バレンタイン・キッス 2月14日おまけ

 商談の会食から帰ってきたディーノは、甘いチョコレートの匂いに相好を崩しながら、食堂へ足を向けた。

 テーブルの上には、雲雀が焼いたガトー・ショコラが乗っている。まだ敷き紙を剥がしていないそれは、まさにオーブンから出したばかりの焼きたてだった。

「ああ、帰ってたの。いいタイミングだね」

 七分立てのホイップとティ・セットを両手に持った雲雀が、厨房から出てくる。ディーノは「ただいま」と言って、雲雀の手からティ・セットを受け取った。

「おかえり。ガトー・ショコラ、どのくらい切る?」

「ちょっと大きめがいいな。恭弥の菓子が待ってると思ったら、料理食った気がしなくってさ。まだ腹減ってるんだ」

「お腹出っ張ったら、別居だよ」

「大丈夫、ちゃんと食った分消費してるから」

 雲雀はちょっとため息をつくと、ガトー・ショコラの敷き紙を剥がして、大きく切って皿に乗せ、ホイップを添えてディーノに出した。切り口からほかほかと湯気の立つガトー・ショコラに、ディーノは嬉しそうな顔でフォークを入れる。

「うん、美味い! やっぱり、恭弥の焼いた菓子食うと、バレンタインだって気がするな」

 ディナーのフルコースを食べてきたと思えない速度で、ディーノは皿を空にする。雲雀はもう一切れを皿に乗せると、紅茶のカップを隣に置いた。

「あなた、それ毎年言ってるね」

「だって、本当にそう思うんだからしょーがねーよ」

 今度はゆっくりと味わいながら食べるディーノは、テーブルに雲雀の焼いたケーキしかないことに気付いて、首を傾げた。

「なぁ、恭弥。リアもクッキー焼いてたよな?」

「そうだね」

「……オレの部屋にあるのかな…」

「もらえると思ってたの、あなた?」

 てっきり、自分のためのクッキーだと思っていたディーノは、雲雀の辛辣な一言にショックでかしゃんとフォークを落とした。

「ええっ!? あれ、オレのためじゃなかったのか?」

「年頃の女の子が、なにが悲しくて父親にバレンタインの贈り物するのさ」

「だって、日本じゃ感謝チョコってのがあるんだろ?」

「誰に聞くの、そんな話? そもそも、ここはイタリアだからね」

 さらりと雲雀に言い負かされて、ディーノは訴えるように雲雀を見つめた。しかし、雲雀は平然と紅茶を飲んでいる。

「嘘だぁっ!!」

 ガツッ!

 うわぁん! と食堂を走り出そうとしたディーノの足元に、雲雀はトンファーを投げつけた。足を取られたディーノは、べしゃっと転ぶ。

「リアはもう部屋に戻ってるよ。邪魔したら、明日の学校に響くでしょ」

 有無を言わせない雲雀の口調に、ディーノはスクデーリアと獄寺の進展具合を察知して、床に伸びたままさめざめとすすり泣き始めた。

 雲雀が熱い紅茶を飲み切るくらい時間が経っても、ディーノは起き上がりもしないでうっうっと嗚咽を漏らしている。ボスの威厳も風格も、銀河の彼方へ吹き飛ばしていくその情けない姿に、雲雀は空になったカップをテーブルに置くと、メイドに後片付けをまかせて仕方なく立ち上がった。

 ディーノが伸びているところまで来ると、すぐ横にしゃがみ込む。

「リアがいつか好きになった誰かのところに行っちゃうのなんて、10年前からわかってたことでしょ。こんなことじゃ、お腹の子に笑われるね?」

「だってよー……」

「あなた、僕がいるのにリアのことばっかり。僕、しばらくボンゴレに寝泊りしようかな」

「嫌だ」

 のっそりと起き上がったディーノは、雲雀を捕まえるように抱きつく。なんとか関心をスクデーリアのクッキーから逸らせたらしい。雲雀はやれやれとため息をついた。

「おっきな子供。あなたがいちばん手がかかるね」

「恭弥ぁ…」

「はいはい。僕はいるんだから、あんまりいじけないの」

 うりゅうりゅと雲雀の肩に懐くディーノを、ぽんぽんと背を叩いてあやし、雲雀はディーノに立ち上がるよう促す。

 雲雀は、ディーノがスクデーリアの片想いの相手が獄寺で、獄寺もスクデーリアを憎からず想っていることを知っているとは、知らない。しょげきったレトリバーのようなディーノを連れて寝室に向かって歩き出した雲雀は、ディーノが立ち直ったら、くれぐれもクッキーをあげた相手のことをスクデーリアに訊かないように言い聞かさなくては、と思った。


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