絵合

 綱吉の後見での社交界デビューが決まってから、スクデーリアは学校帰りにボンゴレ本部に寄るようになっていた。社交界のマナーを覚えるためだ。ディーノは、それならキャバッローネでだってできるといい顔をしなかったが、スクデーリアはキャバッローネでは甘えてしまうかもしれないからと言って押し切った。

 マナーを身体に馴染ませるのは予想以上に大変だけれど、休憩時間には守護者用サロンで生まれたときから妹のように可愛がってくれている大人たちとしゃべれるので、スクデーリアはボンゴレ本部に寄るのが楽しみで仕方なかった。

 今日も、サロンへ行くと、兄もどきたちが3人くつろいでいて、スクデーリアを歓迎してくれた。

「オレもよく知らなかったけど、社交界デビューって大変なのな。頑張れよ」

「ありがとう、山本さん」

「オレのときには、マナー研修なんてなかったけどなぁ」

 山本が自分たちの昔を振り返っていると、綱吉がスクデーリアを呼んでココアのカップを渡してくれた。

「調子はどう? なにか、困ったことはない?」

「ありがとうございます。わたしの未熟さに気づくことはありますけど、いまのところは、お力添えいただくほどのことはありません」

「そう。ならよかった。なにかあったら、いつでも言ってね」

「はい。お言葉に甘えて、その時には遠慮なく相談させていただきます。お気遣いいただいて、ありがとうございます」

 綱吉は、スクデーリアの改まった会話が格段に上達していることに気付いて、安心した微笑を浮かべた。本心では、スクデーリアの他人行儀な言葉遣いは寂しいのだが、レッスンの成果を見せるためにあえて敬語遣いを崩さないスクデーリアの気持ちを汲んで、そこは仕方がないと我慢する。

「今日は、これで終わりか?」

 換気のために窓を開けに行っていた獄寺が、スクデーリアの傍に寄ってくる。スクデーリアは隣に腰を下ろした獄寺に、「うん」と返事をした。

「あ、そーだ。リア、今日はおやつあるぜ」

 山本がそう言ってキャビネットから出したのは、細長いプレッツェルにチョコレートをかけた…、つまり、ポッキーだ。

 ココアにポッキー…と、綱吉や獄寺は思ったが、山本は細かいことを気にしないので、ばりばりと箱を開けてテーブルに出す。スクデーリアはチョコレートが大好きなので、わぁいと声を上げて手を伸ばした。

「あ、ねぇ、獄寺さん。ポッキーゲームって、知ってる?」

 ポッキーを食べながら、スクデーリアは隣の獄寺を振り返った。大人たちは、なぜ小学生のスクデーリアがポッキーゲームを知っているのかと、げほげほとコーヒーにむせる。

「リア…、それ、どこで聞いたんだ?」

「今日、学校でミナが言ってたの。ポッキーゲームってなに? って。みんな知らなくて、なにそれーって言ってて」

「や……、普通の小学生は知らなくていいと思うよ、リアちゃん」

 綱吉の言葉に、大人たちはうんうんとうなずく。なぜ知らなくていいのかもわからないスクデーリアは、「そうなの? なんで?」と罪のない疑問で首を傾げた。

「リア」

 サロンに入ってきた雲雀が、リアを呼ぶと、迎えの車が来たと告げる。スクデーリアはうなずいた。

「ありがとう、ママ。でも、ちょっと待って。いま獄寺さんたちに、ポッキーゲームを教えてもらってるとこなの」

「ポッキーゲーム? なんでそんな時代遅れの合コンゲームの話になってるの?」

「合コンってなに?」

 合コンの意味も知らないスクデーリアに、雲雀はため息をひとつついた。

「ポッキーゲームっていうのは、男女一組でポッキーを使ってやるゲーム。やって見せようか」

 そう言った雲雀は、テーブルのポッキーを1本取ると、背後の草壁を振り返った。

「きょっ、恭さん! 冗談はやめてください!!」

「冗談なんか言ってない。ここにいる中なら、哲しかいないだろ?」

 血相を変えて慌てる草壁に、雲雀は人の悪い微笑を浮かべて詰め寄る。大人たちは雲雀の矛先が自分に向くことが恐ろしくて、助け舟が出せない。「許せ、草壁」と合掌する。

「恭さん、本当に、勘弁してください! 自分はドン・キャバッローネに殺されたくありません!」

「あっ、あの…ヒバリさん。それは、家に帰ってからディーノさんと実演するんじゃ、ダメなんですか?」

 必死の草壁があまりに気の毒すぎて、意を決しておそるおそる口を挟んだ綱吉を、雲雀はじっとりと睨む。

「お預け中の馬にポッキーゲームなんかさせたら、どうなるか、想像つかないとは言わせないよ」

「あの、でも、草壁さんが気の毒かな、なんて……」

「なら、君がやりなよ。ほら」

 ポッキーを差し出して、雲雀はふふんと笑う。雲雀のスイッチが入ってしまったのだと、綱吉はがっくりうなだれた。

「すみません。ヒバリさんとポッキーゲームは、オレも命が惜しいので……」

「僕とじゃなくていいよ。ていうか、それは僕もやだ。山本武とでもやれば?」

「あの、なんでそんなに実演にこだわるんでしょうか……」

「じゃあ、獄寺隼人は?」

 綱吉の心からの疑問は、あっさりとスルーされた。思いがけずにお鉢が回ってきた山本と獄寺は、先ほどよりも勢いよくコーヒーを吹きだす。

「お、おいっ! ヒバリっ!」

 抗議の声を上げる獄寺を、雲雀は楽しそうに振り返ると、スクデーリアを示した。

「獄寺隼人、君がやるなら、相手がリアでも許すよ?」

「えっ…」

 絶句した獄寺が耳まで真っ赤になるのに時間はかからない。これまでのやりとりで、ポッキーゲームというのは自分が知っていいことではないのだと、悟ったスクデーリアは雲雀に駆け寄った。

「ごめんね、ママ。だいたいわかったし、もう訊かない。だから、みんなを許してあげて」

「リア。…なんだ、リアから訊いてたのか。いいの?」

「うん、いい。みんなを困らせてまで知りたいわけじゃない」

「そう。君たち、よかったね」

 そう言って、雲雀は興ざめしたようにサロンを出て行く。まだ動揺の残っている草壁も、雲雀に促されて出て行った。

「ふう…。助かったのな」

「やっぱり、怒ったヒバリさんは怖いね」

 山本と綱吉が安堵のため息をつく。獄寺はちっと舌打ちして、カップに残ったコーヒーを飲み干した。

「みなさん、ママがごめんなさい」

 申し訳なさでいっぱいのスクデーリアが頭を下げると、3人は苦笑して首を振った。

「リアが謝ることじゃねーよ」

「そうだよ。確かにヒバリさんは誤解してたけど、ヒバリさんが怒っても仕方ないことだから」

 しかし、スタート時点であるポッキーゲームがなんなのかわからないスクデーリアには、雲雀が怒った理由もわからないし、だから綱吉たちが許してくれる理由もわからなくて心苦しかった。

 表情の晴れないスクデーリアを見て、どうしたものかと思った綱吉は、山本に目配せをして立ち上がる。

「獄寺君。リアちゃんにぜんぶ説明してあげて」

「10代目!?」

 慌てる獄寺ときょとんとするスクデーリアを残して、綱吉と山本はサロンを出て行く。獄寺はふたたび赤くなって、取り繕うように咳払いした。

「あ…、あのな」

「はい」

 真面目に返事をするスクデーリアは、大人たちを怒らせたり慌てさせたりしてしまっていることに、罪の意識を感じていた。それがありありとわかって、獄寺は言葉を切ると深呼吸する。

 確かにスクデーリアの問いが事の発端だが、今後、知らないことを大人に訊ねることを躊躇わせてしまうようなことにはしたくない。真剣な質問には、真面目に答えなくてはいけなかった。

「ポッキーゲームってのは、オレらがガキの頃に大人のあいだで流行ってた遊びだ。男と女が、ポッキーの端からそれぞれ食ってって、折らねーで食いきった方の勝ち。そーゆー馬鹿げたゲームだ」

「え…と? 折らないで食べられるものじゃないの?」

 試しにポッキーを折らないように食べてみたスクデーリアは、わざわざゲームになりはしないだろうと思う。獄寺は「違う」と言って、スクデーリアにポッキーの端を咥えさせた。

 腰をかがめてもう一方の端を咥えた獄寺は、戸惑うスクデーリアをまっすぐ見つめて、さくさくとポッキーを食べていく。唇が触れてしまう前にぱきんと折ると、身体を起こして、真っ赤になってしまったスクデーリアを見下ろした。

「こーやって、1本を2人で食うんだ。折らねーように食えばどーなるか、わかるだろ?」

「…っ!!」

 折れば負け。折らなければ、キス。勝負事に負けたくないという人の基本心理を逆手に取った大人のゲームに、スクデーリアは言葉が出ない。

「だから、ヒバリは怒ったんだ。オレらがリアに軽々しく誰とでもキスするよーなことを教えようとしてたんじゃねーかって。オレらも、もっとちゃんと、リアに『それはダメなことだから、不用意に口にしちゃいけねー』って、言えてなきゃいけなかった。だから、オレらがヒバリに怒られるのは、仕方ねーんだ」

「獄寺さん……」

「わかったら、2度とポッキーゲームなんて男の前で話題にすんじゃねーぞ。わざと自分から負けてくれる男なんぞ、普通はいねーからな。そーゆーのは、いつか本気で惚れた男のためにとっておけ」

 言い聞かせるようにぽんと肩に手を置いた獄寺は、自分の言った言葉がたまらなく苦しくて、堪えるようにそっと微笑んだ。

 ポッキーゲームにかこつけてでも、スクデーリアにキスできたら、その場で雲雀に咬み殺されてもかまわない。そう思いながら、他の男のためにとっておけと言うのは、意外にしんどい。

「ほら。迎えの車、待ってるぞ。玄関まで送る」

 重くなりかけた雰囲気をごまかすように、うつむいてしまったスクデーリアを促して、獄寺はサロンを出る。隣を歩くスクデーリアが一言も発さないことを、おかしいと思う余裕なんてなかった。

 獄寺に見送られたスクデーリアは、走り出した車の後部座席で、感情を逃がすようにため息をついた。獄寺がポッキーに口をつけてからわざと折るまでの数秒間、獄寺がゲームを成功させてくれたらと胸を甘く痺れさせていた自分の、勝手な舞い上がりがいたたまれない。

 獄寺のグリーン・アイズが、息のかかるほど近くにあったあの時間は、スクデーリアには永遠に続いたらいいと思う時間だった。あの、痛くて苦しくて甘い数秒間…。




 キャバッローネに向かう車と、ボンゴレ本部の玄関ホール。離れた場所で、おなじ時におなじ気持ちを抱えて焦がれ合う偶然を、人は運命と呼ぶ。


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