「ところで、ツナ。恭弥に見せてもらった資料だと、調査はだいぶ進んでるみてーだな。朝はじっくり読む時間もなかったし、あらためて把握するのに、最初から話を確認させてもらっていいか?」
「はい、ディーノさん。最近、ニュースでよく耳にするカップルの失踪が、実はマフィアによる人身売買らしいと聞き込んできたのは、ランボでした」
ランボの報告を聞いて、綱吉は調査を開始した。程なく、失踪事件はすべて、サン・ミシェルという教会で式を挙げることになっていたカップルが、当日に姿を消すという概要だと判明し、何者かが意図的に誘拐しているという疑惑が増す。
「サン・ミシェルで挙式するすべてが失踪しているわけではありません。選定の条件は、未だ不明です」
「了解。首謀者の目星は?」
「それも不明です。実は、調査を進めての所感なんですが、マフィアの仕業と断定してよいかどうかも、判断がつきかねている状態なんです」
「ふぅん?」
どこかのファミリーがやっているにしては、全体的にずさんなところが目立つのが、気になる点だった。全員が同じ教会から消えていて、その教会は誰でも自由に利用できる場所ではない。誰かに気付かれるのも、突き止められてしまうのも、どちらも時間の問題で、それはやり方次第で回避できる程度のことのはずなのに、そうしていない。
「それでも、これが人身売買のための誘拐なのは確かです。了平さんが見つけたんですが、裏ルートによる臓器移植のドナー契約が、この数週間で飛躍的に増えています。サン・ミシェルのカップル失踪は、ここに繋がっていると睨んでいます」
「なるほどな。それで、調べるのに囮が必要になって、花嫁は恭弥とクロームってわけだ」
「はい。本当は、ディーノさんにご迷惑をかけないですむはずだったんですけど…。急に協力をお願いして、すみませんでした」
謝る綱吉に気にするなと首を振ったディーノは、ふと、聞き流してはいけないフレーズがあったことに気付く。
『本当は、ディーノさんにご迷惑をかけないですむはずだった』
ということは、ディーノ以外の誰かが、雲雀の花婿の役をやるはずだった、と……
マズい雰囲気を察した雲雀がディーノの膝から降りようとするのを、雲雀の腰を抱いていた腕に力を入れてがしっと抱きとめ、ディーノは阻止する。思わず振り向いた雲雀と顔を見合わせて、雲雀は誤魔化すように、ディーノは許さないと、それぞれの意味がこもった微笑を互いににっこりと浮かべた。
「恭弥? 本当はオレ以外の誰をダンナ役にするつもりだったって?」
顔を近づけて問い詰めようとするディーノの肩に手をつき、雲雀は少しでも離れようと突っぱねる。
「結局他にいなかったからあなたのところに行ったんだとは、考えないんだ?」
「だったら、別に逃げようとすることないだろ」
裏ありまくりの笑顔がバチバチと火花を散らし始め、抱き寄せる腕と突っぱねる腕にぐぐぐ、と力がこもっていく。
危険の兆候を察した綱吉と山本とクロームは、自分たちの荷物とお茶を持って、こっそりと部屋から逃げ出した。
「言え」
「やだ」
ソファに座るディーノと、膝の上の雲雀は、息がかかるほど至近で睨みあう。
ふっとディーノが肩を引き、バランスを崩した雲雀を抱きこむと、そのままソファに倒れこんだ。
勢いで、クッションがいくつか床に落ちる。
「強情を張る子は、こうだ」
ソファに組み敷かれた雲雀に、ディーノが噛み付くようにキスをした。んっと眉を寄せて受け止めた雲雀は、長いキスの果てにするりと腕をディーノの首に回す。
「……言う気になったか?」
離れた唇を繋ぐ銀糸をぺろりと舐めたディーノに、キスの名残を口の端に滲ませる雲雀は嫣然とした。
「言う気になるまで、キスしてくれるんでしょ? …言わない」
愛しさに満ちた声でこのやろう、とつぶやいて、ディーノは雲雀に挑みかかった。
「で、ヒバリ、最初は誰と組もうとしてたんだ?」
廊下でドアノブに『死ぬ気で立入禁止』という札を下げた綱吉に、山本が訊ねる。綱吉はあぁ、と肩をすくめた。
「草壁さんだよ。オレがこの話をヒバリさんにしたとき、ちょうど隣に立ってて、そのままヒバリさんが話を振ったんだ」
「草壁さんが、ヒバリと、ねぇ……。まあ、悪くねーかもな。なんでダメだったんだ?」
雲雀と草壁のコンビネーションなら、囮として不足はない。恐妻家に見える可能性は、非常に高いかもしれないが。
「草壁さんがね、そりゃもうすごい勢いで固辞して、絶対にうんって言わなかった。あのときの草壁さん、本気で泣くかと思ったよ」
「草壁さんが…泣いたの、ボス?」
唖然とするクロームの問いに緩く首を振って否定した綱吉は、ものの例えだよと苦笑した。
「それより、早くこの部屋の前から離れない? 一応、防音はしっかりしてる部屋だけどさ…」
「まあ、万が一ってことはあるよな」
困った笑みを浮かべた綱吉と山本は、部屋の中がどうなっているのかを理解して真っ赤になったクロームを促して、その場を離れた。
サン・ミシェル教会の新婦控え室で、雲雀はトルソに用意されているドレスを睨みつけていた。
着付けやメイクの担当たちは、雲雀の剣幕に怯えて、遠巻きにしている。
純白のドレスは、雲雀好みのシンプルなデザイン。しかし、デュシェス・サテンのビュスチェとシルクオーガンザを幾重にも重ねたスカートには緻密な刺繍が施され、1メートルを超えるトレーンを引いている。この豪華さは、どう見ても偽装結婚式用の間に合わせではない。
ドレッサーには、真珠を贅沢に使ったティアラがスタンバイしている。これまた、その場凌ぎにはもったいないほどの一級品だ。
なにをどのように考えても、ディーノが本気で一式フルオーダーしたのに違いなかった。
衣装に興味のない雲雀は、ディーノが多忙であるのをいいことに、衣装合わせを別々の日に行った。あれもいい、これもいいとディーノが騒ぐのが煩わしかったからだが、それが失敗だったかもしれない。
「あのっ。お時間が迫っていますから、早くお着替えになってください!」
様子を見に来たエリッセの慌てた口調で、雲雀はしぶしぶ着てきたスーツを脱いだ。途端にわらわらと着付け担当が寄ってきて、雲雀にコルセットを着せ、締め上げる。
バカ馬、こんな動きにくい衣装でなにかあったら、どうする気なの!
ふつふつと湧き上がる怒りを隠して着替え、メイク担当の入念なメイクとヘアセットを受ける。
最悪。人がいたから、トンファー隠せなかったじゃないか!
あとは、列席者の座るベンチになにか隠してあることを祈るのみだ。
雲雀は一生懸命どうでもいいような他のことを考えて、ドレスを意識しないようにしていた。なにがなんでも、鏡を見ることは出来なかった。
スタッフの手を借りずに着替えたディーノは、背中側のベルトに鞭を挟み、腋の下に吊ったホルスターに弾を装填した銃を差し込むと、フロックコートを着て新郎控え室に戻った。
「人払いは済んでるぜ」
「盗聴の確認も完了なのな」
早く着きすぎたフリをして入ってきた山本と、その付き添いのフリをしてきたロマーリオと3人で簡単な打ち合わせをする。
今日の目的は、標的にされたカップルの選定基準と敵の正体の見極め、そして敵の確保だった。
ディーノ・雲雀と山本・クロームが、運良く同じ日の午前と午後を予約できたため、ディーノと雲雀はひとつの賭けに出た。極秘結婚ということにして、当日は参列者なしの式にしたのだ。
一方で山本たちは、友人をたくさん呼ぶとして、キャバッローネの人間もそちらに混ざっていた。その中の一部が、時間を間違えて早く着く設定になっている。
参列者のいない結婚式。姿を消したことがすぐには騒がれないシチュエーションに、敵が上手くひっかかってくれることを狙っての作戦だった。
「そういえば、ボス。参列者席にサブマシンガン隠しといたぜ。前から2列目の左側だ」
「えっ、マシンガン!? ピストルじゃなくてか?」
ぎょっとしたディーノは、得意顔のロマーリオをしげしげと見つめる。マシンガンとは、ずいぶん過激なものを隠してくれたものだ。
「恭弥用だよ。マシンガンなら、ドレスでフットワークが鈍ってても、使えるだろ」
「………」
ウェディング・ドレスでマシンガンを構える雲雀が、大変容易に想像できて、ディーノと山本は大きなため息をついた。
「ロマーリオ」
「なんだ?」
「似合いすぎるから、ダメ。急いで片付けろ」
ディーノと山本の反応を見て、ようやくやりすぎに気付いたロマーリオは、残念そうにうなずいた。
「了解、ボス」
式の時間になり、エリッセが呼びに来た。
ゴージャスに広がるスカートのために、狭い室内では移動もままならない雲雀は、ヴェールを被せてもらうと椅子から立ち上がり、カサブランカとヒヤシンスのブーケを受け取って控え室を出る。
ただでさえオーガンザを重ねてかさばっているスカートは、中にパニエを着ていることもあって、漫画で見るような指でつまむ程度では、とても歩くのに充分とは言えない。ぐっと布を抱えるように持ち上げて、雲雀は廊下を歩いた。でないと、踏んづけてしまう。
「お気持ちはわかりますけど、もうお式ですから、スカートは下ろしてくださいね」
苦笑いするエリッセに窘められて、雲雀は仕方なくスカートから手を離す。
これ、何キロあるんだろ?
ついそんなことを考えてしまうほど、ドレスは重かった。裾を踏まないように歩こうとすれば、自然と一歩一歩踏みしめるようなそろりそろりとした歩調になり、そして…
ふと、本当の花嫁もこんなふうに祭壇へ向かうのだと思って、うっかり泣きそうになってしまった。
バカ馬。だから、ドレスはその場凌ぎ程度でよかったのに。
用意されていたドレスを見た瞬間に、雲雀はディーノがどれだけ雲雀の花嫁姿を楽しみにしていたかを悟っていた。結婚をしないことで確保できるメリットが、結婚するよりも貴重だったから、結婚しない道を選んだ。けれど、結婚したくないわけではないのだ、ディーノも雲雀も同じように。
何年もぐっと我慢してきたその気持ちに塩を擦り込むようなことをしたディーノを、雲雀は心底恨めしく思った。
唐突に足を止めた雲雀を、エリッセが不思議そうに振り返る。
「もう少し、我慢してください。でないと、誓いの言葉が、言えなくなってしまいますから」
そう言って、エリッセはヴェールをそっと上げ、ハンカチで目元を押さえてくれた。