幹部が集まっての夕飯が始まると、煮物をほおばった近藤が、豪快に咀嚼しながら微笑む。
「うん、美味い。雪村君、また料理の腕を上げたんじゃないか?」
「ありがとうございます!」
千鶴がぱっと弾かれたように顔を上げた。江戸出身者が多い幹部陣のために、江戸の味付けができる千鶴はいつも心を砕いて料理している。
「」
呼ばれて振り向くと、土方が空になった碗を差し出していた。おかわりの意味だと知っているは、立ち上がると、碗を受け取って勝手場に向かう。
がいなくなったあとには、食事を続ける土方と、土方をにやにやと見る試衛館派が残った。
「なんだ、てめえら。気色悪い」
「いやぁ、流石、土方さんだと思ってな」
原田が意味ありげに言うと、横で永倉もうなずく。近藤がきょとんとして土方と原田を見比べていると、斎藤が説明した。
「副長は、が料理したものだけ、かならず2杯食べます」
「そうなのか、トシ?」
「偶然だ」
土方はそう言うが、ほかの者たちの意味深な笑みはますます深くなる。
「が炊事手伝ってねえときは、おかわりしねえよな、土方さん」
「そのときはそれほど腹が減ってなかったんだろ」
「おかわりするほどお腹すいてるのに、おかわりするのが胡麻和えっていうのは違和感あるんですけど」
沖田が言っているのは、2日前の夕食のことだ。が作ったのは、青菜の胡麻和えだった。藤堂もうなずいて、
「土方さん、一口食っただけで、が作ったの見抜くよな」
「だから、偶然だって言ってんだろうが!」
「偶然は3度続くと必然になると言います」
「うるせえ、斎藤!」
「あらまあ、にぎやか」
戻ってきたが、広間の騒々しさに目を瞬く。土方の隣に膝をつき、膳に味噌汁をよそった碗を置くと、小さく首を傾げて、
「いったいどうされたのですか、土方殿?」
「別にどうもしねえよ」
ぶっきらぼうにごまかした土方は、が運んできた碗を手に取ると、口をつける。
そして、一言つぶやいた。
「美味い」
「皆も、徳川第十四代将軍・徳川家茂公が、上洛されるという話は聞き及んでいると思う。その上洛に伴い公が二条城に入られるまで、新選組総力をもって警護の任に当たるべし……、との要請を受けた!」
屯所の広間に、近藤の朗々とした声が響く。もともと快活にしゃべる人物だが、今日は内容が内容なだけに、余計に声も表情も明るい。
傍らでは、土方がこみ上げてくるものを抑えきれない風情で微笑んでいる。
「ふん……池田屋や禁門の変の件を見て、さすがのお偉方も、俺らの働きを認めざるを得なかったんだろうよ」
「警護中は文字通りの意味で、僕らの刀に国の行く末がかかってる……なんてね」
沖田の軽口も、いつになく規模が大きい。将軍警護を要請されるという大出世に浮かれているのだろう。
それも無理のないことだとは思う。なにしろ、隊士ではないでさえ、あまりのことに目が眩みそうなのだから。
今日のお夕飯はご馳走にしましょう、と内心でお祝いを考えているの横では、千鶴が思ってもみない話に緊張している。隊士ではない千鶴が緊張するのはおかしな話だが、それだって無理もない。
まあ、伊東はいつものように一人だけ、意味ありげになにやらつぶやいているが……。相手にするものは特にいない。
「……ともあれ、これから忙しくなる。まずは隊士の編成を考えねばなるまいな。そうだな、俺とトシ、総司―――」
「っと悪い、近藤さん。総司は今回外してやってくれねえか? 風邪気味みてえだからな」
考え事の独り言を土方に遮られて、近藤は驚いた目を土方と沖田に向ける。
「む……そうなのか? 総司、大丈夫か?」
「自分では別に問題ないと思うんですけどね。土方さんは大げさすぎるから」
知られたくない人に自身の体調を暴露されて、沖田は困ったように苦笑する。せめてと「大したことじゃない」という主張をしてはみたものの、予想通り、きゅっと眉間にしわを寄せた土方の反論が来た。
「問題ない、じゃねえよ。さっきも咳してただろうが」
「……やれやれ、土方さんは過保護すぎるんですよ」
仕方なく土方の決定を受け入れた沖田に続くように、藤堂も手を挙げる。
「あー……近藤さん、実はオレもちょっと調子が……」
「何だ、平助も風邪か? 折角の晴れ舞台、全員揃って将軍様を迎えたかったのだがなあ」
「あ……、すんません……」
残念そうに近藤に言われて、藤堂は申し訳なさそうに首を縮めた。
藤堂は最近、そんなに体調を崩していただろうか? は藤堂の不調が意外で、首を傾げながら近藤との会話を聞いていた。だが、要人警護は万に一つの失態も許されないのだろうし、ならば、万全の態勢を取れないと自己申告することも一つの職責かと思い、は疑問を飲み込む。
「あ、いや、体調は大事だな、体調は。いずれまた機会もあるであろうし、ふたりはその時存分に働いてもらいたい」
近藤は残念そうな口調を消し、藤堂の申し出を了承する。この不安定な時勢の中、将軍が上洛することは今後ないとは思えない。今回無理をすることはないと、近藤はうなずいた。
「で、おまえはどうすんだ?」
「……はい?」
土方に唐突に質問された千鶴が面食らって訊き返すと、土方は苛々と質問を繰り返した。
「呆けてるんじゃねえよ。おまえは警護に参加するのかって聞いてんだ」
「わ、わたしもいいんですか!?」
思わず声が裏返った千鶴を、誰が責められるだろうか。だが、近藤までもが当たり前のようにうなずく。
「無論、構わないとも。君も今や新選組の一員と言っても過言ではない。良かったら、是非参加してくれ」
思ってもみない展開に戸惑う千鶴に、沖田と藤堂が笑いかける。
「まぁ、身の心配はないと思うよ。将軍を狙う不届きな輩はそうはいないから」
「行ってみるのもいいんじゃねーの? 斬った張ったの騒ぎにはならないだろうし」
「行きます! 行かせて下さい!」
迷う背中を押されて、気持ちを決めた千鶴が叫ぶと、土方はにやりと笑って容赦のないお達しをくれた。
「ま、おまえにやってもらうことは伝令とか、主に使いっ走りだがな。……覚悟しとけ」
それでも、千鶴の意気込みはくじけない。微笑ましさについくすくすと笑いながら、は自分には同行の確認がないことにすこしだけ落胆する。なにができるでもない自分が行っても、人数合わせのお飾りが関の山だが、それでも意向の確認もなく留守居に組み込まれているのはさびしかった。
そんな自分の気持ちに気付いて、いけない、とは自身を律する。池田屋や禁門の変に連れて行ってもらえたことで、自分はすこし思い上がっているのだ。本来、女の自分は連れて行かれないことが当たり前なのだと、認識を修正しなくては。
「となると、屯所に残るのは、総司と平助とか。……留守居としちゃ、悪くねえか」
本当は山南もいるのだが、ここで堂々と人数に入れるわけにはいかない。なにしろ、山南は日中は活動らしい活動ができないし、そもそも、対外的には死んだことになっている。
永倉のつぶやきを聞きつけた土方が、咎めるような視線を向けた。
「なに言ってんだ、新八。屯所に残るのは総司と平助だけだ。は連れて行くに決まってんだろ」
「ええっ!?」
驚いたのはである。いましがた、本当にたったいま、同行を諦めたところだったのに。
驚くに、土方は怪訝そうに、だが短気な土方らしく苛々と繰り返した。
「当然だろ。俺が出動するのに、補佐のおまえが隣にいねえでどうするんだ」
「あの、でも、本当によろしいのですか? わたくし、剣を使えませんけれど……」
「俺の隣にいれば俺が守れるんだから、おまえが剣を使える必要はねえだろ」
「は、はい。では、伝令役と心得ていたらよろしいですか?」
「俺の補佐が伝令で動き回ってどうすんだ。伝令は千鶴がいるじゃねえか」
「あの、では、わたくしはどのお役目のために?」
「だから俺の補佐だって言ってるだろうが」
「はいはい、土方さん、そこまで」
見かねた原田が土方との間に割って入る。原田に会話を遮られて、土方はようやく、自分がうっかり状況を忘れていたことに気付く。ここは広間で、いまは隊士たちを集めて任務の命令を下しているときだった。
「への説明の続きは、副長室でやってくれ。とりあえず、いったん解散ってことでいいかい、近藤さん?」
「そうだな。皆、それぞれの隊務に戻ってくれ。それと、二条城警護の支度も怠りなくな」
にこやかに近藤がうなずき、解散となる。ばらばらと広間を出ていく隊士たちに紛れて、は斎藤と原田に左右からはさまれた。
「、あまり副長をいじめないでやれ」
「え?」
「そうそう。土方さん、ああ見えて繊細なんだからよ」
「え?」
言われている意味がまったくわからず、は眉尻を下げて二人に視線を走らせる。
そんなにため息を吐き、斎藤と原田は顔を見合わせた。
「道のりは長そうだ」
「そんなとこだろうと思ってたけどな」
いよいよ出動するとなり、袴を着け、帯刀したは、土方の部屋に呼ばれた。
「お呼びにより、参りました」
「入れ」
簡潔な入室の許しを聞いてから、は障子を開けて中に入る。支度を完璧に済ませた土方が、顎で部屋の隅の箱を示した。
「開けろ。お前にだ」
言われるままに箱を開けると、中には新品の隊服が入っていた。戸惑いながら広げると、幅も裄もにぴったりだ。
「土方殿、これ……」
「いつまでも俺の予備を着るわけにもいかねえだろ。今日はそれを着て出ろ」
「ありがとうございます!」
思いがけない土方の気遣いに、の声がつい大きくなる。土方は想像通りの反応にくすりと微笑むと、うなずいた。
はわくわくしながら、さっそく新しい隊服に袖を通す。糊が効いた新しい羽織は、樟脳の匂いさえしない。袷の紐を結ぶと、きちんと測ってあつらえたかのようにしっくりとなじんだ。
「寸法もちょうどよかったみてえだな」
「ありがとうございます。……あの、いつの間にわたくしの寸法を?」
「まあ……見てりゃだいたいな」
土方はそう言ってごまかしたが、実は、が土方の羽織を着ている時に目測したのだ。そのために、試衛館一派には隊服姿のを凝視していたという誤解をされたのだが、そこは言わぬが華と言うものだ。
「大切に着ます」
「大事にすることはねえ」
とても嬉しい気持ちを表したくて、が言うと、土方はきゅっと顔つきを険しくして首を振った。
「大切なのは、新選組とその隊士だ。おまえはその羽織を後生大事に守るより、てめえの無事を考えろ」
「土方殿」
そんなつもりではなかったと言い直そうとするに押しかぶせるように、土方は続ける。
「そのための隊服だ」
はっとは息を飲み、そして次の瞬間、身を引いてざっと跪いた。
「有難く拝領します」
「頼りにしてるぜ。……行くぞ」
「はい」
部屋を出ていく土方につき従い、も歩き出した。