関屋

 キキキキキ!!

 派手なブレーキ音を立てて、フェラーリが停まる。

 その勢力の大きさに遜色なく敵も多いボンゴレ本部では、正面玄関にそんな停まり方をする車があれば、警戒して当然だった。バラバラと人が集まってくる中、しかし車の主は警備の人間は眼中にないといった形相で降りてくると、建物内へと走り出した。

「ドン・キャバッローネ!?」

 件の金髪の人影は、同盟ファミリーのボスにして、雲の守護者の夫でもあるディーノだ。玄関警備の責任者は、驚いて用向きを尋ねようとしたが、その猶予もなくディーノは本部へ入っていった。

 勝手知ったるボンゴレ本部の、目指すは雲の守護者執務室。

「きょーやぁぁぁっ!!」

「うるさい」

 ゴッ!!

 雲雀の名を叫びながら執務室のドアを開けると、間髪入れずに雲雀がペーパーウェイトを投げつけた。円盤型の重いガラスは、水平に回転しながら飛んでいき、ディーノの額に命中する。

「哲。悪いけど、その馬ソファに運んだら、しばらく外してくれる?」

「わかりました」

 床に伸びたディーノを呆れた顔で見下ろして、雲雀は腹心の部下に指示を出した。




 ディーノが頭にズキズキと響く痛みを我慢しながら目を覚ますと、目の前に雲雀の胸があった。頭の下には、柔らかくて弾力のある感触。雲雀の膝枕だと気付いて、ディーノは素直に喜ぶ。

「あ、起きたね? じゃ、どいて」

 ディーノの様子を見ながら書類に目を通していた雲雀は、ディーノが目を覚ましたことに気付くと、素っ気なく追い立てる。ディーノは頭を雲雀の太ももに預けたまま、雲雀の手を取って口付けた。

「せっかくなんだから、もうちょっとくらいいいだろ」

「僕、まだ仕事中なんだけど」

 執務机の上の書類を移動させたのだろう。応接テーブルに積まれている書類は、まだまだどっさりある。ソファに寝かせたディーノに膝枕ならできても、話し相手になる余裕はないらしい。

「まだ頭痛ぇんだぞ。労わってくれよ」

「叫びながら飛び込んでくるあなたが悪いんでしょ」

「いや、あれは叫びたくもなる」

 ディーノはきっぱりと言い切って、根負けした雲雀が話を聞いてくれるのを待った。

 本当に重大なことなら、ロマーリオから草壁に連絡があるのが、本来の情報伝達ルートだ。だが、草壁は何も言っていなかった。だから、ディーノの言う『叫びたくなる事件』が、ディーノが言うほど緊急でも重要でもないと、雲雀にはわかっていた。

「リアがどうかしたの? まだ沢田綱吉のところにいるけど?」

 実際にはたいしたことはなくても、ディーノが大騒ぎするようなことと言ったら、あとはこれしかない。ディーノの粘り勝ちになってしまうのは癪だったけれど、このまま押し問答しても埒が明かないので、雲雀は話を促した。

「ツナのとこ? スモーキン・ボムもいるのか?」

「それは知らない。なに? 獄寺隼人がどうしたの?」

「それなんだよ恭弥。オレのリアが取られた…!」

 どういう意味かと話を始めから聞き出せば、すこし前に綱吉から電話で、スクデーリアの社交界デビューに条件をつけたいと話があったという。その条件とは『スクデーリアが15歳になるまでは、獄寺が認めた男でなければスクデーリアに求婚できない』というもの。なぜそこで獄寺なのか、綱吉は説明せずに電話を終えたため、ディーノは獄寺がスクデーリアを狙っているのだと考えた。

「確かに、オレはリアを社交界に出すって言ったけど! スモーキン・ボムにくれてやるためじゃねーぞ!!」

「はいはい。獄寺隼人じゃない別の男にくれてやるつもりだったんでしょ」

「誰にもくれてなんかやらねーんだって!!」

「あなたがそう言ってたって、リアはあなたじゃない別の誰かのものになるよ。リア自身が望んで、ね」

 駄々を捏ねる子供のように雲雀にしがみついて喚くディーノに、雲雀は気のない慰めを言う。雲雀自身は、子供は自分の分身でも被支配者でもないと割り切っていて、スクデーリアさえ望むのであれば、その選択はどうであってもいいと思っているので、ディーノのこだわりは正直うっとうしい。

 雲雀がそんな調子なので、ディーノは起き上がると、すがるように雲雀を抱きしめた。

「だって、リアは恭弥が産んでくれた大事なオレの娘だぞ? なんで他の男なんかにリアをやらなきゃなんねーんだよ……」

「それが親子ってものだよ。あなただって、そうやって僕を手に入れたんでしょ」

「う……」

 娘を持ったいまになって、自分がどれだけ容赦なく雲雀の親から雲雀を奪ったかが身に染みているディーノは、いちばん痛いところを指摘されて言葉に詰まった。

「だいたいね、リアはまだ10歳だよ? 求婚者がいたって、婚約するにも早すぎれば、どうしうようもないでしょ。あなたは、リアくらい美人なら男が言い寄って当たり前、くらいに思ってればいいの」

「でも恭弥…」

「獄寺隼人が防波堤になってくれるなら、好都合じゃないか。奴は沢田綱吉の言葉には絶対に従うし、沢田綱吉はリアのためにならないことには指一本動かさないよ。いま考えられる中では、五指に入る人材だね」

 落ち着いたところへ理詰めで諭されて、ディーノは反論できずにしょげた。確かに、雲雀の言う通りなのだ。だが、嫌なものは嫌だ。理性と感情のせめぎあいは、意外に辛い。

「まったく。いまからこんなんじゃ、あなた、リアの結婚式にヴァージンロード歩けないんじゃないの?」

 ヴァージンロードは、花嫁の父が花嫁を祭壇に導く、いちばんの晴れ舞台だというのに。情けなさそうにため息をつく雲雀に、ディーノは一言も出ない。さすがにヘコませすぎたかと、ちょっとディーノを気の毒に思った雲雀は、ちゅっと軽いキスをして、ディーノを浮上させにかかる。

「ウチは二人とも女の子だし、お嫁に行っていなくなっちゃうから、男の子産まなきゃね?」

 言ってから、雲雀は自分の作戦ミスに気付いた。いまの発言は、確実に、子作り推奨発言だ。

 がしっ!

 予想通り、ディーノはエネルギッシュに目を輝かせて、雲雀の肩を掴む。

「恭弥」

「ここでやったら咬み殺す」

 出鼻を挫かれたディーノは、えええ? と不満の声を上げる。しかし、いくら人払いをしていても、ここはボンゴレの執務室だ。

「城に帰って、子供たちが寝た時に、僕が眠くなかったらね」

 雲雀はそう言ってディーノを牽制すると、期待を持たせるように微笑んだ。




 風呂から上がったディーノは、浮かれた足取りで寝室に向かっていた。

 昼間はスクデーリアのことでかなり大変だったけれど、珍しく雲雀が夜の誘いなどしてくれたので、いまはもう最高に幸せだ。

 別に、雲雀と体を重ねるのが久しぶりというわけではない。どちらかが出張で不在にしているのでもない限り、何日か置にはそういう夜になっている。ただ、雲雀から、昼間のうちから誘ってくれることは、出会ってこの方片手で足りるほどしか記憶にないというだけで。

 誘ってくれたのだから、ちょっとくらい激しくなったところで問題はなかろうと、ディーノの期待は膨れ上がる。

「恭弥、待たせたな?」

 寝室に入り、弾んだ声で待たせたことを詫びると、雲雀はもうベッドに入って横になっていた。返事がないので、待たせているうちに拗ねてしまったのかと、ディーノは慌ててベッドに近づく。

 雲雀はディーノを待つことなく、熟睡していた。ご丁寧に、ディーノの側へ背中を向けて。

 拗ねているどころか、待っていてもくれなかったことにショックを受けて、ディーノはべしゃりとベッドに突っ伏す。しかし、その拍子の揺れにも、雲雀は反応しない。完全に眠ってしまっているのだ。

「恭弥? なあ、寝ちゃうなよ~」

 あんまり楽しみにしすぎて諦めのつかないディーノは、雲雀の肩を揺すった。なにせ、6時間前から楽しみにしていたのだ。ここでお預けはとてつもなく虚しい。

「……ん…? なに……?」

 しつこくゆさゆさと肩を揺らすと、雲雀がうっすらと目を覚ました。寝ぼけてかすれた声が、ディーノにはとても可愛く聞こえるが、いまはそこは問題ではない。

「恭弥、オレ、ずっと楽しみにしてたんだぜ? 起きてくれよ」

 雲雀のパジャマの中へ手を進入させながら、ディーノは雲雀の唇にキスをいくつも降らせた。すこしのあいだそのキスに応えた雲雀は、だが、ダメとつれない一言を口にする。

「なんで? 誘ったのは恭弥だろ?」

「やなものはや。ダメ」

「子供たちが寝た後で、って言ったじゃねーか」

「言ったけど、その時に僕が眠くなかったら、とも言った」

「なんだよ、男の子産んでくれるんだろ? 産むには、まず作らなきゃ」

 ちゅっちゅっと頬や耳にキスをして、ディーノは雲雀の気持ちをこちらに向けようと、一生懸命にアピールする。だが、雲雀は眠そうにディーノを睨んで、構わずに寝てしまおうと目を閉じた。

「恭弥…」

 器用にボタンを外したパジャマの中、子供を産んですっかり豊かになった胸を揉みながら、ディーノはなおも粘る。眠い雲雀が抵抗しないのをいいことに、なんとかして押し切ってしまおうと、ディーノは手際よく雲雀の衣服を肌蹴ていく。

「やだ…、ほんとにダメ。やめて。あと2ヶ月は無理」

 ディーノがあまりに諦めないので、雲雀もとうとう苛立った声を上げた。仕方なく起き上がった雲雀は、べしっとディーノの手を叩くと、乱されたパジャマを正す。

「恭弥から誘ったのに、そりゃねーだろ…。だいたい、あと2ヶ月ってなんだよ」

 楽しみが潰れて機嫌が悪くなったディーノは、口を尖らせて文句を言う。雲雀は一瞬むっとした表情を浮かべたが、すぐに思い直したのか、残念そうなため息をついた。

「本当は、あなたの誕生日に言おうと思ってたんだけどね……」

「なにを?」

「赤ちゃん、できたよ」

「……マジで?」

 ディーノの確認に、雲雀はこっくりとうなずく。ディーノはまじまじと雲雀の腹を見つめた。

「あとちょっとで3ヶ月。だから、落ち着くまではダメ」

「恭弥…!」

 雲雀が言い終わるかどうかのうちに、ディーノは雲雀を抱きしめていた。

「すげー嬉しい! 3人目だな。マジ嬉しい! 大事にしような」

「そうだね。…だからあなたは、この子が男の子になるように、祈ってて」

「あ…、それで『男の子産まなきゃ』なのか」

「そうだよ。あなたの誕生日にプレゼントで話そうと思ってたのに…。プレゼント考え直さなきゃ」

 話がすべて伝わったところで、気持ちが緩んだのか、雲雀はぶるりと身体を震わせる。寝入り端に布団を剥がされては、身体が冷えても仕方がなかった。

「あっ、悪ぃ」

 ディーノは慌てて雲雀を抱きこむと、布団をすっぽりと被る。ディーノの体温と、温かさが逃げ切っていなかった布団に包まれて、雲雀はほっと息をついた。

「お腹、蹴らないでね」

「おう。まかせとけ」

 おやすみなさいのキスをして、サイドボードのスイッチで照明を落とす。

 そして、ディーノは改めて雲雀を守るように抱きしめて、眠りに落ちた。


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