雲雀が入ったのは、一軒のジュエラーだった。まるで個人の工房のような小ぢんまりとして地味な店構えの割に、扱う商品の質がよく、価格設定も良心的なので、ジュエリーに関心がなくてあまり予算を割く気のない雲雀でも、納得できる品が多い店だ。
来月には金糸雀の誕生日がある。早めに石を決めてオーダーしておかないと、細工が間に合わないかもしれなかった。いい石があればいいけれど…と思いながら、店の奥に目を向ける。
もうひとつ、めったに他の客と鉢合わせることがないので、群れ嫌いの雲雀でも入店を苦に思わないことも、贔屓にする理由だ。だが、今日の店内には、先客がいた。
「あれ、ママ?」
「なんだ、リアも来てたの」
振り返った先客は、スクデーリアと綱吉だった。デビューのパーティのためのジュエリーをオーダーに来ているのだろう。雲雀は然して驚くこともなく、ふたりに歩み寄る。
「せっかくだから、リア、うんと高いのを買ってもらったらいいよ」
「…えっ、ママ、さすがにそれは……」
スクデーリアは焦ってたじろぐが、最初から手ごろな値段のものでお茶を濁すつもりなどなかった綱吉は、軽く苦笑いしてうなずいた。
「ヒバリさんには敵わないな。オレも、リアちゃんが気に入ったものなら、値段なんて関係ないと思ってるけど……」
「だって。リアのドレス、桜色だったよね。それなら、そこのケースに飾ってあるネックレスがいいと思うけど」
雲雀が指差したネックレスは、軽く新車のフェラーリが買える金額のつく代物だ。このジュエラーの高額商品群の中でも、群を抜いた特級品として陳列されている。
雲雀の指差したショーケースを振り返って、そのゴージャスさと金額に息を飲んだスクデーリアは、ぷるぷると首を振った。
「ママ、わたし、こんなすごいネックレスなんて、できないよ」
「大丈夫だよ。リアならネックレスに負けないし、リアを殺してでも奪おうとする奴がいたら、獄寺隼人が命がけで阻止してくれるから」
「獄寺さんの命がかかるなら、なおさらつけられないってば!」
悠然としている雲雀に、スクデーリアは慌ててダメ出しをする。その必死さに、雲雀と綱吉はつい吹きだした。
「……笑うことないでしょ、ママもドン・ボンゴレも」
「ご…ごめん、リアちゃん。ちょっと、獄寺君が羨ましいかな、と思って……」
綱吉は切れ切れに弁解するが、くくく…と笑いながらでは、いかんせん説得力がない。しかし、雲雀はフォローもなく声を殺して爆笑しているので、綱吉だけでもなにか言わなくてはスクデーリアが気の毒というものだ。
「いらっしゃいませ。楽しそうですね、雲雀さま」
奥から出てきた店主が、綱吉の前にネックレスを何本か提示しながら、雲雀に挨拶した。
「やあ。ピアス用のルースを見せてくれるかい?」
すっかり顔なじみの上得意とあって、店主はピアス用に2個一対になっている小さな石をいくつか出してくる。雲雀は金糸雀の好きなピンクの石をいくつか候補に残した。
「リア、カナならどれがいいと思う?」
「カナ? ん~、ピンクじゃないのがいいかも。さっき、黄色いの出てませんでした?」
「ありましたよ、スクデーリアさま。カナリア・トルマリンという石です」
問いかけられた店主は、仕舞いかけたルースケースをもう一度並べる。確かに、レモンキャンディのような黄色い石があった。
「なんだ、最近はカナは黄色がいいの?」
「そうみたい。この間、ピンクは子供の色だって幼稚園でからかわれたんだって」
「……難しいね」
雲雀はため息を吐くと、スクデーリアの選んだトルマリンを店主に預け、ピアス加工の指示をする。カードで支払いを済ませると、スクデーリアと綱吉を振り返った。
「僕はこれで行くけど、リアと沢田綱吉はどうするんだい?」
「オレは、今日は下見のつもりでしたから、リアちゃんが気に入ったものがなければ、また次の機会に決めようと思いますが」
それで、スクデーリアはどうなのか…と雲雀と綱吉が目を向けると、スクデーリアもうなずきながら、
「あっ、じゃあ、もしドン・ボンゴレが時間取れるなら、一緒にケーキ食べに行きませんか? もちろん、ママも一緒に。前から行ってみたいカフェがあったんだけど、なかなか入りづらくて……」
「獄寺隼人と行けばいいじゃないか?」
「あのお店、終日全面禁煙なの」
スクデーリアといるときは、獄寺は絶対に煙草を吸わないから、禁煙の店でも問題ないのだが、それでもスクデーリアとしては、獄寺が吸いたいと思った時にいつでも吸えるように、全面禁煙のお店は極力避けたいのだろう。
「それじゃ獄寺君には言いにくいね。いいよ、みんなで行こう。ヒバリさんも、お時間は平気ですよね」
「もちろん。それじゃ、リア、そのお店まで案内して」
「うん」
雲雀と話しながらスクデーリアが店を出る仕度を始めると、綱吉は店主にまた来ることと、そのときにはもう何本か別のネックレスを見せてほしいことを告げて、雲雀母子を振り返った。
「お待たせしました。それじゃ、行こう」
ドアを開け、近くに停めてある綱吉の車に向かって歩き出す。
スクデーリアは、ふと、前方から帽子とサングラスで顔を隠した男が走ってくるのに気付いた。綱吉と雲雀は、その男の存在だけでなく、男が銃を持っていることまで見て取る。
係わり合いになるまいと、雲雀と綱吉がスクデーリアの肩を押して男を避けようとしたときだった。
「ちょうどいい、来いっ!」
男はスクデーリアの腕を掴むと、出てきたジュエラーに飛び込んだ。
「リア!!」
「リアちゃんっ!」
咄嗟に、雲雀と綱吉は後を追って飛び込む。直後に、銃声が響いた。
中に入った二人が見たのは、肩を撃たれて床でうめく店主と、こめかみに銃を突きつけられているスクデーリアの姿だった。
「その子から、銃を離してくれ。その子を無事に戻してくれたら、決して悪いようにはしない」
両手を挙げ、戦意のないことを示しながら、雲雀は男に向かって呼びかけた。
「うるせぇ。オレが逃げ切るのに、このガキには役に立ってもらうぜ。こいつを撃たれたくねーんなら、女、てめー、入り口に鍵かけて、中覗かれねーようにしろ」
男はぴたりとスクデーリアに銃口を押し付けたまま、ドアに向かって顎をしゃくる。雲雀はドアに鍵をかけ、通りに面した窓のカーテンをすべて下ろした。
「……よかった。肩を撃たれていますけど、命に関わる傷ではなさそうです。止血しましたが、早めに病院に行ったほうがいいでしょうね」
店主に駆け寄って怪我の具合を診ていた綱吉は、そう言って包帯代わりに巻いた布をぎゅっときつく縛った。撃たれたショックで顔色は悪いものの、店主は自分で身体を起こして壁にもたれる。
「さて。その子を離してもらえませんか。その子を離してくれたら、あなたの要求を聞きますし、その要求が叶えられるようにオレも手を尽くしましょう」
立ち上がった綱吉は、男に正面から向き直る。男は銃を見ても怯まない綱吉の様子にたじろいだ。
「…信じられるかよ。オレを追いかけてるのは、警察だぜ? あんたらには、オレが逃げ切れる手筈がつくまで、人質になってもらうぜ」
荒事にすっかり慣れている雲雀も綱吉も、男が事態にすっかり怖気づいていることは、すぐにわかった。しかし、スクデーリアに銃口が向いていては動きようはなかったし、なによりも、スクデーリアに自分たちが人を害するところを見せたくなかった。
綱吉も雲雀もそれ以上なにも言えずにいると、男は店主にロープの場所を訊ねた。
「その紐で、そいつらの手を縛れ。…いいか、てめーら、ちょっとでも変な動きしたら、このガキの頭、吹っ飛ばすぞ」
命令されたスクデーリアは、言われるままに柵からロープを取ると、綱吉、雲雀、店主の順に、後ろ手に縛った。銃口は、片時もスクデーリアから離れない。言葉で脅されるまでもなく、雲雀も綱吉も迂闊に動くことはできなかった。3人を縛り終えると、男は縛り具合を確かめた後、スクデーリアを自分で縛り上げた。
後ろ手に縛られて、すこし動きにくかったが、なんとか壁を背にして、床に座り込む。いざ動くときの瞬発力は、立っているときよりも劣るけれど、長丁場になりそうなことを考え合わせれば、いまは座っていた方がよさそうだった。
「気は済んだかい? それじゃ、いい加減に、キミが何者でなにがしたいのか、話してくれないかな」
自分たちを人質にして、男がここに立て篭もるつもりだということくらいは、説明がなくても理解できたけれど、男に話をさせるために雲雀はもう一度質問した。
しかし、男は雲雀の問いを無視して、カーテンの隙間から外の様子を窺っている。外では、男を追ってきたと思しき警察官が、見物人から事情を聞きだして、包囲態勢を取り始めていた。
とりあえず、男の関心はこちらに向いていないし、質問を重ねてあえて刺激することもないだろう。そう判断した雲雀は、仕方なく、男から事情を聞きだすのを後にすることにした。
「……ヒバリさん。体調は、大丈夫ですか?」
まもなく妊娠4ヶ月になる雲雀のことが気になって、綱吉は低い声で訊ねる。雲雀は小さく首を振ると、思うように動かない腕でスクデーリアを引き寄せた。
「あんまり大丈夫な気はしないけど、いまのところ、なんとかなってるよ。リアがいるからね」
スクデーリアがすこしでも安心できるように、雲雀はスクデーリアを自分にもたれかからせる。母親の体温を感じたスクデーリアは、自分で止めることのできなかった震えが治まっていくのを感じた。
「大丈夫、リアは僕が守るからね」
恐怖で強張った表情のスクデーリアに、雲雀はそっとささやく。見上げた先に、いつもとまったく変わらない母親の顔を見つけて、スクデーリアはうなずいた。
「いいかい、リア。彼を刺激しないように、基本的には逆らわないようにするんだ。ただし、どうしても嫌なときは、抵抗しなさい。どうしてものときに絶対にリアを守るために、僕は力をとっておくから」
「はい、ママ」
「いい子だね。大丈夫だよ。頑張って待っていれば、きっとパパが助けに来てくれるからね」
「うん…。でも、ママ。無理をしないでね。お腹の赤ちゃんが、びっくりしちゃうと思うから」
自分だって恐ろしさで真っ白い顔をしているというのに、スクデーリアは雲雀のお腹にいる弟か妹かもまだわからない赤ん坊を気にしていた。その姉の責任感に、雲雀も綱吉も驚き、感心する。
ふっと微笑を浮かべた雲雀は、しっかりとうなずいてみせる。
「心配することはないよ、リア。赤ちゃんは僕のお腹がいちばん安全だからそこにいるんだ。逆に言えば、僕のお腹にいる限り、赤ちゃんは絶対に安心。リアは、自分が助かることだけを考えておいで。…沢田綱吉。僕の手首に触れるかい?」
ぼそぼそと低めた声での会話を気付かれてはいないかと、綱吉は男の様子を窺う。男は、どんどん包囲されていく店の外の様子に気を取られて、こちらには注意を払っていないようだった。縛り上げたことで、安心してもいるのだろう。
男の強張った顔つきや、人質の扱いが甘いことから見ると、男は最初からこんな大きな罪を犯すつもりではなかったようだし、あまり度胸もないのかもしれない。
大丈夫そうだと判断して、綱吉は低い声で返事を返した。
「…たぶん」
「バングルが嵌まっているから、飾りをひねってくれ」
「わかりました」
ごそごそと腕を動かし、綱吉は雲雀の手の位置を探り出す。普段なら雲雀の手に触れることすらないので、雲雀の肌に触れてしまっていいものかと綱吉は一瞬躊躇うが、それどころではないと気を取り直し、雲雀の手首を探す。
雲雀の言うバングルは、運良く、綱吉のいる側の手首に嵌まっていた。触った感触で、キャバッローネの紋章の入ったバングルだと、見当がつく。その中心に立体的についている馬の飾りをひねると、馬の首が90度回転した。
「なんか、動きましたけど…」
「それでいいよ」
男が外を窺っているカーテンの隙間から、警察車両の回転灯の光が入ってくる。その光の量で、車両台数が増えていることが窺い知れた。
「くそっ!」
悪態を吐いた男が、窓際を離れて奥に戻ってくる。スクデーリアの腕を掴んで立たせると、引き摺るようにして窓際に連れて行った。カーテンの向こうに姿が消えると、途端に外が騒がしくなり、警察が拡声器で話す声と男の怒鳴り声が混じって、なにを話しているのかよく聞き取れなくなる。
「ヒバリさん、本当に体調は大丈夫なんですか?」
「なぜだい?」
「だって、リアちゃんがあんなことされて、なにも言わないなんて……」
綱吉の指摘で、雲雀は諦めたようなため息をひとつ吐いた。
「まあ、様子を見ていると、刺激して追い詰めなければ、大それたことは出来なさそうな男だからね。いまは様子見、というところかな。それと……」
雲雀はふとスーツの襟元に目を落とす。襟には、プラチナの飾りピンが刺してあった。その存在を確認し、雲雀はまるで口頭で報告を上げるときのような淡々とした口調で続けた。
「確かに、体調は少し心配だ。この状況で、なにかあったとしても、病院に行けるとは思えないからね。いまはなんともないけれど、無理はしたくないのが本音だ。彼の目的は、リアを人質にして、警察から逃げ切ることだろう。なら、少なくともこの段階では、リアに危害を加えるとは考えにくいから、過敏になることはないと思う。いまは無理に動くよりも、機会を待つほうがいい」
雲雀のいつにない長口舌に驚きながら、しかし一理あるとうなずいた綱吉は、肩に銃創のある店主の様子を窺う。少し離れた位置で壁に寄りかかっている店主は、依然顔色はよくないものの、ひとまずの心配はいらなさそうだった。
なんとかして、状況の打開を図らなくては……。
この篭城戦をどうしたものか、綱吉は考え始めた。