2月のカレンダーを見て、スクデーリアはため息を吐いた。
毎年、雲雀はなんのかんのと言いながらお菓子を焼き、ディーノはそれが世界最高峰のパティシエのケーキよりも美味しいと言って喜ぶ。それが、キャバッローネ家のバレンタインだ。スクデーリアは、試作品の味見係だった。
今年も、雲雀はチョコレートのお菓子を作るはずだ。去年は忙しくて、チョコレート・フォンデュだったから、今年はその分も手間をかけて、フォンダン・ショコラとかだろうか。
普段料理もしない雲雀が作ったお菓子は、見た目はもちろん、味だって特に言うほど美味しいわけではない。味にこだわるのなら、お店で買ったほうが美味しいくらいだけれど、雲雀が作ったお菓子には嘘がなくて、スクデーリアは好きだった。
見栄を張らず、レシピに忠実に、いい素材を使って、余計なことをしないで、雲雀が焼いたお菓子は、とてもまっすぐな味がする。わかる人にしかわからない、隠れた美味(いや、味は普通なのだけど)なのではないかと、スクデーリアは常々思っている。
話がそれた。
つまり、そんな雲雀を見て育ったスクデーリアにとっては、バレンタインとは、愛している人にチョコレートのお菓子を作って贈る日だった。だから、自分もお菓子を焼いて獄寺に贈りたい。だが、自分は獄寺の恋人ではないから、バレンタインに贈り物をできる立場ではない。
カレンダーを見つめて、スクデーリアはもう一度ため息を吐く。
自分でお菓子を作ったことのないスクデーリアにとっては、あと4日という残り日数は決して充分ではない。けれど、それ以前に、あげていいのかどうかが最大の悩みだった。
翌日、ボンゴレ本部でのマナー講習を終えたスクデーリアが守護者用サロンに行くと、テーブルの上にガトー・ショコラがたくさん乗っていた。
まだ湯気の立っている焼きたてのガトー・ショコラに、山本やランボが手を伸ばしている。
「あ、リアちゃん。…ねぇ、わたしが焼いたんだけど、味見してくれる?」
コーヒーを淹れているクロームが、スクデーリアに気付いて、スクデーリアの分を切り分けてくれた。スクデーリアは礼を言って受け取ると、ソファに座って食べ始める。
「美味しい! クロームさん、どうしたの、これ?」
「もうすぐバレンタインだから、腕慣らしにいくつか作ったの。本番用は、13日に焼くつもりなんだけど」
「そうなんだ。すっごく美味しいから、きっともらった人も喜ぶと思う!」
ガトー・ショコラと味が重なるので、ココアではなくカフェ・オ・レにしてもらうと、スクデーリアはカップを受け取って冷ますためにふーっと吹いた。
「クロームさん、誰にあげるの?」
「骸様と、ボス」
「バレンタインなのに、2人にあげるの?」
「うん。ボスにはお世話になってるし」
「……?」
「てか、オレらにもくれよ。イタリア来てから、義理チョコもらえねーから、バレンタインのチョコ自体が最近ご無沙汰なのな」
スクデーリアが首を傾げていると、山本がクロームにチョコレートをねだる。バレンタインは、チョコを配る日だっただろうか。ちょっと違う気がするのだが。
「バレンタインって、恋人同士が贈り物をしあう日じゃないの?」
「イタリア…っつか、ヨーロッパじゃそうみてーな。日本じゃ、女の子が男にチョコをくれる日なんだぜ」
「山本氏、その説明では不充分ですよ。別に、女性はボランティアでチョコレートを配るわけではないです」
「友達なら、みんなくれるんじゃねーの?」
「女の子同士でならともかく、男にくれる女の子は、多かれ少なかれ、そういう 意味のチョコレートだと思いますけどね」
今度は山本とランボの応酬が始まり、やっぱりスクデーリアはわけがわからない。どういうこと? とクロームを見ると、クロームは日本式バレンタインというのがあるのだと教えてくれた。
「…じゃあ、日本だと、恋人同士じゃなくても、好きな人にチョコレートをあげていいんだ」
山本とランボに何度かまぜっかえされながらもクロームが日本式バレンタインを一通り説明すると、スクデーリアは感心した声を上げた。なにを贈ってもいいはずのバレンタインに、雲雀がディーノに贈るのが、毎年必ずチョコレートのお菓子であることも、これで納得がいった。
恋人でなくても好きな人に贈っていいのなら、獄寺にチョコレートを贈ってもいいだろうか。日本式でと言えば、そんなに不自然でもないのなら、スクデーリアもチョコレートを贈りたい。
日本式のバレンタインはなんだかわくわくするとスクデーリアが思っていると、山本が昔を思い返して目を細めた。
「懐かしーよなぁ。並盛にいた頃、2月14日って、下駄箱が絶対チョコでぱんぱんになっててさぁ。休み時間とかも、女子に囲まれて、トイレに行く暇もなくってな。オレは部活帰りに食えるしラッキーとか思うくらいだったけど、獄寺は上履き取れねーくらい詰め込まれてるチョコ隠しながら、必死でツナのフォローしようとして自爆してて……」
「山本氏!!」
日本のチョコレートは告白のチョコレートだと聞いたばかりのスクデーリアは、獄寺の下駄箱いっぱいのチョコレートと聞いて、さっと顔を強張らせた。気付いたランボが、慌てて山本を黙らせるが、もう遅い。
バレンタインのチョコレートを贈ろうと気持ちを弾ませていたスクデーリアは、針が刺さった風船のようにその気持ちが萎んでいくのを感じた。
そうだ。それほど女性にモテる獄寺が、本当に恋人がいないなんて、考えにくいし。もし恋人がいないのだとしても、スクデーリアのチョコレートを本気で受け取ってくれるとは、思えない。
「リアさん、この話は、10年も前のことですから……」
「そーそー、中学の頃の話な! イタリア来てからは、こんな裏の仕事してるし、バレンタインなんて『そーいやそんな時期なのなー』くらいだったし」
「でも、獄寺さん、チョコレートなんてもらい慣れてて、ドン・ボンゴレのフォローに気が向くくらい、チョコレートに興味なかったんですよね」
沈んだ声のスクデーリアに、山本とランボはやってしまった失敗の大きさを感じて、がっくりと肩を落とした。
スクデーリアが獄寺を好きなのは、様子を見ていれば簡単にわかる。守護者でそれを知らないのは、当の本人である獄寺だけだ。山本だって、それはわかっていたはずなのに、懐かしさで口が滑ってしまった。
山本は心底悔やむものの、もうどうしようもない。
すると、スクデーリアの落ち込み振りを気の毒そうに見つめていたクロームが、何かを思いついた顔で口を開いた。
「リアちゃん、こうなったら、最後の手段を使おう」
「最後の手段って?」
「Hit&Run!」
言い切ったクロームは、妙に凛々しくて、スクデーリアはぐっと身を乗り出した。
「そしたら、他の女の人よりも、目立てる?」
「うん。絶対。子供の真似事だとも思われないよ」
今度はなにが始まるのかと、山本とランボはどきどきしながらクロームを見守る。スクデーリアの機嫌が直ったらしいことにはほっとしたが、クロームは変に思い切りのいい作戦を考えつくことがあるので、油断できない。
2人が聞き耳を立てていることに気付いたクロームは、スクデーリアを部屋の隅に引っ張って行って、内緒話を始めた。
「……ええっ!? ほんとにそれ…?」
「うん。絶対効くから。保証する」
スクデーリアが真っ赤になっていることから、クロームはまたとんでもない策を伝授したんだな、と察しはついたが、山本とランボはあえてなにも聞かなかったことにして、ガトー・ショコラをおかわりした。
日本では、バレンタインデーは女の子の決戦の日だ。男は野暮な口出しをしてはいけないと、相場が決まっている。