松風 01

 雲雀が綱吉の執務室へ来ることは、とても珍しかった。

 ボンゴレ本部に来ても、雲雀は自分の担当業務を処理するために必要な場所以外には顔を出さない。せいぜい、スクデーリアがこちらに来ている時に守護者用サロンを待ち合わせ場所にするくらいだ。

 その雲雀が来たことに、綱吉はまず驚いて、それから、雲雀の顔色が紙のように真っ白なことに、さらに驚いた。

「リアがいなくなった」

 雲雀が硬い調子で切り出した内容に、綱吉はガタン! と音を立てて立ち上がった。雲雀は落ち着けと言う代わりに綱吉を手で制すると、執務机の前に立つ。

「学校に迎えに行った哲が、校門に着いたのが14時半。授業が終わる時間だ。そのあと、ホームルームと掃除をして、リアはたいてい、15時には校舎から出てくる。リアが出てこないことを哲が不審に思ったのが、15時半。守衛から職員室に問い合わせて、校内にいないとわかったのが15分後。その間、リアからの連絡は一切ない」

 淡々と説明する雲雀の声は、強張ってはいるものの、動揺は見られない。この精神力はいつものことながら感心するばかりだ。綱吉は、いま聞いた範囲のことだけで、スクデーリアの身が心配で居ても立ってもいられなくなっているのに。

 時間を細かく追っている雲雀の報告につられて、綱吉は時計を見た。ちょうど、16時。

「哲から僕に報告が入ったのは、15時45分。僕から馬に連絡して、いまはキャバッローネが動いてる」

「わかりました。ボンゴレからも人を出します」

「いや。それをしないでもらいたくて来た」

 犯人に心当たりのない略取なら、マフィアの人海戦術はかなり有効だ。しかし、雲雀はきっぱりと首を振って断った。

「ボンゴレが動くなら、確実に獄寺隼人の耳に入るだろ? いまは馬が逆上してる。態度には出さないようにしてるようだけど、獄寺隼人の顔を見たら、なにを言い出すかわからない。だから、君に獄寺隼人を止めておいてほしいんだ」

「なるほど、わかりました。できるかぎり努力します」

「それじゃ意味がない。成功して」

「…はは」

 雲雀の容赦ない注文に、綱吉は乾いた笑いをこぼした。この後すぐに獄寺を呼び出して、ずっとここに缶詰にするしかなさそうだ。

「獄寺君のことは、引き受けました。ほかにオレが手伝えることがあれば、いつでも言ってください」

「そのときには遠慮なくそうさせてもらうよ。じゃ、僕は行くから」

「ヒバリさんも? 大丈夫なんですか?」

 雲雀は身籠っているとわかったばかりだ。仕事も負担の少ないデスクワーク中心になるよう調整している。しかし、雲雀は綱吉の心配を余所にうなずいた。

「僕が行かないと、馬が暴走しかけた時に止める人間がいなくなる。心配は要らない。跡継ぎになるかもしれないお腹の子と、政略結婚ができるだけのリアじゃ、重要度が違う」

「それは、ヒバリさんがリアちゃんを見捨てる、ということですか?」

 聞き捨てならない物言いをした雲雀に、綱吉の表情が険しくなった。

 確かに、スクデーリアは女の子だから、ファミリーは継げない。女性を構成員にしないイタリアン・マフィアでは、せいぜい、有力マフィアと政略結婚をするくらいしかできないのは事実だ。だが、女の子だからこそ、綱吉は余計にスクデーリアが可愛かった。

 雲雀は青褪めた顔色のまま、けれど淡々とした表情で、綱吉の睨みを受け止める。

「冗談は、人を選んで言ってくれ。いまの僕には、君の冗談を聞くだけの余裕がない」

「さきにとんでもないことを言ったのは、ヒバリさんですよ」

「客観的に見て、リアには、危険を犯して誘拐するような価値がない。だから、大事になる可能性は低い。そういう意味だよ。……僕にはそれが勝算だ」

 それが真意なら、言葉を選ぶ余裕さえ、雲雀にはないということになる。綱吉は雲雀の心痛の度合いを見誤ったのだと気付いた。

 そうだ。突然娘がいなくなって、平気な母親がいるはずはなかった。

「お引止めしました。動きがあれば、知らせてください」

「獄寺隼人の件、よろしく」

 執務室を出て行く雲雀の背中を見送って、綱吉は内線の受話器を取り上げる。獄寺の足止めのほかにも、打てる手はすべて打っておこうと思っていた。

 数秒後、綱吉の素っ頓狂な大声が執務室に響く。

「獄寺君、出かけちゃった!?」




「恭弥!」

 部下の運転する車でキャバッローネの本部に着くと、厳しい表情のディーノが駆け寄ってきた。二人は支え合おうとするように抱き合い、ディーノの車に足を向ける。

「ツナ、なんだって?」

「心配してたよ。手伝えることがあれば、なんでも言ってくれって」

「そうか」

 優しい弟分の言葉を噛み締めて、ディーノはそれを自分のエネルギーに変換する。

 キャバッローネの娘が行方知れずになったのだから、これはキャバッローネ・ファミリーの事件だ。ボンゴレの力は、借りないし、借りられない。けれど、気持ちの問題として、綱吉がボンゴレを動かす決断をするくらい心配してくれているということが、とても嬉しかった。

 後部座席に乗り込むと、行き先を決めてあった車は、指示を待つこともなく走り出す。

「動きがあったの?」

「あったと言や、あったな。マフィアでリア絡みの動きをしているファミリーはなかった。末端まで調べたから、ほぼ確実だ」

 ディーノの腕は、雲雀を抱き寄せたままだ。雲雀は、他ファミリーのボスの妻と違って、家庭にいて守られる存在ではないから、いかにも〝女〟ということを見せ付けるようなこの体勢はあまり好きではなかったが、いまはすぐ隣にディーノがいると実感できることはとても救いだった。

「てことは、堅気の仕業か……。厄介だね」

 この先の展開を憂うように目を伏せた雲雀を、ディーノは励ますようにぎゅっと腕に力を込めた。

「リアの学校に行って、教師にもう少し事情を聞いてみようと思う。草壁が一通り動いてくれてるが、親じゃねーと言わねーこともあるだろうからな」

「……うん」

「歯切れ悪いな? どうした?」

 きゅっとディーノの上着を掴んだ雲雀を、ディーノがあやすように髪を撫でて訝しむ。雲雀はディーノの存在が間違いなくここにあるのだと確かめるように、ディーノの肩に頬を摺り寄せた。

「リア、ちゃんと帰ってくるよね?」

「ん? 当然だろ?」

「もしものこととか、ないよね?」

「あるわけねーだろ。オレたちの娘だぞ?」

「そうだけど……そうだけど、でも………」

 雲雀のはっきりしない言い方に、ディーノは雲雀がスクデーリアを失う恐怖にこれほど怯えているのだと、改めて実感した。

 雲雀をぎゅっと抱きしめて、ディーノは自分をも励ますように言う。

「大丈夫だ。リアはそんなヤワな子じゃねー。キャバッローネの総領娘だぞ。こんなとこで負ける子じゃねーよ」

「うん……」

「しっかりしろ。恭弥がそんなんでどーする? 恭弥が檄飛ばしてくれたら、リアを探してる連中は200%の力が出せるんだぜ」

「……なにそれ。僕が言わなくても、250%出しなよ」

「そうそう、その調子」

 ディーノの笑みにつられて雲雀もふっと軽い微笑を浮かべたとき、スクデーリアの通う学校が見えてきた。




 校舎に入ると、雲雀の到着を待っていた草壁が出迎えた。

「恭さん。申し訳ありません」

「責めは後だ。状況はどうだい?」

 深々と頭を下げる草壁に、雲雀は事務的に報告を促す。草壁はうなずいて、口調を切り替えた。

「担任の教師に確認をしたところ、ホームルームを終えて教師が教室を出るまで、お嬢さんは教室にいたとのことです。今日は掃除当番ではないので、ホームルーム後に教室に残っていることは考えにくいそうです」

「哲は校門にいたんだよね。リアが出てきて、見落とすとは思えないけど」

「はい。昇降口まで見渡せる地点でお待ちしていましたので、校舎のこちら側においでになれば、かならず確認できました」

「と言うと?」

「私がいた地点から、出入りの確認ができない場所が二つあります。ひとつは、職員用玄関。ここは生徒の使用が禁止されています。もうひとつは、給食用の搬入口です。離れになっている給食調理室に接していて、校舎とは直結していません」

「わかった」

「っし! てめーら、行くぜ」

 草壁の報告を聞き終えた雲雀がうなずくと、ふたりの会話を聞いていたディーノが校長室へ向かって歩き出した。後ろにぞろぞろと部下たちがついていく。保護者の来訪と言うより、マフィアの殴り込みと言ったほうが正しいような光景だ。

 ディーノはこれから、校長と担任から話を聞きに行くことになっている。草壁が最初にスクデーリアのことを問い合わせたとき、学校側は心配して、すぐに対応を始めたようだったが、その内容や結果については口を濁して、草壁にはなにひとつ漏らさなかった。そこで、ディーノが保護者の肩書きを振りかざして、必要な情報をひとつ残らず聞き出そうというわけだ。

 だが、雲雀は別行動をすることをディーノに合図すると、草壁を連れて校舎の裏へ回った。

「恭さん、どうされました?」

「給食室の搬入口と、職員用玄関を見に行く」

「ドンとご一緒でなくて、よろしいのですか?」

「まがりなりにもボスだからね、堅気の他人がいるところじゃ、被った猫が脱げるようなことはしないよ。その点は、僕よりずっと上手い。馬から目を離しても大丈夫ないまのうちに、僕は僕で動いておく」

「痕跡、あるでしょうか?」

「なくてもともとだけど、僕はあると思ってるよ」

 草壁と会話をしながらも、雲雀の目は鋭く周囲の状況を観察していく。草壁は雲雀を守るように気を配りながらついて行った。

 やがて、雲雀が足を速め、職員用玄関の先にある通用門の横にしゃがんだ。

「恭さん?」

「ほら、あった」

 雲雀が拾ったのは、スクデーリアの金の鏡だった。

「これがここにある、ということは……」

「リア、懲りずにまた学校に持って来てたみたいだね」

 スクデーリアの宝物である金の鏡は、数週間前に一度、悪ふざけでクラスメイトに取り上げられたことがある。鏡は獄寺が取り返してきて、雲雀は、そんなに大事なものなら、学校に持っていくべきではないと諭していたのだが。

「それだけ、お嬢さんにとっては大切なものなのでしょう。…いえ、そうじゃありませんよ、恭さん」

「わかってる。……馬と合流するよ」

 鏡をポケットにしまうと、雲雀はディーノがいるはずの校長室へ向かって歩き出した。



「わかったぜ、恭弥。通用門の横に車を停めるのは、ラピメントって校務の男だそうだ。住所もらってきた」

 雲雀の話を聞いて事務室に乗り込んだディーノは、メモ用紙をひらつかせた。教師の群れを嫌って職員室の外にいた雲雀は、ディーノの持っているメモを覗き込む。

「すこし離れてるけど、このまま行けるね」

「ああ。堅気なら、増援を頼むまでもねー」

 目を合わせてうなずき、ディーノと雲雀は学校を後にする。

 ラピメントのアパートまで、車で15分。スクデーリアが姿を消してからは、もうすぐ2時間になろうとしていた。





 獄寺は車を止めて周囲を見回した。アパートの多い、静かなこの区画は、スクデーリアの学校からそれほど離れていない。

 ラピメントという男の住まいは、この辺りのアパートのはずだ。正確にはわからないが、それでもある程度の絞込みができたことには、獄寺は安堵していた。

 スクデーリアを迎えに行くようになって、何度目かのとき、獄寺は初めてラピメントの存在に気付いた。ラピメントは、スクデーリアを、生徒を見る目とは違う目で追っていた。たぶん、草壁は気付けないだろう。スクデーリアを1人の女の子として見ている獄寺だからこそ気付けた種類の視線だ。

 内部の人間しか接することができない環境で、スクデーリアが連絡もなしに姿を消したなら、ラピメントは最有力重要参考人だった。最初に気になったときから、時間の合間を縫ってはラピメントのことを調べておいた労が、いまになって功を奏している。

 綱吉の執務室に入ろうとして、雲雀の声が聞こえたときには、いったいなにごとかと思ったが、非常識を承知で扉の前にいて、正解だった。もしも聞かずにいて、そのまま雲雀が出てくるのを待ってから入室していたら、確実に綱吉に足止めをされていただろう。

 ボンゴレの幹部である自分が、スタンドプレイで動けば、綱吉に迷惑がかかることは、頭ではわかっていた。けれど、スクデーリアが略取されたと聞いて、報告を待つだけでいることは、どうしてもできなかった。

 本当は、心当たりを雲雀に教えるべきなのだということも、わかってはいる。けれど、スクデーリアをそういう目で見ている男がスクデーリアを攫ったのなら、目的はひとつだ。そんな男は、自分の手で息の根を止めなくては、怒りが収まりそうにもなかった。

 すみません、10代目! お叱りは、無事にリアを助け出してから、かならず受けます。

 内心で綱吉に詫び、獄寺はコートを羽織って、車を降りた。サングラスをかけなければ、ちょっとガラの悪いビジネスマンに見えなくもない。

 獄寺はぐるりと周囲の様子を伺うと、手近なアパートに入った。郵便受けに並ぶ表札を、ひとつひとつチェックしていく。

 少し時間はかかるが、住まいを特定できる情報を入手できなかった現状では、しらみつぶしにあたっていくしか方法がなかった。


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