玉鬘

 獄寺が放課後のボディガードに来るのは、久しぶりだった。

 車を置いて街に出ると、どの店のショーウィンドゥにも、初夏の新アイテムが並んで目を引く。スクデーリアは「わぁっ」と歓声をあげて、足を速めた。

 運のいいことに空はよく晴れて、すこし汗ばむくらいに暖かい。けれど汗は乾いた風がすぐに乾かして、不快に思うことはなかった。

「獄寺さん、次、あのお店!」

「そんなに引っ張んなくても、店は逃げねーって!」

 スクデーリアにぐいぐい腕を引っ張られて、獄寺はつんのめりそうになりながらスクデーリアについていく。スクデーリアは獄寺の左腕をしっかりと抱えて離さないので、動きにくくて仕方ない。それでも、獄寺ははしゃぐスクデーリアが愛しくて仕方がなくて、自分の不自由さなど露ほども気になっていなかった。

「あっ、あの髪飾り可愛い!」

 叫ぶなり、スクデーリアは斜向かいの雑貨屋に駆け寄る。当然、腕を取られている獄寺も一緒だ。縺れそうになる脚をなんとか動かして、スクデーリアと一緒に店に入る。

「ねえ、獄寺さん。ピンクとアクアブルー、どっちがいいかな?」

 スクデーリアが手に取っていたのは、シフォンでできた花の髪飾りだった。ピンクも可愛いが、アクアブルーも涼しげで夏らしい。

「そうだな…。大人っぽいのが欲しいんなら、ブルーがいいと思うぜ。ピンクもよく似合ってるから、いいと思うけどよ」

 鏡の前で、それぞれを髪に当てて見せてやると、スクデーリアは難しい顔をした。ピンクが好きだが、獄寺が「大人っぽい」と言ったアクアブルーも捨てがたいのだろう。

「いいって。両方買ってやるよ」

 大した金額でもない髪飾りに、そんなに頭を悩ませることもないと、獄寺は軽く言ってピンクとアクアブルーの両方を会計カゴに入れようと手を伸ばす。すると、スクデーリアは獄寺の手を掴んで制止した。

「ダメ。考えて決めるから、もうちょっと待って」

「リア?」

「どっちも買ってもらったら、きっと、朝、髪につけるときにも迷って、結局つけられなくなっちゃう。せっかく獄寺さんが買ってくれるのに、つけれないのは嫌。だから、もうちょっと待って」

「そうか」

 スクデーリアは両方とも手に乗せて、じぃっと髪飾りを見つめる。スクデーリアの黒髪に、それはどちらもよく似合うから、余計に迷っているのが、よくわかった。

「……リアの髪なら、なにも飾ってねー方が、オレは好きだけどな」

 獄寺がついつぶやくのと、聞きつけたスクデーリアが獄寺を見上げるのとは、ほぼ同時だった。

「本当?」

「え…っ、あ……」

 そのつもりがなく口にしていた獄寺は、驚くスクデーリアにじっと見つめられ、うろたえて視線を彷徨わせる。

 が、やがて観念すると、ため息と共にひとつうなずいた。

「ああ。オレは、リアの髪は、結わいたりなんかつけたりしてねー方が、好きだ」

「じゃあ、髪飾りはいらない」

 言うなり、獄寺が驚くくらいにあっさりと、スクデーリアは迷っていた髪飾りを棚に戻した。

「いいのか?」

「うん。お花は可愛いし、色も可愛いけど、いい。獄寺さんが好きって言ってくれた髪形にしてたいから、そしたら使わないもの」

 ゆっくりと首を振るスクデーリアに、嘘はない。獄寺はそのスクデーリアの気持ちが嬉しくて、ふっと笑みを零すと、ピンクでもアクアブルーでもなく、純白の髪飾りを取ってレジへ向かった。

「獄寺さん。本当によかったのに」

 店を出たところで髪飾りの袋を渡されて、スクデーリアはすまなさそうな顔をする。獄寺はスクデーリアの長い黒髪をさらりとかき上げ、指に絡ませて柔らかなその感触を楽しみながら、口を開いた。

「明日から、オレと会う予定がねー日は、それをつけてろ。オレが隣にいねーときに、他の男にリアの髪がいちばんキレイなとこ見せることはねー。それに、誰かお前に言い寄ってくる奴がいねーよーに、リアには飾りもんを贈ってくれる男がいるんだって見せつけとかねーとな」

「それって、わたしが獄寺さんのものだっていう印、ってこと?」

「そうなるな。だから、その花嫁の色のリボンをしててくれ」

 獄寺が言い終わらないうちに、スクデーリアは勢いよく抱きついた。身長差はなかなかスクデーリアに〝素敵な恋人同士のハグ〟を許してくれないが、獄寺の鍛えられた腹にくっつくのは、嫌いではなかった。

 獄寺のちょっとした独占欲が、いかにも一人の女の子として扱ってもらえたようで、スクデーリアにはたまらなく嬉しい。髪をくしゃくしゃと撫で回す獄寺の大きな手の感触も心地よくて仕方なかった。




 買い物を終えて、スクデーリアは獄寺に連れられるまま、ボンゴレ本部に着く。夕食に間に合うぎりぎりの時間まで一緒にいたくて、帰れないのだ。

「リア、明日は学校、休みなのか?」

「うん。…獄寺さんはお仕事?」

「10代目の右腕だからな」

 カレンダーでは休日になっていようと、獄寺に決まった休日はない。原則的に365日仕事だ。その代わり、休暇が欲しいと言えば綱吉は決してダメと言わないので、獄寺は定休がないことを辛いとは感じていなかった。

「残念…。せっかく、明日はお休みなのに」

 ぽつりとつぶやいたスクデーリアの声を聞きつけた獄寺は、ああ、そうか。とスクデーリアに目を向けた。

 ここのところ、獄寺は急に仕事が立て込んで、電話でさえゆっくり話すことは難しかった。スクデーリアは口には出さなくても、ずいぶん寂しいのを我慢していたのだろう。

 獄寺は猛スピードで、翌日の仕事の予定を反芻する。どうしても午前中に済ませなくてはならない仕事はないはずだった。

 スクデーリアの髪に手を差し入れて、スクデーリアにこちらを見るように促す。なに? と顔を上げたスクデーリアを、獄寺はひょいと抱き上げた。

「明日の仕事は午後からだ。昼までなら、一緒にいられる」

「本当? わたしがいるから、無理にお休みするんじゃないの?」

「そんなことねーよ。俺の仕事がそんなふうに休めるもんじゃねーってことは、リアだってよくわかってるだろ」

「そうだけど、獄寺さんはわたしがいると、お仕事後回しにするでしょ」

「ちゃんとその後、仕事頑張ってるぜ。それでバランス取れてんだから、いーんだよ」

 なにやら強引に押し切られたような気もするが、スクデーリアだって獄寺と過ごしたくないわけではない。スクデーリアは嬉しさを込めて、獄寺の首にきゅっと抱きついた。

 そうと決まれば、早いところ、スクデーリアの外泊許可を取るに限る。獄寺は雲雀の執務室に向かって歩き出す。この時間なら、雲雀は在室のはずだった。




「おい、入るぞ」

 一言声をかけて、獄寺は雲雀の執務室のドアを開け、そのまままた閉める。すると、追いかけるように中からドアが開き、獄寺にドアをすぐ閉めさせた原因がぬっと顔を出した。

「スモーキン・ボム。なにリアに触ってんだ。下ろせ。離れろ。今すぐ立ち去れ」

 威嚇モードのディーノが、眼光鋭く獄寺を睨みつける。獄寺は小さく舌打ちをすると、下からすくい上げるような目つきで睨み返した。

「リアが嫌がってなきゃ、いーじゃねーか。てめーに指図される謂れはねーなぁ」

「…なんだと?」

「やんのかコラ」

 バチバチと火花が散りそうな睨み合いが始まり、スクデーリアは困り果てて獄寺とディーノを交互に見遣る。そのスクデーリアの腕がしっかり獄寺の首に回っていることが、ディーノの不快感をさらに煽っているのだとは、露ほども気付いていない。

 どうしよう…と助けを求めて周囲を見回そうとしたときだった。

 ゴッ!!

 鈍い音と共に、ディーノが前のめりに崩れ落ちる。ガラスのペーパーウェイトが後頭部を直撃していた。

「パパ!」

 ゴッ!!

 スクデーリアが叫ぶのとほぼ同時に、第2撃が着弾する。ペーパーウェイトがもうひとつ、こちらは獄寺の額のど真ん中に命中していた。

「獄寺さん!!」

 倒れながらもスクデーリアをかばった獄寺の傍らに、スクデーリアは膝をついて顔を覗き込む。

「獄寺さん、しっかり。すぐに誰か呼ぶね」

 しかし、伸びてしまっている獄寺は、うぅ…と呻くばかりだ。スクデーリアは獄寺の上着を掴み、困り果てる。

 すると、無情な声が背後から響いた。

「僕の前で騒ぐからだよ。リア、放っておいても死にはしないから、心配することないよ」

 見ると、雲雀が執務机で、数週間前に生まれたばかりのスクデーリアの弟をあやしていた。

 机の上には哺乳瓶が乗っていて、書類が飛ぶのを押さえている。ペーパーウェイトがどこから飛んできたのか、スクデーリアは瞬時に理解した。

「ママ、ひどい!」

 獄寺になんてことをするのかと、声を上げるスクデーリアに、雲雀はしれっと言い返す。

「ちっちゃいディーノがいるのに、殴り合いを始めそうな、馬と獄寺隼人が悪いよ。リア、哲を呼んで、そこの2人片付けてもらって」

 スクデーリアの弟は、アルフレディーノ・ミケーレと名付けられた。普段はちっちゃいディーノと呼ばれている。

 雲雀が自分でできる草壁への連絡をスクデーリアに指示するということは、介抱してやれという意味だ。いつまでも獄寺を放置はしていたくないスクデーリアは、部屋の中に入り、自分のハンカチを部屋に常備されている水差しの水で濡らして獄寺の額に乗せると、雲雀の机の内線で草壁を呼び出す。

「で、リアはどうしてボンゴレまで来たんだい?」

「明日、学校がお休みだから…。獄寺さんのところに、泊まってもいい?」

 もうすこしスクデーリアの年齢が上だったなら認めない外泊も、その意味を知らないスクデーリアが言えば、本当に言葉どおり泊まるだけでしかないとわかっている。雲雀はしばらく考えるフリをした後、「いいよ」とうなずいた。

「どうせ、僕は仕事が片付かなくて今夜は泊り込みだし、そしたら馬が寂しがって、ここに泊まるとか言ってカナと一緒に押しかけて来たし、馬とカナがこっちにいるのにリアに城に帰れって言うのも変だしね。馬には僕から説明しておいてあげるよ」

 スクデーリアはてっきり、ディーノには自分から話せと言われるとばかり思っていたから、雲雀が引き受けてくれて、ほっとする。いつにない手心は、獄寺をノックダウンさせた埋め合わせかもしれない。

「ありがとう、ママ! …あれ、それじゃカナは?」

「その辺、走り回ってない? 心配しなくても、そのうち、山本武か牛が連れてくるとは思うけど」

 金糸雀カナリアは、どこが気に入ったのやら、ボンゴレに来ていると大抵、山本やランボと鬼ごっこやかくれんぼをして帰ってこない。近頃では、ディーノが金糸雀までボンゴレの守護者に持っていかれてしまうのかと気を揉んでいて、相手が誰でも同じことだと思っている雲雀に呆れられていた。

「お嬢さん、獄寺を運びますが」

 いつの間にか来ていた草壁が、獄寺を運ぶ仕度を済ませて、声をかけてくれた。振り向いて「わたしもついてく」と返事をしたスクデーリアは、雲雀に駆け寄ると、その腕の中でスクデーリアを見つめる小ディーノのおでこにキスをした。

「ちっちゃいディーノ、ママを困らせないで、いい子にしててね」

 スクデーリアの顔を覚えた小ディーノは、スクデーリアを見上げてぱっと笑う。可愛くていつまでも見ていたくなるが、そうすると獄寺についていられなくなるので、スクデーリアは思い切って「いってきます」と手を振った。

「リア、獄寺隼人が目を覚ましたら…」

「わかってる。ちゃんと、ドン・ボンゴレにもご挨拶する」

 「ならいい」と雲雀はうなずいて、スクデーリアを送り出す。入れ替わるように、草壁がディーノを担いで入ってきた。

「どうかしたかい?」

 スクデーリアを見送る風情の草壁にふと興味を引かれて、雲雀が訊ねる。草壁ははっとして雲雀に向き直った。

「いえ…、つまらない感傷です。…ドン・キャバッローネは、こちらのソファでよろしいですか?」

「手間をかけるね。終わったら、呼ぶまで下がってていいよ」

「わかりました」

 ディーノをソファに寝かせ、氷枕をあてがった草壁は、一礼して退室する。静かになった部屋で、小ディーノがくぁふ…とあくびをした。

「さて、パパはどのくらいしたら起きるかな…。ねぇ、ちっちゃいディーノ?」

 うとうとし始めた小ディーノに話しかけながら、雲雀はスクデーリアの泊まりをどう説明すれば、ディーノは騒がないでくれるだろうかと考えた。




「もう、ランボもカナちゃんも、どこに隠れたんだ…」

 広大な庭でのかくれんぼで、隠れた金糸雀とランボをもうずいぶん探している綱吉は、一向に見つからない子どもたちにがっくりと肩を落とす。そろそろ見つけて、執務室に戻らないと、今日は珍しくフゥ太が来るというのに、そのアポイントメントに間に合わなくなってしまう。

 まだ探していないところはどこだっけ…と、綱吉は周囲を見回す。そして、ふと目に入った光景に、優しい微笑を浮かべた。

 木立の向こうは、本部奥の、守護者の居住区。白壁のこの区画は、獄寺の私室区だ。そのサンルームに、ゆったりと寝椅子に身を横たえる銀色の影と、その影に寄り添うように身を寄せる小さな黒い影があった。

 おもむろに携帯電話を取り出し、綱吉は短縮番号で電話をかける。

 Pi Pi Pi Pi Pi...

 向こうの木立で、電話の呼び出し音が鳴り、慌てたランボが転げ出してきた。

「見つけた、ランボ。カナちゃんも」

 ランボを心配そうに見るあまり、ディーノ譲りの濃い金髪を覗かせた金糸雀の名も呼んで、綱吉はかくれんぼを終わらせる。

「ひどいですよ、ボンゴレ10代目。電話をかけて見つけるのは反則です」

「わかってる、貸しでいいよ。すぐに戻らなきゃいけなくなっちゃったんだ」

 恨み言を言うランボに、綱吉は苦笑して肩をすくめる。フゥ太のアポイントメントまではまだ時間があると知っているランボは、不思議そうな目を綱吉に向けた。

「早く戻って、獄寺くんは明日の昼まで休暇だって、秘書に伝えないとね」

 ちらりとサンルームを目で示し、目配せする綱吉に、事態を飲み込んだランボは、了解とうなずく。

「それじゃ、カナさん、おやつにしましょう」

「おやつ! カナ、ココアクッキーがいい! ナッツの入ってるヤツ」

「それはいいですね、すぐに用意させますよ」

 ランボは金糸雀を促して、執務区のサロンを目指して歩き出す。金糸雀はおやつに気を取られて、突然終わったかくれんぼにも疑問を持たずに、ランボに従った。

 離れていく大小2つの背中を見送り、サンルームを騒がせるものがなくなったことを確認して、綱吉もゆっくりと庭を後にした。


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