賢木

 スクデーリアは年齢の割に聞き分けのいい子だった。めったなことでは泣かないし、両親だけでなく、大人の言うことには素直に従う。勝手なことをしたのは、この数年間を振り返っても、草壁を撒いて独りで街に出たくらいのものだった。

 雲雀は「しっかりしたいい子に育った」と思っているが、ディーノは「素直にわがままを言ってもいいのに」とよく口にする。スクデーリアが生まれたときから付き合いのある周囲の大人たちは、キャバッローネ家の長女の自覚が、スクデーリアをきつく律しているのだということは、よくわかっていた。

 だから、ボンゴレ本部で同盟ファミリーのボスであるディーノも出席している幹部会議の最中に、スクデーリアが飛び込んできたとき、両親だけでなく、綱吉も守護者たちも、どんな緊急事態が起きたのかと、それは驚いた。




「うわあぁぁぁぁぁっ!」

 入ってはいけないと言われているボンゴレの会議室に入ってきたスクデーリアは、駆け寄った雲雀の顔を見るなり、雲雀にしがみついて声をあげて泣き出した。こんな火のついたような泣き方をすることは、学校へ行くようになってから一度もない。

 席を立ってきたディーノも、スクデーリアが背負っているスクール・バッグを下ろしてやると、心配そうに雲雀の隣で床に膝をついた。

 雲雀はスクデーリアの体に腕を回し、片手では髪を撫でながら、後から入ってきた草壁に原因を尋ねる視線を投げたが、草壁にも心当たりがないらしく、申し訳なさそうに首を振る。

「リア、ねえ。どうしたの?」

「ぅええぇぇぇぇぇ!」

 仕方なく本人に尋ねても、しゃくりあげるスクデーリアからの返事はない。ぐいぐいと雲雀の身体に顔を擦り付けて母親の存在を確かめながら、ぎゅうっと抱きついて離れない。

「リア。リーア。なあ、どうしたんだ」

 やさしくディーノが声をかけても、雲雀のスーツの向こうからくぐもった嗚咽が届くばかりだ。困った顔を見合わせたディーノと雲雀は、スクデーリアをあやしながら、ふと会議をぶっちぎってしまっていることに気付いた。

「迷惑かけてすまねーな、ツナ。もう少しリアが落ち着いたら別の部屋に行くから、構わず続けてくれねーか」

「いえ、いいですよ、ディーノさん。オレたちにとってもリアちゃんは姪っ子みたいなものですし、理由も気になりますし、無理に部屋を移ることないです」

「そうか…、悪ぃ」

 綱吉の配慮に感謝して、有難くディーノはスクデーリアに向き直った。一向に泣き止まない娘に切なくなったのか、雲雀がスクデーリアをすっぽり包むように抱きしめて、髪に頬を寄せている。

「……なにしてるの」

「いや、オレも入れてほしーな、と……」

 雲雀と向き合う位置から雲雀ごとスクデーリアを抱きしめたディーノを、雲雀は冷たく睨んで「あっち行って」とつぶやいた。

 すごすごとディーノが席に戻るのに合わせて、心配そうにスクデーリアを見つめている守護者たちの視線がディーノに集まる。

「リア、どうしたんだよ」

「わかんねー。あんなふうに泣いてるのなんて、幼稚園の頃以来だし……」

「いじめられたんでしょうか」

「どーだろ…。そんなことで泣く子じゃねーけどな……」

 山本とランボが訊ねる隣で、獄寺は眉間にそれは険しいシワを寄せている。煙草を消した獄寺を見て、窓を全開にしたクロームが、スクデーリアの好きなココアをメイドに言いつけた。

 やがて、涙が落ち着いたスクデーリアをつれて、雲雀が議卓に戻ってきた。雲雀が座っていた椅子にスクデーリアを座らせると、タイミングよくココアが届く。

「で、リア。いったいどうしたの」

 スクデーリアにココアのマグカップを渡して、雲雀は改めて質問した。泣くだけ泣いて落ち着いたスクデーリアは、嫌な記憶を呼び戻さなくてはならなくて少し眉尻を下げたが、深呼吸して涙を堪えると、しっかりした口調で話し始めた。

「鏡を取られたの。ルイーズとアンナに。返してって言ったのに、返してくれなかったの」

「それが悲しくて、泣いたの?」

「ううん。大事な鏡なのに取られて、取り返せなかったのが悔しかった。わたし、あの鏡があれば、他のお化粧道具なんて、ひとつもいらないのに」

「鏡って、あのすごく大事にしていた、金の鏡?」

「うん」

「なんでそんなに大事なものを、学校に持って行ったの」

「持って行こうと思ってたわけじゃないよ。昨夜、ハンカチを取り替えた時に間違えてカバンに入れてたの。学校で気がついて、なくさないようにしまってる時に、ルイーズに見つかって……」

 ガタッ!

 イライラとスクデーリアの話を聞いていた獄寺が、おもむろに立ち上がる。

「10代目。いま何人動かせましたか」

「すぐにってことなら、30人くらいかな」

 唐突な獄寺の問いにさらりと綱吉が答えると、獄寺はスクデーリアのところへ行って膝をつき、スクデーリアと目線を合わせてその手を取った。

「リア。鏡はすぐに取り返して来る。泣くことねーからな」

「獄寺さん……」

「帰ってくる頃には、微笑っててくれよ」

 安心させるように微笑んで、獄寺は立ち上がる。

「行ってくる」

 内ポケットからサングラスを出してかけながら、獄寺は会議室を後にする。

「待てよ、獄寺」

「沢田、すこし出てくるぞ」

「オレもちょっと散歩に行ってきます」

「骸様、来てくれるかなー…」

 足早に出て行く獄寺を追って、山本、笹川兄、ランボ、クロームが次々と席を立つ。綱吉は穏やかな微笑を浮かべて守護者たちを見送った。

「ロマーリオ。イワンを動かせ」

「了解、ボス」

 自分が動くと目立ちすぎるディーノは、部下を動かすべく指示を出す。ロマーリオは、すぐに携帯電話を取り出した。

「哲、わかってるね」

「はい、恭さん」

 雲雀の言葉にうなずいた草壁は、携帯電話を操作しながら部屋を出て行く。

 会議室には、スクデーリアとディーノと雲雀と綱吉の4人だけが残った。

「リア」

 ディーノに名を呼ばれて、スクデーリアはびくびくと振り向いた。

「ごめんな。オレは最初、リアが泣いてるのは、大事な鏡を取られたことに対してかと思った。でも、ちゃんと戦ってきたんだな。偉かった。頑張ったな」

 ぽんぽん、と優しく頭を叩いて微笑んだディーノに、スクデーリアはまたぽろっと涙をこぼす。雲雀はディーノがきちんとスクデーリアの行動を評価したことにほっとして、綱吉に歩み寄った。

「騒がせたね。みんな出て行ったから、今日は再開は無理そうだ。悪かったね」

「いいですよ。オレだって、本当は獄寺君たちと行きたかったくらいです」

「みんな、馬のこと『親バカ』って言えないね」

 くすくすと笑う綱吉に、雲雀も呆れ顔で苦笑する。

「それにしても、リアちゃんはクラスメイトと上手くいってないんですか?」

「多少ね。人間は愚かだから、欲しいのに手に入れられないでいる物を、隣にいる人間が持っていたら、妬むこともあるだろう。子供ならなおさらだ」

「それを仕方ないと言ってしまうのは、リアちゃんが可哀相じゃないですか?」

「それでも、仕方ないものは仕方ない。僕も馬ももちろんリアも、顔は変えられないし、ファミリーを捨てて無一文にもなれない。美人であることや裕福なことを妬まれても、手放せないものが原因なんじゃ、受け止めるしかないよ」

「それはそうですが…」

 きっぱりと言い切る雲雀は、綱吉にはすこし冷たく感じる。綱吉だったら、仕方がないと割り切ることは難しい。

 そんな綱吉のニュアンスを感じた雲雀は、言葉足らずだった部分を説明するように話を続けた。

「悪いか悪くないかで言ったら、いじめる方が悪いよ。けど、それとは別のところで、リアには、どうしようもないことを嘆くより、よくない状況を乗り越えることを考える子に育ってほしい」

「確かに、それは大事です」

「それに、馬がリアを褒めたのは、きちんと嫌なことを嫌だと言って、敵わないなりに努力してきたことだけじゃないよ。すこし前から、リアには護身用の小さな銃を持たせてる。それを使えば、きっと鏡はすぐに返ってきた。でも、リアは使わなかったんだ」

 まさか10歳の娘に銃を持たせているとは思わなかった綱吉は、驚いて息を飲み、なにか言おうとして失敗した。呼吸が変に肺に入って、げほげほとむせる。

「…リアちゃん、銃持ってるんですか」

「ああ。女性用の、小さいのだけどね。リアの射撃はまだ下手だけど、威嚇には充分だ。でも、クラスメイトに使わなかった。その自制心と判断力は、さすが僕の娘だよ」

 スクデーリアを甘やかすように慰めるディーノと、泣いて慰められて立ち直り始めたスクデーリアを振り返った雲雀は、とても誇らしげだった。

 綱吉はそんな3人を見つめて、スクデーリアはさぞ立派な女マフィアに育つのだろうなぁと苦笑する一方で、ボンゴレの守護者たちに報復されるスクデーリアのクラスメイトがこれに懲りて、もうスクデーリアをいじめないでくれたらいいと思った。


Page Top