松風 02

「ねえ、帰してください」

 後ろ手に縛られたスクデーリアは、ひょろりとした男に向かって言った。この部屋の住人であり、スクデーリアをここまで無理矢理連れてきた、ラピメントという男だ。

 引き摺られている時に口を塞いでいた猿轡は、ここへ着いて縛られたのと同時に外されて、話すことはできる。縛られているのも、手だけだ。けれど、スクデーリアはベッドに転がされていて、ドアに近い側にラピメントが立っているため、逃げ出せるとは思えなかった。

「まだ、哲のお迎えからそんなに時間経ってない。いまのうちなら、パパたちも許してくれるかも……。だから、お願いです」

「うん、まだそんなに時間経ってないね。だから、オレはまだなんにもできてないよ、スクデーリア。せっかくキミを連れてきたんだから、もうちょっといろいろしてからじゃないと、帰してあげられないな」

 学校では気さくなお兄さんとして子供たちに慕われているラピメントは、ここでも話しやすいお兄さんの口調のままだ。スクデーリアには、かえってそれがとても恐ろしかった。

「いいところのお嬢さんなんだよね? いつも、かならず車で送り迎えがあるもんね。オレ、そういう大事にキレイに育てられた女の子、大好きなんだ」

 にこにこと笑顔を崩さず、ラピメントはスクデーリアににじり寄る。スクデーリアは、車に乗せられる前になんとかして落とした鏡に、誰かが気付くことを必死で願った。





 ディーノたちキャバッローネ一行と、獄寺が出くわしたのは、ラピメントのアパートの前だった。

「げ」

「スモーキン・ボムっ!」

「獄寺隼人!?」

 3人の声がほぼ同時に発せられて、重なった。獄寺は焦りの中に苦い表情を浮かべ、ディーノは獄寺を睨みつけ、雲雀は内心で綱吉に毒吐く。

「てめーがなんでここにいるんだ、スモーキン・ボム?」

 煙草を消せ、と視線で圧力をかけながら、ディーノは獄寺に詰め寄る。獄寺は雲雀が妊娠中なのを思い出して煙草を投げ捨てると、ディーノを真正面から睨み返した。

「そんなん、リアを取り返しに来たに決まってんだろーが」

「これはキャバッローネの問題だ。いくら盟主でも、ボンゴレは手を出さねーでもらうぜ」

「うるせー。オレにも権限はあるはずだ」

「それは、デビューのパーティ以降の話だろ。まだそのパーティは済んじゃいねーぜ?」

「そんなら、知り合いの女の子を個人的に助けに来た。これで文句はねーよな」

 アパートの入り口で、バチバチと火花でも散るのではと思えるほど睨み合う獄寺とディーノ。その2人を醒めた目で眺めながら、雲雀は割って入った。

「そんなことしてるあいだに、無事なリアが無事じゃなくなっちゃうかもね? 僕は先に行くよ」

 本当は2人とも咬み殺したかったが、医師に戦闘を禁じられていてはどうしようもない。2人とも、お腹の赤ちゃんに涙流して感謝しろ、と思いながら、雲雀は草壁と共にアパートに入っていく。

 慌てたのはディーノだ。いくら草壁がついていると言っても、雲雀は妊娠中なのだ、独りでは行かせられない。

「ちくしょー! スモーキン・ボム、これで勝ったと思うなよ!!」

「けっ! てめーこそ、止めてくれたヒバリに感謝するんだな!!」

 お互いに負け惜しみを言いながら、雲雀の後に続いてアパートに入っていく。雲雀がエレベーターに乗って行ってしまったので、ディーノと獄寺は目的の階まで争いながら階段を駆け上った。

「哲、やって」

「はい」

 ディーノと獄寺が息を弾ませてラピメントの部屋がある階に着くと、雲雀の命令で草壁がドアを開けているところだった。動揺したラピメントがスクデーリアに危害を加えたりしないように、鍵を壊すのではなく、ピッキングで鍵を開けるのだ。

 程なくして開いたドアから、ディーノと獄寺が先を競うように中へと入った。

 決して広くないアパートでは、誰がどこにいるか、すぐに見つけられる。ディーノと獄寺は、不意打ちにうろたえているラピメントを床にねじ伏せて、あっさりと確保した。

「リア、無事か!?」

 ラピメントを獄寺に押さえさせて、ディーノはスクデーリアに駆け寄る。スクデーリアはあられもない姿でベッドの上で縛られていた。

 上着を脱いでスクデーリアの肩にかけると、ディーノはスクデーリアを縛めているロープをナイフで切る。

「パパ……」

「怖かったな、リア? よく頑張った」

 ぎゅうっと抱きしめるディーノの肩越しに、怒りに任せてラピメントを締め上げている獄寺と、室内に他の危険がないか確認している草壁を従えて入ってきた雲雀が見えて、スクデーリアはほっと全身から力を抜く。

「ママ……獄寺さん……哲も……」

 誰よりも安心できる顔を見つけて、スクデーリアの表情がみるみる緩んでいく。

「リア。怪我がなくてよかった……」

 ディーノの隣に来た雲雀がそっと髪を撫でて、ディーノの腕の合間から抱き締めてくれて、張りつめていたスクデーリアの気持ちの最後の1本がぷつりと切れる。

 うわぁぁん! とスクデーリアは、ディーノと雲雀にしがみついて泣きじゃくった。




 キャバッローネの城に帰るなり、スクデーリアは風呂に連れて行かれた。独りになるのは嫌だと言ったら、雲雀はスクデーリアがいちばん好きな花の浮く入浴剤を入れてくれて、珍しく一緒に入ってくれた。

「申し訳ありませんでした!!」

 ロマーリオからの連絡で駆けつけた綱吉に、キャバッローネの応接室で、獄寺は勢いよく頭を下げた。

 ラピメントはキャバッローネが処分すると決まった。たぶん明日には、アドリア海で魚礁になっている。学校は、校務員が突然出勤しなくなって驚くだろうが、それだけのことだ。

 獄寺としては、ラピメントには獄寺自身の手で報復したかったが、ディーノがラピメントが犯人だと突き止めていたあの時点で、獄寺の関わる余地はなくなっていた。悔しいが、仕方がない。

 ラピメントが決まれば、次は獄寺だった。いくら同盟の主であるファミリーの幹部でも、いや、だからこそ、余所のファミリーの抱える案件に勝手に関わることは許されない。

「オレはいいんだよ。獄寺君がリアちゃんのこと、オレが動けない分まで大事にしてくれてるのは、わかってる。…でも、ちゃんと筋は通さないとね」

 綱吉はそう言って、獄寺の隣に立つと、ディーノに向き直った。ディーノは、スクデーリアが無事に見つかったからと言って、獄寺のことを有耶無耶にするつもりはなかった。キャバッローネはボンゴレの支配を受けているわけではない。

「ディーノさん。オレの不手際で、すみませんでした」

 綱吉の謝罪に、ディーノは苛立ちの混ざったため息をついた。いくら綱吉の謝罪があっても、それひとつで手を打つことはできない。

「スモーキン・ボム」

「……お、おう」

「いくら心配だったからにしても、今日のはねーだろ。知り合いの女の子を個人的に助けに来たって言い訳が通るなら、ツナだって山本だって、来ただろーぜ。なあ?」

「……………」

 ディーノの言葉に、獄寺はなにも言えることがない。

「だいたい、リアの迎えのときにヤツに気付いてたなら、ツナなりオレなりに話があっても、よかったんじゃねーのか。なんでてめーのとこで止めてた? その結果が、今日ってワケだ。てめーのせいだとは言わねーが、てめーが話してりゃ、こんなに手間取んねーで済んでたとこ、たくさんあるぞ」

「……悪かった。オレの判断ミスだ」

「そこはわかってんだな?」

「ああ」

 険しいディーノの眼差しを真正面から受け止めて、獄寺はうなずいた。スクデーリアが危険に晒されたら、いつでもどこでも、何度だって助けに行く。その部分は、反省するとか過ちだったとか、そんな問題ではなく、獄寺の譲れない決意だ。けれど、上げるべき報告を上げていなかったのは、間違いなく獄寺の落ち度だった。

 ディーノはそのまましばらく獄寺を見据えた。獄寺はそのディーノの視線にたじろぐことなく、ディーノを睨み返す。

「行っていいぜ、スモーキン・ボム。あとのことは、ツナと話させてもらう」

「な…っ! なんでだよ!! 10代目は関係ねー、オレが勝手にやったことだ!」

「獄寺君!」

「10代目!?」

 激昂した獄寺を、綱吉が腕を引いて制止する。獄寺は止めないで欲しいと綱吉を振り返り、綱吉の強い目とぶつかった。

「いいから、獄寺君。廊下で待ってて」

「10代目……」

 綱吉に気圧され、獄寺は仕方なくうなずいた。しぶしぶ応接室を出ると、中の声が聞こえないようにすこしドアから離れて、警備するように壁際に立つ。

 …くそっ! この城、禁煙なんだよな……。

 煙草を吸おうとして、ここがどういう場所だったかを思い出し、獄寺はいらいらと舌打ちした。

「獄寺さん!」

 誰よりも耳に心地いい少女の声がして、獄寺が振り向くと、湯上りのスクデーリアがまだ髪を湿らせたまま、獄寺目指して走って来ていた。

「リア。いいのか、こんなとこいて」

 変質者の略取に遭ったばかりなのに、屈託がまったくないスクデーリアに驚くと、スクデーリアはぎゅっと獄寺に抱きついた。…もっとも、スクデーリアと獄寺は50センチも身長が違うので、スクデーリアが抱き締めたのは獄寺の腹なのだが。

「獄寺さん、今日は助けに来てくれてありがとう!! 本当に、本当に嬉しかった!」

 微妙な位置に密着されて、獄寺としてはどうしたらいいものか困惑したが、ここまで無邪気に感謝してくれているスクデーリアには、下心も裏もない。獄寺はしっとりと濡れているスクデーリアの髪を撫でる。

「怪我がなくて、本当によかった。もっと早く行ってやれてたら、怖い時間をもっと短くしてやれたのに、すまなかったな」

「ううん、そんなことない。パパとママと獄寺さんと哲が来てくれて、わたし、あの時、いまなら世界中の怖い人がみんなでわたしを殺そうとしても、わたしは平気だって思ったのよ。獄寺さんが来てくれたからよ」

「そうか」

 スクデーリアがこういう場面でお世辞を言う子ではないことは、獄寺もよく知っている。スクデーリアがそう言うのなら、本当にそうなのだ。獄寺は素直にスクデーリアの謝辞を受け取った。

 綱吉が大事だ。ボンゴレが大事だ。スクデーリアの笑顔も、おなじくらいに大事だ。スクデーリアのためなら、どんな処分も甘んじて受ける決意が、獄寺の中で固まっていた。

「オレは、リアが呼んでくれたら、地球の裏側からだって飛んで行くぜ。だから、助けが欲しいときは、いつでも呼べよ」

「うん。そのときには、絶対」

 廊下の離れたところで、おなじように風呂上りの雲雀が、遠巻きにこちらを見ている。スクデーリアとの約束の声は、聞こえているのだろうか。どちらにしても、スクデーリアとの約束を反故にすることは、綱吉を裏切ることと等しく、獄寺にとって重いものだ。もしも雲雀がそれを信じてくれるのなら、むしろ聞いてもらいたいくらいに。

「リア、ココアがはいったよ。……獄寺隼人も、コーヒーでいいなら、出してあげる」

「行こう、獄寺さん。ママのココア、すごく美味しいんだから」

 雲雀に呼ばれたスクデーリアに手を引かれて、獄寺は雲雀の待つサロンへ向けて歩き出した。




「ボスというのも、楽じゃありませんね」

「まったくだ」

 獄寺を追い出した応接室で、苦虫を噛み潰したようなディーノに、綱吉は苦笑いをこぼした。

 本当は、獄寺が純粋な気持ちでスクデーリアを助けに来たことを、ディーノだって認めていた。だからこそ、あれ以上追求せずに獄寺を放免したのだ。私情を排して考えるならば、そのひたむきさは、得難いものだ。だが、ファミリーを預かるボスとして、通すべき筋が通っていなければ、無理矢理にでも通さなければならない。綱吉は、ディーノがそのための演技として獄寺を追い出したことを、わかっていた。

「で、どうするんですか、ディーノさん? オレとしては、獄寺君を見逃してくれたおまけで、もうすこし獄寺君を楽にさせてあげてもらえたらと思うんですが」

「バカ言うなよ」

 渋い表情のディーノは、拗ねる子供のようにも見える。スクデーリアを誰かに全面的に委ねることは、やはり別問題として立ちふさがるというわけだ。

「オレはまだ、スモーキン・ボムに『リアをください』って土下座されてもねーし、リアに『スモーキン・ボムを選びました』って言われてもねーよ」

「……確かに、そうですね」

 ディーノの複雑な心中に気付いて、綱吉はくすりと笑う。たとえ、そこでうなずくことで娘が幸せになるとわかっていても、ディーノはすんなりとうなずきはしないだろう。ディーノは情の深いタイプだ。

「獄寺君に、できるだけ早くディーノさんに土下座するように、言っておきます」

「え…っ? 入れ知恵は反則じゃねーのか、ツナ!?」

 綱吉の言葉が本気なのかそうでないのか、とっさにわからなかったディーノは慌てて立ち上がる。くすくすと笑いを止められないまま、綱吉は最悪の結末を迎えずに済んだことに安堵していた。


Page Top