桜守 15

「土方殿!?」

「悪いが、もうこいつは俺のもんに決まってる。返してもらうぞ」

「ちょい、あんた!?」

 ずかずかと入り込んできた土方は、の腕を掴むと、荒い手つきで引っ張る。

「帰るぞ、

「きゃ…っ!」

 土方の行動を予測もしていなかったは、立ち上がる間もなく引きずられそうになって悲鳴を上げた。

「悪い、痛かったか?」

 言いながらも、土方は強引にを抱き上げる。そして、そのまま周囲を振り返ることもなく、まっすぐに社を出ていく。

「あっ、あの! ありがとうございました!」

 慌てたは、せめてと社の主に礼を言う。彼は微苦笑を浮かべながら、手を振って見送ってくれた。

「たかだか数十年で死ぬ人の子のために、どうしてここまで尽くせるのか、僕には理解でけへんな」

 見送りながら彼がひとりごちた言葉は、の耳には届かなかった。

「戻るぞ、山崎」

 鳥居の許で待機していた山崎に声をかけ、土方は屯所を目指して歩き出す。は依然として、土方の腕に抱えられたままだった。

「あの、土方殿。自分で歩けます」

「うるせえ。おまえはおとなしく運ばれてろ」

 思い切って声をかけると、あっさりと土方に拒否される。土方の剣幕があまりにすごくて、はそれ以上何も言えなくなってしまった。土方に抱えられ、山崎につき従われて、屯所までの四半刻、はずっと困っていた。

「あ、帰ってきましたよ」

「おかえり、

 土方が屯所に着くなり、広間からわらわらと試衛館派幹部が出てきた。彼らの後ろに山南の姿を見つけて、はほっと安堵する。

「山南殿、よかった」

「ご心配をおかけしました」

 山南は穏やかに笑顔を返してくれた。そのに、井上が声をかける。

こそ、どうしたんだい? 具合が悪いのかい?」

「あ、いいえ、その……具合が悪いわけではないのだけれど」

 土方に抱えられたままのは、無用な心配をかけて恥ずかしくなる。視線をさまよわせて答えると、近藤があっけらかんと笑った。

「おおかた、トシが心配したんだろう。は昨夜から眠ってないだろうからな」

「土方さん、けっこう過保護ですからね」

 近藤の横で、沖田もにやにやと笑っている。あっと思って見回すと、斎藤以外はみんな意味ありげに口元を緩めていた。

「やだ、あの、ちょっと……そんなんじゃないわ、その……」

、落ち着け。……副長、差支えなければ、の話を聞きたいと思うのですが」

 うろたえるを淡々とした声で黙らせ、斎藤が土方を促す。うなずいた土方はを下ろすと、全員で広間に入った。

「それで、。その神のところに行った成果はあったのか?」

 千鶴が淹れてくれたお茶を前に、土方が口火を切る。はうなずいたが、その割に表情は重かった。

君?」

 山南に促され、は思い切って顔を上げる。

「『仙丹』という薬があります。これは、飲むといかなる病もすぐに治り、不死の身体を手に入れる薬です。土方殿から聞いた効用から推測して、山南殿が飲んだ薬はこれではないかと、わたくしは思っていました。ですが、少彦名一族の方が言うには、それは仙丹ではない。仙丹は人の意識を蝕んだりはしない、と」

「では…?」

「実際に処方を見ていないので断定はできないが、もっと効果が不安定な、危険なものではないかと、言っていらっしゃいました。それに、容易ではないとはいえ斬り殺せるなら、不死の効能は充分なものではない。ほかの効能もそうである可能性は高い、と」

「…………………………」

 広間に重い沈黙が流れる。そんなことを聞きたかったのではない。そう言いたげな表情を浮かべている者さえいる。もそれはわかったが、迷った末、先を続けた。

「少彦名一族の力を使えば、薬の副作用を抑えることはできるが、同時に本来目的としている効能も抑えてしまう可能性が高い。山南殿が薬を飲んだ経緯から察するに、本来目的の薬の効きを抑えることは、しないほうがいいだろう。というお話でした」

「……ということは……」

 確かめるように問いかける近藤に、は大きくうなずく。

「薬の副作用を抑え込んだのは、ほかでもない、山南殿ご自身の精神力だということです」

「おお…!!」

 近藤は感激して、山南を振り向く。

「さすがは山南君だ!! これまで服用したものがことごとく副作用の犠牲になってきた薬を克服するなんて!」

 感極まって叫ぶ近藤に、冷たい声を浴びせたのは、土方だった。

「近藤さん。気付いてねえのか。それはつまり、山南さんほどの精神力を持った奴じゃねえと、あの薬を服用しても意味はねえってことだぞ」

「あ…っ!!」

 結局は、服用するものを選ぶ。その事実を突きつけられて、近藤は絶句した。

 そうだ。幕府の密命の遂行という観点から考えれば、この事実は喜べるものではない。にしても、情報は得てきたが、効果的な対応策を得たわけではない。薬が不安定で危険であることは、未だ変わってはいない。

 気まずく静まり返った広間で、その空気を破ったのは、山南だった。

「これからわたしは薬の成功例として、【新撰組】を束ねていこうと思っています。ですから、わたしは死んだことにしましょう」

「なっ……、それ本気か!? 自分が何言ってるのかわかってんのか!?」

 思いがけない山南の宣言に、思わず永倉が声を荒げる。だが、山南は少しも動じることなく、うなずいた。

「わかっていますとも。永倉君こそ忘れたのですか? 我々は薬の存在を伏せるよう、幕府から命じられているのですよ?」

「…!」

 山南の反論に、永倉ははっと口を閉じた。忘れてはならない前提が、この問題にはある。

「……わたしさえ死んだことにすれば、いままでのように薬の存在は隠し通せる。それに、薬から副作用が消えるのであれば、それを使わない手はないでしょう?」

「そもそも薬の実験は、幕府からのお達しでもあるしな……」

 近藤が苦々しくつぶやく。論理的に考えれば、山南の提案は間違っていなかった。いくら、感情として納得できないとしても。

「……それしかない、か」

 近藤は局長として、苦しい胸の内に目を瞑り、山南の提案を是とする判断を下したのだった。

「山南さんが自分で選んだ道ですし、せめて責任を持って進んでください」

 近藤の判断を聞いた沖田が、突き放すように言う。そこには、山南の動きを止められるほどの手傷を負わせざるを得ない状況に遭わされたことへの恨みも含まれているように感じられた。言われた山南は、浮かべた微笑を崩さない。それこそが山南の覚悟の表れのようだった。

「……屯所移転の話、冗談では済まされなくなったな」

 不意に、土方がぽつりとつぶやく。確かに、これまでも、屯所が手狭だの、移転するならどこがいいだのと、話題に上がってきてはいたが。

「山南さんを伊東派の目から隠すには、広い屯所が必要だ。いまのままでは狭すぎる」

 土方の決断に、斎藤が深くうなずく。

「薬による増強計画を立てるのであれば、なおのこと移転を急ぐべきかと思います」

 そして、座の議題は、屯所の移転先についてに移っていった。

 と千鶴をなおざりにして、移転先をここでもない、あそこでもないと話し合う。土方が推す第一候補は西本願寺だったが、山南は寺院に武力で無理強いすることに抵抗を示した。

 だが、土方が説明する『西本願寺に屯所を置く理由』は、理路整然としていて、反論の余地がない。

 斯くして、新選組の屯所は三月十日を以て、屯所を西本願寺へ移したのだった。




 とんとんと野菜を切る音も軽やかに、味噌汁の具材が用意されていく。今日の夕餉の味噌汁の具は、大根と油揚げだ。

さん、楽しそうですね」

「あら、そう?」

 千鶴にくすくすと笑いながら声を掛けられ、は面映そうに千鶴を振り返る。千鶴はうなずくと、の手元を覗き込んだ。

「今日は、油揚げのお味噌汁ですもんね」

「……最近、みんなに言われるわ。油揚げのお料理出すと」

 は悔しそうに言うが、千鶴は余計に笑った。

「あの油揚げ尽くしのお夕飯を食べたら、誰だって印象に残ります。わたしも忘れられないです、あの日の献立」

「そんなに油揚げが駄目だなんて、思わなかったわ」

「あ、違うんです! 油揚げが駄目なんじゃないんです。ただ、お膳のどのお料理にも使われてることって、あまりないから……。お料理自体は美味しかったし、嫌な思いをしたわけじゃないんですよ」

 しゅんとしたに、千鶴は慌てて言葉を補う。確かに、一品一品はとてもおいしかったのだ。それこそ、油揚げ尽くしでも誰も残さなかったのは、美味しかったからに他ならない。ただ、出された料理全部が油揚げ料理ということに閉口しただけで。

 西本願寺に屯所を移転してから、本来の食事当番である隊士をと千鶴が手伝うことが増えた。土方や近藤になにか言われたわけでもないが、千鶴はただのお荷物居候でいたくないという気持ちがあったし、は自分のせいで土方が伊東になにか言われることはどうしても嫌で、隊のためになにかしたいという気持ちがあった。

 もっとも、伊東がなにかにつけて上から目線でものを言い、言えば厭味ったらしく聞こえるのは、や千鶴がなにをしようと、変わることでもなかったが。

「あ、そうそう。訊こうと思ってたことがあるの」

 人数分の下ごしらえが済み、は具材を鍋に入れながら口を開く。煮物の面倒を見ていた千鶴は、首を傾げてに顔を向けた。

「なんですか?」

「今日、顔立ちがそっくりなお嬢さんに遭ったんですって?」

「ああ、そのことですか。はい、沖田さんが、そっくりって」

「そんなに似ていたの?」

「うーん……わたしは、正直なところ、わたしよりずっとあちらの方―――薫さんとおっしゃるんですけど、薫さんの方が可愛いと思ったんですが。でも沖田さんは、わたしが女物を着たら、きっと見分けがつかないっておっしゃるんです」

「そうなの」

 具が煮えるまでの間に和え物を作ろうと、は塩わかめに手を伸ばす。桶で塩を洗い落としていると、千鶴は煮物の火加減を調節する手を止めてつぶやいた。

「あちらの方は、ちょっと迷惑そうにも見えたんですけど……当然ですよね。男の子と似てるって言われて、女の子が嬉しいと思うわけないですもんね」

「そうねえ。わたくしたちは千鶴ちゃんが女の子だって知っているから、『あら本当、似てるわね』って深く考えずに言ってしまうのでしょうけれど。そんなに似ているのなら、姉妹かもしれなくてよ。千鶴ちゃん、生き別れの姉妹がいるとか、聞いたことない?」

 沖田の人物識別眼はかなりのものだ。そこまで似ているなら……とは訊いてみる。

 実は、内心で、には心当たりがあった。千鶴の生き別れの兄弟はいる。件の瓜二つの町娘と同一人物かさえ確かめられたらいいのだが。

 の問いに、千鶴は眉を寄せて首を振った。

「沖田さんにも訊かれたんですけど……わたしは一人っ子で、兄弟がいたなんて話は一度も聞いたことないんです」

「まあ、そうなの。……世の中に似ている人は3人いるって言われるけれど、そのうちの一人なのかしら」

「そうかもしれません。でも、薫さんの方がなんていうか……おしとやかで、優雅に見えました。似ているだなんて、沖田さんの気のせいじゃないかと思うんですけど……」

「そうかしら。わたくしには、千鶴ちゃんも健気で一途で、とても女の子らしく思えるわよ?」

「そんな! 健気とか一途とかなら、さんの方がよっぽど…!」

「わたくし!?」

「あの、お二人とも。味噌汁の鍋が煮立っていますが」

 会話を弾ませていたと千鶴に、冷静な山崎の声がかかる。は「きゃあ!」と叫んで鍋の前に駆け寄った。

「お味噌入れる前でよかった…!」

さん、わかめは俺が調理していいですか」

「ありがとう、山崎殿。お願いするわ」

 火を弱めて、せっせと味噌を溶くの背中に、山崎は桶から引き揚げたわかめを手にして尋ねる。の了承を得て、山崎はわかめに醤油を振った。

「煮物も出来上がりました」

 千鶴が言うと、島田が鍋をかまどから下ろす。そして、二人がかりで盛り付けを始めた。


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