夕食後、まだ4人でテーブルを囲んでいるときを見計らって、スクデーリアはこの日朝からずっと訊ねたいと思っていた質問を口にした。
「パパ」
「なんだ?」
ワイングラスを置いて、ディーノがスクデーリアを振り向いた。いつ見ても、ウチのパパは無駄に美形だとスクデーリアは思う。
「明日の参観日、大丈夫?」
「おう、大丈夫だぞ。ロマーリオにスケジュールは空けておいてもらったからな」
明日はスクデーリアの学校の父兄参観日だった。スクデーリアは父兄参観日にいい思い出があった例がないが、結果がどうなるにしても、できる努力はしておかなければ。
「服も大丈夫?」
「大丈夫だって。マフィアじゃねースーツだろ?」
「ママも?」
スクデーリアの向かいで金糸雀の面倒を見ながら食事をしている雲雀が、スクデーリアの問いに顔を上げた。
「ごめん、なに?」
「明日。服は、お願いしてる通りにしてくれた?」
「ああ、そういうこと。安心しなよ、マフィアじゃないスーツでしょ?」
何の話か理解した雲雀は、すぐにうなずいた。スクデーリアの注文は『マフィアじゃなくて、ママっぽくて、目立たない服』だ。
一度、目立たない服というなら黒いスーツがいちばん、と雲雀が答えたら、スクデーリアはものすごい勢いで怒ったので、それ以来、できるだけシンプルなスーツを選ぶようにしている。
「あと」
「トンファーは持ってこないこと」
「そう」
スクデーリアが毎年、参観日の前日に念を押すので、雲雀はすっかり覚えてしまっている。普通のママに見える格好をしてくること、トンファーを持ってこないこと、クラスメートやその親を咬み殺したがらないこと。
このなかでもとりわけ難しいのが、普通のママに見える格好と咬み殺さないことだ。どれだけシンプルなスーツでパンプスを履いてみても、年齢ばかりはどうにもならないので、10歳の子供の母親に見えることは至難の業だった。咬み殺さないことも、ディーノが隣で絶えず「我慢だ恭弥、耐えろ恭弥、頑張れ恭弥」と言い聞かせていなければ、どうなっても保証はできないというのが実際のところだ。
金糸雀の頬についたデザートのクリームを拭い取りながら、雲雀はスクデーリアに応える。
「心配しなくても、大丈夫だよ。言葉遣いだって、当日は気をつける。哲も連れて行かない。…これでいい?」
「ありがとう。…パパもよ」
自分には細かい注文はないだろうと高を括って、雲雀とスクデーリアの会話を面白そうに聞いていたディーノは、突然向いた矛先にぎょっとした。
「オレも?」
「そうよ。スーツだけじゃなくて、ネクタイもマフィアっぽくないのにしてよ。パパ、気をつけないと、どう見てもホストになっちゃうんだもん」
「……ホスト……」
「うん。去年も一昨年も、次の日大変だったんだから! 今年はちゃんと、気をつけてよね」
「………わかった」
よもや娘にホストと言われると思っていなかったディーノは、ショックを受けて雲雀を振り向いた。助けて欲しかったのに、雲雀はディーノに背中を向けて小刻みに揺れている。声を立てずに笑っているのだとすぐにわかった。
「恭弥」
「……待って。ほんとにいまダメ。後で聞いてあげるから」
切れ切れのセリフは、完全に笑死寸前の爆笑をしている証拠に他ならない。ディーノはすっかりしょげ返ってスクデーリアに目を向けた。
「リア、オレそんなに普通っぽくねーのか?」
「うん、無理。どう見ても、父親っぽくない。わたし、毎年、参観日の次の日は、パパはほんとはわたしのパパじゃないんじゃないかって、みんなに訊かれるのよ」
「なんで? リアは確かにオレより恭弥に似ているけど、ちゃんとオレがリアのパパなのに」
「わたしだってそう言ってるよ。あの人はちゃんとわたしのパパで、隣にいるのがわたしのママよって。だけど、納得してくれないのよ」
毎年のクラスメートの反応を思い出して、スクデーリアはだんだん腹が立ってくる。スクデーリアの雲行きが怪しくなったことに気付いた雲雀は、水を飲んでいったん落ち着くと、スクデーリアに声をかけた。
「リア」
「なにママ」
「カナを連れて、部屋に行って。僕はパパに話があるから」
娘たちにとって、雲雀の指示は絶対だ。スクデーリアは怒りが不完全燃焼で一瞬むっとしたが、はぁいと返事をしてテーブルを立った。
金糸雀と一緒に食堂を出たスクデーリアに、声が届かなくなったことを確かめてから、雲雀は怪訝な顔つきのディーノに向き直った。
「あのね、僕たちはリアの学校ですごく有名なんだって」
「有名? 行事に顔出してるだけなのに?」
どうやら話は面倒そうな上に、スクデーリアの学校のことらしいとわかって、ディーノはメイドを呼んでコーヒーを頼むと、場所をサロンのソファに移した。
「どうやらね、僕が若すぎて、あなたがかっこよすぎるから、目立つってことらしいよ。それで、リアは毎年、あなたに一目惚れしたクラスメートや他クラスの教師に、質問攻めになるんだって」
「……なんだそれ」
「それが、かっこいいとか、素敵だとか、友達の父親に言う言い方じゃないんだって。芸能人に言うみたいな言い方するんだってさ。隣のクラスの教師なんて、去年、あなたの個人的な連絡先を聞いてきたって言うから……。僕も今年初めてこの話聞いて、リアが可哀想になったよ」
父兄参観に行っても、運動会に行っても、学芸会に行っても、ひたすら「ウチのリアがいちばん可愛くて出来がいい」としか思わないディーノは、思いもしなかったスクデーリアの状況に深々とため息をついた。
「それは確かに、嫌かもな。クラスメートがオレのことばっかり言うんじゃ」
「本当の子じゃないんじゃないか、なんてことも、言われたって」
「ああ、そうだ、さっきもリアがそんなこと言ってたな。そんなわけねーだろ」
「僕も、そう言ったけどね。母子手帳まで見せたし。でも、リアが納得したって、学校の子がそれを言わなくなるわけじゃないでしょ。子供のやっかみだから、言葉も容赦ないし」
「よし恭弥、それ言ったガキぜんぶ城に連れて来い。オレがどんだけ苦労して恭弥をモノにして、どんだけ苦労して孕ませたか、逐一説明してやゴフッ!」
ディーノが言い終える前に、雲雀の投げた灰皿がディーノの腹にめり込んだ。
「バカ馬、そんなだからリアが僕らにいままでこの話できなかったんでしょ。リアがあなたを傷つけたくないと思って頑張ってるのに、あなたがそんなでどうするの」
「恭弥」
「あなたのすることは、もっと威厳を持って、リアを安心させることでしょ。僕と結婚する前の話なんて、どうでもいいの! だから、今日は寝室、別にするから」
「えっ!?」
予想外の方向から飛んできた展開に、ディーノは言葉を失って雲雀を見つめた。けろりとした顔でコーヒーを飲む雲雀は、ディーノの視線に気付くと、冷たく見つめ返す。
「リアが嫌な思いをしないように、あなたの無駄な色気を明日一日、封印しなくちゃね。だから、今晩は、よくよく潔斎しておくといいよ」
「恭弥…?」
「僕は、あなたの邪魔にならないように、カナと一緒に寝るから。それじゃ、おやすみ」
空になったコーヒーカップをティ・テーブルに置くと、ひらひらと手を振って、雲雀はサロンを後にする。
サロンには、心の準備もなく独り寝をすることになったディーノが、ぽつんと取り残された。
翌日、ディーノが昨晩独りだった分を取り戻すかのように雲雀に絡んだため、教室でいちゃつかれたスクデーリアの怒りは史上最悪のレベルまで達した。
ただし、美形で精悍なディーノと若くて美しい雲雀とのラブラブぶりを見せ付けられたクラスメートや教師たちは、現実を突きつけられたせいか、参観後にスクデーリアに絡むことはなかったという。