「山崎」
「はい」
「斎藤に繋ぎを取れ。奴を新選組に復帰させる。可能な限り早急にだ」
「承知」
「。いまから書状を一通用意する。使いに出てくれ」
「はい」
言うなり、土方は文机に向き直り、筆を走らせ始める。山崎は一礼すると退室した。斎藤との繋ぎに向かったのだろう。は土方が書状を書き終えるのを待つ。
土方は書状を書き終えると、にそれを持たせた。
「これを紀州藩に届けて来い」
「承知しました」
は一礼すると、肩掛けを羽織って屯所を出た。相手はの顔を見知っている会津藩ではない。女が使いで、書状を受け取ってくれるかどうか。隊服を着て行けば状況は違うかもしれないが、自分一人で外出するときに隊服を着ていても、無用の争いを呼び込む危険性が高いとあっては、隊服を着ていくわけにもいかない。不安はあったが、行ってみないことにはどうしようもなかった。
紀州邸でなんとか用人に取り次いでもらい、書状を渡してが屯所に戻ると、山崎が副長室に戻って来ていた。
「斎藤さんに連絡が取れました。今晩中に月真院を出て、屯所に入るとのことです」
「ご苦労だった。……斎藤の復帰を告知する前に、奴がここにいるのがバレるのはまずいな。どこかいい場所はあるか?」
「斎藤さんが一晩、他の隊士に見られない場所ですか。組長は個室を持っていますが、平隊士の出入りが頻繁ですし、誰も来ない場所となると難しいかと……」
「それでは、わたくしの部屋ではいかがですか? わたくしの部屋は、ほとんど誰も来ませんから」
珍しくも言いよどむ山崎の様子を見て、は反射的に提案した。が基本的に自室にいないせいで、部屋に直接訪れてくる者は皆無に等しい。本気でに用がある者は勝手場か副長室に来るのがたいていだった。
は名案だと思ったが、土方はきっぱりと首を振った。
「いや、それは止めておこう」
「土方殿?」
「男と女が一晩一緒にいて、万が一平隊士に知られてみろ。ただでさえ出戻りの斎藤に対する風当たりは強いだろうってのに、ますます居場所をなくしてどうする?」
「では、わたくしはどこか別の場所にいることにします」
「どこにいるつもりだ? 下手な場所にいると、平隊士どころか羅刹の隊士に絡まれるぜ」
それは確かにそうだった。羅刹の隊士は山南が束ねているとはいえ、そもそも、その山南自身が、このところ不穏な様子を見せていた。
の意見も却下となり、山崎もも、続く新たな意見が見つからない。土方は考えるようにわずかに視線を落とすと、口を開いた。
「斎藤の隠れ場所は、近藤さんと相談する。山崎は斎藤の代わりに伊東派の動向を見張れ。は、そろそろ夕飯の支度の時間だろう」
結論を出した土方の指示は、に向けたものだけ、やけに平和だった。が思わず目を瞬かせると、
「またしばらく忙しくなる。美味い飯で気合入れねえとな」
そう言って土方は不敵に微笑んだ。
翌日、午前の巡察が終わり、広間に試衛館派が顔をそろえて坂本竜馬暗殺について話しているところに、斎藤を伴った近藤と土方が現れた。
「おや、斎藤君じゃないか、久しぶりだねえ。御陵衛士のほうはどうしたんだい?」
のどかな反応を示したのは井上だけで、あとは全員、少なからず驚いていた。
「そ、そうじゃなくて井上さん! 交流禁止の御陵衛士の人がいるなんて、土方さんが許すわけ――」
「あー、ごちゃごちゃうるせえな。許すもなにも、斎藤は本日付けで新選組に復帰すんだよ」
慌てて井上をたしなめる千鶴の声を、土方が面倒くさそうに遮った。
これで斎藤が正式に新選組に戻った。土方が、ただ斎藤を呼び戻して終わりにするはずがない。策はすでに近藤に献じられて動き出していることを、同席していたも知っている。は静かに息を飲みこみ、次の展開を待つ。
「へ? ……いやちょっと待った土方さん。俺たち的にはうれしい便りだけどよ。それじゃ御陵衛士っつーか、伊東派の立場は?」
戸惑いを隠せない原田の質問には、淡々とした斎藤の声が答える。
「まずそこから訂正を。……俺は元々、伊東派ではない」
「斎藤君はな、トシの命を受けて、間者として伊東派に混じっていたんだよ」
斎藤の事情を近藤が説明する。トシの命と言いながら、説明が局長から為されれば、それは局長の判断によって下された命と同じだ。さらりと全責任を自分に引き寄せる近藤の懐は、相変わらず深い。
「なんだ斎藤君。僕に内緒で、そんなに楽しいことしてたんだね」
「さっきは胆が冷えたぜ……。近藤さんたちも人が悪ぃよ」
沖田や永倉の声に苛立ちが混ざっているのは、伊東派と共に離隊していく斎藤を見送ることに少なからず傷ついていたからなのだろう。
「極秘だったんでな。黙っていて、皆にはすまんことをしたなあ」
近藤が詫びたが、仕方がないと水に流すには、事は重大すぎた。
重い空気の中に混じって、千鶴は安堵の息を吐いている。その様子に気付いたは視線を落として、千鶴から顔を背けた。
斎藤が帰ってきたことを素直に喜んでいる千鶴が、その理由を知ったら、どんな顔をするだろうか。知られないようになど、できるはずがない。けれど、千鶴の顔が曇るのを見るのは、悲しい。
の想いを措いて、斎藤は自身の新選組復帰の理由でもある重大な情報を告げる。
「安心するのは後だ。この半年、俺は御陵衛士として活動したが、伊東たちは新選組に対して明らかな敵対行動を取ろうとしている」
「敵対行動とは、表現からして穏やかではないようだ」
表情を険しくした井上に、土方はうなずいて斎藤の言葉を補足した。
「……伊東の奴は幕府を失墜させるために、羅刹隊の存在を公表しようとしてやがんだ。……そのために薩摩と手を組んだって話もあるな」
「そして、より差し迫った問題がもう一つ。伊東派は新選組局長暗殺計画を練っている」
「局長……こ、近藤さんを……!?」
斎藤がもたらした情報に、千鶴が思わず声を上げる。一方で、近藤は難しい表情のまま一言も発さない。事前に土方が耳に入れていたのだろう。
「御陵衛士は既に新選組潰しに動き始めている。……坂本竜馬が暗殺された件は聞いたか?」
「あー……なんでも、俺がやったとかいう話だよなぁ」
「聞いたなら話は早え……。その噂を流したのは、御陵衛士の連中だ。紀州藩の三浦休太郎が、新選組に依頼して原田に殺させたってな。三浦には身に覚えがないらしいが、うわさを信じた輩に襲撃されるかもしれん……。三浦の警護は斎藤に頼むことになる。斎藤は周りから見ると、伊東派から出戻りしたようにしか見えねえからな……」
「わきまえています。ほとぼりが冷めるまで、俺はここにいないほうがいいでしょう」
「紀州藩とは、もう話をつけてある。頼むぜ」
土方がすでに策を動かしていると知って、その場の全員が土方の指示を受けるために向き直る。土方は一同の視線を帯びながら、淡々とつぶやいた。
「伊東甲子太郎……。……羅刹隊を公にするだけでなく、近藤さんの命まで狙ってるときた。残念なことだが、伊東さんには死んでもらうしかないな」
「う……む……。止むを得まい……」
近藤の重々しい声が、土方の言葉を容認する。予定調和は見え透いていたが、副長の献策を局長が承認するという行為は、組織に必要な手順だ。
土方は続いて、具体的な指示を出す。それはつまり、いまこの場で伊東の殺害を決めたように見えて、実はとうに決まっていたということだった。
「まず、伊東を近藤さんの別宅に呼び出す。接待には俺も回る。その後、伊東の死体を使って、御陵衛士の連中を呼び出し……斬る。実行隊は……、永倉、原田。おまえらに頼む」
「で、土方さん。僕は誰を斬ればいいんですか?」
指示が与えられなかった沖田が、じれったそうに訊ねる。土方は言い聞かせるように答えた。
「おめえは寝てろ。変な咳をしやがるし……体調も悪いんだろ。まだ数日は、斎藤もここにいるから相手してもらってろ」
「……恨みますよ、土方さん……」
あっさりと作戦から外されて、沖田はつまらなさそうだった。だが、沖田の体調がよくないことはみんな気付いていることだったので、沖田の肩を持つ者はいなかった。
この指示がなにを意味しているのか、千鶴は気づいているだろうか。ふと気になったが千鶴に目を向けると、千鶴は呆然と成り行きを見守っていた。
どうやらまだ気づいていないらしい。伊東も御陵衛士も斬るということは、つまり……
教えようと足を踏み出しかけたより先に、斎藤が千鶴の肩を叩いた。
「……斎藤さん?」
「……御陵衛士はこれで終わる。平助を呼び戻すつもりがあるなら、これが最後の機会になるだろう」
「……!!」
斎藤に言われて、千鶴は大きく息を飲んだ。慌てて土方を振り返り、
「あの、土方さん。御陵衛士の……、平助君はどうするんですか……?」
「……そりゃあもちろん、助けて……」
「……刃向うようなら斬れ」
永倉の言葉をさえぎって、土方は短く命じる。千鶴は「…………え?」と声を零した。
「斬れって、そんな……!」
驚く千鶴に構わず、土方は広間を出て行く。その背中に向かって、千鶴は叫んだ。
「斬れって……平助君を斬れってことですか!? 平助君がどうなったっていいって――」
「そんなわけがなかろう!!」
感情的に叫ぶ千鶴を、近藤の低い声が叱りつける。
「……トシだって、本心では助けたいと思ってるんだ。……トシには俺からもあとで話しておく」
近藤の苦しげな声を聞いて、千鶴は口を閉じ、うつむく。千鶴よりずっと平助との付き合いが長い面々が、なんとも思っていないはずがなかったのに、千鶴はまるで平助を助けたいのが自分だけであるかのように土方を詰ってしまった。
「すみませんでした……取り乱して……」
「いや、むしろうれしかったよ。……平助は皆に慕われているのだなあ」
自身の非に気付いた千鶴を微笑んで許すと、近藤は顔を上げて、
「永倉、原田。局長としてではなく近藤勇として頼む。……平助を見逃してやれ。……できれば、戻るように説得して欲しい」
「……ああ」
「……やってみる」
近藤の願いを聞いた二人は、安心したように表情を緩めた。
「……これでみんな、自分の役割は確認したな? 質問があるなら今のうちに言っておいてくれ」
場を畳むように一同を見回す近藤に、千鶴が口を開く。
「……待って下さい。私にはまだ指示が出てません。……なにか手伝わせてください」
「手伝うと言っても……今回は汚い仕事だ。正直、君は関わるべきではない」
きっぱりと言う千鶴に、近藤は困った声で応える。それでも、友人の……藤堂の命がかかっている作戦に、自分だけ関わらないことは、もどかしかったのだろう。千鶴は助けを求めるようにを振り返る。
「さんも、この計画に参加するんですよね?」
「そうよ。土方殿が伊東殿を接待するとき、給仕を務めるわ」
やはり自分に回ってきたか……と思いながら、こうなることを予測していたは冷静に答える。
昨夜、近藤との相談を終えた土方から、計画のあらましを聞かされて、はその役を買って出た。袂を分かった相手を酒席、しかも料亭などではなく個人宅に呼び出すのだ。女がいた方が油断を誘える。土方はもちろん、近藤も渋い顔をしたが、口に出して反対することはなく、了承してくれた。
同じ女の身であるに役目があるのならと、千鶴は再び近藤に訴える。
「なら、私にもなにかできることが……」
「千鶴ちゃん。近藤殿が駄目と言ったのよ。従いなさい」
近藤がなにか言うよりも先に、千鶴を遮って、はぴしゃりと叱った。もちろん、千鶴に辛い思いをさせたくないし、仲間だったことがある人を殺す場にいさせたくない。だが、それ以前に通すべき筋がある。
「もし、千鶴ちゃんが自分も新選組の一員だと自負するのなら、局長の命令に従う責務があるわ。そうでしょう?」
「さん」
「雪村君、留守居だって立派な役目だ。一緒に屯所を守ろう」
肩を落とす千鶴に、井上が優しく声を掛ける。
「総司君が大人しく寝ているように見張る役が必要なんだ。君に頼めたら、心強いんだがなぁ」
「井上さん……」
井上を振り返った千鶴が、こくんとうなずく。
そうして、全員に指示が行き渡った。