんだったら、今すぐ俺がおまえをぶった斬る!」

 心底怒っている永倉を、風間はふんと鼻で笑った。

「貴様らが武士の誇りも知らず、手柄を得ることしか頭にない幕府の犬だからだ。敗北を知り戦場を去った連中を、何のために追い立てようと言うのだ。腹を切る時間と場所を求め天王山を目指した、長州侍の誇りを何ゆえに理解せんのだ!」

 風間が叫ぶ声には、怒りがこもっていた。は風間が新選組の足止めをするつもりなのだと理解する。だが、それでも、風間が社会に関わる理由には弱い気がする。風間は何を考えているのか……。

 一方で、土方は風間の話を聞き終えると、あきれた表情を浮かべた。

「偉そうに話し出すから何かと思えば……。戦いを舐めんじゃねえぞ、この甘ったれが」

「何……?」

 土方の反論が思いがけなかったのだろう。風間は刀の柄を握る手に力を込め、訊き返す。土方は風間の様子に構わず、言葉を続けた。

「身勝手な理由で喧嘩を吹っかけたくせに、討ち死にする覚悟も無く尻尾巻いた連中が、武士らしく綺麗に死ねるわけねえだろうが! 罪人は斬首刑で充分だ。……自ずから腹を切る名誉なんざ、御所に弓引いた逆賊には不要のもんだろ?」

 凛とした土方の声が響き渡る。理路整然とした論には、土方の覚悟がありったけこもっていた。生半可では論破することはできないほど、その覚悟と論は強固だ。

「……自ら戦いを仕掛けるからには、殺される覚悟も済ませておけと言いたいのか?」

「死ぬ覚悟も無しに戦を始めたんなら、それこそ武士の風上にも置けねえな。奴らに武士の【誇り】があるんなら、俺らも手を抜かねえのが最後のはなむけだろ?」

 土方の覚悟と風間の持論。相反するものであることは、にもわかった。もともと風間は他人の意見を聞き入れることなどない尊大な男だ。土方の論を聞いたところで、引くとは思えない。

 土方はすらっと刀を抜くと、先ほどから刀を構えたままの永倉を目で制する。永倉は悔しそうに顔を歪め、数瞬ののちに刀を収めた。

「で、おまえも覚悟はできてるんだろうな。―――俺たちの仲間を斬り殺した、その覚悟を」

「……口だけは達者らしいが、まさか俺を殺せるとでも思っているのか?」

 殺気漲る土方の言葉をいかにも余裕そうに風間が嘲った瞬間。

 ギィン!!

 剣戟の音が響き、土方は一合合わせてすぐに間合いを取った。土方がすぐに次の動きに入らないことで相手に強さを察した永倉が、刀の柄に手をかける。はとっさに飛び出して永倉の腕にすがった。

「駄目、永倉殿! 今はとにかく天王山へ。ここはわたくしに任せて」

? おまえに任せるって……」

「土方殿になにかありそうなら、何をしてでも止めるわ。だから」

 数瞬、納得しない永倉と見つめ合う。の強い眼差しに、永倉は納得できないながらもうなずいてくれた。

「土方さんよ。この部隊の指揮権限、今だけ俺が借りておくぜ!」

 土方は振り返らなかったが、永倉の言葉を了承したことだけは伝わってきた。永倉は隊士たちに号令をかけると、土方とを置いて天王山へと走り出す。

「貴様ら……!」

「余所見してんじゃねえよ。真剣勝負って言葉の意味も知らねえのか」

 風間が永倉の後を追えないよう、土方は微塵の隙もなく風間の進路をふさいでいる。風間の意識が隊服を着た集団と土方に向いているうちに、はこっそりと道端に寄り、周囲に紛れた。

 自分が風間を知っているように、風間も自分を知っている。本当に必要な瞬間までは、風間に見つからずにいたかった。それに、自分も永倉について行ったと思えば、土方をすこしでも煩わせずに済むだろう。

 商家の軒の陰に隠れながら、は瞬きする間も惜しんで二人の打合いを見守る。

 土方と風間は、一合打ち込んでは間合いを取ることを繰り返していた。相手の実力が、容易に打ち込みを重ねさせてくれないのだ。それは、土方も風間も同じようだった。打ち込み、離れ、呼吸を量ってまた打ち込む。その繰り返し。

 剣技自体は、拮抗しているのかもしれない。だが、風間の膂力は常人で太刀打ちできるものではない。風間が何者か知っているには、土方が打ち負けるのは時間の問題だとわかっていた。

 土方に髪一筋程の傷もつけさせない。はいつでも割って入れるように身構える。風間に顔を見られたら、の正体はすぐに土方にも知られてしまうだろう。でも、それで土方を守れるのなら、これまで隠し続けてきた正体が知られてしまうくらい、かまわない。

 の正体は秘密だった。そして風間はその秘密を知っていた。風間には秘密でもなんでもないことだからだ。もしその秘密が世に知られるところになれば、はもう土方に会うことはできなくなる。それでも、覚悟は決まっていた。

 やがて、土方の打ち込みが弾かれ、土方が大きく圧されて滑り下がる。続けて風間が刀を振りかぶった瞬間、は土方の前に飛び出し、風間の顔をめがけて青い火の玉を放った。

「っ!!」

 風間はとっさに顔を庇って動きを止め、大きく飛び退いた。

「何者だ!?」

!?」

 風間の怒りを含んだ誰何と、土方の驚いた声が重なる。は土方に構わず、風間と相対した。

「引きなさい、風間! この方を害することは許さない」

 普段のからは想像もつかないほど厳しい声で、は風間に警告を発する。風間はそこにいるのがだとわかると、驚愕に震えた声を出した。

「東国稲荷の姫……! なぜ貴様がここに!?」

「なぜかはそなたに関わりのないこと。引かないなら、わたくしが相手をする!」

 険しい態度を崩さないに、風間は幾分かむっとしたようだった。土方に対するほどではないが、居丈高な口調を取り戻す。

「領国から遠く離れて、女の身で、俺に敵うと思うのか?」

「本気のそなたになら、難しい。だが、そなたはこの衆目のある場では、本気は出せないはず。本気ではないそなたになら、わたくしが全力を出せば、勝ち目はある。そうね?」

 言う傍から、ゆらりとの身から青白い陽炎のようなものが立ち上る。それを見た風間がちっと舌打ちをしたことで、の言うことが正しいのだと知れた。

、どういうことだ?」

「詳しい話は、屯所に戻ってから改めていたします。今はわたくしにお任せを」

 土方の質問に、は風間から意識をそらさずに答える。武芸をきちんと修めている風間に、自分の実力では正攻法で勝てないことは、には痛いほどわかっていた。

「風間! なにをしている」

 そこへ、役人らしい一団が駆けつけてきて、場に割り込んできた。風間はちらりとそちらに目をやると、面倒くさそうに舌打ちする。

「こんなところで新選組ともめてもらっては困る。すぐに引き上げよとの命令だ」

 役人は威圧的な態度ながらも、どこか風間に対して遠慮をしているような怯えた風情で、風間を咎めた。鬱陶しそうに役人の言葉を聞いた風間は、やがて忌々しげに刀を収める。

「命拾いしたな」

 土方に向かってそう捨て台詞を吐くと、風間は役人たちに合流して去って行った。

「あいつら、薩摩だな」

 役人の訛りから察した土方がつぶやく。はうなずくと、ぺしゃんとその場にへたり込んだ。

?」

「緊張しました……。誰かと戦うために神力を使うのなんて、初めてで……」

 思いも寄らないの弱音を聞いて、土方は意表を突かれて目を瞬く。

「安心したら、腰が抜けてしまいました」

 ふにゃ……と微笑んで見上げるに、土方はつい、ぷっと吹き出した。先ほどまで、凛々しく風間に対峙していたと同じ人物とは、とても思えない。

「落ち着くまで休んでろ……と言いてえところだが、まだ戦は終わってねえ。天王山に向かった新八の様子も気になる。行くぞ、

 表情を引き締めた土方が、に手を差し出す。がその手を取ると、土方はぐいっと引き上げて、そのままを抱きかかえた。

「きゃ……っ」

 あまりに軽々と抱えられて、はつい土方の首に腕を回してしがみつく。土方はそのまま、大股に歩き出した。

「あの、土方殿っ。降ろしてください。ここに置いて行ってくだされば、歩けるようになってから追いかけますから」


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