「ここに残るなんて、よくよく物好きだね」
「言っておくが、客人扱いする気はないからな。おまえの待遇は今までと同じだ」
力強く千姫に請け合った近藤に続いた永倉と原田の言葉は温かかったが、沖田と土方は相変わらず厳しい。だが、それも千鶴が残ることを喜べばこそだ。
くすりと笑ったも、素直な感想を告げる。
「よかったわね、千鶴ちゃん」
「……はい。皆さん、あらためてよろしくお願いします!」
「くれぐれも気を付けてね。私はいつでもあなたの味方だから」
あらためて挨拶する千鶴の手を、千姫が取る。
「ありがとう……、お千ちゃん」
「姫。千鶴ちゃんをどうかよろしくお願いします」
「ええ、わたくしにできる限りのことをするわ。安心して。……だから『姫』はやめてちょうだいね?」
に『姫』呼びを止められていたことをすっかり忘れていた千姫は、あっと声を上げて慌てて謝った。くすりと笑って手を振り、は千姫を許す。
そして、千姫は君菊と共に帰って行った。
千姫が帰る頃には夜もすっかり更け、千鶴は近藤に促されるままに自室に戻った。残った者たちはなんとなくそのまま、が淹れたお茶を飲みながら広間に残っていた。
「それにしても……世の中、まだまだ我々の知らないことがあるものだ」
「別にいまさら驚くことでもねえだろう、近藤さん。だってお稲荷さんだぜ。神がいるんなら、鬼だっていてもおかしくねえよ」
「まあ、そうなんだがな……」
土方に諭されて、近藤は苦笑いする。永倉はお茶を一口飲むと、原田に目を向けた。
「千鶴は千姫さんとなにを話したんだろうな。あれだけ連れて行くって息巻いてたのに、あっさりと帰っていくとはよ」
「なにって……まあ、男の俺らには聞かせらんねえ話なんだろ。年頃の女の子ってのはそんなもんだ」
「ところで、君。鬼というのは、どういう存在ですか? 何度か名前を聞いた風間という男が鬼だということは理解しましたが、これまでに土方君たちから聞いていた話からは、とても……一般的に想像する赤い肌で角が生えている姿とは結びつかないのですが」
君は知っているんでしょう?と山南に尋ねられて、はうなずいた。
「そうね、風間の普段の姿に角はないわ。それは、わたくしに普段しっぽがないのと同じことよ。普段は普通の人と変わらない外見をしているわ。……でも、外見が変わらなくても、鬼よ。身体能力は格段に秀でているわ」
「まあ、確かにな。あの膂力、普通の人間じゃねえって言われると、素直に納得できるぜ」
「だが、だからと言って、負ける気もない」
不知火と戦ったことがある原田が言うと、斎藤が続ける。風間と剣を合わせたことがある土方も、言葉にはしなくても同じ意見だった。
誰もが、風間たちとの戦いを受けて立つとあらためて腹に決めた時だった。
まるで、その時を待っていたかのようにそれは来た。
「何者だ!?」
外から平隊士の声が響き、広間にいた全員が反射的に飛び出す。廊下や庭を、警備中の隊士たちが駆け回っていた。
「なにごとだ?」
「侵入者です。巡察から戻った六番組が、不審な男が3人入ってくるのを目撃しました。現在、鋭意捜索中です」
近藤の質問に足を止めた隊士が答える内容を聞いて、土方が通りかかった人影を捕まえる。
「島田、千鶴を守れ」
「はい」
うなずいた島田は、すぐに千鶴の部屋に向かって走り出した。それとほぼ同時に、近藤が庭に降りて隊士たちに命じる。
「侵入者を探せ! 抵抗する場合は多少手荒になっても構わない」
刀を手に次々と捜索を始める土方たちに交じって、も庭を走る。見咎められないのを幸いに、短刀をいつでも抜けるように構え、風間たちの姿を探す。
侵入者は3人。ならば、きっと風間たちだ。風間のことだから、こそこそと隠れるようなことはしないだろう。そして、千鶴の部屋の場所は知らなくても、鬼同士は呼びあうから、最短経路でないにしろ方向は間違えずに進んでいるはず。
確信めいた推測に従って進むと、果たして、風間たちはそこにいた。
「風間!」
「東国稲荷の姫か。無力な女がなにをしに来た?」
「無力ではないわ。そなたも知っていよう、末席といえど神族は神族」
言うなり、は短刀を抜く。短刀を逆手に持ち身構えると、風間は不愉快そうに鼻を鳴らした。
「やめておけ。神力を使うならともかく、白兵で女が鬼に敵うと思うのか」
「だったらなに?」
風間の嘲りを受け流し、はじりっと間合いを詰める。この間に、島田が千鶴を逃がせば。あるいは、土方たちがここを見つけたら。自分はそれまでの時間稼ぎになればいい。
本音のところ、風間を相手にするなら神力を使いたい。だが、いまは平隊士たちも屯所内を走り回って風間を探しているときだ。いつ見つかるかわからない。土方の傍にいる条件である『親しい者以外に神族と露見しないこと』を守るなら、神力を使わずに切り抜けるしかなかった。
少し前だったら、土方の傍にいられなくなってもいいから、何かの役に立ちたいと思っていただろう。けれど、いま土方の傍から離れてはいけないと、は直感的にわかっていた。
腹をくくったは、風間から見れば得体の知れない迫力を漂わせていた。相手にするべきか否か、風間はとっさの判断を躊躇する。その場に奇妙な緊張が満ちた時だった。
「こっちです」
島田の声が聞こえ、ははっと息を飲んで振り返る。島田の声がするということは、島田が護衛する千鶴もそこにいるということだ。
なぜ来るの!? が口を開くより、だが、風間が動く方が先だった。
「ぐおっ!?」
「し、島田さんっ!?」
「どこに行くつもりだ?」
うめき声とともに島田の身体が飛ばされる。土塀に激突した島田を案じた千鶴は、駆け寄る間も与えられずに風間に引き寄せられていた。
「……あっ!? くうっ!!」
力の加減もなく拘束されて、千鶴は痛みに呻く。
「は、離してっ!」
「フン、こんな鬼のなりそこないばかり集まった場所で、なにをすることがある? いくら人間に協力したところで、最後は裏切られるだけだぞ? 作られたまがい物の鬼たちを見ただろう? あんなものを生み出す奴らに手を貸し、おまえになにがある?」
「わ、私には……」
言い返そうとして、千鶴は言葉に詰まる。千鶴には言い返せる言葉がないだろう。いくら変若水が人として許されない薬なのだとしても、新選組がその人体実験を請け負った理由を千鶴は知らないうえに、そもそもその薬を開発したのが自身の父親なのだから。
そうしている間にも、はなんとかして風間に斬り込む隙を見つけようと目を凝らす。もし土方たちがここに来ても、千鶴が捕らえられていては、きっと誰も風間を攻撃できない。
だが、にはその糸口が見つけられない。そのときだった。
「屯所に討ち入ってくるとは大した度胸だな。だが……これ以上、好き勝手はさせない」
「おいっ、てめえ! 離しやがれっ!!」
隊士たちを連れて、土方と原田が駆けつけてきた。が来たのとは訳が違う加勢だが、風間は怯むことなく、揶揄するように口を開いた。
「貴様らには、こいつの価値はわかるまい。この女は相応しい者に利用されてこそ真価を発揮するのだ」
「そんなに嫁にしたかったら、堂々と口説くんだな! 格好悪りぃぜ、てめえのやり方はよ」
風間の狙いが千鶴本人、しかも嫁にすることだと明確にわかった原田の声には容赦がない。
「言っておくが、そいつは人質にはならねえぞ」
「元よりそんなつもりはない。貴様らごとき、障害物にすらならん」
原田の非難も土方が掛ける圧力も、風間は悠々と流す。その間にも、風間と土方たちの間合いはじりじりと詰まっていた。
「……っ!」
風間の意識が土方たちに向いた頃合いを見て、千鶴がその腕から逃れようと渾身の力でもがく。だが、風間の腕はびくともしなかった。
「……無駄だ。同じ鬼同士なら、男のほうが女より力は強い」
何度かもがいても、風間は易々と千鶴を捕らえて揺るがない。もがき疲れた千鶴の動きが弱くなった瞬間、完全に風間の意識から外れていたは風間に斬りかかった。
「ちっ!」
「きゃあっ!」
不意打ちを受けて面倒くさそうに舌打ちした風間は、短刀をかわすと、空いている方の腕での体を薙ぎ払う。鬼の腕力で払われて、は思い切り撥ね飛ばされた。
「!」
風間に刀を向けたまま、土方は飛んできたを左腕で抱きとめる。
「無茶してんじゃねえよ」
「申し訳ありません」
緊迫が崩れたその場に、朗々とした声が響く。
「新選組局長、近藤勇である! 参るっ!」
駆けつけてきた近藤が虎徹を構え、風間に立ち向かっていく。
「待っていろ! 今、助ける!」
言うが早いか、近藤は気合十分に大上段から風間に打ち込む。近藤自ら最前線に立っているというのにいつまでも土方に抱えられているわけにいかないと、は急いで立ち上がった。
ほかの隊士たちは、原田の指示で近藤の邪魔にならないよう、風間たちを取り囲んでいる。土方もその輪に入りつつ、山崎を手招きした。
「千鶴が解放されたら、奥の部屋に連れて行け」
「承知」
うなずいた山崎は、程なくして投げ出された千鶴に駆け寄ると、千鶴を立たせて屯所の奥へと連れて行った。
「」
「はい」
「おまえは……」
土方が言いかけた時だった。
「ふふっ、こんな所にいましたか。あなたたちの相手は、この羅刹隊がいたします。この素晴らしい力を、思う存分に味わってください」
羅刹隊を率いた山南が参戦する。それだけで戦況は一変した。
「興が削がれた……退く」
不知火は戦う気満々でいたが、『まがい物』を嫌悪する風間が戦意を失い、刀を引く。天霧と不知火を伴って去っていく風間を追撃しようとした者たちを土方は止めた。
「どうやら、今夜はここまでのようだな」
土方の声には、安堵と一緒にどこか疲労もにじんでいた。千鶴を守りきれたとはいえ、新選組に損害がなかったわけではない。土方の意識はすでにこの件の後始末に向いていた。
「おい、被害の状況を報告しろ!」
刀を収めて指示を出す土方の姿を見ながら、は怪我人の対応を始めた。まだ息がある者を助けることが最優先だ。
伊東が連れて行った人数は、まだ回復できていない。そんな中、怪我をした――つまり、果敢に風間に立ち向かった者たちは、貴重な戦力だった。みすみす失うわけにいかない。
やがて、千鶴を安全な場所に託した山崎が戻ってきた。手当てするために怪我人を集めると一緒に、周囲の隊士たちに声を掛ける。は手を止めないまま、山崎に短く問いかけた。
「千鶴ちゃんは?」
「沖田さんに預けてきました」
応える山崎の言葉も短い。手当てを急がなければならない者を見極めなくてはならない。会話を最低限に抑えて、山崎はまずそこから取り掛かる。
沖田なら、いくら病床に就いていようと、千鶴を放り出すことはしない。山崎が千鶴を預けた先があまりに安心で、は自分も怪我人の対応に集中した。
怪我人の手当てでいつもの半分も眠る時間が取れないまま、いつもどおりの朝が始まる。疲れが残っていても、顔を洗えば目も覚める。
そうして足を向けた広間では、思いがけない話題が上っていた。
「西本願寺から、これ以上、新選組がここにいるのは困ると言ってきた」
「それはつまり、我々にここから出て行けということですか」
真剣な面持ちの近藤の発言を山崎が質す。近藤は首を振って、
「いや、さすがにそこまで直接的な物言いではなかったが」
「いつかはそうなるんじゃないかと思ってはいたがね……いやはや、しかし、困ったねえ」
いくら言葉を濁しても、その意味するところは結局同じだ。困り果てた井上の口調は、緊迫感がない割に深刻だった。出て行けと言われても、行く先に当てはない。井上の言葉は、その場の全員が感じたことだった。
「それにしても、急な話ですね。まさか……昨日の騒ぎが原因ですか?」
「ああ。ここで騒ぎを起こしては困るらしい。さっするに、長州か薩摩、そのあたりからも言われているのだろうなぁ」
「私が、みんなに迷惑をかけて……」
近藤の口調は決して千鶴を責めるものではなかったが、きっかけとなった昨日の騒ぎは千鶴がいなければ起きなかったものだ。責任を感じた千鶴の表情が曇る。近藤はすかさず千鶴の言葉を否定した。
「そうではないさ。もともと無理難題を言ってここに押しかけたのは我々なんだからな」
「でも、どうするのですか? 屯所移転ともなると、また候補地選びからやり直しになります」